「如月、生きてますか!?」
雫は開口一番、そう切り出してきた。
とはいえ、そう言いたくなるのは仕方ないだろう。
如月は酷い状態だった。
着物はボロボロ。髪も服も焼けただれていて、元々火傷の痕があった皮膚の上から、さらに火傷を負っている。
すでに、元々あった咎人の焼き印は、全く判別がつかない状態になっていた。
「一応……生きておりますよ、雫姫。そして……
夜斗は、打倒いたしました」
如月は、今もぐずぐずと燃えている
夜斗の巨体を振り返る。
それはもう、燃えて幾分小さくなっているとはいえ、間違いなく
夜斗のものであり、そして明らかにもう生きてはいなかった。
「本当に……倒したのか、あの蛇妖を」
八次が驚いて
夜斗の近くまで行って検分している。
だが
無論、夜斗が動くことはない。
「他に、生存者はいないのか?」
「意識がある者は……私のみですが、まだ息がある者はいると思います。一刻も早く、手当てを」
「……そうか」
「と、とにかく生存者の手当てをしなくては。八次、まずは如月の手当てを――!?」
直後、乾いた金属音が響いた。
それは、刀と刀がぶつかり合った音。
八次の持つ刀と、如月の持つ刀がぶつかった音だった。
「驚いたな……その傷で動けるとは」
「ど、どういうことですか、八次様」
刀をかろうじて構えているが、すでに如月は立っているのがやっとの状態だ。
そして今の一撃は、如月が防がなければ確実に雫の命を奪っていたと断言できるほど鋭いものだった。
「今の行為で、何を目的としているか理解できないほど阿呆か?」
「雫姫を……殺すつもりですか」
「他にどう捉えろというのだ、というところだろう?」
そういうと、八次は刀を正眼に構える。
正規の剣術を学んだ者らしい隙の無い構えに、如月もまた刀を構えた。ただ、こちらは切っ先をやや下げた、下段の構え。
「なぜ、雫姫を」
「その娘がいては、私が久遠院家の当主となることが出来ないからだ」
「は?」「え?」
如月と雫が、同時に声を出していた。
実際、意味が分からない。
「本当は二年前に私が継ぐ予定だったのだ。ところがあの蛇妖、余計な色気を出しおって。おかげで無為に二年も過ごすことになった」
「ど、どういうことですか、八次」
「まだお分かりになりませんか、姫様。あの蛇妖によって、あなた方一族が全員死ぬ。そうすれば、縁戚にあり、久遠院家で世話になっていた私が、久遠院家の当主になれる……はずだったんです」
「まさか、蛇妖の祠を破壊させたのは」
雫の言葉は、もはや詰問ではなく確認に近かった。
そしてそれは、次の言葉で確信に変わる。
「ええ。お父上をたきつけて、無理に祠を壊させようしたのです。そうすれば、あの蛇妖は必ずその地の主――かつて自分達を封じた者の末裔をことごとく殺すでしょう。ところが蛇妖は戯れに姫様、貴女に目を付けた。結果、このような茶番まで演じることになってしまって、私としては本当に参っていたのですよ」
「茶番……ですって」
雫は周囲の惨状を見渡す。
立っているのは如月のみ。まだ息がありそうな兵はいるが、死んでいる者も多い。
これだけの被害を、八次は『茶番』と言い切ったのだ。
「姫様だけが生き残れば、私が夫となって久遠院家の当主となることもあるかとは思っておりましたが、まさか蛇妖があのような条件を出すとは、思いもよりませんでした。おかげで姫をたぶらかしても私が死ぬことになりかねない。本当に困り果てました」
「だが、一体、今回どうする、つもりだったんだ」
如月が息も絶え絶えに、だがそれでも構えは解かずに八次を睨む。
「雫姫が蛇妖に殺されれば、俺が久遠院家を継げる。だが、少なくとも蛇妖が来る前に雫姫が死ぬようなことになれば、真っ先に疑われるのは俺だ。それは我慢ならなかった。だが――ここに胡乱だが、ちょうどいい贄が来たからな。しかも妖切りだったという。あまりの都合の良さに、これこそ天の配剤と感謝したくなったよ」
つまりこのどさくさに雫を殺し、自分だけ生き残る状況を作れば、久遠院家を継ぐのは八次となる。
「どうして、こんな、ことを」
「ふん、妖切りなどには分かるまい、この俺の憤懣など」
会話すら辛いのだろう。苦痛に歪む如月を、だが八次は蔑むように見た。
「俺はさる大名の子として生まれた。だが、名前から分かるだろう。俺は八男。上に兄は七人もいたのだ。しかも、どいつも健在だ。俺は、父に認められるために武芸も学問も必死に努力したが、結局八男という序列だけで、俺に与えられる家督は本当に微々たるものだったのだ。兄より遥かに優秀だというに」
そう語る八次の目には、暗い、まるで誰も彼も呪うかのような情念が渦巻いていた。
「だから俺は、久遠院家に来ないかという話が来た時に、すぐに話に乗ったのさ。久遠院家は所領は大きくはないが、銀山もあるし地の恵も多い。海もある。いずれは大大名へと名を連ねるための根拠地としては、申し分ない」
「そんな……そんなことのために、まさかあなたは、蛇妖を」
「そんなこと? この世に生まれて、一国の主として天下に覇を唱えんと考えるのは、男児として当然であろう。それが理解できぬから、雫姫、貴女のお父上も死ぬことになったのですよ」
「え――」
「国を栄える為だといっても、お父上は祠のあるあの山は、先祖代々受け継がれた大事な場所だからと、頑として首を縦に振らなかった。本当に強情な方でしたよ。さすがに私も、祠を自分で壊すのは危険がありましたからね……仕方なく、貧民を使って壊させたのです」
当時、あの祠があったという山の開発計画そのものは存在した。
だから当時、父がそれを強行したのだと思っていたが――実際は違ったのか。
「如月。お前は強い。それはこの戦いでも分かった。どうだ。私に仕えぬか? お前も男児なら、いずれは一国一城の主たらんと思わぬか。俺に仕えれば、それを叶えてやろう。元咎人であるなど関係ない。栄達を約束してやるぞ。この地の実りがあれば、私はこの国をより強大な国とすることが出来る。お前はそれを手伝うに相応しいだろう」
すでに都の方では大名たちが戦を繰り返し、世は大きく乱れている。
都から遠く離れた地方であるがゆえにこの地は戦乱を免れているが、この先もそうとは限らない。
ましてこの地は、蛇憑きの姫としておそれられた雫自身がいることで、他の家が手出ししづらいという場所であっただろうことは、雫自身も分かっていた。
だが、その蛇妖が滅された今、この地もいずれは戦乱に巻き込まれるかもしれない。それに抗うためには、八次の言うように、国を強くするしかない。
「一つ、お聞かせください。八次様」
「ほう。なんだ?」
如月は大きく息を吸って、それからゆっくりと吐く。
それで少しだけ痛みが気持ち的に引き――如月は顔を上げ、八次をまっすぐに見据えた。
「このようなことをしなくとも、雫姫と結ばれれば、あなたはこの久遠院家を手に入れられただろう。今は私と仮初の
夫婦だが、そんなものはこの戦いが終われば解消されるのは分かっていたはずだ。雫姫を殺す理由など、なかっただろうに」
すると八次は、如月の後ろにいる雫を見て、心底侮蔑するような表情になった。
「蛇憑きの姫など相手にしたくもない。気味が悪い。お前とてそうであろう。妖切り。一度妖に見初められた者など、触れたくもないわ」
「や……つぎ……」
雫は衝撃のあまり、それ以上何も言えなかった。
家族同然に過ごしていた八次が、心の底でこのようなことを考えているなど、今まで一度も考えたことがなかったからだ。
「少しでも利口なら、どうすべきかなど迷うまい? さあそこをどけ。さすがに、お前に雫姫を斬れとまでは言わん。その程度は、私が自らやろうぞ」
「……そして、その後に私を斬って、雫姫殺害の下手人とするわけですね」
八次の顔が、わずかに歪む。
それが、如月の言葉の正しさを証明していた。
今なら、八次が鎧具足を身に着けていた理由も分かる。
彼は最初から蛇妖と戦うつもりはなかった。蛇妖が去って――予定外に討伐されたが――その後に、目撃者を殺すために鎧を纏っていたのだ。
「ふん。無駄に頭が回ると思ったが、面倒だな。だが、今なら見逃しても良い。望みの俸禄をくれてやる。それでどこへなりとも行くがいい」
仮に如月が外で八次の罪状を触れ回ったところで、妖切りの言葉など、誰も信じない。真実は永遠に歪められるという事だろう。
そしてそれは如月にも十分に分かっていたし、そしてここで八次と戦っても、やはり自分に未来はない。
すでに全身を襲う激痛は、耐えがたいほどの責め苦となって、如月の心を今にも折ろうとしていた。
だが。
「お断り、します。私は雫姫を守る。そう、決めています」
「分からんな。下賤の身で、分不相応にも懸想したか?」
すると如月はゆっくりと首を横に振る。
その顔は、苦痛に歪みつつも固い決意を、瞳に宿していた。
「私は、雫姫がいなければ、とうの昔に、死んでいたはずの人間です。だからこの命は、雫姫のためにだけある。それだけの事です」
初めて八次の顔が、疑問に歪んだ。
そして、如月の言葉は、雫にも意味が分からなかった。
雫自身、如月に会ったことなど――。
(あ――違う。私、は)
唐突に思い出した。
幼い頃、旅芸人として領地に来た一座がいた。
そしてそこの子供と、雫は仲良くなったのだ。
当時はまだこの地は戦乱は程遠く、とても平和で、雫も外で遊ぶことが多かった。
あれは――まだ雫が六歳かそのくらいだったか。
少し年上のその少年と一緒に、領をあちこち探検した記憶がある。
だが、その一座は実際には盗賊だった。
久遠院家の邸に盗みに入り――その際の一人が、その少年だった。
その少年も、見張り役として使われていたのだ。
忍び込んだ者達は全てすでに斬られていたが、一味としてその少年も引き立てられた。当時十歳であり、その扱いは大人と同じ――つまり、縛り首となるはずだった。
だが、雫はどうしてもその少年と遊んだことが忘れられず、必死に助命を願い出たのだ。雫に甘かった父はそれを受け入れ――少年は咎人の焼き印を捺されることで、解放されたのである。
そして、その少年の手首には、大きな傷跡があったはずだ。
今目の前にいる如月の手首にある傷と、全く同じであり――。
つまり如月は、最初から雫を守るためだけにここに来ていたのだ。
雫に命を救われた、その恩を返すためだけに。
「やれやれ。学がない者は損得の勘定も出来ぬと見える。まあそれなら、斬るだけだ。何、今なら全て蛇妖の仕業となろうて」
燃え盛る邸を背に、八次の構えが上段へと変わる。
すでに満身創痍である如月では、受けることもままならない。踏み込んで振り下ろすだけで、終わりだ。
「惜しい男だったが――終わりだ!!」
「如月ーっ」
八次が大きく踏み込んだ。
そしてそのまま、刀を振り下ろす。
動くことすら出来ない如月には、それを受けることなど到底不可能で――。
刹那、光が奔る。
それは雷光の如き
迅さで八次の首元に迫り――正確に鎧の隙間を抜け、首に滑り込む。
それは、かつて雫が渡した、小刀。
その細い刃が、八次の喉に突き刺さっていた。
「がっ!?」
「卑怯では、ありましょうが……妖切りは侍ではなく――ゆるされ、よ」
ぐらり、と如月の身体が傾ぐ。
「如月!?」
「雫……ひ、め……ご無事、です……」
如月と八次が倒れたのは、ほぼ同時だった。
その二人を、赤い光が彩る。
満月が中天を彩る夜に、邸が燃える火の音と、雫の悲鳴が響いていた。