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第3話 如月の理由

ー/ー



「あれ。今日は如月いないのかしら」

 十日ほどが過ぎた。
 あと半月もすれば、蛇妖が現れる雫の生誕日だ。
 怖くないといえば嘘になるが、かといって悩んでいても日は昇り、暮れ、夜になってまた朝が来る。
 それであれば、今出来ることをすべきだ。
 それが、雫が両親を失ってから得た教訓である。

 ただ、このところ毎日如月とは朝餉を共にしていたので、いないのは予想外だった。

「珍しいですね……まだ寝てるとか?」
「姫様、おはようございます」
「あ、八次、おはよう。如月はどうしていますか?」
「如月ですか。そういえば……朝から出かけていましたね」
「でかけ……どこへ?」
「さあ……」

 八次が首を傾げる。
 どうやら本当に知らないようだ。
 別に彼の行動を制限する理由もない。
 極論、蛇妖が来る時にいてくれればいいだけだ。

 さすがにそれ以上気にしても仕方ないので、雫は食事を終えると、仕事に精励した。
 昨日にいくつかのもめごとが来ていたのだ。
 それに加えて、以前支援を申し出たところから返事があったので、それに対して返答をしたためる必要がある。
 支援自体は、金子(きんす)での支援だけという期待にそぐわない――そして予想通りの――ものだったが。

 取りあえずいくつかの案件を裁可したところで、ちょうど太陽が中天に差し掛かっていた。
 遠く、昼を告げる鐘の音が響いてくる。
 八次は蛇妖が来た時のための装備の買い付けに行くらしく、帰るのは夜半になるという。
 家には通いの下女が来てくれたので、食事の準備を頼んだところで、朝見なかった姿を見かけた。

「如月。どこへ行っていたのだ?」

 草履が少しほつれていて、着物も少なからず汚れている。
 おそらく街を出ていたのだと思うが、さすがに分からない。

「雫姫。すみません、勝手に出ていて」
「それは構わない。ああ、別に言いたくなければ言わなくても構わないのだけど」
「そうですね……昼餉の後にお話しいたします。もう少し、やることがありますので、今は失礼いたします」

 そういうと、如月は自分の寝所である納屋に戻っていった。
 なにやら籠を背負っているが、何が入っているかは分からない。

「……どこかで畑仕事でもしてるのかしら」

 あり得る話ではある。
 この地は土地の恵みが豊かで、山に分け入っても結構色々な食べ物が採れるのだ。
 もしそうなら、それはそれで食事の(いろどり)が増えるかもしれず、期待したくもなる。
 この時、雫はいつの間にか、如月との食事を楽しみにしている自分に、まだ無自覚だった。

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 昼餉は下女が作ってくれたのを一人で食べる。
 それはこれまでもそうだったが――。

「ゆき。次から、如月の食事もこちらで頼む」

 下女のゆきは少し驚いたようにしながら――「はい」と言って了承してくれた。
 無論、下女たちも如月がどういう立場でこの邸に来ているのかは知っている。
 ただ、当然本当に夫婦(めおと)となったわけではないのも理解しているし、そもそも話してもいないと思っていたのだろう。
 実際には毎朝話しているのだが。

 食事が終わった雫は、そのまま庭に出たところで、如月を見つけることが出来た。
 どうやらあちらも食事が終わったところらしい。

「如月。今いいか?」
「あ、はい。こちらもちょうど良いところです」
「?」

 意味が分からなかったが、二人並んで縁側に座った。
 最近は、朝餉の後はこうやって話すのが日課だったのだが、今日は出来なかった分、今がその時間ということだ。

「朝はどこに行ってたのだ?」
「色々街で話を仕入れて……まあその、妖切りとしての職責を果たすべくというか、素材を集めておりました」
「素材?」

 すると如月は、懐から小さな金属の器を出した。
 開けると、中にはどろりとした液体が入っている。

「お気を付けください。まあ、人にはそこまで害はありませんが、妖(あやかし)には強い毒となります」
「これは……?」
「漆です。触れるとひどくかゆくなるので触らないように」
「これが……妖に効くと?」
「ええ。他にもいくつかありますが」
「そなたは蛇妖を倒すことを考えておるのか」
「無論です。私とて、死にたくはないですから」

 だが、そういう如月は明らかに死を覚悟しているように思えた。
 正しくは、自分が死ぬことに重きを置いていないという感じだ。

 「それからこちらは傷薬。裂傷や切り傷に効きます。こちらは火傷用。こちらの効果は折り紙付きでございます」

 そういって、如月は次々に薬を並べた。

「驚いたな。そなた、薬学に精通しておるのか」
「生きる為ですね。妖は様々な力を持つため、用途に応じて色々と。ただ、これは雫姫に」
「私に?」
「私は何としても貴女をお守りいたしますが、相手は強い。貴方を無傷で守り通せるかといえば、その保証はできませぬ。その時のために」
「蛇妖は、我が夫を迎えていた場合、それを殺せば満足すると言っておったが……」
「妖の言葉をそのまま信じてはなりませぬ。種類にもよりますが、吐く言葉が全て嘘、という妖すらおりますれば」

 それはさすがに、言葉が通じないのと同じではないかと思えてくる。
 そこまで話してから、ふと雫はまだ蛇妖について詳しいことを如月に話していないことを思い出した。

「そういえば……蛇妖についてちゃんと説明しておらんな」
「話は……噂なら多く知っておりますが」
「そうなのか?」
「はい。久遠院家の蛇妖の話は、有名です。身の丈十丈(三十メートル)にも及び火を吐く大蛇。その力強大にして、人の身で抗うこと能わず、と」
「……概ね合っておるな」

 雫は、二年余り前に蛇妖をこの目で見ている。
 まさに、その話の通りの巨大な蛇だった。
 太さも、半丈(一メートル半)はあったように思う。
 文字通り、人を丸呑みすることが可能な大きさだった。

「なるほど、人の噂というのは時に誇張されますが、こと妖に関しては誇張してなお不足ということもございますからね」
「うむ。だが、その話の通りならほぼ実態に近いと言える。……人の身では到底敵わぬということだけは変わらんが」

 あの蛇妖が現れた時、この邸には三十人からの武者がいた。
 だが、そのことごとくは全くなす術なく、蛇妖の前に全て殺され、両親も祖父母も、無残な姿を大地に晒すことになったのである。

「さすがに勝てるとお約束はできませんが……無策ではございません。ただ、私が死んだところで無頼の妖切りが一人死ぬだけ。雫姫が気に病むことはございません」
「如月……お主、なぜそこまでする。一宿一飯の恩義、というにはあまりに均衡がとれぬ」

 すると如月は少し困ったような顔になってから――少し笑う。

「一応……理由もございますが、それはまたいずれ。ただ、私は雫姫が健やかにあってほしいと、心底願っております。そのために、私にできる全てをするつもりです」
「それはつまり、お主は私を、以前から知っていたのか? あの場にいたのは、偶然ではあるまい?」

 すると今度はしまった、という顔になりながら、それでもその動揺を消して、如月は立ち上がった。

「夕刻になると取れる薬もありますので、今日はここで」
「まて。まだ話は終わっておらん」

 だが如月は、主君の命であるのに構わず立ち去ってしまう。
 とはいえ、それを咎め立てするつもりは、雫にもなかった。

「私を……前から知ってる……?」

 それはつまり、過去に会ったことがあるという事だろうか。
 蛇憑きの姫の噂は確かに遠くまで伝わっていただろう。
 だがそれで、あのような決意を固める人間がいるはずはない。

 となれば当然、過去に会ったことがあることになるが――。
 全く覚えがない。
 そもそも、如月の本当の年齢もよくわからないままだ。
 相変わらずひげを剃らないし髪も整えないので――一応洗ってはいるようだが――年齢は三十歳にはなってないのは間違いないが、それ以外分からない。
 やたら老成してるような雰囲気も、年齢を分かりにくくしている。

「……もう少し話してもいいじゃない。一応、夫婦なんだし」

 言ってから、それが我侭だというのは重々承知していた。
 如月には如月の人生がある。
 彼が何を考えているかは分からないが、彼が言うように死なないで蛇妖を退けられたら、その先の如月の人生は、雫とは重ならない。
 仮初の契りは、そこでおしまいだ。

 ただ、それだけの事であるはずなのに、雫はそれに不足を感じている自分を、自覚し始めていた。



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 十日ほどが過ぎた。
 あと半月もすれば、蛇妖が現れる雫の生誕日だ。
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 それであれば、今出来ることをすべきだ。
 それが、雫が両親を失ってから得た教訓である。
 ただ、このところ毎日如月とは朝餉を共にしていたので、いないのは予想外だった。
「珍しいですね……まだ寝てるとか?」
「姫様、おはようございます」
「あ、八次、おはよう。如月はどうしていますか?」
「如月ですか。そういえば……朝から出かけていましたね」
「でかけ……どこへ?」
「さあ……」
 八次が首を傾げる。
 どうやら本当に知らないようだ。
 別に彼の行動を制限する理由もない。
 極論、蛇妖が来る時にいてくれればいいだけだ。
 さすがにそれ以上気にしても仕方ないので、雫は食事を終えると、仕事に精励した。
 昨日にいくつかのもめごとが来ていたのだ。
 それに加えて、以前支援を申し出たところから返事があったので、それに対して返答をしたためる必要がある。
 支援自体は、金子《きんす》での支援だけという期待にそぐわない――そして予想通りの――ものだったが。
 取りあえずいくつかの案件を裁可したところで、ちょうど太陽が中天に差し掛かっていた。
 遠く、昼を告げる鐘の音が響いてくる。
 八次は蛇妖が来た時のための装備の買い付けに行くらしく、帰るのは夜半になるという。
 家には通いの下女が来てくれたので、食事の準備を頼んだところで、朝見なかった姿を見かけた。
「如月。どこへ行っていたのだ?」
 草履が少しほつれていて、着物も少なからず汚れている。
 おそらく街を出ていたのだと思うが、さすがに分からない。
「雫姫。すみません、勝手に出ていて」
「それは構わない。ああ、別に言いたくなければ言わなくても構わないのだけど」
「そうですね……昼餉の後にお話しいたします。もう少し、やることがありますので、今は失礼いたします」
 そういうと、如月は自分の寝所である納屋に戻っていった。
 なにやら籠を背負っているが、何が入っているかは分からない。
「……どこかで畑仕事でもしてるのかしら」
 あり得る話ではある。
 この地は土地の恵みが豊かで、山に分け入っても結構色々な食べ物が採れるのだ。
 もしそうなら、それはそれで食事の彩《いろどり》が増えるかもしれず、期待したくもなる。
 この時、雫はいつの間にか、如月との食事を楽しみにしている自分に、まだ無自覚だった。
 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
 昼餉は下女が作ってくれたのを一人で食べる。
 それはこれまでもそうだったが――。
「ゆき。次から、如月の食事もこちらで頼む」
 下女のゆきは少し驚いたようにしながら――「はい」と言って了承してくれた。
 無論、下女たちも如月がどういう立場でこの邸に来ているのかは知っている。
 ただ、当然本当に夫婦《めおと》となったわけではないのも理解しているし、そもそも話してもいないと思っていたのだろう。
 実際には毎朝話しているのだが。
 食事が終わった雫は、そのまま庭に出たところで、如月を見つけることが出来た。
 どうやらあちらも食事が終わったところらしい。
「如月。今いいか?」
「あ、はい。こちらもちょうど良いところです」
「?」
 意味が分からなかったが、二人並んで縁側に座った。
 最近は、朝餉の後はこうやって話すのが日課だったのだが、今日は出来なかった分、今がその時間ということだ。
「朝はどこに行ってたのだ?」
「色々街で話を仕入れて……まあその、妖切りとしての職責を果たすべくというか、素材を集めておりました」
「素材?」
 すると如月は、懐から小さな金属の器を出した。
 開けると、中にはどろりとした液体が入っている。
「お気を付けください。まあ、人にはそこまで害はありませんが、妖《あやかし》には強い毒となります」
「これは……?」
「漆です。触れるとひどくかゆくなるので触らないように」
「これが……妖に効くと?」
「ええ。他にもいくつかありますが」
「そなたは蛇妖を倒すことを考えておるのか」
「無論です。私とて、死にたくはないですから」
 だが、そういう如月は明らかに死を覚悟しているように思えた。
 正しくは、自分が死ぬことに重きを置いていないという感じだ。
 「それからこちらは傷薬。裂傷や切り傷に効きます。こちらは火傷用。こちらの効果は折り紙付きでございます」
 そういって、如月は次々に薬を並べた。
「驚いたな。そなた、薬学に精通しておるのか」
「生きる為ですね。妖は様々な力を持つため、用途に応じて色々と。ただ、これは雫姫に」
「私に?」
「私は何としても貴女をお守りいたしますが、相手は強い。貴方を無傷で守り通せるかといえば、その保証はできませぬ。その時のために」
「蛇妖は、我が夫を迎えていた場合、それを殺せば満足すると言っておったが……」
「妖の言葉をそのまま信じてはなりませぬ。種類にもよりますが、吐く言葉が全て嘘、という妖すらおりますれば」
 それはさすがに、言葉が通じないのと同じではないかと思えてくる。
 そこまで話してから、ふと雫はまだ蛇妖について詳しいことを如月に話していないことを思い出した。
「そういえば……蛇妖についてちゃんと説明しておらんな」
「話は……噂なら多く知っておりますが」
「そうなのか?」
「はい。久遠院家の蛇妖の話は、有名です。身の丈|十丈《三十メートル》にも及び火を吐く大蛇。その力強大にして、人の身で抗うこと能わず、と」
「……概ね合っておるな」
 雫は、二年余り前に蛇妖をこの目で見ている。
 まさに、その話の通りの巨大な蛇だった。
 太さも、半丈《一メートル半》はあったように思う。
 文字通り、人を丸呑みすることが可能な大きさだった。
「なるほど、人の噂というのは時に誇張されますが、こと妖に関しては誇張してなお不足ということもございますからね」
「うむ。だが、その話の通りならほぼ実態に近いと言える。……人の身では到底敵わぬということだけは変わらんが」
 あの蛇妖が現れた時、この邸には三十人からの武者がいた。
 だが、そのことごとくは全くなす術なく、蛇妖の前に全て殺され、両親も祖父母も、無残な姿を大地に晒すことになったのである。
「さすがに勝てるとお約束はできませんが……無策ではございません。ただ、私が死んだところで無頼の妖切りが一人死ぬだけ。雫姫が気に病むことはございません」
「如月……お主、なぜそこまでする。一宿一飯の恩義、というにはあまりに均衡がとれぬ」
 すると如月は少し困ったような顔になってから――少し笑う。
「一応……理由もございますが、それはまたいずれ。ただ、私は雫姫が健やかにあってほしいと、心底願っております。そのために、私にできる全てをするつもりです」
「それはつまり、お主は私を、以前から知っていたのか? あの場にいたのは、偶然ではあるまい?」
 すると今度はしまった、という顔になりながら、それでもその動揺を消して、如月は立ち上がった。
「夕刻になると取れる薬もありますので、今日はここで」
「まて。まだ話は終わっておらん」
 だが如月は、主君の命であるのに構わず立ち去ってしまう。
 とはいえ、それを咎め立てするつもりは、雫にもなかった。
「私を……前から知ってる……?」
 それはつまり、過去に会ったことがあるという事だろうか。
 蛇憑きの姫の噂は確かに遠くまで伝わっていただろう。
 だがそれで、あのような決意を固める人間がいるはずはない。
 となれば当然、過去に会ったことがあることになるが――。
 全く覚えがない。
 そもそも、如月の本当の年齢もよくわからないままだ。
 相変わらずひげを剃らないし髪も整えないので――一応洗ってはいるようだが――年齢は三十歳にはなってないのは間違いないが、それ以外分からない。
 やたら老成してるような雰囲気も、年齢を分かりにくくしている。
「……もう少し話してもいいじゃない。一応、夫婦なんだし」
 言ってから、それが我侭だというのは重々承知していた。
 如月には如月の人生がある。
 彼が何を考えているかは分からないが、彼が言うように死なないで蛇妖を退けられたら、その先の如月の人生は、雫とは重ならない。
 仮初の契りは、そこでおしまいだ。
 ただ、それだけの事であるはずなのに、雫はそれに不足を感じている自分を、自覚し始めていた。