宿舎前の坂を下った後、アメルが胸をなで下ろした。
「ああ、危なかったですわ。心臓が止まるかと」
「ほんと、危なかったわよ。外出禁止とか言われたら大変だわ。今度から、もっと上手くやりましょう」
「ええ、確認がおろそかでしたわ。反省します……」
「そういう事でもないけど。まあいいわ。早めに戻って、厨房を手伝いましょう。あれ? 手伝うのはプラグなのかしら?」
「いえ、私が手伝いますわ。さすがにちょっと、可愛そうですもの」
アメルの言葉にアルスは笑った。
二人はお喋りしながら城内を歩き、大門を出て市街に入った。混雑……と言う程でも無い。
「今日の人出は普通くらいね」
「ええ、まずは南ですか?」
「そうね、お店と露天があるところ。先に行って、帽子を買いましょう。そしたらすぐお昼だわ。それで、一時からは劇、二時間だから、三時、その後は休憩して、ぶらつきながら帰ったら丁度良いわ」
「そうですわね。あ、帰りに市場に寄っても良いですか?」
「いいけど、何かあるの?」
「厩舎にトゥーワを預けて来たので、何か手土産をと……何が良いでしょう?」
「うーん、何でも良いと思うけど……食べ物が良いわね、確かに」
アルスは考えた。
……男性はアメルがくれるならどんな物でも嬉しいだろう。
アルスだって、アメルが何かくれたらはしゃいでしまいそうだ。アメルは女子から見ても、それくらい可愛いのだ。
「喜ばれる物と言えば……なんでしょう? カルタではアーティチョークが人気ですけど、こちらではどうですか。兄は、食事に出ないと言っていました」
「ああ、確かに、あんまり、って言うか出た事ないわね。私は好きだけど……厩務員さんは男性ばかりだし、料理しなくて良い物にしたら?」
「確かに。となると、パンやお菓子、でしょうか?」
「そうね、何か良い物あれば――あ、市、やってるわね、ざっと見て行く?」
「そうしましょう」
ちょうど小さな広場があって、天幕が並んでいた。これは朝市と言われる物で、いくつかの広場で、毎朝開かれている。食べ物限定だが、事前に申請するか、当日、場代を払えば誰でも販売できる。近隣の村から売りに来る人もいて、今日も賑わっていた。
野菜、果物、パン、肉や、燻製、鮮魚、香辛料、紅茶、軽食、飲み物、何でもある。
どれでも喜ばれるだろうが――。
「あ、チーズはどう?」
アルスは言った。板の上にチーズの塊が積んである。
「ああ! そうですわね」
「今買うと荷物になるかしら?」
「でもこのお店、見た事ありますわ」
板切れ看板には、チーズ専門店の名前があった。確かこの近くに店を構えていたはずだ。今は六十歳くらいの、黒髪の小太りの男性が番をしている。エプロンにも店の頭文字が刺繍してある。
「あ、ほんとだ……すみません」
アルスは声を掛けた。
「はいよ?」
「ここって、お店の出張販売なんですか?」
「ああ、そうですよ」
「このお店って何時までやってますか? 荷物になるので、帰りにまた見たくて……」
「ああ、ここは昼までだからね、その後は店に帰るよ。そっちに行って貰えたら助かるね」
「そうなんですね。お店ってどこでしたっけ? この辺りで見た気がするんですけど」
「うん、近いよ、そっちの道をまっすぐ行って、交差したところを右、ダッセル通りのネーブルチーズだよ」
「ああ、向こうだったんですね――アメル、どうする? 寄る?」
「ええ、ぜひ帰りに。そうですわね……今は……これを三つ頂けますか?」
アメルが指さしたのは、細工チーズと言われる物で、動物の形に型抜きしてある。可愛いし、大きさも手の平程度なので、荷物にもならない。
「あいよ。三つで千五百パル。お嬢ちゃん達、巫女さんかい? すごく可愛いね~!」
店主のおじさんがアメルの赤い付け襟と、巫女証――赤いリボンを見て言った。
「はい。私は巫女ですが、こちらの彼女は精霊騎士の候補生なんですよ」
「えっ、そいつは凄いな、じゃあ一個、いやもう二個おまけしよう。またご贔屓に」
「まあ……良いんですか? ありがとうございます」
アメルは微笑み、紙袋を両手で受け取った。おまけしたくなる気持ちがとてもよく分かる。
……控え目な感じがとても可愛い。
「候補生さんも、隊長さんによろしくね」
「あっ、はい。ありがとうございます!」
「隊長さんにはいつもお世話になってるからね。あ、そうだ、昼一時から、劇があるけど知ってる?」
店主はそのままアルスに話しかけて来た。
「はい、私達、劇を見に来たんです」
アルスは答えた。
「そうなんだ。今日は何だっけ?」
「ラメオとシャレットです」
「ああ、あれ、人気だよね。お休み楽しんでね~」
手を振ってくれたので、手を振り返して歩き出す。
「おまけしてもらいましたね」
アメルが嬉しそうにしたが――正直言って、アメルは可愛い。彼女が本当に存在したら、きっとプラグは気が気でなかっただろう。今はチーズの袋をなんとか鞄に収めようとしてがさがさと平らにして「やっぱり袋が必要でしたわ」と呟いている。とりあえず、チーズは鞄に収まった。
「決まって良かったわね。帰りに行くとして――こっちね」
「ええ」
そして歩き出し、たまに寄り道しながら、目的の南側へ来た。
「この辺り――ああ、お店が沢山あるわ」
「本当に、お店ばかりですわ」
アメルが目を丸くした。女子達が騒ぐだけあって、通りの左右にずっと、小物の店や、服の店が並んでいる。後は装飾品の店。値段はどれも庶民的だと言う。
道には屋台があって、リボンやスカーフが吊してあり、見るからに華やかだ。
「さすがは首都……お洒落……!」
アメルと一緒に、吸い寄せられるように近づくと、ふと、金色に近い薄い茶髪と、見覚えのある青い訓練着が目に入った。
髪の長さは肩を過ぎる程度で、毛先を内側に巻いている――。
「あれ、アルスちゃん?」
「あ、ペイト!」
候補生のペイト・マイメだった。隣にいるのはナージャ。二人も来ていたらしいが、訓練着だ。
ペイトはアルスを見て目を丸くした。
「あれ、どうしたのその服? え、凄く可愛い! 見たこと無い!」
「ああこれね、借り物なのよ――」
「あら……そちらの方は?」
アメルはアルスの左側にひっそりといたのだが、ナージャが気が付いた。
アメルは微笑みナージャに顔を見せて。
「こんにちは」
と言った。
「ああ、この子、見れば分かると思うけど、プラグの妹のアメルちゃん。そっくりでしょ?」
「あ、この子が! わぁ、ホントに双子なんだ? 年は幾つ? って双子か」
ペイトが苦笑した。
「まあ、なんて可愛い……! 本当にそっくり……!」
ナージャが目を丸くした。
と、そこで他の客が来たのでアルス達は「一回、避けましょうか」と言って屋台の端にずれた。
「二人はもしかして、早く来たの?」
アルスの言葉にペイトが頷いた。
「そう朝イチでね、私、この前キャンベル達とこの辺歩いたから。今度は彼女と」
ペイトは女子の中でもナージャと同じくらい強く、良く一緒に訓練をしている。その繋がりで仲が良いようだ。
「私服なんですね?」
ナージャが首を傾げた。二人はやはり、今日の事を知らないらしい。
「そうなのよ。隊長の気まぐれでね――」
アルスは午後からカタリベの劇があること、女子達は私服でいいと言われたことを伝えた。
「私の、引っ越しの荷物が間違って兄の所に届いてしまって……」
「重くて、階段で男子がぶちまけて、それを見た隊長がひらめいたの」
「なにそれ。でも、あー、そうだったのね。惜しかったわ!」
ペイトとナージャが苦笑した。
「折角会ったんだし一緒に回る?」
アルスは提案した。
「良いわねそれ。アメルちゃん……だっけ? いい?」
ペイトがアメルに尋ねた。
「ええ、もちろん!」
アメルが微笑んだ。お店が空いたのでまずはリボンを見た。ざっと見た後、アメルは気に入ったリボンを購入した。買い方は一巻き丸ごとが殆どで、豪快だった。
「たくさん買うのね?」
「ええ、カルタの巫女仲間に送るんです。リボンが欲しいと頼まれていて……この刺繍リボンは見た事が無いですから、きっと喜ばれます」
「ああ、なるほど。確かに可愛いわよね。私も少し買おうっと」
金色の刺繍が入ったリボンで、とても可愛い。アルスも、紫色の物を選んだ。
するとペイトが「アルスちゃん、目の色が綺麗で羨ましいわ」と言った。
「私、普通の薄茶色だもの。まあ、何色でも使えるからいいけどね」
「何色がお好きなんですか?」
アメルが尋ねた。
「私は黄緑とか、水色かな。淡い色が好き。ピンクも良いわよね」
男勝りなペイトだが、意外に趣味は可愛いようだ。
それから四人で通りを歩きながら、帽子屋を探した。
「帽子、劇を見るならあってもいいわよねって」
「お姉様とお揃いがいいです」
アメルが可愛いことを言うので、アルスは抱きしめたくなった。と言うか実際に抱きしめた。
「おねぇさま?」
ペイトが首を傾げた。
「心のお姉様よ。なんだか妹みたいで」
アルスの言い分にペイトとナージャが苦笑した。
そしてペイトが首を傾げた。
「――あれ、そう言えば、プラグは? いないの?」
「そう言えば、出かけると仰っていましたね」
ナージャが言った。
「え、そうなの?」
アルスは意外に思った……というか、何故かプラグの予定がばれている。
するとペイトが微笑んだ。
「うん、昨日、エマとバーバラが誘ってたんだけど、先約があるからって断ってたわ。だからきっと貴方と出かけるんだって、皆が話してたの」
「いえ、街に行くとは仰っていましたけれど……誰とは」
ナージャが控え目に言った。
するとアメルが微笑んで「お兄様もどこかにいるはずですわ」と言った。
それを聞いたペイトが、ナージャを見てにやにやと笑った。
「そうよね、広いもの。それにしてもあの子、モテモテよねぇ。何でかしらー?」
ナージャが少し気まずそうにしている。どうやらペイトはナージャをからかっているらしい。
それからしばらく歩き――。お腹が空いてきた、と言う話になった。
途中、日時計の広場があったが、まだ少し早いようなので、店を探しつつもう少し歩く。
ペイトは隣の道にも店がある、と言って、別の通りを教えてくれた。
「あら――こちらに曲がるともう川ですね」
ナージャが道の左を見て言った。南の端には川があって橋がある。その向こうは寂れている――というか庶民の生活区域なのだ。四人は曲がらず、真っ直ぐ進んだ。
「あ、お守り屋さん! ごめん見ていい?」
ペイトが言って、四人はお守り屋に入った。
聖樹のお守りや香木、ちょっとした香水、お皿や花瓶を扱っている。
「あ、これ、可愛いわ――けどお皿は使えないわね……」
アルスは花柄の絵皿を見て肩を落とした。候補生の生活にはお皿は必要ない。
「部屋で使うならいいんじゃない――かしら?」
アメルが、ちょっと一瞬、ぶれて言った。
「でも、お皿だものね……あ、コップならいいかも」
同じ柄のコップがある。水を飲むことはあるし、歯を磨くときにも使える。何より、紫色と赤色の花模様が気に入った。アルスは買う事にした。
「ええ、お揃いで……」
「! ちょっと待って、そこは冷静になりましょう」
アルスは冷静に止めた。冷静に考えると、プラグとアルスがお揃いになってしまう。
「あ、そうですわね」
アメルも気付いたらしく、頰を染めていた。
アメルは近くの棚を見て、ちょうど良い物を見つけたらしい。水色のコップを手に取った。
「これはお兄様に買って行きます……あとは袋……」
「あれ、袋、買うの?」
ペイトが言った。ここにある袋は地味というか、さほど可愛くない。
「荷物が増えそうなんです」
「帰りに、チーズを買うのよね」
アルスは言った。
「チーズ。へぇ。でも袋ならもっと違うのもあるかもしれないから……とりあえず、私が入れとくわよ。この袋、大きいし」
ペイトは買い物する気で来たのだろう。しっかりした、水色の手提げ袋を持っていた。
「いいんですか?」
「うん、良いわ、さ、買ってきて。あ、シオウのはいいの?」
ペイトに言われ、アメルは戸惑った様子だ。
「シオウ様ですか? どうでしょう……買っていいのでしょうか?」
「買っちゃえば? お金は請求で」
アルスはアメルに勧めた。シオウも私物があまり無いので、あってもいいだろう。
「……そうですわね。そうしましょう、色はどうしましょう」
アメルは微笑んで、どれが良いか尋ねてきた。
「同じだと間違えそうね。シオウ、結構適当だから……こっちの薄緑でいいんじゃない? これは赤って言うよりピンクだし……」
支払いのついでにアルスとアメルは「帽子屋さんってありませんか?」と尋ね――ようやく帽子屋を見つけ、たどり着いた。
「もうここを見たら、お昼にしましょう。さっきのお店で良いわよね?」
先程通り過ぎたところに、お洒落な食堂があった。かなり広い店だったので、席にも余裕があった。
「首都は凄いですわ……こんなにお店があるなんて。一日では回れません……」
アメルはしみじみと呟いている。ペイトが同意する。
「でしょ、私もびっくり。あ。私、エスタード領出身なんだけど。結構栄えてると思ったけど、ここは別格よね。あなたはカルタ出身だっけ?」
「ええ。兄と同じです」
「巫女さんをやってるって、凄いわね」
二人は話しながらも帽子を選んでいる。ナージャは気に入った物を見つけたらしい。
クリーム色の帽子で、水色のリボンが付いている。
「あ、それ可愛い。凄く似合うわよ」
ペイトが言った。
「ええ、とても気に入りました」
ナージャは微笑んでいる。ペイトはどれにしようか悩んで、ごく淡い、水色の帽子にした。薄いピンクの、透けるリボンが付いた可愛らしい物だが、かぶってみると髪の色にとても合う。リボンが花の形になっていて、可愛いからこそ逆に難しいと思うのだが。まさにペイトにぴったりだ。
「やっぱり私、濃い色より薄い色の方がいいのよね」
「とてもお似合いです」
ナージャが微笑んだ。アルスもアメルも同意した。
アルスはアメルの隣に戻って、帽子を見始めた。
「二つあるものはありませんね」
「そうねー。何色がいい?」
「やっぱり、白い物がいいです」
「この辺よね……」
アルスが見ると、白い帽子は沢山あったのだが、どれもぴんとこない。
アメルに持たせて一つずつ見ていく。
「あ、この帽子……これ、お揃いじゃない? 二つある」
アルスが手に取ったのは、つばの広い、白い帽子だった。帽子の表面にレースのついたリボンがある。内側にも太いリボンがついていて、風で飛ばないようになっているし、何より二つある。
「まあ! 可愛い」
アメルが目を輝かせた。
「アメルちゃんが言うなら間違いは無いわ」
アルスは確信した。これだけ可愛い服を着こなしているアメルだ。彼女の目には狂いは無い。
そしてふと思った。たぶん、カルタでは思う存分可愛い服を着ていたプラグだ。もしかして、訓練着はすごく物足りないのでは無いか? 女装に拘るのはまさかその反動ではないか……。
(なんか……ちょっと可愛そう)
アルスは今日、思ったのだが……プラグは本来すごく活発な男の子なのだ。
そう言えば、ラ=ヴィアに会った日も夜中にすぐ飛び出していた。
きっと本当はもっとのびのびと走り回って過ごしたいのだろう……。それを我慢して、三倍の鍛練を日々頑張っているのだ。
「これ、買ってあげましょうか?」
「えっ?」
「服のお礼に――あ、もちろん服は返すけど、ね? どう? お姉様からの贈り物ってことで……」
理由は特にないので、断られるかもしれない、と思いつつ言った。
「では、そうですね。その靴をさしあげますわ。それで丁度良いのでは? 履きやすいでしょうか?」
「え、うん、すごく履きやすい。忘れてたくらいよ」
アルスはおろしたてという事も忘れて歩いていた。
「ではそれで」
「――まあ、じゃあ、そうしましょうか」
アルスは少し呆れつつ、帽子を買った。
このお金は王妃が心配して持たせてくれた物だ。国王――父は何もやるな、と言ったらしいが王妃はさすがにそれは無い、と叱っていた。二人はとても仲が良い。
ストラヴェルでは第一王子が生まれた後、国王はなるべく側室を持つ事になっている。
これは『身代わりの聖女』を確保するため、と言われていた。
正室が産んだ王女は、国に残り、いずれ『聖母』となる。だから代わりに、他国に嫁ぎ、怪我や病気を治す『身代わりの聖女』が必要なのだ。
(ま、いいわ)
アルスはあっと言う間に忘れた。どうでも良いことだ。
それより可愛い帽子があって良かったと思った。
■ ■ ■
『音』のプレートにより、台詞も音楽も歌唱は広場全体に行き渡っている。
カタリベの劇『ラメオとシャレット』は今日は候補生達が来ているため、大盛況だった。
それが分かっていたので、アルスとアメル、ペイト、ナージャ達は早めに移動して場所を確保していた。いまいるのは中央広場の端にある、階段広場、と呼ばれている場所で、階段の上に先代の国王夫妻の銅像がある。
先代の――つまりアルスの祖父母の銅像だ。こういう事はたまにあるので、アルスはつい笑ってしまう。
十段ほどの階段の上は、銅像が置かれているだけなのだが、観客席には丁度良い。
階段から十メルトほど先で『カタリベ』達が劇をやっているのだが……。さすが、国家資格だ。ちなみこの音楽はプレートも使っていて、一部は精霊が奏でている。
階段の下には石の長椅子が五列ほど並べられ、その先、三十セリチほど高くなり、石の舞台が作られている。この長椅子と舞台はいつもあって普段は放置されている。大道芸人達は中央寄りにいるのでこの場所は劇専用、と言った感じだ。
舞台中央にバルコニーのセットが作られていて、舞台の左右は白い布で隠され、舞台袖が作られている。
アルスとアメル達は上から二段目というとても見やすい場所に座っていた。
少し下に候補生達が陣取っていて、リズもいるし、どうやら沢山精霊もいるようだ。
リズは今日は、水色のワンピースドレスを着ていて、白くてつばの広い、薄紫のコサージュつきの帽子をかぶっていた。
コルセットは無く、腰の辺りに白いベルトがある簡単なワンピースで、白色の長いケープを羽織っているのだが。良く似合っているので、とても美人に見える。アルスは少し前から思っていたが、リズはお洒落なようだ。髪をかき上げたときイヤリングが見えた。隊服でもハイヒールだったりするので、こだわりがあるのだろう。
精霊達は、霊体で先代国王夫妻の銅像を囲み、一緒に見ているらしい。そわそわと楽しそうな気配がするし、たまにこっそり実体化している精霊もいて、声が聞こえる。開演前にウルとラ=ヴィア達が近くに来て挨拶をしてくれた。
観客は候補生だけでは無いが、今日は特に混んでいるので、左右に立ち客もいる。要するに大盛況だ。
ラメオ王子役の金髪のカタリベは本当に美形で歌も上手く、皆がうっとりしていた。
シャレット姫役の淡い茶髪の女性も、これまた可愛くて綺麗で。澄んだ歌声に感動しきりだ。カタリベの劇を観るのは初めてでは無いのだが、観る度に人はこんなに上手に歌えるのだ、とアルスは驚いている。
『ラメオ殿下……! 大変です』
『どうした、ネキル宰相よ』
『レルアント卿が、……スルベキアの王妃を、殺害しました!』
『――なんだと? ……もう一度、言ってみろ! どうして!?』
『――実は――!』
不幸な誤解と事故により、スルベキア王国とオルド王国は敵対する。実はレルアント卿は、無実で、スルベキアの悪い家臣にはめられたのだ。しかし誰も知るよしもなく……。
『なんてことだ……シャレットは無事か! 婚約はどうなる』
『無事なようですが……おそらく、婚約は無かった事に……』
『……ッ。これから、どうなる』
『スルベキア王は、王妃を殺害され激昂しています……! 戦争になるかと……っ』
『ああ、シャレット――!』
王子は戦争回避に奔走し、王女は疑念を抱き、レルアント卿に面会し、真相を探る。
だが……ついに戦が始まってしまう。
初めはスルベキアが一方的に攻め込んでいたのだが、ここでまたしても。悲しい事件が起きる。なんと戦いの最中、王子が死んでしまったのだ。
報せを受けたシャレットは絶望する。
『……お母様も亡くなり、王子も死んでしまって、民も多く犠牲になった……こんな戦い、終わらせたい……終わらせなくちゃ……』
シャレットは涙ながらに決断する。自分の命をもって、この戦いを終わらせる……と。
誰にも信じて貰えなかった真相を紙にしたため、バルコニーに身を寄せる。
最後の歌唱は切なく、しかしどこか希望に満ちている。
あなたの元へ参ります――また一緒に、歌いましょう。
あなたと共に歩みます――ふたつの国の、明日のために。
(うっ……)
澄んだ歌声にアルスは泣きそうになった。既に、女子は泣いている。
カタリベの欠点は、上手すぎることだ。
左側にいるアメルを観ると、普通に泣いていた。ハンカチで目元を押さえている。
そして王女は死んでしまい……。
国王は手紙を読んで、真相を知る――いいや、取り合わなかっただけで。王女は話があると言っていた。国王は後悔するが、時既に遅し。せめてと、オルド国王に使者を送る。王女の死と、王妃殺害の真相を記し、和平を望むと……。
しかし使者を送り出した後。国王まで、悪臣ゲルダーの手に掛かり、殺されてしまう。
一方、オルド王国。実は……王子は生きていた。
忠臣の助けにより、間一髪で助かったのだ。
王女の死を聞き、和平を望む手紙を受け取って、王子は急ぎスルベキアに向かう。
王子が到着したとき、スルベキア城は悲しみの最中にある。ゲルダーは行方不明。
王子は王女の亡骸に口づけする……。しかし、何も起きるはずもなく。王子は泣き崩れる。
そしてゲルダーが捕まる。
(ううっ、この脚本いつもよりきつい……! 何で?)
ゲルダーは処刑の間際……彼は王妃と縁があり、将来を誓った仲だった、と告白する……そんなの初めて聞いた。怒るに怒れないというか、このままでは誰も幸せにならない。
王子がゲルダーを処刑し、戦争は終わった。しかし王妃も国王も王女も失って、スルベキアはお終いだ。スルベキアは公爵家が収めることになるが、公爵は王子に、スルベキアを治めて欲しいと懇願する。しかし王子は断った。表面上は、毅然として立派だが……生きる気力をなくしている。
そして王子は……ふらふらと、バルコニーに近寄り……誰にも知られず、身を投げる。
もうこのバルコニーには魔物がいるとしか思えない。一段高くしてあって、本当に落ちる演出なのだ。
王子は……。死を意味する、黒い幕で隠される。悲しげな音楽が、延々と流れる。
まさかこれでお終い、かと思ったその時。
見知らぬ女性が登場する。
『王女、目を覚まして下さい。あなはまだ生きている……』
その声の後、なんと、王女が歩いて登場する。
『ここは、……あなたは……?』
『私はメーヴェ、神の使い……ここは城の地下。あなたは死んでしまったのです。ですが、あなたが使った毒薬は、不完全なものでした。スルベキアの王女よ……王子はまだ、生きています、急いで……バルコニーの下に』
『はいっ……!』
王女は走り、倒れた王子を発見する。
『ああ、王子っ……! ラメオが生きてるわ! 早くお医者さんを!』
そして、復活を意味する白い布を持った精霊達が現れ――明るい歌の後、終幕となる。
劇は大歓声の中、終焉となった。
皆が立ち上がり、拍手をする。アルスも立ち上がり、拍手をした。
■ ■ ■
アルスとアメルはお布施を入れた後、ペイト、ナージャと別れ、チーズを買って、二人で帰路についた。
「まさか、二人とも助かるなんてね! 初めて見たわ……!」
「私はラメオとシャレットは初めてだったのですけど、すごい劇ですね……もう、途中から涙が止まらなくて……歌も覚えてしまいましたわ」
アメルは余韻に浸っている。アルスも頷いた。
「今回は特に気合いが入ってたわ。たぶん、精霊の気配とか感じたんでしょうね。カタリベって凄い人達だから」
「いいなぁ、憧れます……カタリベには、どうやったらなれるんでしょう? ご存じですか?」
「それが良く分からないのよ。……でもカタリベを目指す人は、皆、かなり若い内から入るの。巫女より若くて、六歳くらいじゃなかったかしら? 六歳で、どうして入ろうって思うのかしら」
「六歳!? そんなに早いんですか? 知りませんでしたわ……」
アメルが驚いた。
おそらくこれは王女の自分だから知っている事で、普通は謎の人達、みたいな感じなのだ。
「後は、美人になりそうな子とか、才能がある子供を見つけて、カタリベから誘う事があるらしいのよ。そうなったら一族大騒ぎでお祭りだったって。十七歳で証しが貰えるから……。成人から入るのは難しいって聞くわね。その場合は他の劇団があるわ」
「詳しいんですね」
アメルに言われてアルスは苦笑した。
「ええ、四歳の時、お城でこの劇を初めて見てね、もう夢中になったの。それでカタリベになりたい、って思って色々聞いたのよ。訓練の話を聞いて、とても無理と思ったけどね。また観られて良かったわ……しかも結末が違うなんて。初めて見たのは両方死んでしまう劇だったから、しばらく引きずったわ。子供に見せる劇じゃ無いわよ」
「確かに。四つですものね。泣きましたか?」
「それがかなり頑張って、我慢しちゃったのよ。おかげでだいぶ引きずったんだけど……」
アルスは苦笑した。
実際、音楽も良かったし、感動もしたのだが。ラストは悲劇としか言えなかった。
しかしアルスが不快な感じを見せると、カタリベが作中の端役のように処刑されてしまうのでは……と考え、気を回してしまったのだ。
「涙をこらえて『とても素晴らしい劇で、感動しました!』って言ったんだけどね。逆にびっくりされたわ」
「ふふ、皆さん驚いたでしょうね」
アメルが可愛らしく笑った。
そして、空を見上げた。
「私、ラメオ王子のファンになってしまいましたわ。あの方は何て言うのかしら……お名前って分からないんですよね?」
アメルの言葉にアルスは頷いた。
カタリベは皆『カタリベ』とだけ呼ばれ、名前は一切名乗らない。
「そうなのよね……でも、通っていると、あ、この人知ってる、ってなることはあると思うわ。たぶん、ゲルダー役の方は別の劇で見た記憶があるわ。顔立ちに特徴があるもの」
「確かに、そうですわね。またラメオ様に会えるかしら……歌声が本当に素敵……ああ、シャレット様も可愛くて……」
アメルは余程気に入ったらしい。
と、忘れていたが、これは『プラグ』だ。この感性はプラグの中にあるものなのか、それとも『アメル』を演じているのか。なんだかよく分からない。
「そう言えば、プラグも劇は好きなの?」
アルスはプラグに聞くつもりで、聞いてみた。
「お兄様ですか。ええ、好きだと思いますよ。最近はどうか分かりませんが、昔は良く一緒に観ていました」
普通にアメルが回答した。アルスは内心首を傾げた。事情は知らないが、アメルは故人だから、昔というのはいつだろう。十歳とかそのくらいだろうか? ――そう言えば孤児だったと聞いたから……巫女修行の時に見たのだろうか? アメルもそこに一緒にいて? どうして死んでしまったのだろう……?
アメルは歌を口ずさんでいる。
かなり上手い……小鳥のさえずりのようで、音程も確かだ。
さすがに目の前の子に『ねえあなた、いつ、どうやって死んだの?』とは聞けないので、アルスは違う事を聞くことにした。
「アメルちゃんて、歌、歌えるの? プラグは歌、上手い?」
するとアメルは歌を止めて振り返った。
「はい。私は歌も踊りも大好きです。上手いかは分かりませんが、兄はとても上手に歌いますよ」
――意外な返答に、アルスは驚いた。
「プラグ、歌えるの?」
貴族は教養として、賛美歌、簡単な歌、国歌くらいは習うのだが、平民はまちまちだ。男性の場合、たぶん、歌を歌うことはほとんどない。
そこでアルスは思い当たった。
「あ、巫女さんと一緒にいたから?」
「ええ、そんな感じです。教会では、歌が必要ですから」
「そうなんだー、全く想像できないわ」
アルスの言葉にアメルが笑った。
そこでアメルが、少し顔を上げた。
「そうだ、この帽子、とても良かったですね」
「ええ、そうね――」
二人は話しながら、宿舎に戻った。
今日はほとんど出かけているので閑散としている。
「私はこのまま厩舎に行きますけど、アルス様は?」
「私は先に着替えようかしら。あ、プレートを貰わないと。アメルの分も貰っておくわ。ちょっと休んでもいい? そしたら手伝いで」
「ええ、足、痛くないですか?」
「大丈夫なんだけど、さすがに泣いて疲れたわ……顔、洗いたい」
途中に井戸があったので、そこで水をもらって、軽く目元を拭いたのだが、汗も掻いている。
「そうですわね。私は少し後で行きます。四時半くらいでいいでしょうか……?」
「良いと思うわ。そう言っておくから、多分、もう少しゆっくりでも大丈夫よ。シオウは帰ってるかしら? ――じゃあ、厨房で」
「はい」
アルスはアメルと別れた。
■ ■ ■
シオウはチーカーを借りて、のんびり散歩した後、昼食を摂りに戻って、のんびり昼寝して、用具室で鍛練用の剣を借りた。
厩舎の奥に、ちょうど誰も来ない場所があるので、そこで鍛練をしようと思ったのだ。最近、プラグと朝、戦っている場所でもあるが……走るのが大変で、時間が取れていない。
それも、もうしばらくすれば慣れるだろう。
厩舎の前を通りすがったとき、厩務員のビルフとアレンが何やら道具を運んでいた。
バケツやら、雑巾やら、釘やら、板やら、金槌やら。
「あれ。なにしてんすか?」
「ああ。そこの鳥小屋を掃除しようと思って。ついでに壊れた柵も治そうかなって」
指差す方向に、小屋がある。シオウは思い当たった。
「ああ、あれ、トゥーワの?」
「うん、知ってるの? あそっか、同じ部屋か」
「はい。ん、手伝いましょーか? 暇だし」
「え、鍛練に行くんじゃないの?」
「んー、ちょっとくらいなら。中も気になるし、ついでに床掃除くらい」
シオウは笑った。鳥小屋にしては立派なので、中がどうなっているのか見てみたいと思ったのだ。
「おお、助かるよ。じゃあちょっとだけ手伝って」
シオウは水の入った木桶を受け取って、ビルフの後に続いて入った。
「おー、こんな感じか。え、寝床あるんだ……? お、いる」
部屋には止まり木が何本か立っていて、壁には木の棒が渡してある。机の上に平籠が幾つもあり、寝床が作られていて、左側には棚がある。棚はシオウの肩くらいの高さで、一つずつ板で塞がれ、入り口が四角や三角にくりぬかれていて、巣箱と思しき構造になっている。トゥーワは一番上の止まり木にいて、シオウを見つけて降りてきた。机の真ん中の寝床に陣取って、ばさりと羽ばたいて丸まった。どう見ても自慢げだ。
「はは。お前の寝床か。なんか布無いのか?」
居心地は良さそうだが、籠には何も敷かれていない。
「そういえば何も無いね。籠はまだ使えると思うけど。何か探そうかな? それとも何か持ってくるかな」
「そのうちプラグが来るでしょう。とりあえず拭きます」
「悪いね――ざっとでいいから。そっち、乾拭き用で。箒もあるから、適当にお願い。柵やってるから」
ビルフは外に出ていった。
「はい。……棚か……これからやるか」
シオウは雑巾を絞って、先に左側の棚を水拭きして、乾拭きをし、その後、床を適当に掃いて埃を外に出して、水拭き、乾拭きをした。普段、部屋の掃除はプラグ任せだが、別にやればできる。むしろ新鮮で楽しい気もする。――まあ、毎日となると面倒だが……。
綺麗になったのだが、やはり空気は少々埃っぽい。シオウは一度くしゃみをした。換気が必要だが、鳥がいるので開ける訳にはいかない。
「こんなもんか。じゃあ行くか」
トゥーワがクルル、と鳴いた。礼のつもりらしい。
「貸し一つな。あはは、わかんねぇか」
シオウは扉を閉めて立ち去った。
「終わりましたけど、ここ、置いときますね。水捨ててきます」
シオウは箒を置いた。
見た事のないボロボロの箒なので、どこから持ってきたのかは全く分からない。
「ああ、ありがとう。それ使えた? 桶は井戸に置いといて」
「はい。換気した方が良いですけど、鳥がいるからやめました。じゃ、後お願いします」
「あいよ、また、チーカーの相手してやってくれ。暇な時でいいから」
「あ、今暇ですけど? また乗っても良いですか?」
「ん? まあいいよ。あ。そうだファータちゃんにする? 今日はまだ出てないから」
「ああ、なら、ファータ連れて行きます」
シオウは厩舎横のドブに水を捨てて、井戸で手を洗って、ファータの馬房に来た。
ファータの馬房は奥の方にあり、ファータはのんびり寛いでいた。
「よう。ラ=ファータ」
この鹿毛の牝馬には『ラ=ファータ』と言う大層洒落た名前が付いている。
『ラ=』と言えばラ=ヴィアと同じ雰囲気だ。
プラグにどんな意味があるのか尋ねたら『ラ』は『罪』と言う意味だと言った。
なんじゃそれ、と詳しく聞くと、一周回って『強い』みたいな事らしい。
……つまり『強すぎてもはや犯罪』と言う意味だとか。
そして『ラ=ファータ』は精霊達が歌う歌の、一番初めに出てくる神の名前らしい。
どんな神かというと、人の形ではなく青い四足獣で、頭に角、背中に羽のある、伝説上の生き物だとか。一足で千キロ駆けて、口を開ければ火と雷を吐くと言う。
プラグは『獅子』という獣に近いと言っていたが、シオウは見た事が無かったので、絵に描いてもらって把握した。プラグは意外に絵が上手い。基本、器用なのだろう。
その歌には、他にもとんでもない架空の獣がずらりと出て来るらしい。
要するに、プラグ的にラ=ファータは『一番目で、強くて速くてもはや犯罪』と言う意味なのだ。
――聞いた時、ちょっとコイツってアホだな、と思ったが言わないでおいた。
その大層なファータ様の体躯はというと、牝馬にしてはでかい。
体高はさすがにチーカーほどではないが、三歳にしてそこらの牡馬とは良い勝負だ。
足もしっかりしているし、それでいて、滑らかでしなやかで……とても体力があるという。
カルタ伯爵の一番良い馬同士を掛け合わせたら、思ったより立派な馬が生まれたわけだ。
初めは『ヤカ』という犬猫みたいな名前だったらしいが、変えて良かったかもしれない。
腹帯を締め鞍を置き、鐙と手綱を付けてやると『走るの?』と言う顔をした。顔は可愛いし、性格は大人しい。どこにも流星のないまっさらな普通の鹿毛だ。鹿毛の中の鹿毛、とでも言いたくなる。ある意味、奇跡の馬かもしれない。
「ああ、お前の主はお出かけ中だからな。ま、行くか」
ファータは素直に従った。
実の所、この馬にも乗ってみたかったのだ。
今日、午前中、ここを訪ねたら、いきなり「チーカーに乗ってみない?」と言われた。
チーカーと言えば、乗馬訓練でリズが乗り回していた荒馬だ。一番いい馬なのは間違い無いが、気に入らない者は絶対に乗せない。俺こそが一番、みたいな顔をしているし、実際馬の中では一番強い。群れの隊長なのだ。
そこで事情を聞いて、思わず笑った。
まさかファータを狙うとは、さすがに分不相応だ。
『お客様』の馬だし、チーカーにしても高嶺の花だろう。このままでは親しくなるどころでは無いので、シオウに乗って貰って、一緒に遠乗りくらいはさせてあげたいと……プラグらしい気遣いだった。
それを察してか、チーカーはなんとシオウに『乗っても良かろう。ついて来いよ小童』みたいな顔をしてきた。面白いと連れて行き、何とか折り合いを付けて和解した。実際、相性は悪くない。
こうしてシオウの馬、『真っ黒チーカー』が誕生したわけだ。
そもそもチーカーはリズとルネ、後は厩務員しか乗れないのでいつも空いている。厩務員曰く、リズは乗れるが、彼女は馬にこだわりは無く気分で選ぶので、これからはシオウが好きに乗って良いと言われた。
ルネは持ち主だし乗るのだが、他によく使う鹿毛馬がいる。ルネにとってはちょっと荒っぽいのだろう。まあ大抵の人間が荒いと言うだろう。リズでさえ『こいつ落ち着きが無い』と言っていた。
ファータを連れて歩くと、途中でチーカーの馬房を通る。しかしファータはどう思っているのだろう? 立ち止まってチーカーを紹介する。
「ラ=ファータ、これがチーカー、俺の馬になる予定。お前、コイツの事どう思う?」
するとファータは首を傾げて『?』みたいな顔をした。まだ三歳ではこうだろう。
ただ、別に嫌ってはいないようだ。興味ありげな様子も見せる。やがてチーカーの方がそっぽを向いた。
「ま、これからだな。プラグが騎士になれなきゃ、ファータは故郷に帰っちまう。せいぜい応援しろよ」
そんな事を言って歩き出したが、シオウは、ふとプラグはチーカーに乗れるのだろうか、と思った。これは是非試してみたい。
厩舎の奥の小道を進むと、五分程度で湖の端に出られる。
湖の近くには馬場があり、少し進むと馬専用の遊歩道の入り口があって、そのまま城の裏を通って遠乗りができる。
朝、走っている路の一本外側にあるので走る隊士に出くわすことも無い。
出くわすとしたら近衛の馬だ。
遠乗りの先には山があり、狩りもできる。この山は、昔は王族しか狩りができなかったのだが、近年では狩りを好む王族も少ない。あまり使わないとシカや猪が増えると言う事で、クロスティア、近衛騎士団は事前に申請すれば、自由に狩って良い事になっている。ただしその場で焼くのは禁止で、締めた後は持ち帰る。キールが良く連れて行かれるのもここだ。
シオウはファータに乗って、森の遊歩道を駆けてしみじみと思ったのだが、やはり良い馬だ。動きがしなやかで乗り心地がとてもいい。チーカーに乗ると荒っぽいが楽しい、という感じがするのでシオウは気に入っているが、こちらも飛ぶように駆けるので優劣は付けがたい。厩務員としてはぜひとも二頭には上手く行って欲しいのだろう。まあ人と違って馬なので、お互い嫌いで無ければ上手く行く。
シオウは城の手前で折り返し、再び厩舎の近くに戻ってきた。
「ちょっと休むか」
シオウの言葉にファータが首を下げた。
ファータの一番凄いところは、言葉を理解しているところだ。
プラグはカルタ流の育て方を実践したらしく、色々な単語を聞き分ける。そして必要があれば返事をするのだ。頭を僅かに下げるか、右前足で地面を軽く掻く。後は尻尾を動かす。
嫌なときは首を振るか、そっぽを向く。まるで人間だ。
一番恐いと思ったのは『水が飲みたい』『お腹が空いた』と自分で言ってくることだ。
なんとなく伝わる、ではなくて、左の蹄を三回で水、四回で食事、という。さすがにこれには驚いた。手綱が無くても逃げていかないし、来て欲しいときは『ラ=ファータ』とフルネームで呼べば近くに来ると言う。まさに犬のような馬で、賢いチーカーもここまでではない。簡単な足し算ならできるというのだから、全く恐れ入る。厩務員のアレンは『片付けも手伝ってくれるし、扉は自分で閉めるし、そのうち喋っても驚かない。人間が入ってそう』と言っていた。
競りに出たらかなりの高値が付くだろう。王族の馬車でも引かせるべきで、ちょっと首都まで、で連れ回していい馬では無いのだが。まあプラグに言っても仕方無い。
馬場近くの水場に、井戸から水を汲んで飲ませてやり、よしよしと労う。
結構、走ったのだが『余裕あります』という顔だ。
「鍛練するから、近くで遊んでろ。池には近づくな」
とファータに伝えて、草地で素振りをする事にした。湖の側にちょうどいい原っぱがある。
ファータは分かったと僅かに頭を下げ、その辺で草を嗅ぎ始め、黄色い蝶を鼻先でつつき、ごろんと横になった。
鍛練、遊ぶ、やってはいけないと言う文脈。その辺も聞き分けるとか。良く覚えるので楽しくなって、危険な場所も近づいていい距離も、プラグは逐一教えたという。楽しすぎて、馬小屋に寝泊まりしてプラグはそこで勉強をしていたとか。ちなみにトゥーワも一緒だったという。やっぱチーカーには無理では無いかと思ってしまう。こうなったらシオウがチーカーを躾けて誰でも乗れるようにするとか? いや俺の馬というのもそれはそれでいい。
しばらくしたら、厩舎の方角からトゥーワが飛んで来た。
ファータが気付き、駆け寄った。久々の再会で、とても嬉しそうだ。
もはや何も言うまいと放置しておく。紅玉鳥は念話ができるので、もしかしたら動物と会話しているのかもしれない。するとファータが近づいて来た。
「ん、なんだ? ――ん」
腕を鼻でつつくのは、少し走っても良い? みたいな感じだったと思う。
「もう好きにしろ。でもあと三十分くらいで帰るから、そのくらいになったら呼ぶぞ。水を飲むなら落ちないように気を付けろよ」
ファータはわかったと返事をして、楽しげに、背中にトゥーワを乗せて、歩き出した。どこへ行くのかと思ったら、いつも使っている馬場に自分で入って行った。今は柵が閉じていないのですんなり入って、くるくる走って遊びはじめた。シオウはまじか、と思った。本当に賢い馬だ。
シオウはそこから腕立てなどに切り替えたのだが。
唐突に、湖から、シオウに向かって風が吹いた。
シオウはかすかな歌声を聞いた。
■ ■ ■
「ん?」
気のせいかと思ったのだが、確かに聞こえる。
風と一緒に流れてくるのだ。
何事だろう、と思って湖に近づくが……別段、何も無い。
静かな湖面を眺め、首を傾げて終わらせる。
ここはクレナ湖の端っこで、広い湖面はまるで海のようだ。
シオウは海を見た事がある。レガンが焼けた後、東端のラハバ領にしばらくいたのだ。ラハバには美しい海岸で有名な領で、首都にも近く栄えていた。
「ラ=ファータ、戻ってこい、帰るぞ!」
シオウはファータを呼んだ。嵐の前の静けさを感じて、早めに離れようと思ったのだ。
良くこの辺りに来ているが、この歌を聴いたのは初めてだ。
精霊がらみかもしれない――関わらないに限る。と言う直感だ。
幸い、ファータはトゥーワを背に乗せて、すぐに戻って来た。
……姿が見えるが、霞んでいる気がする。
シオウは空を見上げた。先程まで晴れていたのが、曇っている。
ざわざわと木が揺れ始める。
呼んでいる。
「……不味い……」
シオウはさっとファータに跨がり、駆け出そうとしたのだが、その時。
シオウとファータを包むように、黒い煙に遮られた。熱さは感じないのだが方向は分からなくなり、歌が流れてくる。
「止まれ! 動くな。歩く」
ファータに言って、とまる。ファータから降りて歩いて去る事にした。手綱を引き歩き出す。こちらか、と思って……。慎重に足元を探る。だが嫌な感じがあって、シオウは足を止めた。ファータも止まる。
シオウはしゃがんで、地面に手を突いた。すると。
「げっ」
水だ。いつの間にか湖の側にいる。あと一歩で落ちる――。と思ったら。
「きゃあッ」
という間抜けな声と、バシャン! と言う水音が聞こえた。
「――!? 今の」
すると急に煙が晴れた。天気も回復し、湖面には白い帽子が浮いている。
浮いているのは岸辺から二メルトは先だ。
さっきの声はアメルだ。白い帽子が欲しいと言っていた。
「――やっば!」
シオウは慌てて水に飛び込んだ。
泳ぎながら――潜ってみる。透明度は高い。しかし、思ったより深い。
目を開けて周囲を見てもそれらしい影は見つからない。今、落ちたばかりなのに。浮き上がって息継ぎをして、もう一度深く潜る――見つからない。水は冷たい。
湖面を確認するが、波や泡は無い。
「……どこだ!?」
シオウは青ざめて、帽子の真下にもう一度潜った。
プレートを、と思ったが何を使えばいいのか分からない。飛翔、もどう使えばいいのだろう。もう一度、と思って息を吸った時。
ぐっと左手を掴まれた。
そして、誰かの手を握らされた。シオウは、ハッとして、引っ張った。
すると。
「――ッ」
アメルが勢いよく水面に顔を出し、派手にむせ混んだ。ばしゃばしゃと溺れてまた沈みかける。
「落ち着け!」
シオウは慌てて掴み、岸まで泳いで引っ張ろうとした。しかしアメルは抵抗する。
なんだと思ったら、帽子に手を伸ばしている。
「後で取る! ――ああもう」
後で取ると言いつつ、少し戻ってすぐ掴み、またアメルも掴んで、岸にたどり着いた。
シオウは今ほど泳げて良かった、と思った事は無い。海辺の街で覚えておいて良かった。
二人して岸辺にしがみつき、ひたすらむせ混んだ。
「――ゲホッ、げほっ……ゴホッ」
男らしい咳が聞こえる。どうやら『プラグ』に戻ったようだ。
「はぁ、はぁ、ゲホッ、ゲホッ」
シオウも咳き込んだ。
シオウは先に上がってプラグを引っ張り上げようとする。
「大丈夫か!?」
――アメル――プラグは目を丸くしている。
「ゲホッ……急に、落ちて……ッ、ゲホッ、ゴホッ……! 重ッ……」
プラグは中々上がれない。草で滑る上、髪やドレスが水を含んでいるのだ。
「落ち着け大丈夫だ、上げるぞ」
シオウは手を貸して、プラグの両脇に手を入れて、せーの、で持ち上げた。プラグは帽子のリボンを掴んでいたので、一緒に引っ張り上げられた。
シオウとプラグは、折り重なるように倒れ込んだ。
「はぁ……はぁ、はぁ」
「ゲホッ、ゲホ、ゴホッ――」
プラグは未だに大きくむせこんでいる。息切れも激しい。服装はアメルそのもので、薄緑色の可愛いドレスを着ている。一体どうしてここにいるのだろう。しかもいきなりバシャンと落ちた。
するとファータが心配そうに寄ってきた。トゥーワもばさばさと羽ばたいている。
「ファータ……? 大丈夫、だよ…………トゥ……ぁ」
プラグはそのまま気絶してしまった。
「あッ、やべっ」
呼吸を確認すると、ある。しかしシオウには分からない。呼吸があるなら自然に回復するとしか。医務室に行くしかない。プラグをファータの首元に乗せて、自分も飛び乗った。