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第8話 若手隊士達 -4/4-

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午後の授業の後、ようやく夕飯になった。

アルスは時間より少し早く食堂に来て、精霊と一緒に配膳を手伝っていた。
普段は着いた順で手伝っているのだが……今日の訓練は厳しくて、既に着席している候補生達のほとんどが、机に突っ伏して呻いている。
女子も男子も食べられない、取りに行けないという状態なので、「水だけ……」「パンだけ……」「スープ……」と言う希望を聞いて、代わりに運んでいるのだ。

内容は今朝、シオウとプラグがやった『飛翔駆け』。距離も同じだという。
先導してくれたリゼラ曰く、朝、二人が走った距離を目安にしたらしい。
途中の木に印をつけたので、迷うことは無い、と教えてくれた。折り返しの木には赤いリボンが巻いてある、とも言った。
二人は五十分で走ったけれど、無理は禁物、初めての道で急ぐと危ないので、目標は三時間、と教えられた。
こうして、誰にも分け隔てなくやらせてくれるのは、この騎士団の良いところだと思う。

アルスは、自分のペースで走って、意外になんとかなってしまい、片道三十五キロ、往復で七十キロを、三時間と五分で走り終えた。
アルスより速かったのは、アドニス、フィニーだけ。なんとアルスは三番目だったのだ。
アルスが着いたとき、エドナクや他の隊士達が意外そうにしていた。

アルスにとっては、普通に走るよりかなり楽、楽しい、という印象で……、相応に疲れたけれど少し休んだら回復した。
しかし走りきれず、骨折したり、『狼煙』の赤プレートで救助を要請する候補生が続出していて、アルスが到着したとき、救護所には既に十人以上の候補生達がいた。

その後、アルスはエドナクに長剣の個別指導をしてもらった。
サーベル、レイピアは教えることは無いと言われてしまい『今後は長剣を頑張るように』と言われた。
これは精霊剣には長剣型が多いためで、後々の事を考えると、使えた方が便利だという。
まだまだ駄目だが、卒業までに鍛えまくって、男子に……できればフィニーに五本に一本、女子はナージャとペイトに半々で勝てるようになったら、まぐれで入れるかもしれない、と言われて目を丸くした。つまり、褒められたのだ。
しかし、最初の壁はアラーク、レンツィ、エミール達だとも言われた。アルスはまず三人の中で一番強い、アラークを倒す事を目標にして、エドナクに、いきなりは無理だ、と笑われた。だいぶ恥ずかしかった。

その後、全員回収して、授業は早めに切り上げられた。そして精霊達と一緒に、配膳を手伝ったり、来ない子の様子を見に行ったり、部屋に食事を届けたりして……今、ようやく戻って、自分の分を持って着席したところだ。
厨房では、暇な精霊達が人間のように働いている。シェフは給料がいらないので助かっていると言った。

三倍鍛練はアルス達とは別の場所でやっているから、分からないのだが――。

「……」
シオウは机に突っ伏していて、疲れ切った様子だ。

「……大丈夫?」
アルスはシオウに声をかけた。
「もうやだここ……」
「お疲れ様。ところで、プラグは?」
「……」
するとシオウが顔を上げ、そしてまた伏せた。

「知らん。ほっとけ……」
「食事、運んで来るわね。待ってて」
アルスは声を掛けて席を立った。シオウの他にも、参っている男子が二人。アルスはそちらにも声を掛ける。
「アドニス、フィニーも大丈夫? 良ければ持ってくるけど?」
アルスは他の候補生達と一緒に切り上げられたのだが、アドニスとフィニーは二倍と言うことで、延長されていた。
「いえ、大丈夫です……なんとか……なんとか……」
アドニスが溜息を吐いてなんとか立ち上がった。
「俺はお願い……。………………ええ?」
フィニーは言ったのだが、虚空を見つめて眉を顰めた。

「――わぁったよもう、自分で取ってくる」
フィニーが頭を掻きながら、乱雑な口調で言った。たぶん、トアゼ=エルタに言われたのだろう。フィニーは「明日、絶対立ててない……休みで良かった。ていうかなんで俺、二倍なの? おかしくない?」と言っていた。アドニスも頷いて「仕方ありませんよ、頑張りましょう」と言っている。
アルスはシオウの分を運んで、座った。

「シオウって、やっぱり凄いのね。私も頑張らないと」
「……」
シオウはようやく動き出して、怠そうに食べ始めた。アルスはシオウに話しかけたつもりだったが、シオウはいつでも食事が最優先という感じだ。
でも、聞いているのは分かっているので、返事が無くても構わず続ける。
「プラグは大丈夫かしら。一昨日ルネさんに会った後、すごく落ち込んでたから心配だわ……あの子、ちょっと、か弱いところがあるから。病弱だし、心配よ……」
すると、隣でシオウが「え」と言って動きを止めた。
「? どうしたの?」
シオウはアルスを凝視している。
「……。……いや……ええぇ……? かよわ……? 世の中、ワカラン……」
「どんな鍛練だったの?」
アルスは尋ねた。
シオウの表情はどんよりとしていて、とても暗い。
「……とりあえず最初は五対一で、飛びかかって来た。途中、七対一で、後は三、四人ずつ交代でやってた」
シオウが言うと、戻って来たフィニーが目を丸くした。
「七対一!? え、それ、捌けたの?」
「当たり前。でもしんどいさすがに。どいつもこいつも強い。一対一ならまだしも。くっそ……すぐ追い抜く。たぶん、アイツも七対一か、十対一で扱かれてんじゃね。知らん……アイツ、あのクソルネアホバカマヌケに目を付けられてるから、厳しいんだよ」

シオウが珍しく饒舌に話すので、アルスは瞬きをした。
ルネ公爵を悪し様に言うと言う事は、シオウもルネ公爵と戦ったのかもしれない。

「目を付けられてる……ねえルネ公爵はどんな感じなの? 強いの? もう少し教えて」
「んん? ルネ? アイツは強いんだが、キモイ。まじキモイ」
「戦ったの?」
「ああ、最後にな……ついでに嫌味言われて、しこたま殴られた。あいつまじで気色悪い。規格外なのは分かったが、ホンット、最悪……クッソ……!! あ゛ー!! あの目、きもちわりぃ! 絶対殺す……! あ゛ぁああああ、俺の計画にケチ付けやがって……!! 何で分かるんだよキモッ。鍛えまくって、絶対消す!!」
やはりシオウはよく話す。
こんなに話すのを聞いたのは初めてだ。

シオウが『鍛えまくって』と言ったので、アルスは、もしかして? と思ってシオウに尋ねた。
「ねえ……シオウって、もしかして戦うのが好きなの?」
アルスの言葉に、シオウが不思議な顔をした。そして、首を傾げる。
「そうだけど?」
「! そうだったの。ずっと、どうしてここにいるかしら……と思っていたけど、そうだったのね。何か、納得したわ。頑張ってね」
アルスは微笑んだ。
シオウは万事退屈そうなので、どうして精霊騎士になりたいと思ったのか、よく分からなかったのだ。故郷に魔霊が出て……レガンが無くなった事と関係があるのかも、とは思っていたけれど。それにしては必死さがないというか……。やる気が感じられなかった。ずっと、何となく来ただけなのかも、と思っていた。
するとシオウが少し眉を上げた。
「はぁ? それ、お前の方だろ。お前わりと素質はあるんだから、自分から、もっと厳しくしてくれって言えよ」
シオウの言葉にアルスは驚いた。
「――え?」
「え、じゃねぇって。じゃねぇとヤバいぞ? ここ、男には容赦ないけど、女は放ったらかしだから。よくわかんねぇけど、精霊騎士になるんだろ? 知らんけど……」
突然の助言にアルスは驚き、シオウに問い返した。
「ちょっと待って、私、どうしたらいいと思う? 私も、自分がどのくらいならいけるか、分からないのよ。剣は下手だし」
「ん~? ……あ。そうだ、あのクラリーナってやつ、鍛練が好きらしいから、そいつに相談したらどうだ? 上手く行けば、付き合ってくれるかも……」
「どの人?」
「ピンク頭。髪の長いヤツ。まだ訓練棟の方にいるかもな」
言われてアルスは思い至った。確かに、そんな隊士を見かけた。
「ああ、あの人! 分かったわ、ありがとう!」
アルスはシオウに礼を言って、食堂を出た。

訓練棟がどこか分からなかったのだが、シオウが戻って来た方向なら分かる。
……もう日は沈みかけている。
薄暗い道を早足で行くと、途中で金髪巻き毛、青目の男性隊士に出くわした。かなり背が高く、アルスは見上げる事になった。
「あの! すみません、クラリーナさんはどちらにいらっしゃいますか?」
「わっ吃驚した……あっ候補生か。クラリーナ? あっちにいたよ。今、食事休憩中かな。何か用なの?」
「用というか、相談があって。今、大丈夫なんでしょうか?」
「相談? まあ良いと思うよ。戦ってた子が倒れちゃってね、先にご飯にする、って言ってたし」
隊士の言葉に、アルスははっとした。今、訓練中、と言えば一人しかいない。
「……それって、プラグですか?」
「ああ、うん。プラグ君。大変だよね……」
「どの辺りですか?」
「んー。案内するよ。たぶん、建物の中にいるから」
親切に言われて、アルスは頭を下げた。
「ありがとうございます。私はアルスティア・キルトです。あなたは……?」
「え゛ッ? ……俺、は、ピオン・デュロ。とりあえず行こうか。案内だけだけど」
「ありがとうございます」
アルスは礼を言って、ピオンの後に続いた。ピオンは途中で歩調を少し緩めて歩いてくれた。
「あの、ピオンさんもご飯でしたか?」
「いや、まあそうだけど、別にいいよ。俺あそこ苦手で……ちょっと豪勢すぎるから、のんびり宿舎で食べようと思ってたんだ。館に案内したら行くから」
「ありがとうございます」
アルスは、なんて親切な隊士だろう……と感激した。
城には意地悪な貴族も多いので、アルスは、この騎士団に来てから感動ばかりだ。
先程の反応はアルスが王女だと気付いたのかもしれないけれど。それはともかく親切は受け取っておきたいと思った。
間も無く――大きな建物が見えてきた。アルスはこの建物を知っていた。
確か……名前は『薔薇の館』……ノム・ルネ・ラ・エアリ公爵が訓練棟が気に入らなかったので建て替えたと聞いた。実際は老朽化していたので、公爵に出資を頼んだら豪華になってしまった、という事らしい。実際に見るのは、もちろん初めてだ。

ピオンが慣れた様子で庭に入ったので、アルスは戸惑った。
「……この中なんですか?」
「うん、ここ訓練棟になっていて、二階に広い部屋がいくつかあるんだ。クラリーナは一階の食堂だと思う。食堂って感じでも無いけど……」
ピオンが言った。確かに、これは平民にとっては居心地が悪いだろう。ピオンはそのまま扉を開けて、玄関ホールを真っ直ぐ進んで、食堂らしき両開きの扉をノックした。
すると中から扉が開いた。

「はい?」
出て来たのは、黒髪に赤色の目をした、かなりの美少女だった。格好はメイド……なので侍女だろうか?
「リリ、クラリーナいる? この子が用があるって。食事中かな」
ピオンは気さくに話し掛けた。
「そうですね、間もなく、と言う所ですが。お急ぎですか?」
リリ、と呼ばれた女性に問われて、ピオンがアルスに「急ぐ?」と尋ねた。アルスは首を振って「待ちます」と言ったが。
「んー――できれば先が良いかな。ちょっとだけでいいから。俺、ついでに帰り、この子を送っていくよ。暗いし、迷っちゃうかも」
「そうですわね。お呼びいたします」
と言って呼びに帰った。

「彼女も隊士なんだ。リリ・カトン。格好は趣味」
ピオンが苦笑した。
「そうなんですか……? あの、本当にありがとうございます」
アルスは何度も頭を下げた。おそらくアルスが王女だからだろうが、帰りの事も考えてくれるとは……。
程なく、ピンク色の長髪――こちらも凄く綺麗な女性が出て来た。
格好は隊服なのだが、すらりとした姿の良さが引き立っている。髪は遠目で見て想像していたよりも薄いピンク色で、瞳も同じ色だった。肌は大理石のように白い。長い睫毛と大きな目が印象的で、アルスはなんて可愛くて綺麗なんだろうと思った。

「初めまして、クラリーナ・ザーヴェです。私に何か御用ですか?」
クラリーナは首を傾げている。声も美しく、楽器のようだった。
隊士には見えないと言うか……お姫様のように清楚で可憐な雰囲気だ。

アルスは、クラリーナがあまりに綺麗なので緊張してしまった。
考えてみれば、食事中に押しかけるなんて。非常識にも程がある。
「あの、実は、お願いがあって。勢いで来てしまいました。こんな時間にすみません……!」
「はい、何でしょう……?」
クラリーナが首を傾げた。

アルスは人生で、三度目くらいの勇気を振り絞った。
「あの、私、最近、どう自分を鍛えたらいいか分からなくて、それで、シオウ君に聞いたら、クラリーナさんが、鍛練好きって言っていて、もしよかったら、近くで一緒に、鍛練してもいいですか! できれば、色々教えて欲しいです! お願いします! お仕事の邪魔にならないようにしますから!! お願いします!」

アルスは思いっきり、深く頭を下げた。

しばらく後、クラリーナが「わかりました」と答えた。
顔を上げると、優しく微笑んでいた。
「いいですよ。鍛練のお誘いですね。隊長には言っておきますから、明日、そうですね、朝、五時に森の入り口に来て下さい。まずは体力を見て、それから考えていきましょう。精霊騎士になれるかは、素質が大きく関係しますから。確約はできませんが。いずれにせよ、私を選んだのは正解だったと、一年後に、思わせて差し上げましょう」
力強い言葉に――アルスはぱっと顔を明るくした。
つまり、いいと言う事だ。
「ありがとうございます! がんばります!!」
「共に――精霊騎士を目指しましょう。……私はもう精霊騎士ですが。更に強くなります」
「はい!」
するとピオンが隣で破顔した。
「……いや驚いた。そんな事だったんだ? やる気があるのは凄くいいね。そっか、プラグ君に会っていく? もうついでに持って帰ろうか。今日、どうするんだ。夜もやるのか?」
するとクラリーナが物憂げな表情を見せた。
「それなんですが。あの後、もう一戦したのですが。ミラがうっかり、強く打ってしまって……今日はもう止めた方がいいかと。五月のソファーで寝ているので、連れて帰って頂けますか?」
「ああ、そうか……この方法、ちょっと厳しいかもなぁ……全く隊長は」
ピオンの溜息に、クラリーナが溜息を返した。
「鍛練方法は、もう少し変えた方がいいでしょうね……今、話していたところです。今日はこのまま解散です。治療は済んでいますから、大丈夫なはずですが。痛がるようなら医務室へ運んで下さい」
「わかった、また明日聞く。ありがとうな」
「いえ。では――また明日。ええと、ああ、お名前は?」
「あっ、すみませんアルスティアです! アルスと呼んで下さい……! 呼び捨てで!」
「アルスですね。わかりました。遅刻厳禁ですよ、またね」
クラリーナが笑って、手を振った。
「はい!」
アルスは頰を紅潮させて頷いた。

「良かったね。二階に行こう」
「はい、ピオンさんのおかげです……!」
「そんな事ないよ。クラリーナは本当に鍛練好きだからさ。鍛練ぶら下げたら頷くよ。何君だっけ? 勧めた子は目の付け所がいい」
ピオンが苦笑する。
「シオウですね。お礼言わなきゃ……!」
アルスは軽い足取りで階段を上って二階に来た。
思ったよりも縦に長く、赤い絨毯が敷かれていて、広い部屋が並んでいるようだ。
廊下には精霊灯があって、日は落ちているが十分明るい。
突き当たりは右に曲がれるようになっている様子なので、曲がった先も部屋なのだろう。
「……広いんですねー」
「そうなんだよな。奥行きがある、一月、二月、って名前が付いてる。……で、俺もさっき、一緒に鍛練してたんだけど。それがなぁ……結構厳しいんだよなぁ……可愛そうって言うか。さすがにやり過ぎな気がする。っていうかあの子、あの後、立ったのか、すごいなぁ……」
一つ目の扉を通り過ぎた。どの部屋も扉の横と上に番号が書いてある。
「どんな鍛練なんですか……?」
アルスは少し心配になった。

あまり詳しく聞いていないが、一昨日、リズに稽古を付けられたシオウはちゃんと戻って来て、プラグは……?
「シオウは前もちゃんと立って戻って来たんですけど、プラグは一昨日、なんか、すごく落ち込んでいて……大丈夫かなって」
「あー……まあ、うん。一昨日のは仕方無いよ。ルネさんに当たったんだ。今日からは俺達だけど。ルネさんの稽古は厳しいというか何というか。被害者の会がある」
ピオンの言葉に、アルスは思わず苦笑した。
「ルネ……エアリ公爵ですよね……あー……」
アルスはエアリ公爵の噂を思い出し、思わず溜息を吐いた。
ノム・ルネ・ラ・エアリ公爵は、年に見合わぬ有能さで、かなりの高評価を受けているが、一部の貴族からはとても恐れられている。
――と言うか、アルスは実際に見てしまった事があるのだ。
兄の稽古を付けていたのだが……中々、ねちっこいというか、嫌らしいというか。容赦がないというか、一言多いというか。アルスは『王子でなくて良かった』と思ったのだ。
先程、食堂でシオウが名前を出した時は『忙しいのに、本当に稽古を付けたのかしら?』くらいだったのだが、本当だったらしい。
「あ、知ってる?」
「いえ、何も知りません! あはは……どんな感じでしょう?」
「はは、まあ色々とね。……人によるんだけど、俺は大丈夫だったな、背の高い男は好みじゃ無いって。容赦はなかったけど普通の良い人だった。ただ、たぶん、プラグ君は――好みだったんだろうね……あとは貴方も知ってる隊士なら、リゼラもかなり、ルネさんの事嫌ってるよ。可愛い感じの、小さめの子が好きなんだ」
「ははは……プラグ大丈夫かしら……」
普段、温厚で穏やかな兄が『もう顔も見たく無い、気持ち悪い』と言って手を洗っていた程だ。ルネには不思議な力があって、握手をしたら色々言い当てられたのだという。
兄のタスクラデア第一王子は……金髪にすみれ色の瞳で、二十歳だが……とてもおっとりしていて……どちらかと言えば可愛い雰囲気だ……。

六月の部屋に着いて、中に入ると、そこはかなり広かった。
何も無い、がらんどうの白い部屋で、今は暗い。
「ル・フィーラ」
ピオンが言うと部屋が少し明るくなった。天井に精霊灯が点いている。アルスは贅沢だわ、と思ったが、国の中枢だから、いいのかもしれない。時折、アルスは自分の感覚が、正しいのかずれているのか、分からなくなる時がある。贅沢に慣れすぎていると感じるのだ。
プラグはどこに? と思ったら、部屋の右側に扉があった。

ピオンは何も言わずに扉を開けた。扉に鍵は無く、あっさり開いたのだが。
「……」
ピオンはすぐに扉を閉めた。アルスは中が見えなかったので、驚いた。
「え、どうしたんですか?」
「いや……! ノックを忘れて!! ははは」
言って、ピオンは五回、六回くらいノックした。すると中から「……どうぞ」という、聞き覚えのある声がした。
「えっ……中に公爵が?」
「……君は見てない?」
「何をですか?」
アルスは首を傾げた。
「……、良かった……、いや……いやいや、気のせいだ、とりあえず入ろう……。入りますよー! いいですねー!」
再び返事が聞こえる。
アルスは首を傾げながら、ピオンの後に続いた。

■ ■ ■

隣の部屋は、応接室のようになっていた。赤い絨毯が敷かれて、手前と、奥に長いソファーがある。どこから入るのだろう、と思って見ると、右手側に手すりがあって階段があった。下に続いているようだ。カーテンが閉まっていて、白い壁には絵が何枚か飾られていて……奥のソファーにプラグが寝ていた。
プラグは頭をカーテン側に向けて、寝ている。こちらを向いているので寝顔が見える。
体の上には隊服の白いマントが掛けてあった。

「おつかれさま。どうしたんだい?」
ルネはこちらを向いて立っていて、にこやかに微笑んだ。思い切り顔見知りなのでアルスはピオンの、マントの後ろに隠れる事にした。ピオンも気付いたらしく、何となく両腕を広げてアルスを隠した。
「えっと、今日はもう訓練終わりなので、プラグ君を送っていこうかと」
「ああ、そうだね。それがいい。ベッドに運ぼうかと思ったんだけど」
「そうだったんですね。いいですか?」
「ああ、いいよ。さっき診察していてね、うん。異常はなかったけど、強く打ったのかい?」
――アルスは隠れているので、ルネの声だけが聞こえる。
「その時、俺はいなかったんですけど、ミラがちょっと強く打ったらしいです。この方法、駄目なんじゃ無いですか? ルネさんから隊長に言って貰えませんか?」
「うーん……ただ、彼も慣れたら捌けるようになるかもしれないから、少し、人数を減らして慣らすのは?」
「それはクラリーナ達が相談しているみたいです。俺は送りますから……えっと良いですか? ちょっと待ちますか?」
「そうだね、荷物があるから……」
「じゃあ、隣で待ちますね――出よう」
そう言って、なぜかピオンはアルスを促して、扉を開け、そのまま出てしまった。アルスは押し出される格好だ。
そして「ル・レーナ」と言って灯りを消した。
「静かに……黙って帰ろう」
「はい……? 扉、開けてきます……、もしかして、部屋の外で待った方がいいですか?」
「ああ、そうしてくれると、本っ当に助かる。アルスちゃんは良い子だな」
ピオンが頷いたので、アルスは首を傾げながら、扉を開けに行った。そのまま廊下でしばらく待っていると、ピオンがプラグを背負って出て来た。ピオンは荷物――短剣とプレートケースを持っていたので、アルスは「あ、それ、持ちます」と言って受け取った。
プラグはぐったりしていて、完全に寝ているようだ。

ピオンは黙ったまま、薔薇の館を出て、しばらく歩いた後、おもむろに口を開いた。
「それにしても軽いな。この子は……あははは……いや、うん。今度から、俺が、俺がいない時は他の隊士が、責任持って部屋まで送って寝かせるから。安心して」
「……? はい……? あの……プラグ、大丈夫ですか」
アルスは首を傾げた。
「いやははは……大丈夫だよ、うん」
「訓練って、そんなに厳しいんですか? シオウは平気なのに……一番だから……? 加減とか、してもらえますか?」
「んー、そうだね、俺からも、よーく言っておくから。ただリズ隊長は、しっかり育てたいって感じだったから、どうかな。本人次第ってところもあるから、きついなら、彼から、加減して欲しい、って言ってくれた方が変えやすいかもね。でもそういうの言わない子みたいだから。困ったな。……んー……君は、この子と親しいの?」
「はい、同室で……シオウ君も一緒です」
「あ! そっか、そうなんだっけ! ……そっかー……じゃあ言っておこうかな」

ピオンがふう、と息を吐いた。
「実はね……彼、昔、怪我したらしくて、どうも頭と背中、が弱いらしくて? そこを狙われたら困るって事で、今、俺達がそこを重点的に狙う稽古をしているんだ。あ、もちろん訓練用の剣だけど。一応、俺達の手加減の訓練も兼ねてって感じかな。今日はミラがうっかり強く打ったみたいだね」
「……! え……」
アルスは一気に青ざめた。

「怪我したところを狙ってるんですか……!? そんな!! 危ない!!」
アルスの言葉にピオンが長く息を吐いて、頷いた。
「庇う癖を付けないようにってことらしいから、本当は、当てる感じなんだけど……この子もかなり強くて……加減が難しいんだ。まあ、今度から人数を減らすよ。あとルネ公爵はホント叱っとくこれは叱っていい」
「……そんな……でも、危ないです。怪我の跡を打って、なにかあったら……!」
アルスは思わず震えた。
「そうだよね、ううん……はあぁ、ごめんね……ここ、厳しいから……はぁ。今年は特に隊長、やる気だからなぁ。とにかく、気を付けてあげて」
「はい……!! やっぱりプラグ、病弱だったのね……」
「そうなの?」

ピオンが首を傾げた時、ピオンの背中から呻きが聞こえた。
――プラグが目を覚ましたようだ。
「ん……?」
「あ、起きた?」
その言葉に、プラグが驚き、大仰に「うわぁあっ!」と言う声を上げた。
「ああ、ごめん、驚いたよね……」
「あれ……ピオン……隊士? ルネかと思った……」
「う。ごめんね。驚かせて。歩けそう?」
「――あ、はい……多分……」
「降ろすよ」
ピオンが降ろすと、プラグは問題なく立ったのだが、アルスとしては心配で仕方ない。
体が細いから、子鹿か兎に見えるのだ。
「大丈夫、プラグ? 背中打ったんでしょう?」
「あれ、アルス?」
プラグが目を丸くしたので、アルスは軽く説明をした。
「用事があって、向こうに行ったの。ピオンさん、ありがとうございました。後は大丈夫なので、お食事を……すみません本当に……! お腹空きましたよね」
「いやいや。こちらが悪いくらいだよ。じゃあ、俺はあっちだから。後はよろしく……」
ピオンは言って、来た道を戻って行った。
「はい! ありがとうございます」
――なんて爽やかな人だろう、とアルスは頭を下げた。

■ ■ ■

アルスとプラグが宿舎に入ると、食堂にはまだ灯りが点いていた。
「ああ、遅くなっちゃった……!」
もう片付けられたかも、と思って入ると、シオウが長椅子に寝そべっていて、机の上に食事が二つ並んでいた。頭は入り口の方を向いている。

アルスは驚いて声を掛けた。
「残ってくれたの? シオウ」
アルスの声に、寝ていたらしいシオウが目を開けた。
「……んあ? ああ、やっと来たか……遅い。寝てた」
シオウは起き上がって椅子に腰掛けた。寝にくかったのか、髪を右側の低い位置で結んでいる。
アルスは慌てて近づいた。
「ごめんね、わざわざ。プラグ連れて来たわ」
「……えっと? おはよう?」
プラグが首を傾げて座った。
プラグも今起きたばかりなので、状況が分からないようだ。
シオウが残っていたから、食事を片付けられていないと分かったらしく「ありがとう?」と言った。シオウは「ん」と返事をしていた。

「厨房の人は?」
アルスは尋ねた。プラグの食事は新しいが、アルスの食事は置いて出た時のままだ。
「片付けはやるからって、先に帰ってもらった。俺は知らんからお前等やれ。もう部屋行って良いか?」
シオウが肩や首を回しながら言った。
「そんなことまで……。ありがとう」
「まあ、いいけど。どうだったんだ? 焚きつけといて駄目でしたー、じゃさすがにな。気になるだろ?」
シオウの言葉にアルスは感激した。ちょっと涙が出た。
「シオウのおかげで、大丈夫だったわ! 明日、五時から稽古つけてくれるって! 本当にありがとう! 大好き!」
アルスは思わず抱きついた。するとシオウは顔をしかめた。
「うぇ……そういうのいいから。ま、……腕の礼ってことで。もう貸しなしだな」
アルスは今度こそ目をまん丸にした。
「――おつりが来るわよ! もしかしたら、一生感謝するかもしれない! ありがとう、おやすみ!」
「あーはいはい、じゃな」
シオウは片手を上げて去って行った。

「シオウは良い奴だよなぁ」
プラグがしみじみ呟くので、アルスも深く頷いた。
「本当に。私、誤解してたみたい。さっきね、シオウがクラリーナさんなら稽古をつけてくれるかもって、言ってくれて、それで突撃したの」
アルスはプラグに何故自分が迎えに行ったのか話した。
するとプラグは、寝坊したくないときは精霊に頼むと良いと教えてくれた。
「精霊は夜、寝なくてもいいから、俺もたまに頼んでる。ラ=ヴィアはしっかり起こしてくれる。俺も朝、鍛練しようかな……」
「そうなのね! だったら一緒に走りましょう」
「走るのはちょっと……三倍だからな……でもそれくらいでないと駄目かもな……」
プラグが溜息を吐くので、アルスは焦った。
「いえ! プラグは無理しないで。慣れたらでいいから。明日は絶対にちゃんとラッパまで寝て! 無理は禁物よ」
「? うん」
その後、訓練について尋ねて――思い切って、過去の怪我についても聞いてみた。
「ああ……確かに……でも実戦では、精霊に守ってもらうから、大丈夫」
プラグはそう言ったが、アルスは心配で仕方無い。
「本当に大丈夫なの? 傷を狙うなんて。聞くだけで、かなり危険な稽古じゃない。私も貴方の背後に気を付けるわ。何か飛んで来たら頑張って庇うから」
するとプラグが苦笑した。
「上手く避けられるように頑張るから。アルスは心配しなくていい」
「ちゃんと避けてね? 頭も大丈夫なの?」
アルスはプラグの頭をさすった。
「大丈夫だって……」
プラグはやっぱり苦笑している。本当に大丈夫なのかもしれない……。いや、油断はできない。いざという時、アルスも鍛えておいて、さりげなく庇うのだ。
そこでアルスは昼間、とても言いたかったことを思い出した。

「今日はすごく良い事が沢山あったわ。クラリーナさんに会えたし、シオウは優しいし、ピオンさんは格好いいし、あと、プラグも格好良かったわ!」
アルスは笑った。
「え?」
プラグが首を傾げるのでアルスはまた笑った。
「ほら、部屋割の時。まさか、貴方がああ言ってってくれるなんてね。私、困ってたのよ。本当に、貴方みたいな面白い人と別の部屋になりたくなくて。一緒の方が絶対、楽しいわ!」

……女子達に「どうして部屋を移らないの?」「プラグ君が好きだから?」と言われた時に、伝えたくてうずうずしていたのだ。
――そんなの、プラグが面白いからに決まってるわ!
――シオウもなんか変わっていて害が無いし、面白いし、実は優しいし!
だから、プラグがさりげなく……たぶんちょっと苦肉の策で、アルスに選ばせてくれたとき、本当に嬉しかったのだ。その後しっかり釘を刺したところなんて、驚いたのなんの。
背一杯、喜んでいない風を装ったけれど。プラグもアルスを気に入っていたと分かって、本当は大きな声で笑いたかった。感激を表現したかったのだ。

「ねえ、プラグ! 今度の休み、アメルちゃんと出かけてもいいかしら? 予定が合えばだけど」
アルスはこれもずっと言いたかったことを言った。プラグが忙しそうなので遠慮していたけれど、本当は一緒に遊びに行きたかったのだ。
するとプラグが少し考え。悪戯っぽく微笑んだ。
「――伝えておく」
アルスは、プラグの澄ました顔も、大人しい顔も好きだが、この顔が一番好きだと思った。
「やったわ。大好きよ、可愛い子!」
アルスは食事をこぼすかもしれないと思って、抱きつかずに思いっきり撫でた。
「……アルスには俺がどう見えているんだ?」
プラグがくすぐったそうに目を細め、首を傾げるので、アルスは少し考えた。
「可愛くって、おかしくって、強くって、あと、病弱な面白い子、かしら? 兎か子鹿みたい。あとはその辺の枝の細い木ね。そっくりよ」
「え……人ですらない……、病弱……? ああ……そうか……まったく、リーオ隊士のせいだ。そんなに病弱じゃ無いから」
「そうなの? でも私、風邪なんて引いたこと無いわよ? 一度も」
「え……すごいな……」
「風邪ってどうやったらなれるの? 何か秘訣があるの?」
「ええ……」

話は尽きず、食べ終わって片付けが終わるまで、ずっとずっと喋っていた。

■ ■ ■

――ピオン・デュロは激怒していた。

ピオンはノム・ルネ・ラ・エアリ公爵を、それなりに尊敬していた。強いし格好いいし、頼りになる副隊長だ。リゼラに忌み嫌われていても、隊長が手遅れだと言っても、基本は真面目な良い人だからと――!

だが、あれはさすがに許せない。
ほんっとうに、ほんっとうに絶望した。
ほんっとうに許せない。飯を食うどころでは無い。

ピオンが見たのは――。
プラグの頭に、メイドが着ける、あの白いヘアバンドをつけている公爵だったのだ!!

「公爵! いるか!! このアホンダラ!」
扉を開けるなり、ピオンは叫んだ。
「どこだあの馬鹿野郎! 上か!? おいリリ!」

「――どうしました!?」
大声にリリが慌てて出て来た。
「公爵は何処だ……まだ二階か?」
「……いえ、食事中ですが」
「食事! あのアホ! 食事だとッ! 何を呑気にやってるんだ!」
ピオンは食堂に突撃した。

「おい公爵!」
食堂には公爵以外にもクラリーナ達がいて目を丸くしたが、そんなことはどうでも良い。

「ちょっと話があるんですけど。五月の間に行きませんか? つか立てこのアホ!!」
「……」
ルネは珍しく目を丸くして焦っている。ピオンは腕を引っ張って、内階段を登った。

ピオンは見たのだ。あろうことか、白いエプロンまで用意して着せていたのを。
プラグは訓練服のままだったが――余計に最悪すぎる。
意識の無い相手に最悪すぎる! これならまだ、脱がしていた方がましだった!
ルネがここまで終わっているとは思っていなかった!

「おまえが公爵!? はぁああ? 公爵? この世は終わっている!! お前自分が何をしたか分かってんのか!? 相手は、十四! 少年! 子供!」
ピオンは白い方の六月の間で、ルネに小一時間説教をした。
ピオンはまだ十七歳だったが、それでも説教した。
歴史的暴挙を目撃した、自分がやらねばと思ったのだ。
ルネに引き替え、この国の王女殿下のなんと立派なことだろう。王女の立場におごり高ぶることも無く。なんと礼儀正しく良い子なのかと感動した。王女、いや王族のためなら死んでも良い。むしろ王女は今夜の暴挙を止める為、神がこの世に使わしたのだ! 王女がいなかったらと思うとぞっとする。あのまま何が始まったのか……。
プラグも良い子だ。あの負けん気の強い、いつでも明るいリゼラが悔しさで泣いてしまうような、ルネのきついいびりに耐えて――また逃げずに来て、理不尽すぎる訓練に耐えて頑張った。あんな細くて軽い体で、なんと健気なことだろう。背負いながら怒りがふつふつとこみ上げてきて大変だった。いったいどれだけの努力をしたら、あの年であれだけの強さを身に着けられるのか。さぞや苦労してきたのだろうと――ピオンは二人を思って、涙を流した。号泣した。

「いいですか!! 絶対に二度と、今日みたいな事はしないでください! 隊士になるかもしれない子なんですよ! わかりましたか!! やったら俺が貴方を社会的に抹殺します!! いえ本気で殺します!!」

ルネは大人しく項垂れていたが「事前に着せるって伝えたし」と言ったため延長された。
「それは立派な嫌がらせだーッ!! お前終わってんな!!」
ピオンの声が部屋に響いた。

……後にこれは『ピオン激怒ルネ説教事件』として語り継がれる事になる。

■ ■ ■

「……はぁ? 何言ってんだ? ピオンが怒った? しかも激怒?」

リズは報告に耳を疑った。
昨日は登城していて、国王や貴族達と真面目な話をしていた。

「はい……」
ここはリズの執務室で、報告に来たのはミラ・ウィーニー。
緩くウェーブした、緑がかった黒髪を肩の上で切りそろえた、大人っぽい女性隊士で、見た目通り落ち着いている。
その彼女がここまで動揺し、怯えるとは……。
ピオン・デュロは温厚で爽やか。金髪の巻き髪、青目。若干十七歳だが、背が高くて優しくて、顔立ちは中の上だが、性格を含め格好いいと評判の隊士だ。
リズが知る限り、怒った事も声を荒らげた事も無い。

「まさか。何でだ?」
「それが、その……よく分からなくて……私が、プラグ君を強く打ってしまって、気絶させたのがいけなかったのかも……と思います」
その後、ミラは昨日の鍛練の様子を細かく語った。
リズは腕を組みながら聞いた。

プラグは始め、七対一でも、やりにくそうに何とか裁いていたが、さすがに劣勢になり、ついに気絶した
ミラ達は、プラグがかなり痛そうだったのと、ちょうど夕方だったので、プラグが起きるまで一旦休憩にして、食事を摂ることにした。

ピオンは豪勢な食事が苦手なので、プラグの世話を女性達に任せ、一足先に宿舎へ戻って行った。
その時、気絶していたと思ったプラグが起き上がった。
――結果、手加減ができず。ミラはプラグをしたたかに打って気絶させた。

その後、ミラ達はプラグを隣室のソファーに寝かせて、書き置きを残した……。
そしてピオンがプラグを送って行く事になって――何故か、ピオン激怒事件が起きた。
ピオンはプラグを送って行った後、激怒状態で戻って来て――公爵を怒鳴りつけて、説教、二時間。
どうやら、ピオンがプラグを担ぎに行ったときにルネがいて、ピオンは何か見たらしい。

「あー。プラグ。あいつこりゃ、本当に食われたかもな……?」
リズは頭を掻いた。プラグを見るルネの目は、兎を見つけた狼のそれだったから、まあそういう事もあるだろう。
「いえ……さすがに……それはないと……おもいます……」
ミラが否定した。
「いや……でもルネだぞ? あのリゼラを泣かせた」
リズは言った。
信じたくないのだろうが、ルネはルネだ。あの明るいリゼラに『武器に名前つけてるんだね、ああ、故郷の仲間達の事を思って? そういうの、強くなってからにしなよ』と言って激昂させ、泣かせた前科がある。聞いた時はさすがに絶句した。
リゼラの一族は強い霊力を持っていたため、迫害されて散り散りになったと言う。彼女は故郷から逃げ出し、女一人で、腕だけを頼りに生きてきた。今でこそキルト語を話せるが、訓練課程に入った時は上手く話せず翻訳のプレートを使っていた。
自分を鍛えて、いつか故郷に帰るのだと言っている。「誰もいないんだけどね」と言うのは彼女の言葉だ。うっかり泣きそうになった。
で、ルネだが――それを言うか? という悪辣さだ。プラグの件も昨日、怒り心頭のラ=ヴィアから報告を受けたが、事情を知った後では、まあ、そりゃそうなる、悪かったな、としか言えなかった。ルネのせいで、リズも説教されたのだ。

リズは最近、ルネは、むしろ好みの年下を激怒させ、嫌われることを楽しんでいるのでは? と思うようになってきた。正直……もっと気持ち悪い。
あるいは発憤させて、鍛えているのかもしれないが。もう、完全に手遅れだ。

「まあ、私も似ても焼いても食っても良い! って言ったからな。食ったしても処罰は無い――んんー、しかし、プラグ、あいつあっさり本気出したのか……案外、沸点低いのか? 打ち過ぎも不味いな。その辺、適当に加減してくれ。そういや、ピオンとルネは? 今、どうしてんだ?」
リズは尋ねた。これだけの騒ぎを起こしたのだ。さすがにルネも反省? しているのだろうか?
「ルネさんは始末書を書かされています……反省文というか……ピオンさんが書くようにと……ピオンさんは、朝から自主鍛練に励んでいます……ものすごい形相で……」
「えええ? あいつが鍛練? ものすげぇ顔で? そんな事あるのか?」
リズは目を丸くした。
ピオンは――温厚な性格が災いしてか、いまいち覇気にかける隊士だった。才能はあるが、争い自体、余り好きで無いようで、鍛練もこなしているが、隊士になってからは他より少し成長が遅れていた。
ルネが反省文を書いているというのも驚きだ。
「ルネ、反省なんてできたのか? つかピオンが命令? ルネ呼ぶか……」
「いえ! とりあえず、ピオンさんの言うとおりにした方がいいと思います……ルネさんは、書き終わったら、自分で持ってくるでしょうから……」
「おーそうか……。ピオンはどこだ?」
「クラリーナさんと、薔薇の館の、庭で戦っています。あ、そうだ。もうご存じかも知れませんが、昨夜、アルスティア王女殿下が、薔薇の館までいらして、クラリーナさんに稽古を付けて欲しいと仰いました。クラリーナさんは快く請け負って、今日、朝から一緒に鍛練していました。よろしかったですか?」
ミラの言葉にリズは目を見張った。
「おお。そんな事があったのか。もちろん、いいぞ! いやぁ結構結構。王女がなー、自分から? なるほど、案外根性あるな。クラリーナか……そうかそれも有りだな。女の訓練は考えてなかった。じゃ、誰か稽古着けて欲しい、って言ってきたら、見てやってくれ。男共はこのままでいいから、女子だけだな。お前等も、言ってきたら死ぬ気で鍛えてやれ。女子に伝えとけ。属性合うやつ優先で、そうすりゃ強くなる」

「はい。伝えます」
ミラは頭を下げて戻って行った。

――リズは少し考え、ピオンの様子を見に行くことにした。

リズが生け垣の側を通りかかると、剣戟が聞こえた。
「お、やってるな」
声を掛ける前に、ピオンの声が聞こえてきた。

「俺は間違っていた!! 今まで何をやっていたんだ! 守るべき物は直ぐ側にあった!! おれはこの国を守る! 国というのは国民全てだ!」

これがピオン? と思う相当な勢いだが、いきなり国を守るとはどういうことだ。と思って聞いていると。

「死ぬ気でやらないと守れない! ああ俺は死んでやる! この国の為に! 王女のために! 王族のために! ルネのようなゲスを野放しにはできない! 王女と若い国民を守るために! 強くなるんだぁアアアアア!!」

――リズはなんとなく、引き返していた。



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次のエピソードへ進む 第9話 アルスと女子達


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午後の授業の後、ようやく夕飯になった。
アルスは時間より少し早く食堂に来て、精霊と一緒に配膳を手伝っていた。
普段は着いた順で手伝っているのだが……今日の訓練は厳しくて、既に着席している候補生達のほとんどが、机に突っ伏して呻いている。
女子も男子も食べられない、取りに行けないという状態なので、「水だけ……」「パンだけ……」「スープ……」と言う希望を聞いて、代わりに運んでいるのだ。
内容は今朝、シオウとプラグがやった『飛翔駆け』。距離も同じだという。
先導してくれたリゼラ曰く、朝、二人が走った距離を目安にしたらしい。
途中の木に印をつけたので、迷うことは無い、と教えてくれた。折り返しの木には赤いリボンが巻いてある、とも言った。
二人は五十分で走ったけれど、無理は禁物、初めての道で急ぐと危ないので、目標は三時間、と教えられた。
こうして、誰にも分け隔てなくやらせてくれるのは、この騎士団の良いところだと思う。
アルスは、自分のペースで走って、意外になんとかなってしまい、片道三十五キロ、往復で七十キロを、三時間と五分で走り終えた。
アルスより速かったのは、アドニス、フィニーだけ。なんとアルスは三番目だったのだ。
アルスが着いたとき、エドナクや他の隊士達が意外そうにしていた。
アルスにとっては、普通に走るよりかなり楽、楽しい、という印象で……、相応に疲れたけれど少し休んだら回復した。
しかし走りきれず、骨折したり、『狼煙』の赤プレートで救助を要請する候補生が続出していて、アルスが到着したとき、救護所には既に十人以上の候補生達がいた。
その後、アルスはエドナクに長剣の個別指導をしてもらった。
サーベル、レイピアは教えることは無いと言われてしまい『今後は長剣を頑張るように』と言われた。
これは精霊剣には長剣型が多いためで、後々の事を考えると、使えた方が便利だという。
まだまだ駄目だが、卒業までに鍛えまくって、男子に……できればフィニーに五本に一本、女子はナージャとペイトに半々で勝てるようになったら、まぐれで入れるかもしれない、と言われて目を丸くした。つまり、褒められたのだ。
しかし、最初の壁はアラーク、レンツィ、エミール達だとも言われた。アルスはまず三人の中で一番強い、アラークを倒す事を目標にして、エドナクに、いきなりは無理だ、と笑われた。だいぶ恥ずかしかった。
その後、全員回収して、授業は早めに切り上げられた。そして精霊達と一緒に、配膳を手伝ったり、来ない子の様子を見に行ったり、部屋に食事を届けたりして……今、ようやく戻って、自分の分を持って着席したところだ。
厨房では、暇な精霊達が人間のように働いている。シェフは給料がいらないので助かっていると言った。
三倍鍛練はアルス達とは別の場所でやっているから、分からないのだが――。
「……」
シオウは机に突っ伏していて、疲れ切った様子だ。
「……大丈夫?」
アルスはシオウに声をかけた。
「もうやだここ……」
「お疲れ様。ところで、プラグは?」
「……」
するとシオウが顔を上げ、そしてまた伏せた。
「知らん。ほっとけ……」
「食事、運んで来るわね。待ってて」
アルスは声を掛けて席を立った。シオウの他にも、参っている男子が二人。アルスはそちらにも声を掛ける。
「アドニス、フィニーも大丈夫? 良ければ持ってくるけど?」
アルスは他の候補生達と一緒に切り上げられたのだが、アドニスとフィニーは二倍と言うことで、延長されていた。
「いえ、大丈夫です……なんとか……なんとか……」
アドニスが溜息を吐いてなんとか立ち上がった。
「俺はお願い……。………………ええ?」
フィニーは言ったのだが、虚空を見つめて眉を顰めた。
「――わぁったよもう、自分で取ってくる」
フィニーが頭を掻きながら、乱雑な口調で言った。たぶん、トアゼ=エルタに言われたのだろう。フィニーは「明日、絶対立ててない……休みで良かった。ていうかなんで俺、二倍なの? おかしくない?」と言っていた。アドニスも頷いて「仕方ありませんよ、頑張りましょう」と言っている。
アルスはシオウの分を運んで、座った。
「シオウって、やっぱり凄いのね。私も頑張らないと」
「……」
シオウはようやく動き出して、怠そうに食べ始めた。アルスはシオウに話しかけたつもりだったが、シオウはいつでも食事が最優先という感じだ。
でも、聞いているのは分かっているので、返事が無くても構わず続ける。
「プラグは大丈夫かしら。一昨日ルネさんに会った後、すごく落ち込んでたから心配だわ……あの子、ちょっと、か弱いところがあるから。病弱だし、心配よ……」
すると、隣でシオウが「え」と言って動きを止めた。
「? どうしたの?」
シオウはアルスを凝視している。
「……。……いや……ええぇ……? かよわ……? 世の中、ワカラン……」
「どんな鍛練だったの?」
アルスは尋ねた。
シオウの表情はどんよりとしていて、とても暗い。
「……とりあえず最初は五対一で、飛びかかって来た。途中、七対一で、後は三、四人ずつ交代でやってた」
シオウが言うと、戻って来たフィニーが目を丸くした。
「七対一!? え、それ、捌けたの?」
「当たり前。でもしんどいさすがに。どいつもこいつも強い。一対一ならまだしも。くっそ……すぐ追い抜く。たぶん、アイツも七対一か、十対一で扱かれてんじゃね。知らん……アイツ、あのクソルネアホバカマヌケに目を付けられてるから、厳しいんだよ」
シオウが珍しく饒舌に話すので、アルスは瞬きをした。
ルネ公爵を悪し様に言うと言う事は、シオウもルネ公爵と戦ったのかもしれない。
「目を付けられてる……ねえルネ公爵はどんな感じなの? 強いの? もう少し教えて」
「んん? ルネ? アイツは強いんだが、キモイ。まじキモイ」
「戦ったの?」
「ああ、最後にな……ついでに嫌味言われて、しこたま殴られた。あいつまじで気色悪い。規格外なのは分かったが、ホンット、最悪……クッソ……!! あ゛ー!! あの目、きもちわりぃ! 絶対殺す……! あ゛ぁああああ、俺の計画にケチ付けやがって……!! 何で分かるんだよキモッ。鍛えまくって、絶対消す!!」
やはりシオウはよく話す。
こんなに話すのを聞いたのは初めてだ。
シオウが『鍛えまくって』と言ったので、アルスは、もしかして? と思ってシオウに尋ねた。
「ねえ……シオウって、もしかして戦うのが好きなの?」
アルスの言葉に、シオウが不思議な顔をした。そして、首を傾げる。
「そうだけど?」
「! そうだったの。ずっと、どうしてここにいるかしら……と思っていたけど、そうだったのね。何か、納得したわ。頑張ってね」
アルスは微笑んだ。
シオウは万事退屈そうなので、どうして精霊騎士になりたいと思ったのか、よく分からなかったのだ。故郷に魔霊が出て……レガンが無くなった事と関係があるのかも、とは思っていたけれど。それにしては必死さがないというか……。やる気が感じられなかった。ずっと、何となく来ただけなのかも、と思っていた。
するとシオウが少し眉を上げた。
「はぁ? それ、お前の方だろ。お前わりと素質はあるんだから、自分から、もっと厳しくしてくれって言えよ」
シオウの言葉にアルスは驚いた。
「――え?」
「え、じゃねぇって。じゃねぇとヤバいぞ? ここ、男には容赦ないけど、女は放ったらかしだから。よくわかんねぇけど、精霊騎士になるんだろ? 知らんけど……」
突然の助言にアルスは驚き、シオウに問い返した。
「ちょっと待って、私、どうしたらいいと思う? 私も、自分がどのくらいならいけるか、分からないのよ。剣は下手だし」
「ん~? ……あ。そうだ、あのクラリーナってやつ、鍛練が好きらしいから、そいつに相談したらどうだ? 上手く行けば、付き合ってくれるかも……」
「どの人?」
「ピンク頭。髪の長いヤツ。まだ訓練棟の方にいるかもな」
言われてアルスは思い至った。確かに、そんな隊士を見かけた。
「ああ、あの人! 分かったわ、ありがとう!」
アルスはシオウに礼を言って、食堂を出た。
訓練棟がどこか分からなかったのだが、シオウが戻って来た方向なら分かる。
……もう日は沈みかけている。
薄暗い道を早足で行くと、途中で金髪巻き毛、青目の男性隊士に出くわした。かなり背が高く、アルスは見上げる事になった。
「あの! すみません、クラリーナさんはどちらにいらっしゃいますか?」
「わっ吃驚した……あっ候補生か。クラリーナ? あっちにいたよ。今、食事休憩中かな。何か用なの?」
「用というか、相談があって。今、大丈夫なんでしょうか?」
「相談? まあ良いと思うよ。戦ってた子が倒れちゃってね、先にご飯にする、って言ってたし」
隊士の言葉に、アルスははっとした。今、訓練中、と言えば一人しかいない。
「……それって、プラグですか?」
「ああ、うん。プラグ君。大変だよね……」
「どの辺りですか?」
「んー。案内するよ。たぶん、建物の中にいるから」
親切に言われて、アルスは頭を下げた。
「ありがとうございます。私はアルスティア・キルトです。あなたは……?」
「え゛ッ? ……俺、は、ピオン・デュロ。とりあえず行こうか。案内だけだけど」
「ありがとうございます」
アルスは礼を言って、ピオンの後に続いた。ピオンは途中で歩調を少し緩めて歩いてくれた。
「あの、ピオンさんもご飯でしたか?」
「いや、まあそうだけど、別にいいよ。俺あそこ苦手で……ちょっと豪勢すぎるから、のんびり宿舎で食べようと思ってたんだ。館に案内したら行くから」
「ありがとうございます」
アルスは、なんて親切な隊士だろう……と感激した。
城には意地悪な貴族も多いので、アルスは、この騎士団に来てから感動ばかりだ。
先程の反応はアルスが王女だと気付いたのかもしれないけれど。それはともかく親切は受け取っておきたいと思った。
間も無く――大きな建物が見えてきた。アルスはこの建物を知っていた。
確か……名前は『薔薇の館』……ノム・ルネ・ラ・エアリ公爵が訓練棟が気に入らなかったので建て替えたと聞いた。実際は老朽化していたので、公爵に出資を頼んだら豪華になってしまった、という事らしい。実際に見るのは、もちろん初めてだ。
ピオンが慣れた様子で庭に入ったので、アルスは戸惑った。
「……この中なんですか?」
「うん、ここ訓練棟になっていて、二階に広い部屋がいくつかあるんだ。クラリーナは一階の食堂だと思う。食堂って感じでも無いけど……」
ピオンが言った。確かに、これは平民にとっては居心地が悪いだろう。ピオンはそのまま扉を開けて、玄関ホールを真っ直ぐ進んで、食堂らしき両開きの扉をノックした。
すると中から扉が開いた。
「はい?」
出て来たのは、黒髪に赤色の目をした、かなりの美少女だった。格好はメイド……なので侍女だろうか?
「リリ、クラリーナいる? この子が用があるって。食事中かな」
ピオンは気さくに話し掛けた。
「そうですね、間もなく、と言う所ですが。お急ぎですか?」
リリ、と呼ばれた女性に問われて、ピオンがアルスに「急ぐ?」と尋ねた。アルスは首を振って「待ちます」と言ったが。
「んー――できれば先が良いかな。ちょっとだけでいいから。俺、ついでに帰り、この子を送っていくよ。暗いし、迷っちゃうかも」
「そうですわね。お呼びいたします」
と言って呼びに帰った。
「彼女も隊士なんだ。リリ・カトン。格好は趣味」
ピオンが苦笑した。
「そうなんですか……? あの、本当にありがとうございます」
アルスは何度も頭を下げた。おそらくアルスが王女だからだろうが、帰りの事も考えてくれるとは……。
程なく、ピンク色の長髪――こちらも凄く綺麗な女性が出て来た。
格好は隊服なのだが、すらりとした姿の良さが引き立っている。髪は遠目で見て想像していたよりも薄いピンク色で、瞳も同じ色だった。肌は大理石のように白い。長い睫毛と大きな目が印象的で、アルスはなんて可愛くて綺麗なんだろうと思った。
「初めまして、クラリーナ・ザーヴェです。私に何か御用ですか?」
クラリーナは首を傾げている。声も美しく、楽器のようだった。
隊士には見えないと言うか……お姫様のように清楚で可憐な雰囲気だ。
アルスは、クラリーナがあまりに綺麗なので緊張してしまった。
考えてみれば、食事中に押しかけるなんて。非常識にも程がある。
「あの、実は、お願いがあって。勢いで来てしまいました。こんな時間にすみません……!」
「はい、何でしょう……?」
クラリーナが首を傾げた。
アルスは人生で、三度目くらいの勇気を振り絞った。
「あの、私、最近、どう自分を鍛えたらいいか分からなくて、それで、シオウ君に聞いたら、クラリーナさんが、鍛練好きって言っていて、もしよかったら、近くで一緒に、鍛練してもいいですか! できれば、色々教えて欲しいです! お願いします! お仕事の邪魔にならないようにしますから!! お願いします!」
アルスは思いっきり、深く頭を下げた。
しばらく後、クラリーナが「わかりました」と答えた。
顔を上げると、優しく微笑んでいた。
「いいですよ。鍛練のお誘いですね。隊長には言っておきますから、明日、そうですね、朝、五時に森の入り口に来て下さい。まずは体力を見て、それから考えていきましょう。精霊騎士になれるかは、素質が大きく関係しますから。確約はできませんが。いずれにせよ、私を選んだのは正解だったと、一年後に、思わせて差し上げましょう」
力強い言葉に――アルスはぱっと顔を明るくした。
つまり、いいと言う事だ。
「ありがとうございます! がんばります!!」
「共に――精霊騎士を目指しましょう。……私はもう精霊騎士ですが。更に強くなります」
「はい!」
するとピオンが隣で破顔した。
「……いや驚いた。そんな事だったんだ? やる気があるのは凄くいいね。そっか、プラグ君に会っていく? もうついでに持って帰ろうか。今日、どうするんだ。夜もやるのか?」
するとクラリーナが物憂げな表情を見せた。
「それなんですが。あの後、もう一戦したのですが。ミラがうっかり、強く打ってしまって……今日はもう止めた方がいいかと。五月のソファーで寝ているので、連れて帰って頂けますか?」
「ああ、そうか……この方法、ちょっと厳しいかもなぁ……全く隊長は」
ピオンの溜息に、クラリーナが溜息を返した。
「鍛練方法は、もう少し変えた方がいいでしょうね……今、話していたところです。今日はこのまま解散です。治療は済んでいますから、大丈夫なはずですが。痛がるようなら医務室へ運んで下さい」
「わかった、また明日聞く。ありがとうな」
「いえ。では――また明日。ええと、ああ、お名前は?」
「あっ、すみませんアルスティアです! アルスと呼んで下さい……! 呼び捨てで!」
「アルスですね。わかりました。遅刻厳禁ですよ、またね」
クラリーナが笑って、手を振った。
「はい!」
アルスは頰を紅潮させて頷いた。
「良かったね。二階に行こう」
「はい、ピオンさんのおかげです……!」
「そんな事ないよ。クラリーナは本当に鍛練好きだからさ。鍛練ぶら下げたら頷くよ。何君だっけ? 勧めた子は目の付け所がいい」
ピオンが苦笑する。
「シオウですね。お礼言わなきゃ……!」
アルスは軽い足取りで階段を上って二階に来た。
思ったよりも縦に長く、赤い絨毯が敷かれていて、広い部屋が並んでいるようだ。
廊下には精霊灯があって、日は落ちているが十分明るい。
突き当たりは右に曲がれるようになっている様子なので、曲がった先も部屋なのだろう。
「……広いんですねー」
「そうなんだよな。奥行きがある、一月、二月、って名前が付いてる。……で、俺もさっき、一緒に鍛練してたんだけど。それがなぁ……結構厳しいんだよなぁ……可愛そうって言うか。さすがにやり過ぎな気がする。っていうかあの子、あの後、立ったのか、すごいなぁ……」
一つ目の扉を通り過ぎた。どの部屋も扉の横と上に番号が書いてある。
「どんな鍛練なんですか……?」
アルスは少し心配になった。
あまり詳しく聞いていないが、一昨日、リズに稽古を付けられたシオウはちゃんと戻って来て、プラグは……?
「シオウは前もちゃんと立って戻って来たんですけど、プラグは一昨日、なんか、すごく落ち込んでいて……大丈夫かなって」
「あー……まあ、うん。一昨日のは仕方無いよ。ルネさんに当たったんだ。今日からは俺達だけど。ルネさんの稽古は厳しいというか何というか。被害者の会がある」
ピオンの言葉に、アルスは思わず苦笑した。
「ルネ……エアリ公爵ですよね……あー……」
アルスはエアリ公爵の噂を思い出し、思わず溜息を吐いた。
ノム・ルネ・ラ・エアリ公爵は、年に見合わぬ有能さで、かなりの高評価を受けているが、一部の貴族からはとても恐れられている。
――と言うか、アルスは実際に見てしまった事があるのだ。
兄の稽古を付けていたのだが……中々、ねちっこいというか、嫌らしいというか。容赦がないというか、一言多いというか。アルスは『王子でなくて良かった』と思ったのだ。
先程、食堂でシオウが名前を出した時は『忙しいのに、本当に稽古を付けたのかしら?』くらいだったのだが、本当だったらしい。
「あ、知ってる?」
「いえ、何も知りません! あはは……どんな感じでしょう?」
「はは、まあ色々とね。……人によるんだけど、俺は大丈夫だったな、背の高い男は好みじゃ無いって。容赦はなかったけど普通の良い人だった。ただ、たぶん、プラグ君は――好みだったんだろうね……あとは貴方も知ってる隊士なら、リゼラもかなり、ルネさんの事嫌ってるよ。可愛い感じの、小さめの子が好きなんだ」
「ははは……プラグ大丈夫かしら……」
普段、温厚で穏やかな兄が『もう顔も見たく無い、気持ち悪い』と言って手を洗っていた程だ。ルネには不思議な力があって、握手をしたら色々言い当てられたのだという。
兄のタスクラデア第一王子は……金髪にすみれ色の瞳で、二十歳だが……とてもおっとりしていて……どちらかと言えば可愛い雰囲気だ……。
六月の部屋に着いて、中に入ると、そこはかなり広かった。
何も無い、がらんどうの白い部屋で、今は暗い。
「ル・フィーラ」
ピオンが言うと部屋が少し明るくなった。天井に精霊灯が点いている。アルスは贅沢だわ、と思ったが、国の中枢だから、いいのかもしれない。時折、アルスは自分の感覚が、正しいのかずれているのか、分からなくなる時がある。贅沢に慣れすぎていると感じるのだ。
プラグはどこに? と思ったら、部屋の右側に扉があった。
ピオンは何も言わずに扉を開けた。扉に鍵は無く、あっさり開いたのだが。
「……」
ピオンはすぐに扉を閉めた。アルスは中が見えなかったので、驚いた。
「え、どうしたんですか?」
「いや……! ノックを忘れて!! ははは」
言って、ピオンは五回、六回くらいノックした。すると中から「……どうぞ」という、聞き覚えのある声がした。
「えっ……中に公爵が?」
「……君は見てない?」
「何をですか?」
アルスは首を傾げた。
「……、良かった……、いや……いやいや、気のせいだ、とりあえず入ろう……。入りますよー! いいですねー!」
再び返事が聞こえる。
アルスは首を傾げながら、ピオンの後に続いた。
■ ■ ■
隣の部屋は、応接室のようになっていた。赤い絨毯が敷かれて、手前と、奥に長いソファーがある。どこから入るのだろう、と思って見ると、右手側に手すりがあって階段があった。下に続いているようだ。カーテンが閉まっていて、白い壁には絵が何枚か飾られていて……奥のソファーにプラグが寝ていた。
プラグは頭をカーテン側に向けて、寝ている。こちらを向いているので寝顔が見える。
体の上には隊服の白いマントが掛けてあった。
「おつかれさま。どうしたんだい?」
ルネはこちらを向いて立っていて、にこやかに微笑んだ。思い切り顔見知りなのでアルスはピオンの、マントの後ろに隠れる事にした。ピオンも気付いたらしく、何となく両腕を広げてアルスを隠した。
「えっと、今日はもう訓練終わりなので、プラグ君を送っていこうかと」
「ああ、そうだね。それがいい。ベッドに運ぼうかと思ったんだけど」
「そうだったんですね。いいですか?」
「ああ、いいよ。さっき診察していてね、うん。異常はなかったけど、強く打ったのかい?」
――アルスは隠れているので、ルネの声だけが聞こえる。
「その時、俺はいなかったんですけど、ミラがちょっと強く打ったらしいです。この方法、駄目なんじゃ無いですか? ルネさんから隊長に言って貰えませんか?」
「うーん……ただ、彼も慣れたら捌けるようになるかもしれないから、少し、人数を減らして慣らすのは?」
「それはクラリーナ達が相談しているみたいです。俺は送りますから……えっと良いですか? ちょっと待ちますか?」
「そうだね、荷物があるから……」
「じゃあ、隣で待ちますね――出よう」
そう言って、なぜかピオンはアルスを促して、扉を開け、そのまま出てしまった。アルスは押し出される格好だ。
そして「ル・レーナ」と言って灯りを消した。
「静かに……黙って帰ろう」
「はい……? 扉、開けてきます……、もしかして、部屋の外で待った方がいいですか?」
「ああ、そうしてくれると、本っ当に助かる。アルスちゃんは良い子だな」
ピオンが頷いたので、アルスは首を傾げながら、扉を開けに行った。そのまま廊下でしばらく待っていると、ピオンがプラグを背負って出て来た。ピオンは荷物――短剣とプレートケースを持っていたので、アルスは「あ、それ、持ちます」と言って受け取った。
プラグはぐったりしていて、完全に寝ているようだ。
ピオンは黙ったまま、薔薇の館を出て、しばらく歩いた後、おもむろに口を開いた。
「それにしても軽いな。この子は……あははは……いや、うん。今度から、俺が、俺がいない時は他の隊士が、責任持って部屋まで送って寝かせるから。安心して」
「……? はい……? あの……プラグ、大丈夫ですか」
アルスは首を傾げた。
「いやははは……大丈夫だよ、うん」
「訓練って、そんなに厳しいんですか? シオウは平気なのに……一番だから……? 加減とか、してもらえますか?」
「んー、そうだね、俺からも、よーく言っておくから。ただリズ隊長は、しっかり育てたいって感じだったから、どうかな。本人次第ってところもあるから、きついなら、彼から、加減して欲しい、って言ってくれた方が変えやすいかもね。でもそういうの言わない子みたいだから。困ったな。……んー……君は、この子と親しいの?」
「はい、同室で……シオウ君も一緒です」
「あ! そっか、そうなんだっけ! ……そっかー……じゃあ言っておこうかな」
ピオンがふう、と息を吐いた。
「実はね……彼、昔、怪我したらしくて、どうも頭と背中、が弱いらしくて? そこを狙われたら困るって事で、今、俺達がそこを重点的に狙う稽古をしているんだ。あ、もちろん訓練用の剣だけど。一応、俺達の手加減の訓練も兼ねてって感じかな。今日はミラがうっかり強く打ったみたいだね」
「……! え……」
アルスは一気に青ざめた。
「怪我したところを狙ってるんですか……!? そんな!! 危ない!!」
アルスの言葉にピオンが長く息を吐いて、頷いた。
「庇う癖を付けないようにってことらしいから、本当は、当てる感じなんだけど……この子もかなり強くて……加減が難しいんだ。まあ、今度から人数を減らすよ。あとルネ公爵はホント叱っとくこれは叱っていい」
「……そんな……でも、危ないです。怪我の跡を打って、なにかあったら……!」
アルスは思わず震えた。
「そうだよね、ううん……はあぁ、ごめんね……ここ、厳しいから……はぁ。今年は特に隊長、やる気だからなぁ。とにかく、気を付けてあげて」
「はい……!! やっぱりプラグ、病弱だったのね……」
「そうなの?」
ピオンが首を傾げた時、ピオンの背中から呻きが聞こえた。
――プラグが目を覚ましたようだ。
「ん……?」
「あ、起きた?」
その言葉に、プラグが驚き、大仰に「うわぁあっ!」と言う声を上げた。
「ああ、ごめん、驚いたよね……」
「あれ……ピオン……隊士? ルネかと思った……」
「う。ごめんね。驚かせて。歩けそう?」
「――あ、はい……多分……」
「降ろすよ」
ピオンが降ろすと、プラグは問題なく立ったのだが、アルスとしては心配で仕方ない。
体が細いから、子鹿か兎に見えるのだ。
「大丈夫、プラグ? 背中打ったんでしょう?」
「あれ、アルス?」
プラグが目を丸くしたので、アルスは軽く説明をした。
「用事があって、向こうに行ったの。ピオンさん、ありがとうございました。後は大丈夫なので、お食事を……すみません本当に……! お腹空きましたよね」
「いやいや。こちらが悪いくらいだよ。じゃあ、俺はあっちだから。後はよろしく……」
ピオンは言って、来た道を戻って行った。
「はい! ありがとうございます」
――なんて爽やかな人だろう、とアルスは頭を下げた。
■ ■ ■
アルスとプラグが宿舎に入ると、食堂にはまだ灯りが点いていた。
「ああ、遅くなっちゃった……!」
もう片付けられたかも、と思って入ると、シオウが長椅子に寝そべっていて、机の上に食事が二つ並んでいた。頭は入り口の方を向いている。
アルスは驚いて声を掛けた。
「残ってくれたの? シオウ」
アルスの声に、寝ていたらしいシオウが目を開けた。
「……んあ? ああ、やっと来たか……遅い。寝てた」
シオウは起き上がって椅子に腰掛けた。寝にくかったのか、髪を右側の低い位置で結んでいる。
アルスは慌てて近づいた。
「ごめんね、わざわざ。プラグ連れて来たわ」
「……えっと? おはよう?」
プラグが首を傾げて座った。
プラグも今起きたばかりなので、状況が分からないようだ。
シオウが残っていたから、食事を片付けられていないと分かったらしく「ありがとう?」と言った。シオウは「ん」と返事をしていた。
「厨房の人は?」
アルスは尋ねた。プラグの食事は新しいが、アルスの食事は置いて出た時のままだ。
「片付けはやるからって、先に帰ってもらった。俺は知らんからお前等やれ。もう部屋行って良いか?」
シオウが肩や首を回しながら言った。
「そんなことまで……。ありがとう」
「まあ、いいけど。どうだったんだ? 焚きつけといて駄目でしたー、じゃさすがにな。気になるだろ?」
シオウの言葉にアルスは感激した。ちょっと涙が出た。
「シオウのおかげで、大丈夫だったわ! 明日、五時から稽古つけてくれるって! 本当にありがとう! 大好き!」
アルスは思わず抱きついた。するとシオウは顔をしかめた。
「うぇ……そういうのいいから。ま、……腕の礼ってことで。もう貸しなしだな」
アルスは今度こそ目をまん丸にした。
「――おつりが来るわよ! もしかしたら、一生感謝するかもしれない! ありがとう、おやすみ!」
「あーはいはい、じゃな」
シオウは片手を上げて去って行った。
「シオウは良い奴だよなぁ」
プラグがしみじみ呟くので、アルスも深く頷いた。
「本当に。私、誤解してたみたい。さっきね、シオウがクラリーナさんなら稽古をつけてくれるかもって、言ってくれて、それで突撃したの」
アルスはプラグに何故自分が迎えに行ったのか話した。
するとプラグは、寝坊したくないときは精霊に頼むと良いと教えてくれた。
「精霊は夜、寝なくてもいいから、俺もたまに頼んでる。ラ=ヴィアはしっかり起こしてくれる。俺も朝、鍛練しようかな……」
「そうなのね! だったら一緒に走りましょう」
「走るのはちょっと……三倍だからな……でもそれくらいでないと駄目かもな……」
プラグが溜息を吐くので、アルスは焦った。
「いえ! プラグは無理しないで。慣れたらでいいから。明日は絶対にちゃんとラッパまで寝て! 無理は禁物よ」
「? うん」
その後、訓練について尋ねて――思い切って、過去の怪我についても聞いてみた。
「ああ……確かに……でも実戦では、精霊に守ってもらうから、大丈夫」
プラグはそう言ったが、アルスは心配で仕方無い。
「本当に大丈夫なの? 傷を狙うなんて。聞くだけで、かなり危険な稽古じゃない。私も貴方の背後に気を付けるわ。何か飛んで来たら頑張って庇うから」
するとプラグが苦笑した。
「上手く避けられるように頑張るから。アルスは心配しなくていい」
「ちゃんと避けてね? 頭も大丈夫なの?」
アルスはプラグの頭をさすった。
「大丈夫だって……」
プラグはやっぱり苦笑している。本当に大丈夫なのかもしれない……。いや、油断はできない。いざという時、アルスも鍛えておいて、さりげなく庇うのだ。
そこでアルスは昼間、とても言いたかったことを思い出した。
「今日はすごく良い事が沢山あったわ。クラリーナさんに会えたし、シオウは優しいし、ピオンさんは格好いいし、あと、プラグも格好良かったわ!」
アルスは笑った。
「え?」
プラグが首を傾げるのでアルスはまた笑った。
「ほら、部屋割の時。まさか、貴方がああ言ってってくれるなんてね。私、困ってたのよ。本当に、貴方みたいな面白い人と別の部屋になりたくなくて。一緒の方が絶対、楽しいわ!」
……女子達に「どうして部屋を移らないの?」「プラグ君が好きだから?」と言われた時に、伝えたくてうずうずしていたのだ。
――そんなの、プラグが面白いからに決まってるわ!
――シオウもなんか変わっていて害が無いし、面白いし、実は優しいし!
だから、プラグがさりげなく……たぶんちょっと苦肉の策で、アルスに選ばせてくれたとき、本当に嬉しかったのだ。その後しっかり釘を刺したところなんて、驚いたのなんの。
背一杯、喜んでいない風を装ったけれど。プラグもアルスを気に入っていたと分かって、本当は大きな声で笑いたかった。感激を表現したかったのだ。
「ねえ、プラグ! 今度の休み、アメルちゃんと出かけてもいいかしら? 予定が合えばだけど」
アルスはこれもずっと言いたかったことを言った。プラグが忙しそうなので遠慮していたけれど、本当は一緒に遊びに行きたかったのだ。
するとプラグが少し考え。悪戯っぽく微笑んだ。
「――伝えておく」
アルスは、プラグの澄ました顔も、大人しい顔も好きだが、この顔が一番好きだと思った。
「やったわ。大好きよ、可愛い子!」
アルスは食事をこぼすかもしれないと思って、抱きつかずに思いっきり撫でた。
「……アルスには俺がどう見えているんだ?」
プラグがくすぐったそうに目を細め、首を傾げるので、アルスは少し考えた。
「可愛くって、おかしくって、強くって、あと、病弱な面白い子、かしら? 兎か子鹿みたい。あとはその辺の枝の細い木ね。そっくりよ」
「え……人ですらない……、病弱……? ああ……そうか……まったく、リーオ隊士のせいだ。そんなに病弱じゃ無いから」
「そうなの? でも私、風邪なんて引いたこと無いわよ? 一度も」
「え……すごいな……」
「風邪ってどうやったらなれるの? 何か秘訣があるの?」
「ええ……」
話は尽きず、食べ終わって片付けが終わるまで、ずっとずっと喋っていた。
■ ■ ■
――ピオン・デュロは激怒していた。
ピオンはノム・ルネ・ラ・エアリ公爵を、それなりに尊敬していた。強いし格好いいし、頼りになる副隊長だ。リゼラに忌み嫌われていても、隊長が手遅れだと言っても、基本は真面目な良い人だからと――!
だが、あれはさすがに許せない。
ほんっとうに、ほんっとうに絶望した。
ほんっとうに許せない。飯を食うどころでは無い。
ピオンが見たのは――。
プラグの頭に、メイドが着ける、あの白いヘアバンドをつけている公爵だったのだ!!
「公爵! いるか!! このアホンダラ!」
扉を開けるなり、ピオンは叫んだ。
「どこだあの馬鹿野郎! 上か!? おいリリ!」
「――どうしました!?」
大声にリリが慌てて出て来た。
「公爵は何処だ……まだ二階か?」
「……いえ、食事中ですが」
「食事! あのアホ! 食事だとッ! 何を呑気にやってるんだ!」
ピオンは食堂に突撃した。
「おい公爵!」
食堂には公爵以外にもクラリーナ達がいて目を丸くしたが、そんなことはどうでも良い。
「ちょっと話があるんですけど。五月の間に行きませんか? つか立てこのアホ!!」
「……」
ルネは珍しく目を丸くして焦っている。ピオンは腕を引っ張って、内階段を登った。
ピオンは見たのだ。あろうことか、白いエプロンまで用意して着せていたのを。
プラグは訓練服のままだったが――余計に最悪すぎる。
意識の無い相手に最悪すぎる! これならまだ、脱がしていた方がましだった!
ルネがここまで終わっているとは思っていなかった!
「おまえが公爵!? はぁああ? 公爵? この世は終わっている!! お前自分が何をしたか分かってんのか!? 相手は、十四! 少年! 子供!」
ピオンは白い方の六月の間で、ルネに小一時間説教をした。
ピオンはまだ十七歳だったが、それでも説教した。
歴史的暴挙を目撃した、自分がやらねばと思ったのだ。
ルネに引き替え、この国の王女殿下のなんと立派なことだろう。王女の立場におごり高ぶることも無く。なんと礼儀正しく良い子なのかと感動した。王女、いや王族のためなら死んでも良い。むしろ王女は今夜の暴挙を止める為、神がこの世に使わしたのだ! 王女がいなかったらと思うとぞっとする。あのまま何が始まったのか……。
プラグも良い子だ。あの負けん気の強い、いつでも明るいリゼラが悔しさで泣いてしまうような、ルネのきついいびりに耐えて――また逃げずに来て、理不尽すぎる訓練に耐えて頑張った。あんな細くて軽い体で、なんと健気なことだろう。背負いながら怒りがふつふつとこみ上げてきて大変だった。いったいどれだけの努力をしたら、あの年であれだけの強さを身に着けられるのか。さぞや苦労してきたのだろうと――ピオンは二人を思って、涙を流した。号泣した。
「いいですか!! 絶対に二度と、今日みたいな事はしないでください! 隊士になるかもしれない子なんですよ! わかりましたか!! やったら俺が貴方を社会的に抹殺します!! いえ本気で殺します!!」
ルネは大人しく項垂れていたが「事前に着せるって伝えたし」と言ったため延長された。
「それは立派な嫌がらせだーッ!! お前終わってんな!!」
ピオンの声が部屋に響いた。
……後にこれは『ピオン激怒ルネ説教事件』として語り継がれる事になる。
■ ■ ■
「……はぁ? 何言ってんだ? ピオンが怒った? しかも激怒?」
リズは報告に耳を疑った。
昨日は登城していて、国王や貴族達と真面目な話をしていた。
「はい……」
ここはリズの執務室で、報告に来たのはミラ・ウィーニー。
緩くウェーブした、緑がかった黒髪を肩の上で切りそろえた、大人っぽい女性隊士で、見た目通り落ち着いている。
その彼女がここまで動揺し、怯えるとは……。
ピオン・デュロは温厚で爽やか。金髪の巻き髪、青目。若干十七歳だが、背が高くて優しくて、顔立ちは中の上だが、性格を含め格好いいと評判の隊士だ。
リズが知る限り、怒った事も声を荒らげた事も無い。
「まさか。何でだ?」
「それが、その……よく分からなくて……私が、プラグ君を強く打ってしまって、気絶させたのがいけなかったのかも……と思います」
その後、ミラは昨日の鍛練の様子を細かく語った。
リズは腕を組みながら聞いた。
プラグは始め、七対一でも、やりにくそうに何とか裁いていたが、さすがに劣勢になり、ついに気絶した
ミラ達は、プラグがかなり痛そうだったのと、ちょうど夕方だったので、プラグが起きるまで一旦休憩にして、食事を摂ることにした。
ピオンは豪勢な食事が苦手なので、プラグの世話を女性達に任せ、一足先に宿舎へ戻って行った。
その時、気絶していたと思ったプラグが起き上がった。
――結果、手加減ができず。ミラはプラグをしたたかに打って気絶させた。
その後、ミラ達はプラグを隣室のソファーに寝かせて、書き置きを残した……。
そしてピオンがプラグを送って行く事になって――何故か、ピオン激怒事件が起きた。
ピオンはプラグを送って行った後、激怒状態で戻って来て――公爵を怒鳴りつけて、説教、二時間。
どうやら、ピオンがプラグを担ぎに行ったときにルネがいて、ピオンは何か見たらしい。
「あー。プラグ。あいつこりゃ、本当に食われたかもな……?」
リズは頭を掻いた。プラグを見るルネの目は、兎を見つけた狼のそれだったから、まあそういう事もあるだろう。
「いえ……さすがに……それはないと……おもいます……」
ミラが否定した。
「いや……でもルネだぞ? あのリゼラを泣かせた」
リズは言った。
信じたくないのだろうが、ルネはルネだ。あの明るいリゼラに『武器に名前つけてるんだね、ああ、故郷の仲間達の事を思って? そういうの、強くなってからにしなよ』と言って激昂させ、泣かせた前科がある。聞いた時はさすがに絶句した。
リゼラの一族は強い霊力を持っていたため、迫害されて散り散りになったと言う。彼女は故郷から逃げ出し、女一人で、腕だけを頼りに生きてきた。今でこそキルト語を話せるが、訓練課程に入った時は上手く話せず翻訳のプレートを使っていた。
自分を鍛えて、いつか故郷に帰るのだと言っている。「誰もいないんだけどね」と言うのは彼女の言葉だ。うっかり泣きそうになった。
で、ルネだが――それを言うか? という悪辣さだ。プラグの件も昨日、怒り心頭のラ=ヴィアから報告を受けたが、事情を知った後では、まあ、そりゃそうなる、悪かったな、としか言えなかった。ルネのせいで、リズも説教されたのだ。
リズは最近、ルネは、むしろ好みの年下を激怒させ、嫌われることを楽しんでいるのでは? と思うようになってきた。正直……もっと気持ち悪い。
あるいは発憤させて、鍛えているのかもしれないが。もう、完全に手遅れだ。
「まあ、私も似ても焼いても食っても良い! って言ったからな。食ったしても処罰は無い――んんー、しかし、プラグ、あいつあっさり本気出したのか……案外、沸点低いのか? 打ち過ぎも不味いな。その辺、適当に加減してくれ。そういや、ピオンとルネは? 今、どうしてんだ?」
リズは尋ねた。これだけの騒ぎを起こしたのだ。さすがにルネも反省? しているのだろうか?
「ルネさんは始末書を書かされています……反省文というか……ピオンさんが書くようにと……ピオンさんは、朝から自主鍛練に励んでいます……ものすごい形相で……」
「えええ? あいつが鍛練? ものすげぇ顔で? そんな事あるのか?」
リズは目を丸くした。
ピオンは――温厚な性格が災いしてか、いまいち覇気にかける隊士だった。才能はあるが、争い自体、余り好きで無いようで、鍛練もこなしているが、隊士になってからは他より少し成長が遅れていた。
ルネが反省文を書いているというのも驚きだ。
「ルネ、反省なんてできたのか? つかピオンが命令? ルネ呼ぶか……」
「いえ! とりあえず、ピオンさんの言うとおりにした方がいいと思います……ルネさんは、書き終わったら、自分で持ってくるでしょうから……」
「おーそうか……。ピオンはどこだ?」
「クラリーナさんと、薔薇の館の、庭で戦っています。あ、そうだ。もうご存じかも知れませんが、昨夜、アルスティア王女殿下が、薔薇の館までいらして、クラリーナさんに稽古を付けて欲しいと仰いました。クラリーナさんは快く請け負って、今日、朝から一緒に鍛練していました。よろしかったですか?」
ミラの言葉にリズは目を見張った。
「おお。そんな事があったのか。もちろん、いいぞ! いやぁ結構結構。王女がなー、自分から? なるほど、案外根性あるな。クラリーナか……そうかそれも有りだな。女の訓練は考えてなかった。じゃ、誰か稽古着けて欲しい、って言ってきたら、見てやってくれ。男共はこのままでいいから、女子だけだな。お前等も、言ってきたら死ぬ気で鍛えてやれ。女子に伝えとけ。属性合うやつ優先で、そうすりゃ強くなる」
「はい。伝えます」
ミラは頭を下げて戻って行った。
――リズは少し考え、ピオンの様子を見に行くことにした。
リズが生け垣の側を通りかかると、剣戟が聞こえた。
「お、やってるな」
声を掛ける前に、ピオンの声が聞こえてきた。
「俺は間違っていた!! 今まで何をやっていたんだ! 守るべき物は直ぐ側にあった!! おれはこの国を守る! 国というのは国民全てだ!」
これがピオン? と思う相当な勢いだが、いきなり国を守るとはどういうことだ。と思って聞いていると。
「死ぬ気でやらないと守れない! ああ俺は死んでやる! この国の為に! 王女のために! 王族のために! ルネのようなゲスを野放しにはできない! 王女と若い国民を守るために! 強くなるんだぁアアアアア!!」
――リズはなんとなく、引き返していた。