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第5話 精霊剣 -1/3-

ー/ー



カド=ククナ


目を覚ましたイル=ナーダは、急いで神殿に戻った。

山の神、カ=トゥーワと海の神、カ=ルーミーは、カド=ククナと共に虹色の水晶を造り、新たな祝詞『エル・エミド』を編み出し授けてくれた。
この祝詞には『魂呼びの祝詞』と『浄化の祝詞』が用意されている。

『エル・ミエド』は赤い表紙の本で、頁数は約百十三頁(ページ)。
初めの説明は四頁、やり方や心構えもを細かく示してある。
『魂呼びの祝詞』の方が長く八十八頁。残りの『浄化の祝詞』は二十一頁。

浄化の手順はこうだ。
まず、浄化された水に、虹色の水晶を入れる。
これはカ=トゥーワ、カ=ルーミー、カド=ククナが協力して作った精霊結晶で、大きさは手の平大。数は十個。掘り出したままの結晶のような、いびつな形をしている。
水晶には補助として、カド=ククナとラ=ヴィアの尻尾が巻き付けられている。
――これは『人が使えるためのおまけ』だという。
この尻尾があることで、人や精霊の祈りがカ=トゥーワ、カ=ルーミーに届く。
精霊に縁のある人か、縁のある精霊が黒プレートを水に沈め、水に手を浸すか、水の中に入るかして『エル・ミエド』の祝詞を読み上げる。
イル=ナーダは火の精霊だったので、水晶につないであるしっぽを水の外に出し、そのしっぽを手に持って、祝詞を読み上げた。対策は万全だ。

祝詞はかなり長いのだが、写本は可能だし、水に触れていれば本を見て読んでも構わない。そして長い分、人間への負担が少ない。これは本文を読めば分かるが(分かる者がいればだが)、自然精霊や他の神にも、少しずつ、霊力の提供を求めている為だ。
カ=トゥーワ、カ=ルーミーは正確には神では無く、『神精霊(しんせいれい)』という特別な役割を持った、いわゆる『亜神(あしん)』と言われる存在だ。
友人であるカド=ククナが翼を差し出したように。代償無しでは助けない――否、助ける力が無い。
しかし――亜神のなかでも、二人は『だいぶ意地が悪い神』になる。
カド=ククナの知る亜神で、今回、目的に適うのがこの二柱しかいなかったのだ。

人が亜神を呼ぶと間違い無く命はない。願いに見合う物を差し出さなければ願いは叶わないのだ。
聖職者が命と引き替えに神を呼んだ、という話はいくつかあるが……つまり相手が亜神だった、と言う事だ。依頼の代償が足りなければ、その場で厄災が起き、適当に補充されていく。
それでは死者が増えて困るので、カド=ククナ達は、何とかしようと工夫した。
もっと力のある善意の神の力を借りて、純粋に、タダで助けてもらおう、という仕組みになっている。
霊力の借り処として『太陽の神ニーナ』と『月の神クレス』が選ばれた。
カ=ルーミー、カ=トゥーワ曰く、いつでも助けてくれる優しい神、けれど暇をしている、霊力が余っている、となればこの二柱しかいない、とのことだった。
長い長い長い祝詞は、ほとんどが、この二人の神に力を借りるための物だった。
祝詞には、一応、予備として、性格の良い神、三柱の名前も加わっている。
『大気の神パーリー』『時の神ムル』『砂の神アルマ』……万一、ニーナとクレスが不在の時は、この三柱にも力を借りる。

皆『人』には優しい神なのだが……精霊には優しくない。
「永き者達よ。貴方達は沢山、霊力があるでしょう……頑張りなさい……」と言って、精霊には霊力を貸してくれないのだ。
その為、その場にいるカド=ククナと、ラ=ヴィアは、水に入って霊力を提供した。
仕組みが整った後、イル=ナーダは長い祝詞の前半を必死に唱えて、無事、コル=ナーダの魂をプレートに呼ぶことができた。
……カド=ククナはカ=トゥーワとカ=ルーミーの仕事の速さに驚いた。
やはり頼んで正解だった、と……倒れながら思った。

その後、アリア=エルタが浄化の祝詞を唱え、彼女の力で浄化する。
浄化石が豊富にあれば、時間が掛かるが人間だけでも浄化が可能だ。
人間の場合はだいたい、一ヶ月。毎日、水の中に沈んだプレートに触れ、浄化の祝詞を唱えていく。
アリア=エルタは浄化の精霊なので、これがかなり早く済んだ、という訳だ。

■ ■ ■

――イル=ナーダは『魂呼びの祝詞』で霊力を使い果たし、コル=ナーダが戻り、黒いプレートに姿と名前が記されるのを見届けて、倒れた。
その後、カド=ククナ、ラ=ヴィアはアリア=エルタに後を任せ、水から上がってすぐ、倒れ込んで、眠りに落ちた。
そして最後に残り『浄化』を担当したアリア=エルタは水際で倒れ込み、これも眠った。

しばらく後、一番始めに気が付いたのは、イル=ナーダだった。
焦ったが、さほど時間は経っていない――のだろうか。
はっとして、周囲を見ると、死屍累々となっている。
カド=ククナの背中には誰がかけたのか、彼の祭司服がかぶせられていた。
カ=トゥーワか、カ=ルーミー、あるいは両方だろう。

光を感じ、水面を覗くと――そこには、コル=ナーダの銀プレートが輝いていた。
イル=ナーダは水が苦手と言う事も忘れ、手に取って、抱きしめ泣いて、大急ぎでリズに報告をした。

そして倒れ、ベッドで目を覚まして今、再び、戻って来たのだが――まだ皆、倒れていた。
「ククナ様……大丈夫ですか……」
イル=ナーダが床に寝転ぶククナに触れようとしたら、隣のラ=ヴィアが目を覚ました。
しばらく後、アリア=エルタも目を開けた。

「寝かせておいて」
ラ=ヴィアが、体を起こして言った。
「あ、はいッ! うぅ、ううっ! コルは、リズ隊長にあずけました……ううっ」
イル=ナーダは泣きながら、リズに『コル=ナーダ』のプレートを預けた事を伝えた。
イル=ナーダは自分の我が儘が大変な事態を引き起こした、という気がしてならない。
精霊のためにと決めたのはカド=ククナだが……羽を引き替えにするとは思わなかった。

「羽がないと、どうなるんですか……?」
「飛べなくなる。後は……傷が治らなくなる。主の傷は、いつでもクロスティアに戻ればすぐ治った。それはあの羽があったから……私達の羽とは違う。他にも。影響があるかもしれないけど、分からない」
ラ=ヴィアがカド=ククナを見下ろして、顔を歪めた。
ククナの背中にも頭にも羽は無い。
千切ったわけではないらしく、傷跡などは無いのだが、それがかえって痛ましい。
「うゎぁあん! 羽って、また生えてきますか!? 生えてきますよね!?」
イル=ナーダは言った。
「わからない……これから、主は、もっと、人に近くなる。主は、人になりたいの……?」
――ラ=ヴィアが涙をこぼした。

「代わってあげたい……」
ラ=ヴィアの悲痛な嘆きに、イル=ナーダはうつむいて、顔を歪め、耐えきれず、ラ=ヴィアに抱きついた。
「私も代わってあげたいです!!」
「――熱い」
ラ=ヴィアに言われて、イル=ナーダは慌てて離れた。
「あっ、すみませんっ!」
ラ=ヴィアはカド=ククナを抱えて立ち上がった。
「ベッドで休ませる。支度しろ」
「あ、はい、そうですね。隊長に伝えて、整えます!」

「私がいるのに……代償は、私で良かったのに……」
ラ=ヴィアの呟きが聞こえた。

■ ■ ■

リズがラ=ヴィアに呼ばれて部屋に入ると、プラグはベッドの上で体を起こして、本を読んでいた。
プラグはクロスティアの騎士が隊服の下に良く着る、半袖の黒い服を着ている。下は隊服のズボンだろう。
隊服のマントと赤紫の上着はテーブルの椅子に掛けてある。

「おはようございます。これをどうぞ」
プラグはリズに気付いて本を閉じ、そのまま差し出した。
差し出された――赤い本には古代ゼクナ語で表題が書かれていた。

「これは? 『エル・エミド』……? 何だ?」
リズは首を傾げて、本を受け取った。見た事の無い、真新しい本だ。

「これが新しい祝詞になります。名前は『エル・エミド』。写本が可能ですから、写して、浄化の水晶と一緒に他の国にあげてください。やり方も書いてあるので説明は不要ですが、まず、ミリルさんにやり方を覚えていただき、他の国に教える形でいいと思います。分配は任せます」
いきなり説明されて、リズはぎょっとした。
「――はぁ!? 何だって!? 新しい祝詞!?」
「ええ。そうですけど……?」
「新しいって、まさか作ったのか!?」
「はい、そうですけど……?」
こともなげに言っているが。
一見、普通の赤い本だが。たった二日か三日で、何も無いところからできる代物では無い。
これが『精霊がちょちょっと作った新しい祝詞』だと思うと……相当ヤバイ物だというのが、ひしひしと伝わってくる。
重さ以上に、ずっしりと重い。
リズは、この数日の経験で寿命が十年無くなりそうだ、と思った。
「……ぅぇええ……わかった……」
プラグは、下手したら何もかもひっくり返すような、とんでもない事をやってのけた。
「浄化の方法ができたので、今後は、黒プレートを破壊しないように、各国に通達をして下さると助かります」
「ぅっぇえ……わかった……」
リズは顔を歪めて答えた。
その他にも、プラグは長々と注意を説明したので、途中から紙に書かせながら聞いた。
書きにくいというので、エル・エミドを再びリズから借りて、下敷きにして書き出したときは、こいつ正気じゃねぇな、と確信した。

プラグ曰く、エル・エミドには不正防止策が付けられていて、魂呼びや浄化の対価として、金銭や報酬を受け取った場合は効果が働かない。
また政治の道具として使った場合、邪な気持ちで使った場合も、効果は発揮されない。

リズがどうなっているのか、と尋ねると、プラグは苦笑した。
「これは、とても簡単な仕組みで、不正を見抜いているのは力を貸してくれた精霊神――亜神(あしん)とも言いますが――カ=トゥーワと、カ=ルーミーです。彼等が気に入らないと思えば、魂(レフル)探しにも、浄化にも協力してくれません。ですが、ここまでしても、政治の道具にならないとは限りません。人のする事ですから。とりあえず水晶は十個作ってありますが――いつかこの祝詞が必要無くなるまで、三国の聖女教会に一つずつ任せるのがいいと思います。プレートの浄化を必要とする方がいたら、どの国でも分け隔てなく、敵対していても、受け入れるようにして下さい。結果として、教会の権威が高まってしまっても、戦争の火種になっても、俺は関知できません。国王陛下と相談して、慎重に使って下さい」
喋りながら、プラグは淀みなく手を動かしている。
紙には諸注意が、プラグが喋っている内容とは違う順番で、分かりやすく箇条書きされている。
リズはコイツ本当に人間じゃねぇんだな、と初めて実感した。

「どうぞ」
リズはプラグから本と注意書きを受け取った。
そして筆跡を見てさらに眉を顰めた。これは明らかに……優しい、女の字だ。
バレないために筆跡まで変えるとは……おそらく、いざとなったらアメルのせいにするつもりだろうが、呆れるほか無い。
「うぇええ……わかったよ……っとに……。本当ならお前が説明しろって話だぜ。あー。わかったよ、やってやる。巫女が皆、腰を抜かしそうだが。はははっ……困ったらその都度、相談する。で、具合はいいのか? ラ=ヴィア達はプレートに戻してあるが――ん? そういや、お前って誰かと契約してんのか?」
テーブルの上にはラ=ヴィア、ナダ=エルタ、イル=ナーダ、コル=ナーダのプレートが並んでいる。
プラグは一応、プレートのある精霊だ。となると、誰かと契約できるはず……。こんなヤバい精霊を野放しにするのは危険なので、リズはいっそ自分が契約するかと思ったのだが。
「ああ、契約は、カルタの巫女としています。そのうち会えるはずです。俺が、精霊騎士になれたらの話ですが……」
リズは返答に困った。精霊騎士になれたら、も何も、訓練課程なんてコイツにとってはお遊びだろう。
実力はもう十分だし、手加減していてやりにくそうなので、精霊剣の実技が終わった辺りで、プラグとシオウは一気に厳しくする。
――候補生の間に、更に強くなれるように、即戦力となれるように、極限まで鍛える予定だ。

実際、のんびり育てている余裕は無い。
……近く、セラ国とディアティル帝国の間で、戦争が起きる。
下手したら、プラグ達が卒業するまで保たないかもしれない。
まだ表立った衝突は無いが、水面下では精霊使いによる侵攻が始まっていて、頻繁に救援要請があり、今も、若手を除いた十五人がセラ国に常駐している。
セラ国はストラヴェルの北隣にある国で、同盟国だ。武力衝突があれば支援せざるを得ない。軍隊は勿論、クロスティアの騎士もかり出される。
現状ではまだ……ストラヴェル国王プロノアは、全面戦争の回避に奔走している。策はいくつかあって、それが上手く行けば回避されるが、駄目なら戦争だ。
プラグが用意した浄化の祝詞と水晶は、早速、戦争の道具になるのだろう。

(それとも、和平の証になるか……?)
リズは国王の策を聞いている。
――そんなに上手く行くかぁ? という策だが。可能性はある。

「はぁ。ま……もうあと十ヶ月か。知らん。……ところで、その巫女って美人か?」
リズは未来に丸投げして、どうでも良い事を聞いた。

「ええ、金髪青目の美人です。ちょっと性格に癖がありますが、程々に厳しく、程々に優しい女性です」
プラグが苦笑した。
リズは眉を上げた。
金髪青目で、美人で、優しくて、厳しくて、性格に癖がある女性?
リズは、なんとなく好みな予感がした。
「ほお!? 胸はでかいか? 身長は? 髪型は?」
「え……そうですね……髪型は、長い髪を二つに分けて三つ編みして、それを首の後ろでこのくらいの輪にして、青いリボンで結んでいる事が多いかな。解いているときもあります」
プラグが自分の両耳の後ろで、このくらい、と両手の指を動かし二つの輪を作った。
「へぇ。いいじゃねぇか。で、胸は?」
「胸は普通より……だいぶ大きいと思います……身長も、俺より少し高くて――ああ、いえ。気にしないで下さい」
プラグが言って、はっとした。余計な事を言ってしまった、という顔だ。あと、リズの胸と比べたのが分かった。まあそれで動じるリズでも無い。
「なるほど、胸のでかい、いい女なんだな。よし、楽しみが増えた。それでお前、いつ戻れそうだ? まだかかるようなら『リーオに密室でキスされて移された風邪が、治ったと思ったら悪化して、もう少し延長』ってことにしてやるが。ま、実際そうなってんだが」
リズの言葉にプラグが固まった。
「え……」
「戻って来ないと、隊士達は信じるだろうな。心の傷が深いとか何とか」
「えっ……ちょっと、それは困ります!」
「あー敬語、使う奴は嫌いだなぁ?」
「……う……困る。とても困る、から、もう戻ります、療養なら宿舎でもいいし……風邪なら、空き部屋とか、医務室で……」
「ああ、まあそれでいいならそれで。部屋は余ってるからな。じゃあ、水晶っての見てくるから、支度しとけ。あ。見本に一個、借りてもいいか? 実物あった方が信じるだろ」
「ええ、どうぞ」
水晶はまだ水の祭壇に置いたままだ。とりあえず水に沈めてあるらしい。行き先が決まるまではそのまま置いておくのがいいだろう――と考え、リズは扉を開けた。
ところが。

どた。
という音がして、リズは振り返った。

プラグが不自然な体勢で、ベッドから落ちていた。
「ちょ、大丈夫か!?」
リズは慌てて本を置き、プラグを起こした。
「いえ……あれ?」
プラグは座り込んで、床に手をついて体を支えている。
「寝てろ」
リズは立たせようとしたのだが――プラグは何故か、床に向かって頭を落とした。
がつん、と音がして、また不自然に、手を突こうとして、失敗した。
自分から頭をぶつけたようには見えない。頭が落ちた、という表現が正しい。
「何やってんだ? おい?」
リズは慌ててプラグの肩を引き上げた。
「ちょっと、あれ……立ちます、手を貸して下さい」
「お前、寝た方がいいぞ……!? 一回座れ」
リズは言いながらも、注意深く支えて起こした。プラグの背中を支えて、一度、ベッドに座らせる。
プラグは、難しそうな顔をしてリズに「ちょっと歩きますから、転んだら支えて下さい」と言った。
「いや、寝とけ!」
「今から、扉まで真っ直ぐ歩きます……」
プラグは言って、立ち上がったのだが。一歩目から方向がおかしかった。右壁に向かって歩いたと思ったら、立ち止まり、今度は正面の壁に向かって歩いた。しかし途中で、体が揺れて、また、頭から倒れかけたので……リズは思わず手を出した。
「お前どうした? 一旦、横になれ……!」
リズはプラグの体を横抱きにして、持ち上げ、問答無用でベッドに寝かせた。掛け布団をかける。

「……ううん。こうなるのか……困ったな」
プラグは右手で側頭部を押さえて何やら考えている。
「疲れてるのか? 『治療』を使うか? 聖女を呼ぶか?」
「いえ……実は……祝詞を作った時に、羽を無くしてしまって。上手くバランスが取れないみたいです。たぶん、練習すれば治ると思いますが、他にどんな影響があるか……」
「どういうことだ? 羽を無くした? 説明しろ」
リズは眉を顰めて、詳しく聞いた。
するとプラグが少しこちらを向いた。
「……亜神に何かを頼むときは、代償として、何かを差し出す必要があります。俺はあまり羽を使っていなかったから、トゥーワに頭の羽を、ルーミーに背中の羽を渡しました。飛べなくなるのは当然ですが、他にどんな影響があるかは、良く分かりません。もしかしたら、精霊術も、上手く使えないかもしれない」
プラグの言葉にリズは、ぞっとした。
こともなげに言うが、それは……『失った』と言う事だろう。
羽を持つ精霊も持たない精霊もいるが。元々あったものを無くすというのは、腕を無くすのと同じでは無いのか?

リズは焦った。
「お前、そんなことしたのか……!? まさか、自分を生贄にしたってことか?」
「いえ、そこまででは……二人とは知り合いだし、羽だけで大丈夫、と言う確信がありました」
「そういう問題じゃ無い……!」
――イルが泣いていた理由が分かった。自分のせいで、プラグが傷付いたと思ったのだ。
「でも、しばらく練習したら、なんとかなるかも」
「だから、そういう問題じゃ無い……! はぁあ……!?」
リズは頭を抱えた。
誰かこいつに常識を教えるやつはいなかったのか。リズもよく常識外れと言われるが、常識が何か、くらいは知っている。リズは自分を真面目だと思っているし、間違っているのは常識の方だと思っている。結局、数で決めているのだから。
――というのは、人間の理屈だったらしい。
目の前に寝ている、人間らしく見える子供は、そもそも人間では無く。自分が何をしでかしたのか、まるで理解していない。
「この馬鹿が……! それはやっちゃいけない事だ!」
リズは、いつか『マルダ』に言われた言葉を、自分が使う羽目になるとは思わなかった。
プラグはあの時のリズのように、目を丸くして、不思議そうに見上げている。
そして言うのだ。
「何故ですか? 俺は自分で選びました。精霊をそのままにすることはできない」

リズは、殴ってやろうかと思い、ぐっと堪えた。相手は病人だ。
これも……あの時と同じだ。

(――あの時、マルダはどうしてくれた?)
リズは縮れた黒髪の女性を思い出した。
マルダはリズを抱きしめて。悲しげな顔で、ありがとう、と言ってくれた。

「……」
リズは歯を食いしばって、床に片膝を突いて、プラグの手をしっかり掴んだ。
こんなに悔しかった事は無い。リズは何一つ。マルダから学んでいなかった。
そして、コイツは孤独なやつなのだと気が付いた。あの頃のリズのように。大切な物に気づいていない。リズはやけくそになった。

「……クソ! ありがとうよ。……お前、騎士にならなくても良いのか?」
「まだ諦めた訳じゃありません」
プラグの返答にリズは舌打ちした。
「そうまでして、なりたい理由があるのか?」
「――ええ。……眠って良いですか?」
「駄目だ。聞かせろ……!」
リズは手を強く握って、脅迫した。
「今はまだ……あるいはずっと……話せないかも……」
「いつか話せるのか?」
プラグは答えない。
「いつか話せるなら。協力してやる。お前がここにいるのは、ここがその目的に必要だからなんだろう? だが、精霊は知っているのに、人間には話せないって事は、人間にとってあまり良い目的じゃない……違うか?」
リズの言葉に、プラグは少し表情を動かした。
「……ええ。そうです」
どこかほっとしたような目だった。当てずっぽうだったが、良い線を行ったらしい。

「あなたは本当に賢い人だ……」
プラグは呟き、目を閉じて、すぐに眠ってしまった。
安心しきった様子なのが、また、腹が立つ。寝顔は腹が立つほど綺麗で穏やかだ。
リズは息を吐いて、掴んでいた手を放して、手を伸ばしてやり、掛布を肩まで引き上げた。
……リズは上手く行けばいいくらいの気持ちでいた。
プラグがどういう気持ちで、切実に結果を望んでいたのか。まるで分かっていなかった。
「イル。コルを借りてくぞ。これがありゃ十分だ!」
リズはコル=ナーダを手に取り、後は置いて部屋を出た。

回廊を闊歩しながら、リズは生まれて初めて『責任』と言う物を感じていた。

あれこれ言われようが、必ずプラグの言った通りにする。しなければならない。
……『エル・エミド』を今の状況で出せば、必ず政治が絡んでくる。
だったらいっそ見せなければいいのだ。
『浄化の巫女アメル』が、画期的な方法で黒プレートを浄化した――これでいく。
どうせジジイ達には分からない。
リズが聞いていても『?』という言葉が沢山あったのだ。精霊神――『亜神(あしん)』と言うのも初めて聞いた。それを呼び出す精霊がただ者である筈が無い。友人だと言っていたから、同じようなものかもしれない。
国王に報告の後、ミリルを通じて、セラとヒュリスの聖女教会に直接連絡をする。写本ができたらまず三国に水晶を付けて渡す。残りの水晶はストラヴェルで厳重に保管して、時期が来たら分配。それまでは三国に黒プレートを集める。
魔霊を人の手で浄化できるなんて、最高の結果だ。

(くそっ、また借りを作っちまった……!)
リズの計算では、プラグが精霊である事、アメルや精霊達との事を黙っておく、くらいで済むはずだった。
勿論、何か望みがあるなら、何でも協力しようと思っていた。
ところが予想を超えて来た。あれは絶対、初めから計算ずくだ。
リズはプラグが何の精霊か、考えないようにしてやったのに。あちらはこちらを利用してくる。ぱっと見た目や、穏やかな物腰に騙されやすいが――プラグ・カルタは狡猾な精霊だ。
この借りはそのうち、返す日が来るだろう。百発の拳を付けて。

(お礼に、徹底的に扱いてやる。感謝しろよ……!)
リズは舌なめずりしながら、頭の中で、訓練課程の見直しを始めた。



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水晶には補助として、カド=ククナとラ=ヴィアの尻尾が巻き付けられている。
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精霊に縁のある人か、縁のある精霊が黒プレートを水に沈め、水に手を浸すか、水の中に入るかして『エル・ミエド』の祝詞を読み上げる。
イル=ナーダは火の精霊だったので、水晶につないであるしっぽを水の外に出し、そのしっぽを手に持って、祝詞を読み上げた。対策は万全だ。
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しかし――亜神のなかでも、二人は『だいぶ意地が悪い神』になる。
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霊力の借り処として『太陽の神ニーナ』と『月の神クレス』が選ばれた。
カ=ルーミー、カ=トゥーワ曰く、いつでも助けてくれる優しい神、けれど暇をしている、霊力が余っている、となればこの二柱しかいない、とのことだった。
長い長い長い祝詞は、ほとんどが、この二人の神に力を借りるための物だった。
祝詞には、一応、予備として、性格の良い神、三柱の名前も加わっている。
『大気の神パーリー』『時の神ムル』『砂の神アルマ』……万一、ニーナとクレスが不在の時は、この三柱にも力を借りる。
皆『人』には優しい神なのだが……精霊には優しくない。
「永き者達よ。貴方達は沢山、霊力があるでしょう……頑張りなさい……」と言って、精霊には霊力を貸してくれないのだ。
その為、その場にいるカド=ククナと、ラ=ヴィアは、水に入って霊力を提供した。
仕組みが整った後、イル=ナーダは長い祝詞の前半を必死に唱えて、無事、コル=ナーダの魂をプレートに呼ぶことができた。
……カド=ククナはカ=トゥーワとカ=ルーミーの仕事の速さに驚いた。
やはり頼んで正解だった、と……倒れながら思った。
その後、アリア=エルタが浄化の祝詞を唱え、彼女の力で浄化する。
浄化石が豊富にあれば、時間が掛かるが人間だけでも浄化が可能だ。
人間の場合はだいたい、一ヶ月。毎日、水の中に沈んだプレートに触れ、浄化の祝詞を唱えていく。
アリア=エルタは浄化の精霊なので、これがかなり早く済んだ、という訳だ。
■ ■ ■
――イル=ナーダは『魂呼びの祝詞』で霊力を使い果たし、コル=ナーダが戻り、黒いプレートに姿と名前が記されるのを見届けて、倒れた。
その後、カド=ククナ、ラ=ヴィアはアリア=エルタに後を任せ、水から上がってすぐ、倒れ込んで、眠りに落ちた。
そして最後に残り『浄化』を担当したアリア=エルタは水際で倒れ込み、これも眠った。
しばらく後、一番始めに気が付いたのは、イル=ナーダだった。
焦ったが、さほど時間は経っていない――のだろうか。
はっとして、周囲を見ると、死屍累々となっている。
カド=ククナの背中には誰がかけたのか、彼の祭司服がかぶせられていた。
カ=トゥーワか、カ=ルーミー、あるいは両方だろう。
光を感じ、水面を覗くと――そこには、コル=ナーダの銀プレートが輝いていた。
イル=ナーダは水が苦手と言う事も忘れ、手に取って、抱きしめ泣いて、大急ぎでリズに報告をした。
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「ククナ様……大丈夫ですか……」
イル=ナーダが床に寝転ぶククナに触れようとしたら、隣のラ=ヴィアが目を覚ました。
しばらく後、アリア=エルタも目を開けた。
「寝かせておいて」
ラ=ヴィアが、体を起こして言った。
「あ、はいッ! うぅ、ううっ! コルは、リズ隊長にあずけました……ううっ」
イル=ナーダは泣きながら、リズに『コル=ナーダ』のプレートを預けた事を伝えた。
イル=ナーダは自分の我が儘が大変な事態を引き起こした、という気がしてならない。
精霊のためにと決めたのはカド=ククナだが……羽を引き替えにするとは思わなかった。
「羽がないと、どうなるんですか……?」
「飛べなくなる。後は……傷が治らなくなる。主の傷は、いつでもクロスティアに戻ればすぐ治った。それはあの羽があったから……私達の羽とは違う。他にも。影響があるかもしれないけど、分からない」
ラ=ヴィアがカド=ククナを見下ろして、顔を歪めた。
ククナの背中にも頭にも羽は無い。
千切ったわけではないらしく、傷跡などは無いのだが、それがかえって痛ましい。
「うゎぁあん! 羽って、また生えてきますか!? 生えてきますよね!?」
イル=ナーダは言った。
「わからない……これから、主は、もっと、人に近くなる。主は、人になりたいの……?」
――ラ=ヴィアが涙をこぼした。
「代わってあげたい……」
ラ=ヴィアの悲痛な嘆きに、イル=ナーダはうつむいて、顔を歪め、耐えきれず、ラ=ヴィアに抱きついた。
「私も代わってあげたいです!!」
「――熱い」
ラ=ヴィアに言われて、イル=ナーダは慌てて離れた。
「あっ、すみませんっ!」
ラ=ヴィアはカド=ククナを抱えて立ち上がった。
「ベッドで休ませる。支度しろ」
「あ、はい、そうですね。隊長に伝えて、整えます!」
「私がいるのに……代償は、私で良かったのに……」
ラ=ヴィアの呟きが聞こえた。
■ ■ ■
リズがラ=ヴィアに呼ばれて部屋に入ると、プラグはベッドの上で体を起こして、本を読んでいた。
プラグはクロスティアの騎士が隊服の下に良く着る、半袖の黒い服を着ている。下は隊服のズボンだろう。
隊服のマントと赤紫の上着はテーブルの椅子に掛けてある。
「おはようございます。これをどうぞ」
プラグはリズに気付いて本を閉じ、そのまま差し出した。
差し出された――赤い本には古代ゼクナ語で表題が書かれていた。
「これは? 『エル・エミド』……? 何だ?」
リズは首を傾げて、本を受け取った。見た事の無い、真新しい本だ。
「これが新しい祝詞になります。名前は『エル・エミド』。写本が可能ですから、写して、浄化の水晶と一緒に他の国にあげてください。やり方も書いてあるので説明は不要ですが、まず、ミリルさんにやり方を覚えていただき、他の国に教える形でいいと思います。分配は任せます」
いきなり説明されて、リズはぎょっとした。
「――はぁ!? 何だって!? 新しい祝詞!?」
「ええ。そうですけど……?」
「新しいって、まさか作ったのか!?」
「はい、そうですけど……?」
こともなげに言っているが。
一見、普通の赤い本だが。たった二日か三日で、何も無いところからできる代物では無い。
これが『精霊がちょちょっと作った新しい祝詞』だと思うと……相当ヤバイ物だというのが、ひしひしと伝わってくる。
重さ以上に、ずっしりと重い。
リズは、この数日の経験で寿命が十年無くなりそうだ、と思った。
「……ぅぇええ……わかった……」
プラグは、下手したら何もかもひっくり返すような、とんでもない事をやってのけた。
「浄化の方法ができたので、今後は、黒プレートを破壊しないように、各国に通達をして下さると助かります」
「ぅっぇえ……わかった……」
リズは顔を歪めて答えた。
その他にも、プラグは長々と注意を説明したので、途中から紙に書かせながら聞いた。
書きにくいというので、エル・エミドを再びリズから借りて、下敷きにして書き出したときは、こいつ正気じゃねぇな、と確信した。
プラグ曰く、エル・エミドには不正防止策が付けられていて、魂呼びや浄化の対価として、金銭や報酬を受け取った場合は効果が働かない。
また政治の道具として使った場合、邪な気持ちで使った場合も、効果は発揮されない。
リズがどうなっているのか、と尋ねると、プラグは苦笑した。
「これは、とても簡単な仕組みで、不正を見抜いているのは力を貸してくれた精霊神――亜神(あしん)とも言いますが――カ=トゥーワと、カ=ルーミーです。彼等が気に入らないと思えば、魂(レフル)探しにも、浄化にも協力してくれません。ですが、ここまでしても、政治の道具にならないとは限りません。人のする事ですから。とりあえず水晶は十個作ってありますが――いつかこの祝詞が必要無くなるまで、三国の聖女教会に一つずつ任せるのがいいと思います。プレートの浄化を必要とする方がいたら、どの国でも分け隔てなく、敵対していても、受け入れるようにして下さい。結果として、教会の権威が高まってしまっても、戦争の火種になっても、俺は関知できません。国王陛下と相談して、慎重に使って下さい」
喋りながら、プラグは淀みなく手を動かしている。
紙には諸注意が、プラグが喋っている内容とは違う順番で、分かりやすく箇条書きされている。
リズはコイツ本当に人間じゃねぇんだな、と初めて実感した。
「どうぞ」
リズはプラグから本と注意書きを受け取った。
そして筆跡を見てさらに眉を顰めた。これは明らかに……優しい、女の字だ。
バレないために筆跡まで変えるとは……おそらく、いざとなったらアメルのせいにするつもりだろうが、呆れるほか無い。
「うぇええ……わかったよ……っとに……。本当ならお前が説明しろって話だぜ。あー。わかったよ、やってやる。巫女が皆、腰を抜かしそうだが。はははっ……困ったらその都度、相談する。で、具合はいいのか? ラ=ヴィア達はプレートに戻してあるが――ん? そういや、お前って誰かと契約してんのか?」
テーブルの上にはラ=ヴィア、ナダ=エルタ、イル=ナーダ、コル=ナーダのプレートが並んでいる。
プラグは一応、プレートのある精霊だ。となると、誰かと契約できるはず……。こんなヤバい精霊を野放しにするのは危険なので、リズはいっそ自分が契約するかと思ったのだが。
「ああ、契約は、カルタの巫女としています。そのうち会えるはずです。俺が、精霊騎士になれたらの話ですが……」
リズは返答に困った。精霊騎士になれたら、も何も、訓練課程なんてコイツにとってはお遊びだろう。
実力はもう十分だし、手加減していてやりにくそうなので、精霊剣の実技が終わった辺りで、プラグとシオウは一気に厳しくする。
――候補生の間に、更に強くなれるように、即戦力となれるように、極限まで鍛える予定だ。
実際、のんびり育てている余裕は無い。
……近く、セラ国とディアティル帝国の間で、戦争が起きる。
下手したら、プラグ達が卒業するまで保たないかもしれない。
まだ表立った衝突は無いが、水面下では精霊使いによる侵攻が始まっていて、頻繁に救援要請があり、今も、若手を除いた十五人がセラ国に常駐している。
セラ国はストラヴェルの北隣にある国で、同盟国だ。武力衝突があれば支援せざるを得ない。軍隊は勿論、クロスティアの騎士もかり出される。
現状ではまだ……ストラヴェル国王プロノアは、全面戦争の回避に奔走している。策はいくつかあって、それが上手く行けば回避されるが、駄目なら戦争だ。
プラグが用意した浄化の祝詞と水晶は、早速、戦争の道具になるのだろう。
(それとも、和平の証になるか……?)
リズは国王の策を聞いている。
――そんなに上手く行くかぁ? という策だが。可能性はある。
「はぁ。ま……もうあと十ヶ月か。知らん。……ところで、その巫女って美人か?」
リズは未来に丸投げして、どうでも良い事を聞いた。
「ええ、金髪青目の美人です。ちょっと性格に癖がありますが、程々に厳しく、程々に優しい女性です」
プラグが苦笑した。
リズは眉を上げた。
金髪青目で、美人で、優しくて、厳しくて、性格に癖がある女性?
リズは、なんとなく好みな予感がした。
「ほお!? 胸はでかいか? 身長は? 髪型は?」
「え……そうですね……髪型は、長い髪を二つに分けて三つ編みして、それを首の後ろでこのくらいの輪にして、青いリボンで結んでいる事が多いかな。解いているときもあります」
プラグが自分の両耳の後ろで、このくらい、と両手の指を動かし二つの輪を作った。
「へぇ。いいじゃねぇか。で、胸は?」
「胸は普通より……だいぶ大きいと思います……身長も、俺より少し高くて――ああ、いえ。気にしないで下さい」
プラグが言って、はっとした。余計な事を言ってしまった、という顔だ。あと、リズの胸と比べたのが分かった。まあそれで動じるリズでも無い。
「なるほど、胸のでかい、いい女なんだな。よし、楽しみが増えた。それでお前、いつ戻れそうだ? まだかかるようなら『リーオに密室でキスされて移された風邪が、治ったと思ったら悪化して、もう少し延長』ってことにしてやるが。ま、実際そうなってんだが」
リズの言葉にプラグが固まった。
「え……」
「戻って来ないと、隊士達は信じるだろうな。心の傷が深いとか何とか」
「えっ……ちょっと、それは困ります!」
「あー敬語、使う奴は嫌いだなぁ?」
「……う……困る。とても困る、から、もう戻ります、療養なら宿舎でもいいし……風邪なら、空き部屋とか、医務室で……」
「ああ、まあそれでいいならそれで。部屋は余ってるからな。じゃあ、水晶っての見てくるから、支度しとけ。あ。見本に一個、借りてもいいか? 実物あった方が信じるだろ」
「ええ、どうぞ」
水晶はまだ水の祭壇に置いたままだ。とりあえず水に沈めてあるらしい。行き先が決まるまではそのまま置いておくのがいいだろう――と考え、リズは扉を開けた。
ところが。
どた。
という音がして、リズは振り返った。
プラグが不自然な体勢で、ベッドから落ちていた。
「ちょ、大丈夫か!?」
リズは慌てて本を置き、プラグを起こした。
「いえ……あれ?」
プラグは座り込んで、床に手をついて体を支えている。
「寝てろ」
リズは立たせようとしたのだが――プラグは何故か、床に向かって頭を落とした。
がつん、と音がして、また不自然に、手を突こうとして、失敗した。
自分から頭をぶつけたようには見えない。頭が落ちた、という表現が正しい。
「何やってんだ? おい?」
リズは慌ててプラグの肩を引き上げた。
「ちょっと、あれ……立ちます、手を貸して下さい」
「お前、寝た方がいいぞ……!? 一回座れ」
リズは言いながらも、注意深く支えて起こした。プラグの背中を支えて、一度、ベッドに座らせる。
プラグは、難しそうな顔をしてリズに「ちょっと歩きますから、転んだら支えて下さい」と言った。
「いや、寝とけ!」
「今から、扉まで真っ直ぐ歩きます……」
プラグは言って、立ち上がったのだが。一歩目から方向がおかしかった。右壁に向かって歩いたと思ったら、立ち止まり、今度は正面の壁に向かって歩いた。しかし途中で、体が揺れて、また、頭から倒れかけたので……リズは思わず手を出した。
「お前どうした? 一旦、横になれ……!」
リズはプラグの体を横抱きにして、持ち上げ、問答無用でベッドに寝かせた。掛け布団をかける。
「……ううん。こうなるのか……困ったな」
プラグは右手で側頭部を押さえて何やら考えている。
「疲れてるのか? 『治療』を使うか? 聖女を呼ぶか?」
「いえ……実は……祝詞を作った時に、羽を無くしてしまって。上手くバランスが取れないみたいです。たぶん、練習すれば治ると思いますが、他にどんな影響があるか……」
「どういうことだ? 羽を無くした? 説明しろ」
リズは眉を顰めて、詳しく聞いた。
するとプラグが少しこちらを向いた。
「……亜神に何かを頼むときは、代償として、何かを差し出す必要があります。俺はあまり羽を使っていなかったから、トゥーワに頭の羽を、ルーミーに背中の羽を渡しました。飛べなくなるのは当然ですが、他にどんな影響があるかは、良く分かりません。もしかしたら、精霊術も、上手く使えないかもしれない」
プラグの言葉にリズは、ぞっとした。
こともなげに言うが、それは……『失った』と言う事だろう。
羽を持つ精霊も持たない精霊もいるが。元々あったものを無くすというのは、腕を無くすのと同じでは無いのか?
リズは焦った。
「お前、そんなことしたのか……!? まさか、自分を生贄にしたってことか?」
「いえ、そこまででは……二人とは知り合いだし、羽だけで大丈夫、と言う確信がありました」
「そういう問題じゃ無い……!」
――イルが泣いていた理由が分かった。自分のせいで、プラグが傷付いたと思ったのだ。
「でも、しばらく練習したら、なんとかなるかも」
「だから、そういう問題じゃ無い……! はぁあ……!?」
リズは頭を抱えた。
誰かこいつに常識を教えるやつはいなかったのか。リズもよく常識外れと言われるが、常識が何か、くらいは知っている。リズは自分を真面目だと思っているし、間違っているのは常識の方だと思っている。結局、数で決めているのだから。
――というのは、人間の理屈だったらしい。
目の前に寝ている、人間らしく見える子供は、そもそも人間では無く。自分が何をしでかしたのか、まるで理解していない。
「この馬鹿が……! それはやっちゃいけない事だ!」
リズは、いつか『マルダ』に言われた言葉を、自分が使う羽目になるとは思わなかった。
プラグはあの時のリズのように、目を丸くして、不思議そうに見上げている。
そして言うのだ。
「何故ですか? 俺は自分で選びました。精霊をそのままにすることはできない」
リズは、殴ってやろうかと思い、ぐっと堪えた。相手は病人だ。
これも……あの時と同じだ。
(――あの時、マルダはどうしてくれた?)
リズは縮れた黒髪の女性を思い出した。
マルダはリズを抱きしめて。悲しげな顔で、ありがとう、と言ってくれた。
「……」
リズは歯を食いしばって、床に片膝を突いて、プラグの手をしっかり掴んだ。
こんなに悔しかった事は無い。リズは何一つ。マルダから学んでいなかった。
そして、コイツは孤独なやつなのだと気が付いた。あの頃のリズのように。大切な物に気づいていない。リズはやけくそになった。
「……クソ! ありがとうよ。……お前、騎士にならなくても良いのか?」
「まだ諦めた訳じゃありません」
プラグの返答にリズは舌打ちした。
「そうまでして、なりたい理由があるのか?」
「――ええ。……眠って良いですか?」
「駄目だ。聞かせろ……!」
リズは手を強く握って、脅迫した。
「今はまだ……あるいはずっと……話せないかも……」
「いつか話せるのか?」
プラグは答えない。
「いつか話せるなら。協力してやる。お前がここにいるのは、ここがその目的に必要だからなんだろう? だが、精霊は知っているのに、人間には話せないって事は、人間にとってあまり良い目的じゃない……違うか?」
リズの言葉に、プラグは少し表情を動かした。
「……ええ。そうです」
どこかほっとしたような目だった。当てずっぽうだったが、良い線を行ったらしい。
「あなたは本当に賢い人だ……」
プラグは呟き、目を閉じて、すぐに眠ってしまった。
安心しきった様子なのが、また、腹が立つ。寝顔は腹が立つほど綺麗で穏やかだ。
リズは息を吐いて、掴んでいた手を放して、手を伸ばしてやり、掛布を肩まで引き上げた。
……リズは上手く行けばいいくらいの気持ちでいた。
プラグがどういう気持ちで、切実に結果を望んでいたのか。まるで分かっていなかった。
「イル。コルを借りてくぞ。これがありゃ十分だ!」
リズはコル=ナーダを手に取り、後は置いて部屋を出た。
回廊を闊歩しながら、リズは生まれて初めて『責任』と言う物を感じていた。
あれこれ言われようが、必ずプラグの言った通りにする。しなければならない。
……『エル・エミド』を今の状況で出せば、必ず政治が絡んでくる。
だったらいっそ見せなければいいのだ。
『浄化の巫女アメル』が、画期的な方法で黒プレートを浄化した――これでいく。
どうせジジイ達には分からない。
リズが聞いていても『?』という言葉が沢山あったのだ。精霊神――『亜神(あしん)』と言うのも初めて聞いた。それを呼び出す精霊がただ者である筈が無い。友人だと言っていたから、同じようなものかもしれない。
国王に報告の後、ミリルを通じて、セラとヒュリスの聖女教会に直接連絡をする。写本ができたらまず三国に水晶を付けて渡す。残りの水晶はストラヴェルで厳重に保管して、時期が来たら分配。それまでは三国に黒プレートを集める。
魔霊を人の手で浄化できるなんて、最高の結果だ。
(くそっ、また借りを作っちまった……!)
リズの計算では、プラグが精霊である事、アメルや精霊達との事を黙っておく、くらいで済むはずだった。
勿論、何か望みがあるなら、何でも協力しようと思っていた。
ところが予想を超えて来た。あれは絶対、初めから計算ずくだ。
リズはプラグが何の精霊か、考えないようにしてやったのに。あちらはこちらを利用してくる。ぱっと見た目や、穏やかな物腰に騙されやすいが――プラグ・カルタは狡猾な精霊だ。
この借りはそのうち、返す日が来るだろう。百発の拳を付けて。
(お礼に、徹底的に扱いてやる。感謝しろよ……!)
リズは舌なめずりしながら、頭の中で、訓練課程の見直しを始めた。