プラグは控えの間にマントを置いて、上着とブーツを脱いだ。
ラ=ヴィアは早速、実体化している。
プラグは首を傾げた。
「戻ると結局、着ていた服は無くなるんだが、何処へ行くんだろうな、『リーカ』が記憶しているみたいだが……」
精霊の姿に戻ったとき、それまで着ていた服は消え、また人に戻ると、戻ってくる。
だから脱ぐ必要はないのだが、マントは邪魔だ。水浸しの部屋なら、外を歩いた靴では、水や床が汚れるだけだ。
ラ=ヴィアも首を傾げた。『リーカ』という言葉には『虚像』『記録』という意味があり、プラグにもそれが何かはよく分からない。この世界の、知恵の集合体、情報の記録、意識の集まり。存在は感じる物の、定義は曖昧で、哲学的だ。
ラ=ヴィアが首を傾げる。
「リズは、いいやつ?」
「ああ、凄い女性だな。終わったら、お礼にいっぱい、美味しいケーキを作って渡そう」
「み!」
「外は誰もいないか?」
「……み! いない。リズだけ」
プラグは裸足になって、廊下に出た。部屋で精霊になっても良かったのだが。城の誰かが見ている可能性もある。――廊下へ出る際、再びマントを羽織って顔を隠すのも考えたが。ここはもうリズを信じようと思った。
軽やかに扉を開ける。
中は本当に『水の祭壇』だった。
「……!」
広い屋内の、奥の壁一面に滝があり、端には小さな噴水があり、柱が何本もある。天井は高く、天窓からは優しい光が差し込んでいた。
部屋の端には外へ続く水路があり、水は常に流れている。
入ってすぐは大理石の床。少し離れて、平たい階段が二段あり、そこから先は、十メルト程先の滝まで、浅く水が張ってある。傾斜がついているようで水深は奥へ行くほど深そうだ。水の底にはおびただしい数の精霊結晶(フィカセラム)が沈んでいる。
振り返ると、小さな池がある。これが禊ぎ用の池だろう。
「これはすごい……」
思ったより広い部屋――空間だった。
「きれい……! 好き!」
ラ=ヴィアが言った。ラ=ヴィアは鏡一族だが、水一族に近い精霊であるので、目を輝かせている。
「ここは、イルはちょっと苦手かもな。イル……? 聞こえるか?」
イル=ナーダはプレートに収まった状態で、持ち主から事情を説明してもらったらしいが、出てこない。
プラグは苦笑した。
「ここからか」
「――アリア=エルタ、どこ?」
ラ=ヴィアが言った。
「ここにおります」
浅い水の中から精霊が出て来た。上がる途中で実体化し、質量を持った。
アリア=エルタは、長い水色の髪に、灰色の瞳。泣いているような入れ墨を持つ女性精霊だ。額の右側で振り分けた長い前髪と、切れ長の瞳を持つ美女で、胸の空いた白いドレスを纏っている。髪には白い蓮の髪飾りがある。
アリアは大理石の中央まで進み出て、膝をついて頭を下げた。
「ククナ様。おひさしぶりです……」
「アリア……。君は、昔のままなんだな……? 記憶があるのか」
プラグの言葉にアリアが頷いた。
「ええ、覚えております。このクレナ湖が私達、水一族の多くを守ってくれました。こちらの水は、そちらから引いており、国一の純度を誇っています。お会いできて……本当に、嬉しいです」
アリアが涙ぐむ。
「本当に……。さ、立ってくれ。さて、コルの浄化をするんだが……まずはイルを呼ばないと」
「ここはイルには少し、居心地が悪いかも。起きて下さいー?」
アリアが言った。
「イル……起きろー、イルー。だめか。これは元に戻って引き出した方が早いか。禊ぎをするから、その、ちょっと、見ないで欲しい……」
「畏まりました。本当は興味津々ですが。見ないでおきます。そちらの池をお使い下さい」
アリアがにっこりと笑って、後方の池を示す。
「手順と祝詞はラ=ヴィアに教えてあるから、聞いておいてくれ。早くて一日、遅ければ三日だな……三日で駄目なら、また日を改めてやる。いけると思うんだが……長丁場になるかもしれない。コルの為に頑張ろう」
「はい……!」
「み!」
■ ■ ■
「み! みー! 起きろ! イル=ナーダ!」
ラ=ヴィアがプレートを何度も叩くと、ついに火矢の精霊、イル=ナーダが目を覚ました。
――カド=ククナは祝詞を唱えながら禊ぎをしているが、見るなと言われたので見ないようにしている。
『イタッ?』
「あ、起きた!」
アリアが言った。
『……? ……ッ!?』
「起きろ。朝だ。今からククナ様が、コルを浄化して下さる。正確には、この大陸のどこかを彷徨う、コルの魂(レフル)を探して、姿を再生させる。浄化はアリアの仕事だ。お前の役目はコルの事を考えて、ひたすら祈ること。あとはククナ様がやって下さる。できるか?」
イル=ナーダは赤い肌を持つ、火矢の精霊だ。オレンジ色のドレスを身に纏っている。銀の腕輪と足輪、燃えさかる長い巻き毛が特徴だ。
イル=ナーダは目を見開いた。
『――は、はいぃッ! やります、やりますッ!』
「姿を持て。本気でやる」
「――はいいいッ!」
イル=ナーダは即座に実体化した。
イル=ナーダは、コル=ナーダとは、双子ではないがとてもよく似た風貌をしていた。けれど、コル=ナーダとは精霊大戦の折、離ればなれになってしまい、見つかったと思ったら……無惨な姿になっていた。そして……壊され……封印された。
悲しくて、悲しくて。喉が焼き切れる程、叫んで、泣いた。彼女が戻ってくるなら。何だってしよう。火が消えるまで祈り続けよう……。
すると、気配がした。
「――起きたか。じゃあ、始めよう」
イル=ナーダは目を丸くした。
ゆるく広がる長い銀髪、白い肌、琥珀色の瞳はそのままだが、記憶にある姿より、若干、若くなっているのが痛々しい。
それより驚いたのは、その服装だ。
カド=ククナが黒い祭司服を脱いでいるのを、イル=ナーダは初めて見た。
祭司服はおろか、その下に着込んでいる裳やブラウスも脱いでいる。
下肢に身につけているのは白い半ズボン。ふちは優雅にカーブしていて、レースで彩られ、金色の縁取りがついている。
細い脚が――太股まで晒されて、黄金の入れ墨が見えている。かなりきわどい。この入れ墨は初めて見た。靴を脱いでいるところも初めて見る。精霊には爪の無い者や爪が長い者もいるが、カド=ククナには爪がある。
肌の色も人に近いので、もしかしたら、人と言っても通じるかもしれない。耳は尖っているのだが、顔立ちも、目の大きい子供で通じる。
上着は半袖の、白いスリップだけだ。上も下も、生地はぎりぎり透けない程度の薄さで、スリップは豪華なレースで彩られているが、二の腕は丸出しで、もしや……背中は羽の部分が大きく切り取られているのではないか?
いつも祭司服の下で大人しく畳まれている羽が、今は長く伸びて広がっている。
そして何より。
「えっ、しっぽ……!? あったんですか!?」
イル=ナーダは思わず声を上げた。
精霊には尻尾を持つ者が多くいて、イル=ナーダも、アリア=エルタも、ラ=ヴィアも、実はドレスの下に尻尾がある。
カド=ククナのそれを見た事が無かったのだが、細く白い尻尾がある。多くの精霊がそうであるように、長い毛のようなもので、馬の尻尾を細くして、尻尾の毛を固めたような形状だ。尻尾の先端は尾の毛が遊び、揺らめいている。
「あれ? 羽……白銀色? 透明だったのでは」
アリアが言った。普段ほとんど透明で、角度によって見えるだけの羽が、今は半透明になって、見やすくなっている。
「普段は、邪魔だから透かしてあるんだ。祭司服には通す場所が無くて……」
精霊の羽は色々あって、鳥のような翼、コウモリのような羽、トンボの様な羽、それ以外の形状、例えば、茨や葉っぱ、火の渦巻く羽、風や水でできた羽などがある。
カド=ククナは、先端の尖った双翼を持っていた。羽の並び方は、こうして見て初めて分かったがラ=ヴィアのように、鳥の形に近い。
手触りは……花びらのように、柔かく、ふわふわと優しい。正しく羽だ。
「まあ、鳥の羽毛……薔薇の花びらのようです。先端に金の縁取りがあるのですね。とても綺麗です」
アリアが微笑んだ。が、カド=ククナは恥ずかしげに肩をすくめた。
「主は、頭にも羽ある。これ注目」
ラ=ヴィアが、カド=ククナの側頭部から、後ろに畳んでいた羽を引っ張って広げた。
「こら、ひっぱるな、いたた」
ラ=ヴィアが広げると、長さはイル=ナーダの腕ほどあった。
「まあ、こんなに上手く畳めるのですね」
アリアが言った。普段は透明で畳んである上、髪に隠れていたので気付かなかった。
「可動域は広いんだ」
カド=ククナが頭を押さえた時に、イル=ナーダにはカド=ククナの背中が見えた。
背中は羽を出すために大きく空いていて、腰はコルセットのようにリボンで編み上げてある。
そして、カド=ククナの衣装はしっぽが出せるように後ろに丸い切り込みが入っている。揺らめく髪で隠れている物の、これは……直視出来ない。
イル=ナーダの火が一気に燃えさかり、水に触れてしまい、危うく燃え尽きそうになった。
カド=ククナは長い銀髪で、体を隠した。
「……見るな……いい年してティーみたいで恥ずかしい。気合いを入れて――始めるぞ。本気でやらないと呼び戻せない」
アリア=エルタが水面に花で造った輪の中に、黒く染まったプレートを浮かべる。
するとプレートは沈んでしまった。
「沈みますね……普通、精霊(フィカ)のいるプレートは浮くのですが……」
「水に入ろう。イルは入らなくていい。祈っていてくれ」
カド=ククナは低い階段を三段降りて、浅い水に入り両膝をついた。
浅いと言っても、鳩尾まで水に浸かる。この水は冷たいだろう。
ラ=ヴィア、アリア=エルタも水に入って左右に控える。イル=ナーダはなるべく近くに膝をついた。
カド=ククナが黒いプレートを胸に抱き、祝詞を読み上げ始める。
「ル・アールグラン・ル・アータゼイラ・……ル・ア・ミーア・カド=ククナ・セセス……ノラ・ララス・ラ=ヴィア・フィカ・アリア=エルタ・フィカ・イル=ナーダ。ル・フィーラ・アーゼイー・レフル・ニーア・コル=ナーダ……ル・ア・ミロード・ナタアーゼ・ネフスティア・カド=ククナ・セセス、ゼ・ラナソタ・コル・ミーア・ゼ・フィーラ・ディアセス・ナタ・プロセフィム・ア・スアス・カ=トゥーワ・ラカ・カ=ルーミー・シラ、アミ・クロスティア・フィーカ……」
イル=ナーダはラ=ヴィアに教わった『アザミの祝詞』を唱えながら、聞こえてきた恐ろしい名に震えた。
山の神『カ=トゥーワ』、海の神『カ=ルーミー』。
カド=ククナの祝詞は彼等を呼ぶ物だ。
カド=ククナは「どうかこの場に御霊を飛ばし、私らに力をお貸し下さい」と続けた。
――初めは何も起きなかった。が、唐突に場の空気が歪んだ。
水面が揺らめいて、柱が震え。震えが収まったところで、クロスティアに繋がった。
イル=ナーダとアリア=エルタはラ=ヴィアに『二柱が来ている間は、決して目を開けていけない。何を取られるか分からないから』と言われていた。
だから必死に目を閉じ、祝詞を唱えていた。目を閉じていても光は感じた。
宙に浮かぶ二つの気配が恐くて、耳も塞ぎたいと思ったが声が聞こえた。
『……久しぶり! ククナ。今日はどうしたの?』
『……おひさしぶりです。ククナ様、貴方が呼ぶなんて珍しい……』
どちらも子供の声だ。しかも口調は違うが、どちらの声もよく似ている。本能が警鐘を鳴らす。イル=ナーダは恐怖を振り払うようにアザミの祝詞を唱え続けた。
いまこの部屋では、イル=ナーダと、アリア=エルタだけがこの祝詞を唱えている。イルやアリア、そして……ラ=ヴィアは、もしもの時の、保険だという。
聞いた話によると。山の神『カ=トゥーワ』は肩で揃えた金髪に、緑色の目を持つ美少年。
人で言えば、十歳くらいの見た目をしているらしい。
海の神『カ=ルーミー』はカ=トゥーワと同じ姿で、黒い髪に、青い目を持つ美少年。
二人は双子で、先にカド=ククナに気安く声を掛けた方が、金髪の『カ=トゥーワ』のはずだ。
「二人とも、本当に、久しぶり。便りを出すと言って、それきりになってしまって、すまない」
『ほんと、そうだよ! でも、なんか大変だったんでしょう?』
『陸の様子は、カモメに聞きました……アメル様が亡くなったとか……本当ですか?』
「……それが、俺の中に、少し残っていると思うんだが……まだ戻ってくれるかは分からない。君達から見て、アメルはいると思うか?」
『んー僕にはわかんない。ルーミーの管轄だよね?』
『瞳を……ああ。本当に僅かですが、残っていますね……海神の塔には、来ていません。まだ生きて、どこか彷徨っているのでしょうか』
『あ! それで呼んだの? 妹探し? それならタダで手伝うよ?』
「いや……実は、二人に『依頼』があって呼んだんだ」
『依頼』の言葉に空気が、ひりついた。
『……どうしてほしいの?』
『……穏やかじゃないですね』
「まずは、話を聞いて欲しい。『代償』が気に入らなければ断っても構わない」
そして、カド=ククナは、魔霊となった魂(レフル)を探して、できれば浄化も手伝ってくれないか、と依頼した。
『……僕を呼んだのは、え、僕、大地が担当なの? え? 広くない?』
カ=トゥーワが言った。
『……私を呼んだのは、分かりますけど、海、担当ですね』
「範囲はこの、西の大陸だけで構わない。ルーミーは、魔霊、または邪霊となった精霊の魂(レフル)を探して、連れて来ることはできるだろうか……? トゥーワは陸をちょっと探すのと、魂を戻す手伝いをして欲しい。あと、二人とも、浄化も手伝ってくれるとありがたい。これはほんのちょっと『おまけ』でいい」
『あ! なるほど。わかった、ルーミーが探して、僕が繋ぐんだね。それならできる。浄化は、まあそれくらいなら』
『いや、私は海だけだから、お前も探すんだぞ? コル=ナーダですか……最近、おかしな魂をよく見かけるから、その中に混じっているかも。呼べる者は居ますか?』
「ああ、この場にいる。ないしょの魔法が掛かってるけどな」
『そんな事しなくても、取って食ったりしないのに』
『ああ、それなら、できると思います。魂(レフル)を探せば良いんですね? こちらに運ぶ時に、目印が必要なので、用意しましょう。どんな物がいいですか?』
イル=ナーダは、乗り気なルーミーの言葉に恐怖を感じていた。
それは『依頼』の性質を知っているからだ。
「そうだな。できれば、人にも扱える形にしたい。魔霊となった精霊は多いから。黒いプレートを、できれば、簡単に浄化する仕組みを整えたいんだ。どうしたらいいと思う?」
『相変わらず無茶苦茶言うね……えー? 目印に、水晶でも作って置いといて……そこに僕らが魂(レフル)を運ぶとか?』
『そうですね。それがいいでしょう。作りますから、貴方も手伝って下さい』
「ありがとう。それは俺も手伝う。ふたりとも――俺の依頼は、以上だ」
カド=ククナは言った。
『『じゃあ、何をくれるの?』』
二柱の声が重なった。
カド=ククナの静かな声が聞こえる。
「俺のこの羽を。頭と、背中の。足りないなら尻尾もつけよう。ずっと欲しがってただろう? 分け方は、二人で相談してくれ。どちらかでもいいし、君達で、片方ずつ分けてもいい」
『『……ッ!』』
トゥーワとルーミーが、息を呑む。
『そんなことしたら、飛べなくちゃっちゃうよ!』
言ったのはトゥーワだ。
『尻尾は駄目です。多すぎます。羽ではなくて、他の物でもいいですよ。例えば、その目とか、腕や足の片方だけでも……!』
「すまない……今、差し出せるのはこれくらいなんだ。本当は、体ごとで構わないんだが……まだそうもいかなくて。俺は歩くのが好きだから、飛べなくても構わない。それより、ふたりはずっと閉じこもって退屈だろう。この羽があればどこへも行けるぞ」
『――そうだけどさぁ! ……いっつも、上手い事言うけどさぁ……自己犠牲ってやつ? 仲間意識? ほんと理解できない……まあ、友達を想う気持ちは分かるけどさー。君も僕らの友達なんだよ……?』
トゥーワの大きな溜息が聞こえた。
「そうだな。またいつか、一緒に遊ぼう」
カド=ククナが苦笑した。
『そんな日が、いつ来るのかなぁ……はぁーあ』
『……分かりました。形は好きに変えてもいいですね? 返しませんよ? カモメみたいな羽が欲しかったんです』
ルーミーは乗り気だ。
「ルーミーは決まりだな。トゥーワは?」
『やれやれ。ぼくは頭の羽でいい。ルーミーは後ろの羽で。ずっと欲しがってたもんね。しっぽは邪魔だし、いらないや。あ、でも、糸の代わりにするから、何本かちょうだい? そっちのラ=ヴィアのやつでもいいよ』
「ええ。ぜひ、私の尻尾をお使い下さい」
ラ=ヴィアの固い声がした。ラ=ヴィアは目を開けているのだ。
『ん、相変わらず、無愛想だねー』
『羽、もう、もらいますよ』
「ああ」
――何も音はしなかった。
落翼……イル=ナーダの体は絶えず震え、心は悲鳴を上げていたが、必死に、祝詞を続けていた。唱えるのをやめたら『やっぱり羽は悪いから、そっちの子でいいや。美味しそう』と言われかねないのだ。そしてイル=ナーダだけでは……到底、足りない。足りない分はどうなるかというと、カド=ククナが今度は『別の物』で補うことになる。足りないものに、見合うだけの物で。
『神』を呼んでの『依頼』に失敗は許されない。必ず、呼んだ者が、初めに心に抱いた条件で『神』納得させなければならないのだ。
……水音は聞こえない。何も音は聞こえない。
『しっぽは縒り合わせたら、丈夫になるのでは?』
『じゃあそれで。両方だね。ちょうだい。糸って、何本くらい作るの?』
『……十本くらいでいいのでは? 何本がいいですか?』
「そうだな。そのくらいあると、助かる。羽がないと、意外とふらつくんだな……おかしな感じだ……」
カド=ククナの声は、か細い。
『ラ=ヴィアのしっぽ、もーらい!』
これは、ぶち、と千切る音がした。
『ククナ様からも頂きますよ。えいっと』
「イタっ……乱暴だな」
『あ――今、思ったけど、痛覚こそ、いらないんじゃ? ククナには、無い方が良さそう』
トゥーワが言った。
『いいえ。痛みは大事ですよ。私は感覚の中で一番好きですね』
ルーミーが言った。
『ふーん。そういえば耳でも良かったね? ククナ、耳はあんまり利かないんでしょ、なくても良くない?』
「この耳にはまだ用がある」
『そっか。まあ、立派な代償ももらったし、頑張らなきゃ。でも頭に羽があると……なんか邪魔だし、背中に付けとこうかな? ――……うん、あ。すごく丁度良い。わぁ! 気に入ったかも! すごい、体が軽い! 飛び心地良さそう。あー、でも、もう少し大きくしようかな? ……うん。よし可愛い! ルーミーのも良い感じだね。凄く綺麗』
『ええ、私はずっと、これがほしかったんです。ああ、素敵だ……。色はカモメに近づけましょうか……虹で染めても良いですね。また考えましょう。ククナ様、私もこの羽で、探しに出かけます。きっとすぐ見つけて来ますよ。――ご期待あれ!』
■ ■ ■
プラグが出てこないまま、二日が過ぎた。
リズはこの際だからと流行の小説を持って来てもらい、読みまくっている。
飯は豪華だし、休暇だと思えばまあ、いいだろう。
「ひまだ」
しかし、読み疲れた。
「あー」
退屈凌ぎに外に出ようにも、うっかりプラグに出くわしたくない。
まだ今は興味より、畏れが勝っているのだ。今、出会ってしまったら、これから普通に接することは、おそらくできない。それができるようになったなら。見ても構わないと思っている。
……しかし暇だ。
「あ゛ー……鍛錬でもすっか゛……」
とりあえず、部屋でできる鍛練――腹筋や、体術の型さらい、腕立て伏せを始めた。
……霊力の類いは外に漏れていないので、何をやっているのか分からない。
腕立ては五十回を越えた。調子が出て来たリズは隊服の上着を脱いで、百回やる事にした。
汗水垂らして七十七回目。
バンッという音がして、扉が開いた。
リズが動きを止め、入り口を見ると、そこにいたのはイル=ナーダだった。
「イル……?」
リズは膝をつき、上体を起こした。
イル=ナーダが泣いている。目から火の結晶がこぼれている。
イル=ナーダが、倒れ込み、震える手で、リズに何かを差し出した。
「……!」
リズは大きく目を見開いた。
そこにあったのは、コル=ナーダの姿が描かれた、銀色のプレートだった。
イル=ナーダは床に倒れ込んでしまった。
リズは震えながら、コル=ナーダのプレートを見た。
涙がぶわりとあふれてくる。
コル=ナーダを討伐したときに、九人が死んだ。
アルキス、オーギス、バラス、セラルド、エリー、カーナ、アリーシャ。
そしてまだ新人だった、ベルシル、ヒュスネ。
イル=ナーダは今はリゼラ・メーラの所持だが、元はヒュスネという新人の女性隊士が持っていた。イル=ナーダは、コル=ナーダを必死に止めようとして、しかし、全く言葉は通じず。せめてと、火矢を放った。ヒュスネが叩きつぶされたとき、リゼラが悲鳴をあげた。ベルシルが弾き飛ばされたとき、アルキスが燃え尽きたとき、全て覚えている。
リズが、リーオが、エドナクが、皆で寄ってたかって、コル=ナーダを攻撃した。
――破壊すべきプレートを残したのは、リズだ。
イル=ナーダのおかげで、何の精霊か分かってしまったから……最後の最後で、壊せなかった。突けば終わり。そうしてきたのに。
エドナクには、甘いと批判されたが――封印を選んだ。
リズは泣きながらイル=ナーダを揺すった。
「イル、だいじょうぶか……、おい、おい。これ……すご、すごいな……やったな……!」
魔霊となった精霊が、戻ってくる道ができたのだ。
イル=ナーダは精根尽き果てた様子で、しかし、泣いている。そう言えば、普段熱い体も今は触れられる。
「おい、しっかりしろ。他は? 大丈夫なのか」
「……みなさま、ねています、いまは、そっとしておいて……」
「ああ、お前の声、久々に聞いた……! よかったな、おめでとう……!」
リズはイル=ナーダを抱きしめた、やがてイルが気絶したので、ベッドに運んだ。
しっかり、コル=ナーダを握らせて。
■ ■ ■
「えーでは、今から、精霊つきのプレートを配布する!」
リズは、石壁の大広間で堂々と宣言した。
普段は宿舎だが、特別にこちらで配る事になっている。
机の上には、五十八枚のプレートが、三つの山に分けられて詰まれている。
「精霊はこちらで選んだ。持ち主は、隊士からの借り物だったり、決まっていなかったりバラバラなんだが、全員分あるだけありがたいと思え! このプレートは全て『仮契約』の状態で使用し、試験後に回収となるが、お前らクソ餓鬼の所に行っても良いと言った、心のひろーい精霊達だ。泣かせんなよ! では名前を呼ばれた者から、前に来い。あ、もらったら、まとめて仮契約だからな。そうしないと呼び出せない。仮契約はそちらの巫女達が行う」
広間には十名ほど、紅玉鳥を連れた巫女達がいる。
「では。アドニス・スピカ」
アプリアが読み上げる。読み上げは疲れるので、リズはいつも分担させていた。
「はいッ……!」
――「またアドニスからか」という同情の声が聞こえる。
アプリアが微笑んだ。
「あなたの精霊は『水泡(すいほう)』の精霊『ニア=エルタ』です。この子の泡は便利ですよ。洗濯にも使えますし、工夫次第で面白い戦い方ができるので、きっと、あなたにはぴったりです」
アドニスが目を見開き、「ありがとうございます!」と言って受け取った。
「次、キール・マエストス!」
リーオが言った。
「えっ。これってあの順なの!?」
キールが戸惑いながら前に出る。そう。これは一番初めの、来た者順だ。
――キールは城下街に住んでいるので、受付を二番目に済ませて、城内観光していたらしい。
リーオが苦笑する。
「お前には、残念ながら、リズ隊長からこちらの金プレートが支給される。善一族『光彩』の精霊『ミナス=ヴィス』だ。このプレートを発動させると、暗闇でも物が見え、狩りができる。つまり狩り係だな。諦めて頑張れ」
「ええっっっ!?」
金色のプレートに、皆が「金!?」「金もあるの!?」「彼女だけ?」とどよめく。
リズが手を上げて収める。
「はいはいー静粛にー。遠征では調達、補給は命綱。肉こそ隊士の命の要。ってことだな。金プレートはこれともう一枚あるが、色は気にすんな。珍しいってだけで、精霊の強さにはあまり関係無い。金も銀も隊士になったら山ほど持てる。次!」
キールはひたすら「ぇええええ……!」と言っている。
「皆、静かに」とリーオに言われた。配布は続いていく。
「――この子は、ちょっと照れ屋さんだけど、貴方の事が気に入ったそうです」
「――こいつの雷は良く効く。性格は……雷にしては、まだ大人しい」
「――こいつはなぁ……、まあ、元気はいいぞ! ちょっと騒がしいが」
エドナクも加わり、三列になり、次々に呼ばれていく。
「次、アルスティア・キルト」
リーオが言ってプレートを手に取る。
「はい……!」
アルスが緊張しています、という硬い顔で前に出た。
リーオがまた苦笑する。
「この精霊は風一族『掠風』の精霊『ウル=アアヤ』。サーベル型の精霊剣を持つ。お前にはぴったりの精霊だ。大事に使え」
「……はいっ!」
アルスはしっかり受け取った。
「フィニー・ラ・トリル――お前は水一族、『波紋』の精霊『トアゼ=エルタ』女性だが、既に夫がいるから、絶対に手を出すなよ!」
「ええっー!? 人妻精霊!? えっ嘘、誰!? そんなのあり!?」
フィニーは皆の笑いを誘った。
「誰かは本人に聞け。まあ精霊同士だから、安心しろ」
リーオが言った。
フィニーは「うぁあああ! 俺、家訓で人妻は駄目なんだよ!」と嘆きながら脇に避けた。
「次は……ナージャ・ラ・タルクロン――。あなたは、水一族『流水』の精霊『クト=エルタ』ですね。とても優雅な精霊です。と……あら、そうだわ、もう一枚……」
アプリアが紙を見て、奥に分けてあった金プレートを取る。
再びの金プレートにどよめきが起きる。
「この子が、貴方の元へ行きたいと。善一族『公正』の精霊『イダル=セセナ』。昨年名誉除隊した、ある隊士が持っていた物です。よろしくお願いしますね」
名誉除隊――つまり殉職と言う事だ。
「は……はい……ッ!」
ナージャは震えながら、金と銀、二枚のプレートを受け取った。
訓練生から「さすがナージャ」「彼女ならいいよね!」「おめでとう、ナージャ嬢!」という温かい声と拍手が聞こえた。ナージャは真っ赤になっている。
「ペイト・マイメ――お前は『帯電』の精霊『ディツ=ヴィス』だ。双剣を持つ精霊で、素早く攻撃できる。まさにお前の為にいるような精霊だ。これで男どもを蹴散らせ!」
「はい!」
ペイトが元気よく返事をする。
「ゼラト・ル・ピア――あなたはこちらの、土一族、『隆起』の精霊『アール=ララフ』です。彼女は貴方の所へ行きたがっていました。相性が良さそうですから。お願いしますね」
ゼラトも「あっ、はい!」と元気よく返事をした。
「リルカ・ラ・ハーバーか――お前は、ちょっと変わったやつ、風一族『風采(ふうさい)』の精霊『ジュリ=アアヤ』だ。詳細は隊長に聞け」
「え、はい……?」
エドナクに言われ、リルカは首を傾げながら受け取った。
そして。
「――次、プラグ・カルタ」
『罰訓練と罰宿題で疲れていたところに、リーオに悪い風邪を移され、二日前まで入院していた』プラグが呼ばれた。ちなみにこの言い訳はリズが考えた。
……プラグは間違い無く一番強い。どんな凄い精霊が付くのか、という注目が集まるが。リーオが溜息を吐いた。
「お前はなぁ……お前と組んだら戦闘が大変そうだと、皆が嫌がって中々決まらなかった。そんな中、一人、手を挙げた変わった奴がいる。水一族、『削氷(さくひょう)』の精霊『ナダ=エルタ』だ。大切にしろ」
リーオの言葉に、プラグは目を丸くした。
「ありがとうございます……! 大切にします」
両手で丁寧に受け取った。
プラグは待機列に入った時、大変な笑顔で「氷の精霊……! やった、かき氷が作れる!」と言って喜んでいた。アルスが「え? かき氷ってなに?」と言っていた。プラグは「削り氷のことだ。シロップをかけて食べる。水も冷やせるし、アイスクリームもできるかも」と続けた。
リズはそれでいいのか? と思い苦笑した。
そして――ついに、あと一人になった。
「最後。シオウ・ル・レガンだな。これは私から渡そう」
リズは立ち上がった。
そう。
シオウは、生意気というか舐めきった態度というか、締め切り直前、一番、最後に受付をしたのだ。――あるいは迷いがあったのか――。
リズはこれを知っていて、この順番で配ったのだ。
二枚の銀プレートを手に取った。
「えー! お前は残念ながら、銀二枚だ。こいつらは、いつも喧嘩してるくせに、絶対に離れたがらない。どちらも火の精霊だから、火傷は必須だ。年中黒コゲげになるだろうが、責任持って面倒見ろや。火一族。『火矢』の精霊『イル=ナーダ』、もう一枚は、『火郡(ほむら)』の精霊『コル=ナーダ』だ」
リズの言葉に、シオウが、目と口を見開いた。
「……コル……?」
「任せたぞ」
リズはシオウに押しつけた。
シオウはプレートを見て、顔を伏せて、震えた声で「はい……!」と言った。