陽の差さない部屋で、アメルが泣いている。
「……おにい、さま……ど、こ……?」
「ここに、いる……アメル……!」
プラグは答えた。手を握りたくても、壁に繋がれている。
「おに、いさま、おに、いさま……」
「アメル、頑張れ、アメル! 返事をしろ! アメル!! 死ぬな! 諦めるな……! 俺達は――!」
「おにい、さま……」
やがて声は聞こえなくなった。
■ ■ ■
「――ッ」
プラグがここに来て、七日が経過した。
プラグ・カルタは宿舎のベッドで目を覚ました。
過去の夢を見たせいで、気分は最悪だ。
「……はぁ」
溜息を吐いて、体を起こすと、まだ夜明け前だった。窓のカーテンを少し開け、まだ暗い空を眺めた。
アルスもシオウもまだよく眠っている。
プラグはベッドの下から、上等な旅行鞄を取り出して、ベッドの上に置いた。
これはプラグが自分の手荷物の他に、この宿舎に持ち込んだ物だ。
四角い皮のトランクで、肩に掛けられるように皮紐がついている。紐を二本取り付ければ、背負うこともできる。アルスに大荷物ね、と言われたのだが長旅だったから、と答えた。
――もう七日も開けていない。
開けるか、と思ったが、今はまだその時ではない……と思ってやめた。
翌朝、朝の座学で、プレートが配布された。
「ではプレートと、プレートケースを配布する。内容は同じだから、一つ取って隣に回せ。中に六枚の白プレートが入っているから、取り出して机に並べろ」
リーオ隊士の言葉に、皆が目を輝かせ、端に置かれたプレート――使い古された、皮のプレートケースに入っている――を隣に回していく。
「高価な物だから、大事に扱うように。なお、全て白プレートで、精霊憑きのプレートは、プレートの扱いにある程度慣れた一ヶ月後に支給する。白プレートでも一枚、王城兵士の給料、三ヶ月分だ。だいたい、一枚、四十万グランから六十万グラン程度か。予備はあるので訓練で出し惜しみする必要はないが、大切に使え。一年後、試験の後に回収するから、そのつもりで。休日の持ち出しは禁止だ」
王城兵士の年給が、だいたい二百万から三百万グラン程度なので、確かに一枚、五十万グランから六十万グラン程度、というのは給料三ヶ月、四ヶ月分だ。これはプレートによって値段が違うからだろう。
グランというのはこの国の紙幣の単位だが、この国には『パル』という、グラン以下の小額単位もある。
『グラン』には金貨、銀貨しかないので、最低、五千グラン、一万グランからになる。
一グランは一パル。
つまり、パルというのはグラン以下の小銭や端数を数えるときに使う、小額硬貨だ。二十五パル、十パル、一パル硬貨が流通している。
この国には紙幣もあって、そちらは『ゼイラ』と呼ばれる。
紙幣の一万ゼイラ=金貨の一万グラン=小銭の一万パル、となっている。
プラグは起きてから紙幣という物を初めて見た。グラン紙幣はゼイラ金貨やパル硬貨よりかさばらないし便利だが、これでいいのかと心配になる。それだけ経済が安定しているのだろう。ストラヴェル王国は専制君主制だが、貴族による評議員制度を採用し、代々善政を敷いていて、国は豊かだ。王城があるラヴェル平原はかつては干ばつに苦しんでいたが、北の山から大規模な治水が行われた後、劇的に改善した。水道橋があちこちに見られ、水は行き渡っている……。
「行き渡ったな。まず、プレートの説明をする。配布したのは『飛翔』『翻訳』『盾』『治療』『火』『水』の六枚だ。全て精霊結晶(フィカセラム)からできている」
――配布されたプレートは六枚。
手の平より少し大きい白い金属板に、古代ゼクナ語で『飛翔』『翻訳』『盾』『治療』『火』『水』と書かれている。
精霊がいないので、描かれているのは精霊の絵では無く、飛翔は羽、翻訳は本、盾はそのまま盾、治療は紅玉鳥、火はたき火が、水は水瓶が。それぞれ、少し光沢のある濃い灰色の線で描かれている。
子供達から「おおお」「感動する」「これが……!」と言う声が聞こえる。
プレートを並べる瞬間は、精霊でも楽しい。
プラグはわくわくしながら順に並べた。
すると右側でアルスが、プラグを見て「珍しい」と呟いて、微笑んだ。その言葉を受けてか、左側でシオウが「お前、笑えるんだなぁ」と言った。
プラグは『そんなに無愛想だっただろうか?』としばらく考えた。
「まず羽の模様。飛翔のプレート(白)。これはかなり便利だが、危ないものでもある。屋根に飛び上がる際や、吹っ飛ばされた際に、着地の衝撃を和らげるのに使う。速く走ることもできるが通行人とぶつかるので、市街地では必ず屋根を伝っていけ。戦闘中は起動しっぱなしにしている事が多い。ぴょんぴょん跳べるぞ」
リーオ隊士が言った。
――「すごい!」という声が聞こえる。
「次に、紅玉鳥のプレートを見ろ。これは治癒のプレート(白)だ。骨一本、切り傷、打撲くらいならこれですぐに治るが、骨二本が限界だ。なおこのプレートに限っては、耐久時間は関係なく、重い怪我を治すと内部霊力が消耗し、プレート自体が消えるので注意しろ。軽い切り傷で二十回程度か。まあ使っていくうちにプレートの限界が分かる。ちなみに、内部損傷……内臓の怪我だな。と、切断は治らない。内部損傷や切断は聖女様に治して頂く。間に合えばだが……。切れた腕はなるべく拾うように」
物騒な言葉に、子供達が静まった。
リーオ隊士が咳払いをする。
「まあ、そうならないように、盾のプレート(白)がある。これは相手の攻撃を防ぐ、文字通り盾だな。飛翔のプレートと同じく、風族の精霊結晶が入っている。四大精霊の属霊には、意志を持つ上級精霊の他に、意志を持たない下級精霊がいる。いわゆる『自然精霊』と言われるものだ。自然精霊は捕まえやすく、意志がないので扱いやすい物が多い。ただし盾だと、攻撃は防げても衝撃が来るので吹っ飛ぶことも多い。そう言うときには飛翔か他のプレートで上手く和らげる。精霊が受け止めてくれる場合もあるが、気まぐれだから当てにはするな」
精霊は気まぐれ、という言葉に実感と諦めがこもっている。プラグは心の中で頷いてしまった。彼は優秀な精霊使いらしい。
「本の絵は、翻訳のプレート(白)だ。これは古代ゼクナ語や他言語をキルト語に翻訳できる。起動していれば、精霊とも会話が可能になる。ただし耳で聞こえる範囲までだ。耐久は百時間なので、必要な時以外は、ゼクナ語を覚えた方が良い訳だ。ちなみに、精霊には高い知能を持つ者もいて、そういう精霊は逆にキルト語を話す場合がある。が、それは同時に危険でもある。大抵は片言だが、我々の言葉を流暢に話す精霊がいたら、かなりの力を持っている。その精霊が自分の手元に渡るまでの経緯や、過去の所持者にも注意を払え――要するに、裏切りは常に警戒しろ、ということだな」
キルト語を話す精霊もいると聞いて、プラグは感心した。
精霊は賢いが勉強嫌いなので、よほど頑張って身につけたのだろう。褒めてやりたいと思った。例外は『善』の一族くらいか。あそこは無類の勉強好きだ――と考え、そう言えば、自分もキルト語を喋っているな、と思った。なるほど注意が必要だ。
裏切り……精霊は過去の『主人』と認めた人間を一番に考えて、新しい所持者をないがしろにする場合がある。
精霊は素直なので、好きな人間を分かりやすく贔屓する。結果、従わない、ということは良くある。
そもそも、精霊は利用されるために生まれた訳では無いから、働く気のない者がいて当然だ。
精霊にとって持ち主は『こいつは気に入ったから助けてやるか』『こいつは嫌いだから最悪。あっちいけ!』くらいの認識なのだ。
忠誠心の高い者も多いが、基本、純粋な性格をしているので、逆にそこを利用される事もある。……プラグは内心、溜息を吐いた。
要するに、人間関係と同じだが。果たして、どれだけの人間がそう思っているのか。その辺り、候補生が戸惑わないように、教えておいて欲しい。
(まあ、これはすぐ分かるか……)
精霊憑きのプレートを使ったら、精霊の気まぐれさに皆、驚くことだろう。天気が悪いから、星巡りが良くないから、気分が乗らないから、嫌いなやつが一緒だから、疲れるからやらない、という事もある。
「次に手紙のプレート(白)だ。これは近くの仲間や、遠方にいる仲間と会話ができる。使う前にゼクナ語で起動の言葉を言ってから、届けたい相手の名前を言う。相手が手にしている場合は声が届く。手にしていない場合は色が青に変わる。その場合は起動の言葉を言うと、相手につながるが、これも相手が起動していないと会話ができない。便利だが、少々不便に思う事もある。なので、定時連絡を推奨する。あらかじめ、毎日この時間に報告、とかこの時間は毎日注意しろとか決めておけ。個人連絡はこの時間にしてくれなど――余談だが、当騎士団では遠征中、隊長への定時連絡を行う事が多い。懐中時計が騎士章と一緒に支給される」
「後は、火、水だな。これは使った事がある者もいると思う。火は危ないので、水と一緒に持ち歩け。遠征の時は火種として持って行く。上手く調整すれば薪いらずで暖が取れるし、煮炊きもできる。もっとも、煮炊きは火加減が難しいので、出来るだけ薪がいいが……『水』はプレートを水に浸しておけば、最大で、六日分、約二十リトルの水が溜められる。どちらも旅では非常に重要な物だ。以上だ。午後は紅玉会の王城支部に行き、祝福を授けてもらう。プレートは祝福が無ければただの板で使えない。王城の紅玉会はよく利用するので、挨拶はきちんとしろ。治療のプレートを作ったのも彼女達だし、重傷時に駆け込むのもあそこだ。巫女達がいなければ、騎士は百回死んでいる」
「――『紅玉会』については、教本を開け。ああ、一旦プレートは仕舞え。では――アドニス。七頁を音読しろ」
「はい」
当てられたアドニスが座ったまま読み始める。座学ではたまにこうして、候補生に読ませることがあった。
「――女性の方が精霊術の才能があり、より強い精霊使いになる可能性がある。精霊騎士など、男性にも優れた使い手はいるのだが、才能だけなら女性に軍配が上がる。だが女性故に、多くは非力なので、男性騎士で優れた精霊使いがいれば、そちらが重用される」
「ではアドニス。男性騎士が、力以外で巫女に劣る部分を上げてみろ」
リーオ隊士が言った。
アドニスは少し考え、口を開いた。
「え……はい。……問題があるとすれば、紅玉鳥が従わないから、巫女にはなれない、と言う点でしょうか? ストラヴェルには『祭司(さいし/ネフス)』という立場がありますが、紅玉鳥は使えず、巫女や地域の監督官、管理者の意味合いが大きいと聞いています」
アドニスはすらすらと答えた。
リーオが満足げに頷いた。
「そうだな。その通りだ。他にも、ストラヴェルでは、現在、第一王子が『大祭司(だいさいし/ネフスティア)』を勤めている。あとは地方に数名の司祭がいるのみだ。偉い巫女は巫女長、神官などと呼ばれる。続きを読んでくれ」
「はい。巫女は一人一羽『紅玉鳥(こうぎょくちょう)』という赤い尾長鳥を連れている。紅玉鳥は聖女教会本部で育てていて、ストラヴェルの聖女教会本部はカルタ領にある。育成方法は、門外不出である。巫女になる少女は、十歳になったら出家し、修行を始める」
プラグは興味深く聞いていた。
――プレートと紅玉鳥のおかげで、騎士は男だけの仕事では無い。
クロスティアや他の国の精霊騎士も、性別問わず、戦闘にも精霊術にも長けた者で構成されている。
ストラヴェル王国の場合、比較的案価な火や水のプレートは大抵の女性、男性が扱える。まあこれは石で火を起こせば良いから、使えたら便利、という程度の物だ。
年齢も関係無く、古代語が話せる子供なら、三歳、四歳から使えるが、大変危ないので、プレートの使用は十歳の誕生日からと決められている。
カルタの聖女教会では『十歳の誕生日を心待ちにしていた』という話を良く聞いた。
彼女達は、家を助ける為、自立するため、国家の為、世のため人の為、稼ぎのいい騎士をパートナーにしてあわよくば結婚するため、無類の鳥好きだった為――様々な理由で、親元を離れて修行し、精霊使いを目指すのだという。
紅玉鳥を使う精霊使い――『聖女教会の巫女』は尊敬を込めて『紅玉使い』と呼ばれる事もある。
女性が精霊使いになるには、体を鍛えてクロスティアの精霊騎士になるか、紅玉使いになるかの二択だ。
一応、『領土騎士』という選択もあるが、これは各領が義務として整えている騎士、騎士団の総称で、プレートを使わない任務も多く、体力勝負なので余程男勝りで無ければ希望する女性は少ない。皆無とは言わないが、男性と張り合うだけの剣技と体力、度胸がいる。
比べると、紅玉使いは、十歳からという条件がある物の比較的なりやすい。
それ以外の方法では、平民生まれでは絶対に強い精霊使いにはなれない。
才能の有無よりも戦闘用のプレートが希少で、平民では、まず入手ができないのだ。
戦闘用のプレートは一枚で百万グランから三百万グラン。これだけで王城兵士の給料一年分程度だ。そして物によっては一千万グランを軽く超える。
プレートを製造販売していいのは、聖女教会と国王だけだ。国王は騎士にのみ預け(売る訳ではなく貸与という形になる)平民は勿論、貴族であっても下賜や販売をすることはないので、貴族や平民が欲しいと思ったら、聖女教会に行くしかない。
例外はストラヴェル王国設立以前から、代々家に伝わっている場合だ。
戦闘用プレートを持っているのは全て貴族か騎士なので、国に許可を得て保管する。
先祖伝来のプレートは、精霊との約束や、その他、由来があっての事が多く、その家の子息や精霊に認められた者だけが特別に継承する。
……かつて国が召し上げたところ、精霊が臍を曲げた為、今の形になったらしい。
プレートを持っている、というのはかなりのステータスになるが危険も伴う。
カルタ家は聖女教会本部が近いので、自宅に警備を敷いて保管していた。
領土騎士も警備に就いていたが……精霊は持ち主を選ぶので、盗ろうと言う者は少ない。たとえ盗っても、巫女やクロスティアの騎士が地の果てまで追いかけ、奪還する。
だから大丈夫、という、油断があったのは確かだ。
アドニスが頁をめくる。
「かつてアルケルムの戦いで、聖女メディアル様は自分の騎士達に『神の恩寵』を与え、プレートを扱う力を授けました。その為、ストラヴェル王国では、当時の騎士の末裔であれば、プレートが使えます。しかし『恩寵』が何かは、戦いの当時から秘匿されていて、今でも分かっていません」
王城の兵士は全て男性だが、クロスティア騎士団は三分の一が女性だと言う。精霊術は血統的な要素が強く、『精霊術』を使うのに特別な才能は必要ない。
血統というのは、先祖に精霊騎士または騎士の血が入っていればプレートが使えて、でなければ使えない。という単純な物だ。
――この辺りの、眠っていた頃の事は記録を読んだが、曖昧な記述も多かった。
リーオ隊士が声をかける。
「よし、そこまで――聖女ティアス・メディアル様は騎士に『恩寵』を与えて、傷を癒やし、病を治し、更に、我々に精霊術を与えた。アドニス。恩寵とは何だと思う?」
リーオ隊士がアドニスに尋ねた。
「……分かりません、血を水に解いた物ではないか、と言われています」
アドニスが答えた。
「そうだな。ご苦労」
アドニスがほっと頷いた。
「では次の頁を……シオウ」
先程から頬杖をついて、ぼーっとしていたシオウが、げ、と言って反応する。
プラグに「どこだ?」と聞いて来たので「九頁の最初から」と小声で答えた。
恩寵が何かは諸説在るが、プラグは――おそらく、木の葉っぱ――つまり『紅茶』や『薬茶』ではないかと考えている。
これはティアス・メディアルが『木の大精霊』だったからだ。
ティアスは自分の力を使って、珍しい茶を作っては皆に振る舞っていた。
初めて出されたときは……葉っぱを煮詰めた物で、プラグが「不味い!」と言ったのが癪だったらしい。熱心に研究していた。
「えーっと『西フロレスタ大陸の、聖樹信仰について』」
シオウがゆったり読み始める。
「一般に、『西フロレスタ大陸はあるが、東フロレスタ大陸は無い』……と言われている。聖樹信仰はこの大陸に、千年ほど前からある信仰で、簡単に言えば、豊かな森を守ろう、という信仰だ。実際に樹齢百年を超えた大木には、霊力が宿っていて、聖樹と呼ばれる。力のある木では、精霊が休むと言われていて、精霊は弱ると大木の側に行く習性がある」
――プラグはティアスと仲が良く、よく一緒に遊んだ。
ちなみに可愛らしい女性だが、変わり者なので恋愛感情は無かった。
そもそも、古い精霊は皆、家族のような存在だ。試験の精霊達も顔見知りで、話したいと思ったが……見えない振りをした。
ティアスは固有能力として、癒やしの力を持っていた。
これが聖女の力の元になっている。
『木の大精霊』でもあった彼女は全ての木に属霊を住まわせて、木の成長を見守り、力を蓄え、訪れた精霊の傷を癒やす、という仕組みを考え、各地を旅した。誰も知らないが、これが聖樹信仰の始まりだ。
彼女は霊力(フィーラ)を使って人間を癒やすことも出来たので、行く先々で人を助けた。怪我を治し、病気を治し……いわゆる、無差別なお人好しだ。
出立の際、ティアスに人の姿を与えたのは、実は、嘘の大精霊である『カド=ククナ』……つまりプラグだった。外側だけしか似せられないが、これは自分の意志で戻れるので、どうせなら人に化けてお忍びで、と言ったお遊び感覚だった。
しかし、旅の途中でティアスは運命の王子に出会い、結婚して、そのまま人としてストラヴェル王国を築いた。
王族がもれなく強い精霊使いなのは、女王――聖女――となった大精霊、ティアス・メディアルの血を引いてる為だ。
ストラヴェル王国、ストラヴェル国の北にあるセラ王国、西のヒュリス王国の王女は全て、聖女の力を持って生まれる。
これはティアスの直系の三娘が、それぞれの国に嫁いでいるからだ。
皆、癒やしの力を持ち、これを『聖女』と呼ぶ。聖女の頂点に立つのが『聖母』で、三国から順番に選ばれ、十年で交代する。現在はストラヴェルの王妃が『聖母』になっている。
『ティアス・メディアル』彼女は……薄緑色の長髪に、濃い緑の瞳をもつ、外見年齢は十三、四歳程度の。大きな目が可愛らしい、活発な少女だった。
この国では、彼女のレリーフをよく見かけるが、どれも美しい成人女性として描かれていて、記憶よりずいぶん大人びている。
だが、確かに、似ていると思う。
かつての肖像画は精霊大戦で失われ、修復の際、成人に変更された……と言う事だろう。
成長した家族を見る様な気持ちになり、微笑ましい。
プラグは外見年齢を自由に変えられるが、ティアスはプラグが『ティアス・メディアルは精霊ではなく人である』と言う嘘で仕立てた姿なので、実際は成長しなかったかったはずだ。
プラグも変えられるのは年齢だけで、精霊から人になるときはいつもこの白髪、琥珀色の瞳になる。精霊体でも瞳の色は同じなので、元の姿が影響しているらしい。
……実は精霊は人間と混血ができる。
その方法は肉体の接触ではなく『神の祝福』により結婚し、相手と子をなす、という物だ。精霊には男女があるので、精霊が女の場合は相手の子を宿し一ヶ月ほどで出産する。
出産と言っても人間のような痛みは無く、腹から光が出て、子供が出て来て終わり、という簡単な物だ。生み出す、出現という表現が近い。
結婚には大精霊の立ち合いが必要で、決まった聖域でしか出来ない。
――かつては『満干の塔』もその一つだったが、人に制圧され久しい。
聖域で有名なのは、カルタにある聖女教会本部だろう。
あとはストラヴェル城の奥の方。聖母の神殿と、アストラ城にも聖域があって、大抵、教会や神殿になっている。教会のと神殿の違いは建物の様式で、教会はラヴェル様式、神殿は古代キルト様式、稀に古代ゼクナ様式もある。
聖域は他にも各地に点在し、そこでは一切の『争い』ができなくなる。
相手を叩いたり――口喧嘩さえできない為、先の大戦では市民を守る砦となった……らしい。
ティアスは……プラグが封印された後、術が解けたのだろうか?
今考えれば、もう少し慎重に調べて、術を施すべきだった。『今から行く』と言うから、大急ぎで人の姿に変えたのだ。プラグは封印されただけで生きていたから、彼女は人の姿のままだった可能性もあるが、プラグが封印されたことで術が解けて、精霊に戻ってしまったなら……精霊狩りの時代だ。王子と別れる事になっただろうか……?
ティアス・メディアル……『ティー・メディ』が生きているなら会いたいが……聖女教会の資料には『聖女ティアス・メディアルは国王ビアス・ヴァシュカとの間に、五男三女をもうけ天寿を全うした』と書いてあった。子沢山でほっとした。
旅の途中、聖木を見つけて休んだが、心地よく、あっと言う間に疲れが取れた。
――無邪気で、お人好しで、元気の良い――。
まるで、彼女の声が聞こえるようだった。
『決めた! 僕は旅に出る! この力で、精霊も森も人間も。全部、ぜんぶぜんぶ癒やすのが僕の使命だ。……君も行く?』
ティアスの言葉に、プラグは少し考え、首を振った。
プラグにも人のふりをする、という使命があったからだ。彼女が人になりたい、というので笑って術を施した。
『俺は、君が持ち帰る話を楽しみにしてる。あ、でも、アメルは行ってもいいんだけれど。どうする? ティーと一緒に行く? ちょっと回って、戻って来ればいいし』
プラグに言われてアメルも考え、首を振った。理由はプラグが一人だったからだ。
あの時、出かけていれば……アメルは死ななかった。
樹齢百年を越えた木は聖樹、聖木と呼ばれ、伐採は禁止となる。
ただし葉や枝は伸びて困るので、そちらは少々落としても構わない。落とした葉や枝はお守りとして売られている。
「次、プラグ、読んでみろ」
当てられてしまい、どきりとしたが、幸い頁は追っていた。
「はい」
プラグは静かに読み始めた。
――しかし。
「『西フロレスタ大陸の成り立ちと神話』――『西フロレスタ』という呼び名は、古代ゼクナ文明の後に発生した、古代キルト文明の名残で、現在この世界に、西フロレスタ大陸はあるが、東フロレスタ大陸は存在しない。東の果てにあるのは、広大な海と、その先は大陸と呼べない程度の『大きな島(スルート)』で、スルートの向こうには更に、大小様々な小島が点在している。その更に東には、死後の世界があると言う」
プラグにも知っている、この世界の創世神話だが……。
この世界に生きる人間には、当たり前すぎる話だ。
「『太陽(二ーナ)』はたった一晩で、この世界の天を巡り、死後の世界を駆け抜けて、翌朝、再びこの地を照らす。――『月(クレス)』は太陽(ニーナ)の影で、真逆の位置にあり、今、ニーナがどこにいるか知らせている。――ずっとそう考えられてきたが、百年程前、この世が大きな『球体(キュリオス)』で、しかも、『空(ゼイラ)』を眺めて回っているという新説が発表された。天文学者によれば、空には無数の星があり、太陽(ニーナ)も月(クレス)も、我々の『球体(キュリオス)』も、良く良く観察すれば、その星々の一つに過ぎないのだという。当時は賛否両論あったが、当時の『聖母』がその説を支持したため、今ではそれが通説となっている。当時の聖母は――」
プラグが読み終わる頃には、八割の人間が寝ていた。
■ ■ ■
――気を取り直して、昼食後。
皆が眠そうに目を擦りながら、宿舎を出て、紅玉会――聖女教会ストラヴェル城支部を訪れた。
二日目で即退場した貴族の女性達がいるので、六十二人が五十九人に減っている。
引率はリーオ隊士だったが、彼も少々うとうとしている。
「ふぁあ……なんであんな眠いんだ、お前の音読」
シオウがあくびをしながら言った。
「ふぁ……何か、変な風でも吹いてるのか?」
ゼラトが言った。
「ほんと、無駄に綺麗な声なのがまた、すごく眠くなる……」
イアンチカが言った。
「私もまだ眠いわ……」「私も……」
アルスとペイトにも言われ、プラグは戸惑った。
「みんな走って疲れたんだろう。距離も倍になったし……」
そう言ったが、これは――ひょっとしたら『嘘』の影響かもしれない。
プラグの固有能力は『嘘』を真実にする、信じ込ませる、という物だから、どうしても声を使う事になる。長年の擬態で、人である間はその力を抑制出来るようになっていたが……知った話ばかりでプラグも眠く、少々気が緩んでいたようだ。
そこでプラグは、はっとした。
(そういえば、俺が物語を読むと皆すぐ眠っていたけど、あれは……?)
プラグは若い精霊達にせがまれ、物語を読み聞かせた事を思い出した。
寝かしつけが上手い、よく眠れる、と評判だったが……あれは固有能力の一つだったのかもしれない。プラグは今更気付いた自分に呆れた。
実は、精霊も自分自身の力についてよく分かっていない事が多い。
試してみないと分からないが、出来事や思い出といった『事実』を語るときに、眠られた事は無い気がするので……嘘、つまり『虚構の物語』や『作り話』を語る時に限って、相手が眠くなってしまうのではないか?
寝起きの古代精霊――力が強すぎるというのも考え物だ。
考えてみればプレートから出て、まだたった五年だ。人間体の調整ができていないのかもしれない。
(もっと体を動かして、力を発散していく方がいいのか……?)
プラグは溜息を吐いた。
ここではカルタのような、自由な過ごし方はできない。
「音読は別の人に当てて欲しいな。アドニスとか」
一人呟いたが、ちょうどそのアドニスと目が合った。プラグは見るのをやめたのだが、アドニスはこちらに歩いて来た。ずいっと近づき、プラグの肩を掴んで、綺羅綺羅と眼鏡の奥の瞳を輝かせて。
「ねえ、君は、地動説ってどう思う!?」
興奮気味に恐いことを聞いてきた。
「――え」
「ほら、さっきの授業。僕は最後まで起きてたけど、君、最後、リーオさんに『君は地動説を信じるか』って聞かれてたよね!」
確かに聞かれた。
他の生徒と同じく、眠くて退屈だったプラグは。
『古代キルト文明で既に地動説が提唱されていた気がします。ですから一周回って戻った、流行のようなものではないでしょうか? 事実は分かりませんが、天文学が発達すれば、観測によって証明されるでしょう。ただそれが人が望む形かどうか、俺には分かりません』
と大真面目に答えてしまったのだ。
言った後、我に返って『――と、養父も言っていました』と付け足した。
「斬新な回答でした! 古代キルトに詳しいの!? 興味があるの――あるんですか!? 今度の休み、僕と一緒に王都図書館に行きませんか!! ここの所蔵は大陸有数だって!」
「いや、すまない……そんなに詳しく無い。養父の受け売りだから」
「そう? それでも、折角の休みだし外に出ませんか? そう言えばアルスちゃんは首都でしたよね。図書館に行ったことがあるなら、一緒にどうです?」
「私?」
アルスが驚いた。
「うん、良ければ案内を頼めますか。ちょっと迷いそうで……」
「いいわよ。確かに、分かりにくいものね」
アルスは快く請け負ってしまったが、アドニスの勢いでは、ついていったら面倒になりそうだ。
「歴史書がいっぱいあるって聞いたけど」
アドニスの言葉に、プラグは『ん?』と思った。
歴史書――紅玉会にも、カルタの地方図書館でも『見た』が、大した量は無かった。気になっている事柄については答えが出ていない。
「そうね、いっぱいあるわ。私もこの国の歴史に興味があるもの。一緒に行きましょう。皆もどう?」
プラグより先にペイトが反応した。
「この国の歴史? アルスってずっと首都じゃないの?」
「実は十歳まで、セラ国にいたの。ディアティル帝国との戦争が始まって逃げて来たんだけど……」
そこで正気に戻ったリーオ隊士に「私語は慎め」と言われてしまった。
■ ■ ■
人数が少ないときは、紅玉会の聖廟で済ませるのだが、五十人以上の大所帯だ。
左右にストラヴェル歴代聖女の像が建ち並び、色とりどりの光が差し込む聖堂に、青い巫女服、青い四角帽を身につけた巫女達が並んでいる。
平素の巫女服は国や地域によって個性があるが、祭典・儀式用の巫女服は青い一枚布から作る、詰め襟の貫頭衣が一般的だ。金色の縁取りがあり、胸に大きく国章が刺繍されている。式典用では無く略式用のようだが、さすがは王城。絵で見たことはあったが、実物は初めて見るので興味深い。
巫女長は二十代前半の女性で、長い金髪を後ろで一つにまとめていた。瞳は少し珍しいピンク色。祭壇には止まり木が有り、豪華な首飾りをつけた紅玉鳥が留まっている。祭壇の左右にも、止まり木がずらりと並び、揃いの服を着た巫女達と紅玉鳥が控えている。
ちなみに青色の『藍玉鳥』もいるが、これは非常に希少で、各代の聖母が持つことになっている。
聖女教会はプレートの所持者を管理していて、誰がどのプレートを持っているか、購入したかは毎月国に報告している。プレートの悪用が発覚すれば、聖女教会の巫女やクロスティアの精霊騎士が剥奪にやってくる。
勿論、巫女は皆プレート使いだ。紅玉鳥は国旗にも使われている。ストラヴェル王国の国旗は青地の中央に金の菱形があり、その中に木の枝を咥えた紅玉鳥が描かれる。これはアストラ王国の国旗が青で、ラヴェル王国の国旗が赤に紅玉鳥だった結果だ。
木の枝はアストラ王国、ラヴェル王国共通の聖樹信仰によるものだ。
祝福の前にリーオ隊士が説明した。
「プレート使い、精霊使い、精霊騎士は厳密に言えば少しずつ違う。プレート使いは精霊の力を封印し、プレートを作ることができる者を言う。封印は紅玉鳥の力で行う。紅玉鳥は聖女や巫女にしか従わないので、巫女に男はいない。古代、神に仕える巫女は未婚であることが条件だったが、今の巫女には既婚者もいる。『聖女』というのは王族の女性を指し、大妃、王妃、妃、王女などがこれにあたる。王族の女性は代々、聖女として紅玉鳥を育てている。王女や妃というのは身分で、聖女というのは職業名、と言った感じだろうか。どちらで呼んでも不敬にならない。――聖母は聖女三国で交代に選ばれ、今はこの国の王妃殿下がなさっている」
「精霊使い、というのはプレートの力を引き出し、扱う事が出来る者の総称だ。プレートを扱えるのは全て、聖女メディアル様の恩寵のあるもの、騎士の末裔、または別の精霊の血を引く者に限られ、その数はとても多い――つまり、聖女教会の巫女はプレート使いでもあるが、精霊使いでもあると言える」
ちなみに精霊であるプラグも、プレートは使える。精霊だから当然と言えば当然だが……大精霊という立場上『契約』が人より簡単なので、ずるをしている気分になる。
大抵の精霊は、プラグが大精霊と分かると相好を崩すのだ。意志を持ち形を取る精霊は少ないが、聖女教会本部で出会った精霊達には、知り合いこそ居なかったが、怯えられたり深く頭を下げられたりした。
「精霊との契約は、紅玉鳥を連れた聖女立ち合いの元、聖女教会の聖廟で精霊を呼び出し、古代ゼクナ語で使用契約を結ぶ。属霊の多くは意志がないので、難しくは無いのだが……プレートに意志が残っていると、拒否される場合がある」
精霊は気難しいので、自分が消えようと、嫌いな者に従う事は絶対にない。
嫌がられた場合は説得するか、諦めるか、弱らせて無理矢理使役するかだ。
ちなみに精霊としてのプラグは、聖女教会の巫女と主従契約を結んでいる。
カルタ家に駆け付けた巫女で、名をサリチル・リノと言う。愛称はサリー。窮地を脱してそのまま、今の時代の説明を受け、納得して主人にした。
と言うのも、万一、プラグが精霊と分かると、どこぞのプレート使いや聖女に捕まる危険がある。一枚のプレートにつき所有者は一人なので、適当な人物がいた方が助かるのだ。
……所有者か精霊が死ねば契約は解除されるので、そこは注意が必要だが……サリーは巫女の内でも実力があるので、まず間違い無いだろう。性格にだいぶ癖があるが、強く賢く、程々に優しい女性だ。
この空間は聖域なので、普段は開放されていない。騎士候補ならではの贅沢と言える。
巫女の一人一人が、紅玉鳥を連れて、一人一人の前で立ち止まり、祝詞を唱えていく。
「ル・アールグラン・ル・アータゼイラ・ル・アミリッジ・ナタフィーカ」
(母なる大地よ。父なる空よ。我らの契りに祝福を)
略式だが、荘厳な誓いで、プレートと意識が結ばれた。
精霊というのは、不思議な存在だ。
――プラグでさえもそう思うのだから、人間にとっては、神に等しい力だろう。
だが精霊は決して、神では無い。
(いまさら、起きたところで……)
自分が何をすべきか、プラグには分からない。