私の友達
ー/ー 玲は幸せ者だな、と思う。私がずっと見守ってきた夏芽をものにしてしまうのだから。
異性を惹きつける特別な魅力を備えているわけではないし(話をするくらいの相手はどうにかいるようだけれど)、目を見張るような突出した才能やなにかを持っているということもない。声は小さいし、微妙に猫背だし、前髪は鬱陶しいし、おまけにシスコンときた。考えれば考えるほど、よくもまあこんなやつが夏芽とくっつくところまで漕ぎ着けたな、と笑ってしまいそうになる。
玲にとって一番の僥倖は、あの樋渡綾の弟だったことだろう。夏芽が懐き、信頼している先輩の弟だったからこそ、半ば自動的にある程度の信頼を夏芽から得ることができたのだ。きっと自覚していないだろうけれど、私が知る限り、そうやって異性に心を許すということは、あの子にとって初めての経験だった。
だからこそ、私は玲に可能性を感じた。夏芽が初恋という感情を抱く可能性があれば、彼の表面的なスペックなんてどうでもよかった。
それに、私だけではない。あのとき、喫茶店で樋渡綾は言っていた。『可愛い弟が素敵な恋人を作って幸せな高校生活を送ることも、私の設定している理想の一つだったからね』と。きっとあの人は、弟の恋模様を詳細まで把握して、仲を取り持とうとしたのだろう。思えば、二人が手を繋いだという蛍鑑賞は樋渡綾が行くことを提案したようだし、あの絵に描いたような陰キャの玲が二人きりになった瞬間に夏芽の手を取ることができたのも、私が発破をかけたからというわけではなく、偉大なる姉からのアドバイスによる成果なのかもしれない。
計らずも自分が樋渡綾と同じベクトルを向いて行動していたという事実(そしてその事実を一方的に把握されていたこと)はなんだか癪に感じるけれど、とにかく今、二人は正しく結ばれようとしている。
玲を想う気持ちと、その想いに付随するままならなさを自覚しつつあることで、ようやく夏芽はスタートラインに立とうとしている。生まれ変わるための、スタートラインに。
ここまでくればもう、なにもお膳立てはいらない。あとのことはすべて成り行きで進む。なにかトラブルがあればそのときになって出向けばいいだけのことだ。もう能動的に動く必要はないし、見えないタイムリミットに怯えなくてもいい。
私はなんだか、自分が長く気怠いウィニングランを走っているような気分になる。
七月十一日。夏芽の十七歳の誕生日。
あの子と知り合ってから、毎年欠かさず誕生日は一緒に過ごしてきた。十歳の頃から八年連続。八年。長い月日だ。
本当だったら今頃、私の部屋かあの子の家で一緒にケーキを食べて、何かしらのプレゼントを送っていただろう。去年はチョコレートケーキを食べて、バイト代を貯めて買ったケイト・スペードの腕時計を送った。夏芽はそれをとても気に入っていつも着けていたけれど、今年に入ってから失くしてしまって、そのことで泣きながら私に謝ってきた。そんなエピソードを、ひどく昔に感じる。今年、あの子はどんな誕生日を送るのだろう。
今日は夕方から、地元の神社で夏祭りが開かれる。玲はそれに夏芽を誘ったようだ。そんなに大きな規模の祭りではないけれど、ムード作りという点では一役買ってくれるだろう。
夏芽の恋心は、かつてないほど膨らんでいる。その膨張した思いをさばいてみると、きっと私のかけた暗示の言葉が重い鉛のように詰まっていることだろう。それがあの子の恋心を構成するすべてとは言わない。彼女は、少なからず自力で異性への関心まで漕ぎつけていた。けれど、それを整形し、加工し、パッケージし、名前を付けたのは私。その事実が、最後の最後まで私を不安にさせる。
放課後、私は夏芽に声をかけた。
「今日だね」
そう言って肩を叩くと、こちらを振り向いたその表情にはわかりやすすぎるほどありありと緊張の色が窺えた。
「みーちゃん……」
不安そうに、夏芽が私の名前を呼ぶ。もう何度、この音色を耳にしたことだろう。何度、愛おしく思う気持ちを隠しながらそれに応えただろう。慰めたり、励ましたり、時には突き放したりして、私は彼女の背中を見守ってきた。今日も、同じようにすればいい。
「大丈夫? 緊張しすぎじゃない」
大丈夫? 無理しなくていいから。
もう少しで、私はそう口にするところだった。自分の覚悟の弱さに、笑ってしまいそうになる。
――そうすれば、ハッピーエンドを迎えられる?
樋渡綾の言葉が蘇る。私はあのとき、はっきりと返事をしただろうか。自信がない。
「あ……」
力無く呟いた夏芽が、ポケットからスマホを取り出す。マナーモードに設定されているそれが、小さな手の中で震えている。ディスプレイには、【樋渡 玲】と表示されている。どうやら着信がきたらしい。
「頑張れ。なんかあったら、LINEくれればいいから」
そう言って、私は教室から出て行く。背を向ける間際、夏芽がなにかを言いたそうにこちらを見ていたことには、ちゃんと気づいていた。
異性を惹きつける特別な魅力を備えているわけではないし(話をするくらいの相手はどうにかいるようだけれど)、目を見張るような突出した才能やなにかを持っているということもない。声は小さいし、微妙に猫背だし、前髪は鬱陶しいし、おまけにシスコンときた。考えれば考えるほど、よくもまあこんなやつが夏芽とくっつくところまで漕ぎ着けたな、と笑ってしまいそうになる。
玲にとって一番の僥倖は、あの樋渡綾の弟だったことだろう。夏芽が懐き、信頼している先輩の弟だったからこそ、半ば自動的にある程度の信頼を夏芽から得ることができたのだ。きっと自覚していないだろうけれど、私が知る限り、そうやって異性に心を許すということは、あの子にとって初めての経験だった。
だからこそ、私は玲に可能性を感じた。夏芽が初恋という感情を抱く可能性があれば、彼の表面的なスペックなんてどうでもよかった。
それに、私だけではない。あのとき、喫茶店で樋渡綾は言っていた。『可愛い弟が素敵な恋人を作って幸せな高校生活を送ることも、私の設定している理想の一つだったからね』と。きっとあの人は、弟の恋模様を詳細まで把握して、仲を取り持とうとしたのだろう。思えば、二人が手を繋いだという蛍鑑賞は樋渡綾が行くことを提案したようだし、あの絵に描いたような陰キャの玲が二人きりになった瞬間に夏芽の手を取ることができたのも、私が発破をかけたからというわけではなく、偉大なる姉からのアドバイスによる成果なのかもしれない。
計らずも自分が樋渡綾と同じベクトルを向いて行動していたという事実(そしてその事実を一方的に把握されていたこと)はなんだか癪に感じるけれど、とにかく今、二人は正しく結ばれようとしている。
玲を想う気持ちと、その想いに付随するままならなさを自覚しつつあることで、ようやく夏芽はスタートラインに立とうとしている。生まれ変わるための、スタートラインに。
ここまでくればもう、なにもお膳立てはいらない。あとのことはすべて成り行きで進む。なにかトラブルがあればそのときになって出向けばいいだけのことだ。もう能動的に動く必要はないし、見えないタイムリミットに怯えなくてもいい。
私はなんだか、自分が長く気怠いウィニングランを走っているような気分になる。
七月十一日。夏芽の十七歳の誕生日。
あの子と知り合ってから、毎年欠かさず誕生日は一緒に過ごしてきた。十歳の頃から八年連続。八年。長い月日だ。
本当だったら今頃、私の部屋かあの子の家で一緒にケーキを食べて、何かしらのプレゼントを送っていただろう。去年はチョコレートケーキを食べて、バイト代を貯めて買ったケイト・スペードの腕時計を送った。夏芽はそれをとても気に入っていつも着けていたけれど、今年に入ってから失くしてしまって、そのことで泣きながら私に謝ってきた。そんなエピソードを、ひどく昔に感じる。今年、あの子はどんな誕生日を送るのだろう。
今日は夕方から、地元の神社で夏祭りが開かれる。玲はそれに夏芽を誘ったようだ。そんなに大きな規模の祭りではないけれど、ムード作りという点では一役買ってくれるだろう。
夏芽の恋心は、かつてないほど膨らんでいる。その膨張した思いをさばいてみると、きっと私のかけた暗示の言葉が重い鉛のように詰まっていることだろう。それがあの子の恋心を構成するすべてとは言わない。彼女は、少なからず自力で異性への関心まで漕ぎつけていた。けれど、それを整形し、加工し、パッケージし、名前を付けたのは私。その事実が、最後の最後まで私を不安にさせる。
放課後、私は夏芽に声をかけた。
「今日だね」
そう言って肩を叩くと、こちらを振り向いたその表情にはわかりやすすぎるほどありありと緊張の色が窺えた。
「みーちゃん……」
不安そうに、夏芽が私の名前を呼ぶ。もう何度、この音色を耳にしたことだろう。何度、愛おしく思う気持ちを隠しながらそれに応えただろう。慰めたり、励ましたり、時には突き放したりして、私は彼女の背中を見守ってきた。今日も、同じようにすればいい。
「大丈夫? 緊張しすぎじゃない」
大丈夫? 無理しなくていいから。
もう少しで、私はそう口にするところだった。自分の覚悟の弱さに、笑ってしまいそうになる。
――そうすれば、ハッピーエンドを迎えられる?
樋渡綾の言葉が蘇る。私はあのとき、はっきりと返事をしただろうか。自信がない。
「あ……」
力無く呟いた夏芽が、ポケットからスマホを取り出す。マナーモードに設定されているそれが、小さな手の中で震えている。ディスプレイには、【樋渡 玲】と表示されている。どうやら着信がきたらしい。
「頑張れ。なんかあったら、LINEくれればいいから」
そう言って、私は教室から出て行く。背を向ける間際、夏芽がなにかを言いたそうにこちらを見ていたことには、ちゃんと気づいていた。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
玲は幸せ者だな、と思う。私がずっと見守ってきた夏芽をものにしてしまうのだから。
異性を惹きつける特別な魅力を備えているわけではないし(話をするくらいの相手はどうにかいるようだけれど)、目を見張るような突出した才能やなにかを持っているということもない。声は小さいし、微妙に猫背だし、前髪は鬱陶しいし、おまけにシスコンときた。考えれば考えるほど、よくもまあこんなやつが夏芽とくっつくところまで漕ぎ着けたな、と笑ってしまいそうになる。
玲にとって一番の僥倖は、あの樋渡綾の弟だったことだろう。夏芽が懐き、信頼している先輩の弟だったからこそ、半ば自動的にある程度の信頼を夏芽から得ることができたのだ。きっと自覚していないだろうけれど、私が知る限り、そうやって異性に心を許すということは、あの子にとって初めての経験だった。
だからこそ、私は玲に可能性を感じた。夏芽が初恋という感情を抱く可能性があれば、彼の表面的なスペックなんてどうでもよかった。
それに、私だけではない。あのとき、喫茶店で樋渡綾は言っていた。『可愛い弟が素敵な恋人を作って幸せな高校生活を送ることも、私の設定している理想の一つだったからね』と。きっとあの人は、弟の恋模様を詳細まで把握して、仲を取り持とうとしたのだろう。思えば、二人が手を繋いだという蛍鑑賞は樋渡綾が行くことを提案したようだし、あの絵に描いたような陰キャの玲が二人きりになった瞬間に夏芽の手を取ることができたのも、私が発破をかけたからというわけではなく、偉大なる姉からのアドバイスによる成果なのかもしれない。
計らずも自分が樋渡綾と同じベクトルを向いて行動していたという事実(そしてその事実を一方的に把握されていたこと)はなんだか癪に感じるけれど、とにかく今、二人は正しく結ばれようとしている。
玲を想う気持ちと、その想いに付随するままならなさを自覚しつつあることで、ようやく夏芽はスタートラインに立とうとしている。生まれ変わるための、スタートラインに。
ここまでくればもう、なにもお膳立てはいらない。あとのことはすべて成り行きで進む。なにかトラブルがあればそのときになって出向けばいいだけのことだ。もう能動的に動く必要はないし、見えないタイムリミットに怯えなくてもいい。
私はなんだか、自分が長く気怠いウィニングランを走っているような気分になる。
七月十一日。夏芽の十七歳の誕生日。
あの子と知り合ってから、毎年欠かさず誕生日は一緒に過ごしてきた。十歳の頃から八年連続。八年。長い月日だ。
本当だったら今頃、私の部屋かあの子の家で一緒にケーキを食べて、何かしらのプレゼントを送っていただろう。去年はチョコレートケーキを食べて、バイト代を貯めて買ったケイト・スペードの腕時計を送った。夏芽はそれをとても気に入っていつも着けていたけれど、今年に入ってから失くしてしまって、そのことで泣きながら私に謝ってきた。そんなエピソードを、ひどく昔に感じる。今年、あの子はどんな誕生日を送るのだろう。
今日は夕方から、地元の神社で夏祭りが開かれる。玲はそれに夏芽を誘ったようだ。そんなに大きな規模の祭りではないけれど、ムード作りという点では一役買ってくれるだろう。
夏芽の恋心は、かつてないほど膨らんでいる。その膨張した思いをさばいてみると、きっと私のかけた暗示の言葉が重い鉛のように詰まっていることだろう。それがあの子の恋心を構成するすべてとは言わない。彼女は、少なからず自力で異性への関心まで漕ぎつけていた。けれど、それを整形し、加工し、パッケージし、名前を付けたのは私。その事実が、最後の最後まで私を不安にさせる。
放課後、私は夏芽に声をかけた。
「今日だね」
そう言って肩を叩くと、こちらを振り向いたその表情にはわかりやすすぎるほどありありと緊張の色が窺えた。
「みーちゃん……」
不安そうに、夏芽が私の名前を呼ぶ。もう何度、この音色を耳にしたことだろう。何度、愛おしく思う気持ちを隠しながらそれに応えただろう。慰めたり、励ましたり、時には突き放したりして、私は彼女の背中を見守ってきた。今日も、同じようにすればいい。
「大丈夫? 緊張しすぎじゃない」
大丈夫? 無理しなくていいから。
もう少しで、私はそう口にするところだった。自分の覚悟の弱さに、笑ってしまいそうになる。
――そうすれば、ハッピーエンドを迎えられる?
樋渡綾の言葉が蘇る。私はあのとき、はっきりと返事をしただろうか。自信がない。
「あ……」
力無く呟いた夏芽が、ポケットからスマホを取り出す。マナーモードに設定されているそれが、小さな手の中で震えている。ディスプレイには、【樋渡 玲】と表示されている。どうやら着信がきたらしい。
「頑張れ。なんかあったら、LINEくれればいいから」
そう言って、私は教室から出て行く。背を向ける間際、夏芽がなにかを言いたそうにこちらを見ていたことには、ちゃんと気づいていた。
異性を惹きつける特別な魅力を備えているわけではないし(話をするくらいの相手はどうにかいるようだけれど)、目を見張るような突出した才能やなにかを持っているということもない。声は小さいし、微妙に猫背だし、前髪は鬱陶しいし、おまけにシスコンときた。考えれば考えるほど、よくもまあこんなやつが夏芽とくっつくところまで漕ぎ着けたな、と笑ってしまいそうになる。
玲にとって一番の僥倖は、あの樋渡綾の弟だったことだろう。夏芽が懐き、信頼している先輩の弟だったからこそ、半ば自動的にある程度の信頼を夏芽から得ることができたのだ。きっと自覚していないだろうけれど、私が知る限り、そうやって異性に心を許すということは、あの子にとって初めての経験だった。
だからこそ、私は玲に可能性を感じた。夏芽が初恋という感情を抱く可能性があれば、彼の表面的なスペックなんてどうでもよかった。
それに、私だけではない。あのとき、喫茶店で樋渡綾は言っていた。『可愛い弟が素敵な恋人を作って幸せな高校生活を送ることも、私の設定している理想の一つだったからね』と。きっとあの人は、弟の恋模様を詳細まで把握して、仲を取り持とうとしたのだろう。思えば、二人が手を繋いだという蛍鑑賞は樋渡綾が行くことを提案したようだし、あの絵に描いたような陰キャの玲が二人きりになった瞬間に夏芽の手を取ることができたのも、私が発破をかけたからというわけではなく、偉大なる姉からのアドバイスによる成果なのかもしれない。
計らずも自分が樋渡綾と同じベクトルを向いて行動していたという事実(そしてその事実を一方的に把握されていたこと)はなんだか癪に感じるけれど、とにかく今、二人は正しく結ばれようとしている。
玲を想う気持ちと、その想いに付随するままならなさを自覚しつつあることで、ようやく夏芽はスタートラインに立とうとしている。生まれ変わるための、スタートラインに。
ここまでくればもう、なにもお膳立てはいらない。あとのことはすべて成り行きで進む。なにかトラブルがあればそのときになって出向けばいいだけのことだ。もう能動的に動く必要はないし、見えないタイムリミットに怯えなくてもいい。
私はなんだか、自分が長く気怠いウィニングランを走っているような気分になる。
七月十一日。夏芽の十七歳の誕生日。
あの子と知り合ってから、毎年欠かさず誕生日は一緒に過ごしてきた。十歳の頃から八年連続。八年。長い月日だ。
本当だったら今頃、私の部屋かあの子の家で一緒にケーキを食べて、何かしらのプレゼントを送っていただろう。去年はチョコレートケーキを食べて、バイト代を貯めて買ったケイト・スペードの腕時計を送った。夏芽はそれをとても気に入っていつも着けていたけれど、今年に入ってから失くしてしまって、そのことで泣きながら私に謝ってきた。そんなエピソードを、ひどく昔に感じる。今年、あの子はどんな誕生日を送るのだろう。
今日は夕方から、地元の神社で夏祭りが開かれる。玲はそれに夏芽を誘ったようだ。そんなに大きな規模の祭りではないけれど、ムード作りという点では一役買ってくれるだろう。
夏芽の恋心は、かつてないほど膨らんでいる。その膨張した思いをさばいてみると、きっと私のかけた暗示の言葉が重い鉛のように詰まっていることだろう。それがあの子の恋心を構成するすべてとは言わない。彼女は、少なからず自力で異性への関心まで漕ぎつけていた。けれど、それを整形し、加工し、パッケージし、名前を付けたのは私。その事実が、最後の最後まで私を不安にさせる。
放課後、私は夏芽に声をかけた。
「今日だね」
そう言って肩を叩くと、こちらを振り向いたその表情にはわかりやすすぎるほどありありと緊張の色が窺えた。
「みーちゃん……」
不安そうに、夏芽が私の名前を呼ぶ。もう何度、この音色を耳にしたことだろう。何度、愛おしく思う気持ちを隠しながらそれに応えただろう。慰めたり、励ましたり、時には突き放したりして、私は彼女の背中を見守ってきた。今日も、同じようにすればいい。
「大丈夫? 緊張しすぎじゃない」
大丈夫? 無理しなくていいから。
もう少しで、私はそう口にするところだった。自分の覚悟の弱さに、笑ってしまいそうになる。
――そうすれば、ハッピーエンドを迎えられる?
樋渡綾の言葉が蘇る。私はあのとき、はっきりと返事をしただろうか。自信がない。
「あ……」
力無く呟いた夏芽が、ポケットからスマホを取り出す。マナーモードに設定されているそれが、小さな手の中で震えている。ディスプレイには、【樋渡 玲】と表示されている。どうやら着信がきたらしい。
「頑張れ。なんかあったら、LINEくれればいいから」
そう言って、私は教室から出て行く。背を向ける間際、夏芽がなにかを言いたそうにこちらを見ていたことには、ちゃんと気づいていた。