空白
ー/ー 昼休みになると、私は玲にメッセージを送る(この前連絡先を交換したのだ)。一緒にお昼を食べようと声をかけてきた夏芽を璃李依に預けて、私は中庭に向かう。
「ちょっと意外だった。あんたって、夏芽相手だとけっこう積極的になれるんだね」
中庭のベンチで合流してから、私は開口一番そう言って褒めてあげた。しかし当の玲は僅かに顔を赤らめるだけで、それ以上の反応を示さない。
「あの人なら、ちょっとくらいつっこんだ質問しても、俺のし、真意には気づかないだろうなって、思ったんです」
言っている内容は立派だけれど、言葉尻は消え入りそうなものだった。気まずさを埋めるように、玲はメロンパンに齧り付く。私はなんだかあまり食欲がなくて、朝に買ったリプトンの残りを飲んだだけでお腹が満たされてしまう。
「あんた、夏芽の前でもそんなちっちゃな声で話してんの?」
「そうならないように、意識はしてるつもりですけど」
き、緊張するんですよ、小瀬先輩といると。玲は俯きながらそう言った。たしかにこいつは頑なに私と視線を合わせようとしない。
「ほんと、あんたってお姉さんと真逆の性格してるね」
「姉さんはすごい人だと思います。俺なんかとは、全然違う」
ただの厭味のつもりだったのに、玲は尊敬と畏怖が混じりあったような深刻な雰囲気を纏わせる。一瞬で、忘れかけていたあの完成された佇まいと計算し尽くされた笑顔が蘇る。玲にあの立ち居振る舞いが受け継がれていなくて、本当に良かったと思う。
「玲」
「は、はい」
「私のことを苦手に思ってるんならそれでいい。樋渡先輩にコンプレックスがあるのもこの際仕方のないことだと思う。だけどね、少なくとも夏芽の前では堂々と振る舞って。ちゃんと目を見て、あの子の考えていることや感じていることを汲みとってあげて。それが守れるんなら、私はいくらでもあんたに協力するから」
できるだけ棘のないよう、それでいて軽い調子にもならないよう、絶妙なトーンを意識した。
「わかり、ました」
そうやって玲が頷いてくれたことに、ほっとする。やっぱり、私はこの陰気な後輩に期待を抱いてしまっている。
「そういえば、そ、聡一郎君、元気ですか?」
「聡一郎?」
玲の口から急に聡一郎の名前が出たことに少しだけ驚く。けれど、なんのことはない。彼らはれっきとした幼馴染だ。
「元気だよ。週末も会うし」
会うし、と付け足したことでなんだか言い訳じみてしまったような気がするのは、さすがに考えすぎだろうか。
「仲、良いんですね」
「まあね」
我ながら白々しすぎて、笑ってしまいそうになる。
実際のところ、私たちは喧嘩をしているわけではない。もっと厳密に言えば、すれ違ってすらいない。私も聡一郎も、己の中の理想としか向き合えていないから。そもそも卒業式の日以来、私たちは摩擦が生じるような距離にいない。
「俺、実はちょっとびっくりしてるんです」
「びっくりって、なにに?」
メロンパンの屑がついた口元をハンカチで拭いながら、玲はちょっと迷ったふうに続ける。
「聡一郎君が、女の人と付き合っていることに、です」
「彼が、樋渡先輩一筋だと思っていたから?」
私がそう言うと、玲は小さく口を開けて私の方へと顔を向けた。前髪の間から、透き通るように左目が覗く。短いけれど力強くしっかりと生え揃ったまつ毛。夏芽は、この目許にいったいなにを思うのだろう。
「わ、わかってたんですね」
「うん」
沈黙が訪れる。リプトンで潤った口の中にマルボロの味がほんの少しだけよぎって、今もわずかにまとわりついているであろう了の部屋の香りや、寝心地の良かったベッドのことを連鎖的に思い出す。それは一種の逃避だと、私は戒めるように自分に言い聞かせる。
「小瀬先輩は、ど、どうやって聡一郎君と仲良くなったんですか」
私と話すのは緊張すると言いながら、それなりに踏み込んだ質問をぶつけてくる。そんな玲が、どこか健気に映る。
「別に、特別なことなんてなにもしてない。お互いに仲良くなりたいと思ったから仲良くなれたっていう、ただそれだけのことだよ」
求めている答えではないことはわかっていた。けれど、一つの真理だとも思っている。恋愛に限らず、双方向的だからこそ人間関係というものは成立するのだ。
中学時代の私の方が、まだそのことを感覚として理解していた気がする。
「ちょっと意外だった。あんたって、夏芽相手だとけっこう積極的になれるんだね」
中庭のベンチで合流してから、私は開口一番そう言って褒めてあげた。しかし当の玲は僅かに顔を赤らめるだけで、それ以上の反応を示さない。
「あの人なら、ちょっとくらいつっこんだ質問しても、俺のし、真意には気づかないだろうなって、思ったんです」
言っている内容は立派だけれど、言葉尻は消え入りそうなものだった。気まずさを埋めるように、玲はメロンパンに齧り付く。私はなんだかあまり食欲がなくて、朝に買ったリプトンの残りを飲んだだけでお腹が満たされてしまう。
「あんた、夏芽の前でもそんなちっちゃな声で話してんの?」
「そうならないように、意識はしてるつもりですけど」
き、緊張するんですよ、小瀬先輩といると。玲は俯きながらそう言った。たしかにこいつは頑なに私と視線を合わせようとしない。
「ほんと、あんたってお姉さんと真逆の性格してるね」
「姉さんはすごい人だと思います。俺なんかとは、全然違う」
ただの厭味のつもりだったのに、玲は尊敬と畏怖が混じりあったような深刻な雰囲気を纏わせる。一瞬で、忘れかけていたあの完成された佇まいと計算し尽くされた笑顔が蘇る。玲にあの立ち居振る舞いが受け継がれていなくて、本当に良かったと思う。
「玲」
「は、はい」
「私のことを苦手に思ってるんならそれでいい。樋渡先輩にコンプレックスがあるのもこの際仕方のないことだと思う。だけどね、少なくとも夏芽の前では堂々と振る舞って。ちゃんと目を見て、あの子の考えていることや感じていることを汲みとってあげて。それが守れるんなら、私はいくらでもあんたに協力するから」
できるだけ棘のないよう、それでいて軽い調子にもならないよう、絶妙なトーンを意識した。
「わかり、ました」
そうやって玲が頷いてくれたことに、ほっとする。やっぱり、私はこの陰気な後輩に期待を抱いてしまっている。
「そういえば、そ、聡一郎君、元気ですか?」
「聡一郎?」
玲の口から急に聡一郎の名前が出たことに少しだけ驚く。けれど、なんのことはない。彼らはれっきとした幼馴染だ。
「元気だよ。週末も会うし」
会うし、と付け足したことでなんだか言い訳じみてしまったような気がするのは、さすがに考えすぎだろうか。
「仲、良いんですね」
「まあね」
我ながら白々しすぎて、笑ってしまいそうになる。
実際のところ、私たちは喧嘩をしているわけではない。もっと厳密に言えば、すれ違ってすらいない。私も聡一郎も、己の中の理想としか向き合えていないから。そもそも卒業式の日以来、私たちは摩擦が生じるような距離にいない。
「俺、実はちょっとびっくりしてるんです」
「びっくりって、なにに?」
メロンパンの屑がついた口元をハンカチで拭いながら、玲はちょっと迷ったふうに続ける。
「聡一郎君が、女の人と付き合っていることに、です」
「彼が、樋渡先輩一筋だと思っていたから?」
私がそう言うと、玲は小さく口を開けて私の方へと顔を向けた。前髪の間から、透き通るように左目が覗く。短いけれど力強くしっかりと生え揃ったまつ毛。夏芽は、この目許にいったいなにを思うのだろう。
「わ、わかってたんですね」
「うん」
沈黙が訪れる。リプトンで潤った口の中にマルボロの味がほんの少しだけよぎって、今もわずかにまとわりついているであろう了の部屋の香りや、寝心地の良かったベッドのことを連鎖的に思い出す。それは一種の逃避だと、私は戒めるように自分に言い聞かせる。
「小瀬先輩は、ど、どうやって聡一郎君と仲良くなったんですか」
私と話すのは緊張すると言いながら、それなりに踏み込んだ質問をぶつけてくる。そんな玲が、どこか健気に映る。
「別に、特別なことなんてなにもしてない。お互いに仲良くなりたいと思ったから仲良くなれたっていう、ただそれだけのことだよ」
求めている答えではないことはわかっていた。けれど、一つの真理だとも思っている。恋愛に限らず、双方向的だからこそ人間関係というものは成立するのだ。
中学時代の私の方が、まだそのことを感覚として理解していた気がする。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
昼休みになると、私は玲にメッセージを送る(この前連絡先を交換したのだ)。一緒にお昼を食べようと声をかけてきた夏芽を璃李依に預けて、私は中庭に向かう。
「ちょっと意外だった。あんたって、夏芽相手だとけっこう積極的になれるんだね」
中庭のベンチで合流してから、私は開口一番そう言って褒めてあげた。しかし当の玲は僅かに顔を赤らめるだけで、それ以上の反応を示さない。
「あの人なら、ちょっとくらいつっこんだ質問しても、俺のし、真意には気づかないだろうなって、思ったんです」
言っている内容は立派だけれど、言葉尻は消え入りそうなものだった。気まずさを埋めるように、玲はメロンパンに齧り付く。私はなんだかあまり食欲がなくて、朝に買ったリプトンの残りを飲んだだけでお腹が満たされてしまう。
「あんた、夏芽の前でもそんなちっちゃな声で話してんの?」
「そうならないように、意識はしてるつもりですけど」
き、緊張するんですよ、小瀬先輩といると。玲は俯きながらそう言った。たしかにこいつは頑なに私と視線を合わせようとしない。
「ほんと、あんたってお姉さんと真逆の性格してるね」
「姉さんはすごい人だと思います。俺なんかとは、全然違う」
ただの厭味のつもりだったのに、玲は尊敬と畏怖が混じりあったような深刻な雰囲気を纏わせる。一瞬で、忘れかけていたあの完成された佇まいと計算し尽くされた笑顔が蘇る。玲にあの立ち居振る舞いが受け継がれていなくて、本当に良かったと思う。
「玲」
「は、はい」
「私のことを苦手に思ってるんならそれでいい。樋渡先輩にコンプレックスがあるのもこの際仕方のないことだと思う。だけどね、少なくとも夏芽の前では堂々と振る舞って。ちゃんと目を見て、あの子の考えていることや感じていることを汲みとってあげて。それが守れるんなら、私はいくらでもあんたに協力するから」
できるだけ棘のないよう、それでいて軽い調子にもならないよう、絶妙なトーンを意識した。
「わかり、ました」
そうやって玲が頷いてくれたことに、ほっとする。やっぱり、私はこの陰気な後輩に期待を抱いてしまっている。
「そういえば、そ、聡一郎君、元気ですか?」
「聡一郎?」
玲の口から急に聡一郎の名前が出たことに少しだけ驚く。けれど、なんのことはない。彼らはれっきとした幼馴染だ。
「元気だよ。週末も会うし」
会うし、と付け足したことでなんだか言い訳じみてしまったような気がするのは、さすがに考えすぎだろうか。
「仲、良いんですね」
「まあね」
我ながら白々しすぎて、笑ってしまいそうになる。
実際のところ、私たちは喧嘩をしているわけではない。もっと厳密に言えば、すれ違ってすらいない。私も聡一郎も、己の中の理想としか向き合えていないから。そもそも卒業式の日以来、私たちは摩擦が生じるような距離にいない。
「俺、実はちょっとびっくりしてるんです」
「びっくりって、なにに?」
メロンパンの屑がついた口元をハンカチで拭いながら、玲はちょっと迷ったふうに続ける。
「聡一郎君が、女の人と付き合っていることに、です」
「彼が、樋渡先輩一筋だと思っていたから?」
私がそう言うと、玲は小さく口を開けて私の方へと顔を向けた。前髪の間から、透き通るように左目が覗く。短いけれど力強くしっかりと生え揃ったまつ毛。夏芽は、この目許にいったいなにを思うのだろう。
「わ、わかってたんですね」
「うん」
沈黙が訪れる。リプトンで潤った口の中にマルボロの味がほんの少しだけよぎって、今もわずかにまとわりついているであろう了の部屋の香りや、寝心地の良かったベッドのことを連鎖的に思い出す。それは一種の逃避だと、私は戒めるように自分に言い聞かせる。
「小瀬先輩は、ど、どうやって聡一郎君と仲良くなったんですか」
私と話すのは緊張すると言いながら、それなりに踏み込んだ質問をぶつけてくる。そんな玲が、どこか健気に映る。
「別に、特別なことなんてなにもしてない。お互いに仲良くなりたいと思ったから仲良くなれたっていう、ただそれだけのことだよ」
求めている答えではないことはわかっていた。けれど、一つの真理だとも思っている。恋愛に限らず、双方向的だからこそ人間関係というものは成立するのだ。
中学時代の私の方が、まだそのことを感覚として理解していた気がする。
「ちょっと意外だった。あんたって、夏芽相手だとけっこう積極的になれるんだね」
中庭のベンチで合流してから、私は開口一番そう言って褒めてあげた。しかし当の玲は僅かに顔を赤らめるだけで、それ以上の反応を示さない。
「あの人なら、ちょっとくらいつっこんだ質問しても、俺のし、真意には気づかないだろうなって、思ったんです」
言っている内容は立派だけれど、言葉尻は消え入りそうなものだった。気まずさを埋めるように、玲はメロンパンに齧り付く。私はなんだかあまり食欲がなくて、朝に買ったリプトンの残りを飲んだだけでお腹が満たされてしまう。
「あんた、夏芽の前でもそんなちっちゃな声で話してんの?」
「そうならないように、意識はしてるつもりですけど」
き、緊張するんですよ、小瀬先輩といると。玲は俯きながらそう言った。たしかにこいつは頑なに私と視線を合わせようとしない。
「ほんと、あんたってお姉さんと真逆の性格してるね」
「姉さんはすごい人だと思います。俺なんかとは、全然違う」
ただの厭味のつもりだったのに、玲は尊敬と畏怖が混じりあったような深刻な雰囲気を纏わせる。一瞬で、忘れかけていたあの完成された佇まいと計算し尽くされた笑顔が蘇る。玲にあの立ち居振る舞いが受け継がれていなくて、本当に良かったと思う。
「玲」
「は、はい」
「私のことを苦手に思ってるんならそれでいい。樋渡先輩にコンプレックスがあるのもこの際仕方のないことだと思う。だけどね、少なくとも夏芽の前では堂々と振る舞って。ちゃんと目を見て、あの子の考えていることや感じていることを汲みとってあげて。それが守れるんなら、私はいくらでもあんたに協力するから」
できるだけ棘のないよう、それでいて軽い調子にもならないよう、絶妙なトーンを意識した。
「わかり、ました」
そうやって玲が頷いてくれたことに、ほっとする。やっぱり、私はこの陰気な後輩に期待を抱いてしまっている。
「そういえば、そ、聡一郎君、元気ですか?」
「聡一郎?」
玲の口から急に聡一郎の名前が出たことに少しだけ驚く。けれど、なんのことはない。彼らはれっきとした幼馴染だ。
「元気だよ。週末も会うし」
会うし、と付け足したことでなんだか言い訳じみてしまったような気がするのは、さすがに考えすぎだろうか。
「仲、良いんですね」
「まあね」
我ながら白々しすぎて、笑ってしまいそうになる。
実際のところ、私たちは喧嘩をしているわけではない。もっと厳密に言えば、すれ違ってすらいない。私も聡一郎も、己の中の理想としか向き合えていないから。そもそも卒業式の日以来、私たちは摩擦が生じるような距離にいない。
「俺、実はちょっとびっくりしてるんです」
「びっくりって、なにに?」
メロンパンの屑がついた口元をハンカチで拭いながら、玲はちょっと迷ったふうに続ける。
「聡一郎君が、女の人と付き合っていることに、です」
「彼が、樋渡先輩一筋だと思っていたから?」
私がそう言うと、玲は小さく口を開けて私の方へと顔を向けた。前髪の間から、透き通るように左目が覗く。短いけれど力強くしっかりと生え揃ったまつ毛。夏芽は、この目許にいったいなにを思うのだろう。
「わ、わかってたんですね」
「うん」
沈黙が訪れる。リプトンで潤った口の中にマルボロの味がほんの少しだけよぎって、今もわずかにまとわりついているであろう了の部屋の香りや、寝心地の良かったベッドのことを連鎖的に思い出す。それは一種の逃避だと、私は戒めるように自分に言い聞かせる。
「小瀬先輩は、ど、どうやって聡一郎君と仲良くなったんですか」
私と話すのは緊張すると言いながら、それなりに踏み込んだ質問をぶつけてくる。そんな玲が、どこか健気に映る。
「別に、特別なことなんてなにもしてない。お互いに仲良くなりたいと思ったから仲良くなれたっていう、ただそれだけのことだよ」
求めている答えではないことはわかっていた。けれど、一つの真理だとも思っている。恋愛に限らず、双方向的だからこそ人間関係というものは成立するのだ。
中学時代の私の方が、まだそのことを感覚として理解していた気がする。