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 二年に進級しても、夏芽とは変わらず同じクラスだった。進路調査でお互い文系の大学を希望していたから、その時点で確率的にはかなり絞られていたわけだけれど、それでも私たちはちょっとした奇跡に巡り合ったみたいに喜んだ。
「先輩たちが卒業して、さすがに一人で続ける根性はなかったか」
 始業式が終わり、クラスメートもあらかた出払った教室で、私は今日も夏芽のヘアアレンジを請け負っている。
「うん。綾さんも、無理に部を存続させる必要はないよって言ってくれたし」
「そういえばあの人、大学でなに専攻してんの」
「心理学って言ってたよ。教職もとりたいから、教育文化学部? に入ってる」
 うげ、と夏芽の後ろで思わず苦い顔をしてしまう。心理学って、あの人が学ぶとなるとなんか不気味だ。
「でもさ、聡一郎さんと違う大学って、本当に意外だよね」
 と夏芽は言った。
「ああね」
「あの二人って、なんだかずっと一緒にいるイメージがあるもんね。あ、でもでも、みーちゃんと聡一郎さんもちゃんとお似合いだよ」
「ありがと」
「みーちゃんはやっぱり、同じ大学目指すの?」
「そんなのまだわかんない」
 わかんない、って言ってるのに、そっかそっか、とご機嫌な様子で夏芽は相槌を打つ。頭が揺れて編み込みに失敗してしまった。一本にまとめたおさげから不恰好にはみ出た一束を、もう一度編み込み直す。裏編みって、やっぱり難しい。
 聡一郎と付き合ったことは、夏芽にちゃんと報告した。そのときの夏芽は、驚いたり喜んだりと忙しく、本当に想像と寸分違わないリアクションを見せてくれた。今思い返しても微笑ましい。
「ね、今度はいつ会うの?」
「明日」
「手とか、繋いじゃうの?」
「さあ、どうでしょう」
「えー!」
「こら、動くな」
 せっかくいい感じで進んでいた編み込みが、またもやり直しとなってしまう。手を繋ぐくらいのことでこんなにもはしゃげる夏芽のことを、どうしても不可解に感じてしまう瞬間がある。
 当たり前のことだけれど、聡一郎と付き合った当日に二人でホテルに行ったということは、夏芽に話していない。いやいや、私たちはもう高校二年生だ。したりしなかったりっていう話が口の端に上るのは至極当然というか、至極健全なことで、いい加減夏芽をそこに引き込んでも構わないじゃない、とは思う。けれど、やっぱりその決心は簡単にはつかない。その証拠に、夏芽は聡一郎が私にとって初めての彼氏だと思っている。これまで、恋愛カテゴリの事情をこの子に話すことはなかったから、聡一郎のことを報告しただけで一歩前進じゃないかと、そんな甘いことを考えてしまう。
「ね、じゃあ今日は会わないの?」
 編み込みを再開していると、再び夏芽が訊ねる。
「えらく気にするね」
 この子が私と聡一郎の関係に関心を示すのは別におかしいことじゃないけれど、その焦点が一定の所に集まっているような感覚があった。今日は会わない、と言ってやると、「ふうん」とわかりやすく感情を抑えて頷いている。
「実はさ、みーちゃんに紹介したい人がいるんだ」
「紹介したい人?」
 夏芽の口から、思いもよらない言葉が聞かれた。彼女の交友関係のすべてを把握しているつもりでいただけに、紹介したい人、というその響きは私にとって不意打ちで、無条件で不穏な気配を探ってしまう。
「だから、今から会ってほしいんだけど」
「別に会うのは構わないけど、誰なの、それ」
「内緒」
 謎の人物Xの特定を試みたけれど、全くその人物像をイメージすることができない。私はすぐに考えることを諦めた。
 まだいると思うんだけど、と言いながら、夏芽はスマホを操作する。やがてそれをしまったかと思えば、「行こ」と私の手を取って教室を出た。
 夏芽に連れられて向かったのは一年の教室だった。まだ中学生の面影を残したぴかぴかの一年生たちの視線を感じながら彼女についていくと、一年二組の教室に着いた。そこはつい先月まで私たちが通っていた教室だった。
(れい)、こっち」
 夏芽は大きく手を振りながら教室の中の誰かを呼んだ。レイ?
「わ、和久井先輩、声、大きいです」
 周囲の喧騒に掻き消されそうなほどボソボソとした低い声が、かろうじて私の耳にも届いた。私たちの前に現れたのは、重たく伸びた前髪に目元が隠れてしまっている男子だった。
「夏芽、この子?」
 私は目の前の男子に聞こえるようにそう言った。彼の視線がどこを捉えているのかはわからない。
「うん。ね、この子、誰だかわかる?」
 わかるわけがない。まず間違いなく、目の前の陰キャ然とした後輩とは初対面だった。
「は、初めまして」
 と陰キャは頭を下げる。そして顔を上げたとき、前髪の隙間から一瞬だけ彼の目許が覗いた。
 その目許には、確かに見覚えがあった。そしてそれが誰なのか、すぐに思い出すことができた。
 まさか、と最悪の予感が頭を掠める。頼むから違っていてほしい、と祈る私に、彼は自己紹介をした。
「樋渡、玲、です。よ、よろしくお願いします」
「玲は、綾さんの弟なんだよ」
 祈りも虚しく、夏芽の口から残酷な事実が告げられる。本当に、もう少しで舌打ちが漏れてしまいそうだった。



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「先輩たちが卒業して、さすがに一人で続ける根性はなかったか」
 始業式が終わり、クラスメートもあらかた出払った教室で、私は今日も夏芽のヘアアレンジを請け負っている。
「うん。綾さんも、無理に部を存続させる必要はないよって言ってくれたし」
「そういえばあの人、大学でなに専攻してんの」
「心理学って言ってたよ。教職もとりたいから、教育文化学部? に入ってる」
 うげ、と夏芽の後ろで思わず苦い顔をしてしまう。心理学って、あの人が学ぶとなるとなんか不気味だ。
「でもさ、聡一郎さんと違う大学って、本当に意外だよね」
 と夏芽は言った。
「ああね」
「あの二人って、なんだかずっと一緒にいるイメージがあるもんね。あ、でもでも、みーちゃんと聡一郎さんもちゃんとお似合いだよ」
「ありがと」
「みーちゃんはやっぱり、同じ大学目指すの?」
「そんなのまだわかんない」
 わかんない、って言ってるのに、そっかそっか、とご機嫌な様子で夏芽は相槌を打つ。頭が揺れて編み込みに失敗してしまった。一本にまとめたおさげから不恰好にはみ出た一束を、もう一度編み込み直す。裏編みって、やっぱり難しい。
 聡一郎と付き合ったことは、夏芽にちゃんと報告した。そのときの夏芽は、驚いたり喜んだりと忙しく、本当に想像と寸分違わないリアクションを見せてくれた。今思い返しても微笑ましい。
「ね、今度はいつ会うの?」
「明日」
「手とか、繋いじゃうの?」
「さあ、どうでしょう」
「えー!」
「こら、動くな」
 せっかくいい感じで進んでいた編み込みが、またもやり直しとなってしまう。手を繋ぐくらいのことでこんなにもはしゃげる夏芽のことを、どうしても不可解に感じてしまう瞬間がある。
 当たり前のことだけれど、聡一郎と付き合った当日に二人でホテルに行ったということは、夏芽に話していない。いやいや、私たちはもう高校二年生だ。したりしなかったりっていう話が口の端に上るのは至極当然というか、至極健全なことで、いい加減夏芽をそこに引き込んでも構わないじゃない、とは思う。けれど、やっぱりその決心は簡単にはつかない。その証拠に、夏芽は聡一郎が私にとって初めての彼氏だと思っている。これまで、恋愛カテゴリの事情をこの子に話すことはなかったから、聡一郎のことを報告しただけで一歩前進じゃないかと、そんな甘いことを考えてしまう。
「ね、じゃあ今日は会わないの?」
 編み込みを再開していると、再び夏芽が訊ねる。
「えらく気にするね」
 この子が私と聡一郎の関係に関心を示すのは別におかしいことじゃないけれど、その焦点が一定の所に集まっているような感覚があった。今日は会わない、と言ってやると、「ふうん」とわかりやすく感情を抑えて頷いている。
「実はさ、みーちゃんに紹介したい人がいるんだ」
「紹介したい人?」
 夏芽の口から、思いもよらない言葉が聞かれた。彼女の交友関係のすべてを把握しているつもりでいただけに、紹介したい人、というその響きは私にとって不意打ちで、無条件で不穏な気配を探ってしまう。
「だから、今から会ってほしいんだけど」
「別に会うのは構わないけど、誰なの、それ」
「内緒」
 謎の人物Xの特定を試みたけれど、全くその人物像をイメージすることができない。私はすぐに考えることを諦めた。
 まだいると思うんだけど、と言いながら、夏芽はスマホを操作する。やがてそれをしまったかと思えば、「行こ」と私の手を取って教室を出た。
 夏芽に連れられて向かったのは一年の教室だった。まだ中学生の面影を残したぴかぴかの一年生たちの視線を感じながら彼女についていくと、一年二組の教室に着いた。そこはつい先月まで私たちが通っていた教室だった。
「|玲《れい》、こっち」
 夏芽は大きく手を振りながら教室の中の誰かを呼んだ。レイ?
「わ、和久井先輩、声、大きいです」
 周囲の喧騒に掻き消されそうなほどボソボソとした低い声が、かろうじて私の耳にも届いた。私たちの前に現れたのは、重たく伸びた前髪に目元が隠れてしまっている男子だった。
「夏芽、この子?」
 私は目の前の男子に聞こえるようにそう言った。彼の視線がどこを捉えているのかはわからない。
「うん。ね、この子、誰だかわかる?」
 わかるわけがない。まず間違いなく、目の前の陰キャ然とした後輩とは初対面だった。
「は、初めまして」
 と陰キャは頭を下げる。そして顔を上げたとき、前髪の隙間から一瞬だけ彼の目許が覗いた。
 その目許には、確かに見覚えがあった。そしてそれが誰なのか、すぐに思い出すことができた。
 まさか、と最悪の予感が頭を掠める。頼むから違っていてほしい、と祈る私に、彼は自己紹介をした。
「樋渡、玲、です。よ、よろしくお願いします」
「玲は、綾さんの弟なんだよ」
 祈りも虚しく、夏芽の口から残酷な事実が告げられる。本当に、もう少しで舌打ちが漏れてしまいそうだった。