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出題編2-2

ー/ー



 通話時間は一時間を超えていて、話している最中は気が付かなかったけれども電話の温度はかなり上がっていた。
 電話が途切れると、急に寂しさのようなものが押し寄せてくる。私は探偵さんに言われたとおりに体を休めることにしたが、どうやら頭をフル回転させて話をしていたせいか目はぱっちりと覚めてしまい、眠気はどこかへ消えていた。
「そういえば」
 そこで私は、友人たちからの連絡に全く返事をしてないことに気が付いた。さすがに、まだこの事件はどこにも報道されていないだろうから、過度な心配はされていない。そのため、わざわざ電話をかけてくるよう相手はいなかったが、普段から連絡をとっている友人には返信が遅れたことで少し心配をかけていた。
 そして、そのメッセージをすべて返し終わったと思ったら、ショートメールに意外な人から連絡が届いていた。そこには、いつでも電話をかけてくれと書かれていたので私はすぐにそこのメールに添付されていた十桁の数字をクリックする。すると、発信音を鳴らして画面が呼び出し中の状態に切り替わった。それから、わずかに一秒も経たないうちに通話へと切り替わる。
「もしもし、急にどうしたんですか? 前島教授」
 私が電話をかけた相手は、私がここにいる原因、前島教授だった。彼は普段のマイペースな口調とは違い、かなり慌てているのが面白い。
「渡橋さん、大丈夫か?」
「はい、大丈夫ですよ。それより、少し落ち着いてください。なにがあったんですか?」
 私は笑いを必死にこらえながら、心配そうにしている前島教授をとにかく落ち着かせようと元気な声を出す。先ほどまで感じていた少しの寂しさはどこへやらだ。
「いや、それはこっちが聞きたいよ。ともかく、君をそんな目に合わせて本当にすまない」
 教授は電話越しにいるはずなのに頭を下げているのがわかるほどに沈痛な声で言う。
「前島教授はこっちで何が起こったか知っているんですか?」
 別に知っていることは問題ではないけれど、それは警察がしっかりと管理できているのだろうか。私なんかが心配してどうにかなるものでもないけれども。
「ああ、君の連絡先を確認する際に大学へと連絡が入ったんだ。君はいちおう、僕の代理としてそっちに向かっているからおそらく、火野研究所の方もうちの大学に聞いてもらうように言ったんじゃないかな。それで、僕にだけ内密に教えてもらってちょうど大学に戻ってきたところだ」
「大学に戻ってきたって……出張は大丈夫だったんですか?」
 今回はかなり重要だと言っていたのを私は覚えていた。彼はすでに教授としての地位を得ているが、今回は自身の研究を行うために融資をお願いするべくわざわざ飛行機に乗ったのだ。研究中毒の教授からすれば、飛行機に乗って移動するなど大嫌いなのだが、そんな教授が飛行機に乗るほどなのだからよっぽどだったのだろう。
「可愛い生徒が命の危険にさらされているのかもしれないんだ。うかうか出張なんてしていられないよ。かといって、僕に何かができるわけでもないんだけれども」
 その言葉に、私の心はひどく揺さぶられたのは言うまでもない。しかし、その思いを、首をぶんぶんと横に振ってふりはらう。なんだか、人が亡くなっているのにその感情を実感するのはなんだかひどく薄情な気がしたからだ。案の定、研究以外は何もできない教授に気づかれるはずもない。
「とにかく、そちらの状況がわからない以上は適当なことは言えないけれど、とにかく身の安全を第一に考えてくれ。警察の方は到着しているのかな?」
「警察の方ですか、今日の朝には到着すると聞いていたんですけど」
「そうか、それなら少し安心だ。とにかく、警察の指示に従って自分の身を守ることに注力して欲しい。本当に無茶なことをしないでくれよ」
「わかりました。また、何かあれば連絡します、それと、こんなひどい目に合わせたんですから帰ったらご飯でもごちそうしてくださいね」
「そんな風に言えるなら大丈夫そうかな。うん、とにかく気を付けてね」
 その時、誰かが部屋のドアをノックした。その音は部屋の中が静かだったことも手伝って電話の向こうにもかすかに聞こえたらしい。
「誰か来たみたいだよ。心当たりは?」
 私はそう言われて、昨日の会話を新しい順から思い出していく。そういえば、長岡博士が去り際に安否確認を行うべきだと副島さんに忠告をしていた。なら、ドアの先にいるのは副島さんだろうか。
「ま、とにかくこのまま話を続けても仕方がないからね。とにかく、気を付けて。何か困ったら、いや何もなくても怖かったらいつでも電話してくれ」
 教授がそう言うと、電話は切れてしまった。私は電話を枕元に置き、ドアのほうへと向かった。その途中に、再びドアを三回ほどノックする音が聞こえた。
「は~い、ちょっと待ってくださいね」 
 私は少しだけ警戒しながら、ゆっくりと扉を開いた。隙間から少し外を覗くと、そこにはカジュアルな姿の副島さんが立っていた。
昨日は一日中、白衣をまとっていたけれど、その白衣をなくして上は濃紺で無地の服に、下はジーパンをはいている。白衣がなくなってすっきりしたからか、スタイルの良さがより際立っていた。
「大丈夫ですよ。すでに渡橋様以外の安全は確認されています」
 私はその言葉を聞いてから扉を全開にすると、副島さんの左隣には少し下がって岩塚さんも立っていた。二人で行動することを徹底しているのだろう。なぜか、岩塚さんはいづらそうだけど。
 岩塚さんも灰色と黒を基調に無難なシャツとデニムで合わせている。二人とも背が高いしスラっとしているから、無難なもので充分おしゃれに見えるのだろう。同年代の平均身長に満たない私は、二人のスタイルが羨ましい。
「わざわざ朝からご苦労様です」
 私は二人に向かって頭を軽く下げてそういった。
「いえいえ、気にしないでください。それよりも、昨日はよく眠れましたか?」
「はい、よく眠れました。いいお部屋を用意してもらいありがとうございます」
 部屋は防音もしっかりしており、ベッドは高級なもので、横になるとまるで包み込むように体が深く沈んでいった。半袖のパジャマから出た腕が冷房で冷えた掛け布団にくるまれて、とても気持ち良かった。
 いつも、隣の家からテレビの音が聞こえてくる部屋で、くたくたの敷布団で眠っている私は、大学に入ってから最もよく眠れた気さえもする。人が亡くなっているのに無神経だとも思うが、私があれこれ悩んでも何かが解決するわけでもない。
「それは良かったです」
 そう言って笑顔を作る副島さんの目尻には疲れの色が滲み出ていた。私とは対照的によく眠れなかったのだろう。
 無理もない。副島さんにとっての火野博士は、上司でありこの屋根の下で長い時間を共に研究に費やしてきた仲だ。事故であろうと事件であろうと、そんな人が亡くなったことを簡単に割り切れる状態ではないだろう。
「それで、警察の方から連絡があってもうすぐ到着されるそうです。なので、捜査をスムーズに行うためにどこかに集まっておいてほしいと言われたので、他の皆様には昨日の夕食で使用したホールに集まっていただいているんですが、渡橋様も来ていただいてよろしいですか?」
「もちろんです。すぐに荷物を持ってきますね」

 私がそういうと、副島さんが不思議そうな顔をするのがわかった。
「ん? どうしたんですか」
「いえ、私は大丈夫なんですけれども、男性陣は目のやり場に困るというか」
 私は、そう言われてから副島さんの視線に合わせて自分の体を見る。
「あ、すいません。すぐに着替えてきます!」
 思えば、目覚めてから連絡を取り続けていたせいで
 私は起きてからすぐに探偵さんと電話をして、その途中で副島さんたちが訪ねてきたため服もパジャマのままだ。そして、それは大きくはだけ胸元はかなりあけっぴろげになっている。
 そのことを理解して、ようやく岩塚さんがなんだか居心地の悪そうにしていた理由を知る。そりゃ、少し年下くらいのしかも女性がだらしないパジャマ姿でいれば居心地が悪いだろう。私は申し訳なかった。
 とにかく、私は最低限の着替えとメイクを終わらせた。電話中に暇だった手を櫛にして髪の毛は直していたので、いかにも寝起きのような風貌ではなかったけれど、マナーとしては褒められたものではない。
「お待たせしてすいません」
 私がちょうど準備を終わらせて、ドアの前で待っている副島さんと岩塚さんに頭を下げた時、遠くからヘリコプターの旋回音が聞こえてきた。
「副島さん、おそらく警察の方が到着されました」
 階下から吹き抜けを通して井野さんの声が聞こえてきたので、私たち三人はそのまま階段を降りて玄関へと向かった。窓からは、警察ヘリが飛んでくるのが見えた。
「警視庁捜査一課の登松です。この度はお悔やみ申し上げます」
「火野研究所責任者の副島です。ご苦労様です」
 副島さんが警察手帳を掲げる登松刑事にぺこりと頭を下げる。井野さんと岩塚さんも一緒に頭をさげるから、私も頭を下げた。格好としては、私も井野さんも人が亡くなっているので華美なデザインは避けて、黒の服で上下を統一していた。
 見た限りでは、私も所員に見えるだろうか。
「とにかく、現場と遺体を確認させていただきます。案内をお願いしてもいいですか?」
「わかりました。こちらです」
 副島さんが警察を先導して、火野博士の遺体が放置されてある研究室へと歩いていく。ぞろぞろと警官がそれに続いていった。予想通りというのか、有名人が被害者であり容疑者でもあるから辺境だとは言えどもヘリコプターを飛ばしかなりの人数が送られてきた。私もそれについていったが、警察にそれを咎められることは無かった。探偵さんに少しでも情報を渡すためにできることをしなければいけない。 
 昨日、副島さんと怯えながら通った道なのに警察官が前にいるだけでここまで安心できるのかと思う。怖いという感情は全く湧いてこなかった。
「なるほど、これはひどいですね。ご冥福をお祈りします」
 登松刑事は、火野博士の遺体に向かって手を合わせた。火野博士の遺体はかなりグロテスクだが、よく落ち着ている。さすがは、捜査一課の刑事だなと思う。警察のことはよく知らない私でも、さすがに捜査一課が殺人専門の課だということは知っている。なら、警察は殺人として見ているのだろうか。
 登松刑事が出入り口を封じるように研究室のドア付近に立って、警察官たちが現場の保存や写真撮影を行う。それを部屋の外から眺めている私たち。登松刑事は、主に副島さんに対して多くの質問を行っていた。
「とにかく、調べさせてもらいますね。それと、ここにはどうやら凶器になりそうなものがありますね」
 そう言った刑事は、実験器具などが並んだ棚を見る。確かそれは、昨日私が手をついた拍子に中のものが倒れたはずだが、整理されて並べられていた。おそらく、副島さんたちが戻しておいてくれたのだろう。
「遺体を見たところによると、まあ検視の結果にもよるでしょうが焼死のようですね。しかし、皮膚どころか体中がどろどろに溶けて判断には時間がかかるでしょうな。それで、ここには凶器になりそうなや薬品が多数あるようですが、どのようなものがあるか教えていただけますか?」
 登松刑事がそう言うと、副島さんは部屋の中にある引き出しを指さした。
「そこにある引き出しを開けて、中にあるノートを取り出していただけますか?」
「おい、誰か言う通りにしてくれ」
 登松刑事も顎で副島さんの指さす方向を示すと、警察官の一人がその引き出しをがらがらと開いた。そこには、一冊のかなり使い込まれたノートがあった。
 登松刑事がそれを警察官から受け取るのと同時に、副島さんは説明を始める。
「これは、試薬を管理するために作成してるノートです。購入した時や実験で使用した時にこのノートに記載してあるので、ここに書かれてあるものは基本的にこの実験室か薬品庫に保管されているはずです」
「なるほど、これはお借りしても大丈夫ですか?」
「ええ、もちろんです。必要であれば薬品庫にもご案内します」
 そう言われた登松刑事は、ぱらぱらとノートをめくる。少しのぞいたノートのページには文字がびっしりと、しかしわかりやすくまとめられていた。なんとなく、副島さんがまとめた感じがする。「それで、みなさんには何か思い当たる薬品はありませんか? 例えば、この薬品ならば状況と照らし合わせても問題なく遺体を焼き切ることができるというような。正直、私にはさっぱりでして」
 副島さんは、まるで刑事がその質問をするとわかっていたようにすらすらと話す。
「結論から言うと、この部屋にある薬品ではどうやってもあんな短い時間で、誰にも気づかれずに人をあそこまで焼くことは不可能なんです」
「不可能?」
 その表情はぽかんとしていた。
 きっと副島さんが何かしら思い当たるものがあってそれを検証すれば事件もすぐに解決できるだろうというぐらいの考えだったのだろう。しかし、その期待は打ち砕かれることになる。
「ええ、ここは確かに炎に関する研究を行っています。そのため、過去の研究結果などにも詳しいつもりですが、どんな研究結果を照らし合わせてそんな方法はどうにも思いつかないんです。確かに一時間半ほどで遺体を燃やすのは火葬場で行われているようなやりかたでも十分に間に合います。ですが、人の皮膚が燃える匂いはご存じかもしれませんけどすごい匂いがするんです。うちの研究所では安全管理を徹底しているので人を燃やしているのに、その匂いに気が付かないことはありえません。また、焼死でしたら助けを求めないことも不自然です。その条件を達成できるような方法は、私共には思いつきません」
「なるほど」 
 筋の通った理論に納得したのだろう。登松刑事は困ったように頭を掻く。それを見て、井野さんも岩塚さんも頷いている。後で聞いた話によると、朝のうちにノートを見ながら三人で様々な方法を考えていたらしい。しかし、どれもどこか不備のあるようなものばかりだった。
「思いつかないですか……まあ、それに関しては科学班にも話を聞いてみないとわかりませんね」
「よろしくお願いします。あくまで、捜査に関しては素人の考えなので」
「では、次は事情聴取をさせていただきますね。これを、化学班に回してくれ。みなさんは、どこか広いところでお話を聞かせていただきます」
 登松刑事はノートを警察官に手渡すと、先ほど来た道を戻っていった。私も、それについていく。ノートを私も見たかったけれど、仕方がない。
 私たちが昨日、食事をしていた部屋に入ると、登松刑事が先ほど私たちにしたように、部屋で待機させられていた他の警察手帳を広げて自己紹介をする。やはり、警察手帳を見るとみんな緊張するみたいだ。顔が強張っているのがよくわかる。
「それでは、いきなりで申し訳ありませんが一人ずつ、昨日の夜に何をしていたのかを説明してもらえますかね。では、そちらの方から」
 登松刑事はそう言って、長岡博士に話を向けた。
 長岡博士はぎょっとした表情をしたが、咳ばらいをしてから話し始めた。
「僕は夕食の前は自分の部屋で勉強をしていました。どのような話になるかもわからなかったので、火野博士が過去に発表した論文を読み返してもいましたね」
 そこから、まずは来客全員に聞いていくがみんな同じような答えばかりだった。私も、眠っていたとしか言えないのでアリバイは証明できない。客人側には、全員がアリバイを証明できなかった。
「では、所員さんたちはどうですか?」
 登松刑事は続いて、副島さんたちに聞いた。その口調から推察するとどうやら、警察側は所員側を疑っているらしい。確かに、殺害の準備という面では所員側のほうが容易だ。
「私は、基本的に料理の準備に追われていたのでそれが始まる午後四時くらいに目撃してからはずっと調理場にいました。それからもみなさんの料理やお酒を運んだりしていたので、ずっと誰かの目に入る場所にいたように思います」
 副島さんの言う通りだ。私たちが食事をしているときも慌ただしく、しかも食事に邪魔にならないように気遣いながら配膳をこなしていた。落ち着いてからは私と西野博士が一緒にワインを飲んでいたことを証言できる。
「僕は次回の論文に必要な資料の整理を行っていました。それが、だいたい四時半ごろから夕食の配膳開始までですね。場所は自室です。特に変わったことなどはありませんでした」
 岩塚さんが話し終わると、次は井野さんが話し始める。少しでも早く疑惑の目から逃れたかったのだろう。早いスピードですらすらと舌が回る。
「僕は、倉庫と薬品庫のほうにいました。実験に必要な薬品の確認と準備を終わった時に火野博士へ確認してもらおうと現場に行ったのがだいたい五時五十分でした。ただ、その時にちょうど夕食の準備が始まったので結局、火野博士に確認をお願いはできていません。それからは副島さん、岩塚さんと一緒に配膳をしていました。そして、食事会の途中に副島さんに言われて火野博士のいる現場へと向かいました」 
 それを聞いた登松刑事は、副島さんに視線を向ける。副島さんは、しっかりと肯定の意味を持って首を縦に振った。
「そうですか。みなさんご協力いただきありがとうございます」
 そう言って頭を下げると、登松刑事は部屋から出ていった。


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 通話時間は一時間を超えていて、話している最中は気が付かなかったけれども電話の温度はかなり上がっていた。
 電話が途切れると、急に寂しさのようなものが押し寄せてくる。私は探偵さんに言われたとおりに体を休めることにしたが、どうやら頭をフル回転させて話をしていたせいか目はぱっちりと覚めてしまい、眠気はどこかへ消えていた。
「そういえば」
 そこで私は、友人たちからの連絡に全く返事をしてないことに気が付いた。さすがに、まだこの事件はどこにも報道されていないだろうから、過度な心配はされていない。そのため、わざわざ電話をかけてくるよう相手はいなかったが、普段から連絡をとっている友人には返信が遅れたことで少し心配をかけていた。
 そして、そのメッセージをすべて返し終わったと思ったら、ショートメールに意外な人から連絡が届いていた。そこには、いつでも電話をかけてくれと書かれていたので私はすぐにそこのメールに添付されていた十桁の数字をクリックする。すると、発信音を鳴らして画面が呼び出し中の状態に切り替わった。それから、わずかに一秒も経たないうちに通話へと切り替わる。
「もしもし、急にどうしたんですか? 前島教授」
 私が電話をかけた相手は、私がここにいる原因、前島教授だった。彼は普段のマイペースな口調とは違い、かなり慌てているのが面白い。
「渡橋さん、大丈夫か?」
「はい、大丈夫ですよ。それより、少し落ち着いてください。なにがあったんですか?」
 私は笑いを必死にこらえながら、心配そうにしている前島教授をとにかく落ち着かせようと元気な声を出す。先ほどまで感じていた少しの寂しさはどこへやらだ。
「いや、それはこっちが聞きたいよ。ともかく、君をそんな目に合わせて本当にすまない」
 教授は電話越しにいるはずなのに頭を下げているのがわかるほどに沈痛な声で言う。
「前島教授はこっちで何が起こったか知っているんですか?」
 別に知っていることは問題ではないけれど、それは警察がしっかりと管理できているのだろうか。私なんかが心配してどうにかなるものでもないけれども。
「ああ、君の連絡先を確認する際に大学へと連絡が入ったんだ。君はいちおう、僕の代理としてそっちに向かっているからおそらく、火野研究所の方もうちの大学に聞いてもらうように言ったんじゃないかな。それで、僕にだけ内密に教えてもらってちょうど大学に戻ってきたところだ」
「大学に戻ってきたって……出張は大丈夫だったんですか?」
 今回はかなり重要だと言っていたのを私は覚えていた。彼はすでに教授としての地位を得ているが、今回は自身の研究を行うために融資をお願いするべくわざわざ飛行機に乗ったのだ。研究中毒の教授からすれば、飛行機に乗って移動するなど大嫌いなのだが、そんな教授が飛行機に乗るほどなのだからよっぽどだったのだろう。
「可愛い生徒が命の危険にさらされているのかもしれないんだ。うかうか出張なんてしていられないよ。かといって、僕に何かができるわけでもないんだけれども」
 その言葉に、私の心はひどく揺さぶられたのは言うまでもない。しかし、その思いを、首をぶんぶんと横に振ってふりはらう。なんだか、人が亡くなっているのにその感情を実感するのはなんだかひどく薄情な気がしたからだ。案の定、研究以外は何もできない教授に気づかれるはずもない。
「とにかく、そちらの状況がわからない以上は適当なことは言えないけれど、とにかく身の安全を第一に考えてくれ。警察の方は到着しているのかな?」
「警察の方ですか、今日の朝には到着すると聞いていたんですけど」
「そうか、それなら少し安心だ。とにかく、警察の指示に従って自分の身を守ることに注力して欲しい。本当に無茶なことをしないでくれよ」
「わかりました。また、何かあれば連絡します、それと、こんなひどい目に合わせたんですから帰ったらご飯でもごちそうしてくださいね」
「そんな風に言えるなら大丈夫そうかな。うん、とにかく気を付けてね」
 その時、誰かが部屋のドアをノックした。その音は部屋の中が静かだったことも手伝って電話の向こうにもかすかに聞こえたらしい。
「誰か来たみたいだよ。心当たりは?」
 私はそう言われて、昨日の会話を新しい順から思い出していく。そういえば、長岡博士が去り際に安否確認を行うべきだと副島さんに忠告をしていた。なら、ドアの先にいるのは副島さんだろうか。
「ま、とにかくこのまま話を続けても仕方がないからね。とにかく、気を付けて。何か困ったら、いや何もなくても怖かったらいつでも電話してくれ」
 教授がそう言うと、電話は切れてしまった。私は電話を枕元に置き、ドアのほうへと向かった。その途中に、再びドアを三回ほどノックする音が聞こえた。
「は~い、ちょっと待ってくださいね」 
 私は少しだけ警戒しながら、ゆっくりと扉を開いた。隙間から少し外を覗くと、そこにはカジュアルな姿の副島さんが立っていた。
昨日は一日中、白衣をまとっていたけれど、その白衣をなくして上は濃紺で無地の服に、下はジーパンをはいている。白衣がなくなってすっきりしたからか、スタイルの良さがより際立っていた。
「大丈夫ですよ。すでに渡橋様以外の安全は確認されています」
 私はその言葉を聞いてから扉を全開にすると、副島さんの左隣には少し下がって岩塚さんも立っていた。二人で行動することを徹底しているのだろう。なぜか、岩塚さんはいづらそうだけど。
 岩塚さんも灰色と黒を基調に無難なシャツとデニムで合わせている。二人とも背が高いしスラっとしているから、無難なもので充分おしゃれに見えるのだろう。同年代の平均身長に満たない私は、二人のスタイルが羨ましい。
「わざわざ朝からご苦労様です」
 私は二人に向かって頭を軽く下げてそういった。
「いえいえ、気にしないでください。それよりも、昨日はよく眠れましたか?」
「はい、よく眠れました。いいお部屋を用意してもらいありがとうございます」
 部屋は防音もしっかりしており、ベッドは高級なもので、横になるとまるで包み込むように体が深く沈んでいった。半袖のパジャマから出た腕が冷房で冷えた掛け布団にくるまれて、とても気持ち良かった。
 いつも、隣の家からテレビの音が聞こえてくる部屋で、くたくたの敷布団で眠っている私は、大学に入ってから最もよく眠れた気さえもする。人が亡くなっているのに無神経だとも思うが、私があれこれ悩んでも何かが解決するわけでもない。
「それは良かったです」
 そう言って笑顔を作る副島さんの目尻には疲れの色が滲み出ていた。私とは対照的によく眠れなかったのだろう。
 無理もない。副島さんにとっての火野博士は、上司でありこの屋根の下で長い時間を共に研究に費やしてきた仲だ。事故であろうと事件であろうと、そんな人が亡くなったことを簡単に割り切れる状態ではないだろう。
「それで、警察の方から連絡があってもうすぐ到着されるそうです。なので、捜査をスムーズに行うためにどこかに集まっておいてほしいと言われたので、他の皆様には昨日の夕食で使用したホールに集まっていただいているんですが、渡橋様も来ていただいてよろしいですか?」
「もちろんです。すぐに荷物を持ってきますね」
 私がそういうと、副島さんが不思議そうな顔をするのがわかった。
「ん? どうしたんですか」
「いえ、私は大丈夫なんですけれども、男性陣は目のやり場に困るというか」
 私は、そう言われてから副島さんの視線に合わせて自分の体を見る。
「あ、すいません。すぐに着替えてきます!」
 思えば、目覚めてから連絡を取り続けていたせいで
 私は起きてからすぐに探偵さんと電話をして、その途中で副島さんたちが訪ねてきたため服もパジャマのままだ。そして、それは大きくはだけ胸元はかなりあけっぴろげになっている。
 そのことを理解して、ようやく岩塚さんがなんだか居心地の悪そうにしていた理由を知る。そりゃ、少し年下くらいのしかも女性がだらしないパジャマ姿でいれば居心地が悪いだろう。私は申し訳なかった。
 とにかく、私は最低限の着替えとメイクを終わらせた。電話中に暇だった手を櫛にして髪の毛は直していたので、いかにも寝起きのような風貌ではなかったけれど、マナーとしては褒められたものではない。
「お待たせしてすいません」
 私がちょうど準備を終わらせて、ドアの前で待っている副島さんと岩塚さんに頭を下げた時、遠くからヘリコプターの旋回音が聞こえてきた。
「副島さん、おそらく警察の方が到着されました」
 階下から吹き抜けを通して井野さんの声が聞こえてきたので、私たち三人はそのまま階段を降りて玄関へと向かった。窓からは、警察ヘリが飛んでくるのが見えた。
「警視庁捜査一課の登松です。この度はお悔やみ申し上げます」
「火野研究所責任者の副島です。ご苦労様です」
 副島さんが警察手帳を掲げる登松刑事にぺこりと頭を下げる。井野さんと岩塚さんも一緒に頭をさげるから、私も頭を下げた。格好としては、私も井野さんも人が亡くなっているので華美なデザインは避けて、黒の服で上下を統一していた。
 見た限りでは、私も所員に見えるだろうか。
「とにかく、現場と遺体を確認させていただきます。案内をお願いしてもいいですか?」
「わかりました。こちらです」
 副島さんが警察を先導して、火野博士の遺体が放置されてある研究室へと歩いていく。ぞろぞろと警官がそれに続いていった。予想通りというのか、有名人が被害者であり容疑者でもあるから辺境だとは言えどもヘリコプターを飛ばしかなりの人数が送られてきた。私もそれについていったが、警察にそれを咎められることは無かった。探偵さんに少しでも情報を渡すためにできることをしなければいけない。 
 昨日、副島さんと怯えながら通った道なのに警察官が前にいるだけでここまで安心できるのかと思う。怖いという感情は全く湧いてこなかった。
「なるほど、これはひどいですね。ご冥福をお祈りします」
 登松刑事は、火野博士の遺体に向かって手を合わせた。火野博士の遺体はかなりグロテスクだが、よく落ち着ている。さすがは、捜査一課の刑事だなと思う。警察のことはよく知らない私でも、さすがに捜査一課が殺人専門の課だということは知っている。なら、警察は殺人として見ているのだろうか。
 登松刑事が出入り口を封じるように研究室のドア付近に立って、警察官たちが現場の保存や写真撮影を行う。それを部屋の外から眺めている私たち。登松刑事は、主に副島さんに対して多くの質問を行っていた。
「とにかく、調べさせてもらいますね。それと、ここにはどうやら凶器になりそうなものがありますね」
 そう言った刑事は、実験器具などが並んだ棚を見る。確かそれは、昨日私が手をついた拍子に中のものが倒れたはずだが、整理されて並べられていた。おそらく、副島さんたちが戻しておいてくれたのだろう。
「遺体を見たところによると、まあ検視の結果にもよるでしょうが焼死のようですね。しかし、皮膚どころか体中がどろどろに溶けて判断には時間がかかるでしょうな。それで、ここには凶器になりそうなや薬品が多数あるようですが、どのようなものがあるか教えていただけますか?」
 登松刑事がそう言うと、副島さんは部屋の中にある引き出しを指さした。
「そこにある引き出しを開けて、中にあるノートを取り出していただけますか?」
「おい、誰か言う通りにしてくれ」
 登松刑事も顎で副島さんの指さす方向を示すと、警察官の一人がその引き出しをがらがらと開いた。そこには、一冊のかなり使い込まれたノートがあった。
 登松刑事がそれを警察官から受け取るのと同時に、副島さんは説明を始める。
「これは、試薬を管理するために作成してるノートです。購入した時や実験で使用した時にこのノートに記載してあるので、ここに書かれてあるものは基本的にこの実験室か薬品庫に保管されているはずです」
「なるほど、これはお借りしても大丈夫ですか?」
「ええ、もちろんです。必要であれば薬品庫にもご案内します」
 そう言われた登松刑事は、ぱらぱらとノートをめくる。少しのぞいたノートのページには文字がびっしりと、しかしわかりやすくまとめられていた。なんとなく、副島さんがまとめた感じがする。「それで、みなさんには何か思い当たる薬品はありませんか? 例えば、この薬品ならば状況と照らし合わせても問題なく遺体を焼き切ることができるというような。正直、私にはさっぱりでして」
 副島さんは、まるで刑事がその質問をするとわかっていたようにすらすらと話す。
「結論から言うと、この部屋にある薬品ではどうやってもあんな短い時間で、誰にも気づかれずに人をあそこまで焼くことは不可能なんです」
「不可能?」
 その表情はぽかんとしていた。
 きっと副島さんが何かしら思い当たるものがあってそれを検証すれば事件もすぐに解決できるだろうというぐらいの考えだったのだろう。しかし、その期待は打ち砕かれることになる。
「ええ、ここは確かに炎に関する研究を行っています。そのため、過去の研究結果などにも詳しいつもりですが、どんな研究結果を照らし合わせてそんな方法はどうにも思いつかないんです。確かに一時間半ほどで遺体を燃やすのは火葬場で行われているようなやりかたでも十分に間に合います。ですが、人の皮膚が燃える匂いはご存じかもしれませんけどすごい匂いがするんです。うちの研究所では安全管理を徹底しているので人を燃やしているのに、その匂いに気が付かないことはありえません。また、焼死でしたら助けを求めないことも不自然です。その条件を達成できるような方法は、私共には思いつきません」
「なるほど」 
 筋の通った理論に納得したのだろう。登松刑事は困ったように頭を掻く。それを見て、井野さんも岩塚さんも頷いている。後で聞いた話によると、朝のうちにノートを見ながら三人で様々な方法を考えていたらしい。しかし、どれもどこか不備のあるようなものばかりだった。
「思いつかないですか……まあ、それに関しては科学班にも話を聞いてみないとわかりませんね」
「よろしくお願いします。あくまで、捜査に関しては素人の考えなので」
「では、次は事情聴取をさせていただきますね。これを、化学班に回してくれ。みなさんは、どこか広いところでお話を聞かせていただきます」
 登松刑事はノートを警察官に手渡すと、先ほど来た道を戻っていった。私も、それについていく。ノートを私も見たかったけれど、仕方がない。
 私たちが昨日、食事をしていた部屋に入ると、登松刑事が先ほど私たちにしたように、部屋で待機させられていた他の警察手帳を広げて自己紹介をする。やはり、警察手帳を見るとみんな緊張するみたいだ。顔が強張っているのがよくわかる。
「それでは、いきなりで申し訳ありませんが一人ずつ、昨日の夜に何をしていたのかを説明してもらえますかね。では、そちらの方から」
 登松刑事はそう言って、長岡博士に話を向けた。
 長岡博士はぎょっとした表情をしたが、咳ばらいをしてから話し始めた。
「僕は夕食の前は自分の部屋で勉強をしていました。どのような話になるかもわからなかったので、火野博士が過去に発表した論文を読み返してもいましたね」
 そこから、まずは来客全員に聞いていくがみんな同じような答えばかりだった。私も、眠っていたとしか言えないのでアリバイは証明できない。客人側には、全員がアリバイを証明できなかった。
「では、所員さんたちはどうですか?」
 登松刑事は続いて、副島さんたちに聞いた。その口調から推察するとどうやら、警察側は所員側を疑っているらしい。確かに、殺害の準備という面では所員側のほうが容易だ。
「私は、基本的に料理の準備に追われていたのでそれが始まる午後四時くらいに目撃してからはずっと調理場にいました。それからもみなさんの料理やお酒を運んだりしていたので、ずっと誰かの目に入る場所にいたように思います」
 副島さんの言う通りだ。私たちが食事をしているときも慌ただしく、しかも食事に邪魔にならないように気遣いながら配膳をこなしていた。落ち着いてからは私と西野博士が一緒にワインを飲んでいたことを証言できる。
「僕は次回の論文に必要な資料の整理を行っていました。それが、だいたい四時半ごろから夕食の配膳開始までですね。場所は自室です。特に変わったことなどはありませんでした」
 岩塚さんが話し終わると、次は井野さんが話し始める。少しでも早く疑惑の目から逃れたかったのだろう。早いスピードですらすらと舌が回る。
「僕は、倉庫と薬品庫のほうにいました。実験に必要な薬品の確認と準備を終わった時に火野博士へ確認してもらおうと現場に行ったのがだいたい五時五十分でした。ただ、その時にちょうど夕食の準備が始まったので結局、火野博士に確認をお願いはできていません。それからは副島さん、岩塚さんと一緒に配膳をしていました。そして、食事会の途中に副島さんに言われて火野博士のいる現場へと向かいました」 
 それを聞いた登松刑事は、副島さんに視線を向ける。副島さんは、しっかりと肯定の意味を持って首を縦に振った。
「そうですか。みなさんご協力いただきありがとうございます」
 そう言って頭を下げると、登松刑事は部屋から出ていった。