出題編2-1
ー/ー 翌朝、私の目を覚まさせたのはいつものアラーム音ではなく、電話の呼び出し音だった。
慌てて電話をとり、通話ボタンを押す。ちらっと視界の端に見えたデジタルの時計は八時半と表示されていた。普段の私ならばとっくに起きて家を出ているはずだが、今日は少し起きるのが遅れてしまった。体の中に疲れがたまっていたのだろうか。
「もしもし?」
私は訝しみながら電話を取る。こんな急に電話をかけてくるなど何か急用だろうか。画面には不明な番号と表示されている。
「あ、ようやく繋がった。もしも~し」
電話口から聞こえるのは、元気が良い女性の声だった。それは、副島さんのものではない。
機械越しではあるが、私よりも若く聞こえる。ならば、大学で同じ研究室に所属する人物だろうか。自分よりも年下の女の子が不明な番号で電話をかけてくることなど、大学のこと以外には想像がつかない。しかし、その口調には聞き覚えがなかった。
「あれ、聴こえてるよね。聞こえてたら返事くださいな」
私が返事を忘れていると、その女性は続けて話す。
「はい、聴こえてますよ。どなたですか?」
私は寝起きの声で恥ずかしい気持ちを抑えながら応答する。喉の奥からなんとか向こうに聞こえるように声を出した。声を出すたびに、喉が震えるのがわかる。
「いや~警察さんから教えてもらったのが間違ってたのかなとか、もしかして番号を押し間違えてるかな、とかいろいろ考えたんだからね。これからはできるだけ早く電話に出られるようにしておいてね」
しかし、彼女は私の言葉などまるで聞く気がないように自由なペースで会話を進める。
「それは申し訳ないですけど、いったいどなたですか?」
「ん? ああ、まだ名乗ってなかったね。こちらは小伏探偵事務所の小伏凪沙です」
「探偵?」
私はあまりにも予想外な単語の登場に、どうしても聞き返してしまう。
「そう、探偵。シャーロックホームズくらいはわかるでしょ? それと一緒」
私はその言葉になんて返せばいいのかわからず、黙っていた。シャーロックホームズはわかるけど、素直にその説明を飲み込めるかと言われればそうではない。寝起きの頭で理解するには、少し難しすぎる。
「で、さっそくなんだけど」
彼女はこちらが黙ったのを、会話のターンを放棄したととって話を進める。あまりにも速いスピードで、覚醒したばかりの脳では会話から単語を拾うのが限界だ。頭の中で、話したいことがうまく纏まらない。
「ちょ、ちょっと待ってください」
「何? 私、何かおかしなこと言った?」
「おかしいことばっかりですよ。とにかく、今から私の質問に答えてください」
私はまくしたてるように話し続ける相手から、なんとか会話のペースを掴もうとする。
「え~私が一気にぶわーっと喋っちゃったほうが早くない?」
しかし、彼女にはその提案は不服そうだ。まるで子供のような口調であきれたように話す。
「それで私が理解できるならいいですけど、少なくとも私はあなたの自己紹介だけでもいくつか質問があります。落ち着いてちゃんと順序だてて話をしましょう」
頭がこんがらがって、とてもじゃないが彼女の話を真面目に聞いていられる状態じゃない。一つ一つを的確に処理しなければ私の頭がパンクしそうだ。すでに、寝起きの脳はフル回転で話に遅れないように動いている。
「わかったわよ。質問はなに?」
電話の先にいる彼女は、両手の平を上に向けてやれやれと言いたげなんだろう。いや、寝不足なのにたたき起こされてそう言いたいのはこちらなのだが、とにかくかなりマイペースな人だ。
「まず、どうやって私の電話番号を知ったんですか?」
まずはそこだった。ネットワークのサービスがここまで発展した現代において、たとえ友人や恋人同士であっても電話番号を知らないことは珍しくない。
事実、私の電話帳に登録されているのは両親と祖父母くらいだ。探偵なら素行調査とかもできるだろうけど、探偵がわざわざ私の電話番号を調べることなんて、昨日の殺人事件しか考えられない。火野博士が死亡したニュースはまだ報道されてもいないはずなのにどうやって私の電話番号を調べたのだろう。
「あなたたちって、昨日の夜に警察に火野博士が亡くなっていると連絡したわよね?」
確かに、全員がいる場で副島さんが責任者として警察に通報した。相手の声は聞こえなかったが、間違いなく警察だっただろう。
「確かにしましたけど」
「日本の警察は無能だなんて作り物ではよく書かれているけれど、さすがに一晩もあれば一般人の携帯電話番号くらいは突き止められるわよ」
彼女はさも当然のように言う。確かに、警察ならば私の携帯番号なんて大学とか携帯ショップに問い合わせればすぐに教えてもらえるだろうけど、そこが問題なのではない。私はどこか電話の向こうにいる彼女と話がかみ合わずにいた。
「そうじゃないです。どうして火野博士の事と無関係なあなたが私の電話番号を知ってるんですか? 調べたんですか?」
「別に無関係じゃないわよ。あなたの電話番号を教えてくれた詳しい筋を話したら警察内部で問題になるから言わないけども、ちゃんと許可は貰ってるんだから大丈夫よ」
詳しい筋を明かしたら問題になるという事は、大丈夫ではないのでは?
私はつっこむ気力もなかったので、それについては何も言わなかった。
「じゃあ、それはそれでいいとしても、私に電話をかけてきた理由は何ですか?」
本当は良くないのだが、どうせ私の責任じゃない。警察内部のことは警察内部の人が考えればいいのだ。それより、警察から情報が流れているなら私以外でここに滞在している人たちも電話番号がわかるだろう。それなら、私は副島さんか少なくとも研究所の所員に電話をかける。火野博士がなぜ亡くなったのかを考えるのにおいて情報が必要で、昨日の昼にここへ来たばかりの私にわかることなんてごくわずかだ。まだ、一階のどこにトイレがあるのかも知らないのに。
「理由は二つ。まず一つ、私はあくまで個人的な捜査として動いているから現地警察との連携はできないわ。ドラマとかだと警察の人がなんでも教えてくれるから、そんな風なら捜査もしやすいんだけど、それがフィクションだってことはわかるでしょ?」
それはその通りだった。さすがに分別はついている。
「でも、それなら副島さんに電話した方がいいんじゃ?」
現時点で、警察の次に情報を持っていると思われるのは副島さんだ。
しかし、私の言葉を聞いた探偵さんはあきれたように言う。
「あなたって馬鹿なの。犯人に電話をかけて探偵だなんて名乗ったら、まともな情報を出してくれるわけないじゃない。そもそも、通話すらできないわよ」
「どういうことですか! 副島さんが犯人ってことですか?」
私はつい声が大きくなってしまい。慌てて口をおさえる。部屋はしっかりとしたつくりになっていて、外部からの音は聞こえないから防音性も高いだろうけど、ピリついた研究所内の空気を乱しかねない発言は気を付けなければいけない。
「この時点で犯人がわかっているなら苦労しないわよ。私が持っている情報はあなたたちの名前と職業と年齢に電話番号、あとは被害者である火野博士とのおおまかな関係かしら。押部さんがもうすぐ顔写真を持ってくるらしいけど、顔なんてそこまで大事じゃないわよね。お見合いでもないんだし」
「おしべさん?」
私は新しい登場人物の名前を聞き返す。どんどん、情報が頭に流し込まれていくようだ。
「押部さんは私の友達みたいなもの。今回も押部さんからあなたたち全員の電話番号をききだして、わざわざ電話したんだから」
さっきそれを言うと問題になると言っていたんじゃなかったんじゃないか? 説明は筋が通っていて簡潔でわかりやすいことから彼女がかなり賢いことは想像がつくけれど、どこか抜けている。
「とにかく、私から見て犯人の可能性が最も薄いのがあなたなの。火野博士との関係もそうだし、学生だから色々なことに融通も効きづらいでしょ。もちろん、副島っていう人にも警察から情報が聞き出されるからあなたが嘘をついていればすぐにわかるわよ」
確かに、私は他の招待客とは違って火野博士とは面識すらない。
「探偵さんは、火野博士が殺されたと思っているんですか?」
私は、まるで他殺が既定路線であるかのように話すことに違和感を持って会話の流れを切ってでも質問した。
昨日の段階では他殺に事故、自殺に伝承など様々な原因が考えられた。その中で最も可能性が高いのは他殺だったが、断定できるほどでもない。何か、私たちが見落としている部分があって、探偵さんはそれに気が付いているのだろうか。
「まあ、その線で捜査をするのが私の仕事だしね。事故や自殺の可能性ももちろん考慮はしてるわ。でも、殺人説が最も可能性が高いことから目を背けてはいけないの」
「大変な仕事ですね」
きっと常人ならば精神がもたないだろう。私はその心労を想像するができなかった。どんな仕事にも多かれ少なかれ心労はあるだろうけど。
「探偵は疑うのが仕事。嫌な仕事よね」
彼女の悲しそうな声が、耳にへばりつくように木霊した。
「とにかく、あなたを信頼して私の五感を託すわ。今からあなたは私の手となり、足となるのよ。存分に働いてちょうだい」
「もうちょっと良い言い方ってなかったですかね」
「じゃあ、私の捜査に協力してもらえるかしら」
私は思ったよりも素直に要求が通ったことに驚いたとともに気分が良くなって、それを了承する気になった。どうせ、ここでうだうだしていても仕方がないし、探偵さんの言うように他殺なら少しでも早く犯人を捕まえて安全を確保したい。
それに、普段から教授にこきつかわれているから別に言いなりなのも気にならない。
「わかりました」
「じゃあ、早速だけどあなたが知っていることを教えて」
探偵さんの口調はどこか楽しげである。さきほどの悲しげな声はどこへいったのだろうか。まあ、殺人事件の捜査なんてどこか狂ってもいない限りはできないだろう。
「そんなに多くないですよ」
私は先に断りをいれてから、知っていることのすべてを話した。この研究所に到着してから、朝までの事。
彼女はその間、一切の言葉を発さずに黙って私の話を聞いていた。時々、挟まれる心地の良い相槌は話を聞くのがうまい。私は話しているうちにどんどん頭が回って、後半はかなり細かく描写ができたように思う。
探偵さんは一通り話を聞き終えると、おそらく電話の向こうで頷きながら言った。
「なるほどねえ。まあ、今の時点では当たり前だけど誰が怪しいかもわからないわね。でも、不知火の話は面白そうね」
私はなんとなく、彼女はかなり好奇心が旺盛な人であると感じたので、おそらく不知火に興味を示すだろうと思っていた。そのため、できる限り鮮明に副島さんと井野さんの説明を思い出して話したつもりだ。
「不知火について、何か知っていることってありますか?」
私も不知火については興味があって、少しでも知りたいと思っていた。なんとなく、彼女は何か知ってそうだと感じたのだ。その予想はどうやら、当たっているみたいだ。
「まあ、私は実際に見ていないからなんとも言えないんだけど、不知火だと断定するのはやめたほうがいいんじゃない?」
「どういうことですか?」
「あなたたちが知っているかはわからないけど、怪火現象なんて世界各地で様々なものが報告されているのよ。日本だけでも鬼火や狐火とか人魂と呼ばれるものがあるし、海外でもウィルオウィスプやセントエルモの火は有名よね」
なんとなく、名前を聞いたことがある気がする。
「セントエルモの火ってあの青白い光のことですか?」
「そうよ、よく知ってるんじゃない。雷雲の直下で電場が強まった時に発生する自然現象のことね。帆の先やマスト付近にある空気の絶縁を破壊されて青い光が見える。昔の船乗りはそれを守護聖者である聖エルモによるものだと信じたことが名前の由来ね」
探偵さんはそこまで一息で説明しきった。私はただ、アニメか曲のタイトルかで名前を聞いただけなのだが、彼女はおそらく話したことの全てを記憶していたのだろう。
「それと、確かに伝承はかなり興味深いものだけれど、不知火だと断定すればそれは誤った解答を導きかねないわ。そもそも、誰かが意図的に仕組んだことかもしれないしね」
「誰かが意図的に仕組んだ?」
私はウィルオウィスプという初めて聞いた単語も気になったが、それよりも誰かが意図的に仕組んだという部分が引っかかった。
私も暗くてはっきりとは見えなかったけれど、周りに漁船のようなものは見えなかった。
「あれ? 不知火の原因で最も有名な説は聞いたのよね」
「はい、確か温度差のある空気が起こす光の屈折が錯覚で炎に見えることですよね」
井野さんが説明していた時のことを、そのときの光景を思い出しながら、私は答えた。
「なら、屈折を計算すればある程度の場所に光を出現させるくらいはできるんじゃない? ピンポイントで計算するのは難しいと思うけれども、誰かが見つけるくらいなら海のどこかに表示させておけばいいでしょ?」
探偵さんはさも当たり前のように言った。いや、言われれば確かにそうなのだが、それを自分一人の力でできる人がどれだけいるだろうか。ただ、ここに集まっている人たちなら不可能ではない?
「それは、そうですね……」
「ちなみに、その不知火を最初に見つけたのは誰なの?」
そう言われて、私は昨日の夜を思い出す。最初に見つけたのは確か。
「あ、私です」
思わず、電話越しであるにも関わらずに右手を挙げていた。
「え? あなたが犯人なの?」
「ち、違いますよ!」
な、なんてことを言うんだ。冗談でも心臓に悪い。慌てて、右手を下ろした。もちろん、そんなことは電話越しに伝わるわけもない。
「冗談よ。それに不知火を発生させたのがあなただとしても、火野博士を殺害した事と等式でつながるわけではないしね。ただ、不知火を発生させた人が怪しいのは確かよ」
それはその通りだ。そもそも、どうして不知火を発生させる必要があるんだろう。
例えば伝承になぞらえるとかならわからなくもないけれど、そういうのはフィクションの世界で作品を盛り上げるためだけに存在するのではないだろうか。わざわざインディアン人形を盗んで、それになぞらえて殺害するなんてことは現実的ではないだろう。
なら、不知火には何かしらの意味があるはずだ。
「とりあえず、不知火に関してはこちらでほかにも原因になるようなものがないかは調べておくわ。それと、私はあくまで火野博士が何者かによって殺害された線で推理を進めていくからね。怖いことを言って申し訳ないけど、研究所内にはあなたが知らない人は存在しないわよね?」
その質問の意味を最初は理解できなかった。しかし、それが徐々にわかっていくとともに顔からさーっと色が抜けていくのが、鏡を見なくても分かった。
「ちょ、そんな怖いことを言わないでくださいよ」
「ごめんなさい。警察が到着すればすぐに研究所内を捜索するだろうけど、もしも誰かが見つかったらその人が犯人だと考えるのが筋ね。一晩でも夕食を共にした人が犯人である方がいいか、顔も知らない研究所に潜む人間が犯人である方がいいか。難しいところよね」
私はそのことに何といってもいいかわからずに黙っていると、こちらが怯えていると思ったのだろうか。
探偵さんは取り繕うように、
「火野博士を殺害した犯人が焼死体専門の通り魔でもない限り、あなたが死ぬ事はないわ」
そう強く言い切った。
「どうしてですか?」
「だって、あなたが殺される理由が見当たらない」
私は確かにその通りだと納得した。
探偵さんが私を最も疑っていない理由は火野博士との関係が希薄だから。事実、私は火野博士と直接の面識はない。他の来客はみな火野博士が直接、招待した相手であるのに対して私はあくまで前島教授の代理だ。
それはつまり、私と火野博士が同じ人間にそれも殺害されるほどの恨みを抱かれる可能性が、他の来客よりも低いことを意味していた。
「そ、そうですよね。なんだか安心しました」
犯人としては被害者をいたずらに増やすことはリスクしかない。当然、それは避けたいはずだから無関係な人間を殺す必要はない。
「でも、あなたが狙われるとしたら犯人があなたにトリックがばれたと思ったとき。だからこそ、そういった素振りには気を付けてね。もちろん、こうやって私と連絡をとっていることもあまり知られない方がいいわ」
「わかりました。気を付けます」
まあ、現時点では使われたトリックの想像もつかないので気を張っていても仕方がない。
できるだけ、事件のことは考えないでいようと決めた。私はあくまで探偵さんの目であり、耳である。餅は餅屋というように、推理はそのプロである探偵に任せればいいだろう。
「でも、探偵さんって本当に事件の推理をするんですね。浮気とか素行調査が主な仕事って聞いていたんですけど……」
私の言葉を聞いて、探偵さんは不満そうにため息をついた。
「そんな興信所と一緒にされるのも……まあやることは一緒なんだけど。でも、うちは殺人専門だからね。別に浮気調査を馬鹿にするわけじゃないけどね」
「殺人専門って儲かるんですか?」
今回は火野博士が明らかに不審な点がいくつもあるから警察以外にも外部からの目が必要だろう。だが、そんな事件は珍しい。それこそミステリ小説やドラマが流行ったころならともかく、そのころから科学は大きく発展したおかげで、犯行当日には警察が犯人に対してある程度の目星をつけているらしい。探偵の出番はあるのだろうか。
「まあ、久しぶりの仕事であることは否定しないわ。だからこそ、気合を入れて推理してあげるから安心して頂戴」
「わかりました。よろしくお願いします」
私がその言葉を言い終わるのが先か、通話が途切れた。
慌てて電話をとり、通話ボタンを押す。ちらっと視界の端に見えたデジタルの時計は八時半と表示されていた。普段の私ならばとっくに起きて家を出ているはずだが、今日は少し起きるのが遅れてしまった。体の中に疲れがたまっていたのだろうか。
「もしもし?」
私は訝しみながら電話を取る。こんな急に電話をかけてくるなど何か急用だろうか。画面には不明な番号と表示されている。
「あ、ようやく繋がった。もしも~し」
電話口から聞こえるのは、元気が良い女性の声だった。それは、副島さんのものではない。
機械越しではあるが、私よりも若く聞こえる。ならば、大学で同じ研究室に所属する人物だろうか。自分よりも年下の女の子が不明な番号で電話をかけてくることなど、大学のこと以外には想像がつかない。しかし、その口調には聞き覚えがなかった。
「あれ、聴こえてるよね。聞こえてたら返事くださいな」
私が返事を忘れていると、その女性は続けて話す。
「はい、聴こえてますよ。どなたですか?」
私は寝起きの声で恥ずかしい気持ちを抑えながら応答する。喉の奥からなんとか向こうに聞こえるように声を出した。声を出すたびに、喉が震えるのがわかる。
「いや~警察さんから教えてもらったのが間違ってたのかなとか、もしかして番号を押し間違えてるかな、とかいろいろ考えたんだからね。これからはできるだけ早く電話に出られるようにしておいてね」
しかし、彼女は私の言葉などまるで聞く気がないように自由なペースで会話を進める。
「それは申し訳ないですけど、いったいどなたですか?」
「ん? ああ、まだ名乗ってなかったね。こちらは小伏探偵事務所の小伏凪沙です」
「探偵?」
私はあまりにも予想外な単語の登場に、どうしても聞き返してしまう。
「そう、探偵。シャーロックホームズくらいはわかるでしょ? それと一緒」
私はその言葉になんて返せばいいのかわからず、黙っていた。シャーロックホームズはわかるけど、素直にその説明を飲み込めるかと言われればそうではない。寝起きの頭で理解するには、少し難しすぎる。
「で、さっそくなんだけど」
彼女はこちらが黙ったのを、会話のターンを放棄したととって話を進める。あまりにも速いスピードで、覚醒したばかりの脳では会話から単語を拾うのが限界だ。頭の中で、話したいことがうまく纏まらない。
「ちょ、ちょっと待ってください」
「何? 私、何かおかしなこと言った?」
「おかしいことばっかりですよ。とにかく、今から私の質問に答えてください」
私はまくしたてるように話し続ける相手から、なんとか会話のペースを掴もうとする。
「え~私が一気にぶわーっと喋っちゃったほうが早くない?」
しかし、彼女にはその提案は不服そうだ。まるで子供のような口調であきれたように話す。
「それで私が理解できるならいいですけど、少なくとも私はあなたの自己紹介だけでもいくつか質問があります。落ち着いてちゃんと順序だてて話をしましょう」
頭がこんがらがって、とてもじゃないが彼女の話を真面目に聞いていられる状態じゃない。一つ一つを的確に処理しなければ私の頭がパンクしそうだ。すでに、寝起きの脳はフル回転で話に遅れないように動いている。
「わかったわよ。質問はなに?」
電話の先にいる彼女は、両手の平を上に向けてやれやれと言いたげなんだろう。いや、寝不足なのにたたき起こされてそう言いたいのはこちらなのだが、とにかくかなりマイペースな人だ。
「まず、どうやって私の電話番号を知ったんですか?」
まずはそこだった。ネットワークのサービスがここまで発展した現代において、たとえ友人や恋人同士であっても電話番号を知らないことは珍しくない。
事実、私の電話帳に登録されているのは両親と祖父母くらいだ。探偵なら素行調査とかもできるだろうけど、探偵がわざわざ私の電話番号を調べることなんて、昨日の殺人事件しか考えられない。火野博士が死亡したニュースはまだ報道されてもいないはずなのにどうやって私の電話番号を調べたのだろう。
「あなたたちって、昨日の夜に警察に火野博士が亡くなっていると連絡したわよね?」
確かに、全員がいる場で副島さんが責任者として警察に通報した。相手の声は聞こえなかったが、間違いなく警察だっただろう。
「確かにしましたけど」
「日本の警察は無能だなんて作り物ではよく書かれているけれど、さすがに一晩もあれば一般人の携帯電話番号くらいは突き止められるわよ」
彼女はさも当然のように言う。確かに、警察ならば私の携帯番号なんて大学とか携帯ショップに問い合わせればすぐに教えてもらえるだろうけど、そこが問題なのではない。私はどこか電話の向こうにいる彼女と話がかみ合わずにいた。
「そうじゃないです。どうして火野博士の事と無関係なあなたが私の電話番号を知ってるんですか? 調べたんですか?」
「別に無関係じゃないわよ。あなたの電話番号を教えてくれた詳しい筋を話したら警察内部で問題になるから言わないけども、ちゃんと許可は貰ってるんだから大丈夫よ」
詳しい筋を明かしたら問題になるという事は、大丈夫ではないのでは?
私はつっこむ気力もなかったので、それについては何も言わなかった。
「じゃあ、それはそれでいいとしても、私に電話をかけてきた理由は何ですか?」
本当は良くないのだが、どうせ私の責任じゃない。警察内部のことは警察内部の人が考えればいいのだ。それより、警察から情報が流れているなら私以外でここに滞在している人たちも電話番号がわかるだろう。それなら、私は副島さんか少なくとも研究所の所員に電話をかける。火野博士がなぜ亡くなったのかを考えるのにおいて情報が必要で、昨日の昼にここへ来たばかりの私にわかることなんてごくわずかだ。まだ、一階のどこにトイレがあるのかも知らないのに。
「理由は二つ。まず一つ、私はあくまで個人的な捜査として動いているから現地警察との連携はできないわ。ドラマとかだと警察の人がなんでも教えてくれるから、そんな風なら捜査もしやすいんだけど、それがフィクションだってことはわかるでしょ?」
それはその通りだった。さすがに分別はついている。
「でも、それなら副島さんに電話した方がいいんじゃ?」
現時点で、警察の次に情報を持っていると思われるのは副島さんだ。
しかし、私の言葉を聞いた探偵さんはあきれたように言う。
「あなたって馬鹿なの。犯人に電話をかけて探偵だなんて名乗ったら、まともな情報を出してくれるわけないじゃない。そもそも、通話すらできないわよ」
「どういうことですか! 副島さんが犯人ってことですか?」
私はつい声が大きくなってしまい。慌てて口をおさえる。部屋はしっかりとしたつくりになっていて、外部からの音は聞こえないから防音性も高いだろうけど、ピリついた研究所内の空気を乱しかねない発言は気を付けなければいけない。
「この時点で犯人がわかっているなら苦労しないわよ。私が持っている情報はあなたたちの名前と職業と年齢に電話番号、あとは被害者である火野博士とのおおまかな関係かしら。押部さんがもうすぐ顔写真を持ってくるらしいけど、顔なんてそこまで大事じゃないわよね。お見合いでもないんだし」
「おしべさん?」
私は新しい登場人物の名前を聞き返す。どんどん、情報が頭に流し込まれていくようだ。
「押部さんは私の友達みたいなもの。今回も押部さんからあなたたち全員の電話番号をききだして、わざわざ電話したんだから」
さっきそれを言うと問題になると言っていたんじゃなかったんじゃないか? 説明は筋が通っていて簡潔でわかりやすいことから彼女がかなり賢いことは想像がつくけれど、どこか抜けている。
「とにかく、私から見て犯人の可能性が最も薄いのがあなたなの。火野博士との関係もそうだし、学生だから色々なことに融通も効きづらいでしょ。もちろん、副島っていう人にも警察から情報が聞き出されるからあなたが嘘をついていればすぐにわかるわよ」
確かに、私は他の招待客とは違って火野博士とは面識すらない。
「探偵さんは、火野博士が殺されたと思っているんですか?」
私は、まるで他殺が既定路線であるかのように話すことに違和感を持って会話の流れを切ってでも質問した。
昨日の段階では他殺に事故、自殺に伝承など様々な原因が考えられた。その中で最も可能性が高いのは他殺だったが、断定できるほどでもない。何か、私たちが見落としている部分があって、探偵さんはそれに気が付いているのだろうか。
「まあ、その線で捜査をするのが私の仕事だしね。事故や自殺の可能性ももちろん考慮はしてるわ。でも、殺人説が最も可能性が高いことから目を背けてはいけないの」
「大変な仕事ですね」
きっと常人ならば精神がもたないだろう。私はその心労を想像するができなかった。どんな仕事にも多かれ少なかれ心労はあるだろうけど。
「探偵は疑うのが仕事。嫌な仕事よね」
彼女の悲しそうな声が、耳にへばりつくように木霊した。
「とにかく、あなたを信頼して私の五感を託すわ。今からあなたは私の手となり、足となるのよ。存分に働いてちょうだい」
「もうちょっと良い言い方ってなかったですかね」
「じゃあ、私の捜査に協力してもらえるかしら」
私は思ったよりも素直に要求が通ったことに驚いたとともに気分が良くなって、それを了承する気になった。どうせ、ここでうだうだしていても仕方がないし、探偵さんの言うように他殺なら少しでも早く犯人を捕まえて安全を確保したい。
それに、普段から教授にこきつかわれているから別に言いなりなのも気にならない。
「わかりました」
「じゃあ、早速だけどあなたが知っていることを教えて」
探偵さんの口調はどこか楽しげである。さきほどの悲しげな声はどこへいったのだろうか。まあ、殺人事件の捜査なんてどこか狂ってもいない限りはできないだろう。
「そんなに多くないですよ」
私は先に断りをいれてから、知っていることのすべてを話した。この研究所に到着してから、朝までの事。
彼女はその間、一切の言葉を発さずに黙って私の話を聞いていた。時々、挟まれる心地の良い相槌は話を聞くのがうまい。私は話しているうちにどんどん頭が回って、後半はかなり細かく描写ができたように思う。
探偵さんは一通り話を聞き終えると、おそらく電話の向こうで頷きながら言った。
「なるほどねえ。まあ、今の時点では当たり前だけど誰が怪しいかもわからないわね。でも、不知火の話は面白そうね」
私はなんとなく、彼女はかなり好奇心が旺盛な人であると感じたので、おそらく不知火に興味を示すだろうと思っていた。そのため、できる限り鮮明に副島さんと井野さんの説明を思い出して話したつもりだ。
「不知火について、何か知っていることってありますか?」
私も不知火については興味があって、少しでも知りたいと思っていた。なんとなく、彼女は何か知ってそうだと感じたのだ。その予想はどうやら、当たっているみたいだ。
「まあ、私は実際に見ていないからなんとも言えないんだけど、不知火だと断定するのはやめたほうがいいんじゃない?」
「どういうことですか?」
「あなたたちが知っているかはわからないけど、怪火現象なんて世界各地で様々なものが報告されているのよ。日本だけでも鬼火や狐火とか人魂と呼ばれるものがあるし、海外でもウィルオウィスプやセントエルモの火は有名よね」
なんとなく、名前を聞いたことがある気がする。
「セントエルモの火ってあの青白い光のことですか?」
「そうよ、よく知ってるんじゃない。雷雲の直下で電場が強まった時に発生する自然現象のことね。帆の先やマスト付近にある空気の絶縁を破壊されて青い光が見える。昔の船乗りはそれを守護聖者である聖エルモによるものだと信じたことが名前の由来ね」
探偵さんはそこまで一息で説明しきった。私はただ、アニメか曲のタイトルかで名前を聞いただけなのだが、彼女はおそらく話したことの全てを記憶していたのだろう。
「それと、確かに伝承はかなり興味深いものだけれど、不知火だと断定すればそれは誤った解答を導きかねないわ。そもそも、誰かが意図的に仕組んだことかもしれないしね」
「誰かが意図的に仕組んだ?」
私はウィルオウィスプという初めて聞いた単語も気になったが、それよりも誰かが意図的に仕組んだという部分が引っかかった。
私も暗くてはっきりとは見えなかったけれど、周りに漁船のようなものは見えなかった。
「あれ? 不知火の原因で最も有名な説は聞いたのよね」
「はい、確か温度差のある空気が起こす光の屈折が錯覚で炎に見えることですよね」
井野さんが説明していた時のことを、そのときの光景を思い出しながら、私は答えた。
「なら、屈折を計算すればある程度の場所に光を出現させるくらいはできるんじゃない? ピンポイントで計算するのは難しいと思うけれども、誰かが見つけるくらいなら海のどこかに表示させておけばいいでしょ?」
探偵さんはさも当たり前のように言った。いや、言われれば確かにそうなのだが、それを自分一人の力でできる人がどれだけいるだろうか。ただ、ここに集まっている人たちなら不可能ではない?
「それは、そうですね……」
「ちなみに、その不知火を最初に見つけたのは誰なの?」
そう言われて、私は昨日の夜を思い出す。最初に見つけたのは確か。
「あ、私です」
思わず、電話越しであるにも関わらずに右手を挙げていた。
「え? あなたが犯人なの?」
「ち、違いますよ!」
な、なんてことを言うんだ。冗談でも心臓に悪い。慌てて、右手を下ろした。もちろん、そんなことは電話越しに伝わるわけもない。
「冗談よ。それに不知火を発生させたのがあなただとしても、火野博士を殺害した事と等式でつながるわけではないしね。ただ、不知火を発生させた人が怪しいのは確かよ」
それはその通りだ。そもそも、どうして不知火を発生させる必要があるんだろう。
例えば伝承になぞらえるとかならわからなくもないけれど、そういうのはフィクションの世界で作品を盛り上げるためだけに存在するのではないだろうか。わざわざインディアン人形を盗んで、それになぞらえて殺害するなんてことは現実的ではないだろう。
なら、不知火には何かしらの意味があるはずだ。
「とりあえず、不知火に関してはこちらでほかにも原因になるようなものがないかは調べておくわ。それと、私はあくまで火野博士が何者かによって殺害された線で推理を進めていくからね。怖いことを言って申し訳ないけど、研究所内にはあなたが知らない人は存在しないわよね?」
その質問の意味を最初は理解できなかった。しかし、それが徐々にわかっていくとともに顔からさーっと色が抜けていくのが、鏡を見なくても分かった。
「ちょ、そんな怖いことを言わないでくださいよ」
「ごめんなさい。警察が到着すればすぐに研究所内を捜索するだろうけど、もしも誰かが見つかったらその人が犯人だと考えるのが筋ね。一晩でも夕食を共にした人が犯人である方がいいか、顔も知らない研究所に潜む人間が犯人である方がいいか。難しいところよね」
私はそのことに何といってもいいかわからずに黙っていると、こちらが怯えていると思ったのだろうか。
探偵さんは取り繕うように、
「火野博士を殺害した犯人が焼死体専門の通り魔でもない限り、あなたが死ぬ事はないわ」
そう強く言い切った。
「どうしてですか?」
「だって、あなたが殺される理由が見当たらない」
私は確かにその通りだと納得した。
探偵さんが私を最も疑っていない理由は火野博士との関係が希薄だから。事実、私は火野博士と直接の面識はない。他の来客はみな火野博士が直接、招待した相手であるのに対して私はあくまで前島教授の代理だ。
それはつまり、私と火野博士が同じ人間にそれも殺害されるほどの恨みを抱かれる可能性が、他の来客よりも低いことを意味していた。
「そ、そうですよね。なんだか安心しました」
犯人としては被害者をいたずらに増やすことはリスクしかない。当然、それは避けたいはずだから無関係な人間を殺す必要はない。
「でも、あなたが狙われるとしたら犯人があなたにトリックがばれたと思ったとき。だからこそ、そういった素振りには気を付けてね。もちろん、こうやって私と連絡をとっていることもあまり知られない方がいいわ」
「わかりました。気を付けます」
まあ、現時点では使われたトリックの想像もつかないので気を張っていても仕方がない。
できるだけ、事件のことは考えないでいようと決めた。私はあくまで探偵さんの目であり、耳である。餅は餅屋というように、推理はそのプロである探偵に任せればいいだろう。
「でも、探偵さんって本当に事件の推理をするんですね。浮気とか素行調査が主な仕事って聞いていたんですけど……」
私の言葉を聞いて、探偵さんは不満そうにため息をついた。
「そんな興信所と一緒にされるのも……まあやることは一緒なんだけど。でも、うちは殺人専門だからね。別に浮気調査を馬鹿にするわけじゃないけどね」
「殺人専門って儲かるんですか?」
今回は火野博士が明らかに不審な点がいくつもあるから警察以外にも外部からの目が必要だろう。だが、そんな事件は珍しい。それこそミステリ小説やドラマが流行ったころならともかく、そのころから科学は大きく発展したおかげで、犯行当日には警察が犯人に対してある程度の目星をつけているらしい。探偵の出番はあるのだろうか。
「まあ、久しぶりの仕事であることは否定しないわ。だからこそ、気合を入れて推理してあげるから安心して頂戴」
「わかりました。よろしくお願いします」
私がその言葉を言い終わるのが先か、通話が途切れた。
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