プロローグ
ー/ー 視界の端にある茂みが、ゆらゆらと揺れる。風ではなく、温度で。陽炎が見えるほどにさんさんと降り注ぐ太陽の光を遮るものは何もなく、木々の合間から覗く青空は遠くて広い。じりじりと、地中から水分が蒸発する音がした。ただ舗装のされていないごつごつとした山道がだらだらと視界の端からその先まで伸びている。その道は、途切れる気配がなかった。種田山頭火の自由律俳句が。私の頭にポンと浮かんだ。
「はぁ、はぁ。どうしてこんなことに」
私は、そんな道をえんえん歩いていた。かれこれ、山に足を踏み入れて一時間ほどだろうか、太陽の角度はかなりあがった気がする。ここから、最も気温が高くなる時間帯だから、できる限り急いだほうがいいのは頭がわかっているけれども、足が脳の命令通りに素早く動いてくれない。とにかく、足を上げることがおもりでもついているのかと思うほどに辛く、逆に足を落とすのにもわざわざ膝に手をついて押すしかない。
普段の生活であまり歩いていないせいもあって、足の裏どころか甲すらもずきずきと痛みだした。時おり靴底が地面に擦れる音と、蝉が腹を震わせる音だけが響いている。ウォークマンを充電したままで家に忘れたのは失敗だった。
「あっ」
その時、前方からふと潮風を感じた。それは熱が体に溜まって疲れ果てた体には良いリフレッシュになったが、それと同時に、今頃は同級生たちが大学最後の思い出作りにとバーベキューや海、旅行など、ひと夏のアバンチュールを満喫していることを思い出して、なんだかどうしようもなく虚しくなる。しかし、潮風を感じることはすなわち目的地が近いことを意味していた。自然と、少し歩くペースがあがる。
そして、それから数十分ほど歩いたところで、
「はぁ、やっとついた~」
私の口からは思わず、そんな溜息交じりの声が漏れ出た。
ついに視線と平行に続いていた山道が途切れて、視界の前方にも青い空が見えてきたのと同時に、あまりにも白く、無機質な建物が私の意識に強くその存在を主張してきた。あたり一面が深緑と蒼と黄色に囲まれているせいか、その白はより一層、際立っている。まるで、塗り絵で建物の部分だけクレヨンで色を塗り忘れたみたいだった。
新しい病院と同じだ。よく言えば清潔感がある。悪く言えば、生命というものを感じない。スピリチュアルな話は信じないけども、なんだか人が発する熱というか温かみのようなものが全くと言ってもいいほどにその建物からは感じられなかった。ただそこにたたずむだけで、景色から隔絶された嫌な違和感があった。部屋の外に見える換気扇やかすかに部屋から漏れた明かりが、その建物がかろうじて現実に存在するものであることを私の本能に知らせてくる。
「えっと、インターホンはどこかな」
その建物を囲う少し汚れたブロック塀。そこに張り付けられた石の表札には、『火野研究所』と彫られていた。そのくぼみに、赤いタカラダニが這っている。小さいころに、靴のかかとで踏みつぶすと鮮血のように赤い液体がシューズの白い部分についた記憶がふと蘇ってきたが、今になって思い返せば決していい思い出ではない。私は頭を振ってその記憶をどこかへ吹き飛ばした。そのついでに、額の汗も飛んでゆく。
そうしてから、表札から少し下へ視線を向けると、黒いインターホンが備え付けられている。インターホンを押すことなんてなかなかないので、こういった場面では無駄に緊張してしまう。だけど、疲れのせいか少しでも早く冷房の効いた部屋に入って休息をとりたいという思いが無意識のうちにはたらき、何を話すか考える前に人差し指がインターホンのボタンを押していた。実家と同じ聞きなれたインターホンの音が鳴ってから少しした後に、ボタンの上にある会話口から、声が聞こえた。
「どちら様でしょうか」
その声は明るかったが、どこか警戒心も混ざっていた。きっと壁の向こうにいる人も、あまりインターホン越しの会話に慣れていないのだろう。
それとは反対に、柔らかい女性の声で、年代も近い雰囲気があったから、私は落ち着くことができた。ゆっくりと、話すことを意識して、ポケットに入れたメモを読み上げる。汗をかいたせいで、メモもぐしょぐしょになっていた。
「あ、元禄大学の研究室から派遣されてきました渡橋です」
「かしこまりました。少々、お待ちください」
インターホン越しだったが、よく聞こえる高く澄んだきれいな声だった。
私がその招待状を見た時には、すでに封はびりびりに破られていた。私はテーブルに置かれたそれをひっくり返す。送り主の名前を確認するためだ。そこには、記憶領域の端に置かれた名前がプリントされていた。
「火野響介? ああ、あの人ですか」
私のそのリアクションは、どうやら想定したものと違ったらしい。それも、マイナスな方向に。目の前にいる彼はわかりやすく少しがっかりしていた。クールなふりをしているけれども、表情に出やすいのでいつも楽しませてもらっている。
「もう少しくらいは、興味を持ってくれてもいいんじゃないかな。君の仲間たちは目を輝かせてその文字を見ていたよ。もちろん、中身は見せていないけどね」
そう言ったのは、前島理玖。私をここに呼び出した人物であり、手紙の受取人でもあり、私が所属する研究室の教授でもある。彼はしわのひとつもない綺麗な肌に歪みを作って、笑った。その肌の色は、研究室の壁よりも白い。女性からすれば羨ましさを覚えるほどに。一方で、健康状態が少し心配になるほどに白く綺麗だ。
しかし、彼の肌が白くて綺麗な理由はひとえに外へ出ないからであって、スキンケアという言葉すらも知らない可能性があるほど、見た目には無頓着。大量生産された安いシャツに白衣。下はデニムという、無難なファッション。私も研究室に来るだけだから大した服装はしていないけれども、家にあるどの服を組み合わせてもこうはならない。
さらに前島は、髪はぼさぼさで伸びきっており清潔感があるとはお世辞にも言えない。メガネの奥に見える瞳や、鼻筋から素材が悪くないことはわかるが、それを生かそうともしない。大学内の女子は、いつももったいないと言っているがそれには同意する。
「それで、私がどうしてここに呼ばれたのかと、火野博士からの招待状について説明してもらえますか? ちょうど講義の合間で昼食を摂ろうと思っていたんですけど」
購買で人気の総菜パンを買おうと思っていたのに、台無しだ。慣れっこではあるけれども。
「うん、じゃあ結論から話そう。朝食にしようと思っていたけれども、残しているパンがあるから、食べながら聞いてもらっても構わないよ。君にはその招待状に書かれてあることに従って、火野研究所で開かれるパーティーに僕の代理として参加してきてもらえるかな?」
そこまで言われたところで、私は袋から取り出したパンを落としそうになった。
「はい? どういうことですか?」
私には前島が言っている意味が分からなかった。少し、語気が強くなってしまったけれどもうちの教授は礼儀とか礼節とかそんなことを気にしない。きっと、敬語を使わなくても何も注意をしてこないだろう。
「まずは、そこに書いてある日時を読み上げてもらえるかな?」
手紙の中にある数字を追うと、ちょうど真ん中あたりにそれはあった。
「七月の十三日、十四日ですか?」
「そう。では、その情報を踏まえてこのスケジュールを見てくれ」
教授がパソコンのショートカットキーを押すと、パソコンのカレンダー機能が起動した。マウスカーソルを移動させて、七月十三日のところへと持っていく。するとそこには、『出張 関西 四泊』と表示された。それを見て、私はすべてを理解する。
反射的に、溜息が出てきた。つまり、招待されたパーティーの日時には彼は東京にすらいないということだ。そして、その代役に選ばれたのが私。
「私なんかで大丈夫なんですか?」
代理に指名されると言えば確かに聞こえはいいけども、私が教授の代わりになれるのかが心配だった。自分を卑下するつもりはないが、私なんて一学生に過ぎない。そこまで丁寧に扱っているわけではないが、彼の凄さは理解しているし、ちゃんと尊敬もしている。
「大丈夫。そういうところはもう連絡をいれてあるから」
「それ、私が代わりに行くことを了承してからにしましょうよ」
結果的には効率的に話が進んでいるが、それも私がたまたま暇だったからだ。
「わかりました。その代わり、成績についてはお願いしますよ」
「もちろんだよ。それに、いろいろとお土産を買ってくる。何が欲しいかリクエストしておいてくれ。もちろん、いくらでも構わない。たこ焼き味やお好み焼き味のスナック菓子を研究室のみんなのために大量に買ってくるよ」
私はとりあえず、思いつく限りの大阪土産をメモにして教授に手渡した。
「でも、火野博士からパーティーのお誘いが来るなんてどういう関係なんですか?」
私がそう聞くと、前島は少し首をかしげる。
「一応、同じ大学の出身ではあるけれども、僕が一年生の時に火野博士が四年生だからね。そこまで話した記憶もないし、連絡先を知っているなんてびっくりだよ」
そういわれて確認すると、確かに火野博士からの招待状は大学宛てではなくて、教授の自宅に向かって発送されている。
「なら、教授としての能力を見込んで?」
いや、それならば私が代理としていく意味がない。自分を卑下するつもりはないが、前島という天才の代わりになれるとは思わない。
「しかし、どういった意図があるんだろうね? ただ、君はまだこの先についてどうするか決まっていない。少なくとも、大学院への進学には困らないだけの頭脳はあるけれど、やりたくない研究をしても仕方がないしね。この会に参加するのは僕を除いて大物ばかりだから、これからのことを考えるのに参考になるんじゃないかな」
そういいながら教授は最後に招待状を軽く流し見て、私に手渡してきた。その招待状は、今はズボンのポケットに入っている。もしも身分を確認されるようなことがあれば、学生証と招待状を見せれば私が前島教授の代理として来たことをわかってもらえるだろう。
少ししたのちに、玄関ドア横にある小窓から薄く光が漏れた。おそらく、先ほど応対をしてくれた女性がドアを開けに来たのを感知して光ったのだろう。それからすぐに、重厚感のあるドアが開いた。
分厚いドアの隙間から姿をあらわしたのは、白衣をまとった女性だった。赤い眼鏡と首の後ろでくくられた黒髪が映える美人だった。
鼻がすっと通っていて、目は切長なために、無表情でいると怖い印象を抱いてしまう。しかし、私の姿を発見するや否や、彼女は見事な笑顔を作った。美人の笑顔と言うのは、まるで彫刻のようでどこか神聖ささえも感じる。
彼女はすぐさまこちらへと向かってきて、門のカギを開けた。
「お待たせしました。どうぞ、こちらへ」
彼女は指をそろえて、ドアの方へ向ける。その声や仕草はとても丁寧で、温かさを感じた。泊ったことはないけれども、高級ホテルのドアマンみたいで、どこか機械じみて感じるほどだった。
人間とは不思議なもので、最初に見た時の印象が悪いほど、後に好感を抱きやすい。私は、そのことはわかっているつもりだったのだが、知り合いもいない場所で出会った初めての人なので、彼女を無意識のうちに信頼していた。
「お邪魔します」
私は、彼女の後ろについて、『火野研究所』へと足を踏み入れた。
この時の私は、想像もしていなかった。
まさか、この研究所で完全犯罪が行われようとしていることに。
「はぁ、はぁ。どうしてこんなことに」
私は、そんな道をえんえん歩いていた。かれこれ、山に足を踏み入れて一時間ほどだろうか、太陽の角度はかなりあがった気がする。ここから、最も気温が高くなる時間帯だから、できる限り急いだほうがいいのは頭がわかっているけれども、足が脳の命令通りに素早く動いてくれない。とにかく、足を上げることがおもりでもついているのかと思うほどに辛く、逆に足を落とすのにもわざわざ膝に手をついて押すしかない。
普段の生活であまり歩いていないせいもあって、足の裏どころか甲すらもずきずきと痛みだした。時おり靴底が地面に擦れる音と、蝉が腹を震わせる音だけが響いている。ウォークマンを充電したままで家に忘れたのは失敗だった。
「あっ」
その時、前方からふと潮風を感じた。それは熱が体に溜まって疲れ果てた体には良いリフレッシュになったが、それと同時に、今頃は同級生たちが大学最後の思い出作りにとバーベキューや海、旅行など、ひと夏のアバンチュールを満喫していることを思い出して、なんだかどうしようもなく虚しくなる。しかし、潮風を感じることはすなわち目的地が近いことを意味していた。自然と、少し歩くペースがあがる。
そして、それから数十分ほど歩いたところで、
「はぁ、やっとついた~」
私の口からは思わず、そんな溜息交じりの声が漏れ出た。
ついに視線と平行に続いていた山道が途切れて、視界の前方にも青い空が見えてきたのと同時に、あまりにも白く、無機質な建物が私の意識に強くその存在を主張してきた。あたり一面が深緑と蒼と黄色に囲まれているせいか、その白はより一層、際立っている。まるで、塗り絵で建物の部分だけクレヨンで色を塗り忘れたみたいだった。
新しい病院と同じだ。よく言えば清潔感がある。悪く言えば、生命というものを感じない。スピリチュアルな話は信じないけども、なんだか人が発する熱というか温かみのようなものが全くと言ってもいいほどにその建物からは感じられなかった。ただそこにたたずむだけで、景色から隔絶された嫌な違和感があった。部屋の外に見える換気扇やかすかに部屋から漏れた明かりが、その建物がかろうじて現実に存在するものであることを私の本能に知らせてくる。
「えっと、インターホンはどこかな」
その建物を囲う少し汚れたブロック塀。そこに張り付けられた石の表札には、『火野研究所』と彫られていた。そのくぼみに、赤いタカラダニが這っている。小さいころに、靴のかかとで踏みつぶすと鮮血のように赤い液体がシューズの白い部分についた記憶がふと蘇ってきたが、今になって思い返せば決していい思い出ではない。私は頭を振ってその記憶をどこかへ吹き飛ばした。そのついでに、額の汗も飛んでゆく。
そうしてから、表札から少し下へ視線を向けると、黒いインターホンが備え付けられている。インターホンを押すことなんてなかなかないので、こういった場面では無駄に緊張してしまう。だけど、疲れのせいか少しでも早く冷房の効いた部屋に入って休息をとりたいという思いが無意識のうちにはたらき、何を話すか考える前に人差し指がインターホンのボタンを押していた。実家と同じ聞きなれたインターホンの音が鳴ってから少しした後に、ボタンの上にある会話口から、声が聞こえた。
「どちら様でしょうか」
その声は明るかったが、どこか警戒心も混ざっていた。きっと壁の向こうにいる人も、あまりインターホン越しの会話に慣れていないのだろう。
それとは反対に、柔らかい女性の声で、年代も近い雰囲気があったから、私は落ち着くことができた。ゆっくりと、話すことを意識して、ポケットに入れたメモを読み上げる。汗をかいたせいで、メモもぐしょぐしょになっていた。
「あ、元禄大学の研究室から派遣されてきました渡橋です」
「かしこまりました。少々、お待ちください」
インターホン越しだったが、よく聞こえる高く澄んだきれいな声だった。
私がその招待状を見た時には、すでに封はびりびりに破られていた。私はテーブルに置かれたそれをひっくり返す。送り主の名前を確認するためだ。そこには、記憶領域の端に置かれた名前がプリントされていた。
「火野響介? ああ、あの人ですか」
私のそのリアクションは、どうやら想定したものと違ったらしい。それも、マイナスな方向に。目の前にいる彼はわかりやすく少しがっかりしていた。クールなふりをしているけれども、表情に出やすいのでいつも楽しませてもらっている。
「もう少しくらいは、興味を持ってくれてもいいんじゃないかな。君の仲間たちは目を輝かせてその文字を見ていたよ。もちろん、中身は見せていないけどね」
そう言ったのは、前島理玖。私をここに呼び出した人物であり、手紙の受取人でもあり、私が所属する研究室の教授でもある。彼はしわのひとつもない綺麗な肌に歪みを作って、笑った。その肌の色は、研究室の壁よりも白い。女性からすれば羨ましさを覚えるほどに。一方で、健康状態が少し心配になるほどに白く綺麗だ。
しかし、彼の肌が白くて綺麗な理由はひとえに外へ出ないからであって、スキンケアという言葉すらも知らない可能性があるほど、見た目には無頓着。大量生産された安いシャツに白衣。下はデニムという、無難なファッション。私も研究室に来るだけだから大した服装はしていないけれども、家にあるどの服を組み合わせてもこうはならない。
さらに前島は、髪はぼさぼさで伸びきっており清潔感があるとはお世辞にも言えない。メガネの奥に見える瞳や、鼻筋から素材が悪くないことはわかるが、それを生かそうともしない。大学内の女子は、いつももったいないと言っているがそれには同意する。
「それで、私がどうしてここに呼ばれたのかと、火野博士からの招待状について説明してもらえますか? ちょうど講義の合間で昼食を摂ろうと思っていたんですけど」
購買で人気の総菜パンを買おうと思っていたのに、台無しだ。慣れっこではあるけれども。
「うん、じゃあ結論から話そう。朝食にしようと思っていたけれども、残しているパンがあるから、食べながら聞いてもらっても構わないよ。君にはその招待状に書かれてあることに従って、火野研究所で開かれるパーティーに僕の代理として参加してきてもらえるかな?」
そこまで言われたところで、私は袋から取り出したパンを落としそうになった。
「はい? どういうことですか?」
私には前島が言っている意味が分からなかった。少し、語気が強くなってしまったけれどもうちの教授は礼儀とか礼節とかそんなことを気にしない。きっと、敬語を使わなくても何も注意をしてこないだろう。
「まずは、そこに書いてある日時を読み上げてもらえるかな?」
手紙の中にある数字を追うと、ちょうど真ん中あたりにそれはあった。
「七月の十三日、十四日ですか?」
「そう。では、その情報を踏まえてこのスケジュールを見てくれ」
教授がパソコンのショートカットキーを押すと、パソコンのカレンダー機能が起動した。マウスカーソルを移動させて、七月十三日のところへと持っていく。するとそこには、『出張 関西 四泊』と表示された。それを見て、私はすべてを理解する。
反射的に、溜息が出てきた。つまり、招待されたパーティーの日時には彼は東京にすらいないということだ。そして、その代役に選ばれたのが私。
「私なんかで大丈夫なんですか?」
代理に指名されると言えば確かに聞こえはいいけども、私が教授の代わりになれるのかが心配だった。自分を卑下するつもりはないが、私なんて一学生に過ぎない。そこまで丁寧に扱っているわけではないが、彼の凄さは理解しているし、ちゃんと尊敬もしている。
「大丈夫。そういうところはもう連絡をいれてあるから」
「それ、私が代わりに行くことを了承してからにしましょうよ」
結果的には効率的に話が進んでいるが、それも私がたまたま暇だったからだ。
「わかりました。その代わり、成績についてはお願いしますよ」
「もちろんだよ。それに、いろいろとお土産を買ってくる。何が欲しいかリクエストしておいてくれ。もちろん、いくらでも構わない。たこ焼き味やお好み焼き味のスナック菓子を研究室のみんなのために大量に買ってくるよ」
私はとりあえず、思いつく限りの大阪土産をメモにして教授に手渡した。
「でも、火野博士からパーティーのお誘いが来るなんてどういう関係なんですか?」
私がそう聞くと、前島は少し首をかしげる。
「一応、同じ大学の出身ではあるけれども、僕が一年生の時に火野博士が四年生だからね。そこまで話した記憶もないし、連絡先を知っているなんてびっくりだよ」
そういわれて確認すると、確かに火野博士からの招待状は大学宛てではなくて、教授の自宅に向かって発送されている。
「なら、教授としての能力を見込んで?」
いや、それならば私が代理としていく意味がない。自分を卑下するつもりはないが、前島という天才の代わりになれるとは思わない。
「しかし、どういった意図があるんだろうね? ただ、君はまだこの先についてどうするか決まっていない。少なくとも、大学院への進学には困らないだけの頭脳はあるけれど、やりたくない研究をしても仕方がないしね。この会に参加するのは僕を除いて大物ばかりだから、これからのことを考えるのに参考になるんじゃないかな」
そういいながら教授は最後に招待状を軽く流し見て、私に手渡してきた。その招待状は、今はズボンのポケットに入っている。もしも身分を確認されるようなことがあれば、学生証と招待状を見せれば私が前島教授の代理として来たことをわかってもらえるだろう。
少ししたのちに、玄関ドア横にある小窓から薄く光が漏れた。おそらく、先ほど応対をしてくれた女性がドアを開けに来たのを感知して光ったのだろう。それからすぐに、重厚感のあるドアが開いた。
分厚いドアの隙間から姿をあらわしたのは、白衣をまとった女性だった。赤い眼鏡と首の後ろでくくられた黒髪が映える美人だった。
鼻がすっと通っていて、目は切長なために、無表情でいると怖い印象を抱いてしまう。しかし、私の姿を発見するや否や、彼女は見事な笑顔を作った。美人の笑顔と言うのは、まるで彫刻のようでどこか神聖ささえも感じる。
彼女はすぐさまこちらへと向かってきて、門のカギを開けた。
「お待たせしました。どうぞ、こちらへ」
彼女は指をそろえて、ドアの方へ向ける。その声や仕草はとても丁寧で、温かさを感じた。泊ったことはないけれども、高級ホテルのドアマンみたいで、どこか機械じみて感じるほどだった。
人間とは不思議なもので、最初に見た時の印象が悪いほど、後に好感を抱きやすい。私は、そのことはわかっているつもりだったのだが、知り合いもいない場所で出会った初めての人なので、彼女を無意識のうちに信頼していた。
「お邪魔します」
私は、彼女の後ろについて、『火野研究所』へと足を踏み入れた。
この時の私は、想像もしていなかった。
まさか、この研究所で完全犯罪が行われようとしていることに。
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