―セクション2―
翌日も雨だった。
研矢は教室の窓から重苦しい空を見上げうんざりとする。昨日とは比べ物にならないほどの激しい雨が窓を打ちつけているからだ。
『今日は行けないから、悪いけど、ノートお願い』
大杜からそんな連絡が来たのは、始業五分前だ。
花鈴がチラチラと大杜の席を見やっていたので、研矢は手をクロスさせて首を振って見せた。休みを理解したらしい花鈴はがっかりした表情になる。
最近は彼女だと主張することはなくなったが、穏やかに接している今の方がよっぽど恋人らしい雰囲気だと研矢は思う。
花鈴から思われている大杜を羨ましく感じながらも、嫉妬より微笑ましい気持ちが上回るのは、大杜が恋愛どころではないせいかもしれない。
(勉強と任務とやらでいっぱいいっぱいみたいだもんな)
そんな事を思っていると、びしょ濡れのアイビーがひょっこりと教室に顔を出した。
アイビーの後ろは水浸しになっている。
(途中の廊下もきっと水浸しだな)
大杜が怒られることになるだろうと気の毒に思いながら見ていると、アイビーは研矢の机の上に飛び乗った。
「お前、びしょ濡れで歩いてくるなよ。――大杜は休みだろ。なんでお前が学校にいるんだ?」
研矢が怪訝そうに聞く。
「昨日何があったか知りたいからだ」
「何、とは?」
「昨夜、タイトの様子が変だった。だが、尋ねても何でもないと言う。彼は頑固だから、言わないと決めたら言わないんだ。だから君に聞こうと思ってヒトリで来た」
「なるほどな」
納得しつつ、様子が変――の理由に思い当たる。
「様子が変って言うのは、落ち込んでるとか、元気がないとか、そう言うたぐいか?」
「ああ。親は気が付かなかったが、私にはわかる。私はタイトの親よりも、一緒にいる時間が長いからな」
研矢は頷き、昨日のリトルバードでの一件を話した。
「……そんなことがあったのか。普段は思い出さないようにしていただろうから、久しぶりに思い出し、気持ちが沈んでしまったのかもしれないな」
アイビーはおもちゃのロボット姿なので、表情が変わるわけではないが、それでもとても悲しんでいることがわかる口調だった。
「アイビーは、いつからタイトの側にいるんだ?」
「彼が三歳の時だ。見守りロボットとして、ロボット好きの男の子に与えられた」
父と兄を失った時期もそばにいて、大杜の悲しみを見ていたのなら、アイビーが過保護になるのもわからなくはないなと研矢は思った。
「幼い頃から、タイトは自分の悲しみに気付かないフリをする事に長けていた。自分すら騙す彼の心の内を理解できる者は少ない。だから私は彼を理解できる一番の友人でいたいと、常々思っている。ただ」
「ただ?」
「私は人間ではないから、本当の友人にはなれない。だから君が代わりになってくれるなら、一番の座を譲ってもいいと思う」
「――あのな、朝っぱらから、涙を誘うような話をするのはやめてくれるか」
その時、教室に貴島が入って来た。始業ギリギリのタイミングだ。
研矢は目線で入口を示す。
「あいつだよ」
「なるほど。小中の卒業アルバムで見たことがある。――集合写真の右上の丸の中で、だが」
貴島は席に着くと、視線に気付いていたのか、ちらりと研矢とアイビーを見た。
しかし相変わらず感情がわからない目付きだ。
不意に貴島が視線を落として、制服の内ポケットの中を確認した。スマートフォンが震えたようだったが、すぐに何もなかったように前を向いた。
研矢も視線を外し、自分のカバンからタオルを出して、アイビーをわしゃわしゃと拭いてやる。
「準備がいいな。ありがとう」
「こうも雨が続くと必要になるかと思ってさ。早速役に立っただろ」
「君は大杜の世話役にピッタリだ」
「誰が世話役だ」
チャイムが鳴ると、アイビーはひょっこり立ち上がり、大杜の机の方に行って座り直す。
教室に入ってきた天堂が大杜の机を見て一瞬止まったが、すぐに何もなかったように話し始めた。
「慣れって怖いな……」
「お帰り」
「た、ただいま……?」
研矢が自宅のリビングに足を踏み入れると、大杜とアイビーがいた。状況が掴めずに、研矢は疑問形で答えてしまった。
大杜が悪戯っぽく笑った。
「ビックリした?」
「そりゃ、するだろ」
アイビーも昼前までは教室にいたのだが、気付くといなくなっていた。まさか自分の家にいるとは思わない。
「気の抜けた挨拶ねぇ」
|周《あまね》がたしなめ、研矢は眉を寄せた。
「いや、反応できるかよ。普通」
「驚かせてごめん。お邪魔してます」
大杜は笑ったまま改めて言う。
「いつ来たんだ?」
大杜は大きなソファーの端っこにちょこんと腰掛け、アイビーは隣で背もたれのところに座っていた。
大杜は少し疲れた印象があった。いつもふわふわとした頼りなさがあったが、それに輪をかけて心もとない。
「俺とオリーブは昼前から。アイビーとアキレアはついさっきね」
新しい名前を聞きながら、研矢が目で示された方を見ると、出動服を着た女性タイプの警官ロボット二人が立っていた。
「アキレアだ。よろしく」
「オリーブです。よろしくお願いします」
「あ、ああ――よろしく」
何がよろしくなのかわからないまま、研矢はとりあえず挨拶を交わす。
アキレアはダークブラウンのボブのウィッグを付けた端正な顔立ち。オリーブはイエローブラウンのロングヘアのウィッグを付け、背中の半ばぐらいで一つに束ねている。こちらは、柔らかな笑顔が似合う可憐な顔立ちだ。
ロボットに対して言うのも微妙だが、大杜の部下って美女揃いなんだな、と研矢は思った。
「パパから、大杜君のことは聞いたことあったから、いつか会ってみたいと思ってたけど――まさかあんたと同じ学校の同じクラスだったなんてね。知らなかったから、『研矢君にいつもお世話になってます』って言われた時、悪さして警察のお世話になってるのかと思ったわ」
「なんでだよ」
周が睨んでくるのを、研矢が呆れたように見返した。
「そのうち話そうと思ってたけど、話しそびれてたんだよ。姉貴ほとんど家にいないだろ」
研矢は言いながら、空いてるソファーに腰を下ろした。
給仕ロボットが、研矢のコーヒーを運んでくる。大杜と周のカップも新しい物に替えられた。
「で、いったい何事だ?」
研矢は誰にともなく聞いた。
大杜がソファーの上で姿勢を正し、話し始める。
「しばらく、この家と家族を、俺たちが警護することになったんだ。自宅はアキレアが、日中は周さんをオリーブが、研矢は俺とアイビーで担当するから、よろしくね」
「は⁉︎ 警護!? なんで⁉︎」
「うーん……簡単に説明すると――|MatsuQ《マツキュー》の新工場『プロフュー』の基幹システムにハッキングの形跡があって、そのハッキングに使用されたパソコンが、この家の物だったからだよ」
「ちょっと待て。簡単過ぎてわからねぇよ。この家のって!?」
「この家の、正確には、君の部屋の君のパソコンなんだけど――そこからアクセスされた事がわかったから――」
「ちょっと待て! 俺はやってない!」
研矢がソファーから立ち上がって慌てて弁明すると、大杜が吹き出した。
「わかってるよ。だから、『君を警護しに来た』って言ったんだ。君がしていないのに、君の部屋のパソコンが使われたって事は、この家に侵入者がいたってことだよね」
「あ、ああ、そうか――なるほど。いや、なるほどじゃねぇな。マジかよ、怖っ」
「調べたところ、家のセキュリティーも万全だし、外部の警備会社との連携も問題なかった。危害が加えられたわけではないけど、巧妙な手口の侵入者が相手だし、今後何があるかわからない。犯人が捕まるまで、念のためだよ」
「そうか。――そういや、俺のパソコンなのに、俺が容疑者に上がってない理由は?」
「アクセス日時は、君の中学の卒業式の真っ最中だった。卒業生代表の挨拶を皆が目にしてる。アリバイには十分だよね」
「なるほど。確実に部屋が空くタイミングで侵入もしやすかったが、俺のアリバイも確実になるタイミングだったってわけか。――助かった……」
「ほんとだよ」
「しかしハッキングって――」
「その件、公言しないでよ」
周が口をはさむ。
「わかってる、当然だろ。しかしなんでハッキングがわかったんだ?」
「うちで調査していて、MatsuQに辿り着いたんだよ」
研矢は驚いて大杜を見やった。
「公的機関の複数のロボット――ヒューマン型のだけれど、それらの不審な行動が頻発してるんだ。それでその調査をしてたんだけど、その最中にプロフューのシステムへのハッキングに気付いて、アクセス元を辿ってたら、ここに辿り着いた感じ」
「……なんかすげぇな」
大杜は首を振る。
「それじゃ、調査は終わったから、俺は今日はこれで帰るね。さっきも言ったように、アキレアが残るから、よろしく。明日の朝からは、俺が迎えに来るから、それまでは待ってて。学校には一緒に行こうよ」
「お前がわざわざ迎えに来てくれるのか?」
「警護するわけだしね。ご両親は、しばらくMatsuQ本社の住居スペースで過ごされるらしいよ」
「ああ。本社なら警備も厳重だし、仕事もしやすいな」
大杜は頷き、周を見やった。
「明日の朝、オリーブも俺と一緒に来ますから、出社はそれまで待ってて下さい」
「わかったわ」
「オリーブ、周さんのスケジュールを把握しといて」
「了解です」
研矢はふと思いついて、大杜に聞く。
「お前、帰ってまだやる事があるのか?」
「ううん、ないよ」
「それなら、泊まっていけば?」
「え?」
「迎えに来るぐらいならさ、しばらくうちで過ごせばいいんじゃねぇ? この家、部屋数あるぞ」
「大きな邸宅だもんね。――でも……その、すごく嬉しいんだけど、帰らなきゃいけないんだ……。ごめん、誘ってくれたのに」
「いいけど、お前、ほんと疲れた顔してるからさ。行き来の時間とか、ちょっとの時間も休憩に充てた方がいいんじゃないかと思ってさ」
「――そうだな。タイト、友達の家に泊まるだけなんだから、いいんじゃないのか」
それまで黙っていたアイビーが不意に口を開く。
アイビーの言いようが引っ掛かり、研矢は怪訝に思って大杜の様子を伺う。
大杜は悩んでいたようだが、すぐに首を横に振った。
「やっぱり、また今度にさせてもらうよ。――研矢、今度うちに遊びに来てよ。母さんに紹介しておきたいんだ」
「は? あ、ああ、いいけど――」
(母さんに紹介って、そりゃ、花鈴の方じゃねぇか?)
研矢はそんなことを思ったが、大杜が神妙な表情を浮かべていたので、口には出さなかった。
「それじゃあ失礼します。――アキレア、頼んだよ」
「了解、ボス」
アキレアが大杜に敬礼する。
研矢はその様子を驚きながら見た。部署の長だとは聞いていても、改めて警官ロボットに指示を出したり、敬礼されたりする様子を見ると不思議な気がする。
大杜はリビングで周とアキレアと別れ、アイビーとオリーブと共に玄関を出た。
雨は小雨になっており、大杜は傘を差さずに来客用の駐車場へ向かう。研矢も見送りについて行く。
研矢が帰ってきた時、大きな駐車場には一台も停まっていなかったが、大杜が近づいた瞬間、ブルーのスポーツカーが姿を表した。
(光学迷彩をまとっていたのか)
とすると、二組がバラバラにやって来たのだから、もう一台もどこかに隠れているのかと研矢は周囲を見回したが、見つけることは出来なかった。
そんな中、オリーブは門のセンサーに触れ、電子ロックを一瞬で解錠していた。
(防犯とは――?)
こんなのを見せられると、家に不法侵入があったとしても、なんら不思議はないな、と研矢は苦笑いを浮かべた。