―セクション1―
小テストが終わり、研矢が伸びをしながら大杜を見やると、結果がかんばしくなかったのか、机に突っ伏していた。
大杜はここのところ忙しく、終礼が終わると共に駆け出して行き、翌朝はフラフラと登校してきて、授業中は頭が左右に揺れている。
律儀と言うか、睡魔と戦いながら、必死にシャーペンを走らせているが、あまり意味があるとは思えない。
ノートなら代わりに取ってやるからと言う研矢に、負担をかけたくないとの思いからか、出席の日は自分で取るのだと言って譲らない。
(おっとりしてそうで、案外頑固なんだよな……)
特に、誰かに迷惑をかけるかもしれない、と言うことに関しては頑なだ。元の性格もあるのだろうが、これまでの学校生活で苦い思いをしているようなので、そのせいかもしれないと研矢は思っていた。
その日の放課後、いつもは終礼と共に駆け出す大杜が、ゆっくりと帰り支度をしていた。
「今日用事はないのか?」
「うん。今日は本部に行かないから、少しゆっくりできそうなんだ」
「ふぅん」
研矢は思い出したように言う。
「リトルバードに寄らねぇか? 疲れてるときには甘いもん食うと疲れが取れるぞ」
「研矢でも糖分に頼る時あるんだ」
「俺をロボットとおんなじにするなよ」
研矢が苦笑いを浮かべる。
「花鈴たちは誘うか?」
「部活だと思うよ」
「そうか。もう一ヶ月だろ。結構真面目に行ってるな。日彩ともかく、花鈴は意外だよな」
「それ、本人に言っちゃ駄目だよ」
大杜は言いながら窓の外を見た。強弱こそあれ、雨はずっと降っている。フライイングしてきた梅雨のような日々だ。
天気予報もまるで当てにならない。
「うっとうしい空だな」
研矢の言葉に大杜は頷く。家と駅が遠く、雨の中の通学は苦痛だった。
大杜は昇降口の庇から激しく落ちる雫をぼんやりと眺めていた。
教室を出たところで、研矢が教師に呼び止められたため、昇降口で待っているのだ。
目的地がわかっているので、先に行ってもいいと研矢は言ったが、大杜にはまだカフェに一人で入る勇気はない。
クラブに行く生徒がほとんどのようで、昇降口はひっそりとしている。そんな中、大杜の横を貴島が通り過ぎて行った。
(彼も帰宅部なんだ……)
大久保律我の件でヒントを貰ったことを思い出す。翌日大杜が礼を言うと、「解決したんならそれでいい」と言ったきりで、結局なぜ知っていたのかは聞き出せなかった。
「お待たせ」
「お疲れ」
研矢の言葉に、大杜が返す。
「先生、なんの話だった?」
「いやそれが――」
話し掛けて、研矢は不意に思い至ったとばかりに、ニヤリと笑う。
「お前のせいか」
「何が?」
「二年一組の大久保律我――急に退学したらしいぞ」
「あ……」
大杜は「自分のせい」の意味を理解して苦笑する。すべてを話したわけではなかったが、心配していた研矢を安心させるために、少し事情を説明してあったのだ。
「それで生徒会下の専門委員に欠員ができたらしくてさ。やらないか、ってな」
「さすが首席。先生に信頼されてるよね」
「生徒会の便利屋だろ。たいした役じゃないさ」
ふたりはそれぞれに傘を差しながら、昇降口を出た。
雨音と傘に雨が跳ねる音で会話がしづらく、声は自然と大きめになる。
「今日はアイビー来なかったな」
「任務があったんだよ」
「あいつ単体で役に立ったりするのか?」
「優秀だよ。俺に対する過保護ぶりがなければもっといいんだけど」
アイビーは、最初こそこっそりカバンに潜んでいたが、程なく皆の知るところとなった。
もちろん最初は「見守りロボット?」と奇異の目で見られたが、大杜が職務上のロボットだと申し開きをしてからは、堂々と空いている机に座わっている。すっかり公然の存在だ。
そして、花鈴が大杜に絡み過ぎると、ストップを掛けてきたりして、口うるさい。
「ほんとお節介なんだよ」
大杜は拗ねたように言う。
研矢は普段のアイビーの世話焼きぶりを思い出して、吹き出した。
「いらっしゃいませ」
リトルバードの扉を抜けると、前回同様ホストロボットのリソナが出迎えた。
「新しいバイト、まだ見つかんねぇんだな」
「――あ、貴島君だ」
視線の先に、昇降口ですれ違った貴島が座っていた。
リソナが個室のようなソファー席へ案内しようとした時、大杜が思わず声を掛けた。
「そこ――そこのテーブルじゃダメかな」
「お気に召す席がございましたら、ご自由にどうぞ」
リソナに言われ、大杜は研矢を見やった。
研矢は意図を察して頷く。大杜が示したのは貴島の隣りのテーブルだった。
大杜の声に気付いた貴島は、食べる手を止め、二人を見返していた。
「よお、お疲れ。そのパフェすげぇな。甘党か?」
研矢は席に着きながら、貴島に声を掛ける。貴島の前には大きなパフェがあったからだ。
彼は「別に」と素っ気なく言葉を返す。
話し掛けておきながらなんだが、無視されると思っていた研矢は少し驚いた。
彼は自己紹介で「生涯の友人を作りたい」と言っていたが、その割には誰かと親しくなろうする素振りはない。
「お前らはよく来るのか?」
貴島が聞いた。
向こうから話を振って来るとは思わず、大杜と研矢は顔を見合わせる。
「俺は二回目。研矢は――何回目?」
「いや、覚えてねぇよ。地元だし、前からたまに来てるしな」
「ふぅん」
貴島は質問しておきながら、特に興味はなさそうだ。挨拶代わりに話題を振っただけらしい。
「貴島君はよく来るの?」
大杜が話を続ける。
「いや。雨だから寄った」
「雨宿り? 駅すぐそこなのに?」
「自転車通学だからな」
「そうなんだ。でも、いつ止むかわからないような天気だよ?」
「もうすぐ止むから問題ない」
「……そうは思えないけど……」
リソナが注文を取りにやって来て、研矢はコーヒーとアップルパイを、大杜はチョコケーキの乗ったパフェを注文した。
貴島と同じメニューのはずだが、
「同じパフェだよね。それ、なんでソフトクリームが乗ってるの?」
「トッピング。あとソフトクリームじゃなくて生クリーム」
「それが生クリーム⁉︎」
「マジか」
二人が絶句する。
チョコケーキの上にソフトクリームのような生クリームが乗っている。食べにくそうな上に甘さも半端なさそうだ。
「何が『別に』だ。めっちゃ甘党じゃねぇか」
研矢は苦笑した。
「自転車なら、この校区か、隣り町辺りか? 中学どこだったんだ?」
「そんなに近くじゃない。自転車と言っても飛ばして三十分だ」
「なんで電車じゃないんだ?」
「最寄り駅まで自転車で十分、その後電車で四十分。それなら自転車の方が便利だろ。バイク通学の許可が出たらバイクで来る」
「電車の方が遠回りだったりして、余計に時間掛かることあるよな」
研矢と貴島の会話に、大杜が頷いた。
「俺もそんな感じなんだけど、自転車通学なんて考えてもなかった。それもありだね」
「そういや、どの辺に住んでんのか聞いてないな。どこの駅だ? 大きな駅か?」
研矢の言葉に大杜は首を振る。
「知らないと思うよ。千種っていう小さな駅が最寄りなんだ。駅前でも古いスーパーと喫茶店しかないし、その喫茶店も最近はよく閉まってるようなところ」
「そこは閉まってるんじゃなくて、潰れたんだ」
貴島が口を挟む。
「そうなの? ――って、え、千種駅知ってる?」
「ああ」
「珍しい……何もないところなのに」
「地元だからな」
「え」
「一応言っとくが、お前、中学一緒だぞ」
「……うそ……」
大杜が目を見開くようにして貴島を見た。
隣で、研矢は呆れたように大杜を見やる。
「知らなかったのか?」
「うん。俺ほとんど学校行ってなかったし……」
「でも、それなら、小学校も一緒だったんじゃないのか?」
「そうか! え、そうなの⁉︎」
大杜は貴島を振り返る。
貴島は「そうだな」とどうでもよさそうなテンションで答えながら、生クリームを口に運んだ。
その時、大杜のパフェと研矢のコーヒーが運ばれて来て、話が途絶える。
「なんか、ごめん……」
しばらくして大杜が言うと、貴島が顔を上げた。
「気にしなくていい。俺の事はみんなほとんど知らない」
「どうして?」
「学校に行かなかった」
「……お前ら、揃いも揃って。問題児二人かよ」
研矢が苦笑した。
「けど、お前は大杜のこと知ってたんだな」
「ああ。そいつんちは地元では有名だから。引きこもりの俺でも知ってるぐらいに」
貴島は言いながら、大杜を見つめた。その目にはなんの感情も浮かんでおらず、それが大杜には不思議な気がした。
その話題に触れる時、皆いちように「可哀想に」という雰囲気が醸し出されるからだ。
「大杜?」
研矢が怪訝そうに顔を伺う。
大杜はハッとして顔を上げた。
「あ、うん。まぁ、それこそ地元ではみんな知ってるような事だけど――父さんと、歳の離れた兄さんが警察官だったんだ。俺が小二の時、二人が立て続けに殉職した。当時は何度もニュースになったし、マスコミもやって来たりしたから、昔から住んでる地元の人は、大体うちのことを知ってる」
「……そうか」
研矢は質問をしてしまった自分に後悔しつつ、なんでもない風に話題を振った貴島を睨む。
沈黙が落ちて、三人はそれぞれ目の前のものに集中することになった。
だが比較的すぐに食べ終わってしまった研矢は、時間を持て余してしまう。新しい話題を思い付くこともなく、視線をさまよわせていると、隣のテーブルで完食した貴島は、スプーンを静かに置いた。
こんな空気にしておいて、まさか先に帰るのか――という思いを込めて研矢が睨むと、それまであまり感情が見えなかった貴島が一瞬、ふっと笑った。
「お先。また明日」
二人が食べ終わり、しばらくのんびりと時間を過ごして外に出ると、あれほど降っていた雨は、ぴたりと止んでいた。
「このまま止んでくれたらいいな……」
大杜は傘につけていたビニール袋をゴミ箱に捨て、軽く傘を振った。
「だな」
研矢も同じようにビニール袋を捨てながら、ふと貴島の話を思い出す。
「最寄り駅からは自転車なんだな。向こうも雨降ってないといいな」
「あ、ううん。俺は自転車じゃないよ」
「でもさっき――」
「うん。自転車なら十分ぐらいってことだよ。でも自転車は使ってない」
「……?」
「走ってるんだ」
「は……なんで⁉︎」
「体力作り」
「体力作りって――走るって、何分ぐらい掛かるんだ⁉︎」
「うーん、自転車より少し時間掛かる程度だよ。ランニングだと思えばさほど遠くもない距離だと思う」
「いやでも、学生服で、重いカバン持って、しかも革靴だろ? 大変じゃないのか?」
(毎日疲れたように学校に来ている原因、半分はこれじゃないのか?)
研矢はそんなことを思った。
「まぁね。でもトレーニングのつもりだから、通学時間を有効活用できるし、悪くないよ」
「――タフだなぁ」
「そうかな?」
「まぁあんまり無理すんなよ」
「ありがとう。でもまぁ疲れたら、またここに甘い物食べに来るよ。その時はまた一緒に来てよ」
「もちろんだ。気兼ねなく誘えよ」