「な、なんだ! この結果は〜〜〜〜〜〜!」
カーテンを締め切った第二理科準備室に、生物心理学研究会の女子生徒の声が響く。
それだけでなく、彼女は立ち上がって、丸椅子を持ち上げ、実験結果がまとめられているノートPCに向かって振り下ろそうとしている。
「お、落ち着いてください! こんな実験結果でマジにならないで下さい」
いまにも、PCのディスプレイに丸椅子を叩きつけようとしている上級生を後ろから羽交い締めにしつつ、なだめると、少しだけ冷静さを取り戻した先輩は、フンッと鼻を鳴らしたあと、ジロリと私をにらみつけて
「……いい気なものだな。私と違って、幼なじみをたらし込めるネズコくんは、ずい分と余裕のある発言をしてくれる」
「た、たらし込むなんて、人聞きの悪いことを言うのは、止めてください。それに、落ち着いて考えてください。実験には、例外とかエラー値が付きものですよね? きっと、日辻先輩の選択は、例外的なものだったんですよ」
さっきまで行われていた『視線のカスケード現象』の実証実験は、私とネコ先輩の幼なじみ二名を除けば、おおむね成功したと言える。
例外は、ケンタと日辻先輩で、それぞれの被験者にとって、自分に馴染みのある顔写真がテストに使われていたので、これは、どう考えても例外措置とするべきだろう。
ネコ先輩とは初対面で、何も知らされていないケンタはともかく、いつも上から目線の女子生徒と付き合いの長そうな上級生男子は、実験の隠された意図に気付いていたかも知れないのだ。
なにしろ、このおかしな実験を企画した先輩は、『視線のカスケード現象』を利用して、幼なじみの好みのタイプを特定の人物に誘導しようと考えたのではないか――――――と彼女と知り合いになったばかりの自分でも考えているのだから……。
それに、私の気のせいという可能性もあるけれど、二つの画像を目にした瞬間、日辻先輩は、かすかに表情を変化させたように感じられた。
そんなことを考えながら発した私の言葉で、ようやく我に返ったのか、ネコ先輩は、丸椅子を床において、こわばっていた表情を少しだけ緩める。
「そ、そうか……まあ、キミの言うことにも一理あるかも知れない」
「そうですよ。こうした場合の対処方法を考えるのも、実験には必要なことなんじゃないですか?」
「あぁ、そうだね。エラー値、すなわち、外れ値が発生した場合、安易に除外するのではなく、その原因を特定することが重要だ。測定ミスなどが明確であれば、それらの値をデータから除外して、残りのデータで平均を取るなどの処理が必要となる場合があるんだ。ここは、戌井くんとヨウイチの選好結果がエラーとなった原因を考えよう」
そう言って、ネコ先輩は、ようやく、いつもの調子を取り戻したみたいだけど……。
ケンタと日辻先輩の選択の結果が、他の被験者と異なるものになった原因は、考えるまでもない。
「ケンタは別にしても、もしかしたら、日辻先輩は、ネコ先輩が企画した実験の意図に気づいていたんじゃないですか? 二人は、知り合ってから長そうですし、ネコ先輩の考えることは日辻先輩に読まれているのかも……」
私が、そう返答すると、親友の佳衣子が、「おぉ、なるほど」と、相づちを打つ。
そして、一方のネコ先輩はと言えば、「ふむ……」と、何事かを思案したあと、唐突にこんな提案をしてきた。
「ネズコくん、やはり、キミは助手として優秀な才能に恵まれているようだ。どうだい、ワタシと一緒に生物心理学研究会で活動してみないか?」
「はっ、なんですか急に? 私は文芸部に入部しようと考えているんですけど」
「ほぉ、文芸部か? それは、ますます都合が良い。我が生物心理学研究会と文芸部を兼部をしてもらっても、ワタシは一向に構わないよ?」
「都合が良いって、どういうことですか?」
私の代わりに佳衣子がネコ先輩にたずねる。
「うむ。キミたちは、『観察学習』もしくは、『社会的学習』という言葉を知っているかい?」
先輩の言葉に、生物学および心理学については素人同然の私と佳衣子は、
「いいえ」
と、同時に首を横に振る。
「それでは解説しよう。『観察学習』もしくは、『社会的学習』とは、生物や人間が他者の行動をモデルとして、同じ行動を模倣することだ。その中でも一番有名な『ボボ人形の実験』を紹介しよう。この実験では、子どもの背丈くらいある大きなビニール製の、起き上がりこぼし人形(ボボ人形)が使われたことが実験名の由来となっている。まず、3歳〜6歳の子どもを被験者として3グループに分け、おもちゃ部屋にいる大人が、それぞれ違った方法でボボ人形と遊んでいる様子を観察させた。ボボ人形との遊び方は、次の3つのパターンだ」
グループA:大人は木槌でボボ人形を叩きながら遊ぶ
グループB:大人は愛情をもってボボ人形に接しながら遊ぶ
グループC:大人はボボ人形を激しく罵倒しながら遊ぶ
「子ども達に大人の様子を観察させた後、おもちゃ部屋に移動させる。おもちゃ部屋には、ボボ人形以外にもたくさんのおもちゃがあるが、『他の人のものだから遊ばないように』と伝え、フラストレーションを与えておく。その後、実験者は退室し、子ども達だけにした後、子ども達がおもちゃ部屋でどのように遊ぶのかを観察を行った。その結果が、どうなったかはキミたちにもわかるだろう?」
「各グループの子どもたちは、それぞれのグループの大人のマネをした?」
私の言葉にネコ先輩がうなずく。
「そう、そのとおりだ! 他にも、生物学的見地からは、タコを使ったこんな実験がある。タコの入った水槽に、赤白ふたつのボールを入れる。赤いボールに飛びついたらエサを与える。実験を続けると、タコはエサをもらえる方法を学習し、赤いボールに飛びつくようになった。さらに、それだけではなく、別のタコにその実験の様子を見せると、実際に実験に参加したわけではないにもかかわらず、エサをもらったタコの行動を観察して学習し、赤いボールに飛びつくようになったのだ。観察学習は、知能が高いとされるチンパンジーでも難しいものであるため、それができるタコの知性は、ずば抜けているようだな」
「ふ〜ん、そうなんですか。でも、そのことと、音寿子の入部に、なんの関係があるんですか?」
またも、私の代わりに佳衣子が質問してくれる。
「フフフ……良くぞ聞いてくれた! 週末にWEB小説のサイトを巡回したところ、ネズコくんは、なかなかの文才の持ち主であるということがわかった。思わず、これまでのすべての作品を自宅のPCにローカル保存してしまったほどだ。そこで、キミ……いや、乙梨稔珠美先生には、是非とも幼なじみ同士の男女がイチャイチャでラブラブな日常を過ごすラブコメ小説を書いてもらいたい。その作品をヨウイチが読めば、『観察学習』よろしく、彼もあらためて、幼なじみの女子の尊さに気づくという寸法さ。どうだい、完璧な計画だろう?」
「そうそう、私の小説を読めば、日辻先輩も――――――って、どこが完璧な計画やねん!」
第二理科準備室に、私の絶叫系ノリツッコミが響き渡ったのは言うまでもない。