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第4節 悪意の座標/ §1

ー/ー



   ―セクション1―

  雨が降っていた。夜には止み、夜明けと共に降り始めているかのような雨は、今日で四日目だ。

 大杜は何度かうたた寝しそうになりながらも、板書をノートに書き写す。前の席には長身の貴島が座っているため、右に左にと体を傾けなければならないのが、少し不便だ。

 不意に貴島が体を縮めたので、今の間にと、大杜は急ぎシャーペンを走らせる。

 貴島は机に潜ませたスマートフォンを覗いているようだったが、おもむろに顔を上げ、教師がこちらを向いた瞬間に手を挙げた。

「あー、どうした?」

「頭痛いんで、保健室行きたいんですが」

 教師はちらりと壁の時計に視線を走らせる。あと10分で授業が終わる時間だ。

「我慢できないほどか?」

「頭が割れそうです」

 本当に痛いのか疑わしい淡々とした口調だった。教師は顔を顰めたが、本当に痛むのであれば、無理に授業を受けさせるわけにもいかない。

 教師は仕方ないな、と呟き、手で廊下を指し示した。

「一人で大丈夫だな? 早退するなら、天堂先生に声掛けていけよ」

「どうも」

 貴島は立ち上がり、スマートフォンをポケットに滑らせると、椅子を机の下に押し込んだ。一瞬大杜と目が合ったが、すぐに何もなかったように顔を背けると、背中を丸めて教室を出て行った。

(あ! 黒板が見やすくなった)

 そんなことを思ってしまったことに罪悪感を抱きつつ、大杜は貴島の背中を見送った。



 休み時間には、激しい雨足の中に稲光が見えるようになった。雷鳴こそ聞こえないものの、どことなく不気味な様子に、クラスメイトがカーテンを閉めて回った。

 研矢は窓際の大杜の席にやってきて、机の上に腰掛けた。

「大杜、部活はどうする?」

「さすがに無理かな」

「まぁそうだよな」

 返答はわかっていたので、研矢はがっかりすることもなく頷く。

「研矢は? 剣道が得意なんだっけ」

「ああ。中学では結構名前も知られてたんだぜ。昨日も、剣道部の顧問に声を掛けられた」

「じゃあなんでまだ入部してないの?」

 学校が始まって二週間が経っている。中学から引き続き同じクラブを選ぶ生徒は、入部してすでに練習に励んでいるはずだ。

「環境を変えたくてわざわざ外部の学校に来たんだぜ。何か違うことをしてみたいだろ。まぁ何をするかは考え中だけどな」

「そっか。研矢はいろんなことに前向きで、すごいなぁ」

「それを言うならお前の方だろ」

「俺はマイナスの環境からゼロに、ゼロから少しでもプラスにしたいだけだよ。でも研矢は、プラスの環境をわざわざリセットしてさ。――俺だったらとてもできない決断だよ」

「大袈裟だな」

 そう言いつつも、研矢はまんざらでもなさそうに笑う。

「片っ端から見学してみるのはどう?」

「それもいいな。案外新しい道が開けるかも――」

「私はね」

 大杜と研矢の間に割り込むようにして、花鈴がひょこり顔を出したので、研矢は慌てて机を下りた。

「お前、突然現れるなよ」

「さっきから近くにいたじゃない」

「わざわざ間に割り込むことねぇだろ」

「研矢って、モテそうなのに結構奥手よね」

「モテそう、じゃえねぇよ。モテてたぞ。ただ、付き合うのが面倒で彼女を作ってなかっただけだ」

「青春に彼女は必須じゃない? ――羨ましい?」

 花鈴は大杜の肩にすり寄るようにして立ち、研矢をからかう。

 大杜は反応に困り作り笑いを張り付けた。

「大杜が引いてるだろ。止めてやれ」

「もう――二人とも接し甲斐がないな。私が腕掴んだだけで、男子はみんな喜んでくれるのに」

 花鈴は頬を膨らませた。

(……あざとい奴……)

 研矢は思う。だがそう思っている筈なのに、ふとした瞬間、無意識に彼女に視線を向けていることがある。昔の自分は寄ってくる女子にすげなく返すようなクールさがあったはずなのだが、最近は自分の行動の露骨さに焦ることすらあり、研矢を密かに悩ませている。

「ね、大杜、私、料理研究部に入ったのよ」

「えっ。でも、料理嫌いって――」

「嫌いじゃないし。あんまりしないって言っただけ」

 花鈴の言葉に研矢が薄く笑った。

「嘘付け。お前、大杜の弁当見るたびに、青ざめてるだろ」

「別に青ざめてないでしょ! すごいな、とは思うけど……」

 大杜が困ったように、
「興味があるならいいけど……好きじゃないなら、無理に入っても楽しくないんじゃない?」

「興味があるから大丈夫。それに日彩も一緒に入ってくれたの」

 (はた)日彩(ひいろ)は、隣のクラスにいる花鈴の幼馴染だ。最近はこの4人で昼食を取っている。

「部活も無理矢理引き込んだんだろ。昼飯もそうだし」

「ちょっと聞き捨てならないんだけど! どっちも無理矢理じゃないし。大杜と研矢に興味あるって言ってたし、料理も好きって言ってたわよ」

 日彩は、人付き合いが控えめなおとなしい生徒だ。花鈴と日彩は母親同士が学生時代からの友人だった関係から、地元は違うが、幼い頃から度々遊んでいたらしい。

「ねぇ、何が食べたい? 作ってあげる」

「いや、いらねぇよ」

「大杜に言ってるの」

「大杜が言えないだろうから、代弁してやってんだ」

「喧嘩売ってる?」

(このふたりの方がお似合いだよね)

 研矢と花鈴に挟まれながら、大杜がそんなことを思った時、グラウンドを突き抜けてくる何かの気配に気付き、とっさに立ち上がった。

 直後、パリンという激しい音が響いて、教室の窓ガラスが割れる。

 カーテンのおかげで破片が広範囲に飛び散ることはなかったが、カーテンの切れ目に位置していた大杜の傍には、小さな破片が散乱していた。

「大杜⁉ 花鈴!? 大丈夫か⁉」

「あ――うん。大丈夫」

 大杜が答える。

「た、大杜……」

 花鈴が恐る恐る大杜を見上げて名前を呼ぶと、大杜は慌てて花鈴から手を離して距離を取った。ガラスが割れる瞬間、背中を窓に向け、大杜は花鈴を胸に引き込み抱え込んでいたからだ。

「ご、ごめん! つい咄嗟に――」

「違う、そうじゃなくて、大杜、耳の後から血が……」

「え?」

「動くな。破片が刺さって――はないか。傷は深くはなさそうだな」

 研矢が傷口を確認し、花鈴はハンカチで傷口を抑える。大杜は礼を言って花鈴の手を外すと、自分で傷口を抑えた。その段になって、ジンジンと痛みを感じ始める。

「どうした? 何があったんだ?」

 教室がざわめき立つ。

 愛田(あいだ)が素早くカーテンをめくって窓を確認した。ガラスは広範囲に粉砕するような割れ方をしており、破片は教室側に飛び散っている。それは外側からの衝撃で割れたことを物語っていた。

 激しい雨の音が教室内に大きく響き、雨水が床を侵食していく。

川内(せんだい)、先生たちを呼んで来い」

 愛田が命じると、「何で俺が!」と文句を言いながらも、川内は素直に教室を飛び出していった。

「大杜」

 花鈴は青ざめながら大杜のシャツを握り締める。

「怖かったね。大丈夫だよ。この悪天候だから、大きめの石が飛んで来たんじゃないかな」

「そ、そうなの?」

「うん。強化ガラスは尖ったものの衝撃には弱いから、それで粉砕したんだと思う」

 大杜はそう答えながらも、厳しい視線を研矢に送る。

 研矢もまた、大杜より反応が遅れたとはいえ、気付いていた。

(――殺気があった)

「保健室に行ったほうがいい」

 愛田の指摘に、大杜は躊躇した。原因がわかっていない――いや犯人がわかっていないのに、教室を出て大丈夫だろうか、と。

「教師陣もすぐ来るだろうし、それまでは私が注意を払っておくから、大丈夫だ」

 その口振りは真相に気付いているようだった。その上での言葉であれば、任せて大丈夫だろうと思い、大杜は頷く。

「花鈴、保健室に行ってくるから、手を外してくれる?」

「ダメ。私も付き添う」

「いや、俺が付き添うから、お前は教室にいろよ」

 研矢に言われ、花鈴は不満そうにまた頬を膨らませた。

 大杜は空いている方の指で、花鈴の膨れた頬に触れる。

「危ないから、窓には近付かないで、教室で待ってて」

「……うん……」

 花鈴は空気の抜けた風船のように頬を戻すと、手を外す。

「――お前、結構人たらしだな?」

 廊下に出てから研矢にそう言われ、大杜は意味がわからずに首を傾げた。



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   ―セクション1―
  雨が降っていた。夜には止み、夜明けと共に降り始めているかのような雨は、今日で四日目だ。
 大杜は何度かうたた寝しそうになりながらも、板書をノートに書き写す。前の席には長身の貴島が座っているため、右に左にと体を傾けなければならないのが、少し不便だ。
 不意に貴島が体を縮めたので、今の間にと、大杜は急ぎシャーペンを走らせる。
 貴島は机に潜ませたスマートフォンを覗いているようだったが、おもむろに顔を上げ、教師がこちらを向いた瞬間に手を挙げた。
「あー、どうした?」
「頭痛いんで、保健室行きたいんですが」
 教師はちらりと壁の時計に視線を走らせる。あと10分で授業が終わる時間だ。
「我慢できないほどか?」
「頭が割れそうです」
 本当に痛いのか疑わしい淡々とした口調だった。教師は顔を顰めたが、本当に痛むのであれば、無理に授業を受けさせるわけにもいかない。
 教師は仕方ないな、と呟き、手で廊下を指し示した。
「一人で大丈夫だな? 早退するなら、天堂先生に声掛けていけよ」
「どうも」
 貴島は立ち上がり、スマートフォンをポケットに滑らせると、椅子を机の下に押し込んだ。一瞬大杜と目が合ったが、すぐに何もなかったように顔を背けると、背中を丸めて教室を出て行った。
(あ! 黒板が見やすくなった)
 そんなことを思ってしまったことに罪悪感を抱きつつ、大杜は貴島の背中を見送った。
 休み時間には、激しい雨足の中に稲光が見えるようになった。雷鳴こそ聞こえないものの、どことなく不気味な様子に、クラスメイトがカーテンを閉めて回った。
 研矢は窓際の大杜の席にやってきて、机の上に腰掛けた。
「大杜、部活はどうする?」
「さすがに無理かな」
「まぁそうだよな」
 返答はわかっていたので、研矢はがっかりすることもなく頷く。
「研矢は? 剣道が得意なんだっけ」
「ああ。中学では結構名前も知られてたんだぜ。昨日も、剣道部の顧問に声を掛けられた」
「じゃあなんでまだ入部してないの?」
 学校が始まって二週間が経っている。中学から引き続き同じクラブを選ぶ生徒は、入部してすでに練習に励んでいるはずだ。
「環境を変えたくてわざわざ外部の学校に来たんだぜ。何か違うことをしてみたいだろ。まぁ何をするかは考え中だけどな」
「そっか。研矢はいろんなことに前向きで、すごいなぁ」
「それを言うならお前の方だろ」
「俺はマイナスの環境からゼロに、ゼロから少しでもプラスにしたいだけだよ。でも研矢は、プラスの環境をわざわざリセットしてさ。――俺だったらとてもできない決断だよ」
「大袈裟だな」
 そう言いつつも、研矢はまんざらでもなさそうに笑う。
「片っ端から見学してみるのはどう?」
「それもいいな。案外新しい道が開けるかも――」
「私はね」
 大杜と研矢の間に割り込むようにして、花鈴がひょこり顔を出したので、研矢は慌てて机を下りた。
「お前、突然現れるなよ」
「さっきから近くにいたじゃない」
「わざわざ間に割り込むことねぇだろ」
「研矢って、モテそうなのに結構奥手よね」
「モテそう、じゃえねぇよ。モテてたぞ。ただ、付き合うのが面倒で彼女を作ってなかっただけだ」
「青春に彼女は必須じゃない? ――羨ましい?」
 花鈴は大杜の肩にすり寄るようにして立ち、研矢をからかう。
 大杜は反応に困り作り笑いを張り付けた。
「大杜が引いてるだろ。止めてやれ」
「もう――二人とも接し甲斐がないな。私が腕掴んだだけで、男子はみんな喜んでくれるのに」
 花鈴は頬を膨らませた。
(……あざとい奴……)
 研矢は思う。だがそう思っている筈なのに、ふとした瞬間、無意識に彼女に視線を向けていることがある。昔の自分は寄ってくる女子にすげなく返すようなクールさがあったはずなのだが、最近は自分の行動の露骨さに焦ることすらあり、研矢を密かに悩ませている。
「ね、大杜、私、料理研究部に入ったのよ」
「えっ。でも、料理嫌いって――」
「嫌いじゃないし。あんまりしないって言っただけ」
 花鈴の言葉に研矢が薄く笑った。
「嘘付け。お前、大杜の弁当見るたびに、青ざめてるだろ」
「別に青ざめてないでしょ! すごいな、とは思うけど……」
 大杜が困ったように、
「興味があるならいいけど……好きじゃないなら、無理に入っても楽しくないんじゃない?」
「興味があるから大丈夫。それに日彩も一緒に入ってくれたの」
 |秦《はた》|日彩《ひいろ》は、隣のクラスにいる花鈴の幼馴染だ。最近はこの4人で昼食を取っている。
「部活も無理矢理引き込んだんだろ。昼飯もそうだし」
「ちょっと聞き捨てならないんだけど! どっちも無理矢理じゃないし。大杜と研矢に興味あるって言ってたし、料理も好きって言ってたわよ」
 日彩は、人付き合いが控えめなおとなしい生徒だ。花鈴と日彩は母親同士が学生時代からの友人だった関係から、地元は違うが、幼い頃から度々遊んでいたらしい。
「ねぇ、何が食べたい? 作ってあげる」
「いや、いらねぇよ」
「大杜に言ってるの」
「大杜が言えないだろうから、代弁してやってんだ」
「喧嘩売ってる?」
(このふたりの方がお似合いだよね)
 研矢と花鈴に挟まれながら、大杜がそんなことを思った時、グラウンドを突き抜けてくる何かの気配に気付き、とっさに立ち上がった。
 直後、パリンという激しい音が響いて、教室の窓ガラスが割れる。
 カーテンのおかげで破片が広範囲に飛び散ることはなかったが、カーテンの切れ目に位置していた大杜の傍には、小さな破片が散乱していた。
「大杜⁉ 花鈴!? 大丈夫か⁉」
「あ――うん。大丈夫」
 大杜が答える。
「た、大杜……」
 花鈴が恐る恐る大杜を見上げて名前を呼ぶと、大杜は慌てて花鈴から手を離して距離を取った。ガラスが割れる瞬間、背中を窓に向け、大杜は花鈴を胸に引き込み抱え込んでいたからだ。
「ご、ごめん! つい咄嗟に――」
「違う、そうじゃなくて、大杜、耳の後から血が……」
「え?」
「動くな。破片が刺さって――はないか。傷は深くはなさそうだな」
 研矢が傷口を確認し、花鈴はハンカチで傷口を抑える。大杜は礼を言って花鈴の手を外すと、自分で傷口を抑えた。その段になって、ジンジンと痛みを感じ始める。
「どうした? 何があったんだ?」
 教室がざわめき立つ。
 |愛田《あいだ》が素早くカーテンをめくって窓を確認した。ガラスは広範囲に粉砕するような割れ方をしており、破片は教室側に飛び散っている。それは外側からの衝撃で割れたことを物語っていた。
 激しい雨の音が教室内に大きく響き、雨水が床を侵食していく。
「|川内《せんだい》、先生たちを呼んで来い」
 愛田が命じると、「何で俺が!」と文句を言いながらも、川内は素直に教室を飛び出していった。
「大杜」
 花鈴は青ざめながら大杜のシャツを握り締める。
「怖かったね。大丈夫だよ。この悪天候だから、大きめの石が飛んで来たんじゃないかな」
「そ、そうなの?」
「うん。強化ガラスは尖ったものの衝撃には弱いから、それで粉砕したんだと思う」
 大杜はそう答えながらも、厳しい視線を研矢に送る。
 研矢もまた、大杜より反応が遅れたとはいえ、気付いていた。
(――殺気があった)
「保健室に行ったほうがいい」
 愛田の指摘に、大杜は躊躇した。原因がわかっていない――いや犯人がわかっていないのに、教室を出て大丈夫だろうか、と。
「教師陣もすぐ来るだろうし、それまでは私が注意を払っておくから、大丈夫だ」
 その口振りは真相に気付いているようだった。その上での言葉であれば、任せて大丈夫だろうと思い、大杜は頷く。
「花鈴、保健室に行ってくるから、手を外してくれる?」
「ダメ。私も付き添う」
「いや、俺が付き添うから、お前は教室にいろよ」
 研矢に言われ、花鈴は不満そうにまた頬を膨らませた。
 大杜は空いている方の指で、花鈴の膨れた頬に触れる。
「危ないから、窓には近付かないで、教室で待ってて」
「……うん……」
 花鈴は空気の抜けた風船のように頬を戻すと、手を外す。
「――お前、結構人たらしだな?」
 廊下に出てから研矢にそう言われ、大杜は意味がわからずに首を傾げた。