―セクション1―
新学期の初日、さっそく授業はスタートしたが、まだふわふわとした心持ちの生徒たちは勉強に身が入らず、教室は浮ついた雰囲気があった。
そんな中、研矢は電子黒板の内容を黙々とノートに書き写していた。
(このスピードで授業が進むと、あいつ、苦労するだろうな)
あいつ、こと佐々城大杜を思い、研矢は空席のままの彼の席を見やる。
メッセージアプリのIDは交換済みだが、「今日どうした?」のような気安いメッセージを送ってよいのかどうか、距離感についてはまだ悩みどころだ。
「松宮君、佐々城君はお休み? 例のお仕事?」
休み時間にやってきた花鈴は、研矢の机の上に軽く腰掛けて聞く。
「いや、事情は知らねぇな」
「仲良いんじゃないの?」
「まともにしゃべったのは、入学式の日が初めてだぞ」
「そうなの? 前からの知り合いっぽかったけど」
「入試の日に少しだけ話す機会があったんだ」
「そうなんだ」
花鈴は顎に手を当て小首を傾げる。肩の辺りで内側に巻いた髪がぴょんと跳ねた。
研矢はなんとなく首筋に視線を向けてしまい、自身の行動に気付いて静かに視線を外した。
「でも現時点で一番仲が良いのは、松宮君でしょ」
「かもな」
「ふぅん」
「なんだよ。あいつに気があるのか?」
「えーどうかな。タイプじゃないけどね」
「アイドルみたいじゃねぇ?」
「まぁそうね。でもどっちかというと松宮君のほうが好み」
「え……」
「どっちかというと、だけどね。私、頼りない人、好みじゃないから」
大杜が頼りないかどうかは知らないが、頼りなさそうに見えるのは確かか――と思うと同時に、研矢は自分が頼り甲斐がある、と言われているのかと思って、思わず緊張した。
彼女はくすっと悪戯っぽく笑い、
「でも、特務員の彼女っていい響きよね」
そんなことを呟きながら、自席に戻って行った。
「松宮、佐々城は休みなのか?」
花鈴を見送った後、今度は川内に声を掛けられる。
「みんな、なんで俺に聞くんだ?」
「この前ふたりで帰ってたじゃん。知り合いなんだろ」
「入試の時にちょっと話しただけだ」
「そうなのか?」
「ああ」
言いながら周囲に意識をやると、みんなこっちを窺っていた。
完全に古い友人だと思われているようだ。
(みんな気になるか。でもま、普通に話してる限り、フツーの奴だけど――)
結局その日は終礼まで、大杜の席が使われることはなかった。
研矢は今日一日使ったノートをローカーにしまった。
聞くだけで覚えられてしまうので、普段はノートを取らない。が、今日は大杜に渡す目的で取ったのだ。面倒だと思う反面、学生らしくてこういうのも悪くないなと思う。
学校を後にし公園の向いにある駅前交番を通りかかると、顔馴染みの警察官が交番の前に立っているのが見えた。
「立花さん、何やってんだ?」
「研矢君、お帰り。何って立番だよ」
「まぁそうだろうけど、そういう意味じゃなくてさ」
研矢は笑う。
やたらと周囲を気にしてきょろきょろしているさまは、不審者のようだ。
「制服着てなかったら不審者だぜ、その挙動」
「失礼だな。人――って言っていいのか? とにかく待ち人中なんだよ」
その時、前の道路に高級外車がゆっくりと停止した。
「おっ」と立花が声を上げて、車に駆け寄って敬礼をする。
「お疲れ様です。駐車場はこちらです」
立花は研矢の存在など忘れて、バタバタと走り回っている。普段から落ち着きなさそうな人ではあったが、より一層そそっかしい印象だ。
研矢は邪魔にならない場所でなんとなく様子を窺った。
車はこれ以上ないほど理想的な駐車スキルを見せた。運転席から人が降りてくると、研矢は目を見張った。
機動隊の出動服らしきものを着た人物は、警察官仕様のヒューマン型の業務ロボットだった。
出動服の背中には「POLICE」の文字、左肩に、Q2ー04と刺繍されている。
QはmatsuQ製であることの証しだ。
特殊任務仕様のヒューマン型業務ロボットは、故障に際して迅速に対応できるよう、製造元をアルファベットで表記しておく決まりがある。職場内ではニックネームで呼ばれることも多いが、本来はこのアルファベットと数字の組み合わせが識別ナンバーと呼ばれ、正式な名前とされている。
一方助手席からは、年若い女性が降りてきた。警官ロボットの190センチはあろうかという長身のせいで、標準的な身長であろうその女性が小さく見える。
黒のパンツスーツ姿で、警察の制服ではなかったが、立ち姿の美しさや体を包む緊張感が、一般人ではないことを暗に示していた。
警官ロボットは立ち止まり、一瞬研矢を見やった。眼球に模したセンサーが、人間の瞳孔のようにきょろりと動く。
「おーい、気を付けて帰れよ」
立ち尽くしていた研矢に気付いた立花が声を掛けると、研矢は我に返り、手を上げて歩き出した。だが胸ポケットのスマートフォンが震え、すぐに立ち止まる。誰かからメッセージが届いたのだ。
研矢は大杜からのメッセージであることを期待しながら確認したが、残念ながら周だった。
「……え」
研矢はメッセージの内容に動揺した。
妹、弓佳の容体が悪化している、との連絡だった。
――前に会ったのは一年以上前だ。
研矢にとって双子の妹だったが、話したことも目線を交わしたこともない。だから妹と言われても非現実的で、人間的な温かみを感じない存在だ。実際触れたこともない。
(なぜ、今?)
いや――いつそうなってもおかしくはなかった。ただ、ずっとこのままだったから、この先もこのままであるような、そんな気がしていただけなのだ。
「大丈夫ですか?」
「……っ!」
耳元で声を掛けられ、研矢の体が跳ねた。
横を見ると、Q2ー04の警官ロボットが、屈んで研矢の顔を覗き込んでいた。
「え、あ、ああ……はい……」
答えながらちらりと交番の方を見ると、立花と女性が中で話しているのが見えた。この警官ロボットは同行してきただけだったらしく、立ち尽くしていた研矢に気付いて、声を掛けてきたのだ。
「顔色が悪いですね。体温の上昇も見られる。気分が悪いなら、交番で休んでいってください」
見た目の威圧感にそぐわない優しい声だった。当然人のそれとは違う機械的な響きではあるが、不思議と安心感を与える声音だ。
「いや大丈夫。ありがとう」
研矢は断ると、自宅に帰るつもりだった足を駅に向ける。電車で一時間近くかかる距離だが、気持ちを落ち着けるにはちょうど良いかもしれない。
研矢は妹の入院する病院へ向かった。
研矢が南波記念病院に着いたのは、午後2時前だった。
本館1階にあるカフェの前を通り過ぎて、別館へ繋がる通路がある3階へ向かう。
病院は幅広い3階建ての本館と、縦に長細い12階建ての別館からなっていて、別館はVIP病室と研究室として使われている。
別館は不特定多数がやってくる場所でもないため、本館3階の連絡通路からしか行き来ができず、身元がはっきりしなければ、見舞客も入ることができない場所だ。
南波記念病院の「南波」は、研矢の親戚だった。幼い頃から病弱だった南波は、医者に恩があるからと、この病院の設立時に多大な資金援助を行った。
また医療分野の研究者だった彼は、39歳で亡くなるまで、自身の研究もこの建物で行っていたという。
研矢が別館8階の病室に着いた時、周は病室の中が見えるガラス窓の前に立ち、中を見つめていた。
「あら、来たの?」
周は研矢に気付くと意外そうに言った。
「そりゃ……危篤ともすぐ来いとも書かれてなかったけど、あんな連絡をもらえば、普通は来るだろ……」
「普通はね。でもあなた、ほとんど来たことがないじゃない」
「そうだけどさ――。親父たちは? 親父たちもめったに来てないだろ」
「そうね。でもパパは近いうちに来るって。ママは海外出張中。――言ってなかったっけ?」
「聞いたかもな。覚えてねぇけど」
研矢はガラスケースにしまわれた人形のような妹に視線を移した。
「で、弓佳の容体が悪化って、どういうことだ?」
弓佳は成長が通常とは異なり、小学校低学年ぐらいの見た目をしている。
周が妹に愛らしい服を着させているので、ぱっと見は、小さな女の子が眠っているだけのようにも見えるが、身体中に繋がっている管と病室内の多くの医療機器が、異様さを物語っていた。
「脳の働きが弱くなってるそうよ。少しずつ成長していた体も、成長しなくなって久しいし。あと一ヶ月ぐらいじゃないかって」
弓佳は産まれてすぐに植物状態に陥り、特別仕様のこの病室の中で生きてきた。
研矢にとって、母の腹の中ではずっと一緒にいた相手は、生まれてからはほとんど会うこともない相手だった。
「ママにはしばらく国内で仕事してもらえるように取り計らうわ」
「ああ」
(あの親たちに、抱いたことのない娘を、仕事より優先できるのかは微妙だけどな)
研矢はそんなことを思った。
「中に入るでしょ。スタッフステーションへ伝えてくるわね」
「いやいい。今までだって入ってないだろ」
「今だからよ」
「そりゃそうだけど——」
研矢はガラス窓の先を見つめる。そこにあるのはガラスだけだが、研矢はいつも、巨大な鉄の壁に隔たれているかのように感じるのだ。
「――今日はやめておく」
「今日も、でしょ。何のために来たの?」
そう言われると返す言葉がない。ただ、知らせを聞いて、「来なければ」と思ったのは事実だ。
「顔は見ただろ。入るのは今度――そのつもりで来ることにする」
「今度がなくなっても?」
「そのときはそのときだ」
研矢は今一度しっかりとガラス越しの妹を見やってから、別館を後にした。