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第二十六話 不思議な感情

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 さて、この二日は五感の鍛錬に集中していたため、心力(しんりょく)の生成は華葉(かよう)の力に任せきりであった。
 五感鍛錬中も当然結界と式神常駐で消費し続けており、充填しなければ底を尽きてしまうからだ。華葉の負担も考え一日に二度の充填に留めていたが、ここ数日は彼女の能力にばかり頼るため、暁が妬くこともしばしばだった。

 この状況でも強力な妖気を感じれば出陣するつもりであったが、幸か不幸かこの期間は僅かに感じる程度の妖気しか発生しなかったのだ。その妖気もそう長い時間浮遊することなく消えていくため、他の陰陽師が討伐を果たしていることが伺えた。
 とは言え雷龍(らいりゅう)との一戦以来、私は一度も出陣を果たしていない。いい加減そろそろ文句を言いに来る者がいても不思議ではない。

「あぁ……噂をすれば、だな」

 屋敷に近づいてくるその〝気〟に私は煩わしさを感じた。
 だが奴が直々に押しかけて来たということは、これは相当お冠のようだ。

 気の持ち主が屋敷の門の前で止まったかと思うと、騒音とも言える大声が、まだ朝を迎えて数刻しか経っていない閑静な路地に響き渡った。

「たぁくまぁあっ! この引き籠もりめ! 僕が(とお)を数えきる前に、早急に屋敷から出てこい!!」

 想像した通りの声色と物言いに、溜め息以外何か出ようか。だが心力制限の結界で奴は屋敷の敷地内に入れぬため、当然の手段だ。暁と雫は顔を見合わせて苦笑いを浮かべていた。
 出来ればこれから気の収集に努めたかったのだが、面倒くさがったところで仕方がない。奴なら屋敷を破壊してでも私を引きずり出すだろう。

 容赦なく始まった奴の秒読みを聞きながら、私は唯一戸惑いを見せている華葉に共に付いてくるよう指示した。どうせ奴の目的は彼女だ。後々厄介になる前に、こちらから手を打っておくには丁度良い。
 奴の数えが「むーっつ!」とまで進んだ頃、私は門を開け放った。

「……何だ。人の屋敷の前で騒ぐな、蒼士(そうし)
「ふん、誰のせいでこの僕が来たと思っている」

 目の前で仁王立ちするその男は、フンと荒い鼻息を吐いた。横を見れば人の姿をした闇烏(やみがらす)がやや呆れ顔で控えていた。荒々しい主人で闇烏も苦労者だな。

「お前、討伐任務を放棄するとは良い度胸ではないか。謹慎命令はとっくに解除されておろう。どこまで僕や父上に迷惑をかければ気が済むのだ」
「心外だな。ここ最近現れているのは並程度の妖怪ばかりだ。それくらい下級の陰陽師に任せねば彼らは育たぬ故、敢えて出陣しないだけだ。蒼士、お前もそうすれば良かろう」

 ……まぁ、実際放棄していた方が正しいが。我ながらそれらしい言い訳をよく並べたものだ。
 無論、ご立腹のお坊ちゃまにそれが通用するとは、私も思っておらぬがな。

「一緒にするな! 僕は討伐のみならず、寮への依頼任務も果たしておるのだぞ。気の向くままに討伐だけやっていれば良いお前が偉そうなことを言うな!」

 もの凄い剣幕で怒る蒼士は、頭から湯気が出そうなほど真っ赤だ。今頭に鍋を置けば湯が沸かせるかも知れぬ。
 〝気の向くままに〟任務に当たっているつもりはないが、それでも奴の言っていることも間違ってはいない。諦めて一先ず奴の要求を聞こうと思ったが、私が口を開くより早く背後から声が飛んできた。

「黙って聞いていればキィキィと。拓磨(たくま)と同等の陰陽師というからどんな奴かと思っていたが、ただの猿だな」

 ピクリとその声に蒼士が反応したと同時に、隣の闇烏がこの世の終わりの如くに顔面蒼白になった。

『た、拓磨殿……! あまり蒼士殿を煽らないでいただきたい。先日も苦労したばかりなのだ』
「無駄口を叩くな、闇烏。……ほぉ、例の怪しい女だな? 面白い、文句があるなら姿を見せろ」

 おい、ここで一戦交えられても困るのだが。こちらから手を打とうとして彼女を連れてきたが、このままでは裏目に出てしまうではないか。
 しかし人の心配を他所に、華葉は私の体を避けて蒼士の前に堂々と姿を現したのだ。引き留めようとしたがその手を見事にすり抜け、誰かと同じ仁王立ちで構えた。

 しまった、似たもの同士だったか……。後悔したところでもう遅い。

「私のことを調べているようだが、私は拓磨の式神の華葉だ。お望み通り出てきてやったぞ。お前こそ言いたいことがあるなら私に言え」

 もう終わりだ、と率直に思った。私は勿論、闇烏も小さく頭を抱えている。
 だが予想外に華葉を前にした蒼士は、なかなか口を開かなかった。

 不思議に思って華葉越しに蒼士の表情を伺うと、口を半開きにして間抜けとも言える顔で華葉を見つめていた。それは想像もしない反応だった。
 そしてそれに私は、何故か向かっ腹が立つのを覚えた。

『蒼士……殿?』

 突然止まってしまった主の様子に、闇烏も不安そうに様子を伺っている。
 そんな中で華葉だけが、喧嘩を売った相手が固まってしまったので、揚々と奴に畳みかけた。

「どうした? 恐れを成して声も出ぬか。甲高く喚く猿かと思ったが、か弱い(ねずみ)の間違いだったな」
「う、五月蠅い! 何でもない、僕が女に恐れるわけなかろうが!」

 慌てて取り繕う奴はまだ赤い顔をしているが、どことなく先ほどの感じとは違う印象だ。それを目にする度に私の中に言いようのない不快感が芽生える。
 仮でも自分の式神が他の陰陽師と親しく話しているからか? いや、親しそうには見えないが。

 何だこの感情は。調子が狂うではないか。

「威勢の良い女め、今日は勘弁してやる。……おい拓磨! 任務を放棄した罰として、寮の依頼を一つ引き受けろ」

 急に引き下がるところが益々気に食わないが、私はこの意味の分からぬ感情を押し殺した。落ち着け、騒ぎを大きくされないだけまだ良い方であろう。
 手前でまだ華葉が騒いでいるのを、何気なしに頭を掴んで後ろに下げる。

「……祈祷なら断るが」
「腑抜け者め、安心しろ討伐の依頼だ。詳細は後で伝書を送る。放棄すれば次はないと、首を待っていろ!」

 それを言うなら〝首を〟であろうが阿呆。
 明らかに取り乱している捨て台詞を残し、蒼士は逃げるようにさっさと寮の方へ帰って行った。慌てて闇烏が追いかけ、門の前には私と華葉だけが残る。
 後味がかなり悪い。まだ朝だと言うのに最悪の幕開けだ。

「華葉」

 自分でも驚くほど低い声が出て、後ろに下げた華葉が肩を震わせたのが分かった。それに動揺しないように控えめに「何だ?」と返事をしたので、私はゆっくりと後ろを振り返った。

「蒼士には近づくな、命令だ」

 虚を突かれたような表情をする華葉をすり抜け屋敷へと戻る。この時ある香りが鼻を掠めたのだが、感情が高ぶっている私は気にも止めなかった。
 一方華葉は私の背中を見つめ小さな溜め息を吐くと、同じように屋敷へと戻って行った。



『お帰りなさい、拓磨様。結構長かったですね』

 寝殿に戻ると暁が屈託のない笑顔で出迎えてくれた。
 暁や雫だって他の陰陽師と話すことはある。そう、白狼(はくろう)との戦いの後でも同じような状況があったであろう。それと何ら変わらぬ、と自分に言い聞かせ平静を装った。

「何も心配はない。だが寮からの依頼を受けなければならなくなった。烏か何かが来たら教えてくれ、私は心力鍛錬に入る」

 折角五感鍛錬に励んだと言うのに、まだその成果を試せていない。どれもこれも蒼士のせいだ。否、容易に喧嘩を買った華葉のせいか。
 子供のように他人に責任を転嫁し、何やっているんだと自己嫌悪にさえ陥ってきた。

 駄目だ。これは一度、精神統一で落ち着かせなければ。

『拓磨様、実はですね、』
「悪い、一旦一人にさせてくれ」

 何かを持ってきた雫を遮り、私は一人庭へ降りた。
 黒い桜の木の前にいつも通り茣蓙(ござ)を敷き、その上に胡座をかき、目を閉じ深く呼吸をする。……あぁ、やはりここが一番平常になれる気がする。

 そこで五感鍛錬で得た成果を、私は直ぐに体感することになる。


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 さて、この二日は五感の鍛錬に集中していたため、|心力《しんりょく》の生成は|華葉《かよう》の力に任せきりであった。
 五感鍛錬中も当然結界と式神常駐で消費し続けており、充填しなければ底を尽きてしまうからだ。華葉の負担も考え一日に二度の充填に留めていたが、ここ数日は彼女の能力にばかり頼るため、暁が妬くこともしばしばだった。
 この状況でも強力な妖気を感じれば出陣するつもりであったが、幸か不幸かこの期間は僅かに感じる程度の妖気しか発生しなかったのだ。その妖気もそう長い時間浮遊することなく消えていくため、他の陰陽師が討伐を果たしていることが伺えた。
 とは言え|雷龍《らいりゅう》との一戦以来、私は一度も出陣を果たしていない。いい加減そろそろ文句を言いに来る者がいても不思議ではない。
「あぁ……噂をすれば、だな」
 屋敷に近づいてくるその〝気〟に私は煩わしさを感じた。
 だが奴が直々に押しかけて来たということは、これは相当お冠のようだ。
 気の持ち主が屋敷の門の前で止まったかと思うと、騒音とも言える大声が、まだ朝を迎えて数刻しか経っていない閑静な路地に響き渡った。
「たぁくまぁあっ! この引き籠もりめ! 僕が|十《とお》を数えきる前に、早急に屋敷から出てこい!!」
 想像した通りの声色と物言いに、溜め息以外何か出ようか。だが心力制限の結界で奴は屋敷の敷地内に入れぬため、当然の手段だ。暁と雫は顔を見合わせて苦笑いを浮かべていた。
 出来ればこれから気の収集に努めたかったのだが、面倒くさがったところで仕方がない。奴なら屋敷を破壊してでも私を引きずり出すだろう。
 容赦なく始まった奴の秒読みを聞きながら、私は唯一戸惑いを見せている華葉に共に付いてくるよう指示した。どうせ奴の目的は彼女だ。後々厄介になる前に、こちらから手を打っておくには丁度良い。
 奴の数えが「むーっつ!」とまで進んだ頃、私は門を開け放った。
「……何だ。人の屋敷の前で騒ぐな、|蒼士《そうし》」
「ふん、誰のせいでこの僕が来たと思っている」
 目の前で仁王立ちするその男は、フンと荒い鼻息を吐いた。横を見れば人の姿をした|闇烏《やみがらす》がやや呆れ顔で控えていた。荒々しい主人で闇烏も苦労者だな。
「お前、討伐任務を放棄するとは良い度胸ではないか。謹慎命令はとっくに解除されておろう。どこまで僕や父上に迷惑をかければ気が済むのだ」
「心外だな。ここ最近現れているのは並程度の妖怪ばかりだ。それくらい下級の陰陽師に任せねば彼らは育たぬ故、敢えて出陣しないだけだ。蒼士、お前もそうすれば良かろう」
 ……まぁ、実際放棄していた方が正しいが。我ながらそれらしい言い訳をよく並べたものだ。
 無論、ご立腹のお坊ちゃまにそれが通用するとは、私も思っておらぬがな。
「一緒にするな! 僕は討伐のみならず、寮への依頼任務も果たしておるのだぞ。気の向くままに討伐だけやっていれば良いお前が偉そうなことを言うな!」
 もの凄い剣幕で怒る蒼士は、頭から湯気が出そうなほど真っ赤だ。今頭に鍋を置けば湯が沸かせるかも知れぬ。
 〝気の向くままに〟任務に当たっているつもりはないが、それでも奴の言っていることも間違ってはいない。諦めて一先ず奴の要求を聞こうと思ったが、私が口を開くより早く背後から声が飛んできた。
「黙って聞いていればキィキィと。|拓磨《たくま》と同等の陰陽師というからどんな奴かと思っていたが、ただの猿だな」
 ピクリとその声に蒼士が反応したと同時に、隣の闇烏がこの世の終わりの如くに顔面蒼白になった。
『た、拓磨殿……! あまり蒼士殿を煽らないでいただきたい。先日も苦労したばかりなのだ』
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 おい、ここで一戦交えられても困るのだが。こちらから手を打とうとして彼女を連れてきたが、このままでは裏目に出てしまうではないか。
 しかし人の心配を他所に、華葉は私の体を避けて蒼士の前に堂々と姿を現したのだ。引き留めようとしたがその手を見事にすり抜け、誰かと同じ仁王立ちで構えた。
 しまった、似たもの同士だったか……。後悔したところでもう遅い。
「私のことを調べているようだが、私は拓磨の式神の華葉だ。お望み通り出てきてやったぞ。お前こそ言いたいことがあるなら私に言え」
 もう終わりだ、と率直に思った。私は勿論、闇烏も小さく頭を抱えている。
 だが予想外に華葉を前にした蒼士は、なかなか口を開かなかった。
 不思議に思って華葉越しに蒼士の表情を伺うと、口を半開きにして間抜けとも言える顔で華葉を見つめていた。それは想像もしない反応だった。
 そしてそれに私は、何故か向かっ腹が立つのを覚えた。
『蒼士……殿?』
 突然止まってしまった主の様子に、闇烏も不安そうに様子を伺っている。
 そんな中で華葉だけが、喧嘩を売った相手が固まってしまったので、揚々と奴に畳みかけた。
「どうした? 恐れを成して声も出ぬか。甲高く喚く猿かと思ったが、か弱い|鼠《ねずみ》の間違いだったな」
「う、五月蠅い! 何でもない、僕が女に恐れるわけなかろうが!」
 慌てて取り繕う奴はまだ赤い顔をしているが、どことなく先ほどの感じとは違う印象だ。それを目にする度に私の中に言いようのない不快感が芽生える。
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 何だこの感情は。調子が狂うではないか。
「威勢の良い女め、今日は勘弁してやる。……おい拓磨! 任務を放棄した罰として、寮の依頼を一つ引き受けろ」
 急に引き下がるところが益々気に食わないが、私はこの意味の分からぬ感情を押し殺した。落ち着け、騒ぎを大きくされないだけまだ良い方であろう。
 手前でまだ華葉が騒いでいるのを、何気なしに頭を掴んで後ろに下げる。
「……祈祷なら断るが」
「腑抜け者め、安心しろ討伐の依頼だ。詳細は後で伝書を送る。放棄すれば次はないと、首を《《拭いて》》待っていろ!」
 それを言うなら〝首を《《洗って》》〟であろうが阿呆。
 明らかに取り乱している捨て台詞を残し、蒼士は逃げるようにさっさと寮の方へ帰って行った。慌てて闇烏が追いかけ、門の前には私と華葉だけが残る。
 後味がかなり悪い。まだ朝だと言うのに最悪の幕開けだ。
「華葉」
 自分でも驚くほど低い声が出て、後ろに下げた華葉が肩を震わせたのが分かった。それに動揺しないように控えめに「何だ?」と返事をしたので、私はゆっくりと後ろを振り返った。
「蒼士には近づくな、命令だ」
 虚を突かれたような表情をする華葉をすり抜け屋敷へと戻る。この時ある香りが鼻を掠めたのだが、感情が高ぶっている私は気にも止めなかった。
 一方華葉は私の背中を見つめ小さな溜め息を吐くと、同じように屋敷へと戻って行った。
『お帰りなさい、拓磨様。結構長かったですね』
 寝殿に戻ると暁が屈託のない笑顔で出迎えてくれた。
 暁や雫だって他の陰陽師と話すことはある。そう、|白狼《はくろう》との戦いの後でも同じような状況があったであろう。それと何ら変わらぬ、と自分に言い聞かせ平静を装った。
「何も心配はない。だが寮からの依頼を受けなければならなくなった。烏か何かが来たら教えてくれ、私は心力鍛錬に入る」
 折角五感鍛錬に励んだと言うのに、まだその成果を試せていない。どれもこれも蒼士のせいだ。否、容易に喧嘩を買った華葉のせいか。
 子供のように他人に責任を転嫁し、何やっているんだと自己嫌悪にさえ陥ってきた。
 駄目だ。これは一度、精神統一で落ち着かせなければ。
『拓磨様、実はですね、』
「悪い、一旦一人にさせてくれ」
 何かを持ってきた雫を遮り、私は一人庭へ降りた。
 黒い桜の木の前にいつも通り|茣蓙《ござ》を敷き、その上に胡座をかき、目を閉じ深く呼吸をする。……あぁ、やはりここが一番平常になれる気がする。
 そこで五感鍛錬で得た成果を、私は直ぐに体感することになる。