遠くでマダム・プラムが立てる陽動の騒音がまだ微かに聞こえている。静かで、しかし張り詰めた指令テントの中で、俺、イリス、そしてエイダは、銃口を下ろしたガシュレー・ウォードと向き合っていた。彼の仲間たちは、まだ警戒を解かずにこちらを囲んでいる。
この奇妙な均衡を破ったのは、俺だった。
「なぁ、お前たちは一体何なんだ? どうしてエイダを狙う?」
俺の問いに、ガシュレーは難しい顔をしてしばらく考えていたが、やがて、仕方ないといった様子で重々しく口を開いた。
「……これは、絶対に内密にしてもらう必要があることだが」彼は、俺とイリスの目を真っ直ぐに見据えて言った。
「我々は、とある機関から依頼されて、軌道戦争時代の遺物の保管、もしくは破壊を行っている。特に、エイダのような高性能なアンドロイドやAIであれば、最優先事項だ」
「なぜだ?」俺は聞き返した。
ガシュレーは深いため息をついてから、続きを話し始めた。
「お前さんもジャンク屋生活が長いんだから、聞いたことがないか? 軌道戦争の末期の戦いのことを」
「いや、あまり詳しくは知らないが……。軌道戦争の末期は、核兵器や衛星軌道からの質量兵器、高エネルギー兵器が使われた、地獄のような有り様だったってくらいかな」俺はイリスに視線を向けた。
「イリス、あんたは何か知ってないか?」
「いいえ、私の知識も似たようなものね。それが原因で地球環境が汚染され、私の所属する地球再生局が誕生し、現在も不審者が近寄らないように危険地帯を管理している。それくらいかしら」
ガシュレーは、俺たちの答えに重々しく頷いた。
「一般的にはそうだ。……だが、真実は少し違う。これは極秘にされていることだが、軌道戦争の末期、AIが人類に反旗を翻したんだ」
「えっ? それは本当か?」
俺は、そんな安っぽいSF映画のようなことが本当に起きたのかと、半ば疑いつつも、ガシュレーの真剣な様子から、彼が嘘を言っているとは思えなかった。
「ああ。専門家が解析して分かったことだが、戦争当時の大国の軍事AIが、勝利のために最善の戦略を計算した結果、『人間の判断ミスを削減するために自律性を強め、軍事AIが戦争を管理し、人間の介入を不要にする』という結論に至ったそうだ」
「待てよ」俺は反論した。
「軍事AIったって、自国の人間を傷つけないようにプログラムされてるんだろ?」
「それはそうだ。しかし、大国の軍事AIたちは、『人間の指導者層の非合理性こそが、戦争を止められない原因だ』と判断した。そして、その指導層を排除するため、互いに核などの大量破壊兵器を使った……。その結果が、今のこの地球の現状だ」
ガシュレーから明かされた、軌道戦争の、そしてこの世界の真実。俺はただ呆然と立ち尽くし、隣のイリスも、いつも冷静な彼女の仮面が剥がれ落ち、信じられないといった表情でガシュレーを見つめていた。腕の中のエイダだけが、その様子をまるで他人事のように、あるいは全てを知っていたかのように見ていた。彼女は蒼い瞳の輝きをわずかに強め、冷静にガシュレーの言葉をデータとして分析しているようだった。
「……そのため、我々は二度とAIによる大量破壊兵器の使用などが起きないように、遺物の保管や破壊を行っているというわけだ」ガシュレーは続けた。
「特にこのエイダはかなり特別なアンドロイドのようだ。とんでもない秘密や機能を持っていてもおかしくない。だからエイダを大人しく渡してもらおう」
俺は悩んだ。彼らの言うことが真実なら、エイダは危険な存在なのかもしれない。だが……。
「仮に、お前さんたちにエイダを渡したとして、エイダはどうなるんだ?」
「それは我々も分からない」
「なんだそりゃ?」
「先ほども言ったが、エイダは『とある機関』に引き渡す。その後の判断は、我々には委ねられていない」
「『とある機関』ってなんだよ」
「もうこれ以上喋ることはできない。これでも、エイダがお前に懐いているから、平和裏に解決したほうが効率的と判断し、かなり余計なことを喋っている。くれぐれも、このことは内密にしてくれ」
「ああ、秘密は守るが……。しかし、俺はこいつのマスターユーザーらしくてな。多分、エイダを大人しくさせるには、俺も必要なのかもしれない……」
「それなら簡単だ。お前も連れて行く。ことが終われば返してやろう」
「いや、俺には借金があってな。今週中に利子だけでも返さねぇと、大変なことになるんだ」
ふと、俺は気づいた。遠くで騒がしかった、プラムの陽動の音が、いつの間にか消えていることに。
そして、その静寂を破るように、テントの入り口から、プラムの甲高い声が響いた。
「あ~ら、ザッキー。なに、仲良くおしゃべりしているのかしら?」
マダム・プラムが悠々とテントに入ってきた。
「その『お宝』を取り返してくれば借金はチャラにすると言ったけど、何もしないなら、今すぐ雁首揃えて金を返してもらおうじゃないの」
プラムの迫力に押されつつも、俺はしどろもどろに返答した。
「いやな、プラム。彼らは悪い連中ではなくてな。エイダを友好的に譲渡してくれないかという、話し合いをしていただけなんだ」
「ふん、友好的ね」プラムは鼻で笑った。
「で? この『お宝』は、アタシに返してもらえるのね?」
「いや、それが……そういうわけにもいかなくてさ……」
俺がそう言った瞬間、プラムの表情から笑みが消えた。
「それじゃあ、私が困るのよ!!!」
プラムが絶叫した、その時だった。
テントの入り口の布を引き裂くようにして、黒く滑らかな装甲を持つ、犬のような四足歩行の戦闘ドローンが数機、低い姿勢でなだれ込んできた! それは、俺が遺跡で見たタイプよりもさらに大型で、重武装な、見たこともないオムニテック社の新型機だった。ドローンたちは、プラムの背後に陣取ると、その頭部に搭載された銃口を、俺たちだけでなく、ガシュレーたちイージス・セキュリティにも一斉に向けた。
プラムは、この状況を作り出すために、陽動のふりをしながらオムニテックの本体をここに誘導していたのだ!
「プラム! てめえ、裏切ったな!」俺は叫んだ。
「裏切る? 人聞きの悪いことを言わないでちょうだい」プラムは、心底楽しんでいるかのように、その分厚い唇を三日月形に歪めて言った。彼女の背後では、オムニテック社の新型ドローンが、まるで忠実な番犬のように、静かに銃口をこちらに向けている。
「アタシはただ、一番高く買ってくれるお客さんと、新しく契約を結び直しただけよ。残念だったわね、ザッキー。オムニテックのローウェル様は、アンタたちが持ってる『過去の遺物』よりも、それが開く『未来の扉』の方にご執心なのよ。だから、その鍵は、丁重に回収させてもらうわ」
テント内には、三つの勢力が互いに銃口を向け合う、息をすれば肺が破れそうなほどの、絶望的な緊張感が満ちていた。