―セクション1―
青の点滅信号が終わりそうなタイミングで横断歩道を渡り始めた高校生を、交差点に立っていた警官が見咎めた。
「研矢君! 信号は余裕をもって渡ってくれよ!」
「立花さん、わりぃ‼」
研矢と呼ばれた学生は、顔馴染みの警官に後ろ手で挨拶を返し、速度を落とさず、早足で歩き続ける。
研矢がアナログの腕時計に目を走らせると、8時半を回ったところだった。
(式には間に合いそうだな)
研矢はやれやれといった様子で歩みを緩めた。
彼が入学する国立六連星学院は、自宅から徒歩で20分ほどの距離だ。幼小中は有名私立の啓明光学園に車の送迎で通っていたので、高校生になってから地元の学校に徒歩で通うのは、大多数の学生とは逆だろう。
久しぶりの新しい環境に緊張でもしたのか、昨晩は激しい頭痛で眠れず、痛みが落ち着いて眠気がやってきたのが明け方で、うっかり起き損ねてしまった。
門前に着くと、研矢は門の脇にある守衛室に近づいた。
「すみません。新入生の――」
「松宮君!」
研矢は名字を呼ばれ、この学校に知った人間はいなかったはずだと、怪訝に思いながら振り返る。するといかにも全力で走ってきた様子の男子生徒が、息を切らして駆け寄ってきた。
研矢は目を見開き、それから面白そうにやりと笑った。入試の日に、門の前でなにやら暗い表情で立ち尽くしていた男子生徒だと気付いたからだ。
お節介の血が騒いで思わず声を掛けてしまったが、ちゃんと背中を押してやれたのなら良かったと、研矢は思った。
「よぉ。受かったんだな。おめでとう」
「ありがとう。君のおかげだよ」
「大げさだな」
「そんなことないよ」
その男子生は穏やかに笑った。
「俺は佐々城大杜。よろしく。――友だちになれるかな?」
研矢は目を瞬かせた。暗い表情をしていたときにはおとなしい奴なんだろうと思ったが、案外社交的なのかも、と研矢は認識を改めた。
「当然だろ。俺は松宮研矢だ。よろしくな」
「松宮……研矢?」
「ん?」
「あ、いや……」
「それよりお前、いきなり遅刻かよ」
「君に言われるのはどうかと思うよ」
大杜がわざとらしく不服そうに言うので、研矢は吹き出した。
「そりゃそうだ。……いやぁ、寝坊してさ」
「そうなの? 俺は緊張して寝れなかったなぁ」
「じゃあなんで遅刻してんだよ」
「駅でトラブルに遭遇して……」
「なんだそりゃ。お互い先が思いやられるな」
その時、門の内側から、黒のパンツスーツに身を包み、コサージュを胸元に飾った若い女性がやって来た。
「遅刻コンビね」
言われて、ふたりは肩をすくめた。
「私は天堂、1年1組、あなたたちのクラスの担任です」
「たち? え、俺も1組ですか?」
この学校は成績順でクラス分けされると事前に説明されている。松宮が1組であることは納得できるが、自分も1組ということに大杜は驚いた。
「君の場合は成績はギリギリだけど、諸々の事情を加味して、サポートしやすい1組ということよ」
「あ、あー……」
大杜は苦笑いを浮かべる。
「松宮君、佐々城君の勉強見てあげてね」
「……? はぁ……」
天堂の言葉に、研矢は首を傾げて大杜を見やる。大杜は声には出さず、口の形だけで「ごめんね」と謝った。
「時間ね。講堂へ案内するわ」
天堂はさして慌てた様子もなく淡々と言ってから、校舎の方へ向かって歩き始めた。
昇降口で手早く靴を履き替えて中に入ると、大きなロビーが出迎える。左右に廊下が伸びていて、天堂は左の廊下を進む。職員室や保健室などおもだった部屋を抜けると中庭があり、渡り廊下の先には大きな建物が見えた。
講堂のドアは開いたままで、遅れて入ってもドア付近の生徒しか気付かず、ふたりはほっとしながら天堂に続いた。
「最前列のグループが1組よ。先頭の席が松宮君の席ね。ああ、首席挨拶のリハーサルができなかったけど、大丈夫よね? それから、佐々城君は、1組の最後尾。空いてる席に座ってちょうだい」
「え、松宮君、首席?」
「当然だ。——じゃあまた後でな」
正面のロビーから左に向かう廊下は、職員室などがある本館と呼ばれるエリアで、右に向かう廊下は、学生館と呼ばれる建物が渡り廊下で繋がっている。
1年1組は学生館の1階、廊下の突き当りに位置していた。
クラス分けは成績順だが、机の並びは五十音順で、皆自分の席に着く。
大杜は教室の自席に座るという行為が久しぶりで落ち着かず、内心そわそわとしていた。
地元は大杜にとって鬼門だ。誰と会っても心が休まらないし、学校ではいじめもあった。高犯対の室長になってからは、室長という役職に甘んじて、本部に引き籠り気味になり、挙句に登校拒否になってしまった。ごくたまに学校に行っても、保健室へ直行という有様だ。
普通の子どものように学校生活を送って欲しい――母の希望はきっとそれだけだ。
この学校が自分の居場所になり母の希望にかなう場所になることを大杜は願っている。だがそれには自分から殻を破らなければいけない。
「では、自己紹介をしてもらおうかしら」
天堂の言葉に、大杜の鼓動がひときわ跳ね上がった。
覚悟はしていたし、自分から殻を割る最初の機会だということも理解している。とはいえ、小中学校での友人関係のつまずきが、彼を臆病にしてしまっていた。
「出席番号順で――名前と、あとは特技や趣味、高校でやりとげたいことなど、なんでもいいわ」
天堂はそう言うと、窓ぎわ最前列の生徒を目で呼んだ。
最前列の生徒は面倒くさそうなそぶりで立ち上がり、教壇前に行く。美少女だが、かわいらしい印象ではなく、ボーイッシュな雰囲気だ。六連星学院はジェンダーレス制服制で、彼女はスラックス姿だった。
「愛田知紗利です。ニックネームはちさりん。仲良くなったら呼んでください。性別は男。得意分野は中国武術です。よろしくお願いします」
ざわりと教室が騒めいた。
(男——の子?)
大杜は心の中で呟く。
「そいつ本当に強いから、からかわないほうがいいぜ」
「黙れ、川内」
ハスキー気味な女子の声といった感じだが、口調は容赦ない。ぴしゃりと言われた瞬間、教室が静まり返った。だが川内と呼ばれた男子は、厳しい口調にも慣れた様子で、ニヤニヤと笑っている。
愛田が席に戻ると、次の席の男子が立ち上がった。
今度は美青年といった風貌だった。高一にしてはかなりの長身だったが、猫背と、知的さを感じさせるはずの切れ長の目がだるそうに半分閉じかかっているため、端正な容姿が台無しだ。
「貴島武朗。趣味はゲーム。生涯の友人を作りたい。よろしく」
素っ気ない自己紹介だった。
大杜はなんとなく貴島が帰ってくる様子をじっと見つめた。一瞬目が合ったが、彼はすぐにふいっと顔をそらして、前の席に座った。とても友人を作りたいと思っているようには見えない。
大杜の番になった。大杜はゆっくりと立ち上がり、ゆっくりと前に向かう。時間が止まればいいのに――なんて願いが叶うことはなく、あっという間に教壇の前に着いた。
大杜はクラスメイトの方を向いた。
ひとクラス二十人。クラスの人数としては多くないが、同年代の友人がいない大杜にとっては多過ぎて、めまいがしそうだ。
松宮を探すと、彼は笑って親指を立てて見せる。
入試の時に背中を押してくれた彼のおかげで、自分は今ここにいるのかもしれないと思う。彼にとっては、ちょっと声を掛けただけだっただろうが、大杜にとっては大きな出来事だった。
(この機会を大切にしなければ――)
大杜は両手を握りしめて覚悟を決める。
「佐々城大杜です。趣味は……いや、それよりも――」
大杜は言い淀んだ。
学生の間は学業優先だが、いつ緊急の呼び出しがあるかわからない身だ。クラスメイトに迷惑をかけることもある。
だから——
「俺は、特命公務員です。任務により遅刻や急な早退などもあると思います。迷惑をかけたらごめんなさい。俺も、その――友人をたくさん作れたらと思います。よろしくお願いします」
「特務員……?」
誰かが声に出して繰り返し、大杜は頷いて見せた。
その存在を知らない者はいないが、一般人が本人と会う機会は稀で、大物芸能人に遭遇するより珍しい存在だ。
国力になるような特別な能力を持ち、年齢や性別などに関係なく、国から任用されて、重要な役目を任される——通称、特務員。
川内が手を上げた。
「なあ、何の特命?」
「いずれわかる機会もあると思うし、そのときに……」
「えー気になるじゃん」
川内が不満そうに言うと、天堂が手をパンパンと叩いて話を終えさせた。
席に戻る時、また貴島と目が合った。とはいえ興味を持たれたような感じもなく、ただ横を通るから目が合っただけのようだ。
大杜は研矢の方を向いた。
彼はあからさまに目を丸くしている。
大杜はどんな表情を返してよいかわからなかったが、研矢がはっとしたように我に返って、また親指を立てて見せたものだから、思わず吹き出した。