表示設定
表示設定
目次 目次




第1節 始まりの事件/ §3

ー/ー



   ―セクション3―
 
 入試を終えると、大杜はその足で警視庁高次犯罪対策室――通称『高犯対』(こうはんたい)――の本部があるビルに向かった。

 そのビルはオフィス街にあり、内部は最新のデザインであるにも関わらず、外見は古めかしい造りだ。社名を記した御影石には『鈴木栄光(すずきえいこう)警備保障株式会社』とあり、ここに警察機関の一部が入っていることは一般には知られていなかった。

 大杜が扉を抜けると、
「こんにちは、佐々城さん」
 と、警備員に声を掛けられた。

 大杜はにこやかに挨拶を返してセキュリティーゲートを通る。中学の制服でオフィスビルを走り抜ける姿には違和感があるが、ここでは誰も気にしない。

 大杜は非常階段を使って2フロア分の階段を降りた。高犯対のある上層3フロアにアクセスできるエレベーターは、専用駐車場のある地下2階からしか乗ることができない仕様だからだ。

(昨日の出動報告書を出さなきゃな。アイビーが書いてくれてるといいけど)

 そんなことを考えながらエレベーターに乗った直後、後ろからぐいっと押し込まれた。

「無防備ねぇ。これが暴漢だったら、今ので死んでたかもよ?」

「そんな簡単に、このビルに暴漢が入ります?」

「まぁそうね。前提が間違ってたわね」

 大杜を押し込んだのは、このビルのオーナーであり会社の副社長である鈴木舞華(まいか)だった。

「たーくん、今日試験だったでしょう? どう、受かりそう?」

「うーん、自信ないけど……受かればいいな」

 その言葉を聞いた瞬間、舞華は目を見張って、大杜の頭をぎゅと抱き抱えた。

「そっか。受かりたい気持ちが出てきたなら良かった。なんか私まで嬉しくなっちゃうわ」

「あの、すみません、ちょっと離してもらえます?」

 あまりに強く顔を胸元に押しつけられて、大杜は戸惑いながら言う。

「なによ、子どもが。照れなくてもいいじゃない」

「よくはないので、離れてもらいましょうか」

「……アイビー」

 舞華が恨めしそうに呟いた。

 日本最速を誇るエレベーターはいつの間にか目的階へ着いて扉が開いており、エレベーターホールには昨日現場に付き従っていた精悍なメタリックボディのQ0ー01――すなわちアイビーが立っていた。

「鈴木副社長、それ、セクハラですからね」

 アイビーの隣から紀伊国も口を出す。

「ふたりでお出迎え? 過保護にもほどがあるわよ」

「アイビーは室長の出迎えですが、私はあなたの出迎えですよ」

 紀伊国の言葉に、舞華は「ああ」と納得して、表情を引き締めた。

「何かあるんですか?」

 大杜が舞華に聞いた。

「うちが警備している施設で問題が発生して、警察上層部に相談してたんだけど――私がこのフロアに呼ばれたってことは、高犯対がその件を担当することになったんでしょうね」

 舞華が紀伊国を横目で見やりながら言う。

 大杜は室長という肩書きではあったが、学生であるため、紀伊国のほうが事前に情報を持っていることが多い。

 大杜が紀伊国の方を向くと、彼は難しい表情を浮かべて頷いた。

 大杜は怪訝に思った。いつも穏やかな彼のそんな表情は珍しいからだ。

「でも話を始める前に、室長はまずアイビーをM1(エムワン)のボディに戻してやってくれませんか。でないと今夜も家に一緒に帰れなくて、心配し過ぎてショートしてしまいますよ」

「アイビーなら、あり得るわね」

 舞華はふっと鼻で笑った。

「ああ。ないとは言わない」

「そこは否定しろよ!」

 アイビーが真面目に肯定するので、自分の方が恥ずかしくなって、大杜は抗議した。

「戻すんならさっさと来いよ」

 ずんずんと先を行く大杜の後をアイビーがゆっくりと付いて行く。

「昨日の疲れは残っていないか?」

「大丈夫だよ。寝ればすぐに回復するの、知ってるだろ」

「そういうことを繰り返しているから、背が伸びないのかもしれないな」

「ずっとその姿のままでいいんだからな、俺は」

 大杜は恨めしそうな目で睨んだ。

「それは困る。だが私がボディを移るたびに、君に負担をかけることになるのは、申し訳なく思っている」

「だから、気にするぐらいなら、ずっとQ0(キューレイ)のボディでいればいいじゃないか」

「君をあの家に一人にしておけというのか?」

「うまくやってると思うけど……」

 大杜は装備室の扉を開けた。部屋のちょうど真ん中にキャスターの付いた三段式のキャビネットがあり、一番上におもちゃのロボットがちょこんと座っていた。

 大杜は、アイビーが警官ロボットのボディ専用ラックに収まったのを確認すると、おもちゃのロボットを取り上げ、胸に抱える。子どものときには大きく、両手で抱き抱えていたそれは、今では片手でつかめるサイズだ。

 そのおもちゃを抱えたまま、大杜は警官ロボットの胸元に手を当てた。

 ほんの一瞬空気がぴりっと震えたが、この場に他の人間がいても、その変化には気付かない。

「――急ごう。鈴木さんたちを待たせちゃいけない」

 声を掛けられてアイビーが目を開けると、大杜の胸の中にいた。おもちゃのロボットに意識が移ったのだ。

 アイビーは腕の中から大杜の顔を見上げる。あまり日の下に出ない大杜は色白なほうだが、今は白を超えて青白いレベルだった。



「つまり、盗まれたものはない――ということですね」

「ええ。そんなはずはないんだけど、でも何もないと言われてしまうとね」

 大杜とアイビーが接客室に入ると、そこでは不穏な会話が交わされていた。まぁ『警察に相談事』という時点で明るい話題ではないのだろうが。

「たーくん、大丈夫?」

 部屋に入ってきた大杜の顔色がよくないことに気付いて、舞華が声を掛けた。

「大丈夫です。慣れてるし」

 大杜は空いていたソファーに腰掛けた。隣におもちゃのロボットもちょこんと座る。

「少し休んでからお話ししましょうか?」

 眠そうな大杜に、紀伊国が気を遣って言う。

「いえ大丈夫です。むしろ遅くなりたくないので……」

「そうですね。6時には出たほうがいいか……」

 紀伊国はちらりと時計を見やりながら呟いた。

「じゃあ、まずは私が概要を話すわ。――南波(なんば)記念病院のことよ」

 舞華が切り出した。

 大杜は目を瞬かせる。

「あなたも馴染みのある病院よね。あそこの警備は我が社が担当してるわ。――VIP用の別館の一部は研究施設なんだけど、それは知ってる?」

「いえ。ほかのフロアのことは知りませんでした」

「まぁ自分の使用するフロア以外のことは、知らなくて当然かもしれないわね。今回問題になってるのはその研究施設――規模的には、研究室ね」

「侵入者ですか?」

 先ほど聞きかじった部分を思い出す。

「そう。でも病院側がその事実を認めないのよ」

「え? 病院側が何もないと言ってるのに、なぜわかったんです? 密告とか?」

 舞華は指をパチンと鳴らした。

「変でしょう? (おおやけ)にしたくないことがあるからだと、勘ぐっちゃうわよね」

「違法研究とか……?」

 大杜の言葉に、舞華は頷いて見せる。

「南波記念病院は、病弱だった南波博士が、自身の体を丈夫にする方法を研究するための施設として造らせた、と言う人もいるしね。以前から色々と怪しい噂が絶えない場所よ」

「……気にしたこともなかったです……」

「そうよね、ごめんね。病院としては優秀なのよ。問題なのは研究室だけよ」

 大杜は頷いた。

「それで警察に相談してたんだけど――」

「正式にうちで捜査することになりました。ちなみに、密告してきたのは医師ロボット――通称名ファクターです。おもに別館専属として購入され、3年程勤務しています」

 紀伊国が付け加えた。

 大杜は嫌な予感に顔を上げる。

「紀伊国さん、まさかファクターを使って内偵捜査をする、なんて命令が下りたわけではありませんよね?」

「いえ……それで合っています」

 硬い石で殴られたような衝撃を受け、大杜は一気に目が覚めた。

 そばでおとなしく話を聞いていたアイビーもソファーの上で立ち上がる。

「なぜだ? 私たちやタイトの能力の特性を、上層部は理解していないのか?」

「いいや、理解はしているよ。ただそれと、思い入れがあるかどうかは別問題だからね……」

「そんな! 誰か一体を差し出せなんて……そんなの、できるわけがない。二度と戻ってこれないのに!」

 大杜が悲痛な声を上げるのを、紀伊国は気遣わしげ見やる。

 舞華は彼らのやりとりに首を傾げた。

「どういうこと? 内偵捜査はよくやっているはずよね?」

「はい。俺の能力の一つなので……」

「なら、どうして今回は問題なの?」

「内偵の際に使用する能力――核転置(コアトランポーズ)は、Q0(キューレイ)の心や記憶、その他諸々をまとめたものを(コア)と呼ぶものに変換し、それを別の人工知能に上書きする能力です」

「ええ、聞いたことがあるわ」

「作業系の業務ロボットなら特に問題はありません。でもファクターは医師ロボットなので――」

「人工知能が複雑で難しいとか?」

「いえ、上書きされる側の複雑さは関係ありません。問題なのは、医師ロボットの存在価値なんです。核転置は上書きだから、そのままでは医師としての記憶が消えてしまいます。医師の能力、患者や他の医療関係者との記憶が消えてしまったら、そもそも内偵になりません。核転置を行うなら、上書きではなく、ファクターの知識、記憶、思考回路などを維持したまま行う――つまり、融合させる必要があるんです」

「融合? そんなこともできるの?」

「やったことはありませんけど、おそらく可能です。でも逆はできない……」

「逆?」

「任務が終わった後です。ファクターに移していた部下の核を回収すると、ファクターのほうは初期化(リセット)された真っ新な業務ロボットになります。作業系の業務ロボットはまたプログラムを入力すれば済みますけど、医師ロボットにはそれまでの経験も必要です。融合したものを分離して戻せるならいいけど、そんなこと、俺にはできない――」

「内偵が終わっても、あなたの部下はずっと医師ロボットであり続ける必要があるってこと?」

 大杜は頷き、眉根を寄せて悔しそうな表情を浮かべた。

「紀伊国さん。上層部は、Q0(キューレイ)を一体失ってでもやる必要がある捜査だと、判断したということですか?」
「おそらく」

 それは裏に潜む出来事が、社会的にとても危険な要素を含んでいる可能性が高いということだ。

 大杜の部下の高機能ロボットは現在12体存在している。昨日の出来事のように警官ロボットは国内で大量に導入されているから、警官ロボットそのものが貴重なわけではない。

 ただ大杜の部下であるQ0(キューレイ)シリーズのみ特殊な事情を抱えた存在で、国としても簡単に失ってよいものではないはずだった。

(誰を選ぶ? 差し出せる仲間なんて——)

 大杜は内心泣きそうな気持ちで部下たちを思い浮かべる。

「悩むことじゃないでしょう?」

 不意に声がして、大杜たちは顔を上げた。

 扉の向こうで聞いていたのか、ドアを開けて、一体の警官ロボットが立っていた。青みがかったブラックヘアのロボットの肩口にはQ0(キューレイ)07(レイナナ)の文字があった。

「シラー?」

 大杜が戸惑ったようにニックネームを呼ぶ。

「私を指名すればいいんですよ」

 シラーの言葉に大杜は立ち上がった。だがアイビーの核転置の疲労のためすぐにソファーに沈み込む。

「たい――室長、大丈夫ですか?」

「タイト、急に立ち上がるな」

 紀伊国とアイビーが気遣う。

 だが大杜はふたりに構わず、ソファーの肘掛けを握り締めて改めて立ち上がった。

「シラー、なんでそんなことを言うんだよ!」

「心外ですね。誰かがしなければいけない任務なんでしょう? ボスが決め兼ねるなら、立候補した方がやりやすいかと思ったんですが」

「そりゃそうだけど――でもそうじゃない。誰も選びたくない……」

「あなたはここの長でしょう? そして上からの命令だ。選びたくないなんて、子どもの我儘では?」

「でも……」

「悩む必要なんてありませんよ。いいじゃないですか。(てい)のよい厄介払いができて」

「俺はそんなこと思ってない!」

 シラーはふっと笑うと、大杜の両頬を手で挟んで顔を覗き込んだ。

「シラー」

 アイビーが警戒して強めの語調で名前を呼ぶ。シラーは横目でアイビーを睨んだ。

「ボス、私は今後、医師ロボットファクターとして生きましょう。でも大丈夫ですよ。あなたの部下として今後も協力は惜しみません。あなたは我々にとって、ただの上司(ボス)じゃないのだから」

 シラーは、大杜の額にコツンと額を当てた。

創造主(カミサマ)、ですからね」

 囁くように言うと、体を離した。

「そうだ。一つぐらい我儘を聞いてもらいましょうか。あなたが私を呼ぶときは、今後もシラーでお願いします」

 大杜はソファーに倒れ込むように座って俯いた。

「……ごめん、ありがとう……」

 声が震える。申し訳なさに、唇を噛み締める。

(申し出てくれなければ、自分で決めることができなかった……)

 他のメンバーと少し違ったところがあり、よく波風を立てては大杜を困らせていたが、それでも彼を疎ましく思ったことはない。 

「そんな顔をしなくても大丈夫ですよ。どうせあなたはすぐに入院するでしょう? そのときは誠心誠意、看病して差し上げますからね」

 シラーはそう言うと、大杜の顔を上げさせ、額に口付けた。

 ちょうどその瞬間、ケリアが部屋に入ってきた。

「シラー! 貴様‼」

 殴りかかろうとせんばかりのケリアを、大杜が押し留める。

「いいから! ケリア、落ち着いて!」

 ケリアもシラーとは別の意味でトラブルメーカーだ。

 だが常なら面倒だなと思う騒々しさも、彼女のおかげでしんみりとした空気がなくなっている。

 紀伊国とアイビーは内心ほっとした様子で顔を見合わせた。



スタンプを贈って作者を応援しよう!

次のエピソードへ進む 第2節 クラスメイト/ §1


みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…



   ―セクション3―
 入試を終えると、大杜はその足で警視庁高次犯罪対策室――通称|『高犯対』《こうはんたい》――の本部があるビルに向かった。
 そのビルはオフィス街にあり、内部は最新のデザインであるにも関わらず、外見は古めかしい造りだ。社名を記した御影石には『|鈴木栄光《すずきえいこう》警備保障株式会社』とあり、ここに警察機関の一部が入っていることは一般には知られていなかった。
 大杜が扉を抜けると、
「こんにちは、佐々城さん」
 と、警備員に声を掛けられた。
 大杜はにこやかに挨拶を返してセキュリティーゲートを通る。中学の制服でオフィスビルを走り抜ける姿には違和感があるが、ここでは誰も気にしない。
 大杜は非常階段を使って2フロア分の階段を降りた。高犯対のある上層3フロアにアクセスできるエレベーターは、専用駐車場のある地下2階からしか乗ることができない仕様だからだ。
(昨日の出動報告書を出さなきゃな。アイビーが書いてくれてるといいけど)
 そんなことを考えながらエレベーターに乗った直後、後ろからぐいっと押し込まれた。
「無防備ねぇ。これが暴漢だったら、今ので死んでたかもよ?」
「そんな簡単に、このビルに暴漢が入ります?」
「まぁそうね。前提が間違ってたわね」
 大杜を押し込んだのは、このビルのオーナーであり会社の副社長である鈴木|舞華《まいか》だった。
「たーくん、今日試験だったでしょう? どう、受かりそう?」
「うーん、自信ないけど……受かればいいな」
 その言葉を聞いた瞬間、舞華は目を見張って、大杜の頭をぎゅと抱き抱えた。
「そっか。受かりたい気持ちが出てきたなら良かった。なんか私まで嬉しくなっちゃうわ」
「あの、すみません、ちょっと離してもらえます?」
 あまりに強く顔を胸元に押しつけられて、大杜は戸惑いながら言う。
「なによ、子どもが。照れなくてもいいじゃない」
「よくはないので、離れてもらいましょうか」
「……アイビー」
 舞華が恨めしそうに呟いた。
 日本最速を誇るエレベーターはいつの間にか目的階へ着いて扉が開いており、エレベーターホールには昨日現場に付き従っていた精悍なメタリックボディのQ0ー01――すなわちアイビーが立っていた。
「鈴木副社長、それ、セクハラですからね」
 アイビーの隣から紀伊国も口を出す。
「ふたりでお出迎え? 過保護にもほどがあるわよ」
「アイビーは室長の出迎えですが、私はあなたの出迎えですよ」
 紀伊国の言葉に、舞華は「ああ」と納得して、表情を引き締めた。
「何かあるんですか?」
 大杜が舞華に聞いた。
「うちが警備している施設で問題が発生して、警察上層部に相談してたんだけど――私がこのフロアに呼ばれたってことは、高犯対がその件を担当することになったんでしょうね」
 舞華が紀伊国を横目で見やりながら言う。
 大杜は室長という肩書きではあったが、学生であるため、紀伊国のほうが事前に情報を持っていることが多い。
 大杜が紀伊国の方を向くと、彼は難しい表情を浮かべて頷いた。
 大杜は怪訝に思った。いつも穏やかな彼のそんな表情は珍しいからだ。
「でも話を始める前に、室長はまずアイビーを|M1《エムワン》のボディに戻してやってくれませんか。でないと今夜も家に一緒に帰れなくて、心配し過ぎてショートしてしまいますよ」
「アイビーなら、あり得るわね」
 舞華はふっと鼻で笑った。
「ああ。ないとは言わない」
「そこは否定しろよ!」
 アイビーが真面目に肯定するので、自分の方が恥ずかしくなって、大杜は抗議した。
「戻すんならさっさと来いよ」
 ずんずんと先を行く大杜の後をアイビーがゆっくりと付いて行く。
「昨日の疲れは残っていないか?」
「大丈夫だよ。寝ればすぐに回復するの、知ってるだろ」
「そういうことを繰り返しているから、背が伸びないのかもしれないな」
「ずっとその姿のままでいいんだからな、俺は」
 大杜は恨めしそうな目で睨んだ。
「それは困る。だが私がボディを移るたびに、君に負担をかけることになるのは、申し訳なく思っている」
「だから、気にするぐらいなら、ずっと|Q0《キューレイ》のボディでいればいいじゃないか」
「君をあの家に一人にしておけというのか?」
「うまくやってると思うけど……」
 大杜は装備室の扉を開けた。部屋のちょうど真ん中にキャスターの付いた三段式のキャビネットがあり、一番上におもちゃのロボットがちょこんと座っていた。
 大杜は、アイビーが警官ロボットのボディ専用ラックに収まったのを確認すると、おもちゃのロボットを取り上げ、胸に抱える。子どものときには大きく、両手で抱き抱えていたそれは、今では片手でつかめるサイズだ。
 そのおもちゃを抱えたまま、大杜は警官ロボットの胸元に手を当てた。
 ほんの一瞬空気がぴりっと震えたが、この場に他の人間がいても、その変化には気付かない。
「――急ごう。鈴木さんたちを待たせちゃいけない」
 声を掛けられてアイビーが目を開けると、大杜の胸の中にいた。おもちゃのロボットに意識が移ったのだ。
 アイビーは腕の中から大杜の顔を見上げる。あまり日の下に出ない大杜は色白なほうだが、今は白を超えて青白いレベルだった。
「つまり、盗まれたものはない――ということですね」
「ええ。そんなはずはないんだけど、でも何もないと言われてしまうとね」
 大杜とアイビーが接客室に入ると、そこでは不穏な会話が交わされていた。まぁ『警察に相談事』という時点で明るい話題ではないのだろうが。
「たーくん、大丈夫?」
 部屋に入ってきた大杜の顔色がよくないことに気付いて、舞華が声を掛けた。
「大丈夫です。慣れてるし」
 大杜は空いていたソファーに腰掛けた。隣におもちゃのロボットもちょこんと座る。
「少し休んでからお話ししましょうか?」
 眠そうな大杜に、紀伊国が気を遣って言う。
「いえ大丈夫です。むしろ遅くなりたくないので……」
「そうですね。6時には出たほうがいいか……」
 紀伊国はちらりと時計を見やりながら呟いた。
「じゃあ、まずは私が概要を話すわ。――|南波《なんば》記念病院のことよ」
 舞華が切り出した。
 大杜は目を瞬かせる。
「あなたも馴染みのある病院よね。あそこの警備は我が社が担当してるわ。――VIP用の別館の一部は研究施設なんだけど、それは知ってる?」
「いえ。ほかのフロアのことは知りませんでした」
「まぁ自分の使用するフロア以外のことは、知らなくて当然かもしれないわね。今回問題になってるのはその研究施設――規模的には、研究室ね」
「侵入者ですか?」
 先ほど聞きかじった部分を思い出す。
「そう。でも病院側がその事実を認めないのよ」
「え? 病院側が何もないと言ってるのに、なぜわかったんです? 密告とか?」
 舞華は指をパチンと鳴らした。
「変でしょう? |公《おおやけ》にしたくないことがあるからだと、勘ぐっちゃうわよね」
「違法研究とか……?」
 大杜の言葉に、舞華は頷いて見せる。
「南波記念病院は、病弱だった南波博士が、自身の体を丈夫にする方法を研究するための施設として造らせた、と言う人もいるしね。以前から色々と怪しい噂が絶えない場所よ」
「……気にしたこともなかったです……」
「そうよね、ごめんね。病院としては優秀なのよ。問題なのは研究室だけよ」
 大杜は頷いた。
「それで警察に相談してたんだけど――」
「正式にうちで捜査することになりました。ちなみに、密告してきたのは医師ロボット――通称名ファクターです。おもに別館専属として購入され、3年程勤務しています」
 紀伊国が付け加えた。
 大杜は嫌な予感に顔を上げる。
「紀伊国さん、まさかファクターを使って内偵捜査をする、なんて命令が下りたわけではありませんよね?」
「いえ……それで合っています」
 硬い石で殴られたような衝撃を受け、大杜は一気に目が覚めた。
 そばでおとなしく話を聞いていたアイビーもソファーの上で立ち上がる。
「なぜだ? 私たちやタイトの能力の特性を、上層部は理解していないのか?」
「いいや、理解はしているよ。ただそれと、思い入れがあるかどうかは別問題だからね……」
「そんな! 誰か一体を差し出せなんて……そんなの、できるわけがない。二度と戻ってこれないのに!」
 大杜が悲痛な声を上げるのを、紀伊国は気遣わしげ見やる。
 舞華は彼らのやりとりに首を傾げた。
「どういうこと? 内偵捜査はよくやっているはずよね?」
「はい。俺の能力の一つなので……」
「なら、どうして今回は問題なの?」
「内偵の際に使用する能力――|核転置《コアトランポーズ》は、|Q0《キューレイ》の心や記憶、その他諸々をまとめたものを|核《コア》と呼ぶものに変換し、それを別の人工知能に上書きする能力です」
「ええ、聞いたことがあるわ」
「作業系の業務ロボットなら特に問題はありません。でもファクターは医師ロボットなので――」
「人工知能が複雑で難しいとか?」
「いえ、上書きされる側の複雑さは関係ありません。問題なのは、医師ロボットの存在価値なんです。核転置は上書きだから、そのままでは医師としての記憶が消えてしまいます。医師の能力、患者や他の医療関係者との記憶が消えてしまったら、そもそも内偵になりません。核転置を行うなら、上書きではなく、ファクターの知識、記憶、思考回路などを維持したまま行う――つまり、融合させる必要があるんです」
「融合? そんなこともできるの?」
「やったことはありませんけど、おそらく可能です。でも逆はできない……」
「逆?」
「任務が終わった後です。ファクターに移していた部下の核を回収すると、ファクターのほうは|初期化《リセット》された真っ新な業務ロボットになります。作業系の業務ロボットはまたプログラムを入力すれば済みますけど、医師ロボットにはそれまでの経験も必要です。融合したものを分離して戻せるならいいけど、そんなこと、俺にはできない――」
「内偵が終わっても、あなたの部下はずっと医師ロボットであり続ける必要があるってこと?」
 大杜は頷き、眉根を寄せて悔しそうな表情を浮かべた。
「紀伊国さん。上層部は、|Q0《キューレイ》を一体失ってでもやる必要がある捜査だと、判断したということですか?」
「おそらく」
 それは裏に潜む出来事が、社会的にとても危険な要素を含んでいる可能性が高いということだ。
 大杜の部下の高機能ロボットは現在12体存在している。昨日の出来事のように警官ロボットは国内で大量に導入されているから、警官ロボットそのものが貴重なわけではない。
 ただ大杜の部下である|Q0《キューレイ》シリーズのみ特殊な事情を抱えた存在で、国としても簡単に失ってよいものではないはずだった。
(誰を選ぶ? 差し出せる仲間なんて——)
 大杜は内心泣きそうな気持ちで部下たちを思い浮かべる。
「悩むことじゃないでしょう?」
 不意に声がして、大杜たちは顔を上げた。
 扉の向こうで聞いていたのか、ドアを開けて、一体の警官ロボットが立っていた。青みがかったブラックヘアのロボットの肩口には|Q0《キューレイ》ー|07《レイナナ》の文字があった。
「シラー?」
 大杜が戸惑ったようにニックネームを呼ぶ。
「私を指名すればいいんですよ」
 シラーの言葉に大杜は立ち上がった。だがアイビーの核転置の疲労のためすぐにソファーに沈み込む。
「たい――室長、大丈夫ですか?」
「タイト、急に立ち上がるな」
 紀伊国とアイビーが気遣う。
 だが大杜はふたりに構わず、ソファーの肘掛けを握り締めて改めて立ち上がった。
「シラー、なんでそんなことを言うんだよ!」
「心外ですね。誰かがしなければいけない任務なんでしょう? ボスが決め兼ねるなら、立候補した方がやりやすいかと思ったんですが」
「そりゃそうだけど――でもそうじゃない。誰も選びたくない……」
「あなたはここの長でしょう? そして上からの命令だ。選びたくないなんて、子どもの我儘では?」
「でも……」
「悩む必要なんてありませんよ。いいじゃないですか。|体《てい》のよい厄介払いができて」
「俺はそんなこと思ってない!」
 シラーはふっと笑うと、大杜の両頬を手で挟んで顔を覗き込んだ。
「シラー」
 アイビーが警戒して強めの語調で名前を呼ぶ。シラーは横目でアイビーを睨んだ。
「ボス、私は今後、医師ロボットファクターとして生きましょう。でも大丈夫ですよ。あなたの部下として今後も協力は惜しみません。あなたは我々にとって、ただの|上司《ボス》じゃないのだから」
 シラーは、大杜の額にコツンと額を当てた。
「|創造主《カミサマ》、ですからね」
 囁くように言うと、体を離した。
「そうだ。一つぐらい我儘を聞いてもらいましょうか。あなたが私を呼ぶときは、今後もシラーでお願いします」
 大杜はソファーに倒れ込むように座って俯いた。
「……ごめん、ありがとう……」
 声が震える。申し訳なさに、唇を噛み締める。
(申し出てくれなければ、自分で決めることができなかった……)
 他のメンバーと少し違ったところがあり、よく波風を立てては大杜を困らせていたが、それでも彼を疎ましく思ったことはない。 
「そんな顔をしなくても大丈夫ですよ。どうせあなたはすぐに入院するでしょう? そのときは誠心誠意、看病して差し上げますからね」
 シラーはそう言うと、大杜の顔を上げさせ、額に口付けた。
 ちょうどその瞬間、ケリアが部屋に入ってきた。
「シラー! 貴様‼」
 殴りかかろうとせんばかりのケリアを、大杜が押し留める。
「いいから! ケリア、落ち着いて!」
 ケリアもシラーとは別の意味でトラブルメーカーだ。
 だが常なら面倒だなと思う騒々しさも、彼女のおかげでしんみりとした空気がなくなっている。
 紀伊国とアイビーは内心ほっとした様子で顔を見合わせた。