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最初の地獄

ー/ー



 当日の夜。慚愧は面を傍らに置いて、早めに呑んでいた。
 何度か引き戸を叩く音を聞き、面をかぶってから声を出す。
「開いている」
 入ってきたのは鎖那、柳、叉辞の三人だった。
 慚愧は手で座るように指示を出すと、三人は端から順に板の間に腰を下ろした。
 
 しばらくして、鎬が顔を出す。
 きょとんとした鎬に座るように促す。
 全員が座ったところで、慚愧が口を開く。
「これで面子は揃った」
「今日はなんで集められたの?」
 鎖那が舞扇を片手にもっともな質問をする。
「大事な話があるからだ。さて、どこから話したもんか。……面倒だから最初から」
 慚愧が言うと皆が笑う。
「俺がまだ、この性格になっていなかったころ……」
 慚愧は遠い目をして語り始めた。
 
 * * *

 ある武家に仕える三流武士の家に生まれた彼。目と髪の色が変わっていたが、皆初めての男子に喜び、愛情をたっぷりに受けて育てられた。賢いだけでなく、武術の才も発揮させた彼に、この家は安泰だと誰もが口々に言っていた。
 まだ子どもだというのに、仲のいい武家の娘との、元服後の婚姻が約束されていた。その女子は、欠点など見当たらないくらい、とてもよい子で、彼との波長も合った。互いに好意を抱きながら、なんだかんだと仲よく平和な日々を送っていた。誰もが、彼と女子の幸せを願っていた。

 そんな日々を送って三年ほどが過ぎ、彼は八歳になった。ある日の夕方、稽古に(いそ)しみ過ぎて時を忘れていた彼。
 誰かの怒号で我に返る。
 視線を家に向けると、誰かと戦っている父の背中が見えた。
「父上!」
「きてはならぬ ! そなたは生きるのだ !」
 その一言に困惑した彼が目にしたのは、数人の武士が繰り出した槍に身体を刺し貫かれて、父はその場に倒れた。
「え……」
 茫然と立ち竦む彼に駆け寄ったのは、母だった。
 彼の頬を叩いて現実に引き戻すと、彼に告げた。
「逃げなさい! できることなら、あの子と一緒に! ここは根絶やしにされる。すぐに走りなさい!」
 母が言いながら刀を持たせてくれた。
「お世話に……」
 礼だけでも伝えようとした彼だったが、そこでまたも見てしまう。
 背後の武士から心臓を刺し貫かれた母の最期の姿を。身体を張って守ってくれたのだ。

 彼は涙を堪えて、近くの武家へと向かった。しかしそこにも人がわんさかとおり、敵味方と入り乱れていた。
「どこっ!?」
 彼は声を張りながら、許嫁の姿を探す。
 次の瞬間、彼の耳に女の悲鳴が聞こえてくる。
 だっと駆け出し、屋敷の奥へ。
 そこには敵に囲まれながら自害した母親と実の母に縋りつこうとしている許嫁がいる。
「逃げてっ!」
 危機を察知し、全速力で駆けつけようとした彼だったが、間に合わなかった。
 許嫁は背後から腹を槍で刺し貫かれて、その場に倒れる。
 床に倒れる寸前で、ガシッと抱き止めた彼が、周囲の敵に向かって殺気をあらわにする。
 彼らはそれに怯え、その場から立ち去った。

「目を開けて!」
「ああ……。やっぱりあなただったのね……」
 弱々しい声で許嫁が言う。
「ごめん! くるのが遅くなって……!」
「……みんなは?」
 許嫁が尋ねる。
「僕の方は全員殺された。もしかしたらここも、危ないかも……」
 彼は自分の言葉にゾッとしたのか、青い顔をする。
「お互い全滅ねぇ……。でも、あなたが生きてさえいれば、私達はそれだけで、十分なの」
「なにを、言ってるの……?」
 彼はわけが分からないという顔をする。
「あなたは、私達の希望なのよ? 本当なら、ともに生きたいけれど……それはできないわ」
 許嫁が出血が凄まじい腹に手を添える。
「どうして!? なんで、すべてを奪われなくちゃいけないんだ!?」
 怒りと哀しみで、複雑な目をしている彼が叫んだ。
「本当に、そうね……。あなたと過ごせて、私はとっても幸せだったの……」
「それは、僕だって同じ!」
 力強く抱きしめながら彼が言葉を紡ぐ。
「ありがとう……。最期に、言葉をあげるわ……」
 許嫁が片手を上げて、彼の頬に触れる。
「言葉……?」
 戸惑いをあらわにする。
 優しく彼の頬に伝う涙を拭いながら、彼女は告げる。
「あなたとの日々は最高の宝物。精いっぱいの感謝を込めて……。ここで散るのを、赦してね? さようなら……」
 最後の言葉は唇の動きだけだった。
 それが終わると、許嫁は冷たくなり、二度と目を覚ますことはなかった。
「ああああああっ! なんで、なんで!? どうしてこうも、無力なんだよ……。〝俺〟だけが生き残っても、なんの意味もないじゃないか!」
 許嫁の骸をぎゅうっと抱きしめ、悔しそうに、哀しそうに叫ぶ。
 今宵見た両親と許嫁の最期が、脳裏に焼きついて離れてくれない。
 ――あんな言い方はないだろうが! もう無理なのに、傍にい続けたいと願ってしまうだろ!
 泣きながら彼は心の内で言葉を紡ぐ。
 彼女の最期の言葉は『私が愛し続けた、ただ一人の旦那様』だった。
 無言で泣きながら、どうにもならぬ事実から逃れられるわけもなく。
 大事な家族ひとつ守れぬ自分に対する激しい怒りと、なんの罪もない二つの家を根絶やしにするべく動いている武家に、激しい憎悪の念に駆られていた。
 抱きしめていた骸を床に置いた彼の横顔からは、なんの感情も浮かんでいなかった。そのものが剥がれ落ちたようにも見える。
 許嫁のひと房の髪を刀で斬り落とし、懐に入れていた紙でまとめた。
 立ち上がると、誰かの気配を感じた。

 振り返ると雑兵が二人、こちらの様子を窺っていた。
「どうした? 坊主?」
「……もう、終いにしよう」
 彼は片方の男の首を刀で刎ねた。
 初めて人を殺めたが、一切動じなかった。
 素早い一連の動きだったため、もう一人はただ見ていることしかできない。
「なにしてんだ!」
 もう一人が叫ぶと雑兵がわらわらと集まってきた。
 鮮血の滴る刀を構え、彼は非常に暗い目で、雑兵を一瞥する。
 ――愛し愛され、満ち足りた幸せな時と、平穏に過ごしていた自分とは、ここで……別れなければならない。幸せだったが故に、皆とともに俺がこの先を生きるために、感情を捨ててやる。人を殺めた以上、俺はきっと彼らと同じところにはいけそうにない。
「それはこちらの台詞だ。俺らに罪はないんだよ。なのに、この仕打ちはなんだ?」
 歳に似合わぬほどの低い声で、吐き捨てながら睨む。
 どう攻めようかと考えている男達の奥から、一人の男が姿を見せる。
 身なりからして、この雑兵達を率いている者のようだった。
「生きておったか! 三流武家の二つが必死になって守ろうとした男児(だんじ)が! なんとしても仕留めるのだ!」
 その声に応えるように、雑兵らが地響きのような声を上げる。
 しかし、彼はそれに圧される様子はない。ただ鮮血の滴る刀を握り締めただけ。
 ――俺は地獄を歩く。だから、死んで極楽にはいけない。せめて、俺がどんな道を歩んで死ぬのか、空から見守っていてくれ。
 そんなことを、生かしてくれた者達に向けて、念じた。
 目を開き、ゾクッとするほどの鋭い視線を向けて、駆け出した。
 一人につき一太刀と決め、刀を振り下ろす。
 彼が駆け抜けた後には、四つの生首が宙を舞う。隙がどこにもない動きを目にした雑兵らは、見惚れてしまったので、まともに動けなくなる。彼はその大きな隙を逃がさずに次々に首を斬り落としていく。
 返り血を全身に浴びつつ、雑兵相手に一切の怪我をせず、ただ殺戮(さつりく)を繰り返した。

 それからしばらくして、骸の山が出来上がる。残るは偉そうにしていた男だけとなった。
「なんということだ……。ただの餓鬼にここまで圧されるなど!」
 認めぬ、と言わんばかりに刀を構える男。
「は」
 鼻で嗤った彼は、鮮血の滴る刀を手に突っ込む。
 幾度となく続く剣戟の音。
 僅かな隙をついた彼は、男の攻撃を掻い潜る。
 右腕を斬りつけると、男が後ずさる。
「ぐあああああっ!」
 嫌な痛みだったのだろう、苦しげに顔を歪める。
 彼は無情にもたたみかけ、男の刀を弾くと、心臓を刺し貫いた。
 派手に鮮血が飛び散る。
 刀越しでも分かる、生きようと足掻くような脈動を感じながら、刀の向きを変えて傷を抉る。
 動きが止まったのを確認してから、刀を引き抜く。
 骸がどさりと倒れ、惨劇と化した部屋を一瞥する。
 その際に、許嫁の骸を見つめしばし停止。その目は深い哀しみに満ちていた。

 * * *
 
 長い話にいったんの休憩でも入れようというのか、慚愧は酒を呑む。
 あえて、皆の表情を見ないようにしていた。
 面をつけたまま、その部屋を出た直後から話を再開。


次のエピソードへ進む 私怨が暴走


みんなのリアクション

 当日の夜。慚愧は面を傍らに置いて、早めに呑んでいた。
 何度か引き戸を叩く音を聞き、面をかぶってから声を出す。
「開いている」
 入ってきたのは鎖那、柳、叉辞の三人だった。
 慚愧は手で座るように指示を出すと、三人は端から順に板の間に腰を下ろした。
 しばらくして、鎬が顔を出す。
 きょとんとした鎬に座るように促す。
 全員が座ったところで、慚愧が口を開く。
「これで面子は揃った」
「今日はなんで集められたの?」
 鎖那が舞扇を片手にもっともな質問をする。
「大事な話があるからだ。さて、どこから話したもんか。……面倒だから最初から」
 慚愧が言うと皆が笑う。
「俺がまだ、この性格になっていなかったころ……」
 慚愧は遠い目をして語り始めた。
 * * *
 ある武家に仕える三流武士の家に生まれた彼。目と髪の色が変わっていたが、皆初めての男子に喜び、愛情をたっぷりに受けて育てられた。賢いだけでなく、武術の才も発揮させた彼に、この家は安泰だと誰もが口々に言っていた。
 まだ子どもだというのに、仲のいい武家の娘との、元服後の婚姻が約束されていた。その女子は、欠点など見当たらないくらい、とてもよい子で、彼との波長も合った。互いに好意を抱きながら、なんだかんだと仲よく平和な日々を送っていた。誰もが、彼と女子の幸せを願っていた。
 そんな日々を送って三年ほどが過ぎ、彼は八歳になった。ある日の夕方、稽古に|勤《いそ》しみ過ぎて時を忘れていた彼。
 誰かの怒号で我に返る。
 視線を家に向けると、誰かと戦っている父の背中が見えた。
「父上!」
「きてはならぬ ! そなたは生きるのだ !」
 その一言に困惑した彼が目にしたのは、数人の武士が繰り出した槍に身体を刺し貫かれて、父はその場に倒れた。
「え……」
 茫然と立ち竦む彼に駆け寄ったのは、母だった。
 彼の頬を叩いて現実に引き戻すと、彼に告げた。
「逃げなさい! できることなら、あの子と一緒に! ここは根絶やしにされる。すぐに走りなさい!」
 母が言いながら刀を持たせてくれた。
「お世話に……」
 礼だけでも伝えようとした彼だったが、そこでまたも見てしまう。
 背後の武士から心臓を刺し貫かれた母の最期の姿を。身体を張って守ってくれたのだ。
 彼は涙を堪えて、近くの武家へと向かった。しかしそこにも人がわんさかとおり、敵味方と入り乱れていた。
「どこっ!?」
 彼は声を張りながら、許嫁の姿を探す。
 次の瞬間、彼の耳に女の悲鳴が聞こえてくる。
 だっと駆け出し、屋敷の奥へ。
 そこには敵に囲まれながら自害した母親と実の母に縋りつこうとしている許嫁がいる。
「逃げてっ!」
 危機を察知し、全速力で駆けつけようとした彼だったが、間に合わなかった。
 許嫁は背後から腹を槍で刺し貫かれて、その場に倒れる。
 床に倒れる寸前で、ガシッと抱き止めた彼が、周囲の敵に向かって殺気をあらわにする。
 彼らはそれに怯え、その場から立ち去った。
「目を開けて!」
「ああ……。やっぱりあなただったのね……」
 弱々しい声で許嫁が言う。
「ごめん! くるのが遅くなって……!」
「……みんなは?」
 許嫁が尋ねる。
「僕の方は全員殺された。もしかしたらここも、危ないかも……」
 彼は自分の言葉にゾッとしたのか、青い顔をする。
「お互い全滅ねぇ……。でも、あなたが生きてさえいれば、私達はそれだけで、十分なの」
「なにを、言ってるの……?」
 彼はわけが分からないという顔をする。
「あなたは、私達の希望なのよ? 本当なら、ともに生きたいけれど……それはできないわ」
 許嫁が出血が凄まじい腹に手を添える。
「どうして!? なんで、すべてを奪われなくちゃいけないんだ!?」
 怒りと哀しみで、複雑な目をしている彼が叫んだ。
「本当に、そうね……。あなたと過ごせて、私はとっても幸せだったの……」
「それは、僕だって同じ!」
 力強く抱きしめながら彼が言葉を紡ぐ。
「ありがとう……。最期に、言葉をあげるわ……」
 許嫁が片手を上げて、彼の頬に触れる。
「言葉……?」
 戸惑いをあらわにする。
 優しく彼の頬に伝う涙を拭いながら、彼女は告げる。
「あなたとの日々は最高の宝物。精いっぱいの感謝を込めて……。ここで散るのを、赦してね? さようなら……」
 最後の言葉は唇の動きだけだった。
 それが終わると、許嫁は冷たくなり、二度と目を覚ますことはなかった。
「ああああああっ! なんで、なんで!? どうしてこうも、無力なんだよ……。〝俺〟だけが生き残っても、なんの意味もないじゃないか!」
 許嫁の骸をぎゅうっと抱きしめ、悔しそうに、哀しそうに叫ぶ。
 今宵見た両親と許嫁の最期が、脳裏に焼きついて離れてくれない。
 ――あんな言い方はないだろうが! もう無理なのに、傍にい続けたいと願ってしまうだろ!
 泣きながら彼は心の内で言葉を紡ぐ。
 彼女の最期の言葉は『私が愛し続けた、ただ一人の旦那様』だった。
 無言で泣きながら、どうにもならぬ事実から逃れられるわけもなく。
 大事な家族ひとつ守れぬ自分に対する激しい怒りと、なんの罪もない二つの家を根絶やしにするべく動いている武家に、激しい憎悪の念に駆られていた。
 抱きしめていた骸を床に置いた彼の横顔からは、なんの感情も浮かんでいなかった。そのものが剥がれ落ちたようにも見える。
 許嫁のひと房の髪を刀で斬り落とし、懐に入れていた紙でまとめた。
 立ち上がると、誰かの気配を感じた。
 振り返ると雑兵が二人、こちらの様子を窺っていた。
「どうした? 坊主?」
「……もう、終いにしよう」
 彼は片方の男の首を刀で刎ねた。
 初めて人を殺めたが、一切動じなかった。
 素早い一連の動きだったため、もう一人はただ見ていることしかできない。
「なにしてんだ!」
 もう一人が叫ぶと雑兵がわらわらと集まってきた。
 鮮血の滴る刀を構え、彼は非常に暗い目で、雑兵を一瞥する。
 ――愛し愛され、満ち足りた幸せな時と、平穏に過ごしていた自分とは、ここで……別れなければならない。幸せだったが故に、皆とともに俺がこの先を生きるために、感情を捨ててやる。人を殺めた以上、俺はきっと彼らと同じところにはいけそうにない。
「それはこちらの台詞だ。俺らに罪はないんだよ。なのに、この仕打ちはなんだ?」
 歳に似合わぬほどの低い声で、吐き捨てながら睨む。
 どう攻めようかと考えている男達の奥から、一人の男が姿を見せる。
 身なりからして、この雑兵達を率いている者のようだった。
「生きておったか! 三流武家の二つが必死になって守ろうとした|男児《だんじ》が! なんとしても仕留めるのだ!」
 その声に応えるように、雑兵らが地響きのような声を上げる。
 しかし、彼はそれに圧される様子はない。ただ鮮血の滴る刀を握り締めただけ。
 ――俺は地獄を歩く。だから、死んで極楽にはいけない。せめて、俺がどんな道を歩んで死ぬのか、空から見守っていてくれ。
 そんなことを、生かしてくれた者達に向けて、念じた。
 目を開き、ゾクッとするほどの鋭い視線を向けて、駆け出した。
 一人につき一太刀と決め、刀を振り下ろす。
 彼が駆け抜けた後には、四つの生首が宙を舞う。隙がどこにもない動きを目にした雑兵らは、見惚れてしまったので、まともに動けなくなる。彼はその大きな隙を逃がさずに次々に首を斬り落としていく。
 返り血を全身に浴びつつ、雑兵相手に一切の怪我をせず、ただ|殺戮《さつりく》を繰り返した。
 それからしばらくして、骸の山が出来上がる。残るは偉そうにしていた男だけとなった。
「なんということだ……。ただの餓鬼にここまで圧されるなど!」
 認めぬ、と言わんばかりに刀を構える男。
「は」
 鼻で嗤った彼は、鮮血の滴る刀を手に突っ込む。
 幾度となく続く剣戟の音。
 僅かな隙をついた彼は、男の攻撃を掻い潜る。
 右腕を斬りつけると、男が後ずさる。
「ぐあああああっ!」
 嫌な痛みだったのだろう、苦しげに顔を歪める。
 彼は無情にもたたみかけ、男の刀を弾くと、心臓を刺し貫いた。
 派手に鮮血が飛び散る。
 刀越しでも分かる、生きようと足掻くような脈動を感じながら、刀の向きを変えて傷を抉る。
 動きが止まったのを確認してから、刀を引き抜く。
 骸がどさりと倒れ、惨劇と化した部屋を一瞥する。
 その際に、許嫁の骸を見つめしばし停止。その目は深い哀しみに満ちていた。
 * * *
 長い話にいったんの休憩でも入れようというのか、慚愧は酒を呑む。
 あえて、皆の表情を見ないようにしていた。
 面をつけたまま、その部屋を出た直後から話を再開。