絡む縁
ー/ー女は沈黙したまま、懐から舞扇を取り出して広げる。女子の持ち物らしい華やかな舞扇。金の箔に紅の色も鮮やかな上弦下弦の月が踊る。口許を隠しながら、全力で考え込む。
――とんでもない場所に来ていたことになるのね……。でも、どうしてそのことを口にしたのかしら? 探りようがないけれど、取っ掛かりはあるかも。
女はそこまで考えて口を開く。
「あなたの声、どこかで聞いた覚えがあるのだけれど」
「奇遇だな。俺もだ」
くくっと男が嗤う。舞扇に気を取られつつ。
「そうなの? 一体どこで聞いたのかしらね」
「ああ。知らんよ。声だけはどうやっても、変えられねぇからな」
男は溜息を吐きながら苦笑する。
「そこ、溜息吐くところ?」
舞扇を閉じつつ、女が突っ込む。
「そりゃあ、そうだろう。にしても、変わり者だな」
男がしみじみと言う。
「女子相手に、変わり者? ずいぶんな言いようね」
ツンっとした女がぼそっと言う。
「事実だろうが」
男は心外なという顔をする。
「そろそろお暇するけれど、この件でなにか聞きたいことは?」
「とりあえず、話してはみる。それとしつこい男の名は知っているか?」
男は思い出したらしく、口にする。
「たしか、堕碁って聞いてるけれど?」
きょとんとした女が聞き返す。
「うん。名さえ分かれば、なんとでもなる」
男は不敵に嗤う。
その笑みを見た女が、視線を外す。
「いちいち怯えることはなかろうが。……少し時をもらう。三日後の昼ごろ、またこい」
女の表情を見ていた男が苦笑する。
「だって怖いんだもの、仕方ないじゃない。分かったけれど、あなたの名くらい、教えて?」
女は少し安堵しつつ、口にした。
「最初に名乗るべきだったな。俺は呀嵜慚愧だ」
「かざきざんぎ……。漢字が想像できないわ」
男から告げられた名を呟き、じっくりと見つめる。
目つきが非常に悪く、切れ長で吊り上がっている。目の色は暗緑色という変わった色。それを言うならば慚愧の髪も然り。髪の色は深川鼠で、物珍しく映ることの方が多い。黒髪が主流の時代のため、目立つだけではなく、あからさまに嫌な顔をする者も多い。しかし、目つきの悪さも相まってか、見る者全員を怯えさせている。
彫が深く、すっと通った鼻梁に薄い唇。まさに完璧と呼べるような顔立ちをしている。誰もが見惚れてしまうほどの美貌の持ち主だが、纏う雰囲気が均衡をすべて台無しにしている。
齢二十八で、殺伐とした人を委縮させるには充分すぎるほどの、威圧を醸し出している。
当の本人は一切気にしていないが。
慚愧は仕方ねぇ、と言わんばかりに溜息を吐き、どこからともなく墨と硯、筆、和紙を取り出した。
筆を走らせてから、和紙の向きを変える。
そこには達筆な字で、呀嵜慚愧と書かれていた。
「あたしはこう書くの」
その隣に鎖那と書いた。
「念のために聞くが、なんて読むんだ?」
「さな、よ」
鎖那はふふふと笑う。
「お前の名も、なかなか難しいな」
慚愧は苦笑して和紙を眺める。
「あなたには負けるわよ」
鎖那はにっこりと微笑む。
鎖那は華奢で、力が強いわけでもないし、足が速いわけでもない。どこにでもいる普通の町娘。齢二十八。
「それはそうかもしれないな」
慚愧は苦笑する。
「じゃあ、またくるわね」
一礼した鎖那を見送った慚愧は、一人になると溜息を零した。
――とんでもない場所に来ていたことになるのね……。でも、どうしてそのことを口にしたのかしら? 探りようがないけれど、取っ掛かりはあるかも。
女はそこまで考えて口を開く。
「あなたの声、どこかで聞いた覚えがあるのだけれど」
「奇遇だな。俺もだ」
くくっと男が嗤う。舞扇に気を取られつつ。
「そうなの? 一体どこで聞いたのかしらね」
「ああ。知らんよ。声だけはどうやっても、変えられねぇからな」
男は溜息を吐きながら苦笑する。
「そこ、溜息吐くところ?」
舞扇を閉じつつ、女が突っ込む。
「そりゃあ、そうだろう。にしても、変わり者だな」
男がしみじみと言う。
「女子相手に、変わり者? ずいぶんな言いようね」
ツンっとした女がぼそっと言う。
「事実だろうが」
男は心外なという顔をする。
「そろそろお暇するけれど、この件でなにか聞きたいことは?」
「とりあえず、話してはみる。それとしつこい男の名は知っているか?」
男は思い出したらしく、口にする。
「たしか、堕碁って聞いてるけれど?」
きょとんとした女が聞き返す。
「うん。名さえ分かれば、なんとでもなる」
男は不敵に嗤う。
その笑みを見た女が、視線を外す。
「いちいち怯えることはなかろうが。……少し時をもらう。三日後の昼ごろ、またこい」
女の表情を見ていた男が苦笑する。
「だって怖いんだもの、仕方ないじゃない。分かったけれど、あなたの名くらい、教えて?」
女は少し安堵しつつ、口にした。
「最初に名乗るべきだったな。俺は呀嵜慚愧だ」
「かざきざんぎ……。漢字が想像できないわ」
男から告げられた名を呟き、じっくりと見つめる。
目つきが非常に悪く、切れ長で吊り上がっている。目の色は暗緑色という変わった色。それを言うならば慚愧の髪も然り。髪の色は深川鼠で、物珍しく映ることの方が多い。黒髪が主流の時代のため、目立つだけではなく、あからさまに嫌な顔をする者も多い。しかし、目つきの悪さも相まってか、見る者全員を怯えさせている。
彫が深く、すっと通った鼻梁に薄い唇。まさに完璧と呼べるような顔立ちをしている。誰もが見惚れてしまうほどの美貌の持ち主だが、纏う雰囲気が均衡をすべて台無しにしている。
齢二十八で、殺伐とした人を委縮させるには充分すぎるほどの、威圧を醸し出している。
当の本人は一切気にしていないが。
慚愧は仕方ねぇ、と言わんばかりに溜息を吐き、どこからともなく墨と硯、筆、和紙を取り出した。
筆を走らせてから、和紙の向きを変える。
そこには達筆な字で、呀嵜慚愧と書かれていた。
「あたしはこう書くの」
その隣に鎖那と書いた。
「念のために聞くが、なんて読むんだ?」
「さな、よ」
鎖那はふふふと笑う。
「お前の名も、なかなか難しいな」
慚愧は苦笑して和紙を眺める。
「あなたには負けるわよ」
鎖那はにっこりと微笑む。
鎖那は華奢で、力が強いわけでもないし、足が速いわけでもない。どこにでもいる普通の町娘。齢二十八。
「それはそうかもしれないな」
慚愧は苦笑する。
「じゃあ、またくるわね」
一礼した鎖那を見送った慚愧は、一人になると溜息を零した。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
女は沈黙したまま、懐から舞扇を取り出して広げる。|女子《おなご》の持ち物らしい華やかな舞扇。金の箔に紅の色も鮮やかな上弦下弦の月が踊る。口許を隠しながら、全力で考え込む。
――とんでもない場所に来ていたことになるのね……。でも、どうしてそのことを口にしたのかしら? 探りようがないけれど、取っ掛かりはあるかも。
女はそこまで考えて口を開く。
「あなたの声、どこかで聞いた覚えがあるのだけれど」
「奇遇だな。俺もだ」
くくっと男が嗤う。舞扇に気を取られつつ。
「そうなの? 一体どこで聞いたのかしらね」
「ああ。知らんよ。声だけはどうやっても、変えられねぇからな」
男は溜息を吐きながら苦笑する。
「そこ、溜息吐くところ?」
舞扇を閉じつつ、女が突っ込む。
「そりゃあ、そうだろう。にしても、変わり者だな」
男がしみじみと言う。
「|女子《おなご》相手に、変わり者? ずいぶんな言いようね」
ツンっとした女がぼそっと言う。
「事実だろうが」
男は心外なという顔をする。
「そろそろお暇するけれど、この件でなにか聞きたいことは?」
「とりあえず、話してはみる。それとしつこい男の名は知っているか?」
男は思い出したらしく、口にする。
「たしか、|堕碁《だご》って聞いてるけれど?」
きょとんとした女が聞き返す。
「うん。名さえ分かれば、なんとでもなる」
男は不敵に嗤う。
その笑みを見た女が、視線を外す。
「いちいち怯えることはなかろうが。……少し時をもらう。三日後の昼ごろ、またこい」
女の表情を見ていた男が苦笑する。
「だって怖いんだもの、仕方ないじゃない。分かったけれど、あなたの名くらい、教えて?」
女は少し安堵しつつ、口にした。
「最初に名乗るべきだったな。俺は|呀嵜慚愧《がざきざんぎ》だ」
「かざきざんぎ……。漢字が想像できないわ」
男から告げられた名を呟き、じっくりと見つめる。
目つきが非常に悪く、切れ長で吊り上がっている。目の色は|暗緑色《あんりょくしょく》という変わった色。それを言うならば慚愧の髪も|然《しか》り。髪の色は|深川鼠《ふかがわねず》で、物珍しく映ることの方が多い。黒髪が主流の時代のため、目立つだけではなく、あからさまに嫌な顔をする者も多い。しかし、目つきの悪さも相まってか、見る者全員を怯えさせている。
彫が深く、すっと通った鼻梁に薄い唇。まさに完璧と呼べるような顔立ちをしている。誰もが見惚れてしまうほどの美貌の持ち主だが、纏う雰囲気が均衡をすべて台無しにしている。
齢二十八で、殺伐とした人を委縮させるには充分すぎるほどの、威圧を醸し出している。
当の本人は一切気にしていないが。
慚愧は仕方ねぇ、と言わんばかりに溜息を吐き、どこからともなく墨と硯、筆、和紙を取り出した。
筆を走らせてから、和紙の向きを変える。
そこには達筆な字で、呀嵜慚愧と書かれていた。
「あたしはこう書くの」
その隣に鎖那と書いた。
「念のために聞くが、なんて読むんだ?」
「さな、よ」
鎖那はふふふと笑う。
「お前の名も、なかなか難しいな」
慚愧は苦笑して和紙を眺める。
「あなたには負けるわよ」
鎖那はにっこりと微笑む。
鎖那は華奢で、力が強いわけでもないし、足が速いわけでもない。どこにでもいる普通の町娘。齢二十八。
「それはそうかもしれないな」
慚愧は苦笑する。
「じゃあ、またくるわね」
一礼した鎖那を見送った慚愧は、一人になると溜息を零した。
――とんでもない場所に来ていたことになるのね……。でも、どうしてそのことを口にしたのかしら? 探りようがないけれど、取っ掛かりはあるかも。
女はそこまで考えて口を開く。
「あなたの声、どこかで聞いた覚えがあるのだけれど」
「奇遇だな。俺もだ」
くくっと男が嗤う。舞扇に気を取られつつ。
「そうなの? 一体どこで聞いたのかしらね」
「ああ。知らんよ。声だけはどうやっても、変えられねぇからな」
男は溜息を吐きながら苦笑する。
「そこ、溜息吐くところ?」
舞扇を閉じつつ、女が突っ込む。
「そりゃあ、そうだろう。にしても、変わり者だな」
男がしみじみと言う。
「|女子《おなご》相手に、変わり者? ずいぶんな言いようね」
ツンっとした女がぼそっと言う。
「事実だろうが」
男は心外なという顔をする。
「そろそろお暇するけれど、この件でなにか聞きたいことは?」
「とりあえず、話してはみる。それとしつこい男の名は知っているか?」
男は思い出したらしく、口にする。
「たしか、|堕碁《だご》って聞いてるけれど?」
きょとんとした女が聞き返す。
「うん。名さえ分かれば、なんとでもなる」
男は不敵に嗤う。
その笑みを見た女が、視線を外す。
「いちいち怯えることはなかろうが。……少し時をもらう。三日後の昼ごろ、またこい」
女の表情を見ていた男が苦笑する。
「だって怖いんだもの、仕方ないじゃない。分かったけれど、あなたの名くらい、教えて?」
女は少し安堵しつつ、口にした。
「最初に名乗るべきだったな。俺は|呀嵜慚愧《がざきざんぎ》だ」
「かざきざんぎ……。漢字が想像できないわ」
男から告げられた名を呟き、じっくりと見つめる。
目つきが非常に悪く、切れ長で吊り上がっている。目の色は|暗緑色《あんりょくしょく》という変わった色。それを言うならば慚愧の髪も|然《しか》り。髪の色は|深川鼠《ふかがわねず》で、物珍しく映ることの方が多い。黒髪が主流の時代のため、目立つだけではなく、あからさまに嫌な顔をする者も多い。しかし、目つきの悪さも相まってか、見る者全員を怯えさせている。
彫が深く、すっと通った鼻梁に薄い唇。まさに完璧と呼べるような顔立ちをしている。誰もが見惚れてしまうほどの美貌の持ち主だが、纏う雰囲気が均衡をすべて台無しにしている。
齢二十八で、殺伐とした人を委縮させるには充分すぎるほどの、威圧を醸し出している。
当の本人は一切気にしていないが。
慚愧は仕方ねぇ、と言わんばかりに溜息を吐き、どこからともなく墨と硯、筆、和紙を取り出した。
筆を走らせてから、和紙の向きを変える。
そこには達筆な字で、呀嵜慚愧と書かれていた。
「あたしはこう書くの」
その隣に鎖那と書いた。
「念のために聞くが、なんて読むんだ?」
「さな、よ」
鎖那はふふふと笑う。
「お前の名も、なかなか難しいな」
慚愧は苦笑して和紙を眺める。
「あなたには負けるわよ」
鎖那はにっこりと微笑む。
鎖那は華奢で、力が強いわけでもないし、足が速いわけでもない。どこにでもいる普通の町娘。齢二十八。
「それはそうかもしれないな」
慚愧は苦笑する。
「じゃあ、またくるわね」
一礼した鎖那を見送った慚愧は、一人になると溜息を零した。