「あなたのものになれば、彼女の命は助けてくれるんですか?」
「ああ、約束しよう」ウワバミは言う。
「確かに、僕じゃあなたに勝ち目がなさそうだ。そうするのもいいのかもしれませんね」
「だめ、村山君」伊沢が声をあげる。
「貴様は黙っておれ!」ウワバミがそう怒鳴るのと同時に、蛇の頭が伊沢に向かって威嚇する。
その瞬間、村山は手を素早く合わせた。彼女と蛇のあいだに十枚もの結界が張られる。
「やっぱり嘘か」彼は言う。
「威嚇をしただけじゃろうが。それに、その程度の結界を何枚張ったとて、わしにとっては何もないのと同じことじゃ。それはお主も、さっきのことでよくわかっておろう」
「確かに、お前の強さはよくわかった。それでも僕はお前のものにはならない」
「なるほど、あくまでわしを拒絶するのか。よかろう、ならば殺してやろう。そして、死んだお主の目の前で、お主が大事にしているその女の魂を引きちぎったうえで、お主の魂もばらばらに引きちぎってくれようぞ」
蛇の頭が結界に向かって突進をした。結界に蛇の頭がぶつかる。そうなったとたん、蛇の頭が凍り付いた。
「蛇は変温動物で、寒さに弱い。蛇を魂に取り込んで強くなったつもりかもしれないが、お前は蛇の強みと同時に弱点も取り込んでいるんだ。
僕がお前を理解しようと努めたのは、諦める理由を探すためじゃない。勝つ方法を探すためだ」
「イーヒ ジン イバ アプナ ラクシトム イシュカ」そして彼女は手を合わせて天呪を唱える。
水の奔流がウワバミを取り囲む。蛇は暴れるが、水相手に暴れまわったところで無意味だ。まもなく、ウワバミの中心部は水の玉に取り囲まれて、蛇の頭だけが水の玉から突き出したような状態になった。
「凍れ」
水の玉が、氷の玉へと変化する。同時に蛇の頭までもが氷漬けになる。
「やった! ありがとうございます、伊沢さん!」彼はお礼を言う。
彼女は何も言わず、氷像と化したウバワミを見ている。
「伊沢さん?」
「来る。準備して!」
彼は前に向きなおる。
氷が蒸気をあげて溶けていた。やがて、氷が全て溶けて、その下から炎に包まれたウワバミが出てきた。
「ヘンオンだかなんだか知らんが、策士策に溺れた、といったところじゃのう! 何が蛇の弱点も取り込んだ、じゃ! 火を操るわしが、冷気などで倒れるわけがなかろう!」
八つの蛇の口から、一斉に火のブレスが放たれて、結界に直撃する。結界から発せられる冷気など、焼け石に水程度の効果しかなかった。火によってどんどんと結界が壊されていく。
「ど、どうしましょう、伊沢さん」
伊沢は答えない。彼女は策を考えるのは苦手だった。そういうのを考えるのは、村山のほうが得意なのだ。
それをわかったうえで、何もできないとしても、せめて自分はどんな時でも取り乱したりせず、堂々とすることを自分に課してきた。自分が不安そうにししていたら、村山も不安になって取り乱すということを理解していたからだ。
これまでもたびたび、自分一人ではだめだと思う時があった。それでも、村山がいたから乗り越えられた。
そこで、彼女はいつの間にかすっかり忘れていた、彼がしてくれていたものに気づく。
「唱え奉る光明真言は大日普門の万徳を二十三字に集めたり 己をむなしゅうして一心に唱え奉れば御仏の光明に照らされて 迷いの霧おのずから晴れ 浄心の玉明らかにして 真如の月まどかならん」
村山が力をもらい受ける前は、こうして彼がお経を唱えて、彼女のために天上の神様を呼び出していた。そうして神様の力を借りられるようにしてくれていたのだ。
彼女の意図を察した村山が、彼女に合わせてお経を唱え始めた。
「「オン アボキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマジンバラ ハラバリタヤ ウン・・・・・・」」
二人が光明真言を一回唱えるたびに、周囲がわずかに明るくなる。それは物理的な光ではない。天上から届く光明だった。
「ついに神に祈り始めたか! まったく愚かな者どもじゃ。神は人間を救ったりはせぬ!」
火の勢いがさらに強まる。ウワバミが本気で彼らを倒しに来たのだ。それに対して彼は、結界に水属性を付与して、対応する。そうしながらも、お経を唱えるのはやめない。
「「ナウマク サンマンダ バザラダン センダ マカロシャダヤ ソワタヤ ウンタラタ カンマン・・・・・・」」今度は二人で不動明王真言を唱える。
そして不動明王真言を七度唱えた時だった。上空から伊沢に向かって黄色い光が降りてきて、彼女を包み込んだ。
彼女は手を合わせると、金色の火の剣を作り出して、右手に持った。そしてそれを矢のように構える。そして、ウワバミに向かって放った。
蛇の頭が瞬時に動いて、金色の矢を飲み込もうと大口を開ける。蛇が矢を飲み込む。直後、矢は蛇の頭を貫いた。
頭を貫かれた蛇は力を失って倒れ、白い粒子となって消えていった。
「なぜじゃ! なぜ神はお前らだけ助けるんじゃ!」
彼女はわめくウワバミをよそに、金色の火の剣を矢の代わりにして、次々と蛇の頭を射る。射られた蛇の頭はことごとく倒れていった。
「この、薄汚いネズミどもめが! ネズミが蛇には勝てないということ、思い知らせてくれるわ!」
蛇の頭が大きな塊のようなものを吐き出す。それは村山たちのすぐ目の前に落ちた。
「なんだ?」
その塊が、むくりと起き上がった。それは、単衣を着た少女の姿をしていた。
「よくもわしを不快にさせてくれたな。思い知らせてくれるわ」
後ろのほうにあるウワバミの体が黒い炭のようなものと化して、ぼろぼろと崩れていった。ウワバミの本体は、少女の姿をしたもののほうへと切り替わったのだ。
「まずは女、貴様からじゃ!」
ウワバミは右腕の拳を放つ。その拳はいともたやすくすべての結界を叩き割った。
村山は左手にあらん限りの霊力を集中させて、結界を作り、ウワバミの拳を止めた。
強大な霊力と結界が衝突して、落雷にも似た音が周囲に響き渡った。ダンプが衝突してきたかのような衝撃が彼の左手を襲う。あまりに強力な一撃に、押し負けそうになる。
「お主の腕ごとこの女を葬り去ってくれるわ!」
このままだと、押し負けていたかもしれない。しかし問題はなかった。
ウワバミの手が凍り始める。ウワバミの腕に込められる霊力が封じられて、彼の手を押す力が一気に弱まる。
「なっ」
凍った腕など、ウワバミの力なら一瞬で溶かすことができたかもしれない。しかし、一瞬でも動きが止まったこと、それが勝敗を分けた。
ウワバミの体が揺れる。伊沢が火の剣でウワバミの腹を刺したのだ。それから彼女は剣でウワバミの体を切り払った。
ウワバミはうめき声をあげて、その場に崩れ落ちた。ウワバミの体が白い粒子となって消え始めた。
「なぜ」
村山はウワバミを見下ろす。
「なぜ、わしのものになろうとしなかった?」
彼は少し考えてから、言った。
「守るべき人がいたから」
すでに口元が消えてしまっていたため、ウワバミがどんな表情を浮かべていたかはわからなかった。だが悪鬼は最後にこう言った。
「なんじゃ、つまらん」
そしてウワバミは消滅した。