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ー/ー 神奈川にある秦野は、都会から少し離れた城下町のような町だった。昼は学生が多く、夜は仕事帰りの社会人や犬の散歩に出かける人々など様々な顔が窺えるが、中には一般人とはかけ離れた生活を送る人々もいた。
その存在はオカルト好きならば認知度が高く、通称は武身。妖怪や都市伝説、幽霊といった人ならざる者が起こす事件を解決する人生を送っている。日本で一番、秦野には武身の数が多かった。それには理由があり、武身として生きるためには必要な施設があるからだった。
「はい、お待ちどうさん。最新式の探知機だ」
駅前のバス停から十分ほどかかって着くのは「福来の都」と看板のある旅館。敷地を広く使った大きな旅館であり、多くの武身が気力を整えたり機材、武具を買ったりする場所だ。一般市民も客として招き入れており、名物となっているのは月明り饅頭と清酒風呂だ。
営んでいるのは館主の宮本 金嗣と二人の娘。白藤姉妹。白藤姉妹が仕事に出かけている時に備えて他にも数人雇われているが、今日にその姿は見えない。
夜の十九時を周り、月乃は道具屋をしばらく無人として金嗣の書斎へと向かった。
旅館の構造は他とあまり変わらないが、ところどころ普通とは異なるシステムがあった。例を言うならば、入口には身を清めるための厄除酒が置かれていて、入館時には必ず飲まなければならない。堕人の侵入を阻止するためだ。門扉にも侵入防止のために結界が張り巡らされていて、札が至るところに貼ってある。縄が結ばれていて、身長が高ければ少し腰を低くしなければ頭と縄が当たってしまうだろう。
入ってすぐに受付カウンターがあり、基本は汐里が一人で座っている。道具の調達をするためだけなら手続きは必要ない。
フロントの横に道具屋が並んでおり、基本的に汐里と月乃は二人揃って仕事をしている。常に談笑を誘う月乃と、常にそれをたしなめる汐里は恒例になっていた。
その奥にエレベーターと階段があり、月乃は木製の階段を三階まで登っていく。書斎の前で扉を叩くと、すぐに「入りなさい」と返事が来た。
以前同じように呼出をされた時は、任務で無関係の市民を巻き込んでしまい厳重注意を受けた。その前は勤務中にスマートフォンでゲームをしているのが知られ、それもまた厳重注意。その前は厨房にあるチャーシューを勝手に食べて厳重注意と盗難分の支払い。
それまでは身に覚えのある呼出だったが、今回はこれといった自覚はなかった。強いて言うのであれば、直近だと先週に行きつけのバーで酒に浸り記憶を無くしたくらいで、気付けば無人駅のホームにいた。
中に入ると、窓の外から月を眺める金嗣の姿があった。部屋は僅かな明かりしかなく、青い月明りが室内で飽和している。
「あたし、何かしたっけ」
茶化すように苦笑しながら月乃は先手を打った。
「例の男が組織について口を割ったと、報告があった」
金嗣はいつも若茶色の和服を着ていて、腕には大きな数珠を巻いている。髪はセミロングで整えられ、前髪は片目を隠している。
彼が後ろを向くと、真剣な眼差しであるというのが窺えた。月乃もまた、顔に緊迫感が宿る。
「どの程度まで話したんだ」
「分かった情報は組織の名前と、ボスの名前。それから人質解放の条件として出してきた小平竜司という人物についての三点だ」
今まで組織というものに関わってきた堕人達は決して話さなかった。
「疑問に感じているのは分かる。私も、罠である可能性は考慮している」
金嗣は机の上に置かれていたコンピュータモニターを見るように手招きをした。月乃は、モニターに映し出されたサイトを読み、腕を組んだ。
組織の名前は「弧竜会」であり、代表者は草薙鶴敏。
「弧竜会、聞き覚えのない組織だ」
「無理もない。このサイトは警察ですら到達できない独自のローカルサーバーを使って作られた代物だ。男は内容に真実性を持たせるため、我々にサイトの存在を教えた」
サイトを見れば、弧竜会の活動内容が大まかに分かる。
彼らは障碍者や神経症による社会的弱者を救済するため、国の作ったルールから外れ自分達の世界を作っている組織、いわば反社会的勢力だった。構成員に偽名を与え、違法薬物摂取や金銭取引によって得られた薬草によって弱者達を平均まで高め、人権を与えている。
問題なのは、平均まで高めた後の仕事内容だった。構成員は薬物の作用で恐怖や罪悪感といった道徳的観念を失い、社会的強者を狙った犯行を指示される。その目的は、政府に向けた日本の改革だった。
現代日本は弱者の救済措置こそあれど、それ以上に強者にとって優遇された世界だ。弱者が罪を犯したら罰せられ、強者――金を持つ者は罪に問われない時さえある。
「本当に組織が存在するのか確認したところ、草薙という男も存在し弧竜会が関わった事件についても警察と共同の調査で分かった。そこで、書斎にお前を呼んだ理由は二つある」
モニターの電源を落とし、金嗣は無表情のまま言葉を続けた。
「組織の調査と、瓦解。一ヶ月の期限を設ける。できるな」
「はあ、一ヶ月か。ちょいちょいおやっさん。短すぎないか」
弧竜会が結成したのは三十年も前の話だ。その三十年という月日を一ヶ月で壊せというのは無謀な眩暈を覚えさせた。
「時間がない。現に組織は力をつけている。堕人を使って。近い将来妖怪と手を組む未来さえ考えられる。この組織を野放しにしてはおけない」
「だとしても最低でも三ヶ月は必要だと思う。そんなに焦る話でもないんじゃないか」
「驕る平家は久しからず。かつて、平安時代の平家は驕っていた時に滅びていた。弧竜会の現状は、その平家と同じ時期だと考えている」
意味を吟味していた月乃は、ハッとして顔を上げた。
初めて男は弧竜会の名前を出し、会長の名前も挙げた。警察や武身が活動すると分かって、あえて男に言わせたとする罠。もしそうだとしたら、驕りだ。自分達の勝利を確信している。罠に多くの餌がかかれば殊更に好都合だろう。百々目鬼を使えば警察を内部から操れるし、力を持つ武身同士を争わせれば弧竜会と戦う暇さえない。
組織の存在を知ったのは金嗣だけではないだろう。全国の武身を纏める機関も手を打つに違いない。優秀な武身なら罠をかいくぐれるものの、プライドだけが取り柄な弱小武身は簡単に手駒にされるのは目に見えている。
月乃は初めて、今回の事件がいかに重大であるかを知った。流れていない冷や汗を感じた。
「これじゃあ、一ヶ月ですら長いじゃないか」
「理解が早くて助かる。さすが、自慢の娘だ」
弧竜会から驕りが無くなれば、掃滅には多くの時間と犠牲を払うだろう。
「けど、なぜこんな大事な話をあたしだけにしたんだ。汐里も呼べばよかったのに」
「汐里は一週間前の名残りがまだ残ってる。無理はさせられない」
「あたし一人でやるのかよ」
思ってもなく、月乃は大きな声が出てしまう。少しした後「悪い」と謝り彼に会話の主導権を渡した。
「一人でやれと言ってるのではない。今まで通り二人で任務にとりかかってもらう。ただし、汐里の様子を逐一私に報告してほしい」
汐里観察日記を書けという単純な話らしく、月乃は承知の意図を伝えるもふと疑問の表情を浮かべる。
今まで何度も傷を負ってきたし、堕人の能力に晒されて苦痛を強いられる機会はいくらでもあった。だというのに、今回だけ特別な処置が施されている違和感。月乃はそれを尋ねようと口を開きかけたが、その前に金嗣が背を向けてこう言った。
「今回の相手は個人じゃない。組織だ。軽率な行動が成功を遠ざける。チームでやっているという意識をこれまで以上に強め、自分の得意分野だけに集中しろ。分かったか」
「あたしの得意分野は軽率に、そして鮮やかに敵を狩る。慎重にいくのは得意じゃない」
「そうか、なら別の者に任務を依頼しよう」
ちょっと待ってよ、と月乃が言うと金嗣も顔を綻ばせた。
話が終わり、書斎を後にする月乃。階段を降りると、ちょうど上ってくる汐里とすれ違った。
「大丈夫でしたか、月乃」
汐里は月乃が怒られていると予想したようだ。
「問題ないよ。多分、汐里がこれからされる話とほぼ同じ話をされただけさ。それより汐里こそ大丈夫か、身体。心臓がヤバいって聞いたけど」
「問題ありません。やはり、らぁめんが身体を良くしてくれたのでしょう。見立て通りです」
汐里が十歳から崇拝しているもの、それがラーメン。カップラーメンも家系ラーメンも毎日食べるほどで、横浜にあるラーメン店は全て食べつくしたといっても信じられるくらいのラーメン豪だった。身体に悪影響を及ぼしそうではあるが、体調を崩したという話も体重が増えたという話も聞かない。
入院中は好きなラーメンが食べられず顔も窶れていたが、今では以前のような笑顔も見せるようになっていた。
「その調子だと本当に大丈夫なんだな。精神汚染は大丈夫か」
「おそらく大丈夫かと。それより、下で月乃のお友達が待っていますよ。行ってあげてください」
幼馴染に違いない。月乃は浮ついた表情をして階段を一段飛ばして駆け下りていった。汐里は微笑を浮かべながら彼女の背中を見守り、書斎へと向かっていった。
その存在はオカルト好きならば認知度が高く、通称は武身。妖怪や都市伝説、幽霊といった人ならざる者が起こす事件を解決する人生を送っている。日本で一番、秦野には武身の数が多かった。それには理由があり、武身として生きるためには必要な施設があるからだった。
「はい、お待ちどうさん。最新式の探知機だ」
駅前のバス停から十分ほどかかって着くのは「福来の都」と看板のある旅館。敷地を広く使った大きな旅館であり、多くの武身が気力を整えたり機材、武具を買ったりする場所だ。一般市民も客として招き入れており、名物となっているのは月明り饅頭と清酒風呂だ。
営んでいるのは館主の宮本 金嗣と二人の娘。白藤姉妹。白藤姉妹が仕事に出かけている時に備えて他にも数人雇われているが、今日にその姿は見えない。
夜の十九時を周り、月乃は道具屋をしばらく無人として金嗣の書斎へと向かった。
旅館の構造は他とあまり変わらないが、ところどころ普通とは異なるシステムがあった。例を言うならば、入口には身を清めるための厄除酒が置かれていて、入館時には必ず飲まなければならない。堕人の侵入を阻止するためだ。門扉にも侵入防止のために結界が張り巡らされていて、札が至るところに貼ってある。縄が結ばれていて、身長が高ければ少し腰を低くしなければ頭と縄が当たってしまうだろう。
入ってすぐに受付カウンターがあり、基本は汐里が一人で座っている。道具の調達をするためだけなら手続きは必要ない。
フロントの横に道具屋が並んでおり、基本的に汐里と月乃は二人揃って仕事をしている。常に談笑を誘う月乃と、常にそれをたしなめる汐里は恒例になっていた。
その奥にエレベーターと階段があり、月乃は木製の階段を三階まで登っていく。書斎の前で扉を叩くと、すぐに「入りなさい」と返事が来た。
以前同じように呼出をされた時は、任務で無関係の市民を巻き込んでしまい厳重注意を受けた。その前は勤務中にスマートフォンでゲームをしているのが知られ、それもまた厳重注意。その前は厨房にあるチャーシューを勝手に食べて厳重注意と盗難分の支払い。
それまでは身に覚えのある呼出だったが、今回はこれといった自覚はなかった。強いて言うのであれば、直近だと先週に行きつけのバーで酒に浸り記憶を無くしたくらいで、気付けば無人駅のホームにいた。
中に入ると、窓の外から月を眺める金嗣の姿があった。部屋は僅かな明かりしかなく、青い月明りが室内で飽和している。
「あたし、何かしたっけ」
茶化すように苦笑しながら月乃は先手を打った。
「例の男が組織について口を割ったと、報告があった」
金嗣はいつも若茶色の和服を着ていて、腕には大きな数珠を巻いている。髪はセミロングで整えられ、前髪は片目を隠している。
彼が後ろを向くと、真剣な眼差しであるというのが窺えた。月乃もまた、顔に緊迫感が宿る。
「どの程度まで話したんだ」
「分かった情報は組織の名前と、ボスの名前。それから人質解放の条件として出してきた小平竜司という人物についての三点だ」
今まで組織というものに関わってきた堕人達は決して話さなかった。
「疑問に感じているのは分かる。私も、罠である可能性は考慮している」
金嗣は机の上に置かれていたコンピュータモニターを見るように手招きをした。月乃は、モニターに映し出されたサイトを読み、腕を組んだ。
組織の名前は「弧竜会」であり、代表者は草薙鶴敏。
「弧竜会、聞き覚えのない組織だ」
「無理もない。このサイトは警察ですら到達できない独自のローカルサーバーを使って作られた代物だ。男は内容に真実性を持たせるため、我々にサイトの存在を教えた」
サイトを見れば、弧竜会の活動内容が大まかに分かる。
彼らは障碍者や神経症による社会的弱者を救済するため、国の作ったルールから外れ自分達の世界を作っている組織、いわば反社会的勢力だった。構成員に偽名を与え、違法薬物摂取や金銭取引によって得られた薬草によって弱者達を平均まで高め、人権を与えている。
問題なのは、平均まで高めた後の仕事内容だった。構成員は薬物の作用で恐怖や罪悪感といった道徳的観念を失い、社会的強者を狙った犯行を指示される。その目的は、政府に向けた日本の改革だった。
現代日本は弱者の救済措置こそあれど、それ以上に強者にとって優遇された世界だ。弱者が罪を犯したら罰せられ、強者――金を持つ者は罪に問われない時さえある。
「本当に組織が存在するのか確認したところ、草薙という男も存在し弧竜会が関わった事件についても警察と共同の調査で分かった。そこで、書斎にお前を呼んだ理由は二つある」
モニターの電源を落とし、金嗣は無表情のまま言葉を続けた。
「組織の調査と、瓦解。一ヶ月の期限を設ける。できるな」
「はあ、一ヶ月か。ちょいちょいおやっさん。短すぎないか」
弧竜会が結成したのは三十年も前の話だ。その三十年という月日を一ヶ月で壊せというのは無謀な眩暈を覚えさせた。
「時間がない。現に組織は力をつけている。堕人を使って。近い将来妖怪と手を組む未来さえ考えられる。この組織を野放しにしてはおけない」
「だとしても最低でも三ヶ月は必要だと思う。そんなに焦る話でもないんじゃないか」
「驕る平家は久しからず。かつて、平安時代の平家は驕っていた時に滅びていた。弧竜会の現状は、その平家と同じ時期だと考えている」
意味を吟味していた月乃は、ハッとして顔を上げた。
初めて男は弧竜会の名前を出し、会長の名前も挙げた。警察や武身が活動すると分かって、あえて男に言わせたとする罠。もしそうだとしたら、驕りだ。自分達の勝利を確信している。罠に多くの餌がかかれば殊更に好都合だろう。百々目鬼を使えば警察を内部から操れるし、力を持つ武身同士を争わせれば弧竜会と戦う暇さえない。
組織の存在を知ったのは金嗣だけではないだろう。全国の武身を纏める機関も手を打つに違いない。優秀な武身なら罠をかいくぐれるものの、プライドだけが取り柄な弱小武身は簡単に手駒にされるのは目に見えている。
月乃は初めて、今回の事件がいかに重大であるかを知った。流れていない冷や汗を感じた。
「これじゃあ、一ヶ月ですら長いじゃないか」
「理解が早くて助かる。さすが、自慢の娘だ」
弧竜会から驕りが無くなれば、掃滅には多くの時間と犠牲を払うだろう。
「けど、なぜこんな大事な話をあたしだけにしたんだ。汐里も呼べばよかったのに」
「汐里は一週間前の名残りがまだ残ってる。無理はさせられない」
「あたし一人でやるのかよ」
思ってもなく、月乃は大きな声が出てしまう。少しした後「悪い」と謝り彼に会話の主導権を渡した。
「一人でやれと言ってるのではない。今まで通り二人で任務にとりかかってもらう。ただし、汐里の様子を逐一私に報告してほしい」
汐里観察日記を書けという単純な話らしく、月乃は承知の意図を伝えるもふと疑問の表情を浮かべる。
今まで何度も傷を負ってきたし、堕人の能力に晒されて苦痛を強いられる機会はいくらでもあった。だというのに、今回だけ特別な処置が施されている違和感。月乃はそれを尋ねようと口を開きかけたが、その前に金嗣が背を向けてこう言った。
「今回の相手は個人じゃない。組織だ。軽率な行動が成功を遠ざける。チームでやっているという意識をこれまで以上に強め、自分の得意分野だけに集中しろ。分かったか」
「あたしの得意分野は軽率に、そして鮮やかに敵を狩る。慎重にいくのは得意じゃない」
「そうか、なら別の者に任務を依頼しよう」
ちょっと待ってよ、と月乃が言うと金嗣も顔を綻ばせた。
話が終わり、書斎を後にする月乃。階段を降りると、ちょうど上ってくる汐里とすれ違った。
「大丈夫でしたか、月乃」
汐里は月乃が怒られていると予想したようだ。
「問題ないよ。多分、汐里がこれからされる話とほぼ同じ話をされただけさ。それより汐里こそ大丈夫か、身体。心臓がヤバいって聞いたけど」
「問題ありません。やはり、らぁめんが身体を良くしてくれたのでしょう。見立て通りです」
汐里が十歳から崇拝しているもの、それがラーメン。カップラーメンも家系ラーメンも毎日食べるほどで、横浜にあるラーメン店は全て食べつくしたといっても信じられるくらいのラーメン豪だった。身体に悪影響を及ぼしそうではあるが、体調を崩したという話も体重が増えたという話も聞かない。
入院中は好きなラーメンが食べられず顔も窶れていたが、今では以前のような笑顔も見せるようになっていた。
「その調子だと本当に大丈夫なんだな。精神汚染は大丈夫か」
「おそらく大丈夫かと。それより、下で月乃のお友達が待っていますよ。行ってあげてください」
幼馴染に違いない。月乃は浮ついた表情をして階段を一段飛ばして駆け下りていった。汐里は微笑を浮かべながら彼女の背中を見守り、書斎へと向かっていった。
みんなのリアクション
まだリアクションはありません。最初の一歩を踏み出しましょう!
神奈川にある秦野《はだの》は、都会から少し離れた城下町のような町だった。昼は学生が多く、夜は仕事帰りの社会人や犬の散歩に出かける人々など様々な顔が窺えるが、中には一般人とはかけ離れた生活を送る人々もいた。
その存在はオカルト好きならば認知度が高く、通称は武身。妖怪や都市伝説、幽霊といった人ならざる者が起こす事件を解決する人生を送っている。日本で一番、秦野には武身の数が多かった。それには理由があり、武身として生きるためには必要な施設があるからだった。
「はい、お待ちどうさん。最新式の探知機だ」
駅前のバス停から十分ほどかかって着くのは「福来《ふくらい》の都」と看板のある旅館。敷地を広く使った大きな旅館であり、多くの武身が気力を整えたり機材、武具を買ったりする場所だ。一般市民も客として招き入れており、名物となっているのは月明り饅頭と清酒風呂だ。
営んでいるのは館主の宮本《みやもと》 金嗣《かねつぐ》と二人の娘。白藤姉妹。白藤姉妹が仕事に出かけている時に備えて他にも数人雇われているが、今日にその姿は見えない。
夜の十九時を周り、月乃は道具屋をしばらく無人として金嗣の書斎へと向かった。
旅館の構造は他とあまり変わらないが、ところどころ普通とは異なるシステムがあった。例を言うならば、入口には身を清めるための厄除酒が置かれていて、入館時には必ず飲まなければならない。堕人の侵入を阻止するためだ。門扉にも侵入防止のために結界が張り巡らされていて、札が至るところに貼ってある。縄が結ばれていて、身長が高ければ少し腰を低くしなければ頭と縄が当たってしまうだろう。
入ってすぐに受付カウンターがあり、基本は汐里が一人で座っている。道具の調達をするためだけなら手続きは必要ない。
フロントの横に道具屋が並んでおり、基本的に汐里と月乃は二人揃って仕事をしている。常に談笑を誘う月乃と、常にそれをたしなめる汐里は恒例になっていた。
その奥にエレベーターと階段があり、月乃は木製の階段を三階まで登っていく。書斎の前で扉を叩くと、すぐに「入りなさい」と返事が来た。
以前同じように呼出をされた時は、任務で無関係の市民を巻き込んでしまい厳重注意を受けた。その前は勤務中にスマートフォンでゲームをしているのが知られ、それもまた厳重注意。その前は厨房にあるチャーシューを勝手に食べて厳重注意と盗難分の支払い。
それまでは身に覚えのある呼出だったが、今回はこれといった自覚はなかった。強いて言うのであれば、直近だと先週に行きつけのバーで酒に浸り記憶を無くしたくらいで、気付けば無人駅のホームにいた。
中に入ると、窓の外から月を眺める金嗣の姿があった。部屋は僅かな明かりしかなく、青い月明りが室内で飽和《ほうわ》している。
「あたし、何かしたっけ」
茶化すように苦笑しながら月乃は先手を打った。
「例の男が組織について口を割ったと、報告があった」
金嗣はいつも若茶色の和服を着ていて、腕には大きな数珠を巻いている。髪はセミロングで整えられ、前髪は片目を隠している。
彼が後ろを向くと、真剣な眼差しであるというのが窺えた。月乃もまた、顔に緊迫感が宿る。
「どの程度まで話したんだ」
「分かった情報は組織の名前と、ボスの名前。それから人質解放の条件として出してきた小平竜司という人物についての三点だ」
今まで組織というものに関わってきた堕人達は決して話さなかった。
「疑問に感じているのは分かる。私も、罠である可能性は考慮している」
金嗣は机の上に置かれていたコンピュータモニターを見るように手招きをした。月乃は、モニターに映し出されたサイトを読み、腕を組んだ。
組織の名前は「弧竜会《こりゅうかい》」であり、代表者は草薙《くさなぎ》鶴敏《つるとし》。
「弧竜会、聞き覚えのない組織だ」
「無理もない。このサイトは警察ですら到達できない独自のローカルサーバーを使って作られた代物だ。男は内容に真実性を持たせるため、我々にサイトの存在を教えた」
サイトを見れば、弧竜会の活動内容が大まかに分かる。
彼らは障碍者や神経症による社会的弱者を救済するため、国の作ったルールから外れ自分達の世界を作っている組織、いわば反社会的勢力だった。構成員に偽名を与え、違法薬物摂取や金銭取引によって得られた薬草によって弱者達を平均まで高め、人権を与えている。
問題なのは、平均まで高めた後の仕事内容だった。構成員は薬物の作用で恐怖や罪悪感といった道徳的観念を失い、社会的強者を狙った犯行を指示される。その目的は、政府に向けた日本の改革だった。
現代日本は弱者の救済措置こそあれど、それ以上に強者にとって優遇された世界だ。弱者が罪を犯したら罰せられ、強者――金を持つ者は罪に問われない時さえある。
「本当に組織が存在するのか確認したところ、草薙という男も存在し弧竜会が関わった事件についても警察と共同の調査で分かった。そこで、書斎にお前を呼んだ理由は二つある」
モニターの電源を落とし、金嗣は無表情のまま言葉を続けた。
「組織の調査と、瓦解《がかい》。一ヶ月の期限を設ける。できるな」
「はあ、一ヶ月か。ちょいちょいおやっさん。短すぎないか」
弧竜会が結成したのは三十年も前の話だ。その三十年という月日を一ヶ月で壊せというのは無謀な眩暈《めまい》を覚えさせた。
「時間がない。現に組織は力をつけている。堕人を使って。近い将来妖怪と手を組む未来さえ考えられる。この組織を野放しにしてはおけない」
「だとしても最低でも三ヶ月は必要だと思う。そんなに焦る話でもないんじゃないか」
「驕《おご》る平家は久しからず。かつて、平安時代の平家は驕っていた時に滅びていた。弧竜会の現状は、その平家と同じ時期だと考えている」
意味を吟味していた月乃は、ハッとして顔を上げた。
初めて男は弧竜会の名前を出し、会長の名前も挙げた。警察や武身が活動すると分かって、あえて男に言わせたとする罠。もしそうだとしたら、驕りだ。自分達の勝利を確信している。罠に多くの餌がかかれば殊更《ことさら》に好都合だろう。百々目鬼を使えば警察を内部から操れるし、力を持つ武身同士を争わせれば弧竜会と戦う暇さえない。
組織の存在を知ったのは金嗣だけではないだろう。全国の武身を纏《まと》める機関も手を打つに違いない。優秀な武身なら罠をかいくぐれるものの、プライドだけが取り柄な弱小武身は簡単に手駒《てごま》にされるのは目に見えている。
月乃は初めて、今回の事件がいかに重大であるかを知った。流れていない冷や汗を感じた。
「これじゃあ、一ヶ月ですら長いじゃないか」
「理解が早くて助かる。さすが、自慢の娘だ」
弧竜会から驕りが無くなれば、掃滅には多くの時間と犠牲を払うだろう。
「けど、なぜこんな大事な話をあたしだけにしたんだ。汐里も呼べばよかったのに」
「汐里は一週間前の名残りがまだ残ってる。無理はさせられない」
「あたし一人でやるのかよ」
思ってもなく、月乃は大きな声が出てしまう。少しした後「悪い」と謝り彼に会話の主導権を渡した。
「一人でやれと言ってるのではない。今まで通り二人で任務にとりかかってもらう。ただし、汐里の様子を逐一私に報告してほしい」
汐里観察日記を書けという単純な話らしく、月乃は承知の意図を伝えるもふと疑問の表情を浮かべる。
今まで何度も傷を負ってきたし、堕人の能力に晒されて苦痛を強いられる機会はいくらでもあった。だというのに、今回だけ特別な処置が施されている違和感。月乃はそれを尋ねようと口を開きかけたが、その前に金嗣が背を向けてこう言った。
「今回の相手は個人じゃない。組織だ。軽率な行動が成功を遠ざける。チームでやっているという意識をこれまで以上に強め、自分の得意分野だけに集中しろ。分かったか」
「あたしの得意分野は軽率に、そして鮮やかに敵を狩る。慎重にいくのは得意じゃない」
「そうか、なら別の者に任務を依頼しよう」
ちょっと待ってよ、と月乃が言うと金嗣も顔を綻ばせた。
話が終わり、書斎を後にする月乃。階段を降りると、ちょうど上ってくる汐里とすれ違った。
「大丈夫でしたか、月乃」
汐里は月乃が怒られていると予想したようだ。
「問題ないよ。多分、汐里がこれからされる話とほぼ同じ話をされただけさ。それより汐里こそ大丈夫か、身体。心臓がヤバいって聞いたけど」
「問題ありません。やはり、らぁめんが身体を良くしてくれたのでしょう。見立て通りです」
汐里が十歳から崇拝《すうはい》しているもの、それがラーメン。カップラーメンも家系ラーメンも毎日食べるほどで、横浜にあるラーメン店は全て食べつくしたといっても信じられるくらいのラーメン豪だった。身体に悪影響を及ぼしそうではあるが、体調を崩したという話も体重が増えたという話も聞かない。
入院中は好きなラーメンが食べられず顔も窶《やつ》れていたが、今では以前のような笑顔も見せるようになっていた。
「その調子だと本当に大丈夫なんだな。精神汚染は大丈夫か」
「おそらく大丈夫かと。それより、下で月乃のお友達が待っていますよ。行ってあげてください」
幼馴染に違いない。月乃は浮ついた表情をして階段を一段飛ばして駆け下りていった。汐里は微笑を浮かべながら彼女の背中を見守り、書斎へと向かっていった。
その存在はオカルト好きならば認知度が高く、通称は武身。妖怪や都市伝説、幽霊といった人ならざる者が起こす事件を解決する人生を送っている。日本で一番、秦野には武身の数が多かった。それには理由があり、武身として生きるためには必要な施設があるからだった。
「はい、お待ちどうさん。最新式の探知機だ」
駅前のバス停から十分ほどかかって着くのは「福来《ふくらい》の都」と看板のある旅館。敷地を広く使った大きな旅館であり、多くの武身が気力を整えたり機材、武具を買ったりする場所だ。一般市民も客として招き入れており、名物となっているのは月明り饅頭と清酒風呂だ。
営んでいるのは館主の宮本《みやもと》 金嗣《かねつぐ》と二人の娘。白藤姉妹。白藤姉妹が仕事に出かけている時に備えて他にも数人雇われているが、今日にその姿は見えない。
夜の十九時を周り、月乃は道具屋をしばらく無人として金嗣の書斎へと向かった。
旅館の構造は他とあまり変わらないが、ところどころ普通とは異なるシステムがあった。例を言うならば、入口には身を清めるための厄除酒が置かれていて、入館時には必ず飲まなければならない。堕人の侵入を阻止するためだ。門扉にも侵入防止のために結界が張り巡らされていて、札が至るところに貼ってある。縄が結ばれていて、身長が高ければ少し腰を低くしなければ頭と縄が当たってしまうだろう。
入ってすぐに受付カウンターがあり、基本は汐里が一人で座っている。道具の調達をするためだけなら手続きは必要ない。
フロントの横に道具屋が並んでおり、基本的に汐里と月乃は二人揃って仕事をしている。常に談笑を誘う月乃と、常にそれをたしなめる汐里は恒例になっていた。
その奥にエレベーターと階段があり、月乃は木製の階段を三階まで登っていく。書斎の前で扉を叩くと、すぐに「入りなさい」と返事が来た。
以前同じように呼出をされた時は、任務で無関係の市民を巻き込んでしまい厳重注意を受けた。その前は勤務中にスマートフォンでゲームをしているのが知られ、それもまた厳重注意。その前は厨房にあるチャーシューを勝手に食べて厳重注意と盗難分の支払い。
それまでは身に覚えのある呼出だったが、今回はこれといった自覚はなかった。強いて言うのであれば、直近だと先週に行きつけのバーで酒に浸り記憶を無くしたくらいで、気付けば無人駅のホームにいた。
中に入ると、窓の外から月を眺める金嗣の姿があった。部屋は僅かな明かりしかなく、青い月明りが室内で飽和《ほうわ》している。
「あたし、何かしたっけ」
茶化すように苦笑しながら月乃は先手を打った。
「例の男が組織について口を割ったと、報告があった」
金嗣はいつも若茶色の和服を着ていて、腕には大きな数珠を巻いている。髪はセミロングで整えられ、前髪は片目を隠している。
彼が後ろを向くと、真剣な眼差しであるというのが窺えた。月乃もまた、顔に緊迫感が宿る。
「どの程度まで話したんだ」
「分かった情報は組織の名前と、ボスの名前。それから人質解放の条件として出してきた小平竜司という人物についての三点だ」
今まで組織というものに関わってきた堕人達は決して話さなかった。
「疑問に感じているのは分かる。私も、罠である可能性は考慮している」
金嗣は机の上に置かれていたコンピュータモニターを見るように手招きをした。月乃は、モニターに映し出されたサイトを読み、腕を組んだ。
組織の名前は「弧竜会《こりゅうかい》」であり、代表者は草薙《くさなぎ》鶴敏《つるとし》。
「弧竜会、聞き覚えのない組織だ」
「無理もない。このサイトは警察ですら到達できない独自のローカルサーバーを使って作られた代物だ。男は内容に真実性を持たせるため、我々にサイトの存在を教えた」
サイトを見れば、弧竜会の活動内容が大まかに分かる。
彼らは障碍者や神経症による社会的弱者を救済するため、国の作ったルールから外れ自分達の世界を作っている組織、いわば反社会的勢力だった。構成員に偽名を与え、違法薬物摂取や金銭取引によって得られた薬草によって弱者達を平均まで高め、人権を与えている。
問題なのは、平均まで高めた後の仕事内容だった。構成員は薬物の作用で恐怖や罪悪感といった道徳的観念を失い、社会的強者を狙った犯行を指示される。その目的は、政府に向けた日本の改革だった。
現代日本は弱者の救済措置こそあれど、それ以上に強者にとって優遇された世界だ。弱者が罪を犯したら罰せられ、強者――金を持つ者は罪に問われない時さえある。
「本当に組織が存在するのか確認したところ、草薙という男も存在し弧竜会が関わった事件についても警察と共同の調査で分かった。そこで、書斎にお前を呼んだ理由は二つある」
モニターの電源を落とし、金嗣は無表情のまま言葉を続けた。
「組織の調査と、瓦解《がかい》。一ヶ月の期限を設ける。できるな」
「はあ、一ヶ月か。ちょいちょいおやっさん。短すぎないか」
弧竜会が結成したのは三十年も前の話だ。その三十年という月日を一ヶ月で壊せというのは無謀な眩暈《めまい》を覚えさせた。
「時間がない。現に組織は力をつけている。堕人を使って。近い将来妖怪と手を組む未来さえ考えられる。この組織を野放しにしてはおけない」
「だとしても最低でも三ヶ月は必要だと思う。そんなに焦る話でもないんじゃないか」
「驕《おご》る平家は久しからず。かつて、平安時代の平家は驕っていた時に滅びていた。弧竜会の現状は、その平家と同じ時期だと考えている」
意味を吟味していた月乃は、ハッとして顔を上げた。
初めて男は弧竜会の名前を出し、会長の名前も挙げた。警察や武身が活動すると分かって、あえて男に言わせたとする罠。もしそうだとしたら、驕りだ。自分達の勝利を確信している。罠に多くの餌がかかれば殊更《ことさら》に好都合だろう。百々目鬼を使えば警察を内部から操れるし、力を持つ武身同士を争わせれば弧竜会と戦う暇さえない。
組織の存在を知ったのは金嗣だけではないだろう。全国の武身を纏《まと》める機関も手を打つに違いない。優秀な武身なら罠をかいくぐれるものの、プライドだけが取り柄な弱小武身は簡単に手駒《てごま》にされるのは目に見えている。
月乃は初めて、今回の事件がいかに重大であるかを知った。流れていない冷や汗を感じた。
「これじゃあ、一ヶ月ですら長いじゃないか」
「理解が早くて助かる。さすが、自慢の娘だ」
弧竜会から驕りが無くなれば、掃滅には多くの時間と犠牲を払うだろう。
「けど、なぜこんな大事な話をあたしだけにしたんだ。汐里も呼べばよかったのに」
「汐里は一週間前の名残りがまだ残ってる。無理はさせられない」
「あたし一人でやるのかよ」
思ってもなく、月乃は大きな声が出てしまう。少しした後「悪い」と謝り彼に会話の主導権を渡した。
「一人でやれと言ってるのではない。今まで通り二人で任務にとりかかってもらう。ただし、汐里の様子を逐一私に報告してほしい」
汐里観察日記を書けという単純な話らしく、月乃は承知の意図を伝えるもふと疑問の表情を浮かべる。
今まで何度も傷を負ってきたし、堕人の能力に晒されて苦痛を強いられる機会はいくらでもあった。だというのに、今回だけ特別な処置が施されている違和感。月乃はそれを尋ねようと口を開きかけたが、その前に金嗣が背を向けてこう言った。
「今回の相手は個人じゃない。組織だ。軽率な行動が成功を遠ざける。チームでやっているという意識をこれまで以上に強め、自分の得意分野だけに集中しろ。分かったか」
「あたしの得意分野は軽率に、そして鮮やかに敵を狩る。慎重にいくのは得意じゃない」
「そうか、なら別の者に任務を依頼しよう」
ちょっと待ってよ、と月乃が言うと金嗣も顔を綻ばせた。
話が終わり、書斎を後にする月乃。階段を降りると、ちょうど上ってくる汐里とすれ違った。
「大丈夫でしたか、月乃」
汐里は月乃が怒られていると予想したようだ。
「問題ないよ。多分、汐里がこれからされる話とほぼ同じ話をされただけさ。それより汐里こそ大丈夫か、身体。心臓がヤバいって聞いたけど」
「問題ありません。やはり、らぁめんが身体を良くしてくれたのでしょう。見立て通りです」
汐里が十歳から崇拝《すうはい》しているもの、それがラーメン。カップラーメンも家系ラーメンも毎日食べるほどで、横浜にあるラーメン店は全て食べつくしたといっても信じられるくらいのラーメン豪だった。身体に悪影響を及ぼしそうではあるが、体調を崩したという話も体重が増えたという話も聞かない。
入院中は好きなラーメンが食べられず顔も窶《やつ》れていたが、今では以前のような笑顔も見せるようになっていた。
「その調子だと本当に大丈夫なんだな。精神汚染は大丈夫か」
「おそらく大丈夫かと。それより、下で月乃のお友達が待っていますよ。行ってあげてください」
幼馴染に違いない。月乃は浮ついた表情をして階段を一段飛ばして駆け下りていった。汐里は微笑を浮かべながら彼女の背中を見守り、書斎へと向かっていった。