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耳が恥ずかしい世界

ー/ー



 とにかく、忙し過ぎた。
 GW 明けの五月七日。11日も会社が休業していたもんだから、朝から電話が鳴り止む事が無かった。係長以下全社員で電話対応に明け暮れ、ほとんど仕事にはならない一日だった。気が付けば定時。ぐったりとしながら、俺は帰宅途中の電車の中でシートに座って、買ったばかりのワイヤレスイヤホンを耳に差し、音楽を聴きながら、いつの間にかスヤスヤと眠りに就いてしまった。


 *    *    *


 電車通勤をしていると、眠っていても自宅の最寄り駅に電車が近づくと、自然と目が覚めるようになる。どうもそんな風に体内時計が適応してしまうのかもしれない。うっすらと目を開けて車内を見た時、俺はなんだか違和感のようなものを感じた。何かが、いつもと違う。それが何なのか、少し考えて気が付いた。この電車に乗っている全ての人がもう五月だというのに、イヤーウォーマー(耳あて)をしていた。真冬の野外というのなら分からなくもないが、もう五月だ。地域によっては夏日のところだってあるのに、今頃イヤーウォーマーだと? しかも、ここから見える限りじゃ一人残らず全員が付けている。あれ、そんなに流行(はや)ってたっけ?なんだか異様な光景だ。

「ママアア――――、あのお兄ちゃん、み……」

「マイちゃん、あっちみちゃダメ! 目をつぶってなさい!」

 そう言って俺の向かい側に座っていた母娘(おやこ)の母親の方が、慌てて幼い娘の両目を掌で塞いで、彼女の視界から俺を排除した。失礼な母親だな。「見ちゃダメ」って、どういう事だよ? 俺、何か子供の教育に悪いような恰好してるか? いや、どこにでもいるような全然普通の格好だと思うけど。

 電車が駅に着いたので、俺は立ち上がりホームに降り立った。そして、改札に向かって歩き出そうとした時だった。俺の背中越しに誰かの呼び止める声が聴こえた。 

「ちょっと、アナタ、待ちなさい!」

 振り返ると、俺の前に婦警のような恰好をした一人の若い女性が腕組みをして俺の方を睨み付けながら立っていた。


「えっ、ちょっと待てって、ひょっとして俺の事?」

 その質問に、婦警は黙って頷いた。相変わらず怖い顔で俺の事を睨みつけたままだ。

「私は、鉄道警察の者です」

「鉄道警察って……」

 女性がドラマみたいに上着のポケットから警察手帳のようなものを出して俺に見せる。ちょっと待て……電車から降りてホームに出た瞬間に警察に呼び止められるって事は。

「冗談じゃないっ! 俺、からっ! 冤罪だよ、冤罪!」

「誰も痴漢なんて言ってないわ。でも、それじゃあわね」


 *    *    *


「痴漢と間違えられても仕方がないって、どういう事だよ?」

 婦警の言っている意味がわからなかった。いったい俺のどこがいけないっていうんだ。ところが、婦警は俺の質問にたいそう驚いた様子で、目を広げて見せ言うのだった。

「あなた。それ、本気で言っているの?」

「だから、何の事だよ。んだよ?」

「そんな事、常識で考えてみればわかるでしょ」

「わからないから訊いてるんじゃねえかよ!」

 俺が言い返すと、婦警はまるで宇宙人でも見るような訝しげな表情で俺を見ながら、呆れたように答えた。

「だってアナタ、じゃない!」


「丸出しって、何が?」

「私にそれを言わせたいの? それ、りっぱなよ」

「マジでわからないんだって! はぐらかさないで、ちゃんと教えてくれよ!」


 婦警は、最初俺が彼女をからかっているのだと思っていたようだ。しかし、俺があまりにも真剣に頼むもんだから、やっと信じてくれたらしい。

「アナタ、『イヤーウォーマー』も着けないで駅になんかいたら、乗客に通報されるのも無理無いわよ」

「イヤーウォーマー?」

 俺が訊くと、婦警は「当然でしょ」という風に頷く。言われてみれば、電車に乗っていた乗客は全員イヤーウォーマーをしていたし、この婦警もしている。あれは流行っているからじゃなくて、パンツを穿いているのと同じ意味って事か。いや、そんな事ってあるか? 耳なんて、別に見えたって構わないだろ。あのイヤーウォーマーからは、きっと何か特別な音でも出ているんじゃないのか? そう考えた方が合点がいく。俺はイヤーウォーマーに何か仕掛けがあるような気がして、それが何なのか無性に気になった。

「ちょっと、それ貸してくれよ」

 そう言うのと同時に、俺は婦警の耳に手を伸ばして彼女が着けていたイヤーウォーマーを外して自分の耳に着けてみた。

「キャッ………………!!」

「ん?」

 イヤーウォーマーが外れた彼女の耳には、耳の形にすっぽりと被さるような白い布製の袋のようなものが着いていた。

「なんだ、その白いの?」

「きゃあああああああああああああ――――――――っ!!」

 婦警の絶叫が、駅のホーム中に響き渡った。両耳を手で押さえてしゃがみ込む彼女。その恰好でしゃがみ込むとここからパンツが見えそうだが、それは気にならないらしい。


 *    *    *


 イヤーウォーマーからは、何も聴こえてこなかった。っていうか、事態はそれどころではなくなった。婦警の絶叫を聞きつけて、仲間の鉄道警察の男数人が駆けつけて来た。

「どうした! 大丈夫か、朝倉君!」

 婦警の名前は『朝倉』というらしい。彼女の耳にイヤーウォーマーが無いのを見ると、仲間の刑事がすかさず自分のジャケットを脱いで朝倉の頭に被せた。

「インナーを着けておいて良かったな。とりあえず、これを被っていなさい」

「ありがとうございます。上杉さん」

「いったい、何があったというんだ」

「すみません。実は、あの男性に私のイヤーウォーマーを外されてしまって……」

「なんだと!」

 上杉という刑事は、俺の事をまるでで睨みつけた。

「お前! こんな公衆の面前で、よくもそんな猥褻なマネをしてくれたなっ!」

「そんな大袈裟な。たかが耳ですよ、耳!」

 俺は、そう言って自分の耳を指差した。すると、それを見た上杉は俺の耳を見て眉間に皺を寄せた。

「なんだ、その黒いのは?」

 俺の耳には、ワイヤレスイヤホンが付いていた。この刑事は、ワイヤレスイヤホンも知らないのか。そう思ったが、これ以上は揉めたく無いので素直に答えた。

「これは、ワイヤレスイヤホンといって、こうやってです」

「なんと破廉恥なっ! この変態、喜んでやがる。これはもう弁解の余地は無い、だ!」


 ガチャリ!(手錠の音)


「ええええええええ――――っ!!」


 *    *    *


「やっと、目が覚めたのね」

 目が覚めた時、俺は彼女(いおり)の部屋にいた。

「俺、ずっと伊織の部屋で寝てたのか……」

「そうよ。なんか連休明けで物凄く忙しかったんですってね。せっかくヒロくんの誕生日祝ってあげようとしたのに」

「そうか。そういえば俺、昨日が誕生日だったんだっけ……」

「ヒロくん、誕生日おめでとう。プレゼントはあとであげるけど、その他に今日はあたしがヒロくんの願いを何か一つ叶えてあげるわ。何がいい?」

 伊織にそんな事を言われて、俺は少し悩んだ。伊織に叶えて欲しい事なんて、何かあっただろうか?

「三十秒以内に決めてね。それ過ぎたら無効だから」

「えっ、なんだよそれ! 時間制限なんてあるのかよ」

「25…24…23…22……」

 ええ――――……そんな急に言われたって、思いつかないって……何にしようかな……

「10……9……8……」

「あああ~~~っ! わかった! 決めたから!」

「ホントに? どんな願い?」

「じゃあ、膝枕して、してくれ」

「何それ。変なの……」


 了



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 とにかく、忙し過ぎた。
 GW 明けの五月七日。11日も会社が休業していたもんだから、朝から電話が鳴り止む事が無かった。係長以下全社員で電話対応に明け暮れ、ほとんど仕事にはならない一日だった。気が付けば定時。ぐったりとしながら、俺は帰宅途中の電車の中でシートに座って、買ったばかりのワイヤレスイヤホンを耳に差し、音楽を聴きながら、いつの間にかスヤスヤと眠りに就いてしまった。
 *    *    *
 電車通勤をしていると、眠っていても自宅の最寄り駅に電車が近づくと、自然と目が覚めるようになる。どうもそんな風に体内時計が適応してしまうのかもしれない。うっすらと目を開けて車内を見た時、俺はなんだか違和感のようなものを感じた。何かが、いつもと違う。それが何なのか、少し考えて気が付いた。この電車に乗っている全ての人がもう五月だというのに、イヤーウォーマー(耳あて)をしていた。真冬の野外というのなら分からなくもないが、もう五月だ。地域によっては夏日のところだってあるのに、今頃イヤーウォーマーだと? しかも、ここから見える限りじゃ一人残らず全員が付けている。あれ、そんなに流行《はや》ってたっけ?なんだか異様な光景だ。
「ママアア――――、あのお兄ちゃん、み……」
「マイちゃん、あっちみちゃダメ! 目をつぶってなさい!」
 そう言って俺の向かい側に座っていた母娘《おやこ》の母親の方が、慌てて幼い娘の両目を掌で塞いで、彼女の視界から俺を排除した。失礼な母親だな。「見ちゃダメ」って、どういう事だよ? 俺、何か子供の教育に悪いような恰好してるか? いや、どこにでもいるような全然普通の格好だと思うけど。
 電車が駅に着いたので、俺は立ち上がりホームに降り立った。そして、改札に向かって歩き出そうとした時だった。俺の背中越しに誰かの呼び止める声が聴こえた。 
「ちょっと、アナタ、待ちなさい!」
 振り返ると、俺の前に婦警のような恰好をした一人の若い女性が腕組みをして俺の方を睨み付けながら立っていた。
「えっ、ちょっと待てって、ひょっとして俺の事?」
 その質問に、婦警は黙って頷いた。相変わらず怖い顔で俺の事を睨みつけたままだ。
「私は、鉄道警察の者です」
「鉄道警察って……」
 女性がドラマみたいに上着のポケットから警察手帳のようなものを出して俺に見せる。ちょっと待て……電車から降りてホームに出た瞬間に警察に呼び止められるって事は。
「冗談じゃないっ! 俺、《《痴漢なんてやってない》》からっ! 冤罪だよ、冤罪!」
「誰も痴漢なんて言ってないわ。でも、それじゃあ《《痴漢と間違えられても仕方がない》》わね」
 *    *    *
「痴漢と間違えられても仕方がないって、どういう事だよ?」
 婦警の言っている意味がわからなかった。いったい俺のどこがいけないっていうんだ。ところが、婦警は俺の質問にたいそう驚いた様子で、目を広げて見せ言うのだった。
「あなた。それ、本気で言っているの?」
「だから、何の事だよ。《《俺のどこが悪い》》んだよ?」
「そんな事、常識で考えてみればわかるでしょ」
「わからないから訊いてるんじゃねえかよ!」
 俺が言い返すと、婦警はまるで宇宙人でも見るような訝しげな表情で俺を見ながら、呆れたように答えた。
「だってアナタ、《《丸出し》》じゃない!」
「丸出しって、何が?」
「私にそれを言わせたいの? それ、りっぱな《《セクハラ行為》》よ」
「マジでわからないんだって! はぐらかさないで、ちゃんと教えてくれよ!」
 婦警は、最初俺が彼女をからかっているのだと思っていたようだ。しかし、俺があまりにも真剣に頼むもんだから、やっと信じてくれたらしい。
「アナタ、『イヤーウォーマー』も着けないで駅になんかいたら、乗客に通報されるのも無理無いわよ」
「イヤーウォーマー?」
 俺が訊くと、婦警は「当然でしょ」という風に頷く。言われてみれば、電車に乗っていた乗客は全員イヤーウォーマーをしていたし、この婦警もしている。あれは流行っているからじゃなくて、パンツを穿いているのと同じ意味って事か。いや、そんな事ってあるか? 耳なんて、別に見えたって構わないだろ。あのイヤーウォーマーからは、きっと何か特別な音でも出ているんじゃないのか? そう考えた方が合点がいく。俺はイヤーウォーマーに何か仕掛けがあるような気がして、それが何なのか無性に気になった。
「ちょっと、それ貸してくれよ」
 そう言うのと同時に、俺は婦警の耳に手を伸ばして彼女が着けていたイヤーウォーマーを外して自分の耳に着けてみた。
「キャッ………………!!」
「ん?」
 イヤーウォーマーが外れた彼女の耳には、耳の形にすっぽりと被さるような白い布製の袋のようなものが着いていた。
「なんだ、その白いの?」
「きゃあああああああああああああ――――――――っ!!」
 婦警の絶叫が、駅のホーム中に響き渡った。両耳を手で押さえてしゃがみ込む彼女。その恰好でしゃがみ込むとここからパンツが見えそうだが、それは気にならないらしい。
 *    *    *
 イヤーウォーマーからは、何も聴こえてこなかった。っていうか、事態はそれどころではなくなった。婦警の絶叫を聞きつけて、仲間の鉄道警察の男数人が駆けつけて来た。
「どうした! 大丈夫か、朝倉君!」
 婦警の名前は『朝倉』というらしい。彼女の耳にイヤーウォーマーが無いのを見ると、仲間の刑事がすかさず自分のジャケットを脱いで朝倉の頭に被せた。
「インナーを着けておいて良かったな。とりあえず、これを被っていなさい」
「ありがとうございます。上杉さん」
「いったい、何があったというんだ」
「すみません。実は、あの男性に私のイヤーウォーマーを外されてしまって……」
「なんだと!」
 上杉という刑事は、俺の事をまるで《《鬼畜でも見るような眼差し》》で睨みつけた。
「お前! こんな公衆の面前で、よくもそんな猥褻なマネをしてくれたなっ!」
「そんな大袈裟な。たかが耳ですよ、耳!」
 俺は、そう言って自分の耳を指差した。すると、それを見た上杉は俺の耳を見て眉間に皺を寄せた。
「なんだ、その黒いのは?」
 俺の耳には、ワイヤレスイヤホンが付いていた。この刑事は、ワイヤレスイヤホンも知らないのか。そう思ったが、これ以上は揉めたく無いので素直に答えた。
「これは、ワイヤレスイヤホンといって、こうやって《《耳の中に入れて音楽を聴く道具》》です」
「なんと破廉恥なっ! この変態、《《耳の中に異物なんて入れて》》喜んでやがる。これはもう弁解の余地は無い、《《現行犯逮捕》》だ!」
 ガチャリ!(手錠の音)
「ええええええええ――――っ!!」
 *    *    *
「やっと、目が覚めたのね」
 目が覚めた時、俺は彼女《いおり》の部屋にいた。
「俺、ずっと伊織の部屋で寝てたのか……」
「そうよ。なんか連休明けで物凄く忙しかったんですってね。せっかくヒロくんの誕生日祝ってあげようとしたのに」
「そうか。そういえば俺、昨日が誕生日だったんだっけ……」
「ヒロくん、誕生日おめでとう。プレゼントはあとであげるけど、その他に今日はあたしがヒロくんの願いを何か一つ叶えてあげるわ。何がいい?」
 伊織にそんな事を言われて、俺は少し悩んだ。伊織に叶えて欲しい事なんて、何かあっただろうか?
「三十秒以内に決めてね。それ過ぎたら無効だから」
「えっ、なんだよそれ! 時間制限なんてあるのかよ」
「25…24…23…22……」
 ええ――――……そんな急に言われたって、思いつかないって……何にしようかな……
「10……9……8……」
「あああ~~~っ! わかった! 決めたから!」
「ホントに? どんな願い?」
「じゃあ、膝枕して、《《耳掃除》》してくれ」
「何それ。変なの……」
 了