表示設定
表示設定
目次 目次




第130話 義務と責任

ー/ー



 始めは小さな不一致だった。
 なんだ? 何か違和感がある。
 いまいち言葉に出来ない何かが俺の後ろをぴったりと引っ付いてきた。
 そんな曖昧な感覚を覚えながら、劇の流れの確認をしていた時だった。

「……なに?」

「別に、何でもないわ」

「言いたいことあるなら言ったら?」

「そっちこそ何か言いたいんじゃないのかしら?」

「なにそれ、喧嘩売ってる?」

「言葉の通りよ」

 場が凍った。
 比喩ではなく、本当に教室中が静まり返った。
 睨みあっている椎名と増倉を除き、全員が絶句した。
 三年生たちは真剣な表情になり、一年生たちは何が起こったのか分からないと言った様子だった。
 樫田は頭を抱え、夏村と大槻は緊迫感を持っている。
 そして山路は二人を悲しそうに見ていた。

 椎名と増倉に何があったのか分からないが、状況は最悪だ。
 一触即発? 爆発寸前? いいやもう爆発している。
 元々犬猿の仲だが、今日は言葉の冷たさも鋭さもいつもより増している。

「――そう、じゃあ言わせてもらうけど「ストップ!」

 本格的に増倉が嚙みつこうとしたとき、轟先輩が止めに入った。
 二人の間に入り、距離を保とうとする。

「栞んストップだよ。それ以上はダメ」

「……どうしてですか」

「部活中だから」

「っ!」

 轟先輩の一言に増倉は苦しそうに表情を歪めた。
 意味を理解したのか、増倉は矛先を鎮めた。
 それを確認すると轟先輩は椎名の方を見る。

「香奈んもそれでいいかな?」

「……はい。すみませんでした」

「うん! 大丈夫大丈夫! 火事と喧嘩は江戸の華って言うし!」

 そう言って笑顔でサムアップする轟先輩。
 いつもならその明るさに救われていただろう。
 しかし、今の俺たち二年生の表情は晴れなかった。
 気まずい空気が流れる。
 言い争いの理由はおそらく山路のことが関わっているだろう。
 ただ一年生たちもいるこの状況で、それを追求することもできなかった。

 重たい沈黙の中、どうしたらいいか分からなくなり俺はすがるように演出席に座っていた樫田の方を見た。
 俺の視線に気づいた樫田は、周りを見渡してから一度大きく手を叩いた。
 パン! という破裂音が大きく教室中に響いた。
 みんなの注目が樫田へ集まった。

「しらけた」

 一言。樫田はそれだけ言うと立ち上がり、背伸びをした。
 一瞬のことにみんな困惑する。

「やる気なくしたんで、今日はここまでにする」

「おお! 暴君だね樫田ん!」

 轟先輩が楽しそうな反応を見せた。
 樫田は机の上の台本を片しながら答える。

「この空気でやっても意味ないでしょ」

「……正論だね」

「はは! いいね樫田!」

 木崎先輩は頷き、津田先輩は大声で笑いだした。
 先輩たちのお陰で一気に場の空気が緩んだ。
 一年生たちも緩和した雰囲気に当てられて安堵を見せる。
 ただ、この空気にした当人たちは納得していないようで。

「待ちなさい。本番まで時間がないのよ」

「ならその貴重な稽古時間をつぶしたことを猛省するんだな」

「ちょっと樫田」

「知らん。俺はもう今日はやらん」

 二人の言葉に樫田は聞く耳を持たず一蹴する。
 その様子を見た夏村と大槻も台本を持ち、片し出す。

「……先輩」

 状況に困惑しているのだろう。池本が不安そうに俺を見てきた。
 俺は一瞬迷ったが、先輩として立ち振る舞うことにした。

「帰りの準備しよっか」

「……はい」

 できるだけ優しく、笑顔を意識して俺が答えると池本は素直に頷いた。
 田島と金子も周りに合わせて動き出す。
 完全に解散の流れになっていた。
 そこからは静かに片づけが始まり、あっという間に帰りの会が始まった。
 俺たちは円状になり連絡事項などを言っていく。

「では帰りの会を始めます! では照明さん何かありますか?」

「特にないです」

「はい。音響さん何かありますか?」

「特にないです」

「はい。では舞監兼演出家さん、何かありますか?」

 淡々と進んでいく連絡事項。
 みんなの視線が再び樫田に集まった。

「はい。まずは一年生たちゴメンな。突然のことに驚いただろう」

 樫田は最初に後輩たちに謝罪した。
 三人は何も言わず軽く会釈した。
 少し緊張したようなその様子に、俺も申し訳なくなってくる。

「演劇をする上で、楽しく稽古するっていうのは重要な事なんだ……もちろん、ただ楽しいだけじゃない。メリハリはあるし、稽古っていうのは辛いこともあるだろう。けど、

 その言葉を誰もが耳を澄ませて聞き入った。
 樫田はゆっくりと言葉を紡いでいく。

「楽しむことは芝居を、演劇をやる上では義務とでも思ってくれ。そしてさっきはその義務をぶち壊した。だから稽古を終わらした……まぁ、あの空気の中じゃ稽古出来ないってのは一年生たちも分かっていると思う」

 それは、基本中の基本だった。
 当たり前のこと。二年生なら知っていて当然のことである。
 樫田は一年生に説明するかのように言っているが、その裏には二人に対する非難があった。

「ただ、空気を作るのはみんなであり、一人一人であることを忘れないでほしい。今回は二人がそうだったが、みんなも楽しむことは常に心のどこかにはあるように。それがないと良い演技は出来ない」

『はい』

 樫田が言い終わると俺達二年生と一年生は返事をした。
 三年生たちは樫田の言葉に、満足そうに頷いていた。
 椎名と増倉も反省しているのだろう、申し訳なさそうな表情で下を向いていた。

「……以上です」

「はい。ありがとうございます…………では、最後に部長として私から」

 轟先輩が真剣な表情になった。
 そしていつもの陽気さからは想像がつかないほどの怒気。

「私は呆れました。そして怒っています」

 声音はいつも通りだが、その言葉は重かった。
 すぐに分かった。これは椎名と増倉だけじゃない。俺達二年生全員に対する感情だ。

「あなたたちは二年生です。一年生じゃありません。その意味はもう分かっているものだと思っていました……さっき樫田んは楽しむことが義務だと言いましたが、義務には責任が伴います。そして立場にも。みんな、二年生としての責任を今一度考えてください」

『はい』

 俺たちは弱弱しく返事をした。
 恥ずかしかった。情けなかった。
 怒られたことがじゃない。一年生の前で先輩としての振る舞いが出来ていなかったことに。

「じゃあ、早いけど今日はもう解散にします。残りの時間で二年生はみんなでちゃんと話し合って反省しなさい」



スタンプを贈って作者を応援しよう!

次のエピソードへ進む 第131話 たすけて


みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…



 始めは小さな不一致だった。
 なんだ? 何か違和感がある。
 いまいち言葉に出来ない何かが俺の後ろをぴったりと引っ付いてきた。
 そんな曖昧な感覚を覚えながら、劇の流れの確認をしていた時だった。
「……なに?」
「別に、何でもないわ」
「言いたいことあるなら言ったら?」
「そっちこそ何か言いたいんじゃないのかしら?」
「なにそれ、喧嘩売ってる?」
「言葉の通りよ」
 場が凍った。
 比喩ではなく、本当に教室中が静まり返った。
 睨みあっている椎名と増倉を除き、全員が絶句した。
 三年生たちは真剣な表情になり、一年生たちは何が起こったのか分からないと言った様子だった。
 樫田は頭を抱え、夏村と大槻は緊迫感を持っている。
 そして山路は二人を悲しそうに見ていた。
 椎名と増倉に何があったのか分からないが、状況は最悪だ。
 一触即発? 爆発寸前? いいやもう爆発している。
 元々犬猿の仲だが、今日は言葉の冷たさも鋭さもいつもより増している。
「――そう、じゃあ言わせてもらうけど「ストップ!」
 本格的に増倉が嚙みつこうとしたとき、轟先輩が止めに入った。
 二人の間に入り、距離を保とうとする。
「栞んストップだよ。それ以上はダメ」
「……どうしてですか」
「部活中だから」
「っ!」
 轟先輩の一言に増倉は苦しそうに表情を歪めた。
 意味を理解したのか、増倉は矛先を鎮めた。
 それを確認すると轟先輩は椎名の方を見る。
「香奈んもそれでいいかな?」
「……はい。すみませんでした」
「うん! 大丈夫大丈夫! 火事と喧嘩は江戸の華って言うし!」
 そう言って笑顔でサムアップする轟先輩。
 いつもならその明るさに救われていただろう。
 しかし、今の俺たち二年生の表情は晴れなかった。
 気まずい空気が流れる。
 言い争いの理由はおそらく山路のことが関わっているだろう。
 ただ一年生たちもいるこの状況で、それを追求することもできなかった。
 重たい沈黙の中、どうしたらいいか分からなくなり俺はすがるように演出席に座っていた樫田の方を見た。
 俺の視線に気づいた樫田は、周りを見渡してから一度大きく手を叩いた。
 パン! という破裂音が大きく教室中に響いた。
 みんなの注目が樫田へ集まった。
「しらけた」
 一言。樫田はそれだけ言うと立ち上がり、背伸びをした。
 一瞬のことにみんな困惑する。
「やる気なくしたんで、今日はここまでにする」
「おお! 暴君だね樫田ん!」
 轟先輩が楽しそうな反応を見せた。
 樫田は机の上の台本を片しながら答える。
「この空気でやっても意味ないでしょ」
「……正論だね」
「はは! いいね樫田!」
 木崎先輩は頷き、津田先輩は大声で笑いだした。
 先輩たちのお陰で一気に場の空気が緩んだ。
 一年生たちも緩和した雰囲気に当てられて安堵を見せる。
 ただ、この空気にした当人たちは納得していないようで。
「待ちなさい。本番まで時間がないのよ」
「ならその貴重な稽古時間をつぶしたことを猛省するんだな」
「ちょっと樫田」
「知らん。俺はもう今日はやらん」
 二人の言葉に樫田は聞く耳を持たず一蹴する。
 その様子を見た夏村と大槻も台本を持ち、片し出す。
「……先輩」
 状況に困惑しているのだろう。池本が不安そうに俺を見てきた。
 俺は一瞬迷ったが、先輩として立ち振る舞うことにした。
「帰りの準備しよっか」
「……はい」
 できるだけ優しく、笑顔を意識して俺が答えると池本は素直に頷いた。
 田島と金子も周りに合わせて動き出す。
 完全に解散の流れになっていた。
 そこからは静かに片づけが始まり、あっという間に帰りの会が始まった。
 俺たちは円状になり連絡事項などを言っていく。
「では帰りの会を始めます! では照明さん何かありますか?」
「特にないです」
「はい。音響さん何かありますか?」
「特にないです」
「はい。では舞監兼演出家さん、何かありますか?」
 淡々と進んでいく連絡事項。
 みんなの視線が再び樫田に集まった。
「はい。まずは一年生たちゴメンな。突然のことに驚いただろう」
 樫田は最初に後輩たちに謝罪した。
 三人は何も言わず軽く会釈した。
 少し緊張したようなその様子に、俺も申し訳なくなってくる。
「演劇をする上で、楽しく稽古するっていうのは重要な事なんだ……もちろん、ただ楽しいだけじゃない。メリハリはあるし、稽古っていうのは辛いこともあるだろう。けど、《《真剣にやった上で楽しまないといけない》》」
 その言葉を誰もが耳を澄ませて聞き入った。
 樫田はゆっくりと言葉を紡いでいく。
「楽しむことは芝居を、演劇をやる上では義務とでも思ってくれ。そしてさっきはその義務をぶち壊した。だから稽古を終わらした……まぁ、あの空気の中じゃ稽古出来ないってのは一年生たちも分かっていると思う」
 それは、基本中の基本だった。
 当たり前のこと。二年生なら知っていて当然のことである。
 樫田は一年生に説明するかのように言っているが、その裏には二人に対する非難があった。
「ただ、空気を作るのはみんなであり、一人一人であることを忘れないでほしい。今回は二人がそうだったが、みんなも楽しむことは常に心のどこかにはあるように。それがないと良い演技は出来ない」
『はい』
 樫田が言い終わると俺達二年生と一年生は返事をした。
 三年生たちは樫田の言葉に、満足そうに頷いていた。
 椎名と増倉も反省しているのだろう、申し訳なさそうな表情で下を向いていた。
「……以上です」
「はい。ありがとうございます…………では、最後に部長として私から」
 轟先輩が真剣な表情になった。
 そしていつもの陽気さからは想像がつかないほどの怒気。
「私は呆れました。そして怒っています」
 声音はいつも通りだが、その言葉は重かった。
 すぐに分かった。これは椎名と増倉だけじゃない。俺達二年生全員に対する感情だ。
「あなたたちは二年生です。一年生じゃありません。その意味はもう分かっているものだと思っていました……さっき樫田んは楽しむことが義務だと言いましたが、義務には責任が伴います。そして立場にも。みんな、二年生としての責任を今一度考えてください」
『はい』
 俺たちは弱弱しく返事をした。
 恥ずかしかった。情けなかった。
 怒られたことがじゃない。一年生の前で先輩としての振る舞いが出来ていなかったことに。
「じゃあ、早いけど今日はもう解散にします。残りの時間で二年生はみんなでちゃんと話し合って反省しなさい」