ヤタガラスという組織がある。ヤタガラスは陰陽師の跡を継ぐようなかたちで作られた組織で、表にはけっして出ずに、裏で天皇家や国の最高権力者を霊的な方面で支えてきた。
そのヤタガラスの長である金井のいる執務室のドアを高田はノックした。
「失礼します」
「入れ」中から、金井が応える。それで高田は入室した。
金井はボールペンでもって、紙の上に何かを描いていた。
「金井尊師、京都の地下に張ってある結界が破壊されました!」高田は言った。
「もう知っている。ちょうど、そのことでお前を呼ぼうと思っていたところだ」金井は描く手を止めずに言う。
「今すぐ、京都を囲う結界を張り直しにいくべきでしょうか? それとも、市民の救済を優先すべきですか?」
「結界の張り直しを最優先しろ。万が一にも、あれが京都の外に出ることだけは阻止するのだ」
それは言外に、京都市民の犠牲を黙認しろ、と言っているようなものであった。しかし高田はその意味に気づいたうえで、ただうなずいただけだった。
「それとお前に、あの結界の下に何が封印されていたのかを話しておかなければならんな」金井は言う。
「尊師はご存じだったのですか? あの下に何が封印されているのか?」
「うむ。あれの存在は限られた人間しか知ることができない。あれのことを知って悪用しようなどと思う輩が出ては困るからだ」
「いったい、京都の地下には何が封印されていたのですか?」
「平安時代に陰陽師が封印した悪霊の群れだ。しかしただの悪霊ではない。それは、呪術が生み出した化け物だ。呪術の心得を持つ者や霊力の高い者が悪霊となって、人の魂を喰らいながら強くなっていった結果、もはや悪霊とは呼べぬ存在となった」
そこで彼はいったん言葉をきって、描き終えたものを見つめる。そのあと、それを机の端に置いた。そしてもう一枚の紙を手に取りながら、再び話し始めた。
「陰陽師はそれを、悪鬼と呼んだ。陰陽師は大規模な術式でもって、京都にいたそれらをまとめて地下に封じ込めたのだ。しかしそれは平安時代の陰陽師だからできたこと。今では到底不可能だ」
「しかし、我々とて力はあります。人数だって100はくだらない人数がいます」
しかし高田がすべて言い終わらないうちから、金井は首を横に振る。
「力が違うのだ、今と昔では。我々は弱くなった、霊的に。科学が発展し、法律が整備され、金と権力が強い世の中で、誰が霊力などに頼る? 使わない力はどんどん退化していくものだ」
「しかし我々は違います。日夜、霊力を鍛え、悪霊たちと戦っています」
いきなり、金井はボールペンを大きく右へと走らせた。勢い余って、紙を外れて机の上にまで線を描いてしまっていた。彼はボールペンを握っている自分の手を見たあと、ボールペンを置いた。それから、質問に答えた。
「その悪霊もまた、弱すぎるのだ。霊力も何もない素人が独学で暴れまわったところでたかが知れている。そんなものをいくら倒したところで、強くなりようがない。
今、京都で暴れているものたちは、悪霊になる前から霊とは何かを知っていて、どうやれば強くなれるかも知っていて、かつ呪術まで使える。そのうえ寿命もないから魂や霊力の塊を喰い続ける限り、際限なく強くなる」
その言葉を聞いているうちに、高田は不安になっていった。それでつい、こう尋ねてしまった。
「それでは、誰ならその悪鬼を倒せるのですか?」
「少なくとも、私はあれを倒せるものを知らない。ここにいて感じるやつらの霊力だけで考えても、私など足元にも及ばないことがわかる」
その言葉を聞いた時、高田は足ががくがくと震えるのを感じた。情けないから足の震えを止めたいのに、それができない。本能が恐怖を訴えるのをやめようとしない。
「これを見ろ」
彼は先ほどまで描いていたものを見せる。それは、大きな車輪の真ん中にでかい男のある姿を書き写したものだったが、車輪を描きかけたところで止まっていた。しかも最後に描いたと思われる線が、右に大きく引いたものだった。一見、無意味としか思えないようなものだった。
「視えたものの顔を描いてみた。せめて一体でも倒そうと思ってな。しかし邪魔をされたよ」
「尊師でも、勝てないのですか」
「はなから勝てるとは思っていなかった。それはいいんだ。それより、こっちだ」
彼は最初に描いていたほうの紙を手渡す。それは、結界の張り直しにあたって、どう人員を配置するかを具体的に指示したものだった。
「これのとおりにやって、結界を張り直せ。あと、ヤタの隊を向かわせろ」
「ヤタの隊ですね、わかりました」
「できればイナバの隊も向かわせたいところだが、いや、行かせよう。イナバの隊も向かわせろ」
「しかし、それでは天皇家の守りが薄くなりはしませんか?」
「天皇様の命を狙う人間などよりも、京都にいる悪鬼どものほうがはるかに厄介だ。ヤタの隊とイナバの隊、両方だ」
彼のその命令が、事態の深刻さを物語っていた。