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第7話 滅びの眼

ー/ー



「……ありがとう。いや、良い物を見せてもらった」
「喜んでもらえたなら何よりです」

 老人は、靴の興奮冷めやらぬ様子で椅子にかけ直す。

「ではお話を、お願いできますか?」
「ああ、もちろん。ああいいとも」

 老人は酒を口に運ぼうとして、やめた。俯き、テーブルを指でとんとんと軽く叩き、息をつく。そして顔を上げ、話し始めた。
 
「……ワシは、あの街で店を出しとった。靴屋じゃ。小さな店だが、妻もいた。忙しいが、楽しく、幸せな生活じゃった」
 
 老人は優しげに目を細めるが、それは再び口を開くまでのわずかな時間のみ。
 
「……あの夜、ワシは妙な騒がしさに目を覚ました。かすかに何かが崩れるような音や、叫び声が聞こえた。不安がる妻を一人置いて、ワシは様子を見るため、外に……出た」
 
 老人の声が震えだし、言葉を詰まらせる。
 
「ま、街が燃えていた。ワシの生まれ育った街が……。轟音と悲鳴が、そこら中から聞こえた。(いくさ)が始まったと思った。……だが、違う。煙に混じって、紫の靄が街の中心を覆っていた。瘴気じゃ。その中に、ワシは見た……!」
 
 老人の唇が震えだし、言葉に詰まる。
 マナが、先を促す。
 
「……何を、見たんです?」

 老人が目を見開いて、こちらを見た。
 
「眼じゃ……! 屋根よりはるかに高い所から、大きな眼がこっちを睨んでいた! 炎と煙に浮かび上がる、月のように丸く巨大な一つ眼が! あ、あれは化け物……。化け物の眼に違いない!」
 
 ユリアムは、マナの身体に力が入る気配を感じた。
 老人の話は続く。
 
「ワシは腰を抜かしそうになった。逃げなければ……妻を連れて、今すぐこの街から逃げ出さなければと思った!」

 しわだらけの手が、ワナワナと震えだした。
 
「……その時、突風が吹いた。立っていられないほどの、ものすごい突風じゃった。突風と轟音が収まって、ワシは振り返った。店を、妻のいるワシの店を見た。じゃが……」
 
 老人は言葉を区切った。
 
「店は……ワシの家は、無かった。無くなっていた。元々無かったかのように、跡形もなくな。家の周りの建物もほとんど無くなるか、めちゃくちゃに壊れていた……。ワシは妻の名を呼んだ。何度も、何度もな……」
 
 そこまで語ると、老人は残っていた酒をぐいと飲み干し、俯いた。話は終わりだ、とでも言うように。
 
「……お話、ありがとうございました」
 
 マナが丁寧に礼を述べる。
 老人が顔を上げた。
 
「信じるのか? ワシの話を」
「今の段階ではなんとも……なので、現地に行って調べてみようと思います」
「えっ!?」
「えっ!?」
 
 ユリアムと老人の声が、きれいにシンクロした。


「ごちそうになりました。おじいさんの説得についても、ありがとうございました」

 食堂から出て開口一番礼を述べるマナに、謙遜してしまう。

「お、お礼はいいって! むしろこっちのお礼なんだし。25ジラ分のご飯じゃあ、足りないかもしれないけど」

 あれだけ食べて、たった25ジラ。安くてうまい、まさしく名店だった。

「ジラ……というのは、この国の通貨ですか?」
「えっ? そう、だけど……」

 唐突なマナの質問に、戸惑う。
 ……おかしい。
 マナは母国の兵士として、仕事でこの国へ来たはず。なのになぜ、通貨を知らないのか。

 とんでもない戦闘技能、会話は流暢なのに読み書きはできない、異常に精巧な靴、そして通貨単位を知らない……いろいろな要素がチグハグだ。

 落ち着いたら、一度詳しく聞く必要がある。マナと旅をするなら、なおさらだ。
 そうだ、旅といえば……。

「その、本当に例の街に行くの? 瘴気が出てたら危ないよ」
「調査しなければならないので。瘴気も、たぶん大丈夫です」
「たぶんって……それに王都はどうするの? 通れないなら、余計に遠回りになるよ」
「構いません。ユリアムさんを待たせるのも申し訳ないので、同行するのは途中まででいいですよ。王都には自力で行きます」

 何を言うんだ、と思った。せっかく一緒に王都に行く話でまとまっていたのに、それは無いんじゃないか。
 マナは老人の話を信じているかもしれないが、瘴気で封鎖された街へ行った所で、きっとどうにもならない。なのに、そっちの優先順位の方が自分との王都行きより上なのか。
 理不尽だと分かっていても、我慢ならなかった。

「……私も行く」
「えっ!?」

 マナの驚いた声を、初めて聞いた。
 
「マナと一緒に行くの。ようは封鎖を越えなければいいんでしょ? 私、別に急いでないし。ダメ?」
「それはまあ、自分に止める権利は無いので……」
「じゃあ行こ。今から行こ。マナの荷物は?」
「これで全部です」
「ええ……?」

 全部というが、畳んだマント以外何も持っていない。訝しんでも、マナは平然としている。

「準備はできているので、行きましょう。船はいつ出るんですか?」
「まあ、マナがいいならいいんだけどさ。船はもうそろそろかな。昼の鐘がなって、しばらくしたら出港……」

 ガラーン、ガラーン……

 ユリアムの言葉を遮るように、街の中央の鐘楼が鳴った。

「これですか?」
「これ! 急ごう!」

 リュックを背負い、船着き場に向かおうとした、その時。

「いたぞ!」
「あっ、てめえらっ! おーいみんなこっちだ!」

 こちらを指差し騒ぐ集団。
 その先頭にいるのは、マナが叩きのめしたならず者たちだった。


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「……ありがとう。いや、良い物を見せてもらった」
「喜んでもらえたなら何よりです」
 老人は、靴の興奮冷めやらぬ様子で椅子にかけ直す。
「ではお話を、お願いできますか?」
「ああ、もちろん。ああいいとも」
 老人は酒を口に運ぼうとして、やめた。俯き、テーブルを指でとんとんと軽く叩き、息をつく。そして顔を上げ、話し始めた。
「……ワシは、あの街で店を出しとった。靴屋じゃ。小さな店だが、妻もいた。忙しいが、楽しく、幸せな生活じゃった」
 老人は優しげに目を細めるが、それは再び口を開くまでのわずかな時間のみ。
「……あの夜、ワシは妙な騒がしさに目を覚ました。かすかに何かが崩れるような音や、叫び声が聞こえた。不安がる妻を一人置いて、ワシは様子を見るため、外に……出た」
 老人の声が震えだし、言葉を詰まらせる。
「ま、街が燃えていた。ワシの生まれ育った街が……。轟音と悲鳴が、そこら中から聞こえた。|戦《いくさ》が始まったと思った。……だが、違う。煙に混じって、紫の靄が街の中心を覆っていた。瘴気じゃ。その中に、ワシは見た……!」
 老人の唇が震えだし、言葉に詰まる。
 マナが、先を促す。
「……何を、見たんです?」
 老人が目を見開いて、こちらを見た。
「眼じゃ……! 屋根よりはるかに高い所から、大きな眼がこっちを睨んでいた! 炎と煙に浮かび上がる、月のように丸く巨大な一つ眼が! あ、あれは化け物……。化け物の眼に違いない!」
 ユリアムは、マナの身体に力が入る気配を感じた。
 老人の話は続く。
「ワシは腰を抜かしそうになった。逃げなければ……妻を連れて、今すぐこの街から逃げ出さなければと思った!」
 しわだらけの手が、ワナワナと震えだした。
「……その時、突風が吹いた。立っていられないほどの、ものすごい突風じゃった。突風と轟音が収まって、ワシは振り返った。店を、妻のいるワシの店を見た。じゃが……」
 老人は言葉を区切った。
「店は……ワシの家は、無かった。無くなっていた。元々無かったかのように、跡形もなくな。家の周りの建物もほとんど無くなるか、めちゃくちゃに壊れていた……。ワシは妻の名を呼んだ。何度も、何度もな……」
 そこまで語ると、老人は残っていた酒をぐいと飲み干し、俯いた。話は終わりだ、とでも言うように。
「……お話、ありがとうございました」
 マナが丁寧に礼を述べる。
 老人が顔を上げた。
「信じるのか? ワシの話を」
「今の段階ではなんとも……なので、現地に行って調べてみようと思います」
「えっ!?」
「えっ!?」
 ユリアムと老人の声が、きれいにシンクロした。
「ごちそうになりました。おじいさんの説得についても、ありがとうございました」
 食堂から出て開口一番礼を述べるマナに、謙遜してしまう。
「お、お礼はいいって! むしろこっちのお礼なんだし。25ジラ分のご飯じゃあ、足りないかもしれないけど」
 あれだけ食べて、たった25ジラ。安くてうまい、まさしく名店だった。
「ジラ……というのは、この国の通貨ですか?」
「えっ? そう、だけど……」
 唐突なマナの質問に、戸惑う。
 ……おかしい。
 マナは母国の兵士として、仕事でこの国へ来たはず。なのになぜ、通貨を知らないのか。
 とんでもない戦闘技能、会話は流暢なのに読み書きはできない、異常に精巧な靴、そして通貨単位を知らない……いろいろな要素がチグハグだ。
 落ち着いたら、一度詳しく聞く必要がある。マナと旅をするなら、なおさらだ。
 そうだ、旅といえば……。
「その、本当に例の街に行くの? 瘴気が出てたら危ないよ」
「調査しなければならないので。瘴気も、たぶん大丈夫です」
「たぶんって……それに王都はどうするの? 通れないなら、余計に遠回りになるよ」
「構いません。ユリアムさんを待たせるのも申し訳ないので、同行するのは途中まででいいですよ。王都には自力で行きます」
 何を言うんだ、と思った。せっかく一緒に王都に行く話でまとまっていたのに、それは無いんじゃないか。
 マナは老人の話を信じているかもしれないが、瘴気で封鎖された街へ行った所で、きっとどうにもならない。なのに、そっちの優先順位の方が自分との王都行きより上なのか。
 理不尽だと分かっていても、我慢ならなかった。
「……私も行く」
「えっ!?」
 マナの驚いた声を、初めて聞いた。
「マナと一緒に行くの。ようは封鎖を越えなければいいんでしょ? 私、別に急いでないし。ダメ?」
「それはまあ、自分に止める権利は無いので……」
「じゃあ行こ。今から行こ。マナの荷物は?」
「これで全部です」
「ええ……?」
 全部というが、畳んだマント以外何も持っていない。訝しんでも、マナは平然としている。
「準備はできているので、行きましょう。船はいつ出るんですか?」
「まあ、マナがいいならいいんだけどさ。船はもうそろそろかな。昼の鐘がなって、しばらくしたら出港……」
 ガラーン、ガラーン……
 ユリアムの言葉を遮るように、街の中央の鐘楼が鳴った。
「これですか?」
「これ! 急ごう!」
 リュックを背負い、船着き場に向かおうとした、その時。
「いたぞ!」
「あっ、てめえらっ! おーいみんなこっちだ!」
 こちらを指差し騒ぐ集団。
 その先頭にいるのは、マナが叩きのめしたならず者たちだった。