第6話 ライオンとバス
ー/ー バスが走り出した。
車内にはオレたちの他に、小さな子供を連れた若い母親と数人の学生が乗り合わせていて、それぞれお喋りやスマホに夢中になっている。
上野はそれを横目で睨み、ひとつ舌打ちをすると、オレの腕を乱暴に振り払った。
「おいおい、礼のひとつもなしかよ」
後部座席のロングシートの真ん中にドカッと腰を下ろし、横柄に足を組んだ上野の態度はどこかの国の王様のように見える。
そして、オレはすぐに思い直す。上野の場合はサバンナだったな。サバンナは国じゃないな、と。
「お前、ライオンならもう少し謙虚になれよ。ここは人間界なんだからな」
オレが軽口を叩くと、上野は「ぶん殴るぞ」と言わんばかりに拳を振り上げる素振りをした。
「それが命の恩人に対する態度かよ?」
今度は強気で切り返してみる。
すると、上野はまた悔しそうに舌打ちをして、前のめりになった上体を座席に沈めた。
不思議と上野に対する恐怖心は消え失せていた。
部屋の壁紙を張り替えたかのような真新しい心地を感じながら、オレは上野から一列座席を空けて座った。通路を挟んだ隣の二人掛けシートには真之助が座る。
「どうして、オレを助けたりした?」
数分後、先に沈黙の帳をめくったのは上野だった。
オレがスマホの操作していた指をわざわざ止めて振り返ると、話しかけてきた当の本人は窓の外に視線を流したまま、素知らぬ振りを決め込んでいるから、呆れてしまう。どこまでもプライドが高いやつだ。
無視をしてやろうかとも思ったが、腫れ上がった顔が痛々しく同情を誘うものだから、仕方なく会話に付き合ってやることにした。
「群れから追い出されて可哀想だったからだよ。魔族に襲われて家を失った村人を見捨てられない勇者の気持ち。優しいだろ?」
かなり上から目線で言葉を返したのが気に触ったらしい。上野は一瞬だけ押し黙ったが、
「プライドっていうんだ」はっきり言った。
「プライド? 上野のプライドがズタズタにされたって?」
「ちげーよ、『プライド』はライオンの群れのことだよ。お前、ライオンについて何にも知らないのか」
上野は人を食ったような顔で小鼻を膨らませた。
「ライオンの子供は成獣になるまで過酷なんだぜ。獲物を狩りに出かけた母親に育児放棄され、野たれ死んだり、ハイエナに襲われて命を落としたり、プライドに新しいボスが誕生すれば、そいつに容赦なく殺されちまうんだ。あいつら、子供のうちに何割が死ぬと思う? 八割だぜ、八割」
餅は餅屋というべきか、上野はライオンの生態系にかなり詳しいようだった。沸騰とまではいかないが、語調には確かな熱を感じるほどだ。
「自然界は厳しいな」
「ただ厳しいだけじゃねえよ。自然界はシンプルで合理的な世界なんだ。優秀な遺伝子を残すため、弱いやつは死に、強いやつだけが生き残る進化のためのシステムなわけ」
「ふーん」
「ふーんって、『オレは関係ない』みたいな顔してるけど、人間だって自然界の一部なんだぞ。オレは強者で崎山は弱者だから、自然界からお前は淘汰される。つまりはオレが崎山を殺そうとしたのも、当然の理ってこと」
「やっぱ、助けてやるんじゃなかった」
どうして、こんなやつと一緒にバスに乗っているのだろう。
オレは後悔し始めていた。
初めから上野がどんな人間であるかわかっていたはずだった。
オレを桜花川で溺れさせ、水恐怖症の原因を作ったプライド高い性悪ライオン。
性善説論者ではないが、こんなクソみたいな上野でも、ひそかに良心の呵責に苦しみ、罪悪感を抱いているのでは、と胸のどこかで淡い期待を寄せていたらしい。のしかかる落胆の大きさはそのまま期待の大きさだ。オレもまだまだ甘い……。
降車ブザーが鳴った。前列の学生が通学カバンをゴソゴソと探り、降りる気配を見せている。
「お前もさっさと降りたらどうだ」そう言おうとして後ろを見ると、上野が座ったまま深く頭を垂れていた。
まるで、自立しない板コンニャクがお辞儀をするような格好だ。
取り巻きたちに殴られたせいで具合が悪いのかとも思ったが、「上野君が泣いてる」真之助がぽつりと呟いたので二度見して確認する。
上野は制服の袖で涙を拭って、嗚咽を押し殺していた。
「おい、どこか痛いのか?」思わず上野に対して性懲りもなく親切心を披露してしまうあたり、オレは本当に甘い。
「……セェんだよ」
「なんだって?」
上野はブンブンと首を振り、強く食い縛った歯の隙間から湿った息を洩らした。
「ダセェんだよ……崎山なんかに助けられた自分自身がみっともなくて恥ずかしくて仕方がねえんだよ。もう……生きていたくねえ」
「崎山なんかってなんだよ。オレがたまたま通りかかってラッキーだっただろ。これからお前は一生オレに感謝し続けて、足を向けて寝なきゃいいだけ。安いもんじゃねえか」
「それが最悪なんだよ!」
上野は牙を剥いて吠え立てた。
「オレは崎山とは違って、カースト上位の一軍だし、お前らみたいな底辺のやつらを顎で使って、好き勝手にするのを許された特別な存在だ。人間のレベルが違うっつうのに、崎山なんかに助けられたら、同類の底辺に成り下がるじゃねえか。オレ、崎山なんかに助けられたくなかった!」
癇癪を起す子供のように、上野は恥ずかしげもなくその場で地団太を踏んだ。うどんの生地が足元にあったら、さぞかしコシの強い麺が出来上がるに違いない。
「言っていることがサイテーな上、本当に恥ずかしいやつだな。バスの中で泣いてんじゃねえよ。小さい子供が見てんだろ!」
優先席の子供が上野を指差し、母親に「見ちゃダメ」と目隠しされている。
「強いオレはいつも……プライドのトップで……トップでいなきゃならねえんだ。なのに、どうして……オレはいつもトップの座から引きずり下ろされるんだよ、なあ崎山!」
「知るかよ! 恥ずかしいからそう何度も名前を呼ぶなって。お前と友達だと勘違いされるだろうが!」
現に二人組の女子高生はこっちを見て、声を潜めてクスクス笑っている。明らかにオレと上野を同じカテゴリーに分類している目だ。
「こいつとは赤の他人で友達でも何でもありませんよ」と全世界に宣言したい衝動に駆られる。
そこに真之助が、
「あーあー、真 が上野君を泣かせた」
上野だけでも手一杯なのに、横槍を入れてくるものだから、オレは余計に混乱する。
「お前は黙ってろよ!」
「黙らねえぞ。っえ……ぐっ……なあ崎山。オレは……強いよな、最強だよな? お前だってオレが怖いだろ? 怖くて仕方がねえだろ? オレはライオンだよな? 百獣の王だよな? そうだと言うまで……ん……ぐっ……オレは黙らねえぞ」
しまいにはオレの隣に移動して、むせび泣きと共にしつこく絡んで来るから、ほとほと辟易した。
「大学はどこに行くの」だとか「彼女はできたの」だとか、質問に納得のいく回答を得るまで芸能リポーターのように訊いてくる、酔っぱらいの親戚たちとまるで同類のしつこさではないか。
そういうときは決まって自室に逃げ込むのだが、ここはバスの中。逃げ場はない。オレは嵐が過ぎ去るまでじっと耐え続けなければならないのだ。
「いい加減にしろよ。上野、何歳なんだよ。子供のおいねだって、こんな見っともないギャン泣きしなかったぞ」
「そりゃあ、おいねちゃんは、上野君よりも私よりも、ずっとお姉さんだから当たり前じゃないか」
「お前はガチで黙ってろよ!」
車内アナウンスで注意され、どうしてオレが肩身の狭い思いをしなきゃならないんだと悪態をつきながら、目的の浅間坂まで上野を宥め続けることになった。
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