「リュイセン!!」
耳をつんざくような発砲音に、アイリーは絶叫した。
彼のもとへと駆け寄ろうとするも、屈強な近衛隊員に腕を掴まれていては、振りほどくことは叶わない。
何故、こんなことに!?
澄んだ青灰色の瞳が、いっぱいに見開かれる。
そのとき、リュイセンが、すっと動いた。流れるような所作で、両手を
揃えて脇にやりながら、腰を落として低く構える。
次の刹那。
彼の手元から、
眩い銀光が生み出された。そのまま、音もなく一歩、前へと踏み込む。
「え……?」
光の軌跡が、きん、と高音を放った。
それが、凶弾を跳ね返した響きであることにアイリーが気づくまで、しばしの時間を要する。
「な……、銃弾を……」
近衛隊員たちは絶句した。
陽炎に惑わされ、幻を見たのかと疑いたくなるような
御業に、腰を抜かしそうになる。
彼らの目を釘付けにしたものは、夏の陽射しを集め、凝縮したかのように煌めく、二振りの刀。ひとつの鞘から生まれ出た双子の刃が、
賊の両の手に、ひとつずつ握られていた。
「『神速の双刀使い』……」
神技とでも呼ぶべき刀術を前に、近衛隊員たちは、鷹刀一族の若き次期総帥の
異名を思い出す。
彼らは、
賊から目を離せぬまま、ごくりと唾を呑んだ。
見るほどに常人離れした、黄金比の美貌。強く、美しく
在ることを求め、同じ血を重ね続けたという、この国最強の
凶賊――鷹刀一族。
まさに、漆黒の魔性だ。
本能的な恐怖が、近衛隊員たちの背中をぞくりと撫でた。
凶賊からしてみれば、近衛隊など、
玩具箱で暮らす
兵隊のようなもの。しかし、彼らとて武人の端くれだ。
己の
中の警鐘に従い、次々に拳銃を構え、引き金に指を掛ける。
賊の両手が、円を描くように風を
薙いだ。
銀光の翼を得た狼が、舞うが如く。重力から解き放たれたような軽やかさで、
女王に向かって
疾る。
恐怖に支配された近衛隊員たちは、摂政に賊の『射殺』ではなく、『捕獲』を求められていることを忘れ、引き金に掛けた指を……。
そこに、野太い声が轟く。
「お、おい、あんた! いったい、何すんでぇっ……!?」
女王陛下から『拉致犯を疑われて、困っている護衛』を街まで連れて行ってほしいと頼まれた、『巨漢の民間人』が、血相を変えて
賊を追いかけてきた。
女王直々に託された責任感からか、巨漢は
賊を引き止めようと必死だった。太い腕をいっぱいに伸ばし、どたどたと巨体を揺らしながら、真後ろから付いてくる。
近衛隊員たちは、はっと顔色を変えた。
このまま引き金を引けば、疾風のような
賊が、ひらりと身を
躱したとき、その流れ弾は
巨漢に当たる――!
彼らの指は、すんでのところで留まった。
絶妙に邪魔な軌道を描く巨漢は、この上なく迷惑な存在であるが、近衛隊が民間人を撃ち殺すわけにはいかない。
大事に至らなくて済んだと、ほっとしたのも束の間。近衛隊員たちの目前に、
賊が迫る。
女王の腕を捕らえた隊員と、隣のもうひとりが、彼女を守るように後ろに下がった。残ったふたりが前面に出つつ、私服に隠した軍用ナイフを取り出す。
だが、ナイフと双刀の間合いの差は、歴然としている。しかも、相手は『神速の双刀使い』なのだ。天下の近衛隊員ともあろう者が、完全に腰が引けているのも無理はない。
蒼白な顔で、彼らは
賊と対峙した。
風になびく短髪は、漆黒の狼を思わせるように
艷やかで。その双眸は、抜身の双刀を宿したが如く怜悧。
賊は、刀と一体化したような両腕を胸の前で大きく交差させ、ぴたりと静止させた。
知れず、その動きを追っていた隊員たちの呼吸も、ぴたりと止まる。
そして――。
賊の腕が、再び動きを取り戻す。
前面にいた隊員たちの頬が旋風に
叩かれ、瞳が銀の閃光に
灼かれる。
力強く薙ぎ払う、右手の一の太刀。
鋭く斬り裂く、左手の二の太刀。
悲鳴すら上げることなく、ふたりの隊員は、綺麗に左右に分かれて転がされた。
「――!」
あっけなく倒された同僚の姿に、残された隊員たちは戦慄した。
ひとりが
女王の腕を握ったまま更に下がり、ひとりが捨て身の覚悟で前に出て、銃を構える。
しかし、神速を誇る双刀使いは、銃口が火を吹くよりも速く、刀を一閃した。
鮮血が飛び散る。
鉄の匂いが立ち込め、近衛隊員の体が、どさりと音を立てて崩れ落ちる。
「ひぃっ」
最後の隊員は、
女王を後ろに追いやりながら、足元に落ちてきた同僚を反射的に避けた。
「き、貴様……、こ、近衛隊に、こんなことをして、た、ただで済むと……!」
賊を睨みつけながら高圧的に吠えるが、歯の根が合わずに
捲し立てても滑稽なだけである。
「リュイセン!?」
怖気づいた近衛隊員の拘束を振りほどき、アイリーがリュイセンへと駆け寄った。
そして、叫ぶ。
「どうして、『あなた』が『怪我をしている』の!?」
斬られたのは、近衛隊員のはずだ。
なのに、半袖のシャツから伸びた
逞しい腕――綺麗に日焼けした肌の上を、生々しい傷跡が走っている。
何故、リュイセンが負傷したのかは分からない。けれど、武術に詳しくないアイリーにだって、理解できることはある。彼は、彼女のために無茶をしたのだ。
リュイセンは、すっと一歩、後ろに下がった。アイリーから充分に距離を取った位置で双刀を旋回させ、かちり、と鍔鳴りの音を立てて鞘に納める。
「陛下。俺は、陛下を守る近衛隊員を傷つけたりなどしない」
「え?」
「俺の刀は、彼らの肉体に一切、触れてない。斬られたと思い込ませて、意識を絶ったまでだ」
「えっ? ええっ!?」
衝撃の発言に、アイリーは、ひときわ高い音色を響かせた。驚愕のままに、倒れている近衛隊員たちへと瞳を巡らせれば、確かに外傷がない。
「本当だわ……。でも、そんなこと……」
「『脅かして、気絶させた』――と言えばいいか? 最後のひとりは、先のふたりが斬られていないことに気づかないように、俺の血を見せて、視覚的な
衝撃を……」
リュイセンがそこまで言いかけたところで、アイリーが噛みつく。
「なんで、自分を傷つけるのよ!?」
「アイリーの……っと、陛下のために働く人間を傷つけるわけにはいかないだろう?」
いくら無作法であったとしても、近衛隊員は女王を守る臣下だ。『女王の雇った護衛』が、彼らに手を出すわけにはいかない。故に、リュイセンは、自分に許される行動の範囲内で、知恵を絞ったのである。
「けど、近衛隊の言動は不敬だ。陛下は『息抜きをしたい』という意思を明確に示した。帰着時間だって宣言した。なのに、臣下であるはずの彼らが、まるで耳を傾けず、頭ごなしに否定する。そんなの、おかしいだろう? ――陛下にだって、好きなことをする自由があっていいはずだ!」
「リュイセン……」
アイリーの瞳に、青灰色の
漣が立つ。
「優しいにも、ほどがあるわ……!」
拗ねたように頬を膨らませながらも、天界の音色が涙で濁る。彼女は目元を押さえると、無理矢理に、ぐっと口角を上げた。
「ありがとう!」
ぽん、と。
幻の音色を奏でながら、白蓮華が咲きほころぶ。――リュイセンが見たかった笑顔だ。
それから、アイリーは、くるりと
踵を返し、すっかり立場を失った、最後の近衛隊員に詰め寄った。
「私の捜索にあたっている、近衛隊員全員に通達して! ――私が王宮に戻るまで、詰め所での謹慎を命じます、って」
高らかに告げる女王に、近衛隊員は「陛下!?」と、戸惑いの叫びを上げる。
「愚かな近衛隊員たちが、
無頼漢同士の
抗争を装う、なんてことをするから、私はとても怖い思いをしたの。反省が必要でしょう!? これは、『女王』の命令よ!」
「し、しかし、陛下!」
「私は護衛を雇って、お忍びに出掛けただけよ。彼が護衛として、申し分のない
技倆を持っていることは、あなたにもよく分かったでしょう? それから、人間的にも優れている、ってこともね! これ以上の問答は、見苦しいだけだわ。――それとも、私には人を見る目がないと、疑うつもりなの!?」
アイリーは、ぴしゃりと言ってのけ、指先の動きで、近衛隊員の目線をリュイセンへと促す。
さほど深くはないとはいえ、血の
滴る傷跡が目に入った。
自らを傷つけるとは、狂気の沙汰だ。
凶賊なら遠慮せず、近衛隊に斬りかかればよいものを――。
思わず不躾に相手の顔を凝視すれば、黄金比の美貌を持つ『神速の双刀使い』は、礼儀に適った会釈を返してきた。
「!」
格の違い。
そんな言葉が頭をよぎる。
後ろでは、巨漢の民間人が、居たたまれない様子で、おろおろと体を揺らしていた。どうしたらよいのかと、途方に暮れているらしい。
「……」
女王の言葉に従う以外の道はないと、近衛隊員は
項垂れるように深々と頭を下げた。
八重歯の巨漢――こと、リュイセンの部下は、『なし崩しに『女王陛下』を愛車に乗せることになって、すっかり気が動転している民間人』の役柄を見事に演じきった。
リュイセンとアイリーが後部座席に乗ったあとも気を抜かず、「へ、陛下! シートベルトをお締めくださいぃっ!」などと、車外にいる近衛隊員にも聞こえるような、素っ頓狂な声を張り上げてくれた。
それから数分後。
「そろそろ、大丈夫っすね」
凶賊の顔に戻った部下が、運転席からバックミラーを確認しつつ、にやりと八重歯を見せる。
「すまない。お前のおかげで、すっかり上手くいった。ありがとう」
大柄な体を縮こめ、リュイセンは頭を下げた。実のところ、帯刀していた自分よりも、『民間人』として、丸腰でうろうろしていた部下のほうが、危険な役回りだったと思う。
「何を言ってんっすか。リュイセン様と嬢ちゃんのためなら、このくらい、朝飯前っすよ。――っと、女王陛下に対して、『嬢ちゃん』じゃあ、まずいっすかね?」
わはは、と笑いながら言うあたり、ちっとも、まずいと思っていないのは明らかである。
車内の緊張が解けていくのを感じ、『状況が落ち着くまでは』と、おとなしく待っていたアイリーは、「あ、あのっ!」と、力んだ音色を響かせた。
「ふたりとも、私のためにありがとう! ふたりに危険なことをさせてしまったのに、私……凄く、嬉しいの!」
青灰色の瞳を潤ませながら、満面の笑顔を浮かべる。
リュイセンは、ほっと胸を撫で下ろした。
自分から『王宮に戻る』と言った彼女に、『それでも』とドライブを勧めるのは、押し付けがましい自己満足かもしれないと、一抹の不安があったのだ。
けれど、間違っていなかった。
徐々に口元が緩み、嬉しさがこみ上げる。
ふと気づけば、運転席の部下もまた、厳つい顔の目尻を下げていた。
「嬢ちゃん、あんた、本当にいい子だなぁ」
「でも、私は女王だということを隠していて……、嫌な感じがしたでしょう?」
綺羅の美貌が陰り、白金の眉が寄る。
「いや、まぁ、驚きはしたけどよぉ。けど、女王様の正体が、あの黒づくめだと聞かされたら、嫌な感じどころか、
可笑しくってなぁ」
八重歯の隙間から漏れる、「ぷぷっ」という思い出し笑い。
アイリーは、ぷうっと頬を膨らませた。
「違うわ!
黒装束は、世を忍ぶ仮の姿よ! 私の真の姿は、今のほうなの!」
「ふゎっはっは。――はいはい、そうっす! 女王様!」
そして、車内は豪快な笑い声に包まれた。
あらかじめ打ち合わせておいた場所で、他の部下たちが待っていた。救護係が飛んできて、リュイセンの腕は手早く止血される。
「それじゃ、俺たちは野暮はいたしませんので」
「リュイセン様と嬢ちゃんは、ゆっくりドライブを楽しんできてくださいっす!」
激しく誤解されているような気がしないでもないが、リュイセンは、部下たちが用意してくれた車の運転席に乗り込む。
「アイリー」
助手席の扉を開けると、白蓮の花が、ぽんと咲きほころんだ。