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6.天と地の共謀-3

ー/ー



「リュイセン!!」
 耳をつんざくような発砲音に、アイリーは絶叫した。
 彼のもとへと駆け寄ろうとするも、屈強な近衛隊員に腕を掴まれていては、振りほどくことは叶わない。
 何故、こんなことに!?
 澄んだ青灰色の瞳が、いっぱいに見開かれる。
 そのとき、リュイセンが、すっと動いた。流れるような所作で、両手を(そろ)えて脇にやりながら、腰を落として低く構える。
 次の刹那。
 彼の手元から、(まばゆ)い銀光が生み出された。そのまま、音もなく一歩、前へと踏み込む。
「え……?」
 光の軌跡が、きん、と高音を放った。
 それが、凶弾を跳ね返した響きであることにアイリーが気づくまで、しばしの時間を要する。
「な……、銃弾を……」
 近衛隊員たちは絶句した。
 陽炎に惑わされ、幻を見たのかと疑いたくなるような御業(みわざ)に、腰を抜かしそうになる。
 彼らの目を釘付けにしたものは、夏の陽射しを集め、凝縮したかのように煌めく、二振りの刀。ひとつの鞘から生まれ出た双子の刃が、(リュイセン)の両の手に、ひとつずつ握られていた。
「『神速の双刀使い』……」
 神技(しんぎ)とでも呼ぶべき刀術を前に、近衛隊員たちは、鷹刀一族の若き次期総帥の異名(二つ名)を思い出す。
 彼らは、(リュイセン)から目を離せぬまま、ごくりと唾を呑んだ。
 見るほどに常人離れした、黄金比の美貌。強く、美しく()ることを求め、同じ血を重ね続けたという、この国最強の凶賊(ダリジィン)――鷹刀一族。
 まさに、漆黒の魔性だ。
 本能的な恐怖が、近衛隊員たちの背中をぞくりと撫でた。
 凶賊(ダリジィン)からしてみれば、近衛隊など、玩具(おもちゃ)箱で暮らす兵隊(人形)のようなもの。しかし、彼らとて武人の端くれだ。(おのれ)(うち)の警鐘に従い、次々に拳銃を構え、引き金に指を掛ける。
 (リュイセン)の両手が、円を描くように風を()いだ。
 銀光の翼を得た狼が、舞うが如く。重力から解き放たれたような軽やかさで、女王(アイリー)に向かって(はし)る。
 恐怖に支配された近衛隊員たちは、摂政に賊の『射殺』ではなく、『捕獲』を求められていることを忘れ、引き金に掛けた指を……。
 そこに、野太い声が轟く。
「お、おい、あんた! いったい、何すんでぇっ……!?」
 女王陛下から『拉致犯を疑われて、困っている護衛』を街まで連れて行ってほしいと頼まれた、『巨漢の民間人』が、血相を変えて(リュイセン)を追いかけてきた。
 女王直々に託された責任感からか、巨漢は(リュイセン)を引き止めようと必死だった。太い腕をいっぱいに伸ばし、どたどたと巨体を揺らしながら、真後ろから付いてくる。
 近衛隊員たちは、はっと顔色を変えた。
 このまま引き金を引けば、疾風のような(リュイセン)が、ひらりと身を(かわ)したとき、その流れ弾は巨漢(民間人)に当たる――!
 彼らの指は、すんでのところで留まった。
 絶妙に邪魔な軌道を描く巨漢は、この上なく迷惑な存在であるが、近衛隊が民間人を撃ち殺すわけにはいかない。
 大事に至らなくて済んだと、ほっとしたのも束の間。近衛隊員たちの目前に、(リュイセン)が迫る。
 女王(アイリー)の腕を捕らえた隊員と、隣のもうひとりが、彼女を守るように後ろに下がった。残ったふたりが前面に出つつ、私服に隠した軍用ナイフを取り出す。
 だが、ナイフと双刀の間合いの差は、歴然としている。しかも、相手は『神速の双刀使い』なのだ。天下の近衛隊員ともあろう者が、完全に腰が引けているのも無理はない。
 蒼白な顔で、彼らは(リュイセン)と対峙した。
 風になびく短髪は、漆黒の狼を思わせるように(つや)やかで。その双眸は、抜身の双刀を宿したが如く怜悧。
 (リュイセン)は、刀と一体化したような両腕を胸の前で大きく交差させ、ぴたりと静止させた。
 知れず、その動きを追っていた隊員たちの呼吸も、ぴたりと止まる。
 そして――。
 (リュイセン)の腕が、再び動きを取り戻す。
 前面にいた隊員たちの頬が旋風に(はた)かれ、瞳が銀の閃光に()かれる。

 力強く薙ぎ払う、右手の一の太刀。
 鋭く斬り裂く、左手の二の太刀。

 悲鳴すら上げることなく、ふたりの隊員は、綺麗に左右に分かれて転がされた。
「――!」
 あっけなく倒された同僚の姿に、残された隊員たちは戦慄した。
 ひとりが女王(アイリー)の腕を握ったまま更に下がり、ひとりが捨て身の覚悟で前に出て、銃を構える。
 しかし、神速を誇る双刀使いは、銃口が火を吹くよりも速く、刀を一閃した。

 鮮血が飛び散る。

 鉄の匂いが立ち込め、近衛隊員の体が、どさりと音を立てて崩れ落ちる。
「ひぃっ」
 最後の隊員は、女王(アイリー)を後ろに追いやりながら、足元に落ちてきた同僚を反射的に避けた。
「き、貴様……、こ、近衛隊に、こんなことをして、た、ただで済むと……!」
 (リュイセン)を睨みつけながら高圧的に吠えるが、歯の根が合わずに(まく)し立てても滑稽なだけである。
「リュイセン!?」
 怖気づいた近衛隊員の拘束を振りほどき、アイリーがリュイセンへと駆け寄った。
 そして、叫ぶ。
「どうして、『あなた』が『怪我をしている』の!?」
 斬られたのは、近衛隊員のはずだ。
 なのに、半袖のシャツから伸びた(たくま)しい腕――綺麗に日焼けした肌の上を、生々しい傷跡が走っている。
 何故、リュイセンが負傷したのかは分からない。けれど、武術に詳しくないアイリーにだって、理解できることはある。彼は、彼女のために無茶をしたのだ。
 リュイセンは、すっと一歩、後ろに下がった。アイリーから充分に距離を取った位置で双刀を旋回させ、かちり、と鍔鳴りの音を立てて鞘に納める。
「陛下。俺は、陛下を守る近衛隊員を傷つけたりなどしない」
「え?」
「俺の刀は、彼らの肉体に一切、触れてない。斬られたと思い込ませて、意識を絶ったまでだ」
「えっ? ええっ!?」
 衝撃の発言に、アイリーは、ひときわ高い音色を響かせた。驚愕のままに、倒れている近衛隊員たちへと瞳を巡らせれば、確かに外傷がない。
「本当だわ……。でも、そんなこと……」
「『脅かして、気絶させた』――と言えばいいか? 最後のひとりは、先のふたりが斬られていないことに気づかないように、俺の血を見せて、視覚的な衝撃(ショック)を……」
 リュイセンがそこまで言いかけたところで、アイリーが噛みつく。
「なんで、自分を傷つけるのよ!?」
「アイリーの……っと、陛下のために働く人間を傷つけるわけにはいかないだろう?」
 いくら無作法であったとしても、近衛隊員は女王を守る臣下だ。『女王の雇った護衛』が、彼らに手を出すわけにはいかない。故に、リュイセンは、自分に許される行動の範囲内で、知恵を絞ったのである。
「けど、近衛隊の言動は不敬だ。陛下は『息抜きをしたい』という意思を明確に示した。帰着時間だって宣言した。なのに、臣下であるはずの彼らが、まるで耳を傾けず、頭ごなしに否定する。そんなの、おかしいだろう? ――陛下にだって、好きなことをする自由があっていいはずだ!」
「リュイセン……」
 アイリーの瞳に、青灰色の(さざなみ)が立つ。
「優しいにも、ほどがあるわ……!」
 ()ねたように頬を膨らませながらも、天界の音色が涙で濁る。彼女は目元を押さえると、無理矢理に、ぐっと口角を上げた。
「ありがとう!」
 ぽん、と。
 幻の音色を奏でながら、白蓮華が咲きほころぶ。――リュイセンが見たかった笑顔だ。
 それから、アイリーは、くるりと(きびす)を返し、すっかり立場を失った、最後の近衛隊員に詰め寄った。
「私の捜索にあたっている、近衛隊員全員に通達して! ――私が王宮に戻るまで、詰め所での謹慎を命じます、って」
 高らかに告げる女王に、近衛隊員は「陛下!?」と、戸惑いの叫びを上げる。
「愚かな近衛隊員たちが、無頼漢(ならず者)同士の抗争(トラブル)を装う、なんてことをするから、私はとても怖い思いをしたの。反省が必要でしょう!? これは、『女王』の命令よ!」
「し、しかし、陛下!」
「私は護衛を雇って、お忍びに出掛けただけよ。彼が護衛として、申し分のない技倆(うで)を持っていることは、あなたにもよく分かったでしょう? それから、人間的にも優れている、ってこともね! これ以上の問答は、見苦しいだけだわ。――それとも、私には人を見る目がないと、疑うつもりなの!?」
 アイリーは、ぴしゃりと言ってのけ、指先の動きで、近衛隊員の目線をリュイセンへと促す。
 さほど深くはないとはいえ、血の(したた)る傷跡が目に入った。
 自らを傷つけるとは、狂気の沙汰だ。凶賊(ダリジィン)なら遠慮せず、近衛隊に斬りかかればよいものを――。
 思わず不躾に相手の顔を凝視すれば、黄金比の美貌を持つ『神速の双刀使い』は、礼儀に適った会釈を返してきた。
「!」
 格の違い。
 そんな言葉が頭をよぎる。
 後ろでは、巨漢の民間人が、居たたまれない様子で、おろおろと体を揺らしていた。どうしたらよいのかと、途方に暮れているらしい。
「……」
 女王の言葉に従う以外の道はないと、近衛隊員は項垂(うなだ)れるように深々と頭を下げた。


 八重歯の巨漢――こと、リュイセンの部下は、『なし崩しに『女王陛下』を愛車に乗せることになって、すっかり気が動転している民間人』の役柄を見事に演じきった。
 リュイセンとアイリーが後部座席に乗ったあとも気を抜かず、「へ、陛下! シートベルトをお締めくださいぃっ!」などと、車外にいる近衛隊員にも聞こえるような、素っ頓狂な声を張り上げてくれた。
 それから数分後。
「そろそろ、大丈夫っすね」
 凶賊(ダリジィン)の顔に戻った部下が、運転席からバックミラーを確認しつつ、にやりと八重歯を見せる。
「すまない。お前のおかげで、すっかり上手くいった。ありがとう」
 大柄な体を縮こめ、リュイセンは頭を下げた。実のところ、帯刀していた自分よりも、『民間人』として、丸腰でうろうろしていた部下のほうが、危険な役回りだったと思う。
「何を言ってんっすか。リュイセン様と嬢ちゃんのためなら、このくらい、朝飯前っすよ。――っと、女王陛下に対して、『嬢ちゃん』じゃあ、まずいっすかね?」
 わはは、と笑いながら言うあたり、ちっとも、まずいと思っていないのは明らかである。
 車内の緊張が解けていくのを感じ、『状況が落ち着くまでは』と、おとなしく待っていたアイリーは、「あ、あのっ!」と、力んだ音色を響かせた。
「ふたりとも、私のためにありがとう! ふたりに危険なことをさせてしまったのに、私……凄く、嬉しいの!」
 青灰色の瞳を潤ませながら、満面の笑顔を浮かべる。
 リュイセンは、ほっと胸を撫で下ろした。
 自分から『王宮に戻る』と言った彼女に、『それでも』とドライブを勧めるのは、押し付けがましい自己満足かもしれないと、一抹の不安があったのだ。
 けれど、間違っていなかった。
 徐々に口元が緩み、嬉しさがこみ上げる。
 ふと気づけば、運転席の部下もまた、厳つい顔の目尻を下げていた。
「嬢ちゃん、あんた、本当にいい子だなぁ」
「でも、私は女王だということを隠していて……、嫌な感じがしたでしょう?」
 綺羅の美貌が陰り、白金の眉が寄る。
「いや、まぁ、驚きはしたけどよぉ。けど、女王様の正体が、あの黒づくめだと聞かされたら、嫌な感じどころか、可笑(おか)しくってなぁ」
 八重歯の隙間から漏れる、「ぷぷっ」という思い出し笑い。
 アイリーは、ぷうっと頬を膨らませた。
「違うわ! 黒装束(あの格好)は、世を忍ぶ仮の姿よ! 私の真の姿は、今のほうなの!」
「ふゎっはっは。――はいはい、そうっす! 女王様!」
 そして、車内は豪快な笑い声に包まれた。


 あらかじめ打ち合わせておいた場所で、他の部下たちが待っていた。救護係が飛んできて、リュイセンの腕は手早く止血される。
「それじゃ、俺たちは野暮はいたしませんので」
「リュイセン様と嬢ちゃんは、ゆっくりドライブを楽しんできてくださいっす!」
 激しく誤解されているような気がしないでもないが、リュイセンは、部下たちが用意してくれた車の運転席に乗り込む。
「アイリー」
 助手席の扉を開けると、白蓮の花が、ぽんと咲きほころんだ。



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次のエピソードへ進む 7.白金に輝く漣に-1


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「リュイセン!!」
 耳をつんざくような発砲音に、アイリーは絶叫した。
 彼のもとへと駆け寄ろうとするも、屈強な近衛隊員に腕を掴まれていては、振りほどくことは叶わない。
 何故、こんなことに!?
 澄んだ青灰色の瞳が、いっぱいに見開かれる。
 そのとき、リュイセンが、すっと動いた。流れるような所作で、両手を|揃《そろ》えて脇にやりながら、腰を落として低く構える。
 次の刹那。
 彼の手元から、|眩《まばゆ》い銀光が生み出された。そのまま、音もなく一歩、前へと踏み込む。
「え……?」
 光の軌跡が、きん、と高音を放った。
 それが、凶弾を跳ね返した響きであることにアイリーが気づくまで、しばしの時間を要する。
「な……、銃弾を……」
 近衛隊員たちは絶句した。
 陽炎に惑わされ、幻を見たのかと疑いたくなるような|御業《みわざ》に、腰を抜かしそうになる。
 彼らの目を釘付けにしたものは、夏の陽射しを集め、凝縮したかのように煌めく、二振りの刀。ひとつの鞘から生まれ出た双子の刃が、|賊《リュイセン》の両の手に、ひとつずつ握られていた。
「『神速の双刀使い』……」
 |神技《しんぎ》とでも呼ぶべき刀術を前に、近衛隊員たちは、鷹刀一族の若き次期総帥の|異名《二つ名》を思い出す。
 彼らは、|賊《リュイセン》から目を離せぬまま、ごくりと唾を呑んだ。
 見るほどに常人離れした、黄金比の美貌。強く、美しく|在《あ》ることを求め、同じ血を重ね続けたという、この国最強の|凶賊《ダリジィン》――鷹刀一族。
 まさに、漆黒の魔性だ。
 本能的な恐怖が、近衛隊員たちの背中をぞくりと撫でた。
 |凶賊《ダリジィン》からしてみれば、近衛隊など、|玩具《おもちゃ》箱で暮らす|兵隊《人形》のようなもの。しかし、彼らとて武人の端くれだ。|己《おのれ》の|中《うち》の警鐘に従い、次々に拳銃を構え、引き金に指を掛ける。
 |賊《リュイセン》の両手が、円を描くように風を|薙《な》いだ。
 銀光の翼を得た狼が、舞うが如く。重力から解き放たれたような軽やかさで、|女王《アイリー》に向かって|疾《はし》る。
 恐怖に支配された近衛隊員たちは、摂政に賊の『射殺』ではなく、『捕獲』を求められていることを忘れ、引き金に掛けた指を……。
 そこに、野太い声が轟く。
「お、おい、あんた! いったい、何すんでぇっ……!?」
 女王陛下から『拉致犯を疑われて、困っている護衛』を街まで連れて行ってほしいと頼まれた、『巨漢の民間人』が、血相を変えて|賊《リュイセン》を追いかけてきた。
 女王直々に託された責任感からか、巨漢は|賊《リュイセン》を引き止めようと必死だった。太い腕をいっぱいに伸ばし、どたどたと巨体を揺らしながら、真後ろから付いてくる。
 近衛隊員たちは、はっと顔色を変えた。
 このまま引き金を引けば、疾風のような|賊《リュイセン》が、ひらりと身を|躱《かわ》したとき、その流れ弾は|巨漢《民間人》に当たる――!
 彼らの指は、すんでのところで留まった。
 絶妙に邪魔な軌道を描く巨漢は、この上なく迷惑な存在であるが、近衛隊が民間人を撃ち殺すわけにはいかない。
 大事に至らなくて済んだと、ほっとしたのも束の間。近衛隊員たちの目前に、|賊《リュイセン》が迫る。
 |女王《アイリー》の腕を捕らえた隊員と、隣のもうひとりが、彼女を守るように後ろに下がった。残ったふたりが前面に出つつ、私服に隠した軍用ナイフを取り出す。
 だが、ナイフと双刀の間合いの差は、歴然としている。しかも、相手は『神速の双刀使い』なのだ。天下の近衛隊員ともあろう者が、完全に腰が引けているのも無理はない。
 蒼白な顔で、彼らは|賊《リュイセン》と対峙した。
 風になびく短髪は、漆黒の狼を思わせるように|艷《つや》やかで。その双眸は、抜身の双刀を宿したが如く怜悧。
 |賊《リュイセン》は、刀と一体化したような両腕を胸の前で大きく交差させ、ぴたりと静止させた。
 知れず、その動きを追っていた隊員たちの呼吸も、ぴたりと止まる。
 そして――。
 |賊《リュイセン》の腕が、再び動きを取り戻す。
 前面にいた隊員たちの頬が旋風に|叩《はた》かれ、瞳が銀の閃光に|灼《や》かれる。
 力強く薙ぎ払う、右手の一の太刀。
 鋭く斬り裂く、左手の二の太刀。
 悲鳴すら上げることなく、ふたりの隊員は、綺麗に左右に分かれて転がされた。
「――!」
 あっけなく倒された同僚の姿に、残された隊員たちは戦慄した。
 ひとりが|女王《アイリー》の腕を握ったまま更に下がり、ひとりが捨て身の覚悟で前に出て、銃を構える。
 しかし、神速を誇る双刀使いは、銃口が火を吹くよりも速く、刀を一閃した。
 鮮血が飛び散る。
 鉄の匂いが立ち込め、近衛隊員の体が、どさりと音を立てて崩れ落ちる。
「ひぃっ」
 最後の隊員は、|女王《アイリー》を後ろに追いやりながら、足元に落ちてきた同僚を反射的に避けた。
「き、貴様……、こ、近衛隊に、こんなことをして、た、ただで済むと……!」
 |賊《リュイセン》を睨みつけながら高圧的に吠えるが、歯の根が合わずに|捲《まく》し立てても滑稽なだけである。
「リュイセン!?」
 怖気づいた近衛隊員の拘束を振りほどき、アイリーがリュイセンへと駆け寄った。
 そして、叫ぶ。
「どうして、『あなた』が『怪我をしている』の!?」
 斬られたのは、近衛隊員のはずだ。
 なのに、半袖のシャツから伸びた|逞《たくま》しい腕――綺麗に日焼けした肌の上を、生々しい傷跡が走っている。
 何故、リュイセンが負傷したのかは分からない。けれど、武術に詳しくないアイリーにだって、理解できることはある。彼は、彼女のために無茶をしたのだ。
 リュイセンは、すっと一歩、後ろに下がった。アイリーから充分に距離を取った位置で双刀を旋回させ、かちり、と鍔鳴りの音を立てて鞘に納める。
「陛下。俺は、陛下を守る近衛隊員を傷つけたりなどしない」
「え?」
「俺の刀は、彼らの肉体に一切、触れてない。斬られたと思い込ませて、意識を絶ったまでだ」
「えっ? ええっ!?」
 衝撃の発言に、アイリーは、ひときわ高い音色を響かせた。驚愕のままに、倒れている近衛隊員たちへと瞳を巡らせれば、確かに外傷がない。
「本当だわ……。でも、そんなこと……」
「『脅かして、気絶させた』――と言えばいいか? 最後のひとりは、先のふたりが斬られていないことに気づかないように、俺の血を見せて、視覚的な|衝撃《ショック》を……」
 リュイセンがそこまで言いかけたところで、アイリーが噛みつく。
「なんで、自分を傷つけるのよ!?」
「アイリーの……っと、陛下のために働く人間を傷つけるわけにはいかないだろう?」
 いくら無作法であったとしても、近衛隊員は女王を守る臣下だ。『女王の雇った護衛』が、彼らに手を出すわけにはいかない。故に、リュイセンは、自分に許される行動の範囲内で、知恵を絞ったのである。
「けど、近衛隊の言動は不敬だ。陛下は『息抜きをしたい』という意思を明確に示した。帰着時間だって宣言した。なのに、臣下であるはずの彼らが、まるで耳を傾けず、頭ごなしに否定する。そんなの、おかしいだろう? ――陛下にだって、好きなことをする自由があっていいはずだ!」
「リュイセン……」
 アイリーの瞳に、青灰色の|漣《さざなみ》が立つ。
「優しいにも、ほどがあるわ……!」
 |拗《す》ねたように頬を膨らませながらも、天界の音色が涙で濁る。彼女は目元を押さえると、無理矢理に、ぐっと口角を上げた。
「ありがとう!」
 ぽん、と。
 幻の音色を奏でながら、白蓮華が咲きほころぶ。――リュイセンが見たかった笑顔だ。
 それから、アイリーは、くるりと|踵《きびす》を返し、すっかり立場を失った、最後の近衛隊員に詰め寄った。
「私の捜索にあたっている、近衛隊員全員に通達して! ――私が王宮に戻るまで、詰め所での謹慎を命じます、って」
 高らかに告げる女王に、近衛隊員は「陛下!?」と、戸惑いの叫びを上げる。
「愚かな近衛隊員たちが、|無頼漢《ならず者》同士の|抗争《トラブル》を装う、なんてことをするから、私はとても怖い思いをしたの。反省が必要でしょう!? これは、『女王』の命令よ!」
「し、しかし、陛下!」
「私は護衛を雇って、お忍びに出掛けただけよ。彼が護衛として、申し分のない|技倆《うで》を持っていることは、あなたにもよく分かったでしょう? それから、人間的にも優れている、ってこともね! これ以上の問答は、見苦しいだけだわ。――それとも、私には人を見る目がないと、疑うつもりなの!?」
 アイリーは、ぴしゃりと言ってのけ、指先の動きで、近衛隊員の目線をリュイセンへと促す。
 さほど深くはないとはいえ、血の|滴《したた》る傷跡が目に入った。
 自らを傷つけるとは、狂気の沙汰だ。|凶賊《ダリジィン》なら遠慮せず、近衛隊に斬りかかればよいものを――。
 思わず不躾に相手の顔を凝視すれば、黄金比の美貌を持つ『神速の双刀使い』は、礼儀に適った会釈を返してきた。
「!」
 格の違い。
 そんな言葉が頭をよぎる。
 後ろでは、巨漢の民間人が、居たたまれない様子で、おろおろと体を揺らしていた。どうしたらよいのかと、途方に暮れているらしい。
「……」
 女王の言葉に従う以外の道はないと、近衛隊員は|項垂《うなだ》れるように深々と頭を下げた。
 八重歯の巨漢――こと、リュイセンの部下は、『なし崩しに『女王陛下』を愛車に乗せることになって、すっかり気が動転している民間人』の役柄を見事に演じきった。
 リュイセンとアイリーが後部座席に乗ったあとも気を抜かず、「へ、陛下! シートベルトをお締めくださいぃっ!」などと、車外にいる近衛隊員にも聞こえるような、素っ頓狂な声を張り上げてくれた。
 それから数分後。
「そろそろ、大丈夫っすね」
 |凶賊《ダリジィン》の顔に戻った部下が、運転席からバックミラーを確認しつつ、にやりと八重歯を見せる。
「すまない。お前のおかげで、すっかり上手くいった。ありがとう」
 大柄な体を縮こめ、リュイセンは頭を下げた。実のところ、帯刀していた自分よりも、『民間人』として、丸腰でうろうろしていた部下のほうが、危険な役回りだったと思う。
「何を言ってんっすか。リュイセン様と嬢ちゃんのためなら、このくらい、朝飯前っすよ。――っと、女王陛下に対して、『嬢ちゃん』じゃあ、まずいっすかね?」
 わはは、と笑いながら言うあたり、ちっとも、まずいと思っていないのは明らかである。
 車内の緊張が解けていくのを感じ、『状況が落ち着くまでは』と、おとなしく待っていたアイリーは、「あ、あのっ!」と、力んだ音色を響かせた。
「ふたりとも、私のためにありがとう! ふたりに危険なことをさせてしまったのに、私……凄く、嬉しいの!」
 青灰色の瞳を潤ませながら、満面の笑顔を浮かべる。
 リュイセンは、ほっと胸を撫で下ろした。
 自分から『王宮に戻る』と言った彼女に、『それでも』とドライブを勧めるのは、押し付けがましい自己満足かもしれないと、一抹の不安があったのだ。
 けれど、間違っていなかった。
 徐々に口元が緩み、嬉しさがこみ上げる。
 ふと気づけば、運転席の部下もまた、厳つい顔の目尻を下げていた。
「嬢ちゃん、あんた、本当にいい子だなぁ」
「でも、私は女王だということを隠していて……、嫌な感じがしたでしょう?」
 綺羅の美貌が陰り、白金の眉が寄る。
「いや、まぁ、驚きはしたけどよぉ。けど、女王様の正体が、あの黒づくめだと聞かされたら、嫌な感じどころか、|可笑《おか》しくってなぁ」
 八重歯の隙間から漏れる、「ぷぷっ」という思い出し笑い。
 アイリーは、ぷうっと頬を膨らませた。
「違うわ! |黒装束《あの格好》は、世を忍ぶ仮の姿よ! 私の真の姿は、今のほうなの!」
「ふゎっはっは。――はいはい、そうっす! 女王様!」
 そして、車内は豪快な笑い声に包まれた。
 あらかじめ打ち合わせておいた場所で、他の部下たちが待っていた。救護係が飛んできて、リュイセンの腕は手早く止血される。
「それじゃ、俺たちは野暮はいたしませんので」
「リュイセン様と嬢ちゃんは、ゆっくりドライブを楽しんできてくださいっす!」
 激しく誤解されているような気がしないでもないが、リュイセンは、部下たちが用意してくれた車の運転席に乗り込む。
「アイリー」
 助手席の扉を開けると、白蓮の花が、ぽんと咲きほころんだ。