表示設定
表示設定
目次 目次




2-1

ー/ー



 私立玉蘭女子学園高等学校東棟、生徒会室。細かな箇所までよく掃除の行き届いたこの部屋の中には現在、四人の人間がいた。そのうちの一人、生徒会長・一条怜花は状況の説明を終えると、会議用の長机に座る他三人の顔を順番に見やった。
「なるほど。それでさっきの悲鳴に繋がるのか」
 と、まず言葉を発したのは、怜花の正面に座る副会長の二谷侑麻(にたにゆま)である。先ほどから怜花の話を腕組みしながら聞いていた彼女は、その腕組みを解かぬまま納得したように数度首を頷かせた。
「それにしても、まるで暴漢に襲われたかのような悲鳴だったぞ」
「すみません、二谷お姉さま。要らぬご心配をおかけして」
「いいさ。きみの身が無事だったならよかったよ」
 そう言って侑麻はメタルフレームの眼鏡に軽く手を触れ、ややつり目がちな目元を柔和に綻ばせる。生徒会副会長・二谷侑麻。怜花の悲鳴を聞いて、最初に生徒会室に駆け付けたのは彼女だった。常に冷静沈着、まるでどこかのキャリアウーマンのような年齢にそぐわぬ落ち着いた雰囲気を纏う彼女だが、生徒会に対する熱意は怜花のそれに負けず劣らず熱いものをもっている。実際、前回の会長選挙で怜花が大勝したのち、それまでいた三年生役員たちのほとんどが生徒会を辞めてしまった際も、この侑麻だけは引き続き副会長として怜花を支えると生徒会に残った。三年生という、自分より一つ上の学年でありながら、偉ぶることなく怜花に接し、副会長として常に彼女のサポートに徹してくれる。怜花にとって深く信頼のおける副会長だ。
「なぁんだ。あたしはてっきり、ゴキブリでも出たのかと思ったよ」
 組んだ両手を頭の後ろに回し、怜花の隣に座る女子生徒が言った。
「ゴキブリのほうがまだよかったわ」
「そう? でも怜花、一人でゴキブリ潰せないじゃん」
「なっ――。彩芽(あやめ)、いつの話をしているの? 今はもう自分で処理できます」
 少しむっとして言う怜花に、「本当かなあ?」と彩芽は意地悪そうに笑う。生徒会会計担当・三田(みた)彩芽。怜花と同じ二年生の役員である。一見お調子者っぽい言動の目立つ彼女だが、玉女に通う学生としては特別裕福とは言えない中流家庭の生まれで、家の手伝いや歳の離れた弟たちの面倒をよく見るしっかり者としての一面ももっている。夏服の袖から覗く、よく日に焼けた引き締まった二の腕は、所属する硬式テニス部の練習に熱心に取り組んでいることの証左であろう。
「にしても、怜花ってあんな大きな声出すんだね。長い付き合いだけど初めて聞いたよ」
 そう言って、白い歯を見せニシシと笑う彼女は、怜花とは幼なじみという間柄でもある。高校に上がってからは以前のようにプライベートで遊ぶことはあまりなくなってしまったが、彼女もまた怜花にとって信頼のおける役員の一人であり、昔からの大切な友人でもある。
「そうだ、ゴキブリっていえばさ、昨日うちの台所に今まで見たことのないようなでっかいのが出てさあ――」
「あ、あの、ゴキブリの話は、もうやめませんか? 僕、虫ってどうも苦手で……」
 侑麻の隣の席に座っていた小柄な少女が、彩芽の話に遠慮がちに口を挟んだ。
「ああ、ごめん、汐音(しおん)。そうだよな、虫なんてみんな嫌いだよな。特にゴキブリなんて。あのヌルヌルと不気味に光る黒い体といい、不意に現れる神出鬼没さといい……しかもさ、潰してやろうと近くに寄ると、突然こっちに飛んできたりするじゃん? そのときのビチビチいう羽音ときたら、もう――」
「やめなさい、彩芽。四十万(しじま)さんが怖がっているわ」
「あ……ごめんね、つい」
 彩芽に改めて謝罪された汐音は、「いえ……」と少し困ったような顔で微笑む。一年生・四十万汐音。いわゆる「僕っ()」と呼ばれるカテゴリーに属する女子である。おとなしく物静か、四人の中で最下級の一年生ということもあって、普段はあまり自分の意見を主張しようとしない。だが仕事自体はなかなかに手際が良く、また手先が器用なので、生徒会の活動に用いる各種ポスターの制作などは概ねいつも彼女を中心として進められる。彼女のような気弱な気質のもち主がなぜ生徒会などに、と思われるかもしれないが、その実、そういった自分の性格を変えたいという思いで生徒会役員に立候補したという経緯がある。怜花としても、その向上心と今後の成長に大きく期待をかけている役員だ。なお、彼女は生徒会では書記を担当している。
 以上三名。そこに怜花を加えた四人が、現在の玉蘭女子学園高等学校生徒会役員の面々である。生徒会役員が四人。些か少なすぎやしないだろうかという感想は実にもっともである。それには先に少し触れた前回の会長選挙が大いに関係しているのだが、そのあたりのことはまた後述するとして、まずは彼女たち四人の会話を中心に話を進めていきたい。
「それで? 一条、生徒会室から物が盗まれたと言ったな。一体、何が盗まれたんだ?」
 コホン、と一つ咳払いをし、侑麻が怜花に訊ねる。怜花は侑麻のほうを向き、言った。
「本です」
「本?」
「ええ。生徒から没収した違反物を収納しておく保管棚。そこから本が一冊、盗まれていたのです」
 一同、保管棚のほうに目を向ける。戸が開いた保管棚の中は、先ほど怜花が掻き回したときのまま、様々な物品が雑然とした状態で置かれていた。
「本」と侑麻が言葉の意味を確かめるように呟く。「その本というのは、具体的にどういった本だ?」
「それは――その、薄い本です」
「薄い……? ああ、いや、厚さというよりかは、どんな種類の本なのかが聞きたかったんだが。たとえば、漫画であるとか、雑誌であるとか」
「あ、ああ、そう、そうですよね。ええと、あれは……漫画です。ええ、漫画」
 アハハ、と怜花は直前の己の発言を誤魔化すように不自然に笑う。どう表現したらよいか瞬時に思い付かず、つい「薄い本」などと答えてしまった。その道に通じている人ならば、その言葉の内包する意味にすぐに勘付いてしまう言い方だ。言葉にはくれぐれも注意しなければ。伝統校の生徒会長たる自分がこんなにも腐り散らかしていることなど、誰にも、絶対に、知られてはならないのだから。
「ふうん、漫画かあ」
 のんびりした調子で言ったのは彩芽である。
「じゃあなに? その漫画が一冊なくなっていたことに気づいたから、さっきはあんな大声を上げたの?」
「そうよ。わたしたちの学校で盗みがあったなんて、一大事でしょう?」
「まあ、たしかにそうだけど……。でも、いつもの怜花ならもっと冷静な反応をするような気もするけどなあ」
「わ、わたしも気が動転していたのよ。学校に、しかも生徒会室に泥棒が入るなんて、まさか想像もしていなかったから」
「そっか。うん、たしかに、そうだね。何にせよ、怜花が無事で本当によかったよ。盗まれたのもたかが漫画本一冊なら、不幸中の幸いってやつだよね」
 たかが漫画本一冊。その発言に、怜花の頭の血管はブチブチと音を立てて切れそうになった。抑えなければならない。純粋な、悪意のない発言であることはわかっている。怜花が悲鳴を上げた際、侑麻に続いて生徒会室に駆け付けてくれたのはこの彩芽だった。「怜花、大丈夫!?」と肩で息を切らしながら部屋に駆け込んできたときの彼女の表情。部活が忙しいのもあるのだろう、高校に上がってからはどこかよそよそしく疎遠がちだった彼女が、自分のことを本気で心配してくれているのだとその表情から十二分に伝わってきた。「そうね。ありがとう、彩芽」と怜花は大切な友人に心からの笑みを向ける。
「あ、あの、会長」
 と、今度は汐音が怜花に声をかける。
「その、なくなっていた漫画本って、どんな漫画だったんですか?」
「どんな?」
「はい。漫画の内容っていうか……」
 内容。本来ならばその素晴らしさについて余すことなく講釈してやりたいところなのだが、無論この場でそんなことはできない。怜花は努めて冷静に「ごめんなさい。中を読んだわけではないので、内容についてはわからないの」と答える。
「でもなあ、漫画本なんてねえ。犯人は、どうしてわざわざそんなものを」
「理由はわからないけれど、いずれにしろ窃盗は犯罪よ。盗んだ人間を、なんとしても、見つけ出す必要があるわ」
「待て。一つ、いいか?」
 ふいにそう言ったのは侑麻である。彼女は相変わらず腕を組んだまま、怜花をじっと見つめ、訊ねる。


スタンプを贈って作者を応援しよう!

次のエピソードへ進む 2-2


みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…



 私立玉蘭女子学園高等学校東棟、生徒会室。細かな箇所までよく掃除の行き届いたこの部屋の中には現在、四人の人間がいた。そのうちの一人、生徒会長・一条怜花は状況の説明を終えると、会議用の長机に座る他三人の顔を順番に見やった。
「なるほど。それでさっきの悲鳴に繋がるのか」
 と、まず言葉を発したのは、怜花の正面に座る副会長の|二谷侑麻《にたにゆま》である。先ほどから怜花の話を腕組みしながら聞いていた彼女は、その腕組みを解かぬまま納得したように数度首を頷かせた。
「それにしても、まるで暴漢に襲われたかのような悲鳴だったぞ」
「すみません、二谷お姉さま。要らぬご心配をおかけして」
「いいさ。きみの身が無事だったならよかったよ」
 そう言って侑麻はメタルフレームの眼鏡に軽く手を触れ、ややつり目がちな目元を柔和に綻ばせる。生徒会副会長・二谷侑麻。怜花の悲鳴を聞いて、最初に生徒会室に駆け付けたのは彼女だった。常に冷静沈着、まるでどこかのキャリアウーマンのような年齢にそぐわぬ落ち着いた雰囲気を纏う彼女だが、生徒会に対する熱意は怜花のそれに負けず劣らず熱いものをもっている。実際、前回の会長選挙で怜花が大勝したのち、それまでいた三年生役員たちのほとんどが生徒会を辞めてしまった際も、この侑麻だけは引き続き副会長として怜花を支えると生徒会に残った。三年生という、自分より一つ上の学年でありながら、偉ぶることなく怜花に接し、副会長として常に彼女のサポートに徹してくれる。怜花にとって深く信頼のおける副会長だ。
「なぁんだ。あたしはてっきり、ゴキブリでも出たのかと思ったよ」
 組んだ両手を頭の後ろに回し、怜花の隣に座る女子生徒が言った。
「ゴキブリのほうがまだよかったわ」
「そう? でも怜花、一人でゴキブリ潰せないじゃん」
「なっ――。|彩芽《あやめ》、いつの話をしているの? 今はもう自分で処理できます」
 少しむっとして言う怜花に、「本当かなあ?」と彩芽は意地悪そうに笑う。生徒会会計担当・|三田《みた》彩芽。怜花と同じ二年生の役員である。一見お調子者っぽい言動の目立つ彼女だが、玉女に通う学生としては特別裕福とは言えない中流家庭の生まれで、家の手伝いや歳の離れた弟たちの面倒をよく見るしっかり者としての一面ももっている。夏服の袖から覗く、よく日に焼けた引き締まった二の腕は、所属する硬式テニス部の練習に熱心に取り組んでいることの証左であろう。
「にしても、怜花ってあんな大きな声出すんだね。長い付き合いだけど初めて聞いたよ」
 そう言って、白い歯を見せニシシと笑う彼女は、怜花とは幼なじみという間柄でもある。高校に上がってからは以前のようにプライベートで遊ぶことはあまりなくなってしまったが、彼女もまた怜花にとって信頼のおける役員の一人であり、昔からの大切な友人でもある。
「そうだ、ゴキブリっていえばさ、昨日うちの台所に今まで見たことのないようなでっかいのが出てさあ――」
「あ、あの、ゴキブリの話は、もうやめませんか? 僕、虫ってどうも苦手で……」
 侑麻の隣の席に座っていた小柄な少女が、彩芽の話に遠慮がちに口を挟んだ。
「ああ、ごめん、|汐音《しおん》。そうだよな、虫なんてみんな嫌いだよな。特にゴキブリなんて。あのヌルヌルと不気味に光る黒い体といい、不意に現れる神出鬼没さといい……しかもさ、潰してやろうと近くに寄ると、突然こっちに飛んできたりするじゃん? そのときのビチビチいう羽音ときたら、もう――」
「やめなさい、彩芽。|四十万《しじま》さんが怖がっているわ」
「あ……ごめんね、つい」
 彩芽に改めて謝罪された汐音は、「いえ……」と少し困ったような顔で微笑む。一年生・四十万汐音。いわゆる「僕っ|娘《こ》」と呼ばれるカテゴリーに属する女子である。おとなしく物静か、四人の中で最下級の一年生ということもあって、普段はあまり自分の意見を主張しようとしない。だが仕事自体はなかなかに手際が良く、また手先が器用なので、生徒会の活動に用いる各種ポスターの制作などは概ねいつも彼女を中心として進められる。彼女のような気弱な気質のもち主がなぜ生徒会などに、と思われるかもしれないが、その実、そういった自分の性格を変えたいという思いで生徒会役員に立候補したという経緯がある。怜花としても、その向上心と今後の成長に大きく期待をかけている役員だ。なお、彼女は生徒会では書記を担当している。
 以上三名。そこに怜花を加えた四人が、現在の玉蘭女子学園高等学校生徒会役員の面々である。生徒会役員が四人。些か少なすぎやしないだろうかという感想は実にもっともである。それには先に少し触れた前回の会長選挙が大いに関係しているのだが、そのあたりのことはまた後述するとして、まずは彼女たち四人の会話を中心に話を進めていきたい。
「それで? 一条、生徒会室から物が盗まれたと言ったな。一体、何が盗まれたんだ?」
 コホン、と一つ咳払いをし、侑麻が怜花に訊ねる。怜花は侑麻のほうを向き、言った。
「本です」
「本?」
「ええ。生徒から没収した違反物を収納しておく保管棚。そこから本が一冊、盗まれていたのです」
 一同、保管棚のほうに目を向ける。戸が開いた保管棚の中は、先ほど怜花が掻き回したときのまま、様々な物品が雑然とした状態で置かれていた。
「本」と侑麻が言葉の意味を確かめるように呟く。「その本というのは、具体的にどういった本だ?」
「それは――その、薄い本です」
「薄い……? ああ、いや、厚さというよりかは、どんな種類の本なのかが聞きたかったんだが。たとえば、漫画であるとか、雑誌であるとか」
「あ、ああ、そう、そうですよね。ええと、あれは……漫画です。ええ、漫画」
 アハハ、と怜花は直前の己の発言を誤魔化すように不自然に笑う。どう表現したらよいか瞬時に思い付かず、つい「薄い本」などと答えてしまった。その道に通じている人ならば、その言葉の内包する意味にすぐに勘付いてしまう言い方だ。言葉にはくれぐれも注意しなければ。伝統校の生徒会長たる自分がこんなにも腐り散らかしていることなど、誰にも、絶対に、知られてはならないのだから。
「ふうん、漫画かあ」
 のんびりした調子で言ったのは彩芽である。
「じゃあなに? その漫画が一冊なくなっていたことに気づいたから、さっきはあんな大声を上げたの?」
「そうよ。わたしたちの学校で盗みがあったなんて、一大事でしょう?」
「まあ、たしかにそうだけど……。でも、いつもの怜花ならもっと冷静な反応をするような気もするけどなあ」
「わ、わたしも気が動転していたのよ。学校に、しかも生徒会室に泥棒が入るなんて、まさか想像もしていなかったから」
「そっか。うん、たしかに、そうだね。何にせよ、怜花が無事で本当によかったよ。盗まれたのもたかが漫画本一冊なら、不幸中の幸いってやつだよね」
 たかが漫画本一冊。その発言に、怜花の頭の血管はブチブチと音を立てて切れそうになった。抑えなければならない。純粋な、悪意のない発言であることはわかっている。怜花が悲鳴を上げた際、侑麻に続いて生徒会室に駆け付けてくれたのはこの彩芽だった。「怜花、大丈夫!?」と肩で息を切らしながら部屋に駆け込んできたときの彼女の表情。部活が忙しいのもあるのだろう、高校に上がってからはどこかよそよそしく疎遠がちだった彼女が、自分のことを本気で心配してくれているのだとその表情から十二分に伝わってきた。「そうね。ありがとう、彩芽」と怜花は大切な友人に心からの笑みを向ける。
「あ、あの、会長」
 と、今度は汐音が怜花に声をかける。
「その、なくなっていた漫画本って、どんな漫画だったんですか?」
「どんな?」
「はい。漫画の内容っていうか……」
 内容。本来ならばその素晴らしさについて余すことなく講釈してやりたいところなのだが、無論この場でそんなことはできない。怜花は努めて冷静に「ごめんなさい。中を読んだわけではないので、内容についてはわからないの」と答える。
「でもなあ、漫画本なんてねえ。犯人は、どうしてわざわざそんなものを」
「理由はわからないけれど、いずれにしろ窃盗は犯罪よ。盗んだ人間を、なんとしても、見つけ出す必要があるわ」
「待て。一つ、いいか?」
 ふいにそう言ったのは侑麻である。彼女は相変わらず腕を組んだまま、怜花をじっと見つめ、訊ねる。