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第二百十二話

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 時は、随分前まで遡る。来栖善吉という男が、ある会社に勤めた十五年ほど前までテープが巻き戻っていく。
 某有名大学を卒業した善吉は、特にやりたいこともなく、漠然とした認識で地元の企業に入社。未来のビジョンも大したものはなく、大学時代に知り合った女性と同棲しており、そのままなあなあな人生を送るものだと考えていた。
 善吉が大学の分野で学んだものは、心理学。かなり深い分野まで学びはしたものの、しかしこれが将来的に役に立つ認識はなく、ただ人間の深い部分まで学んだ、とだけしか考えていなかったのだ。
 それゆえに、善吉は表向きではだいぶ社交的ではあったが、本性はだいぶ冷めた人間であった。どれほどゴマを擂ろうと、おべっかを使おうと、結局人間の本心は変わらない。深い部分まで心理学を学んだ結果、人間の深淵を知り、信頼に足る生物として人間≪ホモ・サピエンス≫は有り得ないと結論付けたのだ。
 しかし、ある時。企業にはありがちな、無能な上層部からのパワハラが常態化していった。入社してから程たったとはお世辞にも言えない、一か月目のことである。
 土台無理な話を吹っ掛けられた善吉は、無表情に無理であることを告げる。パワハラから真正面に立ち向かう、だなんて正義マンとして生きる健全な心は存在していなかったが、単純に自分が気に入らなかったことが理由であった。
 その結果、ただ暴力を振るうしか能の無い上司の手によって、暴力と無理難題が常となった。上に立ったものは、往々にして「自分で何とかする」ことに自堕落になり、部下に解決を急く。さらにそうして強要していくと、自ずと自分の能力も下がっていく。その悪循環に気づくことはなく、ただその時の自分が楽をしたいから、という理由で攻撃する老害に、次第に殺意が湧いていた。
 そして、善吉はその上司に同じくらいの濃度の暴力行為を働く。結果、警察に相談しようとしたため、徹底的に足を潰した。今後一生、車いすでの生活を余儀なくすることで、その上司の一人は善吉に対して恐怖心を抱き、媚び諂≪へつら≫うようになった。立場など関係なしに、一人を調伏したのだ。
 その時、善吉は理解した。大して目標もない彼であったが、この一件をきっかけに「この会社の無能全てを自分の配下に置き、徹底的に矯正する」ことを第一の目標として掲げたのだ。
 そこから善吉が行ったことは、社内の人間をあらゆる手段を用いて手懐けることであった。自分の後輩、同僚を最初にまとめ上げたのだ。
 そのために用いた概念こそ、心理学であった。最初は多少不慣れであったが、あらゆる事象、感情、概念を用いて、善吉の思うまま、全てをこなす傀儡へと変えていくのだ。
 時には、善吉が嫌っているような、心からの正義の人がいる。大層な最終目標を掲げながら、目を爛々と輝かせ働く、まさに太陽のような存在。そんな存在には、聞こえのいい言葉を並べながら善吉の行いを是とする洗脳を行う。もしそれが通用しないのなら、背筋を凍り付かせるような心からの恐怖心を以って縛り付けるのみ。当人以外を洗脳し、自分が間違っていると錯覚させ気を違≪たが≫わせるのだ。
 次第に、同格あるいは下の存在全てがイエスマンとなった善吉は、上層部に喧嘩を仕掛けに行く。無論、武力行使ではなく、心理学を悪用した洗脳、あるいは真なる利用法である催眠療法≪ヒプノセラピー≫を仕掛けにかかったのだ。しかも一人ひとりに仕掛けに行くのではなく、人海戦術を用いた集団催眠である。
 そして、会社の内九割九分九厘を掌握した善吉は、その時初めて自分はある程度できた人間であることを自覚した。その内に秘める有能性が、少なくともこの会社の社長以上であることを認識したのだ。所詮人望だけでは、何も成し得ない。理想論など塵≪ゴミ≫同然だと気付いたのだ。
 そのため、目障りであった当時の社長を、小さなカルト宗教と化した会社全体でリンチした。しかしそれは暴力を用いたものではなく、近親関係者含む全員に対しての大規模洗脳行為により、善吉の言うことを何でもノータイムで実行する、下僕と化したうえで、社長を近親関係者の手で双方合意の上で殺したのだ。手段としては、近年アメリカの数州でも取り入れられている液体火葬。
 ちゃんとした遺書、ちゃんとした手続きによって殺したため、表向きではさして問題にはならず、ニュースや新聞の報道網には一切引っかからなかった。
 多くの手下を従えた善吉は、これでは終わらなかった。今の会社を母体とし、新たな会社を作り上げることが先決であると考えたのだ。
 昨今、世は少子高齢化。以前は第一次・第二次ベビーブームの時代があったにも拘らず、意識の低下や出費の嵩む毎日が祟った結果、下降の一途を辿っている。そのため、会社全体で子供に注力した、それでいて今の会社よりもより規模の大きいものにしようと考えたのだ。
 その結果、新たに創業したのは、五斂子社。あらゆる子供が関わるビジネスに根を張り、山梨全体の繁栄を望んだ地域密着型企業が生まれた、というのもあり、心理学を用いた精神掌握など使わずとも味方は徐々に増えていった。しかも、方針が分かりやすかった影響もあり、競合他社と比べてもその支持率はかなりのものとなっていった。
 その結果生じるものは、別企業間の軋轢。地域密着ではない他企業と比べても、規模も資本金も年月も全てが未熟であったため、格好の獲物であった。何かしらの隙があれば、すぐに自分の企業に悪条件で飲み込んでこき使ってやろう、そう言った人間の浅はかさ、薄汚さが表れていたために、善吉は酷く競合他社のトップを嫌っていた。
 結果、何があったか。その企業を、跡形も無くせるほどに重大な機密情報だったり、最悪のスキャンダルだったりを山梨全土に流したのだ。一切の反抗が出来ないほどに、徹底的に競合他社を攻撃。しかも自社の名前を出すことなく。
 一見、徳が生まれるのが決まって善吉サイドであるため、多少の疑い程度が出るはずだった。しかし、社会的悪を淘汰したがる正義の暴力マンによって、人々の精神は次第に汚職等を許さぬ正義マンとして進化。善吉のこと関係なしに、あらゆるスキャンダルに対し、過度にネットリンチや実害行為を以って蹴落としていく。
 人々の「汚職を許さない」集合的無意識によって、善吉に全ての得が行こうが関係のないローカル環境下での完全無敵状態、これが善吉にとっての計画の一部であったのだ。市民を味方につける行為というものがどれほど恐ろしく、どれほど力強い行為であるか、というのを知らしめたのだ。
 そうした後にどうなったかは、自明の理である。競合他社全てが、善吉の靴を舐め始めたのだ。高い金を支払って、情報をどうにか消せないか、というやんわりとした圧力が効かないとなったら、それすらも世間に情報を流そうとする彼の靴を舐めたのだ。
 今更、貧乏人の生活には戻れない。金は命よりも重い。どれほど清廉潔白、公明正大な社長であったとしてもその自覚があったのか、ほんの少しグレードを落とすだけでほぼこれまでと変わらない生活が送れるのなら、喜んで靴を舐めたのだ。善吉はその存在をひどく見下しながらも、徹底的に教育、可愛らしい愛玩動物として手懐けたのだ。
 結果的に、山梨は完全掌握。闇の部分も光の部分もマルチでこなせる、とんでもないほどの大企業へと躍進したのだ。元企業が無くなって、五斂子社設立、そして立派に成長させるまでに要した時間は、たったの五年。
 ある程度の目標を達成した善吉は、ちょっとした充足感を覚え、夫婦の間に子供を作った。圧倒的情報戦、そして企業間のいざこざを経験していた善吉にそれほどの暇はなかったためである。その子供こそ、葵。来栖葵である。
 会社を矯正し、金、子宝、従業員全てが恵まれ。もうこれ以上の欲はない、そう思っていた。



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 時は、随分前まで遡る。来栖善吉という男が、ある会社に勤めた十五年ほど前までテープが巻き戻っていく。
 某有名大学を卒業した善吉は、特にやりたいこともなく、漠然とした認識で地元の企業に入社。未来のビジョンも大したものはなく、大学時代に知り合った女性と同棲しており、そのままなあなあな人生を送るものだと考えていた。
 善吉が大学の分野で学んだものは、心理学。かなり深い分野まで学びはしたものの、しかしこれが将来的に役に立つ認識はなく、ただ人間の深い部分まで学んだ、とだけしか考えていなかったのだ。
 それゆえに、善吉は表向きではだいぶ社交的ではあったが、本性はだいぶ冷めた人間であった。どれほどゴマを擂ろうと、おべっかを使おうと、結局人間の本心は変わらない。深い部分まで心理学を学んだ結果、人間の深淵を知り、信頼に足る生物として人間≪ホモ・サピエンス≫は有り得ないと結論付けたのだ。
 しかし、ある時。企業にはありがちな、無能な上層部からのパワハラが常態化していった。入社してから程たったとはお世辞にも言えない、一か月目のことである。
 土台無理な話を吹っ掛けられた善吉は、無表情に無理であることを告げる。パワハラから真正面に立ち向かう、だなんて正義マンとして生きる健全な心は存在していなかったが、単純に自分が気に入らなかったことが理由であった。
 その結果、ただ暴力を振るうしか能の無い上司の手によって、暴力と無理難題が常となった。上に立ったものは、往々にして「自分で何とかする」ことに自堕落になり、部下に解決を急く。さらにそうして強要していくと、自ずと自分の能力も下がっていく。その悪循環に気づくことはなく、ただその時の自分が楽をしたいから、という理由で攻撃する老害に、次第に殺意が湧いていた。
 そして、善吉はその上司に同じくらいの濃度の暴力行為を働く。結果、警察に相談しようとしたため、徹底的に足を潰した。今後一生、車いすでの生活を余儀なくすることで、その上司の一人は善吉に対して恐怖心を抱き、媚び諂≪へつら≫うようになった。立場など関係なしに、一人を調伏したのだ。
 その時、善吉は理解した。大して目標もない彼であったが、この一件をきっかけに「この会社の無能全てを自分の配下に置き、徹底的に矯正する」ことを第一の目標として掲げたのだ。
 そこから善吉が行ったことは、社内の人間をあらゆる手段を用いて手懐けることであった。自分の後輩、同僚を最初にまとめ上げたのだ。
 そのために用いた概念こそ、心理学であった。最初は多少不慣れであったが、あらゆる事象、感情、概念を用いて、善吉の思うまま、全てをこなす傀儡へと変えていくのだ。
 時には、善吉が嫌っているような、心からの正義の人がいる。大層な最終目標を掲げながら、目を爛々と輝かせ働く、まさに太陽のような存在。そんな存在には、聞こえのいい言葉を並べながら善吉の行いを是とする洗脳を行う。もしそれが通用しないのなら、背筋を凍り付かせるような心からの恐怖心を以って縛り付けるのみ。当人以外を洗脳し、自分が間違っていると錯覚させ気を違≪たが≫わせるのだ。
 次第に、同格あるいは下の存在全てがイエスマンとなった善吉は、上層部に喧嘩を仕掛けに行く。無論、武力行使ではなく、心理学を悪用した洗脳、あるいは真なる利用法である催眠療法≪ヒプノセラピー≫を仕掛けにかかったのだ。しかも一人ひとりに仕掛けに行くのではなく、人海戦術を用いた集団催眠である。
 そして、会社の内九割九分九厘を掌握した善吉は、その時初めて自分はある程度できた人間であることを自覚した。その内に秘める有能性が、少なくともこの会社の社長以上であることを認識したのだ。所詮人望だけでは、何も成し得ない。理想論など塵≪ゴミ≫同然だと気付いたのだ。
 そのため、目障りであった当時の社長を、小さなカルト宗教と化した会社全体でリンチした。しかしそれは暴力を用いたものではなく、近親関係者含む全員に対しての大規模洗脳行為により、善吉の言うことを何でもノータイムで実行する、下僕と化したうえで、社長を近親関係者の手で双方合意の上で殺したのだ。手段としては、近年アメリカの数州でも取り入れられている液体火葬。
 ちゃんとした遺書、ちゃんとした手続きによって殺したため、表向きではさして問題にはならず、ニュースや新聞の報道網には一切引っかからなかった。
 多くの手下を従えた善吉は、これでは終わらなかった。今の会社を母体とし、新たな会社を作り上げることが先決であると考えたのだ。
 昨今、世は少子高齢化。以前は第一次・第二次ベビーブームの時代があったにも拘らず、意識の低下や出費の嵩む毎日が祟った結果、下降の一途を辿っている。そのため、会社全体で子供に注力した、それでいて今の会社よりもより規模の大きいものにしようと考えたのだ。
 その結果、新たに創業したのは、五斂子社。あらゆる子供が関わるビジネスに根を張り、山梨全体の繁栄を望んだ地域密着型企業が生まれた、というのもあり、心理学を用いた精神掌握など使わずとも味方は徐々に増えていった。しかも、方針が分かりやすかった影響もあり、競合他社と比べてもその支持率はかなりのものとなっていった。
 その結果生じるものは、別企業間の軋轢。地域密着ではない他企業と比べても、規模も資本金も年月も全てが未熟であったため、格好の獲物であった。何かしらの隙があれば、すぐに自分の企業に悪条件で飲み込んでこき使ってやろう、そう言った人間の浅はかさ、薄汚さが表れていたために、善吉は酷く競合他社のトップを嫌っていた。
 結果、何があったか。その企業を、跡形も無くせるほどに重大な機密情報だったり、最悪のスキャンダルだったりを山梨全土に流したのだ。一切の反抗が出来ないほどに、徹底的に競合他社を攻撃。しかも自社の名前を出すことなく。
 一見、徳が生まれるのが決まって善吉サイドであるため、多少の疑い程度が出るはずだった。しかし、社会的悪を淘汰したがる正義の暴力マンによって、人々の精神は次第に汚職等を許さぬ正義マンとして進化。善吉のこと関係なしに、あらゆるスキャンダルに対し、過度にネットリンチや実害行為を以って蹴落としていく。
 人々の「汚職を許さない」集合的無意識によって、善吉に全ての得が行こうが関係のないローカル環境下での完全無敵状態、これが善吉にとっての計画の一部であったのだ。市民を味方につける行為というものがどれほど恐ろしく、どれほど力強い行為であるか、というのを知らしめたのだ。
 そうした後にどうなったかは、自明の理である。競合他社全てが、善吉の靴を舐め始めたのだ。高い金を支払って、情報をどうにか消せないか、というやんわりとした圧力が効かないとなったら、それすらも世間に情報を流そうとする彼の靴を舐めたのだ。
 今更、貧乏人の生活には戻れない。金は命よりも重い。どれほど清廉潔白、公明正大な社長であったとしてもその自覚があったのか、ほんの少しグレードを落とすだけでほぼこれまでと変わらない生活が送れるのなら、喜んで靴を舐めたのだ。善吉はその存在をひどく見下しながらも、徹底的に教育、可愛らしい愛玩動物として手懐けたのだ。
 結果的に、山梨は完全掌握。闇の部分も光の部分もマルチでこなせる、とんでもないほどの大企業へと躍進したのだ。元企業が無くなって、五斂子社設立、そして立派に成長させるまでに要した時間は、たったの五年。
 ある程度の目標を達成した善吉は、ちょっとした充足感を覚え、夫婦の間に子供を作った。圧倒的情報戦、そして企業間のいざこざを経験していた善吉にそれほどの暇はなかったためである。その子供こそ、葵。来栖葵である。
 会社を矯正し、金、子宝、従業員全てが恵まれ。もうこれ以上の欲はない、そう思っていた。