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第二百九話

ー/ー



「――廉治さん」
『結衣……!!』
 鬼の目にも涙。そう言い表せるように、怪人態であってもぼろぼろと涙を流す灰崎。名を呼ばれ、垂れる首を思わず上げるも、そこにあったのは不変のもの。以前長いこと関わってきた彼女の、純粋かつ実直、それでいて柔らかな笑顔であった。
「本当に……本当に……」
 微笑を湛えながら――――灰崎の右目にナイフを突き立てる。多量の血が噴き出すとともに、片側の視界が完全にブラックアウトする。

「――歪んだ、シスターコンプレックスだ。もうこの世に灰崎結衣という女は存在しないというのに。何と馬鹿らしい。これだから――お前相手は実にやりやすい」

 結衣の姿形を持ちながら、中身はとんでもない性悪のままであった。どうしようもないほどに、人を弄ぶことを是とする、とんだ最低の屑であった。分かり切っていたことではあったが、心の痛みは加速する。
 言語化できないほどに断末魔を上げる灰崎であったが、苦悶に歪む存在を目の前にして、さらに悪化させようと試みていたのだ。
「……廉治さん。貴方……私を目の前で見捨てましたよね。それが……たまらなく許せなくって。だから……同じ手段で殺そうって思ったんです。でも慈悲を掛けます、銃で自死するなら、私の手で殺すだなんてことはしません。私は優しいので」
 その瞬間、灰崎はどこか現実を知ったような、絶望したような表情を見せた。
 以前と変わることのない笑顔であったが、その内に秘めたるはヘドロのような悪意ばかり。灰崎は、これも自分に与えられた罰だと、どこか諦めていた。例えそれが他人による画策だろうと、過去の行いがこうして降りかかっているのだから、結局は自分のせいだと諦めていたのだ。
「だから――死んでください、廉治さん」
 ただ、灰崎にとって一つだけ、許せないことがあったのだ。
『――俺は、ずっとずっと……結衣を救えなかったことを……悔やんでいた。俺の……力不足だって』
 『教会』の悪意に晒された結果、フルボディ全体に確かにあった平穏が、突如として崩れ去った。それは紛れもない事実であった。ただ、そうなるまでに自分たちに、人知を超越した力を徒に振るわれる、一切の理由が無いこともまた事実であった。
 だからこそ、当人に手を下されるならまだしも、それ以外の第三者に手を下されるのは理由として成り立っていない。それゆえの怒りが湧きあがっていたのだ。
『……それに、だ。俺のことをさんざ調べて、それでいて悪意を以って接している割によ……お前、結衣が絶対に言わないことを口走りやがったんだ』
 ナイフを引き抜き、フルパワーを以ってある程度治癒する。その代償か、ドライバーが機能を失い灰崎の変身が解除される。右目から現在進行形で出血しながらも、偽者の胴体部を蹴り飛ばし、ふらつきながらも立ち上がったのだ。
「――結衣は、絶対に自分を褒めなかった。努力を自分で認めようとしなかったんだ。それほどにクソ真面目で、驕りだなんて言葉が最も似合わない奴なんだよ」
 そんな存在の姿をした偽者が、「私は優しいので」と口走った瞬間に、ほんの少しだけ浸っていた幻想(ゆめ)から飛び立つ覚悟を決めたのだ。
「……ありがとうよ、とんだクソッタレ。お陰様で……お前の悪意で――――」
 偽者を優しく抱き寄せ、銃で腹部に数発撃ち込む。
「俺は……ようやく過去と決別できた。善吉(おまえ)は、所詮結衣じゃあない。どれだけ大まかな部分を真似ようが、細部がダメだ。所詮『実体験』していないお前は、当たり障りのないことしかできやしない」
 そうは語っていても、言葉は震えていた。あくまで強がり。自分の手で結衣の姿をした何者かを手にかけた訳ではあるが、精神的ダメージが大きすぎたのだ。
 長いこと離れ離れになってしまった家族、それを一切の迷いなく手にかけて、精神が動揺しない者はいない。どれほど心を殺そうにも、限度がある。いつか来る限界が、当人の脳を汚染していくのみである。
 そのままふらつく偽者を蹴り飛ばし、心臓部を踏みつける。あの時の外道と同じように、脳天を撃ち抜いて終わらせる。ただそれだけであったが、善吉は偽物の体で形だけの抵抗をする。
「――廉治さん、貴方は……ずいぶん変わってしまったのね。まるで……血も涙もない最低な人。そんな人を少しでも大切に思っていただなんて……私が馬鹿みたい」
「……そうかよ。勝手に思ってろ。本当の結衣なら――今頃喜んでくれているだろうよ。自分の名を騙る、人の心を一切推し量ることが出来ない、人の上に立つ資格も人を貶める資格もない、そんな大馬鹿野郎を成敗してくれたことによ」
 頭部に潜む、偽者の核。それを容赦なく狙い撃ち。たった一発の銃撃だけでは飽き足らず、二度と起き上がることの無いよう美しい顔を台無しにしていく。
 一発、二発、三発。そこまでは何とか耐えられたのだが、四発、五発と撃ち込んでいくうちに、涙が溢れ出し、止まらなくなっていた。マガジンに装填された最後の一発、すなわち六発目。これまでに射撃した分を考えたら実に妥当な弾倉量であったが、これ以上この顔に撃つことは、灰崎の精神が拒んでいた。
 次第に、結衣の姿ではなくただのダミー人形と化していく偽者の肉体。しかし、何かしらの作為を感じるように、ズタボロになった顔だけは最後までそのまま。自分が『そう』したことを分からせるように、灰崎を容赦なく痛めつけていく。
 ふらふらとした足取りで、そのダミー人形から離れていき、腰を下ろす。半ば放心状態であったが、スーツのポケットから何とか煙草とライターを取り出す。ライターは前組長の物であり、この状況と酷くミスマッチしている。
(何が、『社会的欲求』を満たせる場だ)
 灰崎は、偽者とは言え二人の近親関係者を手にかけた。前者は極道の掟の中で禁忌とされている『親殺し』、後者は傍から見たらただの殺人だろうが、あの時の後悔そのままに残り香漂うものであった。
 煙草の煙が壊れた火災報知機に検知され、灰崎の頭上に局地的な雨が降る。その時の悲愴感を知る者は、誰もいやしない。明かりも消え、監視カメラも機能していない。そんな状況は、今の灰崎にとっては最高の状況であった。
 ここまで弱り切った姿を、誰にも見せたくなかったのだ。
 胸中に突如として生まれた、当人には一切理解できない『何か』が渦巻きながら、ただひたすらに泣くのだった。
 これにより、ザナドゥエリアでの灰崎廉治対当人の記憶を遡り的確にトラウマを突くダミーとの戦いは、エリア全体を巻き込むほどの戦闘であったが、辛くも灰崎の勝利。しかし、負ったダメージは計り知れないものであり、エヴァと葵を送り出す以外に得は無かった。



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「――廉治さん」
『結衣……!!』
 鬼の目にも涙。そう言い表せるように、怪人態であってもぼろぼろと涙を流す灰崎。名を呼ばれ、垂れる首を思わず上げるも、そこにあったのは不変のもの。以前長いこと関わってきた彼女の、純粋かつ実直、それでいて柔らかな笑顔であった。
「本当に……本当に……」
 微笑を湛えながら――――灰崎の右目にナイフを突き立てる。多量の血が噴き出すとともに、片側の視界が完全にブラックアウトする。
「――歪んだ、シスターコンプレックスだ。もうこの世に灰崎結衣という女は存在しないというのに。何と馬鹿らしい。これだから――お前相手は実にやりやすい」
 結衣の姿形を持ちながら、中身はとんでもない性悪のままであった。どうしようもないほどに、人を弄ぶことを是とする、とんだ最低の屑であった。分かり切っていたことではあったが、心の痛みは加速する。
 言語化できないほどに断末魔を上げる灰崎であったが、苦悶に歪む存在を目の前にして、さらに悪化させようと試みていたのだ。
「……廉治さん。貴方……私を目の前で見捨てましたよね。それが……たまらなく許せなくって。だから……同じ手段で殺そうって思ったんです。でも慈悲を掛けます、銃で自死するなら、私の手で殺すだなんてことはしません。私は優しいので」
 その瞬間、灰崎はどこか現実を知ったような、絶望したような表情を見せた。
 以前と変わることのない笑顔であったが、その内に秘めたるはヘドロのような悪意ばかり。灰崎は、これも自分に与えられた罰だと、どこか諦めていた。例えそれが他人による画策だろうと、過去の行いがこうして降りかかっているのだから、結局は自分のせいだと諦めていたのだ。
「だから――死んでください、廉治さん」
 ただ、灰崎にとって一つだけ、許せないことがあったのだ。
『――俺は、ずっとずっと……結衣を救えなかったことを……悔やんでいた。俺の……力不足だって』
 『教会』の悪意に晒された結果、フルボディ全体に確かにあった平穏が、突如として崩れ去った。それは紛れもない事実であった。ただ、そうなるまでに自分たちに、人知を超越した力を徒に振るわれる、一切の理由が無いこともまた事実であった。
 だからこそ、当人に手を下されるならまだしも、それ以外の第三者に手を下されるのは理由として成り立っていない。それゆえの怒りが湧きあがっていたのだ。
『……それに、だ。俺のことをさんざ調べて、それでいて悪意を以って接している割によ……お前、結衣が絶対に言わないことを口走りやがったんだ』
 ナイフを引き抜き、フルパワーを以ってある程度治癒する。その代償か、ドライバーが機能を失い灰崎の変身が解除される。右目から現在進行形で出血しながらも、偽者の胴体部を蹴り飛ばし、ふらつきながらも立ち上がったのだ。
「――結衣は、絶対に自分を褒めなかった。努力を自分で認めようとしなかったんだ。それほどにクソ真面目で、驕りだなんて言葉が最も似合わない奴なんだよ」
 そんな存在の姿をした偽者が、「私は優しいので」と口走った瞬間に、ほんの少しだけ浸っていた|幻想《ゆめ》から飛び立つ覚悟を決めたのだ。
「……ありがとうよ、とんだクソッタレ。お陰様で……お前の悪意で――――」
 偽者を優しく抱き寄せ、銃で腹部に数発撃ち込む。
「俺は……ようやく過去と決別できた。|善吉《おまえ》は、所詮結衣じゃあない。どれだけ大まかな部分を真似ようが、細部がダメだ。所詮『実体験』していないお前は、当たり障りのないことしかできやしない」
 そうは語っていても、言葉は震えていた。あくまで強がり。自分の手で結衣の姿をした何者かを手にかけた訳ではあるが、精神的ダメージが大きすぎたのだ。
 長いこと離れ離れになってしまった家族、それを一切の迷いなく手にかけて、精神が動揺しない者はいない。どれほど心を殺そうにも、限度がある。いつか来る限界が、当人の脳を汚染していくのみである。
 そのままふらつく偽者を蹴り飛ばし、心臓部を踏みつける。あの時の外道と同じように、脳天を撃ち抜いて終わらせる。ただそれだけであったが、善吉は偽物の体で形だけの抵抗をする。
「――廉治さん、貴方は……ずいぶん変わってしまったのね。まるで……血も涙もない最低な人。そんな人を少しでも大切に思っていただなんて……私が馬鹿みたい」
「……そうかよ。勝手に思ってろ。本当の結衣なら――今頃喜んでくれているだろうよ。自分の名を騙る、人の心を一切推し量ることが出来ない、人の上に立つ資格も人を貶める資格もない、そんな大馬鹿野郎を成敗してくれたことによ」
 頭部に潜む、偽者の核。それを容赦なく狙い撃ち。たった一発の銃撃だけでは飽き足らず、二度と起き上がることの無いよう美しい顔を台無しにしていく。
 一発、二発、三発。そこまでは何とか耐えられたのだが、四発、五発と撃ち込んでいくうちに、涙が溢れ出し、止まらなくなっていた。マガジンに装填された最後の一発、すなわち六発目。これまでに射撃した分を考えたら実に妥当な弾倉量であったが、これ以上この顔に撃つことは、灰崎の精神が拒んでいた。
 次第に、結衣の姿ではなくただのダミー人形と化していく偽者の肉体。しかし、何かしらの作為を感じるように、ズタボロになった顔だけは最後までそのまま。自分が『そう』したことを分からせるように、灰崎を容赦なく痛めつけていく。
 ふらふらとした足取りで、そのダミー人形から離れていき、腰を下ろす。半ば放心状態であったが、スーツのポケットから何とか煙草とライターを取り出す。ライターは前組長の物であり、この状況と酷くミスマッチしている。
(何が、『社会的欲求』を満たせる場だ)
 灰崎は、偽者とは言え二人の近親関係者を手にかけた。前者は極道の掟の中で禁忌とされている『親殺し』、後者は傍から見たらただの殺人だろうが、あの時の後悔そのままに残り香漂うものであった。
 煙草の煙が壊れた火災報知機に検知され、灰崎の頭上に局地的な雨が降る。その時の悲愴感を知る者は、誰もいやしない。明かりも消え、監視カメラも機能していない。そんな状況は、今の灰崎にとっては最高の状況であった。
 ここまで弱り切った姿を、誰にも見せたくなかったのだ。
 胸中に突如として生まれた、当人には一切理解できない『何か』が渦巻きながら、ただひたすらに泣くのだった。
 これにより、ザナドゥエリアでの灰崎廉治対当人の記憶を遡り的確にトラウマを突くダミーとの戦いは、エリア全体を巻き込むほどの戦闘であったが、辛くも灰崎の勝利。しかし、負ったダメージは計り知れないものであり、エヴァと葵を送り出す以外に得は無かった。