表示設定
表示設定
目次 目次




第二百七話

ー/ー



 いくつかの下らない話を挟みながら、結衣は灰崎の本質に触れる。何度目かは忘れたが、二人きりの空間でそういったことを話せるほどに、関係は良好であった。
「――そう言えば、以前言ってくれましたよね。私と……似たような境遇だ、って」
「……まあな。俺にも妹はいたが……見たことがないんだ。親父は暴力ばっかだったし、お袋はそもそも関わってこねえし……結局、今の渡世の親である組長に拾ってもらった。路傍でチンピラやってた俺がヤクザ入りしたなんて……親は知らねえよ。今どこで何してんだかも知らねえ。だから――気になっちまうっつーか」
 同族からなる、親近感。孤独な境遇を分かち合えるような、そんな存在が心のどこかで欲しかったのかもしれない。
 そんな不器用な優しさに何度も触れてきた結衣は、多くの苦労を知った灰崎の手に自分の手を優しく添える。その手の温かみは、灰崎にとってそう感じたことのない新しいものであった。
「――私たち、不思議ですよね。不幸な境遇が一緒で、転がり落ちた先で同士を見つけて……奇妙な偶然と言いますか」
「……かもな。でも結衣、お前さんがこの遊郭の場で充実してそうで何よりだよ」
 久しく感じたことのない、情。それを抱いた二人は、その面談を終わるのだった。

 しかし、平和は長続きしなかった。
 『教会』が山梨の地に根付いた時から、フルボディへの浸食が始まったのだ。最初はフルボディ全体の極道組織が結託し、その不確定要素の排除へ動き出したものの、それらが持つ圧倒的な力と財力、そして数多の誘惑によって徐々に陥落、『教会』派でない保守派の組が、王漣組と蛇使組だけに限られていった。
 次第に、連中が目をつけていったのは内部崩壊、及び王漣組が取り仕切っていたシノギである遊郭の掌握であり、組員の皆がそれに抗った。
 銃刀法などくそくらえと言わんばかりに、『教会』の面子と抗争したものの、末端の構成員にすら歯が立たずに敗北を喫した。そこで、人知を超えた化け物の強さを皆が学んだ。どれほど根っからの極道であろうと、極道であり続けることを諦めるほどであった。
 何も、英雄の存在だったり、因子の存在だったりを知らない訳ではなかった。世間的知名度が圧倒的な、『原初の英雄』たる瀧本信一郎。それと仲間たちが解決した『事件』はしっかりと理解している。ただ、それが自分たちに関わりのないものだと分かり切っていたからこそ、線が交わらないと高を括っていたからこそ、味わったときのショックは大きかった。
 次第に、王漣組を去って行く有力幹部。それらに心を痛めながらも、遊郭と組の運営をしていく王漣。だが、あまりにも隔絶された強さといい、性根の悪い嫌がらせとい い、それに戦い続けることに疲弊していったのだ。それは灰崎も同じで、徐々に心がすり減っていったのだ。
 多くの嬢たちは、軽いフットワークで王漣組の運営する遊郭から『教会』派へと乗り換え、在籍する嬢も結衣を含めた極々一部に。
 じわりじわりと『終わり』を迎えていく中、灰崎は結衣を面談と称して呼び出した。
 以前と一切変わりなく、ドレスを着ていた彼女であったが、その顔には疲労が表れていた。灰崎も、半ば自棄になっているのか吸う煙草の量が日に日に増えていったせいで、肺を悪くしていた。咳込みながら、それでも席に着く前に結衣に言い放ったことは、彼女にとって衝撃の内容であった。
「――結衣。今すぐ、このフルボディから逃げろ。正直……ここはもう終わりが近い。「嬢が逃げた」となっても、今のぼろぼろの状況ならどうとでも逃げられる。日本だけじゃあない、世界のどこかに逃げたっていい。お前さんだけは……幸せに生きろ」
「そ、そんな……」
 他の嬢には、無論ではあるがそんなことを告げてはいない。誰もかれも、精神がねじ曲がっている影響もあり、灰崎とはそもそもそりが合わない者ばかり。ゆえに、これほど優しさを前面に押し出して忠告するのは結衣だけであった。
 ただ、当の本人たる結衣は、自分の仕事に酷く真面目であった。
「――私なんかのために、お気遣い感謝します……廉治さん。ならせめて私……今日入っている仕事だけは、片付けたいんです」
 しかし、その予約している相手は、『教会』関係者。最近鞍替えしたらしいが、存在としては末端も末端、人外じみた力は保有していないだろうが、性根や素行はこれまでの客の中でも『終わって』いる。
 可能性としてあり得るのは、結衣が王漣組への見せしめで殺されること。何ならば、そんなことは序の口で、もっと酷いことを仕掛けるつもりであることは目に見えている。
「……死ぬかもしれないんだぞ? 酷いことをした親に、一生見返してやれないかもしれないんだぞ!? 逃げることは罪じゃあない、だから――――!!」
 忠告をしていく中で、次第に涙が溢れ始める灰崎。そして、そんな灰崎を目の前にして、自分の手で涙を優しく拭おうとする結衣。
「――いいんです。私のことなんかを、何とかして救おうとしてくださって、提言してくださっているのは分かっているんです。それでも――私は、自分の仕事を全うしたい。誇らしい私の仕事で、皆さんを幸せにしてあげたいんです。私なんかが、誰かのためになれる……それだけで、とても嬉しいんです」
 言わば、滅私奉公の在り方であった。常に自分を下げた一昔前の人妻のような、主人の一歩半常に下がった在り方。自分がどれだけマイナスを受けようと、誰かに笑っていてもらいたい。それが、彼女の真面目な生き方と合致した時、誰にも阻害することが出来ない、究極の頑固さが生じるのだ。
 そして、そんな彼女の人となりを、長い付き合いで知っているからこそ、この注意も意味のないものだということは重々承知していた。
「――なら、一つ約束してくれ。本当に危なくなったら……俺を呼ぶか全力で逃げてくれ。そうじゃなきゃあ……俺は黙って送り出せない」
 その灰崎の心からの忠告に、無言で応える結衣。不安で血の気が引いていた彼の手を、優しく包み込む。あの時と一緒であった。
「――絶対、帰ってきますから」



スタンプを贈って作者を応援しよう!

次のエピソードへ進む 第二百八話


みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…



 いくつかの下らない話を挟みながら、結衣は灰崎の本質に触れる。何度目かは忘れたが、二人きりの空間でそういったことを話せるほどに、関係は良好であった。
「――そう言えば、以前言ってくれましたよね。私と……似たような境遇だ、って」
「……まあな。俺にも妹はいたが……見たことがないんだ。親父は暴力ばっかだったし、お袋はそもそも関わってこねえし……結局、今の渡世の親である組長に拾ってもらった。路傍でチンピラやってた俺がヤクザ入りしたなんて……親は知らねえよ。今どこで何してんだかも知らねえ。だから――気になっちまうっつーか」
 同族からなる、親近感。孤独な境遇を分かち合えるような、そんな存在が心のどこかで欲しかったのかもしれない。
 そんな不器用な優しさに何度も触れてきた結衣は、多くの苦労を知った灰崎の手に自分の手を優しく添える。その手の温かみは、灰崎にとってそう感じたことのない新しいものであった。
「――私たち、不思議ですよね。不幸な境遇が一緒で、転がり落ちた先で同士を見つけて……奇妙な偶然と言いますか」
「……かもな。でも結衣、お前さんがこの遊郭の場で充実してそうで何よりだよ」
 久しく感じたことのない、情。それを抱いた二人は、その面談を終わるのだった。
 しかし、平和は長続きしなかった。
 『教会』が山梨の地に根付いた時から、フルボディへの浸食が始まったのだ。最初はフルボディ全体の極道組織が結託し、その不確定要素の排除へ動き出したものの、それらが持つ圧倒的な力と財力、そして数多の誘惑によって徐々に陥落、『教会』派でない保守派の組が、王漣組と蛇使組だけに限られていった。
 次第に、連中が目をつけていったのは内部崩壊、及び王漣組が取り仕切っていたシノギである遊郭の掌握であり、組員の皆がそれに抗った。
 銃刀法などくそくらえと言わんばかりに、『教会』の面子と抗争したものの、末端の構成員にすら歯が立たずに敗北を喫した。そこで、人知を超えた化け物の強さを皆が学んだ。どれほど根っからの極道であろうと、極道であり続けることを諦めるほどであった。
 何も、英雄の存在だったり、因子の存在だったりを知らない訳ではなかった。世間的知名度が圧倒的な、『原初の英雄』たる瀧本信一郎。それと仲間たちが解決した『事件』はしっかりと理解している。ただ、それが自分たちに関わりのないものだと分かり切っていたからこそ、線が交わらないと高を括っていたからこそ、味わったときのショックは大きかった。
 次第に、王漣組を去って行く有力幹部。それらに心を痛めながらも、遊郭と組の運営をしていく王漣。だが、あまりにも隔絶された強さといい、性根の悪い嫌がらせとい い、それに戦い続けることに疲弊していったのだ。それは灰崎も同じで、徐々に心がすり減っていったのだ。
 多くの嬢たちは、軽いフットワークで王漣組の運営する遊郭から『教会』派へと乗り換え、在籍する嬢も結衣を含めた極々一部に。
 じわりじわりと『終わり』を迎えていく中、灰崎は結衣を面談と称して呼び出した。
 以前と一切変わりなく、ドレスを着ていた彼女であったが、その顔には疲労が表れていた。灰崎も、半ば自棄になっているのか吸う煙草の量が日に日に増えていったせいで、肺を悪くしていた。咳込みながら、それでも席に着く前に結衣に言い放ったことは、彼女にとって衝撃の内容であった。
「――結衣。今すぐ、このフルボディから逃げろ。正直……ここはもう終わりが近い。「嬢が逃げた」となっても、今のぼろぼろの状況ならどうとでも逃げられる。日本だけじゃあない、世界のどこかに逃げたっていい。お前さんだけは……幸せに生きろ」
「そ、そんな……」
 他の嬢には、無論ではあるがそんなことを告げてはいない。誰もかれも、精神がねじ曲がっている影響もあり、灰崎とはそもそもそりが合わない者ばかり。ゆえに、これほど優しさを前面に押し出して忠告するのは結衣だけであった。
 ただ、当の本人たる結衣は、自分の仕事に酷く真面目であった。
「――私なんかのために、お気遣い感謝します……廉治さん。ならせめて私……今日入っている仕事だけは、片付けたいんです」
 しかし、その予約している相手は、『教会』関係者。最近鞍替えしたらしいが、存在としては末端も末端、人外じみた力は保有していないだろうが、性根や素行はこれまでの客の中でも『終わって』いる。
 可能性としてあり得るのは、結衣が王漣組への見せしめで殺されること。何ならば、そんなことは序の口で、もっと酷いことを仕掛けるつもりであることは目に見えている。
「……死ぬかもしれないんだぞ? 酷いことをした親に、一生見返してやれないかもしれないんだぞ!? 逃げることは罪じゃあない、だから――――!!」
 忠告をしていく中で、次第に涙が溢れ始める灰崎。そして、そんな灰崎を目の前にして、自分の手で涙を優しく拭おうとする結衣。
「――いいんです。私のことなんかを、何とかして救おうとしてくださって、提言してくださっているのは分かっているんです。それでも――私は、自分の仕事を全うしたい。誇らしい私の仕事で、皆さんを幸せにしてあげたいんです。私なんかが、誰かのためになれる……それだけで、とても嬉しいんです」
 言わば、滅私奉公の在り方であった。常に自分を下げた一昔前の人妻のような、主人の一歩半常に下がった在り方。自分がどれだけマイナスを受けようと、誰かに笑っていてもらいたい。それが、彼女の真面目な生き方と合致した時、誰にも阻害することが出来ない、究極の頑固さが生じるのだ。
 そして、そんな彼女の人となりを、長い付き合いで知っているからこそ、この注意も意味のないものだということは重々承知していた。
「――なら、一つ約束してくれ。本当に危なくなったら……俺を呼ぶか全力で逃げてくれ。そうじゃなきゃあ……俺は黙って送り出せない」
 その灰崎の心からの忠告に、無言で応える結衣。不安で血の気が引いていた彼の手を、優しく包み込む。あの時と一緒であった。
「――絶対、帰ってきますから」