崩壊
ー/ー 勇斗はベッドに腰掛け、窓の外の闇に舞う雪の結晶を、ぼんやりと目で追っていた。
四大精霊はすべて解放した。あとは精霊樹のあるマナの聖域へ向かうだけだが、肝心の場所がわからない。頼みのランパはまだ目を覚まさず、ベッドですやすやと眠っている。
ランパはすべての記憶を取り戻しているはずだ。なら、精霊樹の場所もわかるだろう。同時に、確かめなければならないこともある。タプカ山で化け物を一瞬で灰にした、あの破壊的な力のことだ。記憶の映像の中では、世界を滅ぼしかねないとまで言われていた。
だが、聞く勇気が湧かない。もし、今までの笑顔がすべて演技だったら――
ランパがわからない。胸の奥がざわつく。
勇斗は、理由もなく部屋を見回した。
「あれ?」
窓の外にソーマの姿があった。誰かと話しているようだった。相手は暗闇に溶け、見えなかった。
「誰だろう」
その瞬間、鉛のような眠気が襲ってきた。
まぶたが抗いようもなく落ちていく。勇斗はそのままベッドに倒れ込んだ。
はっと勇斗は息を吸い込み、目を覚ました。どれくらい眠っていたのだろう。窓の外は猛吹雪だった。
視線を隣のベッドへ移すと、ランパの姿はない。目を覚ましたのだろうか。
心臓が荒く脈打つ。
勇斗は武具を身につけ、客室を出た。
静まり返った暗い廊下を歩く。ランプの灯りが不規則に揺れている。
ソーマの部屋の前で、足が止まった。
ガタン、と物音がした。続いて「きゃあっ」という声。ソーマの悲鳴だ。
「ソーマ!」
勇斗は勢いよく扉を開けた。
飛び込んできた光景に、息を呑む。
ベッドで仰向けになったソーマに、ランパが馬乗りになっていた。
ランパの手には短剣が握られている。刃の先端は、ソーマの喉元に当てられていた。
ソーマは勇斗に顔を向け、何かを訴えるように口を動かした。虚ろな目からは涙がこぼれている。
血が一気に頭へ上った。考えるより先に、勇斗は突進していた。
両手でランパの肩を突き飛ばす。弾き飛ばされた小さな体が壁に激突した。短剣がカランと床を転がる。
「ランパッ! 何をしてるんだ!」
勇斗の叫びが客室内に響き渡った。
「ユート、聞いてくれ、オイラは――」
「言い訳なんか聞きたくない! 近寄るな、この化け物!」
勇斗はランパを睨みつけると、ソーマの手を掴み、そのまま客室を飛び出した。
背後でランパのかすれた声が聞こえたが、勇斗は振り返らなかった。
猛吹雪を裂き、勇斗はソーマの手を引いて疾走していた。
無我夢中だった。一刻も早く、ソーマをランパの手の届かない場所へ連れ出そうとしていた。
気づけば、森の中を走っていた。雪化粧をまとった木々が流れていく。どうやら町の外まで出ていたらしい。吹雪はいつの間にか収まっていた。
「ゆ、ユート、ちょっと、待ってくださいませ」
ソーマの声で、勇斗はようやく足を止めた。
ぜぇぜぇと、ソーマは肩で息をしていた。
「ご、ごめん」
彼女の体力も考えずに走ったことを、今さら悔いた。
「ちょっと休憩しようか」
近くの切り株に積もった雪をざっと払う。その上に、二人は並んで腰掛けた。
「何があったの?」
「ベッドで寝ていたら、急にランパさんが部屋に入ってきまして」
涙声になりながら、ソーマは続けた。
「ランパさん、いきなり『お前を殺す』って言ってきましたの。最初は冗談かと思いましたわ。でも、ものすごく怖い目をしていまして。どんどん近づいてきて、腰から短剣を抜いて、それで――」
ソーマは嗚咽を漏らした。
「……喉元に突きつけられたんだね。怖かっただろう」
勇斗はソーマを静かに抱き寄せ、背中をやさしくさすった。
「ユートが来てくれなきゃ、わたくし、今頃」
「大丈夫、安心して。きみを絶対に死なせないから」
「あぁっ、嬉しいですわ。やはり、あなたはわたくしの探していた勇者様です」
涙をぬぐったソーマは、満面の笑みを浮かべた。
それからしばらく、二人は森をさまよい続けた。戻り方がわからない。しかし、今さら戻ったところでソーマを危険にさらしてしまうだけだ。
これからどうしようか。
遠くまで逃げて、ソーマといっしょにこの世界で暮らすのもありだろうか。結婚して、子どもを育てて、幸せに暮らす――そんな未来すら、許される気がした。
ふと足元を見ると、銀色の物体が半ば雪に埋もれていた。拾い上げ、手のひらの上で裏返す。
オイルライターだった。ボディの下部には「Y・S」という文字が小さく刻まれている。なぜ、こんなところにあるのだろう。
そのとき、雪混じりの強風が叩きつけてきた。
「また吹雪いてきましたわね」
ソーマが不安そうに言う。
「どこか避難できそうな場所があれば――」
勇斗は必死に視線を巡らせた。だが、猛烈な吹雪が視界を遮る。
「あ、あれは」
「どうしたの?」
「来てくださいませ」
ソーマに手を引かれ、勇斗は開けた場所へ出た。
古びた神殿が、雪煙の中で息を潜めていた。亀裂だらけの石門の奥には、左腕の欠けた石像が立っている。像に、こちらの選択を見定められているような気がした。
「ここなら、吹雪をしのげますわ」
「急ごう」
考えるより先に体が動いていた。勇斗とソーマは、神殿の中へ駆け込んだ。
神殿の内部は、闇と静寂に満ちていた。
勇斗はガントレット甲側の宝珠から炎を放った。青白い炎が石壁を照らし、風化した文様と崩れかけの柱を浮かび上がらせる。壁のあちこちに走る亀裂から、風がひゅうと笛鳴りを立てて忍び込んできた。
「寒いですわね。もう少し奥まで行きませんこと?」
「うん、そうだね」
奥へ進んだ先には、大きな空間が広がっていた。紫色の炎が揺らめき、怪しげな光が周囲を照らしている。中央には、直径三メートルほどの八角形の石台が鎮座していた。
この場所――どこかで見た覚えがある。
勇斗は首を傾げながら、ガントレットの炎を鎮めた。
「ユート、あそこに何かありますわ」
ソーマが八角形の石台を指さす。
勇斗は石台に足をかけ、そっとその上に立った。足元を見下ろすと、石の表面は不気味な色に染まっていた。焦げたような黒と、くすんだ茶色がまだらに広がり、中央部分はわずかにへこんでいる。かすかな鉄臭さが鼻をかすめた。
「ねぇ、ソーマ。何もないよ」
振り返る。
ソーマの姿は、なかった。
代わりに、濃紫の霧が床から湧き出ていた。
「ソーマ! ソーマ!」
叫んでも返事はない。周囲は深い霧に覆われ、視界が完全に遮られる。
刹那、左腕に鈍い衝撃が走った。
――え?
何が起きたのか、勇斗には理解できなかった。
おそるおそる、左下へ視線を落とす。
「ああっ、あぁ」
そこにあるはずの左腕が、存在していなかった。上腕の途中から先が、ごっそり欠けていた。切断面からは血があふれ出している。
そうと気づいた途端、激痛が全身を駆け巡った。
「あっ、ぎゃあああぁぁぁぁっ!」
勇斗の喉から獣じみた悲鳴がほとばしる。たまらず右手で切断面を押さえ込んだ。
痛い、痛い、痛い。この痛みを抑えなくては――ドラシガー、ドラシガーを吸わないと。
もうろうとする意識の中で、勇斗は気づく。火をつけるための左ガントレットが、ない。
石床に崩れ落ちた瞬間、コツン、コツン、と靴音が空間に反響した。
霧が割れ、足音の主が姿を現す。
ああ――
勇斗の視線の先に、ランパが立っていた。無表情で、切断された勇斗の左腕を抱えている。
「ランパ――」
涙があふれてきた。
クスクス、と笑い声がこだまする。
ランパの形が変化した。体が溶けるように歪み、影絵が別の輪郭を結ぶ。
「ランパ?」
「あら、まだお気づきになりませんの?」
薄紫のツインテール、漆黒のゴシックドレス。
ソーマがにこりと微笑み、切断された勇斗の左腕を愛玩するように撫でた。
「ごきげんよう、わたくしは――魔女ソーマ」
頭が真っ白になる。
ソーマが、魔女?
「うふふ。その間抜けな顔、本当に滑稽ですわ。あなた、氷見橋の夜からずっと、わたくしの幻術に騙されていましたのよ」
ランパだけが薄々気づいていた、とソーマは楽しげに付け足した。
勇斗は青ざめる。
「どうして、どうしてこんなこと」
「ルークに惨たらしく殺されたわたくしが、ルークの生まれ変わりをなぶり殺す――それ以上の歓びがあるかしら?」
ソーマはうっとりと目を細め、切断された勇斗の左腕をそっと床へ置いた。
ソーマの手が、勇斗の頬を撫でる。指先は氷のように冷たかった。
「本物はもういない。なら、力を受け継ぐあなたをいたぶれば充分」
囁きと同時に意識が弾け飛ぶ。
顔面に焼けるような痛みが襲いかかった。
渦を巻く霞の刃がいくつも生まれ、勇斗の両眼の周囲を削り取っていく。
やがて両眼が抉り抜かれ、世界は色を失った。
「う、ぁぃいぎゃあぁぁぁぁぁッ!」
勇斗は狂ったような叫びを上げた。
「耳は片方残してあげますわね。わたくしの声が聞こえないと寂しいでしょう?」
右耳がずるりと剥がれ落ちる感触。湿った音が、どこか遠くで響いた。
もう、やめて。
助けて。だれか。たすけて――
「次は右腕にする? それとも左脚? さあ、選んでくださいませ!」
魔女は歪んだ笑みを浮かべ、刃をもてあそんだ。
そのときだった。
「ユートーッ!」
残った左耳に、ランパの声が飛び込んできた。
「あら、もう来ましたの? ちょっと早すぎですわよ」
ソーマの声が近くで弾んだ。
「その姿、レタから奪ったものだな?」
ランパの低い声が響く。
「若く美しいこの髪、ずっと欲しかったのですわ」
ソーマの声は、うっとりと甘かった。
「ユートはどこだ!」
「ここでぐっすりと寝ていますわよ」
すぐ近くで衣擦れの音がする。誰かが石台の上に乗ったのだと、勇斗は気配で悟った。
「感動の再会ですわね」
「お前、許さない。絶対に、許さない」
ランパの声は怒りに震えていた。
「ここで力を使えば――大切なお友達も消えてしまいますわよ?」
次の瞬間、肉を裂く鈍い音が響いた。
「ぐうっ――」
ランパの苦鳴。その直後、激しく床が揺れた。
「あなたたちとのお友達ごっこ、それなりに楽しめましたわ。それでは、ごきげんよう」
ソーマの声が遠ざかる。
「くそっ、くそっ!」
ランパの怒声が響く。
空間が唸りを上げる。柱が折れる轟音。天井と壁が雪崩のように崩れ始めた。
「くそぉ――――――――っ!」
轟音にランパの絶叫は押しつぶされた。
四大精霊はすべて解放した。あとは精霊樹のあるマナの聖域へ向かうだけだが、肝心の場所がわからない。頼みのランパはまだ目を覚まさず、ベッドですやすやと眠っている。
ランパはすべての記憶を取り戻しているはずだ。なら、精霊樹の場所もわかるだろう。同時に、確かめなければならないこともある。タプカ山で化け物を一瞬で灰にした、あの破壊的な力のことだ。記憶の映像の中では、世界を滅ぼしかねないとまで言われていた。
だが、聞く勇気が湧かない。もし、今までの笑顔がすべて演技だったら――
ランパがわからない。胸の奥がざわつく。
勇斗は、理由もなく部屋を見回した。
「あれ?」
窓の外にソーマの姿があった。誰かと話しているようだった。相手は暗闇に溶け、見えなかった。
「誰だろう」
その瞬間、鉛のような眠気が襲ってきた。
まぶたが抗いようもなく落ちていく。勇斗はそのままベッドに倒れ込んだ。
はっと勇斗は息を吸い込み、目を覚ました。どれくらい眠っていたのだろう。窓の外は猛吹雪だった。
視線を隣のベッドへ移すと、ランパの姿はない。目を覚ましたのだろうか。
心臓が荒く脈打つ。
勇斗は武具を身につけ、客室を出た。
静まり返った暗い廊下を歩く。ランプの灯りが不規則に揺れている。
ソーマの部屋の前で、足が止まった。
ガタン、と物音がした。続いて「きゃあっ」という声。ソーマの悲鳴だ。
「ソーマ!」
勇斗は勢いよく扉を開けた。
飛び込んできた光景に、息を呑む。
ベッドで仰向けになったソーマに、ランパが馬乗りになっていた。
ランパの手には短剣が握られている。刃の先端は、ソーマの喉元に当てられていた。
ソーマは勇斗に顔を向け、何かを訴えるように口を動かした。虚ろな目からは涙がこぼれている。
血が一気に頭へ上った。考えるより先に、勇斗は突進していた。
両手でランパの肩を突き飛ばす。弾き飛ばされた小さな体が壁に激突した。短剣がカランと床を転がる。
「ランパッ! 何をしてるんだ!」
勇斗の叫びが客室内に響き渡った。
「ユート、聞いてくれ、オイラは――」
「言い訳なんか聞きたくない! 近寄るな、この化け物!」
勇斗はランパを睨みつけると、ソーマの手を掴み、そのまま客室を飛び出した。
背後でランパのかすれた声が聞こえたが、勇斗は振り返らなかった。
猛吹雪を裂き、勇斗はソーマの手を引いて疾走していた。
無我夢中だった。一刻も早く、ソーマをランパの手の届かない場所へ連れ出そうとしていた。
気づけば、森の中を走っていた。雪化粧をまとった木々が流れていく。どうやら町の外まで出ていたらしい。吹雪はいつの間にか収まっていた。
「ゆ、ユート、ちょっと、待ってくださいませ」
ソーマの声で、勇斗はようやく足を止めた。
ぜぇぜぇと、ソーマは肩で息をしていた。
「ご、ごめん」
彼女の体力も考えずに走ったことを、今さら悔いた。
「ちょっと休憩しようか」
近くの切り株に積もった雪をざっと払う。その上に、二人は並んで腰掛けた。
「何があったの?」
「ベッドで寝ていたら、急にランパさんが部屋に入ってきまして」
涙声になりながら、ソーマは続けた。
「ランパさん、いきなり『お前を殺す』って言ってきましたの。最初は冗談かと思いましたわ。でも、ものすごく怖い目をしていまして。どんどん近づいてきて、腰から短剣を抜いて、それで――」
ソーマは嗚咽を漏らした。
「……喉元に突きつけられたんだね。怖かっただろう」
勇斗はソーマを静かに抱き寄せ、背中をやさしくさすった。
「ユートが来てくれなきゃ、わたくし、今頃」
「大丈夫、安心して。きみを絶対に死なせないから」
「あぁっ、嬉しいですわ。やはり、あなたはわたくしの探していた勇者様です」
涙をぬぐったソーマは、満面の笑みを浮かべた。
それからしばらく、二人は森をさまよい続けた。戻り方がわからない。しかし、今さら戻ったところでソーマを危険にさらしてしまうだけだ。
これからどうしようか。
遠くまで逃げて、ソーマといっしょにこの世界で暮らすのもありだろうか。結婚して、子どもを育てて、幸せに暮らす――そんな未来すら、許される気がした。
ふと足元を見ると、銀色の物体が半ば雪に埋もれていた。拾い上げ、手のひらの上で裏返す。
オイルライターだった。ボディの下部には「Y・S」という文字が小さく刻まれている。なぜ、こんなところにあるのだろう。
そのとき、雪混じりの強風が叩きつけてきた。
「また吹雪いてきましたわね」
ソーマが不安そうに言う。
「どこか避難できそうな場所があれば――」
勇斗は必死に視線を巡らせた。だが、猛烈な吹雪が視界を遮る。
「あ、あれは」
「どうしたの?」
「来てくださいませ」
ソーマに手を引かれ、勇斗は開けた場所へ出た。
古びた神殿が、雪煙の中で息を潜めていた。亀裂だらけの石門の奥には、左腕の欠けた石像が立っている。像に、こちらの選択を見定められているような気がした。
「ここなら、吹雪をしのげますわ」
「急ごう」
考えるより先に体が動いていた。勇斗とソーマは、神殿の中へ駆け込んだ。
神殿の内部は、闇と静寂に満ちていた。
勇斗はガントレット甲側の宝珠から炎を放った。青白い炎が石壁を照らし、風化した文様と崩れかけの柱を浮かび上がらせる。壁のあちこちに走る亀裂から、風がひゅうと笛鳴りを立てて忍び込んできた。
「寒いですわね。もう少し奥まで行きませんこと?」
「うん、そうだね」
奥へ進んだ先には、大きな空間が広がっていた。紫色の炎が揺らめき、怪しげな光が周囲を照らしている。中央には、直径三メートルほどの八角形の石台が鎮座していた。
この場所――どこかで見た覚えがある。
勇斗は首を傾げながら、ガントレットの炎を鎮めた。
「ユート、あそこに何かありますわ」
ソーマが八角形の石台を指さす。
勇斗は石台に足をかけ、そっとその上に立った。足元を見下ろすと、石の表面は不気味な色に染まっていた。焦げたような黒と、くすんだ茶色がまだらに広がり、中央部分はわずかにへこんでいる。かすかな鉄臭さが鼻をかすめた。
「ねぇ、ソーマ。何もないよ」
振り返る。
ソーマの姿は、なかった。
代わりに、濃紫の霧が床から湧き出ていた。
「ソーマ! ソーマ!」
叫んでも返事はない。周囲は深い霧に覆われ、視界が完全に遮られる。
刹那、左腕に鈍い衝撃が走った。
――え?
何が起きたのか、勇斗には理解できなかった。
おそるおそる、左下へ視線を落とす。
「ああっ、あぁ」
そこにあるはずの左腕が、存在していなかった。上腕の途中から先が、ごっそり欠けていた。切断面からは血があふれ出している。
そうと気づいた途端、激痛が全身を駆け巡った。
「あっ、ぎゃあああぁぁぁぁっ!」
勇斗の喉から獣じみた悲鳴がほとばしる。たまらず右手で切断面を押さえ込んだ。
痛い、痛い、痛い。この痛みを抑えなくては――ドラシガー、ドラシガーを吸わないと。
もうろうとする意識の中で、勇斗は気づく。火をつけるための左ガントレットが、ない。
石床に崩れ落ちた瞬間、コツン、コツン、と靴音が空間に反響した。
霧が割れ、足音の主が姿を現す。
ああ――
勇斗の視線の先に、ランパが立っていた。無表情で、切断された勇斗の左腕を抱えている。
「ランパ――」
涙があふれてきた。
クスクス、と笑い声がこだまする。
ランパの形が変化した。体が溶けるように歪み、影絵が別の輪郭を結ぶ。
「ランパ?」
「あら、まだお気づきになりませんの?」
薄紫のツインテール、漆黒のゴシックドレス。
ソーマがにこりと微笑み、切断された勇斗の左腕を愛玩するように撫でた。
「ごきげんよう、わたくしは――魔女ソーマ」
頭が真っ白になる。
ソーマが、魔女?
「うふふ。その間抜けな顔、本当に滑稽ですわ。あなた、氷見橋の夜からずっと、わたくしの幻術に騙されていましたのよ」
ランパだけが薄々気づいていた、とソーマは楽しげに付け足した。
勇斗は青ざめる。
「どうして、どうしてこんなこと」
「ルークに惨たらしく殺されたわたくしが、ルークの生まれ変わりをなぶり殺す――それ以上の歓びがあるかしら?」
ソーマはうっとりと目を細め、切断された勇斗の左腕をそっと床へ置いた。
ソーマの手が、勇斗の頬を撫でる。指先は氷のように冷たかった。
「本物はもういない。なら、力を受け継ぐあなたをいたぶれば充分」
囁きと同時に意識が弾け飛ぶ。
顔面に焼けるような痛みが襲いかかった。
渦を巻く霞の刃がいくつも生まれ、勇斗の両眼の周囲を削り取っていく。
やがて両眼が抉り抜かれ、世界は色を失った。
「う、ぁぃいぎゃあぁぁぁぁぁッ!」
勇斗は狂ったような叫びを上げた。
「耳は片方残してあげますわね。わたくしの声が聞こえないと寂しいでしょう?」
右耳がずるりと剥がれ落ちる感触。湿った音が、どこか遠くで響いた。
もう、やめて。
助けて。だれか。たすけて――
「次は右腕にする? それとも左脚? さあ、選んでくださいませ!」
魔女は歪んだ笑みを浮かべ、刃をもてあそんだ。
そのときだった。
「ユートーッ!」
残った左耳に、ランパの声が飛び込んできた。
「あら、もう来ましたの? ちょっと早すぎですわよ」
ソーマの声が近くで弾んだ。
「その姿、レタから奪ったものだな?」
ランパの低い声が響く。
「若く美しいこの髪、ずっと欲しかったのですわ」
ソーマの声は、うっとりと甘かった。
「ユートはどこだ!」
「ここでぐっすりと寝ていますわよ」
すぐ近くで衣擦れの音がする。誰かが石台の上に乗ったのだと、勇斗は気配で悟った。
「感動の再会ですわね」
「お前、許さない。絶対に、許さない」
ランパの声は怒りに震えていた。
「ここで力を使えば――大切なお友達も消えてしまいますわよ?」
次の瞬間、肉を裂く鈍い音が響いた。
「ぐうっ――」
ランパの苦鳴。その直後、激しく床が揺れた。
「あなたたちとのお友達ごっこ、それなりに楽しめましたわ。それでは、ごきげんよう」
ソーマの声が遠ざかる。
「くそっ、くそっ!」
ランパの怒声が響く。
空間が唸りを上げる。柱が折れる轟音。天井と壁が雪崩のように崩れ始めた。
「くそぉ――――――――っ!」
轟音にランパの絶叫は押しつぶされた。
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