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崩壊

ー/ー



 下山した勇斗たちは、蒼樹の湯宿で休息をとっていた。

 勇斗はベッドに腰掛け、窓外の闇に舞う雪の結晶を、ぼんやりと追っていた。

 四大精霊は全て解放した。あとはマナの聖域に向かうだけだが、肝心の場所がわからない。頼みのランパはまだ目を覚まさず、ベッドですやすやと眠っている。

 ランパは全ての記憶を取り戻しているはずなので、精霊樹の場所もわかるだろう。同時に、確かめなければならないことがある。タプカ山で化け物を一瞬で灰にした、あの破壊的な力のことだ。記憶の映像の中では、世界を滅ぼしかねないとまで言われていた。

 だが、聞く勇気が沸かない。もし、今までの笑顔が全て演技だったら――

 ランパが、わからない。胸の奥がざわつく。

 勇斗は、理由もなく部屋を見回した。

「あれ?」

 窓の外にソーマの姿があった。誰かと話している様子だった。相手の姿は暗闇に溶け、見えない。

「誰だろう」

 瞬間、鉛のような眠気が襲ってきた。

 まぶたが勝手に落ち、勇斗はベッドに倒れ込んだ。


 はっ、と勇斗は息を吸い込み、目を覚ました。どれくらい寝ていたのだろう。窓の外は猛吹雪だった。

 視線を隣のベッドに移すと、ランパの姿はなかった。目を覚ましたのだろうか。

 心臓が荒く脈打つ。

 勇斗は、伝説の武具を装着し、客室を出た。

 静まり返った暗い廊下を歩く。ランプの灯りが不規則に揺れる。

 ソーマの部屋の前で足が止まった。

 ガタン、と物音がした。同時に「きゃあっ」という声。ソーマの悲鳴だ。

「ソーマ!」

 勇斗は勢いよく扉を開けた。

 飛び込んできた光景に息を呑んだ。

 ベッドで仰向けのソーマに、ランパが馬乗りになっていた。

 ランパの手には、短剣が握られている。刃の先端が、ソーマの喉元に当てられていた。

 ソーマは顔を勇斗に向け、口をパクパクさせた。虚ろな目からは涙がこぼれている。

 顔を真っ赤に染め、考えるより先に、勇斗は突進した。

 両手でランパの肩を突き飛ばす。弾き飛ばされた小さな体が壁に激突する。短剣がカランと床を転がった。

「ランパッ! 何をしてるんだ!」

 勇斗の叫びが、客室内に響き渡る。

「ユート、聞いてくれ、オイラは――」

「言い訳なんか聞きたくない! 近寄るな、この化け物!」

 勇斗はランパを睨みつけたあと、ソーマの手を掴み、客室を飛び出した。

 背後でランパのかすれた声が揺らいだが、勇斗は振り返らなかった。


 猛吹雪を裂き、勇斗はソーマの手を引いて疾走していた。

 無我夢中だった。一刻も早く、ソーマをランパの魔の手から引き離そうとしていた。

 気づけば、森の中を走っていた。雪化粧を纏った木々が流れていく。町の外に出ていたようだ。吹雪はおさまっていた。

「ゆ、ユート、ちょっと、待ってくださいませ」

 ソーマの声で、勇斗は足を止めた。

 ぜぇぜぇ、とソーマは肩で呼吸している。

「ご、ごめん」

 彼女の体力を顧みず走ったことを、今さら悔いた。

「ちょっと休憩しようか」

 近くにあった切り株の表面に積もった雪をざっと払いのけ、その上に二人は腰掛けた。

「何が、あったの?」

「ベッドで寝ていたら、急にランパさんが部屋に入ってきまして」

 涙声になりながら、ソーマは続ける。

「ランパさん、いきなり『お前を殺す』って言ってきましたの。最初は何かの冗談かと思いましたわ。でも、ものすごく怖い目をしていまして。どんどんわたくしに近づいてきまして、腰から短剣を抜いて、そして――」

 ソーマは嗚咽を漏らした。

「……喉元に、突きつけられたんだね。怖かっただろう」

 勇斗はソーマを静かに抱き、背中をやさしくさすった。

「ユートが来てくれなきゃ、わたくし、今頃」

「大丈夫、安心して。きみを絶対に死なせないから」

「あぁっ、嬉しいですわ。やはり、あなたはわたくしの探していた勇者様です」

 涙を拭いたソーマは、満面の笑みを浮かべた。
 

 それからしばらく、二人は森をさまよい続けた。戻り方がわからない。しかし、今更戻ったところでソーマを危険にさらしてしまうだけだ。

 これからどうしようか――

 遠くまで逃げて、ソーマといっしょにこの世界で暮らすのもありだろうか。結婚して、子供を産んで、幸せに暮らす――そんな未来も、許される気がした。

 ふと足元を見ると、銀色の物体が半ば雪に埋もれていた。拾い上げて掌を返す。
 
 オイルライターだった。ボディの下部には「Y・S」という文字が小さく刻まれている。なぜ、ここに?

 突然、雪混じりの強風が叩きつけてきた。

「また吹雪いてきましたわね」

 ソーマが心配そうな口調で言う。

「どこか、避難できそうな場所があれば――」

 勇斗は必死に視線を動かすも、猛烈な吹雪に視界を遮られる。

「あ、あれは」

「どうしたの?」

「来てくださいませ」

 ソーマに手を引かれ、ひらけた場所に出た。

 石造りの建物――古びた神殿――が雪煙の中で息を潜めていた。亀裂だらけの石門の奥には、頭部と左腕の欠けた石像が立っている。像が、こちらの選択を見定めている錯覚に陥った。

「ここなら、吹雪をしのげますわ」

「急ごう」

 考えるよりも先に、体が動いていた。勇斗とソーマは、神殿に駆け込んだ。


 古びた神殿の内部は、闇と静寂に満ちていた。
 
 勇斗は、ガントレット甲側の宝珠から炎を放った。青白い炎が石壁を照らし、風化した文様と崩れかけの柱を浮かび上がらせる。壁のあちこちに走る縦割れから、風がひゅうと笛鳴りをして忍び込んできた。

「寒いですわね。もう少し奥まで行きませんこと?」

「うん、そうだね」

 奥へと進んだ先には、大きな空間が広がっていた。紫色の炎が揺らめき、怪しげな光が空間を照らしている。中央には直径三メートルほどの八角形の石台が鎮座していた。

 あれ? この場所――どこかで、確かに見た。

 勇斗は首を傾げつつ、ガントレットの炎を鎮めた。

「ユート、あそこに何かありますわ」

 ソーマが八角形の石台を指さす。

 勇斗は八角形の石台に足をかけ、そっと上に立った。足元を見下ろすと、石の表面は不自然な色に染まっていた。焦げたような黒と、くすんだ茶色がまだらに広がり、中央部分はわずかにへこんでいる。微かに鉄臭い空気が鼻孔をかすめた。

「ねぇ、ソーマ。何もないよ」

 振り返ると、ソーマの姿はなかった。代わりに濃紫の霧が床から湧き出ていた。

「ソーマ、ソーマ!」

 叫ぶも返事がない。周囲が深い霧で覆われ、視界が完全に遮られる。

 刹那、左腕に鈍い衝撃が走った。

 ――え?

 何が起こったのか、勇斗には理解できなかった。

 おそるおそる、左下に視線を落とす。

「ああっ、あぁ」

 そこにあるはずの左腕が、存在していなかった。上腕の途中から先が、ごっそり欠けていた。切断面からは血が溢れ出している。

 意識をした途端、激痛が全身を駆け巡った。

「あっ、ぎゃあああぁぁぁぁっ!」

 勇斗の喉から獣じみた悲鳴がほとばしった。たまらず右手で切断面を押さえ込む。

 痛い、痛い、痛い。この痛みを抑えなくては――ドラシガー、ドラシガーを吸わないと。

 もうろうとする意識の中で勇斗は気づいた。火をつけるための左ガントレットが、ない。

 石床に崩れ落ちた瞬間、コツン、コツン、と靴音が空間へ反響した。
 
 霧が割れ、足音の主が姿を現した。

 あぁ――

 勇斗の目線の先に、ランパが立っていた。無表情で、切断された勇斗の左腕を抱えている。

「ランパ――」

 涙が溢れてきた。

 クスクス、と笑い声が木霊した。

 ランパの形が変化する。体が溶けるように歪み、影絵が別の輪郭を結んだ。

「ランパ?」

「あら、まだお気づきになりませんの?」

 薄紫のツインテール、漆黒のゴシックドレス。
 
 ソーマがにこりと微笑み、切断された勇斗の左腕を愛玩するかのように撫でた。

「ごきげんよう、わたくしは――魔女ソーマ」

 頭が真っ白になる。

 ソーマが、魔女?

「うふふ。その間抜けな顔、とーっても滑稽ですわ。あなた、氷見橋の夜からずっとわたくしの幻術に騙されていましたのよ」

 ランパだけが薄々気づいていた、と魔女は楽しげに付け足した。

 勇斗は青ざめる。

「どうして、どうしてこんなこと」

「ルークに惨たらしく殺されたわたくしが、ルークの生まれ変わりをなぶり殺す――それ以上の歓びがあるかしら?」

 うっとりとしたソーマは、切断された勇斗の左腕をそっと床へ置いた。

 ソーマの手が、勇斗の頬を撫でた。指先は氷のように冷たかった。

「本物はもういない。なら、力を受け継ぐあなたをいたぶれば充分」

 囁きと同時に意識が弾け飛ぶ。

 顔面に焼けるような痛み。
 
 渦を巻いた幾つもの霞の刃が、勇斗の両眼の周囲を削り取っていた。

 やがて、二つの眼球がくり抜かれた。焦点を失った。

「う、ぁぃいぎゃあぁぁぁぁぁッ!」

 勇斗は狂った叫びを上げた。

「耳は片方残してあげますわね。わたくしの声が聞こえないと寂しいでしょう?」

 右耳がずるりと剥がれ落ちる感触。湿った音が遠くで弾んだ。

 もう、やめて。

 殺戮は終わらなかった。

 ずぶり、ずぶり――霧の剣が勇斗の胴体をうがつ。黄金色に輝いていた鎧は、滲み出した血と瘴気で赤黒く変色していく。

「ふぅ、血が出過ぎてしまいましたわね。まだ遊び足りませんのに――あぁ、そうだわ!」

 パン、と両手を叩いたソーマは、笑顔で赤い魔法陣を空中に描いた。

「焼き加減はいかがいたしましょう、ミュールさん? あ、もう彼はいませんでしたわね」

 ぺろっ、とソーマが舌を出した。
 
 次の瞬間、業火が勇斗を飲み込んだ。肺が焼かれ、声帯は悲鳴すら上げることができない。

「次は右腕にする? それとも左脚? 迷いますわぁ~」

 魔女は歪んだ笑みで刃を弄ぶ。
 
 そのとき。

「ユートーッ!」

 残った左耳に、樹の精霊の声が届いた。

 ◆

 吹雪の中、ランパは必死に森を駆けていた。

 ソーマと最初に会ったときから、どこかおかしいと感じていた。記憶が戻るにつれて、その気持ちは確かなものになった。見た目は変わっていても、あの女は魔女だ。はるか昔、肌で覚えた魔女特有のマナと、ぴたりと一致する。

 ユートに気づかれないよう始末するはずだったのに、どういうわけか、あのとき躊躇してしまった。オイラのばか!

 草木の助言と、契約の糸をたぐり、ランパは古びた神殿へ飛び込む。遠い過去に訪れたことがある、魔女の住処。

「ユートーッ!」

 広間にたどり着いたランパは、充満する強烈な異臭に鼻を曲げた。

「あら、もう来ましたの? ちょっと早すぎですわよ」

 石台の上で、ソーマが口角を吊り上げる。

「その姿、レタから奪ったものだな?」

「若く美しいこの髪、ずっと欲しかったのですわ」

 霞色の髪を撫で、ソーマはうっとりとした。

「ユートはどこだ!」

「ここでぐっすりと寝ていますわよ」

 ソーマが視線を落とす。

 石台から流れ落ちる、おびただしい量の赤い液体。

 まさか、そんな。

 ランパは、足取りもおぼつかないまま、八角形の石台に乗った。

 石台の中央には、勇斗が倒れていた。呼吸の有無すら、確かめる勇気が湧かなかった。

「感動の再会ですわね」

 許さない。

「お前、許さない。絶対に、許さない」

 ランパの髪が徐々に赤く染まっていく。

「ここで力を使えば――大切なお友達も、消えてしまいますわよ?」

 ランパの腹部が、霧の剣で深々と切り裂かれた。

「ぐうっ――」

 両膝を折ったランパは、きつく歯を食いしばった。

 瞬間、激しく床が動いた。広間全体が異様な音を立て始める。天井から小石と埃の雨が降り注ぐ。

「あなたたちとのお友達ごっこ、それなりに楽しめましたわ。それでは、ごきげんよう」

 にっこりと笑ったソーマは、勇斗の左腕を大切そうに抱え、闇に溶けて消えた。

「くそっ、くそっ!」

 怒りの行き場が、もうどこにもなかった。

 空間が唸り上げる。柱が折れ、天井と壁が雪崩のように崩れ始める。

「くそぉ――――――――っ!」
 
 轟音に、ランパの絶叫は押しつぶされた。


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 勇斗はベッドに腰掛け、窓外の闇に舞う雪の結晶を、ぼんやりと追っていた。
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 ランパは全ての記憶を取り戻しているはずなので、精霊樹の場所もわかるだろう。同時に、確かめなければならないことがある。タプカ山で化け物を一瞬で灰にした、あの破壊的な力のことだ。記憶の映像の中では、世界を滅ぼしかねないとまで言われていた。
 だが、聞く勇気が沸かない。もし、今までの笑顔が全て演技だったら――
 ランパが、わからない。胸の奥がざわつく。
 勇斗は、理由もなく部屋を見回した。
「あれ?」
 窓の外にソーマの姿があった。誰かと話している様子だった。相手の姿は暗闇に溶け、見えない。
「誰だろう」
 瞬間、鉛のような眠気が襲ってきた。
 まぶたが勝手に落ち、勇斗はベッドに倒れ込んだ。
 はっ、と勇斗は息を吸い込み、目を覚ました。どれくらい寝ていたのだろう。窓の外は猛吹雪だった。
 視線を隣のベッドに移すと、ランパの姿はなかった。目を覚ましたのだろうか。
 心臓が荒く脈打つ。
 勇斗は、伝説の武具を装着し、客室を出た。
 静まり返った暗い廊下を歩く。ランプの灯りが不規則に揺れる。
 ソーマの部屋の前で足が止まった。
 ガタン、と物音がした。同時に「きゃあっ」という声。ソーマの悲鳴だ。
「ソーマ!」
 勇斗は勢いよく扉を開けた。
 飛び込んできた光景に息を呑んだ。
 ベッドで仰向けのソーマに、ランパが馬乗りになっていた。
 ランパの手には、短剣が握られている。刃の先端が、ソーマの喉元に当てられていた。
 ソーマは顔を勇斗に向け、口をパクパクさせた。虚ろな目からは涙がこぼれている。
 顔を真っ赤に染め、考えるより先に、勇斗は突進した。
 両手でランパの肩を突き飛ばす。弾き飛ばされた小さな体が壁に激突する。短剣がカランと床を転がった。
「ランパッ! 何をしてるんだ!」
 勇斗の叫びが、客室内に響き渡る。
「ユート、聞いてくれ、オイラは――」
「言い訳なんか聞きたくない! 近寄るな、この化け物!」
 勇斗はランパを睨みつけたあと、ソーマの手を掴み、客室を飛び出した。
 背後でランパのかすれた声が揺らいだが、勇斗は振り返らなかった。
 猛吹雪を裂き、勇斗はソーマの手を引いて疾走していた。
 無我夢中だった。一刻も早く、ソーマをランパの魔の手から引き離そうとしていた。
 気づけば、森の中を走っていた。雪化粧を纏った木々が流れていく。町の外に出ていたようだ。吹雪はおさまっていた。
「ゆ、ユート、ちょっと、待ってくださいませ」
 ソーマの声で、勇斗は足を止めた。
 ぜぇぜぇ、とソーマは肩で呼吸している。
「ご、ごめん」
 彼女の体力を顧みず走ったことを、今さら悔いた。
「ちょっと休憩しようか」
 近くにあった切り株の表面に積もった雪をざっと払いのけ、その上に二人は腰掛けた。
「何が、あったの?」
「ベッドで寝ていたら、急にランパさんが部屋に入ってきまして」
 涙声になりながら、ソーマは続ける。
「ランパさん、いきなり『お前を殺す』って言ってきましたの。最初は何かの冗談かと思いましたわ。でも、ものすごく怖い目をしていまして。どんどんわたくしに近づいてきまして、腰から短剣を抜いて、そして――」
 ソーマは嗚咽を漏らした。
「……喉元に、突きつけられたんだね。怖かっただろう」
 勇斗はソーマを静かに抱き、背中をやさしくさすった。
「ユートが来てくれなきゃ、わたくし、今頃」
「大丈夫、安心して。きみを絶対に死なせないから」
「あぁっ、嬉しいですわ。やはり、あなたはわたくしの探していた勇者様です」
 涙を拭いたソーマは、満面の笑みを浮かべた。
 それからしばらく、二人は森をさまよい続けた。戻り方がわからない。しかし、今更戻ったところでソーマを危険にさらしてしまうだけだ。
 これからどうしようか――
 遠くまで逃げて、ソーマといっしょにこの世界で暮らすのもありだろうか。結婚して、子供を産んで、幸せに暮らす――そんな未来も、許される気がした。
 ふと足元を見ると、銀色の物体が半ば雪に埋もれていた。拾い上げて掌を返す。
 オイルライターだった。ボディの下部には「Y・S」という文字が小さく刻まれている。なぜ、ここに?
 突然、雪混じりの強風が叩きつけてきた。
「また吹雪いてきましたわね」
 ソーマが心配そうな口調で言う。
「どこか、避難できそうな場所があれば――」
 勇斗は必死に視線を動かすも、猛烈な吹雪に視界を遮られる。
「あ、あれは」
「どうしたの?」
「来てくださいませ」
 ソーマに手を引かれ、ひらけた場所に出た。
 石造りの建物――古びた神殿――が雪煙の中で息を潜めていた。亀裂だらけの石門の奥には、頭部と左腕の欠けた石像が立っている。像が、こちらの選択を見定めている錯覚に陥った。
「ここなら、吹雪をしのげますわ」
「急ごう」
 考えるよりも先に、体が動いていた。勇斗とソーマは、神殿に駆け込んだ。
 古びた神殿の内部は、闇と静寂に満ちていた。
 勇斗は、ガントレット甲側の宝珠から炎を放った。青白い炎が石壁を照らし、風化した文様と崩れかけの柱を浮かび上がらせる。壁のあちこちに走る縦割れから、風がひゅうと笛鳴りをして忍び込んできた。
「寒いですわね。もう少し奥まで行きませんこと?」
「うん、そうだね」
 奥へと進んだ先には、大きな空間が広がっていた。紫色の炎が揺らめき、怪しげな光が空間を照らしている。中央には直径三メートルほどの八角形の石台が鎮座していた。
 あれ? この場所――どこかで、確かに見た。
 勇斗は首を傾げつつ、ガントレットの炎を鎮めた。
「ユート、あそこに何かありますわ」
 ソーマが八角形の石台を指さす。
 勇斗は八角形の石台に足をかけ、そっと上に立った。足元を見下ろすと、石の表面は不自然な色に染まっていた。焦げたような黒と、くすんだ茶色がまだらに広がり、中央部分はわずかにへこんでいる。微かに鉄臭い空気が鼻孔をかすめた。
「ねぇ、ソーマ。何もないよ」
 振り返ると、ソーマの姿はなかった。代わりに濃紫の霧が床から湧き出ていた。
「ソーマ、ソーマ!」
 叫ぶも返事がない。周囲が深い霧で覆われ、視界が完全に遮られる。
 刹那、左腕に鈍い衝撃が走った。
 ――え?
 何が起こったのか、勇斗には理解できなかった。
 おそるおそる、左下に視線を落とす。
「ああっ、あぁ」
 そこにあるはずの左腕が、存在していなかった。上腕の途中から先が、ごっそり欠けていた。切断面からは血が溢れ出している。
 意識をした途端、激痛が全身を駆け巡った。
「あっ、ぎゃあああぁぁぁぁっ!」
 勇斗の喉から獣じみた悲鳴がほとばしった。たまらず右手で切断面を押さえ込む。
 痛い、痛い、痛い。この痛みを抑えなくては――ドラシガー、ドラシガーを吸わないと。
 もうろうとする意識の中で勇斗は気づいた。火をつけるための左ガントレットが、ない。
 石床に崩れ落ちた瞬間、コツン、コツン、と靴音が空間へ反響した。
 霧が割れ、足音の主が姿を現した。
 あぁ――
 勇斗の目線の先に、ランパが立っていた。無表情で、切断された勇斗の左腕を抱えている。
「ランパ――」
 涙が溢れてきた。
 クスクス、と笑い声が木霊した。
 ランパの形が変化する。体が溶けるように歪み、影絵が別の輪郭を結んだ。
「ランパ?」
「あら、まだお気づきになりませんの?」
 薄紫のツインテール、漆黒のゴシックドレス。
 ソーマがにこりと微笑み、切断された勇斗の左腕を愛玩するかのように撫でた。
「ごきげんよう、わたくしは――魔女ソーマ」
 頭が真っ白になる。
 ソーマが、魔女?
「うふふ。その間抜けな顔、とーっても滑稽ですわ。あなた、氷見橋の夜からずっとわたくしの幻術に騙されていましたのよ」
 ランパだけが薄々気づいていた、と魔女は楽しげに付け足した。
 勇斗は青ざめる。
「どうして、どうしてこんなこと」
「ルークに惨たらしく殺されたわたくしが、ルークの生まれ変わりをなぶり殺す――それ以上の歓びがあるかしら?」
 うっとりとしたソーマは、切断された勇斗の左腕をそっと床へ置いた。
 ソーマの手が、勇斗の頬を撫でた。指先は氷のように冷たかった。
「本物はもういない。なら、力を受け継ぐあなたをいたぶれば充分」
 囁きと同時に意識が弾け飛ぶ。
 顔面に焼けるような痛み。
 渦を巻いた幾つもの霞の刃が、勇斗の両眼の周囲を削り取っていた。
 やがて、二つの眼球がくり抜かれた。焦点を失った。
「う、ぁぃいぎゃあぁぁぁぁぁッ!」
 勇斗は狂った叫びを上げた。
「耳は片方残してあげますわね。わたくしの声が聞こえないと寂しいでしょう?」
 右耳がずるりと剥がれ落ちる感触。湿った音が遠くで弾んだ。
 もう、やめて。
 殺戮は終わらなかった。
 ずぶり、ずぶり――霧の剣が勇斗の胴体をうがつ。黄金色に輝いていた鎧は、滲み出した血と瘴気で赤黒く変色していく。
「ふぅ、血が出過ぎてしまいましたわね。まだ遊び足りませんのに――あぁ、そうだわ!」
 パン、と両手を叩いたソーマは、笑顔で赤い魔法陣を空中に描いた。
「焼き加減はいかがいたしましょう、ミュールさん? あ、もう彼はいませんでしたわね」
 ぺろっ、とソーマが舌を出した。
 次の瞬間、業火が勇斗を飲み込んだ。肺が焼かれ、声帯は悲鳴すら上げることができない。
「次は右腕にする? それとも左脚? 迷いますわぁ~」
 魔女は歪んだ笑みで刃を弄ぶ。
 そのとき。
「ユートーッ!」
 残った左耳に、樹の精霊の声が届いた。
 ◆
 吹雪の中、ランパは必死に森を駆けていた。
 ソーマと最初に会ったときから、どこかおかしいと感じていた。記憶が戻るにつれて、その気持ちは確かなものになった。見た目は変わっていても、あの女は魔女だ。はるか昔、肌で覚えた魔女特有のマナと、ぴたりと一致する。
 ユートに気づかれないよう始末するはずだったのに、どういうわけか、あのとき躊躇してしまった。オイラのばか!
 草木の助言と、契約の糸をたぐり、ランパは古びた神殿へ飛び込む。遠い過去に訪れたことがある、魔女の住処。
「ユートーッ!」
 広間にたどり着いたランパは、充満する強烈な異臭に鼻を曲げた。
「あら、もう来ましたの? ちょっと早すぎですわよ」
 石台の上で、ソーマが口角を吊り上げる。
「その姿、レタから奪ったものだな?」
「若く美しいこの髪、ずっと欲しかったのですわ」
 霞色の髪を撫で、ソーマはうっとりとした。
「ユートはどこだ!」
「ここでぐっすりと寝ていますわよ」
 ソーマが視線を落とす。
 石台から流れ落ちる、おびただしい量の赤い液体。
 まさか、そんな。
 ランパは、足取りもおぼつかないまま、八角形の石台に乗った。
 石台の中央には、勇斗が倒れていた。呼吸の有無すら、確かめる勇気が湧かなかった。
「感動の再会ですわね」
 許さない。
「お前、許さない。絶対に、許さない」
 ランパの髪が徐々に赤く染まっていく。
「ここで力を使えば――大切なお友達も、消えてしまいますわよ?」
 ランパの腹部が、霧の剣で深々と切り裂かれた。
「ぐうっ――」
 両膝を折ったランパは、きつく歯を食いしばった。
 瞬間、激しく床が動いた。広間全体が異様な音を立て始める。天井から小石と埃の雨が降り注ぐ。
「あなたたちとのお友達ごっこ、それなりに楽しめましたわ。それでは、ごきげんよう」
 にっこりと笑ったソーマは、勇斗の左腕を大切そうに抱え、闇に溶けて消えた。
「くそっ、くそっ!」
 怒りの行き場が、もうどこにもなかった。
 空間が唸り上げる。柱が折れ、天井と壁が雪崩のように崩れ始める。
「くそぉ――――――――っ!」
 轟音に、ランパの絶叫は押しつぶされた。