呪われた神社③
ー/ー 乳白色の霧に包まれているせいで、一寸先さえ何も見えません。そうやってなんとなく前を見ていると、黒い人影が前を横切るのが見えました。
一瞬、神主さんが戻ってきてしまったのか、と思いました。しかし、危険だから待っていてくれ、と言ってあるのに戻ってくるはずがありません。それに、彼が戻ってきていたとしたら、この霧を見て騒がずにいられるはずはありません。しかし周りは無音のままでした。
今度は、黒い人影がすぐ目の前を横切りました。その時僕は、足音がしていないことに気づきました。目の前を横切っているのは、人ではないと、この時に気づきました。
悪霊が地面の中から姿を現わして、結界の周りをうろついているのかもしれない、そう思った瞬間、視線を感じました。しかも感じる視線は一つや二つではありません。たくさんの姿の見えない何かが、僕を見ているように思えました。
それでも僕はじっとしていました。それが、彼女の指示だったからです。
ぬっと、黒い影が視線の下から躍り出てきました。霧のせいで、そいつの顔は見えません。しかしそいつがこちらを見ているのはわかりました。それに気づくのと同時に、配管の奥から漂ってくるような腐敗臭が漂ってきました。
突然、強い風が吹きました。嫌な予感がして、僕は下に置いてあるお香を見ました。予感は的中していて、お香の火が消えてしまっていました。
僕
「お香の火が消えました」
伊沢さん
「つけ直して」
僕
「でも、前に黒い影がいます。動いても平気ですか?」
伊沢さん
「大丈夫、そいつは私たちを脅かそうとしているだけだから。そいつ自体は、私らになにもできない。お香の火をつけ直して」
僕
「わかりました」
僕は立ち上がると、ロングライターを手に取って、消えたお香のほうへ向き直りました。黒い人影は消えていました。
僕は手で風をよけながら、火をつけようとしました。その時、ざり、という地面の上を何か重いものが這うような音が、すぐ前のほうからしました。
もう一度、ざり、という音がしました。そして真っ黒な手がぬっとお香を置いてある皿のすぐそばに出てくるのが見えました。
僕はそれを無視して、お香に火をつけました。結界を復活させれば、それらはおのずと退いていくとわかっていたからです。
お香に火がついてからしばらくは、手で火を風から守っていました。しかし少しすると、風がやみました。
それから僕は他のお香も見ました。すべてのお香の火が消えていたので、すべてに火をつけ直しました。
彼女は手を合わせた状態のまま、じっとしていました。
僕
「お香の火、ぜんぶつけ直しました」
伊沢さん
「ありがとう。そしたら、またさっきみたいにお願い」
言ってから彼女は、合わせていた手を離して、しゃがんで右手を地面につけました。
僕は先ほどと同じように、金剛杵を地面に突き立てて、じっとしていました。
少しして、霧が薄くなり始めました。おや、と思っていると、数メートル先が見えるようになって、鳥居が見えるようになって、とうとう霧がすっかり晴れて、元通り日差しが戻ってきました。
伊沢さん
「もう大丈夫、悪霊は全部消えたから。次は、藁人形のほうをやるから、こっち来て」
僕は彼女とともに、本殿の裏へ回り込んで、雑木林の手前にやってきました。
伊沢さん
「そこから動かないで。前のほうに行ったりしたら絶対だめだからね」
僕
「わかりました」
彼女は手を合わせました。しばらくしてから、両手をばっと前に突き出しました。
それから、また手を合わせました。そして今度は、右手だけを開いたかたちで突き出して、その状態で静止しました。
僕の目には、何も見えませんでした。しかしなぜか、暗かった雑木林の中が明るくなって、周りの空気が澄み渡ったような気がしました。先ほどまで雑木林の中に漂っていた、気味悪さがなくなっていたのです。
やがて、彼女は手をおろしました。直後、彼女は後ろにふらっとよろめきました。僕はとっさに、彼女を支えました。
彼女はそのまま、僕に全体重を預けて、ずるずると下にへたりこんでしまいました。僕は彼女の細くて軽い体をゆっくりと地面におろして、座らせました。
僕
「どうしたんですか?」
伊沢さん
「やばい、力使いすぎた」
僕
「大丈夫ですか? 少しここで休みますか? それともいったん、ここを出ますか?」
伊沢さん
「出たいけど、動けない。もうむり、一歩も動けない」
ここまで弱っている彼女を見るのは初めてでした。今回のお祓いがそれだけやばかったということなのでしょう。
僕
「大丈夫ですよ、僕が運んでいきますから。失礼します」
僕は彼女の背中と足の下に腕を回して、抱きあげました。彼女の体は子供のように軽くて、普段本当にちゃんと食べているのか、と心配になりました。
それから、彼女を本殿の階段あたりに座らせました。
僕
「車に戻って、飲み物とかとってきましょうか?」
伊沢さん
「いい。そばにいてくれればいい」
彼女はしばらくのあいだ、しんどそうにしていて、汗までかいていました。しかしやがて、元気を取り戻したようで、自力で立ち上がりました。
伊沢さん
「ごめん、もう大丈夫」
僕
「大丈夫ですか? また、車まで運んでいきましょうか?」
伊沢さん
「いいよ、もう自分で歩けるから。それより、ちょっと荷物だけお願い」
僕は出してあったお香の火を消して回収して、荷物をまとめて、彼女とともに神社をあとにしました。
神主さんの自宅へ戻ったあと、依頼完了の報告をしました。
伊沢さん
「もうあの神社は大丈夫です。悪霊はすべて消しましたし、呪いもすべて消しました。木に打ちつけてある藁人形も、もうただの人形になってるので、普通に触っても大丈夫です。神様も力を取り戻して、今は神社を守ってくれているので、もうあの神社は安全です」
神主さん
「そうですか、ありがとうございました」
伊沢さん
「ただ一応、雑木林の裏にある藁人形はできるかぎり回収してください。放っておくとまた別のものが宿ってしまう可能性があるので、それはそれでよくないので。回収までお手伝いできないのは申し訳ないんですけど、数が十体とかじゃなくて、百体くらいあって、我々二人だけではちょっと難しくて」
神主さん
「いや、大丈夫ですよ。お二人にはここまでしてもらっただけで十分ですから。それに、うちは親戚に声をかければ、たぶん十人くらいは集められるので大丈夫ですよ」
伊沢さん
「すみません。それを回収したら、念のためお焚き上げしてください。そうすれば間違いなく、大丈夫です。もう神様が力を取り戻しているので、また新たに丑の刻参りに来ようとする人がいたとしても、神様の張った結界がちゃんと追い返してくれるはずですから、そこは安心してください」
神主
「そうですか。いやあ先生、本当にありがとうございました」
神主さんは深く頭を下げて、お礼を言いました。
帰りの運転の最中、僕は彼女に、お祓いの時に起きていたできごとについて尋ねました。
僕
「あの、黒い影ってやっぱり悪霊だったんですか?」
伊沢さん
「そう。自分が消されるってわかってたから、むりやり地上に出てきて攻撃しようとしてきたんだよね。霧で日光をさえぎるっていうかたちで。それでもやっぱ日中だったから、本来の力はほとんど出せないままだったけど」
僕
「風が吹いたときはちょっとひやっとしましたけどね」
伊沢さん
「うん。あれはちょっとびびった。村山君がいなかったら危なかったね」
僕
「あれも悪霊のしわざだったんですか?」
伊沢さん
「そうだよ。お祓いの邪魔をしようとしてきた。でも、村山君が火をつけ直してくれたし、そのあとすぐに地面の下にいるやつを全部燃やして、神様が出てこられるようにしたから大丈夫だった。神様が出てきたら、弱った悪霊たちを全部やっつけてくれたし」
僕
「じゃあ、霧が晴れたのって神様が悪霊を一掃してくれたからなんですね」
伊沢さん
「そういうこと」
僕
「で、そのあとに呪いを消したっていうわけですね」
伊沢さん
「そう。あれが一番大変だった。神様にやってってお願いされて。思わず、やだって言っちゃったからね、神様に。でも神様にとってはあの呪いが気持ち悪くて近づけなかったみたいで、もうやるしかないってなって。それで、雑木林全体に結界をかけて、人がいないのを確認してから、悪いものだけを燃やす火を結界の中に流し込んで、蒸し焼きみたいなかんじで呪いを全部焼いた」
僕
「人がいるとまずかったんですか?」
伊沢さん
「まずいよ。人って、善と悪、両方の性質を持つ存在だから。善だけの人なんていないし、悪だけの人間もいない。だから、間違って村山君が結界の中に入ってたら、魂が焼かれて、あの世に行ってた」
僕
「そうだったんですね」
伊沢さん
「もう、マジで疲れたわ。内心、丑の刻参りやったやつらにキレまくってたもん。なんで私がこんなものの後始末しなきゃならないんだよって。マジでだるかった」
僕
「大変でしたね。てか、結局一番悪いのって、誰かを呪った人たちなんですよね。そのしりぬぐいを伊沢さんがさせられるっていうのが、意味わからないなっていう気がします」
伊沢さん
「ほんとそう。恨みだかなんだか知らないけど、文句あるなら直接言って解決しろよって思うわ。ああいうクソみたいなことされてわりをくうのは結局、何も悪くない人たちなんだからさ。マジでやめろって思う」
ここまで感情をあらわにしている彼女を見るのは、食べ物が絡んだ時以外では、久しぶりでした。どうやら今回の依頼にはそうとう思うところがあったようです。
僕
「なんか、甘いものでも食べに行きます?」
伊沢さん
「行く。でかいパフェドカ食いするわ」
彼女は、さきほどあった恐ろしいできごとなどみじんも感じさせない明るい態度で、そう言いました。僕はいつも、こういう彼女の明るさに救われているような気がします。
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