屋敷の一室。二人の部屋は静まり返っていた。ただ、紅茶を飲むだけ。復讐を成し遂げたというのにそこには喜びも悲しみもなかった。しかし、その静寂をロゼが破った。
「ジャック」
「…。」
何も言わないジャックを見て、目を伏せる。そして、返答を求めずロゼは話し出す。
「祝賀会など開いてやる気は毛頭なかったとはいえ静かなものだ」
相変わらずジャックは何も言わない。そうか、と小さく呟いてから話を続ける。
「過去は清算した。成し遂げた。次の目的のない貴様は…」
息をはいてから小さく吸って問う。
「どうするつもりだ?」
ジャックは口にしていた紅茶を置いてから、ロゼを見る。ジャックの真っ直ぐで迷いのない瞳にロゼは動揺するが顔には一切出さない。
「死ぬまでロゼと共にいる。俺の命はお前のものだ」
ジャックからの告白にロゼは頬を赤らめる。自然と頬に向かっていた手が触れ、自身の熱を感じてこの私が照れているだと?と狼狽える。ジャックは続ける。
「歩みは俺が早い。しかも、初老男だ。長くはない」
立ち上がり、ロゼの元に歩いていき、跪いてからロゼの手を取って、口づけをした。
「二度目の父親の喪失をさせてしまう。最初の下僕を失う事になる。罪深いと思う。だが、俺にはロゼしかいない。ロゼのいない人生など考えられない」
熱烈な台詞に更に頬を赤らめるロゼ。そして、その顔は崩れていき、いつもの威厳のある高貴で涼しげな顔はなく、涙でぐちゃぐちゃになっていた。
「ジャック…ジャックっ!」
恥も外聞もなく、抱きついて泣きじゃくる。ジャックは微笑んで抱き締めるだけだった。
―
「ぐすっ…何と言う…無様…な…姿…だ」
「泣き足りないのならば泣いていていい。この場には俺とロゼしかいない」
優しくロゼの頭を撫でる。ロゼはジャックの胸で深呼吸をして、ハンカチを取り出してぐちゃぐちゃの顔を拭った。上げられた顔はいつもの顔だが泣き腫らした顔の跡は消えていない。
「まだ、私は聞いていない事がある。復讐を成し遂げたら言うと約束しただろう?さぁ、何を言いたかったんだ?言え」
ジャックは撫でる手を止めて、青ざめる。生きろという言葉は呪い。それを突き付けたらどうなる?折角の拠り所を見つけたのに。手を離して、ロゼを抱き締める。
「何を怯えている。小僧」
「失いたくない」
「言っただろう。心臓を貫くナイフだろうと溢れんばかりの賛辞だろうと喜んで受け取ろう、と。このローゼンプラチナ・マリアンヌ・シュクレプーレに二言はない」
「…ロゼは嘘が上手い」
ほう、と呟くロゼ。ジャックから距離を取ると呆然とし、手が空で抱き締める形で止まっている指に小指を絡めた。
「約束だ。ピンキースウェア。指切りげんまん。嘘はつかない」
ジャックは覚悟を決めて、震える口で言った。
「ロゼが生きる源としてきた『生きろ』という言葉は…言葉…は」
唇を噛んでから。ハッキリと口にした。
「呪いだ!800年も孤独で人を殺めて生きてきて!子供らしく振る舞えなかった!淑女である前にロゼは子供!甘えたかった!頼りたかった!すがりたかった!でも!出来なかったんだ!」
堰を切ったように溢れ出す言葉。言い過ぎたと口を押さえて、うずくまる。ロゼの顔は影になっていて見えない。
「それが貴様の言いたかった事か」
どんな罰もどんな結末も受け入れる為に起き上がって、正座をする。月光がロゼの顔を照らした。その顔は穏やかで憑き物が落ちた様な顔だった。ジャックはやはり、遠くなってしまったと一筋の涙を流した。
「安心しろジャック。私はここにいる」
ロゼは顔を近付けて、涙の筋がある頬に口づけをする。
「貴様に殺しの技術を教えていないのに心臓を貫かれたぞ。私よりも上手くな」
ロゼは数歩下がってから胸を押さえる。それから、小さく深呼吸をする。
「ずっと追いやっていた。いや、全くもって違う。美化してずっと共生していた」
声が震える。
「呪いは呪いともいう。面白いだろう?同じ字で意味合いが変わるのだ」
ロゼは自身を抱いて、しゃがみこむ。
「呪いは自身が認識して初めて発動する。今、まじないは今、呪いとして我が身を蝕んでいく」
ジャックが駆け寄ろうとするのを止める。
「…さぁ、800年分の呪いよ。来るがいい」
美しいプラチナブランドの髪はパサついて真っ白になっていき、乙女の柔肌はしわしわで乾燥し、宝石のような輝きのマゼンタの瞳からは色が失われ、濁っていく。パタリと呆気なく倒れたロゼ。変わり果てたロゼを抱いてジャックは慟哭した。心のままに泣いて、泣き続けた。
―
「ロゼ…ロゼ…」
一日中泣き叫んでいた為、声がすっかり枯れていた。
「…約束はどうした…?二言はないと言っただろう…?私はここにいると…言ったじゃないか…!」
ロゼだったものは何も答えない。
「一人にしないでくれ…礼節を学んでも…言葉遣いを直しても…料理が上手くなっても…トマトは嫌いだ…セロリも…そして…」
カサカサの頬に頬擦りをする。
「ロゼの望むお父様にはなれなかった…っ!烏滸がましいと思ったが…お父様になぞ…なれなかった…!精一杯…それらしく…振る舞っていた…だけだ…!」
乾燥しきって割れた唇に口づけをする。
「…ロゼ…俺より先に…行かないでくれ…ずっと後ろを…歩いて…いたじゃないか…それなのに…一瞬で…追い抜いていって…」
まだ枯れていなかった涙が止めどなく落ちる。
「…結局…何も分からなかった…歩幅は揃わず…遠かった…真の意味で…近付いてなど…いなかった…」
ロゼの袖からダガーが落ちてくる。
「…。」
ジャックはそれを拾い、強く握りしめた。
「迎えてくれ…これでもう…歩幅は関係ない…地獄で…分かり合おう。永久を…過ごそう…愛している…ロゼ」
ダガーを首に突き刺そうとしたがループタイの飾りがそれを邪魔した。
「…貴方は止めるのですね…次は俺を呪う…生きろと…呪う」
砕けた飾りが散らばる。もう邪魔をするものはないがジャックの手からダガーが滑り落ちていた。
「俺には…底辺が…似合う…薄汚い…負け犬だ」
ジャックはロゼだったものを抱いて横になった。
―
「…ジャ…ッ…ク…ジャック…ジャック」
何て都合の良い幻聴だ。確かに名を読んで欲しかった。ロゼに名を呼ばれる度に生を感じた。俺はジャックマンと呼ばれ続けた。もしくはお前だのそれだの名すら呼ばれなかった。ジャックという渾名で呼ばれて嬉しかった。ロゼはロゼと呼ばれて嬉しかったか?答えてくれ、ロゼ。ローゼンプラチナ。…やはり…幻聴か。
「起きろ…起きろジャック…ジャック!」
また鞭か?痛みさえも愛おしい。そういう趣味などないが要領の悪い俺にはピッタリの教育だった。
「ジャック!」
「何なんだ!?」
目が覚めるとロゼが仁王立ちをして、ジャックを見下ろしていた。
「これは…夢だ…都合の…良い…夢だ」
変わり果てたロゼの姿が過る。気分が悪くなり、思い切り胃の中身を吐き出す。
「屋敷を汚すな!全く…」
こんな記憶はない。神がいるのならばなんて残酷な仕打ちをするのだろう。地獄で歩幅を合わせて罪を償うのの何が悪い。言ってみろ。
「神などいない。そう言った。忘れたのか?痴呆の始まる歳か?ジャック」
ロゼは袖からロザリオを取り出した。ジャックはそれを奪い取ると窓に向かって走り、放り投げた。
「神などいない!いるのならばロゼは魔女にはならず!俺は…俺は…」
涙を流して叫ぶ。
「あそこで死んでいた!ゴミ山で!そうだ!神などいないが」
二度と声が出なくなってもいいという声量で叫ぶ。
「死神はいた!貴様よりも慈悲深い神が!ロゼ!ローゼンプラチナ・マリアンヌ・シュクレプーレ!死さえも永遠とした俺の神だ!」
そう言うと意識がプツリと途絶えた。神罰かと思ったが気を失う前に中指を天に向かって立てていた。
―
「ジャック。いつまで寝ている?私はここにいるぞ」
嗅ぎ慣れた薔薇の香りがする。声のする方へ手を伸ばす。伸ばした手はキメ細やかな柔肌に触れていた。体温も感じる。
「ロゼ!?」
飛び起きると可憐で高貴なる令嬢ロゼ。ローゼンプラチナ・マリアンヌ・シュクレプーレが微笑んでいた。
「ロゼ!ロゼなのか!?これは夢なのか!?夢でもいい!何でもいい!ロゼ…っ!」
泣きながら抱き付く。
「やれやれ。やはり、貴様は小僧だ。お父様になぞなれんし…」
強く抱き返される。
「私もお父様にしてやれなかったよ。教育失敗だ」
「ロゼ…っ」
「泣け。満足するまで泣くがいい」
子供の様に泣きじゃくった。
―
「ロゼ…本物なんだよな?」
「ロゼ。ローゼンプラチナ・マリアンヌ・シュクレプーレは私しかいない。何を疑う事がある」
「説明してくれ。気がおかしくなりそうだ」
ジャックは子供の様に抱き付いて離れない。
「ふむ、私は確かに死んだよ。お父様の呪いを一身に受けて私の身体は老いさらばえ、肉体は死んだのだ」
頭を撫でながら、話を続ける。
「だが、お父様の呪いは200年分。つまりは、お父様の死に様をフラッシュバックしていた頃までしかなかった。呪いというのは憎しみや無念がある限り続く。さて、私がトラウマを克服し、幸せな記憶を擦り切れる程に愛おしんでいた年数は600年だ。そう、想ってくれている。ロゼは幸福だという満足が勝り、お父様の無念は晴れていたのだ。まぁ、完全ではなかったが」
ジャックは泣き腫らした顔でロゼを見ながら首を傾げる。
「そう、孤独だった私を心配していたのだ。素晴らしく慈悲深いお方だ。そして、最後のキーは」
撫でていた手をジャックの頬に移す。小さくて柔らかな手。無意識に頬擦りをする。
「貴様だったんだ。ジャック。ジャックマン・エンジェル・マクガイア」
ジャックは目を丸くする。何を言っているのか分からないという顔をしていたがロゼは頬に当てていた手を顎に移して、持ち上げて口づけをした。
「お父様。私の愛おしいお父様。不完全さえも愛おしい」
ロゼは笑う。
「そもそも私のお父様は完璧でなどなかったしな。お母様に一度も文句を言えなかった情けのない男だ」
やっぱり分からない上にあんなに慕っていたお父様をそんな風に言うのかと顔をしかめると高らかに笑った。
「侮蔑はしていない。客観的事実を並べただけだ。お父様は神の様な存在だが」
耳元で囁く。
「人は逆立ちしても神になどなれん。神などいないのだ」
やっとしゃくるだけだった音を声に。言葉に出来たジャックは疑問をぶつける。
「死人は生き返らない」
「気持ちは分かるが結論を急ぐな」
ロゼはジャックの喉元を猫のように撫でる。くすぐったくて笑ってしまう。
「お父様は貴様を認めたのだ。私を託すに足る男だとな。そして、呪いに打ち勝った身体は不老の魔術によって老いを消しにかかった。不老であるロゼが老いるなど許さんとな」
ジャックの手を取って、自身の胸に当てる。
「生を感じるだろう?私は甦ったのだ」
手から体温と脈動を感じる。もっと、ロゼを感じたいと言って、耳を胸に当てる。
「ロゼは…いる」
「あぁ、いるとも」
泣くよりも先に安心が勝り、崩れるように眠ってしまった。
「今は休め。ジャック。愛しているぞ」
額に口づけをし、軽々とジャックを抱えて、ベッドに寝かせた。
―
「ふぁ…長くて…恐ろしくて…訳が分からない…夢を見ていた」
部屋にロゼはいない。朝だからなと起き上がろうとすると腹部に重さを感じた。ロゼが眠っていた。起こそうとすると寝間着が捲れて、背中が露になった。慌てて寝間着を直す前に背中の紋章が消えている事に気付いた。それにやけに大きいなと首を傾げる。掛け布団を捲ると成人女性になっていたロゼがいた。
「うおっ!?」
驚きでベッドから転げ落ちる。
「こ、これも夢か?だが、肘が痛むぞ?な、何なんだ?」
「喧しいぞ。ジャック」
起き上がったロゼの髪は乱れ、寝間着がはだけて肩が出ている。
「あばばばばばっ!」
慌てて掛け布団を掛けてから、ベッドに背を向ける。ロゼの悪戯だ。そうに違いない。深呼吸をして、落ち着ける。
「主人に対して随分と無礼だな。恥知らずめ」
あっという間に距離を詰められて、チョークスリーパーを掛けられていた。
―
「…説明してくれ」
「結婚しろ」
「ロゼ。説明してくれと言ったんだが?」
目の前の美しきプラチナブランドの淑女は山盛りのトマトとセロリ入りのサラダを渡してくる。
「仕方無い。私は呪いに打ち勝ったが魔術が少々敗北した。そう、歳をとったのだ。私はこれを呪わない。祝福だと受け取った。身体的にも法的にも結婚出来る年齢。人生の墓場に向かうよりも先に私の下僕兼夫となれ」
ジャックはサラダを品なく貪って完食した。
「うぐっ…不味い…こんなものを出してくる妻など御免だ。それに」
真っ青になりながらも強がって言う。
「テーブルマナーすらなっていない男などやめておけ」
ロゼは嘲る。
「教育すればいい」
鞭を取り出した。
「さぁ、私の夫に相応しい男に教育してやろう!」
ジャックは走って逃げ出したがすぐに組みつかれて捕まった。その後、二人がどうなったのかは誰も知らない。