幻覚を纏いながら、異形へと変貌していく藤吉。全てが歪み、捩じれ、人であった面影はどこにも存在しない。それこそ、出来そうなビジネスマン然としていたような見てくれは、どこかへ消え去ってしまった。
人としての顔は多少残ってはいたが、阿修羅を彷彿とさせるように人間にはありえないような三面六臂の姿をしていた。
竜宮城で散々遊び惚けた結果か、金銀財宝を身にまとっており、人間らしい腕は全て捩じれている。さらに欲に負けた者の末路として、衣服は下着以外身にまとっていないような風貌であり、雄々しい体を強調しているととらえるか、それ以外の要因で脱いでいるかは、当人のみぞ知る。
亀を助けた人徳溢れる青年としての姿ではなく、曲解され欲に敗北した男の姿と成り果てていたのだ。元々イフの形を現した人造ライセンスであったが、それがより欲深で性悪な男が用いたことにより、事象がさらに捻じ曲がったのだ。元ある話すら捻じ曲げ、ただ邪魔だから存在を抹消しようとする、人の悪意に昔話が負けたのだ。
『アンタだけは……生かしちゃあ置けねえんだ。俺の――楽園のためにも』
動揺を隠しきれないレイジーであったが、何とか戦闘態勢を取る。だが心はここにあらず。喪った存在を無数に抱え続けてきた律儀な彼女だからこそ、そして心的ショックを自己防衛のために忘れていた彼女だからこそ、衝撃が大きかったのだ。
捩じれた腕すべてに、斬った者に幻覚を齎す直剣を宿す。それらを全てレイジーに振り下ろすも、咄嗟に回避する。
しかし、全てを回避しきるには少々判断が遅れたために、左肩に刃が掠めた。たったそれだけで、強烈な幻覚作用が訪れたのだ。
転がり避けたレイジーの眼前には、幸せそうな子供たちの姿が。手を伸ばそうとすると、その幸せはすぐに崩れ去る。皆一様に腐り果て、人だった血肉の塊と成り果てる。
『幻覚に現抜かすのはいいけどよ、楽には死なせねえよ?』
吐き気を催しつつも、何とか攻撃を白羽取りで受け止める。しかし、それでも幻覚が見えてしまう。眼前には藤吉以外居ないはずなのに、そこにいたのは変異したエヴァ。しかも、各所から血を流し、今にも息絶えそうな様子であったのだ。
『レイジー……貴女が全て悪いんだよ』
絶対に本人はこんなことを言わない。そんなことは十分に分かっている。
しかし、おかしくなり始めた頭でそんな冷静な思考ができるはずもなく、次第に恐怖に表情が歪み始めた。
「あ、あああああっ……ごめんなさい……ごめんなさい……!!」
本人が内に秘めている悔恨の念が、口から漏れ出ているのだ。何も言わずに英雄学園から去ったことと、その後もう傷つかないようにという大義名分のもとに、『武器の匠』としての道をやめさせようとしたこと。全てが、自分に理由があったことのために、罪の意識が根深く残っていたのだ。
実際は、山梨や子供たち、そしてエヴァのために奔走していたのにも拘らず。悪意などそこにはないはずなのに。
ふと幻覚が途切れ、レイジーに通るはずのない攻撃が通った瞬間。怪人はその口角を弧に歪めたのだった。
強固な装甲の隙間を狙うでもなく、装甲すら完全無視し、腹部をやすやすと貫くたった一刃。それを可能にしたのは、藤吉に渡された善吉の能力の一端によるものであった。
『――頭目。結局アンタは……敵であると認識したはずの俺たちを……まだ心のどこかで仲間だと思い込んでいた、最も忍者にふさわしくない『情』にほだされた存在なんだよ!』
外界を視認する頭部装甲のクリアパーツに、レイジーの喀血がべっとりとへばりつく。視界の確保のために、すぐさま装甲を霧散させる。
しかしそのタイミングを好機と睨んだ藤吉は、忍び刀を即座に収め、飛び回転蹴りでむき出しの頭部を蹴り飛ばす。
一切のサポートがされていないため、意識がどこか遠くへ飛んでしまい、容赦なく壁を突き破り同エリアの別室へなだれ込む形となった。
『頭目……アンタはもう教会本部からマークされてる。じゃあなきゃ端役同然の俺に支部長の能力の一部を譲渡だなんて暴挙、ある訳ないだろ? アンタは……これだけ巨大な存在を相手取ろうとしていた。誰かの平和を崩さんと無謀な戦いを繰り返していただけなんだよ。アンタのお節介は……少なくとも俺らと教祖の平穏を崩そうとしているモンだったろォ??』
ただひたすらに、清々しいほどの屑である藤吉は、人間の原初の欲求たる三大欲求を満たすために行動し続けてきた。他人からどう思われるだなんてどうでも良かったのだ。承認欲求だなんて高尚な欲求は要らない、ただ性欲を歪んだ形で満たすためだけに、子供であり続けた。そんな相手に、「ちゃんとしろ」だなんて説得すること自体が間違いだったのだ。
『――アンタは、もう諦めた方がいい。これは情けなんかじゃあねえぞ、アンタが特に鬱陶しいゆえのものだ。何をしようとアンタには最悪の災厄が付きまとってくる。そんな恨み辛みを聞いた現支部長、来栖善吉様は……アンタを殺す、それが出来ずともアンタを徹底的に追い詰める力を譲渡してくれた。そのためになら――いくらでも現支部長の靴を舐める。全ては、己の欲のままに』
無限に満たされない底なし沼に入り込んだら最後、人間の理性は働かない。その中にレイジーを引きずり込んだうえに、そこで彼女が死ぬまで踊り続ける。五右衛門を引きずり落した最悪の巨釜こそ、このエル・ドラドエリア。無意識下にて導かれるように、レイジーがこの場に招かれたのだ。
この場の誰もが、人々の無意識を操る力を持っている訳ではなかったが、運命に導かれるように彼女はここの扉を開いた。死ぬ覚悟ではあっただろうが、ここまでに最悪の状況を招くだなんて誰も思っていなかった。藤吉たちも、彼女がここを選ぶだなんて知りはしなかった。運命は悪戯であり、気まぐれであり。皆が運命によって手繰り寄せられたのだった。
『――この言葉は聞こえてねえだろうけどよ。大勢の意識を飛ばして、拳骨くらわして。俺にも一発入れたかっただろうが……それは叶わぬ夢だ。この力で――アンタの傷をえぐってやる。ただ隙に入り込むだけじゃあねえんだぜ。こうやって――アンタを死ぬほど狂わせることだってできるんだよ!!』
装甲など一切関係なしに、幻を見せる直剣を何度も突き立てる。それと同時に装甲の奥に存在する、レイジーの柔肌が何度も傷つけられる。常人であれば、痛みだけでショック死してしまいそうなほどに痛覚が全身を駆け巡った。
「!? あアあアアあァああアああァあああァッああアアアアああああァああああっ!?」
駆け巡るは、次々に守るべき子供たちを喪った心の痛みと、肉体の痛み。さらに、これまで味わってきた精神的苦痛から肉体的苦痛。ありとあらゆる『古傷』が、レイジーの心と体を徹底的にいたぶっていく。
『この力の正式名称は『心身惨殺機構』!! 現支部長たる来栖善吉の能力の一端!! 心的外傷から始まり古傷に至るまで全部の傷を一撃ごとに開く!! 当人に痛みを味わった経歴がない場合にのみ無効化されるが、そんなもん意志や感情の存在しないロボット以外にいやしない!! 邪魔をするアンタを――釜茹で地獄よろしく永遠の苦痛に悶えさせてやるんだよ!!』
内に入り込み、全力で主張する痛みのため、装甲のサポートなど一切無効化する、最低最悪レベルに性根の悪い能力であったのだ。
肉片と共に、血飛沫飛び散る惨劇≪スプラッター≫が繰り広げられていく中、レイジーは否が応でも意識を覚醒させられ、脳内に押し寄せる情報の濁流に翻弄される。これまで背負ってきた痛みが、傷が。脳の組織をじわじわと灼灼きつくす。
『死ねよ、死ねよ!! 邪魔者は死んじまえよ!! 子供であり大人の言うことは黙って聞くもんだぜこのクソガキが!!』
しかし、そこに大人の威厳は存在しない。気に食わない存在を排除したがる究極の弱者、いじめというオブラートに包まれた、惰弱かつ畜生じみた、軟弱者の精神。それを全て抱きかかえるような子供の犯罪者がそこにいたのだった。
次第に、レイジーの息は絶え絶えとなり、徐々に装甲が霧散し始めたのだった。腕部装甲が、胴体部装甲が、まるで初めからそこになかったかのように、夢幻のように消えていく。
数えきれないほどの痛みが脳を麻痺させ、次第に目の焦点すら合わないようになっていった。
次第に、怪人であったとしても体力の限界が訪れたようで、刀を振るう速度が次第に下がっていった。いくら装甲を気にしない能力だとはいえ、血と肉、そして人体特有の油が刀の切れ味を落としていくだけ。斬り付けたら斬り付けた分、疲労感が増すばかりであった。
『……これで、分かったかよ。結局……アンタの努力は全て水の泡だ。情に絆されて、標的殺せないだなんて間抜けが頭目だなんて……お笑いもんだよ。忍者ってのは……いつだって卑怯非道狡猾こそだろ?』
どれほど切り付けても、脚部装甲が残っていたが、結局は風前の灯火である確証を得た藤吉は、背を向け新支部長の待つフルボディへ戻ろうとしていた。