蓬莱エリア、そこに辿り着いたのは清志郎。別場所にて、とんでもないことが起きているだなんてつゆ知らず、いの一番にフルボディに乗り込まんと意気込んでいた。
「――ただ、ここは何度も来たはずなのに……どうも違和感が拭えないな」
そう、ある程度の土地勘のある人間が首を傾げるほどに、妙なものばかりが場を占有していたのだ。妙な靄、あるいは幻覚。かつて信一郎たちと送ってきた戦いばかりの日々や、陸自時代の手厳しい特訓の記憶が蘇る、そんな懐かしいものばかりで溢れていたのだ。
「……なるほど、蜃気楼か。名前負けしてねえ、実にその通りじゃあねえか」
もともと、蓬莱というものは古代中国にて東の海上、あるいは海中にある、仙人が住むとされていた仙境の一つであったと言われている。道教の流れをくむ神仙思想の中で説かれる理想郷の一つであるのだ。分かりやすく方向を示すなら、日本においては九州や中部地方の日本海側にて見られる蜃気楼、その先にあるとされている。
しかし、これはあくまで古代中国の話。日本にも蓬莱にまつわる話が存在する。それこそ、浦島太郎伝説である。文脈にも神仙思想にまつわる用語が出てくる以外に、「不老不死」の思想影響が見られることから、理想郷の伝承として形を成している。
さらにこれだけではない。山梨と静岡の県境において、日本で最も高い山として君臨し続ける富士山。これは平安時代にある僧侶が「蓬莱山」は富士山を指すと述べたこともある。そのため、日本にとっても、この山梨にとっても、蓬莱というものは実に縁深いのだ。
「――少しくらい、懐かしんだらどうだよ、清志郎。これだけの思い出を貯蔵できる場ってのも……そうないもんだぜ」
柱の陰から出でるは、清志郎にとってかつての同胞であり、元陸自一等陸佐……そして、『教会』山梨支部幹部候補、林光利。ある程度のキャリアを積んでいたものの、目先の金に目がくらみ結局自分の賄賂が原因で除名処分された、れっきとした前科者である。
「……しかし、お前も落ちぶれたもんだよ。陸自時代にあんだけ悪事働いて、一切懲りてないのが学習能力の無さってところか」
「境遇やらなにやらすべて恵まれた英雄さんに何が分かんだよ。結局は俺らみたいな半端者の気持ちなんて一切理解しないままに、強行作戦ばかりしやがって」
だが、それはあくまで全て許容範囲内かつある程度の裁量上の物。結局は技量も何も持ち合わせていなかった当人の責任である。
的外れな異論を唱える林に頭を痛くしつつも、静かにドライバーを構える清志郎であったが、一方の林は一切ドライバーを取り出す様子はない。その代わりと言わんばかりに、懐から自動小銃を取り出し、清志郎に向けたのだった。
「――こんな子供だましの茶番に付き合ってられるかってんだ。俺はお前に復讐するべく教会にナシつけた。結果今がある。だからこそ――――」
銃を撃ち放つ、その瞬間。
林の背後から、二人が予期していなかった銃声が数発。しかし、それは一切清志郎を狙うものではなかった。しかも、林の息の根止めるように心臓部に三発撃ち込まれた。実に完璧な射撃であった。
「……もう少し、雄々しい理由ならよかったわ。よりにもよって……昔のことをぐちぐちと……少しくらい前に進む努力くらいしたらどうや、シャバ僧が」
林の背後から現れた男は、灰崎と同じようなヤクザであった。しかし胸元に光る組章は灰崎率いる王漣組とは別のものであり、その名も蛇使≪だし≫組。仰々しく描かれた蛇の紋様が、荒縄モチーフを傍に置き蜷局≪とぐろ≫を巻く。
さらに、見た目も灰崎よりも圧倒的に貫禄のあるものだが、しかし同年齢と言わんばかりに若々しいようで、皺がその強面の表情に一つもない。だが、その代わりと言わんばかりに左頬から鼻の横にまで、何かしらの刃物で傷つけられた跡が残る、俗に言う傷の面。若くしてもなお、いつの世も苦労が絶えないのが極道者である。
ガタイは非常に良く、胸元が苦しいのかボタンを二つほど開けるまである程度恵まれた筋肉を保有する、生まれる場所や時代が違えば、ボディビルディングの選手として名を馳せることが出来るであろうレベル。若干開くYシャツからは荒々しい風神雷神モチーフの刺青が覗く。
「――お前さんは、いったい何者だ? お仲間殺しちゃあいかんだろうに」
「あいや失敬、仁義を切らにゃあワシの気が収まらん」
即座にその場で少々屈み、体を若干斜めに下す。頭を少し下げた状態で右掌を見せるように出し、清志郎の顔を下から見やる男。そこに、先ほどまでの非情な姿は無く、場合によっては味方に引き込めそうなほどに「仁義」をひしひしと感じ取る出で立ちであった。
「お控えなすって。手前生国と発しますは、富士の山お膝元、山梨は丹波山村の生まれ、姓は狐川、名は一。人呼んで蛇使いのイナリと申します。先代より『組長』としての名を仰せつかりまして、蛇使組二代目組長として、この戦場に馳せ参じた次第にござんす。以後面体お見知りおきの上、向後万端、よろしくお頼み申しやす」
実に誰もが知る「仁義」を切られた清志郎は、若干そんな自分に呆れ笑う。
「――まさか、そんだけ模範的なものやられると……相手がいくら反社会的勢力だろうと……やるしかないよね。じゃあなかったら……俺のプライドも許さない。正直、そういったドラマとか映画とかあまり見てないし、不慣れだからそこん所よろしくね」
少しばかり屈んで狐川と同様の姿勢を取る。
「――申し遅れまして失礼さんにござんす、手前生国発しますは北の大都会、宮城は仙台市の生まれ。姓は……有馬、名は清志郎。呼ばれる名は、名前以外ありませんゆえあしからず。この国のお上に近しい立場にありましたが、訳あってその座を退き山梨の地にて小児科医を開き、早十数年。被害に遭う子供を救い出すべく、原初の英雄の一人として欲望の渦中のど真ん中に馳せ参じた次第にござんす。以後面体お見知りおきの上、向後万端よろしくお頼み申します」
互いに向上を述べた後、再び向き直るお互い。狐川はそこいらにあった椅子にどっかりと座り、その場で煙草に火をつけた。清志郎もまた近くに座ると、同じように煙草を取り出す。無言で差し出されるオイルライターの火を借りながら、煙をくゆらせたのだった。
「――俺は反社側の人間に対して、取った行動の理由を問うことは野暮だと思うんだけどさ、なんで味方同士で殺り合ってんのさ。二対一で戦ってきても文句は言えない立場だからさ、敵陣堂々と突っ込んできているわけだし」
「そんなもん……至極単純じゃ。ワシら蛇使組の方針と『教会』……ひいては五斂子のクソッタレとそりが合わないだけでさァ。現に……ワシは教会側に属しても、チーティングドライバーとやらを受け取りはせんかった。ワシらが誰かの言いなりになるのは、基本的には組長のみ。あるいは元締めたる極道組織のトップだけじゃ」
煙草をくわえながら、持っていた拳銃をこなれた手つきでバラバラに分解していく。それは暗に、拳銃での命のやり取りはしない暗示であった。
「……清志郎さん。ワシは……原初の英雄たるアンタらを正直……羨んでいた。ワシらの組織方針は、基本的に道を極めると書いた『極道』。『買う』『打つ』『ヤる』の純朴な欲求に従うヤクザより、カタギの皆さんを支えるための方針じゃ。その点……仕方のないことじゃが、ワシらはいつだって鼻つまみもん。そりゃあ逸れもんばかりが集まっているわけじゃからな」
どれほど清廉潔白な『極道』が居ようと、どれほど気高い精神を持ち合わせていようと、結局のところ一般人からしてみれば反社会的勢力、暴力団……あるいはヤクザでしかない。
ついぞ少し前まで、王漣組がフルボディの実権を握っていた。更なる深淵は山梨支部が握っていたが、結局のところ表立って分かる情報は王漣組が児童買春を行っていたことに見えるのは変わりがない。いくら土地の提供だけ、主権は五斂子社含む山梨支部が握っていたとはいえ。
大衆の印象は、どこまで行っても付きまとってくる。足を洗ったところで、世間からどう見えるかなどたかが知れている。そのために、陰で居続ける。数多の同胞を屠ってきた忍者に対しては、正直のところよくは思っていないが、今の蛇使組のスタンスは忍者とほぼ同じ、陰にて人を支え続ける存在であったのだ。
「――ここの障害は、この阿呆だけ。じゃから進んでええのやろ。やけど……どうしてだか、ワシは清志郎さんと試合いたくなった」
そこに殺意はない。ただの力比べ。しかし、お互い生身であったとしても相当の手練れなため、命の保証はない。
「――なァに、ワシは力の差が分からんような阿呆じゃあない。ただ……少しくらい『理由のない戦い』がしてみたくなっただけじゃ。どっちが勝とうが恨みっこなし。結局のところ、目的が同じなんじゃからな。極道流の素手喧嘩殺法か、効率的戦闘法か。どっちがこの場にふさわしいかじゃ」
「……いいね、乗ったよその勝負。若気の至りなのかもしれないが……五十代突入したて、そんなオッサンの底力ってやつ……見せてやろうかね」
互いにスーツや上着を脱ぎ捨て、上裸の状態へ。清志郎の背には何もないが、狐川の背には雄々しい四神の一体・白虎が存在する。傷を何度も受けながらも、背には一切の逃げ傷は存在しない。
「……さあさあ、拳も脚も、何でもありの大相撲じゃ」
「号令は、どうするね」
「ンなもん、知るかい。そん時が来たら……ワシらは勝手に、体が動くだけじゃ」
程離れた距離で、静かに体をじりじりと低い体勢へ。チーティングドライバーを持ち合わせていない者に、デバイスドライバーを扱うわけがない。ただの素手で戦うのみである。
お互い拳を地面に付く。じりじりと汗ばむ。
一生その時が来ない訳はなく、どこかで起こった、地震に似た大規模な振動を感じ取ったその瞬間。
互いに地を叩き、ぶつかり合うのだった。