理久が去って数日が経った。
何か大きな事件があったわけではない。
けれど、シェアハウス《casa-sora》の空気は、確かに少し変わっていた。
「……なーんか、広く感じるな。リビング」
優真が、ソファに背を沈めながらぼそっと言う。
「……ひとりいないだけなのに、不思議ね」
晴がテーブルにマグカップを置いて頷く。
「“撮られてた感じ”が抜けたせいもあるかもね」
みづきが窓の外を眺めながら続けた。
「カメラはなくても、あの人の目があっただけで、少し緊張してたのかも」
静かに戻ってきた“自分たちだけの空気”。
でも、それは元に戻ったのではなく——
“変化を受け入れた空気”だった。
その夜。
リビングには、桜子と雅樹のふたり。
桜子がノートを広げて、なにやら書き込んでいた。
「……それ、日誌?」
「うん。気づいたら、書くのがクセになってたみたい。
あとで読み返すと、“あの時、私こんなこと考えてたんだ”って思えるから」
雅樹は頷く。
「わかる。俺、最近“記録”ってただのメモじゃなくて、
未来の自分と話すための手紙みたいなもんだと思ってる」
「……いいこと言うじゃん」
「でしょ? 使っていいよ、それ。著作権料はコーヒー一杯で」
「高いんだか安いんだかわかんない取引だね」
笑い合ったあと、ふと空気が落ち着いた。
桜子がぽつりと尋ねる。
「ねえ、私たちさ、この先もこうやってずっと一緒にいられると思う?」
「うーん……“ずっと”は保証できないけど、“今”は一緒にいるって言えるよ」
「その答え、なんかリアルで安心した」
別の部屋。
瑞季と真吾は、キッチンでコーヒーを淹れながら話していた。
「そういえば、理久が帰る前に言ってたんだけどさ。
“映したものは止まるけど、人は前に進む”って」
「……うん。あの人らしい言葉だね」
「でも俺、最近やっと気づいたんだ。
前に進むってのは、必ずしも“どこかに行く”ことじゃなくて、
“今いる場所で考え続けること”でもあるんだなって」
「……それ、ちゃんと記録しときなよ」
「また記録の話か」
「うん。だって“今の言葉”って、未来の自分が一番必要とするから」
その夜、「casa-sora日誌」には複数の書き込みが並んだ。
“誰かがいたことで、変われた自分がいる。
それはもう、自分の一部になってる。”
——みづき
“戻ってきた日常は、ちょっとだけ強くなっていた。”
——晴
““今この空気が好きだな”って思える瞬間が増えてる。
だから、明日も起きてリビング行こうって思える。”
——桜子
“また誰かが来たら? それも面白いかもな。
俺たち、きっともう、びびらない気がする。”
——優真
生活は続いていく。
静かに、でも確かに。
そしてそのすべてが、“ここにいた証拠”として刻まれていく。