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section23「ここを離れる決意、ここに残す想い」

ー/ー



 5月の終わり、夕方の光が柔らかくなった頃。
 ダイニングには6人の住人たちが集まっていた。
 雅樹が珍しく、真剣な表情で口を開いたのだ。
「……俺、来月からしばらくこの家を出ることにした」
 その言葉に、空気が一瞬止まる。
「……えっ?」
「……急だね」
 晴と瑞季の声が重なる。
 雅樹はうなずいて、落ち着いた声で続けた。
「ごめん、急に決めたわけじゃなくて。ずっと考えてた。
 自分の表現活動をもう一段階、外に向けて広げたいって思ってた時に、
 海外のアーティストインレジデンスに応募してて……通ったんだ」
「……レジデンス?」
 みづきが眉を上げる。
「うん。滞在制作。ポーランドの田舎町。3ヶ月間。
 見たこともない景色を、“作品”じゃなくて“体験”として形にしたくて」
「すげえ……」
 優真が感嘆の声を漏らす。
「てか、それ絶対行くべきやつじゃん。すげーよ雅樹!」
「ありがとう。でもさ……この家が居心地よくなって、
 なんか“行かなくてもいいかな”って一瞬思った。……でも、それってたぶん、甘えだって気づいた」


 静かにしていた朝陽が、口を開いた。
「“戻ってこれる場所”があるって、行く側にとっては最大の安心になる。
 ……この家は、そういう場所になったってことだと思う」
「うん。……行ってこい、って言いたいけど、寂しいって気持ちも、ちゃんとある」
 みづきの言葉は、どこか少し拗ねたようだった。
「まあでも、3ヶ月だけでしょ? “卒業”じゃないよね?」
 桜子が念を押す。
「もちろん。帰ってきたら、またここでメシ作るし、あの変な観葉植物の世話もする」
「……あれ、ついに枯れてなかった?」
 真吾の突っ込みに全員が笑った。


 その夜、casa-sora日誌の最後のページに、雅樹が書き込んだ。
“旅に出るのは、不安と希望の両方を抱えていくことだ。
 でも、残していける場所があるから、俺はちゃんと歩ける。
 この家で過ごした日々が、作品じゃなくて、俺の“生”そのものだったと、
 向こうで誰かにちゃんと伝えてこようと思う。”


 翌朝。
 雅樹の部屋の前には、住人たちの“お守り”が並べられていた。
 ・瑞季の持たせたミニチュア日誌
 ・晴が縫った手作りの布しおり
 ・真吾の“変な英語フレーズ”メモ帳
 ・桜子のラミネート済み応援メッセージ
 ・みづきの“心がざわついた時に読む言葉リスト”
 ・優真の……謎の「おまもりって書いた石」
「これ、持ってったら税関で止められるやつだよな……」
「気にすんな!お守りってのは気持ちだから!」
 笑い声と一緒に、送り出しの空気がやわらかく流れた。


 去る人がいることで、
 残る人たちは、自分の“ここにいる意味”をもう一度見つめる。
 この場所は、ただの一時滞在の空間ではなく、
“自分に戻ってこれる居場所”に育っていた。
 そして——誰かが旅立つたびに、
 この場所はまた、新しい“形”になっていく。


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 5月の終わり、夕方の光が柔らかくなった頃。
 ダイニングには6人の住人たちが集まっていた。
 雅樹が珍しく、真剣な表情で口を開いたのだ。
「……俺、来月からしばらくこの家を出ることにした」
 その言葉に、空気が一瞬止まる。
「……えっ?」
「……急だね」
 晴と瑞季の声が重なる。
 雅樹はうなずいて、落ち着いた声で続けた。
「ごめん、急に決めたわけじゃなくて。ずっと考えてた。
 自分の表現活動をもう一段階、外に向けて広げたいって思ってた時に、
 海外のアーティストインレジデンスに応募してて……通ったんだ」
「……レジデンス?」
 みづきが眉を上げる。
「うん。滞在制作。ポーランドの田舎町。3ヶ月間。
 見たこともない景色を、“作品”じゃなくて“体験”として形にしたくて」
「すげえ……」
 優真が感嘆の声を漏らす。
「てか、それ絶対行くべきやつじゃん。すげーよ雅樹!」
「ありがとう。でもさ……この家が居心地よくなって、
 なんか“行かなくてもいいかな”って一瞬思った。……でも、それってたぶん、甘えだって気づいた」
 静かにしていた朝陽が、口を開いた。
「“戻ってこれる場所”があるって、行く側にとっては最大の安心になる。
 ……この家は、そういう場所になったってことだと思う」
「うん。……行ってこい、って言いたいけど、寂しいって気持ちも、ちゃんとある」
 みづきの言葉は、どこか少し拗ねたようだった。
「まあでも、3ヶ月だけでしょ? “卒業”じゃないよね?」
 桜子が念を押す。
「もちろん。帰ってきたら、またここでメシ作るし、あの変な観葉植物の世話もする」
「……あれ、ついに枯れてなかった?」
 真吾の突っ込みに全員が笑った。
 その夜、casa-sora日誌の最後のページに、雅樹が書き込んだ。
“旅に出るのは、不安と希望の両方を抱えていくことだ。
 でも、残していける場所があるから、俺はちゃんと歩ける。
 この家で過ごした日々が、作品じゃなくて、俺の“生”そのものだったと、
 向こうで誰かにちゃんと伝えてこようと思う。”
 翌朝。
 雅樹の部屋の前には、住人たちの“お守り”が並べられていた。
 ・瑞季の持たせたミニチュア日誌
 ・晴が縫った手作りの布しおり
 ・真吾の“変な英語フレーズ”メモ帳
 ・桜子のラミネート済み応援メッセージ
 ・みづきの“心がざわついた時に読む言葉リスト”
 ・優真の……謎の「おまもりって書いた石」
「これ、持ってったら税関で止められるやつだよな……」
「気にすんな!お守りってのは気持ちだから!」
 笑い声と一緒に、送り出しの空気がやわらかく流れた。
 去る人がいることで、
 残る人たちは、自分の“ここにいる意味”をもう一度見つめる。
 この場所は、ただの一時滞在の空間ではなく、
“自分に戻ってこれる居場所”に育っていた。
 そして——誰かが旅立つたびに、
 この場所はまた、新しい“形”になっていく。