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section21「去りゆく人に、何を渡せるか」

ー/ー



 理久がシェアハウス《casa-sora》に滞在していた2週間は、静かに、しかし確かに、住人たちの記憶に刻まれていた。
 ある朝。
 彼はリビングで荷物の整理をしていた。
 ソファの脇に置かれたトートバッグに、丁寧にファイルやノートパソコン、カメラ機材を詰めていく。
 その手元を見ながら、桜子がぽつりと呟いた。
「……帰っちゃうんだね」
 理久は一瞬手を止めて、ふっと笑った。
「うん。ほんとはあと1日いようか迷ったけど……
“ちゃんと別れられるうちに帰る方が、きっと綺麗に残る”って、なんとなく思って」
「“記録を残す人”らしいね」
 その言葉に、彼は少しだけ照れくさそうに目を伏せた。


 朝食を囲む円卓。
 住人たちは、いつものように他愛もない会話をしていた。
 でも、その言葉の端々に、“終わりの匂い”が滲んでいた。
「で、理久さん、次はどこ行くの?」
 優真がパンを頬張りながら尋ねる。
「長野かな。知り合いの農場に映像の相談されてて」
「お〜! そっち行ったら牛とか出るやつ!? 撮影中にモ〜とか鳴くやつ!?」
「……まあ、牛は鳴くけど」
 朝陽が苦笑する。
「ちゃんと“映像の仕事”っていうか、“生活に入り込む仕事”してるんだなって思った」
 晴が真剣に言った。
「私……ちょっとだけ羨ましかった。
 自分の“見てる景色”を残して、それを“誰かと共有する”っていうやり方、すごく素敵だなって」
 理久は、その言葉に静かに頷いた。
「ありがとう。……でも、ここにいた時間のほうが、僕にとってはずっと贅沢だった。
 みんなが“そのまま”でいてくれたことが、何より嬉しかった」


 出発の時間が近づくにつれ、誰もがなんとなく口数を減らしていった。
 そして——
 最後に、みづきが何かを取り出した。
 一冊の文庫本サイズの小さな手帳。
 表紙には、住人それぞれの手書きの文字が並んでいた。
「あなたに、見えていた私たち」
「これは……?」
「ささやかだけど、こっちからの“記録”」
 瑞季が補足する。
「理久が見てくれた私たちを、
 今度は私たちが“あなたに見せたい”と思ったもの。
 言葉だったり、スケッチだったり、何でも詰めてある」
「……そんなもの、用意してくれてたんだ」
 理久はページをめくる。
 そこには、
 ・優真の“カレー事件”のイラスト
 ・晴がこっそり書いた詩
 ・朝陽の観察メモ風コメント
 ・真吾の手描きフローチャート(“理久と会って起きた心の変化”)
 ・瑞季の一行日記
 ・みづきの短編小説もどき
 ・桜子の“私の1ページ”という見出しと笑顔の写真
 ・雅樹の即席ポラロイドコラージュ
 それぞれのページが、静かに彼を“ここにいた証拠”として受け入れていた。
「……こんなの、もらったらもう……また戻ってくるしかなくなるじゃないですか」
「そうなってもいいよ」
 真吾が静かに言った。
「“またここに戻ってくる理由”なんて、何でもいい。
 でも、一度この場所が“帰りたい”と思えるなら……
 それは、もう“居場所”だよ」


 玄関前。
 理久が最後の荷物を背負い、扉に手をかける。
「……じゃあ、行ってきます」
「いってらっしゃい!」
「牛にはよろしく!」
「あとで写真送って!」
「気をつけてな!」
 それぞれの声が、バラバラで、でも心地よく重なった。
 理久は小さく笑って、扉を開けた。


 扉の向こうに広がる、別の空。
 でも彼の背中には、“ここ”の時間が確かに残っていた。
 その日の「casa-sora日誌」には、
 朝陽のこんな一文が記されていた。
“誰かが去ったあとに、残る空気があたたかいとき、
 その場所は、ちゃんと“暮らしていた場所”だったってことだと思う。”


 そして、瑞季がそっと書き足した。
“次にこの扉が開くときも、
 この場所が“帰ってきたい場所”でありますように。”


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 理久がシェアハウス《casa-sora》に滞在していた2週間は、静かに、しかし確かに、住人たちの記憶に刻まれていた。
 ある朝。
 彼はリビングで荷物の整理をしていた。
 ソファの脇に置かれたトートバッグに、丁寧にファイルやノートパソコン、カメラ機材を詰めていく。
 その手元を見ながら、桜子がぽつりと呟いた。
「……帰っちゃうんだね」
 理久は一瞬手を止めて、ふっと笑った。
「うん。ほんとはあと1日いようか迷ったけど……
“ちゃんと別れられるうちに帰る方が、きっと綺麗に残る”って、なんとなく思って」
「“記録を残す人”らしいね」
 その言葉に、彼は少しだけ照れくさそうに目を伏せた。
 朝食を囲む円卓。
 住人たちは、いつものように他愛もない会話をしていた。
 でも、その言葉の端々に、“終わりの匂い”が滲んでいた。
「で、理久さん、次はどこ行くの?」
 優真がパンを頬張りながら尋ねる。
「長野かな。知り合いの農場に映像の相談されてて」
「お〜! そっち行ったら牛とか出るやつ!? 撮影中にモ〜とか鳴くやつ!?」
「……まあ、牛は鳴くけど」
 朝陽が苦笑する。
「ちゃんと“映像の仕事”っていうか、“生活に入り込む仕事”してるんだなって思った」
 晴が真剣に言った。
「私……ちょっとだけ羨ましかった。
 自分の“見てる景色”を残して、それを“誰かと共有する”っていうやり方、すごく素敵だなって」
 理久は、その言葉に静かに頷いた。
「ありがとう。……でも、ここにいた時間のほうが、僕にとってはずっと贅沢だった。
 みんなが“そのまま”でいてくれたことが、何より嬉しかった」
 出発の時間が近づくにつれ、誰もがなんとなく口数を減らしていった。
 そして——
 最後に、みづきが何かを取り出した。
 一冊の文庫本サイズの小さな手帳。
 表紙には、住人それぞれの手書きの文字が並んでいた。
「あなたに、見えていた私たち」
「これは……?」
「ささやかだけど、こっちからの“記録”」
 瑞季が補足する。
「理久が見てくれた私たちを、
 今度は私たちが“あなたに見せたい”と思ったもの。
 言葉だったり、スケッチだったり、何でも詰めてある」
「……そんなもの、用意してくれてたんだ」
 理久はページをめくる。
 そこには、
 ・優真の“カレー事件”のイラスト
 ・晴がこっそり書いた詩
 ・朝陽の観察メモ風コメント
 ・真吾の手描きフローチャート(“理久と会って起きた心の変化”)
 ・瑞季の一行日記
 ・みづきの短編小説もどき
 ・桜子の“私の1ページ”という見出しと笑顔の写真
 ・雅樹の即席ポラロイドコラージュ
 それぞれのページが、静かに彼を“ここにいた証拠”として受け入れていた。
「……こんなの、もらったらもう……また戻ってくるしかなくなるじゃないですか」
「そうなってもいいよ」
 真吾が静かに言った。
「“またここに戻ってくる理由”なんて、何でもいい。
 でも、一度この場所が“帰りたい”と思えるなら……
 それは、もう“居場所”だよ」
 玄関前。
 理久が最後の荷物を背負い、扉に手をかける。
「……じゃあ、行ってきます」
「いってらっしゃい!」
「牛にはよろしく!」
「あとで写真送って!」
「気をつけてな!」
 それぞれの声が、バラバラで、でも心地よく重なった。
 理久は小さく笑って、扉を開けた。
 扉の向こうに広がる、別の空。
 でも彼の背中には、“ここ”の時間が確かに残っていた。
 その日の「casa-sora日誌」には、
 朝陽のこんな一文が記されていた。
“誰かが去ったあとに、残る空気があたたかいとき、
 その場所は、ちゃんと“暮らしていた場所”だったってことだと思う。”
 そして、瑞季がそっと書き足した。
“次にこの扉が開くときも、
 この場所が“帰ってきたい場所”でありますように。”