土曜の午後。
ダイニングのテーブルには、ノートパソコンと映写用の小さなプロジェクター。
理久がそれらをセッティングしていた。
「……今日は少し、皆さんに映像を見てもらおうと思って」
「え、上映会?」
優真がポップコーンの袋を片手に身を乗り出す。
「うん。といっても、自主制作のドキュメンタリー短編。
僕が地方の小さな町で撮った、ある家族の記録です。
映像は記録だけど、そこには必ず“撮った側の視点”がある。
……それを見て、皆さんがどう感じるか、ちょっと聞いてみたい」
その言葉に、全員が少し表情を引き締めた。
誰も拒否はしない。
けれど、“理久という人物の内側”にふれる機会が突然訪れたことに、緊張が走った。
部屋の灯りが落とされ、静かに映像が流れ始めた。
画面には、古い木造の家と、その縁側でお茶を飲む老夫婦。
映像はナレーションもなく、ただ日常の風景が淡々と映されていた。
朝の支度、畑の手入れ、二人で並んで座る夕暮れ。
一見、特別なことは何もない。
だが、数分が過ぎた頃——
老夫婦の会話が入る。
「おまえさ、忘れてたか? 昔、俺が初めて作った梅酒の味」
「忘れるもんかね。あれは……甘すぎて飲めたもんじゃなかったよ」
「はは、そうだったな……」
そのやりとりに、小さな笑いがこぼれる。
けれど、その数秒後。
老婦人が唐突に、彼の肩に顔を伏せて言う。
「でも、あんたが生きてるだけで、私は……ありがたいんだよ」
その言葉に、全員が息をのんだ。
映像は15分で終わった。
部屋に明かりが戻ると、誰もすぐには口を開かなかった。
最初に言ったのは、みづきだった。
「……ずるいな」
「ずるい?」
「“ただ撮っただけ”みたいな顔して、ちゃんと“残したいもの”を選んでたじゃん。
それ、カメラの前じゃ絶対言えない言葉だったよ」
「……かもね。でも、それが“映像”の仕事なんだと思ってる。
その人の人生に、ちょっとだけ立ち入らせてもらって、
“もう一度見たい瞬間”をすくい上げる」
理久はそう言って笑った。
だが、その笑みにもまた、どこか“距離”があった。
「俺、実はちょっと羨ましかった」
朝陽が静かに続ける。
「僕はいつも、人の表情や言葉を観察して、記憶に留めようとするけど……
時間が経つと、思い出の輪郭ってどうしても曖昧になる。
でも、映像は消えない。記録される。
それって、羨ましい“強さ”だよ」
「でもね」
理久は言った。
「映像って、“消えない”代わりに、“変わらない”んだ。
だから、あとから見返すたびに、こっちが変わったことに気づかされる。
“あのときの自分”が、今の自分に問いかけてくるみたいに」
その言葉に、今度は真吾が頷く。
「確かに。“変わらない記録”を見ることで、自分の“変化”が浮き彫りになる。
……それが、怖いって思うこともあるな」
「私、今まで写真もビデオもあまり残さない人だった」
瑞季がぽつりと言った。
「でも最近、“残さなくても、記憶してくれる人”がそばにいれば、それでいいかもって思えてきた」
「記録じゃなくて、記憶の共有?」
桜子が問い返す。
「うん。“一緒にいた時間”って、記録がなくても、感情で覚えてるよね。
あの時こうだった、って言い合える人がいることの方が、ずっと価値ある」
理久は、その言葉にしばらく黙っていた。
やがて、低く静かな声で口を開いた。
「僕、3年前に……母を亡くしたんです。
映像やってるのに、母の動画は、ほとんど残ってない。
……それが、今でもずっと、胸に残ってて」
全員が、息をひそめた。
「だからかもしれない。
“もう一度会いたい”って思ったときに、何かが残ってるように、って。
それで、たくさんの“誰か”の記録を撮るようになった。……でも、それでもたまに思うんです」
「なんで、自分の一番大事な人を……ちゃんと撮ってなかったんだろう、って」
——その言葉は、重くて、でもやさしかった。
それは、理久という人間の“空白”を語る声だった。
静かに、みづきが言った。
「それでも、私たちにその話をしてくれたことで……
きっと今日からは、あんたも“誰かの記憶にちゃんといる”人になるよ」
「……ありがとう」
理久がはじめて、誰かに“頼るような声”でそう言った。
記録に残るものと、
記憶に残るものは、違う。
けれど、誰かと一緒にいた時間は——
どちらかひとつでも、残ってくれればきっと、充分なのだ。
そして、その“ひとつ”が、この家にはたしかにあった。