その
晩、の空気は、どこかしんと静まっていた。
灯の訪問から数時間が経っても、誰もリビングに集まらなかった。
部屋の灯りは点いている。生活音も聞こえる。
でも、その“つながり”はどこかで切れてしまったように、互いを気にしながらも、誰も言葉にしなかった。
優真の部屋。
「“楽しい家です!”ってさ……誰に向かって言ってたんだろ」
小さな声でつぶやいたあと、枕に顔を埋めた。
(俺、外の人に“この家の良さ”を見せたかったわけじゃないんだよ)
外にどう見えるかより、自分たちが“どう感じていたか”が大事だったはずなのに——
気づけば、笑顔を“作っていた”。
(このままじゃ、あの時間まで全部“演技”になっちまう)
その想いが、胸の中で小さく疼いていた。
みづきの部屋。
ノートパソコンを閉じ、うつぶせのまま机に突っ伏す。
(“大丈夫そうな私”を演じてるなって、自分で思ってた。けど、今日のあれは……もう、“自分を守る”ってレベルじゃなかった)
みづきは思う。
自分は“観察する側”にいたはずだった。
なのに、気づけば“見られる”ことにおびえ、“型”に逃げていた。
(……演じないと、守れないと思ってた場所が、今はちょっとだけ違う気がしてたのに)
唇を噛み、ノートを閉じる。
本当に書きたいことは、まだ言葉にならなかった。
真吾の部屋。
キーボードに手を置いたまま、真吾はしばらく動けなかった。
(“記事になる”ってことが、こんなに空気を変えるなんて)
彼はずっと、人との距離の“安全地帯”を保ってきた。
でも、この家ではそれを少しだけ緩めてみたつもりだった。
(……やっぱり、外の目が入った瞬間、緊張するんだ)
だけど——
「じゃあ、その空気は“誰が戻すんだ”って話だよな」
小さくつぶやいて、そっと席を立つ。
その頃、リビングに一人だけ現れたのは朝陽だった。
彼は無言でダイニングテーブルの真ん中にノートを一冊置いた。
表紙には、こう書かれている。
「casa-sora 日誌」
——“今日の自分と、この家のこと”
彼は開いたページに、ボールペンで数行だけ記した。
202X年4月・晴れ
自分の言葉を、誰かに届けるためじゃなくて、
自分のために書いてみようと思う。
今日、少し嘘をついた。
明日は、少しだけ本音で笑えますように。
書き終えた彼は、ペンをそっと添えてページを閉じた。
「……回していこう。誰かが“今ここにいる”って、残せるように」
ちょうどその時、階段のきしむ音がした。
振り返ると、晴がパジャマ姿で立っていた。
「……なにしてたの?」
「ちょっとだけ、明日の準備」
「それ……みんなに見せるの?」
「見てもいいし、見なくてもいい。書いてもいいし、書かなくてもいい。ただ、“ここにいてもいい”って気づける場所になったら、それでいいなって」
晴は少し考えたあと、テーブルに近づき、ノートに手を添えた。
「……書いてみてもいい?」
「もちろん」
その日から
、には新しい“伝言板”が生まれた。
それは、声にしにくい言葉や、心のざわめきを記す小さなページ。
何も言わずに読んで、
何も言わずに笑って、
何も言わずに“またここに戻ってくる”ための、確かな存在。
誰かの目線が入っても、
揺らいでも、
そのたびに“自分たちの居場所”を確かめ直していけるなら——
この家は、きっと、壊れない。