午後二時すぎ。
それぞれがリビングや自室でのんびり過ごしていたころ——
玄関のチャイムが鳴った。
「……誰か来る予定あった?」
瑞季がキッチンの片隅から顔を出す。
リビングにいた雅樹がソファから起き上がる。
「いや、聞いてない。宅配かな」
「いや、ちょっと違う……“ピンポン”じゃなくて、“コンコン”って、ノックの音だった」
みづきがソファの背に腕をかけて、ぼそり。
「それ、普通に“人”だね」
優真が飛び出すように玄関へ向かい、ドアを開けると——そこに立っていたのは、見知らぬ女性だった。
明るい栗色のショートボブ、眼鏡をかけた理知的な顔立ち。
背筋は伸び、手には紙袋とファイルを持っている。
「こんにちは。……ここ、ですよね?」
「そ、そうですけど……えっと?」
「あ、ごめんなさい。私、長谷川灯(はせがわ あかり)っていいます。この家の管理会社から派遣されてて……少しだけ、皆さんとお話しできればと」
「え、管理会社……?」
その言葉に、リビングにいた数人が反応して顔を見合わせる。
「話って……何か、問題が?」
「あっ、いえいえ、そういうんじゃなくて! むしろ逆で」
彼女は紙袋を掲げてにっこり笑った。
「“住人インタビュー”なんです。来月、管理会社の広報誌で《casa-sora》特集を組む予定で。実際に住んでいる皆さんの声をぜひ聞かせてもらえたらなって」
「……広報誌?」
朝陽が出てきて眼鏡を直す。
「どこまで公開されるんですか?」
「顔出しも名前も任意です。内容も事前確認いただけますよ」
「……なるほど」
彼の中で一瞬、何かを“計算”するような間が生まれる。
「ちょっとだけ、いいですか?」
灯が入室を促されてリビングに入った瞬間——
空気が、微妙に変わった。
今まで閉じた場所で育まれていた関係に、“外からの目線”が混じる。
瑞季が小声でつぶやく。
「こういうの……好きじゃないな。途端に“キャラ”に戻っちゃう人、絶対出る」
「わかる。“日常”に“注目”が入ると、空気って変わるよね」
みづきが続ける。
晴は不安げに視線を泳がせ、桜子は緊張で手元をいじり始める。
真吾だけは一歩引いたまま、黙って様子を見ている。
「じゃあまず、お一人ずつ、印象に残ってる“この家でのエピソード”なんかを聞かせてもらえると……」
灯はそう言って、ノートを取り出した。
それを皮切りに、空気が“演出される空気”へと、少しずつ傾き始める。
優真はいつもより“明るすぎる”調子で喋り始めた。
晴は、無難な言葉で当たり障りのない表現を選び始めた。
桜子は、笑顔の裏に“迷い”を隠すようになった。
朝陽と雅樹は、あくまで冷静なスタンスを崩さず、
瑞季とみづきは、次第に言葉数を減らしていった。
真吾だけが、ずっと沈黙していた。
(……今、ここにいる“自分たち”は、本当に“ここで暮らしてる自分たち”だろうか)
それは、誰の目にも見えない“微細なズレ”。
外の目線は、善意でも“揺さぶり”になる。
それを感じ取った住人たちは、それぞれにわずかな戸惑いを抱えたまま、取材の時間を終える。
「皆さん、ご協力ありがとうございました! すごく温かい雰囲気の家ですね。……記事、楽しみにしててください」
笑顔で去っていく灯の背中を見送りながら、誰も、何も言わなかった。
玄関のドアが閉まる音が、いつもより少しだけ重たく響いた。
沈黙が落ちるリビング。
しばらくして、桜子がそっと言った。
「……なんか、ごめん。私、途中で“嘘の自分”になってた」
「それは、あなただけじゃない」
みづきが低く返す。
「……私も、“いつも通り”じゃいられなかった」
「悪いことじゃないよ」
朝陽が静かに言った。
「人は誰だって、“見られる自分”と“暮らしてる自分”がいる。それが重なるには、時間がいるんだと思う」
「……そうだね」
優真が、ようやく口を開いた。
「俺、気づいてたんだ。テンション無理してたって。でも、そうでもしないと、あの空気が怖くて」
真吾は黙って頷いた。
そして、誰かがポツリと言った。
「次は……“嘘じゃない自分”で、また一緒にごはん食べたいな」
その言葉が、少しだけ空気をほぐした。
揺らぎが生まれた日。
だがその揺らぎは、きっと“本当の居場所”を見つけるための、大切なノイズだった。