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section12「夜に見る夢は、心の裏返し」

ー/ー




 持ち寄りディナーの余韻が残る夜。
 笑い声と温かい料理の記憶を残したまま、それぞれの部屋に戻った住人たちは、静かにベッドへと潜り込んでいた。
 月は半分ほど欠けていたが、光はやさしく、雨のあとの空気を柔らかく包んでいた。
 この夜、彼らはそれぞれ、印象的な夢を見た。


 優真の夢。
 体育館のような広い空間。中央には舞台があり、彼はマイクを持って立っていた。
 だが、観客席はがらんとしている。誰もいない。誰も、見ていない。
(……あれ?)
 不安になって喋り始めるが、声は反響せず、自分の胸の中に吸い込まれていくだけ。
 そのとき、後ろから誰かが肩を叩いた。
 振り向くと、晴がいた。
 彼女は無言で頷き、静かに席についた。
 次いで、桜子、真吾、みづき……仲間たちが次々にやってくる。誰も喋らない。でも、皆が笑っていた。
(ああ、俺……聞いてほしかったんじゃない。ただ、そばにいてほしかっただけなんだ)
 その気づきの瞬間、会場が光で満ちた。


 晴の夢。
 真っ白な部屋。どこかの美術館のような静謐な空間。
 床に、色とりどりの糸が散らばっていて、晴はそれを丁寧に拾い集めている。
 でも、どこに繋げればいいのかがわからない。
 一本だけ、緑の糸が手に絡む。
 それは、優真の靴紐だった。
 驚いて振り返ると、優真は階段の途中で手を振っていた。
「手伝おっか?」
「……ううん、自分で結びたいの。でも、そばにいてくれると助かる」
「了解!」
 彼は近くに腰を下ろす。何も言わず、ただそこにいる。
 それが、晴には一番の安心だった。


 真吾の夢。
 無数のパソコン画面に囲まれた部屋。画面はどれも、エラーを起こしている。
“自分にしかできないこと”を探していたはずなのに、どの画面にも「他の人でも代用可能」の表示が出てくる。
(俺は……本当に、必要なんだろうか)
 後ろから椅子のきしむ音。
 振り返ると、瑞季がコーヒーを持って立っていた。
「……壊れたら、修理すればいい。全部、自分で抱えなくてもいいんじゃない?」
 彼女の言葉が、雑音のように鳴っていた警告音を止める。
(誰かの言葉が、自分を立て直す材料になる——そんなの、考えてもみなかった)


 瑞季の夢。
 窓のない部屋。机の上に大量の書類、編集された本の山。
 その中心で、瑞季は一人、時計を睨んでいた。
「時間が足りない。間に合わない。終わらない……」
 焦燥に満ちた手元を誰かがそっと押さえる。
「大丈夫だよ、そんなに急がなくても」
 声の主は朝陽だった。
「……え、なんで?」
「みんなが読むのは、仕上がりじゃなくて、君の“伝えたかったこと”だと思うから」
 瑞季は少し泣きそうな顔で、机の上の書類を閉じた。
(……もうちょっとだけ、肩の力を抜いてもいいかもしれない)


 みづきの夢。
 静かな湖のほとり。
 みづきはそこで、釣竿を垂らしている。
 水面には何も映らない。釣れてもいない。
 でも、隣には優真がいた。寝転がりながら、空を指差していた。
「ほら、あれ。雲がクマみたいじゃない?」
「どこが」
「どこでもないけど、そういう風に思って見たら、ちょっと楽しくない?」
 ——自分にない視点。騙されやすいと言われた自分が、信じていいと感じた“軽さ”。
(そうか。こういうのが、“無防備でいてもいい”って感覚か)
 みづきは、ゆっくりと水面に石を投げた。


 桜子の夢。
 舞台の袖。誰かがライトの向こうで演技をしている。
 自分は出番待ち。でも、どうしても一歩が出ない。
「……行ける?」
 振り返ると、今度は誰でもなく、自分自身だった。
 夢の中の“もう一人の桜子”が、優しく微笑んでいた。
「演じていいんだよ。それは逃げじゃない。……それも、あんたの本気なんだから」
 桜子は深呼吸して、舞台の光の中に踏み出す。
 ——拍手の音が、夢の終わりを告げる。


 朝陽の夢。
 一冊のノート。中には無数のメモと観察記録が綴られている。
“瑞季、表情の変化=感情の兆し”
“晴、距離感と安心の相関”
“優真=発火点→周囲の温度上昇”
 彼はページをめくりながら、最後の欄にペンを走らせる。
 ——“全員の名前を、もう一度書き直す。役割じゃなく、名前として”
 ノートの文字が、柔らかく滲み始める。
 それは、分析者が“関係者”になった証だった。


 雅樹の夢。
 駅のホーム。リュック一つで、電車に乗る自分。いつも通りの光景。
 でも、ふとホームのベンチを見ると、そこに住人たちが座っていた。
 誰も何も言わない。ただ、にこやかに手を振っている。
(……ああ、戻れる場所があるって、こんなに安心するんだ)
 電車は発車しない。彼は、リュックを背負ったまま、その場に腰を下ろす。


 そして夜は明ける。
 それぞれが見た夢は、記憶にはっきり残ってはいないかもしれない。
 でも、朝の空気にふと感じる“やわらかさ”は、確かにそこにあった。
 少しだけ、自分を許せた気がした夜だった。



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 持ち寄りディナーの余韻が残る夜。
 笑い声と温かい料理の記憶を残したまま、それぞれの部屋に戻った住人たちは、静かにベッドへと潜り込んでいた。
 月は半分ほど欠けていたが、光はやさしく、雨のあとの空気を柔らかく包んでいた。
 この夜、彼らはそれぞれ、印象的な夢を見た。
 優真の夢。
 体育館のような広い空間。中央には舞台があり、彼はマイクを持って立っていた。
 だが、観客席はがらんとしている。誰もいない。誰も、見ていない。
(……あれ?)
 不安になって喋り始めるが、声は反響せず、自分の胸の中に吸い込まれていくだけ。
 そのとき、後ろから誰かが肩を叩いた。
 振り向くと、晴がいた。
 彼女は無言で頷き、静かに席についた。
 次いで、桜子、真吾、みづき……仲間たちが次々にやってくる。誰も喋らない。でも、皆が笑っていた。
(ああ、俺……聞いてほしかったんじゃない。ただ、そばにいてほしかっただけなんだ)
 その気づきの瞬間、会場が光で満ちた。
 晴の夢。
 真っ白な部屋。どこかの美術館のような静謐な空間。
 床に、色とりどりの糸が散らばっていて、晴はそれを丁寧に拾い集めている。
 でも、どこに繋げればいいのかがわからない。
 一本だけ、緑の糸が手に絡む。
 それは、優真の靴紐だった。
 驚いて振り返ると、優真は階段の途中で手を振っていた。
「手伝おっか?」
「……ううん、自分で結びたいの。でも、そばにいてくれると助かる」
「了解!」
 彼は近くに腰を下ろす。何も言わず、ただそこにいる。
 それが、晴には一番の安心だった。
 真吾の夢。
 無数のパソコン画面に囲まれた部屋。画面はどれも、エラーを起こしている。
“自分にしかできないこと”を探していたはずなのに、どの画面にも「他の人でも代用可能」の表示が出てくる。
(俺は……本当に、必要なんだろうか)
 後ろから椅子のきしむ音。
 振り返ると、瑞季がコーヒーを持って立っていた。
「……壊れたら、修理すればいい。全部、自分で抱えなくてもいいんじゃない?」
 彼女の言葉が、雑音のように鳴っていた警告音を止める。
(誰かの言葉が、自分を立て直す材料になる——そんなの、考えてもみなかった)
 瑞季の夢。
 窓のない部屋。机の上に大量の書類、編集された本の山。
 その中心で、瑞季は一人、時計を睨んでいた。
「時間が足りない。間に合わない。終わらない……」
 焦燥に満ちた手元を誰かがそっと押さえる。
「大丈夫だよ、そんなに急がなくても」
 声の主は朝陽だった。
「……え、なんで?」
「みんなが読むのは、仕上がりじゃなくて、君の“伝えたかったこと”だと思うから」
 瑞季は少し泣きそうな顔で、机の上の書類を閉じた。
(……もうちょっとだけ、肩の力を抜いてもいいかもしれない)
 みづきの夢。
 静かな湖のほとり。
 みづきはそこで、釣竿を垂らしている。
 水面には何も映らない。釣れてもいない。
 でも、隣には優真がいた。寝転がりながら、空を指差していた。
「ほら、あれ。雲がクマみたいじゃない?」
「どこが」
「どこでもないけど、そういう風に思って見たら、ちょっと楽しくない?」
 ——自分にない視点。騙されやすいと言われた自分が、信じていいと感じた“軽さ”。
(そうか。こういうのが、“無防備でいてもいい”って感覚か)
 みづきは、ゆっくりと水面に石を投げた。
 桜子の夢。
 舞台の袖。誰かがライトの向こうで演技をしている。
 自分は出番待ち。でも、どうしても一歩が出ない。
「……行ける?」
 振り返ると、今度は誰でもなく、自分自身だった。
 夢の中の“もう一人の桜子”が、優しく微笑んでいた。
「演じていいんだよ。それは逃げじゃない。……それも、あんたの本気なんだから」
 桜子は深呼吸して、舞台の光の中に踏み出す。
 ——拍手の音が、夢の終わりを告げる。
 朝陽の夢。
 一冊のノート。中には無数のメモと観察記録が綴られている。
“瑞季、表情の変化=感情の兆し”
“晴、距離感と安心の相関”
“優真=発火点→周囲の温度上昇”
 彼はページをめくりながら、最後の欄にペンを走らせる。
 ——“全員の名前を、もう一度書き直す。役割じゃなく、名前として”
 ノートの文字が、柔らかく滲み始める。
 それは、分析者が“関係者”になった証だった。
 雅樹の夢。
 駅のホーム。リュック一つで、電車に乗る自分。いつも通りの光景。
 でも、ふとホームのベンチを見ると、そこに住人たちが座っていた。
 誰も何も言わない。ただ、にこやかに手を振っている。
(……ああ、戻れる場所があるって、こんなに安心するんだ)
 電車は発車しない。彼は、リュックを背負ったまま、その場に腰を下ろす。
 そして夜は明ける。
 それぞれが見た夢は、記憶にはっきり残ってはいないかもしれない。
 でも、朝の空気にふと感じる“やわらかさ”は、確かにそこにあった。
 少しだけ、自分を許せた気がした夜だった。