表示設定
表示設定
目次 目次




section08「秘密に触れるとき、沈黙は言葉になる」

ー/ー



 その夜、みづきは珍しく眠れなかった。
 自室のベッドに横たわり、天井を見上げながら、耳をすませる。
 ——この家は、思ったより“音”が届く。
 静かな夜の中、かすかな足音、カップが置かれる音、遠くで流れる水道の音……すべてが“生活の気配”として届く。
 そして、その気配の中に——ふと聞こえてきた声があった。
「……だからさ、俺、ほんとはさ……この街に戻ってくるの、ずっと怖かったんだよ」
 聞き覚えのある声。
 それは、リビングの隅、優真の声だった。
 みづきは起き上がり、そっとドアを開ける。
 音を立てないよう、廊下の隅を抜けて、階段の手前で足を止めた。
 優真の声は、壁越しに薄く届く。
「ここにいた頃……俺、親に“お前には向いてない”って何回も言われたんだ。何をやっても、“もっと静かにしろ”って。それで、出て行った。……でも、出てった先でも、結局うまくいかなくてさ」
 ——静かな吐息。
「“にぎやかにしてるのが俺らしさ”だと思ってたのに……それが全部“空元気”だってバレると、もう何にも残らなくてさ」
 みづきは、呼吸を止めて聞いていた。
 彼の明るさの裏に、こんな“影”があったなんて。
 けれど、思い返せば確かに、彼はいつも誰よりも先に笑い、誰よりも先に場を盛り上げていた。
「でも、ここで暮らしてるうちに、ちょっとだけ……“そのままの俺”でも、いいかもしれないって思い始めたんだよな。……誰かのためじゃなくて、俺のために、笑ってみてもいいかなって」
 その言葉に、みづきの胸が不意にきゅっと締めつけられる。
(……私だけじゃなかったんだ)
 人に見せない部分を抱えてるのは、自分だけだと思ってた。
 誰よりも明るい優真が、こんな静かな弱音を持っていたことが、何よりも強く響いた。
 そのとき、階段の上で足音がした。
 ばちっと目が合ったのは——朝陽だった。
 彼もまた、音に気づいて降りてきたのだろう。
 お互い言葉を交わさず、小さく頷く。
 そしてみづきは、そっと階段を戻った。


 翌朝——
 リビングにいたみづきは、マグカップを片手に優真の姿を見つけた。
 いつも通りの明るい表情。
 けれど、彼女はもう、その裏にある“沈黙”を知っている。
「……おはよう」
「おー、おはよ! みづき、早起きじゃん」
「……今日は、ちょっと眠れなかったから」
 優真は少し驚いたように眉を上げた。
「珍しいな。悩み事?」
「……ううん。悩みってほどじゃない。……ただ、“誰かの言葉”を聞いたら、自分の中に溜めてたものが少し動いたってだけ」
「へえ、いいじゃん。動くのって大事だよ。止まってると腐るし」
 その言葉を、今朝のみづきは、違う重みで受け取った。
「……うん。ありがとう。優真」
「え、なんか唐突に本名で呼ばれてる気が……照れるな」
「気にしないで。私も、少しだけ……ちゃんと、自分を出してみようかなって思っただけ」
 優真は一瞬だけ驚いたような表情を見せたが、すぐに笑った。
「じゃあ、俺も“変わったみづき”に付き合わされるの、楽しみにしてるわ」
「……そのテンションは置いといて」
「置いとくなよー」
 二人の笑いがこぼれた瞬間、朝の光が、リビングのガラス越しに差し込んだ。


 他人の“秘密”に触れたとき、
 言葉で包むのではなく、沈黙で見守ることも、優しさのひとつだ。
 みづきの中に芽生えた“感情”は、
 誰にも言わず、けれど確かに、次の行動を変えていく。


スタンプを贈って作者を応援しよう!



みんなのリアクション



おすすめ作品を読み込み中です…



 その夜、みづきは珍しく眠れなかった。
 自室のベッドに横たわり、天井を見上げながら、耳をすませる。
 ——この家は、思ったより“音”が届く。
 静かな夜の中、かすかな足音、カップが置かれる音、遠くで流れる水道の音……すべてが“生活の気配”として届く。
 そして、その気配の中に——ふと聞こえてきた声があった。
「……だからさ、俺、ほんとはさ……この街に戻ってくるの、ずっと怖かったんだよ」
 聞き覚えのある声。
 それは、リビングの隅、優真の声だった。
 みづきは起き上がり、そっとドアを開ける。
 音を立てないよう、廊下の隅を抜けて、階段の手前で足を止めた。
 優真の声は、壁越しに薄く届く。
「ここにいた頃……俺、親に“お前には向いてない”って何回も言われたんだ。何をやっても、“もっと静かにしろ”って。それで、出て行った。……でも、出てった先でも、結局うまくいかなくてさ」
 ——静かな吐息。
「“にぎやかにしてるのが俺らしさ”だと思ってたのに……それが全部“空元気”だってバレると、もう何にも残らなくてさ」
 みづきは、呼吸を止めて聞いていた。
 彼の明るさの裏に、こんな“影”があったなんて。
 けれど、思い返せば確かに、彼はいつも誰よりも先に笑い、誰よりも先に場を盛り上げていた。
「でも、ここで暮らしてるうちに、ちょっとだけ……“そのままの俺”でも、いいかもしれないって思い始めたんだよな。……誰かのためじゃなくて、俺のために、笑ってみてもいいかなって」
 その言葉に、みづきの胸が不意にきゅっと締めつけられる。
(……私だけじゃなかったんだ)
 人に見せない部分を抱えてるのは、自分だけだと思ってた。
 誰よりも明るい優真が、こんな静かな弱音を持っていたことが、何よりも強く響いた。
 そのとき、階段の上で足音がした。
 ばちっと目が合ったのは——朝陽だった。
 彼もまた、音に気づいて降りてきたのだろう。
 お互い言葉を交わさず、小さく頷く。
 そしてみづきは、そっと階段を戻った。
 翌朝——
 リビングにいたみづきは、マグカップを片手に優真の姿を見つけた。
 いつも通りの明るい表情。
 けれど、彼女はもう、その裏にある“沈黙”を知っている。
「……おはよう」
「おー、おはよ! みづき、早起きじゃん」
「……今日は、ちょっと眠れなかったから」
 優真は少し驚いたように眉を上げた。
「珍しいな。悩み事?」
「……ううん。悩みってほどじゃない。……ただ、“誰かの言葉”を聞いたら、自分の中に溜めてたものが少し動いたってだけ」
「へえ、いいじゃん。動くのって大事だよ。止まってると腐るし」
 その言葉を、今朝のみづきは、違う重みで受け取った。
「……うん。ありがとう。優真」
「え、なんか唐突に本名で呼ばれてる気が……照れるな」
「気にしないで。私も、少しだけ……ちゃんと、自分を出してみようかなって思っただけ」
 優真は一瞬だけ驚いたような表情を見せたが、すぐに笑った。
「じゃあ、俺も“変わったみづき”に付き合わされるの、楽しみにしてるわ」
「……そのテンションは置いといて」
「置いとくなよー」
 二人の笑いがこぼれた瞬間、朝の光が、リビングのガラス越しに差し込んだ。
 他人の“秘密”に触れたとき、
 言葉で包むのではなく、沈黙で見守ることも、優しさのひとつだ。
 みづきの中に芽生えた“感情”は、
 誰にも言わず、けれど確かに、次の行動を変えていく。