朝のリビングには、温かい飲み物の香りと、数人の笑い声がゆるやかに漂っていた。
その空気の中へ、そっと入ってきたのは朝陽だった。
やや寝癖のついた髪を軽く手ぐしで直しながら、キッチンの様子をじっと見つめる。
(この雰囲気、ちょっと入りにくいな……)
優真の存在感があまりに自然で、晴も瑞季もそれに無理なく溶け込んでいる。
それを横目にしながら、朝陽はタイミングを計っていた。
「……あ、朝陽くんも来た」
晴が先に気づき、声をかける。
「おはよう。コーヒー、飲む?」
「うん……もらおうかな。ありがとう」
ぎこちない笑顔を返しながら、彼はゆっくり椅子に腰を下ろす。
瑞季が何気なく尋ねる。
「よく眠れた?」
「うん。……ただ、ちょっと考えごとしすぎて」
その一言に、みづきがひょっこりと顔を出した。彼女も、少し遅れてキッチンに来ていたらしい。
「考えごと? どんな?」
「うーん……“どうやってこの空間に馴染むか”っていうか……」
「分析者の宿命だね」
みづきはスッと椅子に座る。
「自分の居場所を、つい構造的に探そうとする。感情で飛び込むより、先に観察するタイプ」
「……まさにそれ」
「でも、それって別に悪いことじゃない」
みづきはマグカップを手に、さらりと続けた。
「私も似たようなとこあるし。“すぐに打ち解ける”ことが良いとも限らない。じっくり観察して、静かに馴染んでいくのが“その人のやり方”なら、それでいいんじゃない?」
「……そう思っていいのかな」
「思っていいと思うよ」
朝陽はその言葉に、やっと肩の力を抜いたように微笑んだ。
そこへ、桜子が階段を駆け下りてきた。
「ごめん! 完全に寝坊した!」
パジャマのままバタバタと入ってきて、場の空気が一気に変わる。
「朝から全力だなあ……」
瑞季が小さく呟き、優真がにやにやと返す。
「やー、元気もらえるね、桜子!」
「うるさいな……自分でもテンションの高さに戸惑ってんの!」
朝陽が思わず吹き出した。
「……桜子さん、いつもそんな感じ?」
「いや、本当は違うよ」
彼女はちょっとだけ唇を噛んで言った。
「……私、なんか“元気なキャラ”やってる時のほうが、人に嫌われない気がして……」
その言葉に、一瞬、場が静まった。
「無理してるわけじゃないけど……でも、“素のまま”の私って、意外と何も面白くないのかも、って」
ぽつりとした一言だった。だが、その“本音”は、思いのほか深く響いた。
朝陽は静かに言葉を返す。
「“素のまま”って、自分じゃわからないことの方が多いよ。でも、僕が見てて思ったのは——桜子さんは、何かを避けるときでも、人に近づこうとする勇気がある」
桜子の目がわずかに揺れる。
「それだけで、すごいことだと思うよ」
その言葉に、みづきも口を開く。
「表現のしかたが違っても、自分を守るための“仮のキャラ”は誰にでもある。……大事なのは、その奥に本当に話したい言葉があるかどうか」
「……ありがとう」
桜子は照れくさそうに笑った。
「なんか、“演じてる”って気づいてる人に見抜かれてるって、ちょっと救われるね」
朝陽もうなずく。
「うん、わかる。“わかってもらえた”ってだけで、今日一日がすごく変わる気がする」
誰もが、自分の見せ方に悩み、
誰もが、誰かとの距離の取り方を探っている。
でもその“間”に生まれる言葉が、
静かに、確かに、心を近づけていく——
新生活の数日目、朝の会話は、
まだ始まったばかりの物語に、温かいページを加えていく。